カカシside
16歳という若さでイタチと同等、あるいはそれ以上の力ある存在と木の葉の忍の間で本人の知らぬ所で囁かれるほど注目を集め、暗部と火影の事務、そしてサスケとナルトの保護者として昼夜問わず働いた彼女の体は、精神だけでなくその体もボロボロになっていた。呪印を受けた事は切っ掛けでしかない。ヒカリは頑張りすぎたのだ。一人で何でも背負い込もうとした。その結果が、これだ。
『うちはヒカリの体は既に手遅れです。手の施しようがないほどに呪印が体中に張り巡らされていて下手に手を出せば彼女の命に関わりましょう。残念ですが、今は奇跡を信じるしか……』
そう医者から匙を投げられた患者になんて声を掛けれればいい?
オレが立ち尽くす部屋のすぐ目の前のドアを開ければ、少し顔色が良くなったヒカリがベッド上から笑顔で迎えてくれるだろう。
『今日で何回目?暇人だなぁ、せんせーは』
普通の人間なら歩くどころか小指すら動かせないほどに体中が呪印に侵されてしまい、終いには壊死してしまうという。だがヒカリはベッドに横になってはいるが、立とうと思えば立てるし、歩くこともできる。だが前よりは不安定で誰かの介助がいる状態だ。
だがそれでもヒカリが今生きているのが不思議なくらいだと言われた。さすがうちはだけはあると医者は感心していたが、オレはその言葉に救われた。
あの子がうちはで良かった。そう、心底思った。
普通なら呪印をくらった時点で死んでいる。みたらしアンコも大蛇丸の元弟子として呪印を持っている。だがそれは上手く適合した場合の話だ。ヒカリの場合はサスケと違い、進行度が早く予想以上にヒカリの体を蝕んでいる。それは不適合だと医者は判断した。これ以上手は手の施しようがない。
いや、そもそも手が出せるレベルではない。
医療忍術に長けた者以外は。
ただ唯一、ヒカリの症状の進行を食い止める、あるいは和らげることができるのは三忍の内の一人、綱手姫しかいないという希望は医者から見放された者にとって救いの言葉だ。
少しでもヒカリの生存に光を見いだせるならオレは綱手様探しを三代目に願い出ようと思う。今はこの慌ただしい最中だ。大蛇丸からヒカリとサスケを守ることを最優先とさせているが、いずれ機会を見て里を出るつもりだ。綱手様は各地を放浪されているとのことだが、なんとしてでも里へお連れせねば。
―——本当は、どうしてもっと早く言わなかったのかとヒカリの肩を乱暴に掴んで問い詰めたかった。
だがそんなことをする資格は、オレにはない。
あの子の苦しみに気づくことが出来ず、木の葉の忍である以上三代目の命に逆らうことはできない。気が付いた時は既に遅かった。
もし、あの時、再不斬とハクの里入りを認めさせる為に無謀にも単独で複数の任務を同時に片づけようとしていたヒカリを補佐することができたならば、オレが防げていたことかもしれないと後悔せずにいられない。
三代目の命に逆らうということは忍としての自分の命を捨てるようなもの。自分の立場とヒカリの命の重さ。
今ならヒカリの命を取る。忍としての誇りより、大切な人をこの手から零してしまうことの方がよっぽど怖いと気づけたのはようやくこの歳になってからだ。
二度と大切な人を失う悲しみを味わいたくない。
オレはヒカリにありのままの事実を伝える為、意を決してドアノブに手を掛けた。
◇◇◇
予選試合も無事に終わった。最終有力候補たちが残る中、サスケナルト共に無事出場が決まり一か月の猶予をもって第三試験が開催されることになった。ナルトはエビス先生に修行をつけてもらうよう手配はしてある。オレはサスケに付きっ切りになるからな。まだ目が覚めていないが次期、気が付くだろうと診断された。三代目はヒカリの呪印について、何か思うところがあるらしく、その報告がされた時も大して驚いている御様子はなかったとのこと。やはり、あの子を監視下に置いていたのは粗方このような事態を予見されていたということか。
暇さえ見つければヒカリの見舞いと称して部屋を訪れてばかりいるから、ヒカリから暇人と連呼されるようになった。今もそうだ。
「暇人先生、病院のご飯美味しくないよ。缶詰のミカン買ってきてよ」
「ダーメ。ヒカリは糖分控えめにって言われてるでしょ。御粥で我慢してなさい。その内食べれるようになるから」
頬を膨らませて拗ねるヒカリを苦笑して慰めた。
気休めでしかない。
「ぶー、ケチ!でもそうね。我慢するとこは我慢してサスケとナルトの為にも早く元気にならなくちゃ。……まだあの子目が覚めないんだよね」
すぐに目が覚めたら教えて欲しいと乞われたがまだサスケに目覚めの兆しはない。だが呪印は安定している。暗部の護衛が付きっ切りで警護に当たっているので何か容態に変化があればすぐに伝えてもらえる手筈となっている。
「………ああ、まだな。今はお前でも面会はできない状態だ」
本当なら部屋から飛び出してサスケの元へ行きたいだろうに、ヒカリは妙に大人しかった。いや、聞き分けの良い子を演じているという感じだろうか。
「ああ、うん。分かってるよ。私医療忍術はからっきしだから何の役にも立てないし。安静にしてなきゃいけないのは私もだからね」
無理に笑顔を作りこちらに心配を掛けまいとするその健気さがオレの胸を締め付ける。今からオレはこの子に酷な宣告をしなくてはいけない。現実を伝えなければ。
「……ヒカリ、……あのな」
敏い子だ。いずれ言わなくちゃならないのは分かっている。ズルズルと引き延ばすのはこの子にとっても辛い事だ。そう自分に言い聞かせ、とぎらせた言葉を続けようと口を開いた。
だが先にヒカリが口を開いた。
オレへ視線を向け、口元に微笑みを浮かべながら、
「せんせ、私、死ぬの?」
とまるで死を恐れていないような口ぶりで尋ねてくる。
「っ!……どうして、そう思うんだ?」
一瞬、息を飲み、取り繕うように問い返すだけで精一杯だった。気づかれた。いや、もう気づかれた。
ヒカリは自分の胸に手を添えて瞼を閉じ今までの過去に想いを馳せるようにゆっくりと言葉にしていく。
「……自分の体の事は自分がよく分かってるよ。今まで無理してきちゃったもん。働きづめだったからねぇ。我武者羅にやってきた。サスケとナルトの為に。たぶん万華鏡写輪眼の乱用で痛覚もやられてるかも。たまにね、御粥の味分からなくなるの。塩入ってますか?って看護師の人に訊くんだけどほんの少し入ってますよって教えてくれるの。でも味が分からない。今まで散々サスケとナルトの為に料理してきたのに、味がわからなくなっちゃった。なんかそれも関係してそうだよね。自業自得ってやつ。それにここに閉じ込められてるとドンドン卑屈になってしまいそう。ここは嫌いだわ。私の事、うちはの括りで見る人ばかりだもの……。だから病院は嫌いよ。『昔から』「ヒカリ、いい、分かった」」
それ以上言わせたくない。
オレは頭を振って、ヒカリの言葉に自分の言葉を強引に被せて口を閉じさせようとする。
「でもね、先生。私、負けないよ。これぐらいで負けないから。だって死ぬつもりないもの」
「ヒカリ、もういいから」
椅子をひっくり返して立ち上がったオレはヒカリの両肩を掴んでやめてくれと頼んだ。だがヒカリは言わせてとオレの瞳をまっすぐに見据えて話を続ける。
「私は昔決めたことがあるの。サスケが幸せになるまでこの世界にいるって。それまではどんなことがあっても生き抜いてやる。私、本当は『ずっと昔』から死と隣り合わせな生き方してきたからさ、死ぬってこと身近に感じてた。でも、いざ自分の番になって考えた時、まだ死ねないって思った。約束は果たしたいから。サスケの為に。あの子を幸せにしなきゃ、私は死んでも死にきれない。……もし、私が死ぬときはきっとサスケにとって私が不要になった時。サスケが幸せになったって私が判断した時だよ。だからせんせ、その時はサスケをおねが「やめろっ!」」
それ以上聞きたくなかった。
軽くなってしまったヒカリを自分の胸に抱き寄せて物理的に黙らせる。
力加減もなくオレはヒカリの体を掻き抱いた。
「やめてくれ、ヒカリ。死ぬとか言わないでくれ……」
「カカシ、せんせ」
前よりも掠れてしまったヒカリの声。喋るだけでも辛いだろうに、どうしてオレの前で頑張ろうとする。どうして苦しいと弱音を吐かないんだ。昔からそうだ。この子は、他人からの期待に全力で応えようとする。
自分のことなど顧みずにその期待に応えることで自分の価値を見出そうとする。追い込まれることでヒカリは歪んだ生を感じ取っていたんだ。生きていることを実感し、その延長線にある死を招こうとする。全て無人格だ。
他人だからこそ分かる、ヒカリの弱点。
ヒカリは限界を通り越して、追い込まれるところまで到達してしまった。
これ以上の期待はヒカリを確実に潰す。
「ヒカリを助ける術はある。必ず助かる。今は動けないが必ず、必ず助けるから!だから、それ以上言うな!」
声を張り上げオレが今、ヒカリの目の前にいることを再認識させる。
「せ、んせい」
体を少しだけ離してヒカリと視線を合わせる。瞳が水面のように揺らぎ始めた。虚勢が崩れ、素のヒカリが姿を現す。
サスケの姉としてではなく、木の葉の忍としてではない、うちはヒカリそのものが。
「大丈夫だ。オレを信じろ」
「でも、ヒカリが、ヒカリで無くなってしまう。いつか、私が消えちゃう」
「オレが必ず守る。だから……本音を喋っていいんだ。ヒカリ。誰もお前を責めたりしない。非難もしない。だから」
今まで誰も言わなかったであろう言葉を言い聞かせるようにヒカリに言った。頼れる者もおらず、自分だけで判断して生きて行かなくてはいけなかった少女はついに素顔を現した。16歳、当たり前の少女として。
「…………こわい、よぉ……、せんせ。しぬのが、こわい……!」
くしゃくしゃに表情を歪めヒカリはポロポロと涙をこぼした。オレは相槌をしつつ泣きじゃくるヒカリを抱きしめ直し、背中を軽く叩いてあやした。
「怖くて当たり前だ。ヒカリは、生きてるんだからさ」
押し込められてきた感情が堰を切り、ヒカリはオレの胸の中で気が済むまで泣き続けた。
本当の意味でヒカリと距離が縮まった。その時はそう思った。
少なくとも、あの事件が起きるまでは。
【死んで花実が咲くものか】