猫爺様の一日の始まりは同居人である少年が朝食作りをする頃からスタートする。
猫爺様専用に買ってもらった新品のふかふかクッションは触り心地も寝心地も最高だ。その上でぐーんと伸びをして大きな欠伸をする。
「くわぁ~~」
最初こそ、こんな体でまともに生きていけるのかと不安もあったが、案外慣れるものだ。すっかり猫スタイルが板についている。
もう一人の同居人は朝が遅い。なんせラーメン屋でアルバイトして帰ってくるのも遅いのだ。だから大概猫爺様と少年が一足先に朝食をいただくという流れになっている。
猫爺様は朝の洗顔の為、少年に向かって頼むと鳴いた。
「ナゴォ~ン」
「あ、おはようございます。猫爺様、よく眠れましたか?」
少年は猫爺様に気づき、しゃがみ込んでニッコリと微笑んで挨拶をした。猫爺様もコクコクと頷き返す。少年は立ち上がって猫爺様の為に洗面所へ向かった。その後を猫爺様がトコトコと追いかける。少年は洗面器を用意してそこに蛇口から水を出して洗面器に水を張った。
「はい。どうぞ」
「ナゴ」
猫爺様はよしと頷いて少年に体を持ち上げてもらい洗面台の縁から一歩足を進ませて洗面器に顔をパシャパシャ付けた。
器用に前足で顔をゴシゴシ撫でながら顔を洗う。
これも猫爺様の毎日の習慣。身だしなみは男の基本なのだ。
しっかりと綺麗になったことを確認して洗面器の使い終わった水を流すのは猫爺様の仕事。
「ふんにゃ~!」
老体には力仕事だが踏ん張ればなんとか行ける。頑張って水を流し終えたら洗面台からシュタッ!と華麗に着地。
尻尾をゆらゆら揺らして台所へ戻る。
手際の良い少年のお陰で毎日美味しい食事を取ることができるのは非常にありがたいことだ。
「はい。出来てますよ」
そう言って猫爺様専用のお皿にキャットフードとほぐした鶏のささみが乗せられて出される。やはり猫の身で人間と同じ食事というのは無理なようで、最初こそ少年と同じように朝食を取ろうとしたが結局舌に合わずならばとこのようなメニューとなった。
抵抗もあった直接口をつけて食べるというスタイルも慣れたもの。見た目は完全に猫。しかも威厳がありそうな猫爺様。
少年が朝食を取っている側で猫爺様もゆっくりと朝ごはんを取る。お互いに喋る言語は違うが、それなりに意思疎通はとれている。不便はあまりない。
……前の己の立場ではきっと分かり合えることはないと断言できるだろう。
掟という縛りがあってこそ成り立つ正義がある。
その恩恵を受けて守れる者がいる。
世界は縛りでできている。その縛りを嫌い抜け忍となった者を猫爺様は多く見てきた。そしてその抜け忍らに処断を下すのも猫爺様の役目。
猫爺様はいつでも死ぬ覚悟があった。だから敢えてあの少女を自分の手元に置いた。いつでも少女から殺されてもいいように。
雨降る中、復讐の炎を燃やし、仇討を胸に秘めた少女の獣のようなぎらついた瞳は今でも忘れられない。
『見てろ。いつか、いつか……アンタを殺してやるっ!』
気絶した幼い弟を腕に抱え、忍に周りを囲まれ、お前らは全て敵であると言わんばかりに敵意をむき出しにした血濡れの少女はそう初めて顔を会わせた猫爺様に血走った目で、いや写輪眼を発動させて唸るような声で宣言したのだ。
里の長である猫爺様へ。
だが成長した少女は暗殺を企むどころか、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。嫌味のつもりでいれたであろうお茶が意外と美味かったり、激辛煎餅を食べた時は口から火を噴くほど激辛だったが、これもハマるとやめられないとまらないと癖になった。仕事ぶりも猫爺様が精神的に参るほどの資料をサッとまとめてポイントを抑えてくれたり要点だけを抜粋したり、とにかく火影の地味な仕事をカバーしてくれた。時間ピッタリに帰る頃にはすでにその日の仕事は終わっているという神業ぶりに舌を巻いたものだ。
優秀、その一言に尽きる。
共に仕事をこなし一日を重ねて行く度に、猫爺様の中で少女に対する感情が変化していった。
最初こそ、憐れだと思った。あのような小さな体で大人顔負けに任務をこなし弟の為に全力で生き抜こうと奮闘する少女を。
だが少しずつ情が沸いた。
猫爺様に向ける視線はいつも冷めていたが、その行動一つ一つに小さな気配りがありそれはたとえ復讐を誓った相手であろうと妥協はしない。生意気な口調も愛嬌があると思えば可愛らしいと感じるようになった。
―——猫爺様には守るべき人がいて導くべき里がある。その立場はとても重く責任のあるもの。自ら先頭に立つべき者が自らの死を潔く受け入れるのは可笑しな話だ。
自分は矛盾していると猫爺様は考えた。その重き立場から逃げることは許されない。
それが木の葉の為に個を捨てた立場だから。
だが全の為にうちはを失った少女が死を望むのであれば、それも木の葉の為と言い訳ができるのでは。
だがその安易な考えは少女自らによって打ち砕かれる。
『簡単に、あっさり死なせてたまるかクソジジィ―——!!』
少女渾身の一撃、顔パンは意識を失うほど衝撃的だった。色んな意味で。
そんなわけで猫爺様は死なずに今を生きている。
猫として。
だがこのことは同居人以外誰も知らない事。
なぜなら猫爺様は既に死亡しているのだから。
幽霊は生者の前に姿を現すことはない。例え棺が空で土の中に骨が埋まっていなくともその墓は里を導くべき者が死んだ証。里中が悲しみに暮れようと事実は変わらないし、代々その任は受け継がれゆく。いずれは交代する時が来るのだ。少しばかり早くなったと思えば何も問題はない。
故に猫爺様は猫爺様であって、里を守るべき立場は強制的に退いた。後は後見者を誰かが決めるだろうと楽観視している。先の短い老いぼれよりも若い世代に託すことにしたのだ。
里から去ってしまった少女が自分への罰だして与えた身ならば甘んじて受け入れる。
「いってらっしゃい。忍びに踏まれないよう気を付けてください」
「ナゴォ」
そう少年に見送られ、猫爺様は慣れた動きで屋根の上に上がった。なんでも少年曰く、屋根の上を跳んで移動するのは忍の常識だとか。少女もよく屋根の上を跳んで通勤していたが似た者同士とはこのことを言うのかと思った。それともジェネレーションギャップというやつか。
そんな猫爺様の日課となっているのは前よりもズーンと大きく見える火影岩を見上げる事。
そして毎日のように思うのだ。
ああ、儂って結構イケメンじゃったんじゃな。
別にナルシストというわけじゃない。ただ里の色々な所に目を向ける余裕ができたのだ。
猫爺様は今日も火影岩を見上げている。
遠くとも同じ繋がっている空の下にいるであろう少女を思い浮かべて。
【死ぬのは卑怯だと彼女は叫ぶ】