イルカside
最初はその容姿に惹かれた。
その他大勢の男と何ら変わりない第一印象からの理由だった。だが彼女目当てで一楽に通う頻度が増すたびに彼女の飾らない雰囲気に自分が癒されていることが分かった。
『いらっしゃいませ、あ!イルカ先生、また来たんですか?もうラーメンばっかり駄目ですよ?』
彼女目当てで通っていることに気が付かずに俺の体を心配しての言葉も、
『あ、また来た!じゃあ今日は野菜増しましで。フフッ』
常連の俺だけに、なんて特別だと思わせるような彼女の優しさ、気遣いも、
『いらっしゃい、イルカ先生……。なんだか今日は疲れてません?もしかして、生徒さんと何かありました?え、なんでわかるかって?勘ですよ、女の勘!』
ズバリ、ナルトの件が当たって精神的に疲労を感じていた時も、
『あ、今日はもう来ないかと思いました。でもご安心を!ちゃんと先生の分、取って置いてありますよ』
残業が長引いて閉店ぎりぎりに駆け込んでも俺の分だけは残しておいてくれた時も、
『今日もお疲れ様でした。これ私からの驕りです。明日も頑張ってくださいね。イルカ先生』
そう言ってウインク一つ飛ばしてこっそりチャーシューをオマケしてくれた時も、
『……、あ!御免なさい。少しぼうっとしてて……え、具合が悪そうだって?だ、大丈夫ですよ!そんな心配そうな顔しないでくださいってば。……優しいですね、イルカ先生は……、あーあ、ホント、イルカ先生が相手だったら私幸せになれたかも、なんて!』
閉店作業で暖簾を下すのを手伝っていた時、少し彼女の顔に影が差し込んでいたのに俺に心配を掛けさせまいと無理に笑顔になる時も、
『………イルカ先生は、もし好きで好きでどうしようもない相手が遠くに行ってしまった時、ずっと、待っていられますか?それとも、勇気を出して、追いかけちゃいますか?……御免なさい、変な質問しちゃいましたね。忘れてください!それじゃあ、私ここで失礼します』
途中まで送ると強引に一緒に帰った時、ああ彼女は叶わない恋をしているんだと俺自身の失恋を感じてしまった時も。彼女の様々な表情を、限られた時間を共に過ごしていく内に人生を歩むならこんな女性と共に歩みたいと思った。
ユウコという女性を知りたいと自分なりに調べたつもりだった。
だが情報が一切出ない。一楽の大将に尋ねても彼女は訳ありなんだとそれしか教えてくれない。ならば卑怯だが彼女の家を調べようと密かに後をつけた。だが忍びの俺が一般人である彼女に巻かれて姿を見失うというありえないこともあった。
全てにおいて謎な彼女と進展がないまま時間だけが過ぎていく中、俺の中でも昇華しきれない彼女への想いが募るばかりだった。だがそんな日々にある転換期が訪れるなんて思いもしなかった。それがサスケとナルトの弁当を届けに来たという身内からの呼び出しに応じた日。別の講師が対応したということで授業中に知らせに来てくれた。
「イルカ先生、サスケの身内の方が二人のお弁当を届けに来たとかでサスケとナルトを呼び出して欲しいって来てますよ」
「え、サスケの保護者の方?しかもナルトも、ですか」
授業中なので生徒たちも興味津々と言わんばかりの中、とりあえずサスケとナルトの名を呼んでクラスから連れ出した。保護者の方は玄関で待っているらしく、廊下を三人で歩く途中、サスケとナルトは弁当を忘れたにしてはどこか興奮しているというかはしゃいでいた。小声でぼそぼそと話しているのを俺は聞き逃さなかった。
「途中で気付いたけどやっぱ取りに戻らなくて正解だったってばよ」
「まーな」
聞き捨てならんと俺は歩みを止めてぐるりと二人に向き直った。サスケとナルトはビクッと驚いて動きを止めた。
「お前ら、まさかわざわざ届けに来てもらおうって考えてたわけじゃないよな?」
「えっ!そ、そんなことないってばよ!?なぁ、サスケ!」
「……ああ…」
いかにも視線を逸らして図星という顔の二人は俺はため息しかでなかった。
保護者の方に申し訳ない気持ちになり俺はまた足早に歩いてこれ以上待たせないように急ぎ玄関へ向かった。後ろ姿から女性である事は分かった。律儀にもその人は玄関の外で待っていて背を向けていた。風で揺れる黒髪を片手で抑えながら佇む姿はなんとなく見惚れるものがあった。ナルトとサスケが俺を抜いてその女性に走り寄っていく。
「姉ちゃん」「ヒカリねーちゃん!」
「……ん、あ、来た来た」
女性はゆっくりと振り向き、窘めるようにサスケとナルトを叱った。
俺よりも年齢は若く見えた。何より綺麗な顔立ちでああ、一発で美人だと周囲に言わせるだけの存在感はあった。
「ほら、お弁当。次は忘れないようにね」
「ありがと、姉ちゃん」
「ありがとってばよ」
「素直でよろしい!それじゃあ私仕事だから。頑張って。イルカ先生、ありがとうございました」
社交辞令のような挨拶を交わすが俺は正直ドギマギして多少声が裏返ってしまった。
こんな美人相手に動揺しない男の方がおかしい。
「いいえ、気になさらずに。いやー、サスケのお姉さんがこんなに綺麗だなんてな」
「あら先生。御上手なんだから!今度チャーシューオマケしちゃいますね」
俺の本音にお世辞だと思ったのか嬉しそうにしながらもそう言葉を返す。お互い、笑顔のまま数秒固まる。
「え?」
チャーシュー?なんでチャーシュー?
「え?だからチャーシュー……ハッ!?」
途端にヒカリさんはしまった!と慌てだしていかにもわざとらしく会話を強引に切り替えた。
「あ!間違えました~!間違えました~!急にチャーシュー食べたくなっちゃって私ったら何言ってるのかしらもうダメね!それじゃ失礼します!二人とも頑張りなさいね~」
と口早に別れを告げて足早に逃げた。というかあの身のこなしとても一般人には思えない動きだった……。
まさ、か。
俺の中で現実であってほしくない仮説がカチリと音をたて組み立てられた。
◇◇◇
俺が一楽へ行く足取りはいつもより重たかった。いつも見慣れた暖簾をくぐって引き戸を開けるとそこにはいつものユウコちゃんの姿があった。だけど俺の顔を見た途端いつもの笑顔が強張った。
「……いらっしゃい、イルカ先生」
「うん。いつもの、いいかな」
「はい」
大将は黙って麺を湯に入れる。ユウコちゃんは別の端のカウンターの器を片づけている。俺の脇を通り抜ける寸前、彼女だけに聞こえるように「後で話があるんだ」と小さく呟いた。彼女から返事という返事はなかったが、俺のラーメンにはいつもよりチャーシューが一枚余計に入っていた。それが彼女の返事と悟った。
彼女の仕事が終わるまで俺は外で待っていた。一人街灯の下で。
「イルカ先生、お待たせしました」
「……お疲れ、ユウコちゃん……、いや『ヒカリ』さんって呼べばいいのかな」
俺が振り返った先に立っていた女性は、愛嬌たっぷりに笑うユウコちゃんではなく、サスケの姉であるヒカリさんだった。
「はい。それで構いませんよ」
小さく彼女は笑って了承した。
あの姿は変化の術。しかもたまに影分身の術だった時もあるという。二人並んで公園までの道すがら教えてくれた。
彼女は忍びだった。しかも俺と同じ上忍で普段は事務を務めているという。そういえば影のように地味に目立たないたまに気配も感じさせずにいる事務の女性がいると思ったら、彼女がヒカリさんだったのか。
聞けば聞くほど納得してしまう。一楽で働き始めたのは子供の頃かららしい。その頃から変化の術を違和感与えることなく発動させていたとは。うちは一族が天才というのは伊達でないと痛感させられた。というか、俺は子供目当てに通っていたというのか。
穴があったら入りたい気持ちになった。
「本当はサスケが私が作る夕食よりも一楽のラーメンへ浮気に走ったから大将の味を盗んでやろうって考えたんです。それが最初の理由でした。でもお店で働き始めてサスケやナルトが私に見せない顔で笑ってるのみたら、ああなんか馬鹿馬鹿しい理由だったなって自分が馬鹿みたいに感じちゃって。それになんだかうちはヒカリじゃなくてただのユウコとして見てくれるお客さんたちが嬉しくって。それで何となくズルズルと働いてました。大将も優しかったですしね」
「そっか……、君は俺が思ってるよりもずっと大人っぽい子だったんだね」
というか、脱帽させられる。俺が彼女と同い年だった時、一体何をしていただろうか。
「フフッ、そうなんですよ~。……だから、普通の同年代よりも冷めてるってやっかみがられたりもしましたけど……。あーあ、あの頃が懐かしいなぁー。……でももう戻れないことが分かってるから寂しい……。人生ってなんでこう上手くいかないんでしょうね」
「………」
俺よりも頭一つ分低い彼女はぐーんと腕を伸ばした。華奢なこの体でどれだけの任務をこなしたら上忍になるというのか。昔、風の噂で抜け忍となったイタチの妹が特例で中忍からすぐに上忍に昇格されたとの噂話は本当だったらしい。
うちはヒカリという人物について、火影様の指示により秘密扱いとされていた。
本人は普通に暮らしているつもりなんだろうが、俺達忍びからしてみれば、その存在はあのイタチの妹として軽視できない存在だ。幼くして写輪眼を発動させたとも聞く。
だからこそ、火影様は彼女を擁護しその存在を世間から隔離する形で自分の監視下に置いた。事務という職種はその監視下の延長線でしかないことを彼女は受け入れているのだろうか。いや、敏い彼女だ。きっと分かっている上で引き受けているのだろう。
たった一人の家族となったサスケの為に。
自販機でホットコーヒーを二人分買って公園のベンチに先に座っている彼女に差し出す。
「ありがとうございます」
「いや、これくらい」
缶を渡す時、お互いの指先がほんの少しだけ軽く触れた。
「………」
「………」
俺とヒカリさんは何事もなかったかのように少し距離をあけて隣に座った。
正直、他に何を話せばいいのか、うまく言葉に出来ない俺がいた。
彼女がユウコではなくヒカリさんだった。騙されていたと言えば確かにそうだけど勝手に恋心を抱いていたのは俺だし、彼女は俺の気持ちなど知るはずもない。
俺達は従業員と客の関係から保護者とその教え子の講師という間柄に変わっただけだ。
「貴方は……ナルトを、九尾の子と蔑まずにサスケ同様愛情を注いでいる。どうして、見ず知らずの子にできるんですか」
素朴な疑問だった。まるで接点のない二人がどうやって絆を育んでいったのかが興味があった。だがそれはヒカリさんの心の琴線に触れたらしい。
明らかに怒気を含んだ声音でスッとベンチから立ち上がり背を向けた。
「……迫害を受けた者は、決してその痛みを忘れることはありません。……私は火影が嫌いです。あの人はナルトを人身御供として里の平穏と引き換えにずっと見て見ぬふりをしていた。火影という立場にいながら里の子供であるナルトを見殺してしていた。私があの子に気づけなかったらあの子は毎日一人で泣いていた。誰もいない暗い家の中で一人で泣いて過ごしていた。本当なら両親の愛情に包まれて健やかな人生を送れただろうに、その権利を奪われ日陰に追いやられ迫害される。他者と違うという理由だけで人から疎まれ蔑まれる。たった一人の子供すら守れない火影なんていらない!私は認めない。火影という立場に甘んじて、その権力でいかにようにも解決できるものなのにしなかった。……一人幼い子供を犠牲にして生き残る里ならなくなればいい。気が付かなかったなんて言い訳でしかない。人はそうやって知らずに罪を背負っている。……イルカ先生の事は尊敬しています。あの子の身を本気で案じてくれた。感謝してます。……でも、火影を支持するという貴方は嫌いです」
そう言い切り振り向いたヒカリさんは俺を射貫くような鋭い瞳で見つめてくる。
「……貴方は……恨んでいるんですね。火影様を」
「―——この言葉をどう受け取ろうが貴方の勝手です。これ以上答えることはありません」
俺は何も言い返せず、失礼しますと踵をかえして去っていく彼女の後姿を見送ることしかできなかった。
暫く一楽へ行くのは躊躇してやめた。
すると久しぶりに顔を出したらユウコちゃんの姿は何処にもなかった。
ユウコちゃんは突然一楽を辞めたそうだ。
なんでも他の国に行かなくてはいけない事情が出来たらしいと大将から寂しそうに報告を受けた。彼女目当ての客は次第に一楽から足が遠のいていき、またユウコちゃんが務める前の平穏な一楽に戻って行った。
俺は今でも通い続けている。
元々、常連客だし一楽のラーメンに惚れているからだ。
―——『あの里を揺るがした事件』が起こってからも俺は一楽に通い続けている。
ユウコちゃんが一楽に帰ってくることは二度となかった。
そして、サスケとナルトを温かな愛情で見守っていたヒカリさんを見かけることも無くなった。
―——ああ、そう、人生は上手くいかないもんだよな。
ねぇ、ヒカリさん。
君は今、何処にいるのかな。
できれば、君自身の幸せを願わずにはいられない。