サスケside
首筋に走る激痛と霞みゆく視界。姉ちゃんのオレの名を呼ぶ悲鳴にも近い声。
斜めになっていく感覚を最後に意識を完全に手放したオレが再び目を覚ました時、最初に目にしたのは白い天井と鼻先を掠る消毒臭い独特の匂いだった。
程よい柔らかさとサラサラとした肌触りを掌から感じ取る。
生きてる。カカシの術が成功したんだと安堵の息が口から漏れた。だがそれもつかの間、体調が悪かったはずの姉の存在を思い出す。
「あ……姉ちゃんは、どこだ」
急いで体を起こし、状況を頭に叩き込む。ここは恐らく病院の一室。だとすると木の葉病院しかない。素足のままベッドから降りると足の先からジワリと冷たい床の冷たさが伝わる。だが裸足だろうが構わない。
意識を失う前、姉の自分を呼ぶ悲鳴が今も脳裏で思い出せる。きっと心配しているはずだ。焦燥感に苛まれ自分の腕に刺さっていた点滴の管を乱暴に抜き取る。血が、ぶわりと溢れたのを適当に手で拭いとり、ドアへ歩き出す、
とにかく姉ちゃんを探さないと、その想いだけがオレを突き動かした。
姉ちゃん、姉ちゃん!待ってろ、今行くから!
けど部屋を出ようとドアノブに手を掛けたら先に開けられ、ぬっと顔を出すのは暗部の忍だった。
「おわっ!」
驚いて仰け反るオレに暗部の忍の男、変な仮面で表情は一切分からないが後ろのもう一人の同僚らしき男にオレが起きたことを知らせた。
「なんか騒がしいと思ったら起きたぜ。うちはサスケ、悪いことは言わん。大人しくしとけ」
「なんだよ、そこ退け。邪魔だ!姉ちゃんが待ってるんだ」
出会い頭で初対面の男にいきなり命令され素直に従うわけがない。気に食わず表情を顰めて退けと促す。だが男は姉ちゃんの知り合いなのか、呼び捨てで呼びやがった。
「姉ちゃん?ああ、ヒカリのことか。アイツならここには来れないぞ」
「なんでだよ!?」
つい食って掛かるオレに男は信じられない事実を告げた。
「そりゃ、お前大蛇丸の呪印の影響で三階に隔離されてんだからよ」「バカッ!それ言うなって口止めされただろっ!?アズに怒られるぞ!」
「やべっ」
二人のやり取りはほとんど耳に入らなかった。何より、ただ一言、大蛇丸の呪印。それだけで伝わる。あの姉ちゃんが体調を崩していた理由がカチリと符合した。
信じたくない、信じられない。三階に隔離?同じ病棟にいるのか。いや、オレよりも重症なのか?だから隔離なんて……。
最悪のシナリオが頭をよぎる。姉の変わり果てた姿。
全てを否定したあまり悲鳴にも近い声で叫んだ。
「………うそだ、嘘だ!!」
迫りくる恐怖を振り切るようにオレは二人の間を強引に割って出て廊下を疾走した。
「あ、待て!」「おい!カカシ上忍に連絡だっ」
呼び止める声なんか聞こえない。
階段を駆け上がる際、躓きかけて膝を打ったりしたが、痛みなど気にしている暇はなかった。姉の病室を探さなくては。ただその想いだけでオレは走る。闇雲に探したところですぐに分かるはずはないが、大蛇丸の呪印を受けなおかつオレの部屋に護衛らしき男らが付いていた所を推察すると姉ちゃんにもそれらしき人物が部屋の前でガードしているはず。
その読みは当たった。三階の角部屋、一番端の部屋の前に立つのは暗部の忍。仮面をつけているのが何よりの証拠だ。
オレの姿を見つけると奴は暢気にまるで知り合いに挨拶するようなノリで声をかけてきた。
「お!目が覚めたかヒカリ弟」
「退けよ姉ちゃんに会わせろ」
そんなじゃれ合いに興味はない。腕を横に払い、殺気をぶつける。だが男はオレの剣幕に怯むどころか、まるで子猫のじゃれ合いと馬鹿にするように穏やかな声で説明した。
「今ようやく眠ったとこだ。会いたい気持ちは理解できるが後にしてやってくれや」
「ふざけんな!そうやってオレ達を引き離そうと企んでるのは分かってんだ!さっさとどかねえと殺すぞ」
コイツのクナイを奪ってでも実行する勢いで脅した。
「シスコン拗らせすぎだろ。わかったわかった。そう殺気出すな。呪印が暴れるぜ。ほらよ。ただし見守るだけにしろ。アイツも不眠続きだったからな」
「………」
暗部の男がドアから離れたと同時にオレは部屋に滑り込むように入った。オレとは少し違う個室の病室は案外広く、白い間仕切りですぐ入っても中が見えないようにされていた。その間仕切りを避けて奥へ進むと患者用のベッドがあった。
そこに、自分の予想とは違いすぎる変わり果てた姉ちゃんがいた。
ひゅっと喉が鳴る。胸が早鐘を打ち、視線がそこへ釘付けになる。横たわる姉ちゃんから生気が感じ取れないほどその存在が不安定だった。
「ね、えちゃん…?」
信じられない、信じられるか、こんなの。
よろけながらオレは姉ちゃんの元へ歩み寄る。
シーツの上で無造作に散らばる黒髪は前よりも艶が無くなっていた。細い点滴の管が腕から伸びていて、酸素マスクで口元を覆われていて規則的な機械の音が静かな室内に響いている。
「ねえちゃん、ねえちゃん嘘だよな、なぁねえちゃん」
姉ちゃんも呪印を喰らっていた?だからこんな可哀想な姿になっちまった。
大蛇丸、大蛇丸大蛇丸!
アイツが、アイツが姉ちゃんをこんな姿に追い込みやがった。その名を心の中で口にする度に呪印が疼く感覚に陥る。
ベッドに膝をついて縋りつき意識がない姉ちゃんの手を両手で握りしめた。
「姉ちゃん、絶対アイツ殺してやる。必ず殺してやる!」
「………ん、……ン?」
オレの叫ぶ声に反応して姉ちゃんはゆっくりと瞼を開いた。
「っ!?姉ちゃん!」
「さ、す……け?………良かった。目が、覚めたんだね」
両目を細めて喜んでくれる姉ちゃんが喋りやすいようにゆっくりと口元の酸素マスクを外す。
「姉ちゃんどこに呪印つけられたんだ。見せてくれ」
ベッドの上に足を上げ姉ちゃんの上に跨って病衣に手を掛ける。
「さ、サスケ?!」
動揺しオレの手を掴もうとする手を片手で抑え、勢いのまま病衣を引っ張るとボタンが数個弾けた。白い肌と艶めかしい首筋にある呪印が目に止まった。
「これを、アイツが」
直接アイツが噛んだのか。ここに。
呪印を手でなぞる。滑らかな肌だ。絹みたいに。こんな綺麗な肌にアイツは、大蛇丸は牙を突き立てた。自分の所有物だと証拠を残した。
「っ!」
オレが触った事で姉ちゃんがくすぐったそうに身をよじらせ、息をのむ声を発する。
姉ちゃん、姉ちゃん他の男にこんなことさせてないよな。
今はオレだけだよな。
姉の乱れた姿を想像する一方、ジワリと、オレの心の奥底で何かが芽生えた。いや元々あったものがあふれ出ようとしている。
姉ちゃんが驚愕し、目を見開いた。
「………サスケ、なんで呪印が?心を鎮めなさい。感情のままに怒りを高ぶらせては駄目!」
荒ぶる気持ちに呑まれようとしているオレを諫めようと声を荒げる姉ちゃん。だがオレは頭を振る。
「無理だ姉ちゃん。だって姉ちゃんをここまでさせたのは大蛇丸なんだ。オレ達を、たった二人しかいないうちはを壊そうとしてるのはアイツなんだ。オレ以外触れちゃ駄目なのに。姉ちゃんを傷つけた。オレ以外に傷つけたくなかった」
「サスケ!」
呪印が顔の方にまで広がった。分かる、どんどん汚染されていくのが。写輪眼が発動して必死にオレを戻そうとする姉ちゃんの姿を映す。
「ねぇちゃんをこんなんにしたアイツ。殺してやる!待ってろ、見つけ出して必ずその首落としてやるから、だからねぇちゃん」
さらに前のめりになってシーツに両腕をついて姉ちゃんを閉じ込める。お互いの鼻先と鼻先がこすれ合うくらい近づいてオレの陰で姉ちゃんの顔を薄く染めていく。
死なないでくれ。
その想いが溢れて目尻から涙が溢れ出す。
「………サスケっ、ゴメンっ!」
「っ!?」
首後ろに回される手と同時に力強く引き寄せられる。
見下ろしていた距離がぐっと近くなってゼロになる。ぎゅっと両目を閉じた姉ちゃんがドアップで目の前にあってオレの唇にはカサカサで潤いがない姉ちゃんの唇が押し付けられていて……。
オレ、今キスされてる?
姉、ちゃんに。
自覚したら腕を振りほどいてベッドから後ろへ跳び降りた。口元を手の甲で覆ってただただ何も言えず姉ちゃんを見つめるしかできない。
姉ちゃんはよっこいしょと年寄り臭く呟きながら腕をシーツについて上体を起こした。
「……良かった。不意打ちの方が成果あるね。……呪印、引いたみたい」
嘘だろ、マジか。
確かに首筋から手の表面にまで広がっていた呪印が引いて元の皮膚に戻っている。
キスで戻るって、おとぎ話かよ。
っていうか自分がどんな顔になっているのか気になった。
もう顔から湯気が出るくらい熱い。滅茶苦茶熱い。反対に姉ちゃんは涼しい顔つきで何でもないように謝ってきた。
「ゴメンね、おねーちゃんとキスしたなんて誰にも言えないよね。でもここで暴走するよりはマシでしょ。大丈夫!サスケのファーストキスはナルトでセカンドキスなんて蚊に刺されたもんだと思って三回目は好きな女の子としなさい。ね?」
あ、これ全然意識されてないパターンだ。
なんだよその無理やり誤魔化すような笑みは。自分は家族のキスの延長線とでも受け止めてるのかよ。
「………」
実は何回も姉ちゃんが寝てる隙に口づけしてたなんて言えない。しかもすでにファーストキスは姉ちゃんに捧げてる、とも。後ろめたさのようなものを感じて姉ちゃんから視線を背ける。
オレの内情など知らない姉ちゃんはぽんぽんとシーツの上を手で叩いてオレを呼ぶ。
「………サスケ、おいで」
「………」
けどそれでも動かないオレを見かねて今度は手招きしてきた。
遠慮がちにベッドの上に背中を向けて腰かける。
後ろからそっと抱きしめられた。心拍数が倍に跳ね上がった筈だ。測ってなくても分かる。姉ちゃんの体温と首筋に当たる吐息と距離感ゼロで頭がどうにかなりそうだ。
「ゴメンね。心配かけて。聞いて驚いちゃったでしょ」
きっと暗部の男が言っていた事を耳にして飛んできたと思ったんだろう。
「………馬鹿姉ちゃん……黙ってばかりでさ。オレの身にもなれよ。なんでも言ってくれよ」
カカシと飲みに行った時だってそうだ。アイツは姉ちゃんが苦しんでるって言ってた。
きっとアイツには打ち明けたんだろう。姉ちゃんの葛藤ってやつを。でもオレは守られる対象だから相談してさえもしてくれない。話して、くれない。
頼って欲しい。
その気持ちは伝わってほしいと思った。すれ違いはもう嫌だ。
「そうだね。馬鹿だね、お姉ちゃんは。でもこれでサスケとお揃いだよ。サスケ一人で苦しまなくていい。貴方の痛みは、私の痛み。貴方の苦しみは私の苦しみ。二人で分け合えるよ」
「姉ちゃん」
「貴方が、無事で良かった……!」
声がくぐもって聞こえる。姉ちゃん、オレの為に泣いてくれるのか。
姉ちゃん、好きだ。大好きだ。
「オレだって生きた心地がしなかった。……もし、もし……姉ちゃんが」
死んじまったら……。そう口から出すのを躊躇う。
可能性の話だ。だけど本当にさっきの寝てる姉ちゃんが死んでいるように見えた。誰かを失う苦しみはもう嫌だ。
姉ちゃんがオレが言おうとした言葉を察してか、抱きしめる腕に力を籠めた。
「サスケ。言ったでしょう。『サスケが望むのなら、私はずっと傍にいる。貴方が私を不要と思うまで。』あの時の気持ちに偽りはないわ。サスケが望む限り私は貴方を幸せにする為に奮闘する。誰が相手だからって負けない。サスケ、貴方の幸せこそが私の喜びなのよ」
「……ねえちゃん……」
「サスケ」
「離れるなよ、ヒカリ」
姉ちゃんと呼ばずに名前呼びをした。それがオレの決意の証だ。
「捕まえてて。私が、逃げないように」
甘く、囁かれ衝動的に押し倒したくなって姉弟の境界線をあやうく超えそうになった。