迷宮に狩りに優れた無慈悲な狩人が迷い込んでいるのは確実に間違っている 作:汰地宙
目覚めを告げる太陽に照らされる異邦の街、その中心にそびえ立つ迷宮の天蓋『バベル』の足元。狩人は太陽を見上げ、その動きの一切を止めていた。
緩慢に視線を下せば、眼前に広がるのは迷宮都市の街並みである。
真っ白に輝く太陽が照らし上げる街並みは、何処かヤーナムに似た建築物の並ぶ街並みながら、明らかにヤーナムと違い活気に満ちている。
人の営み、獣の病が蔓延し半ば死に果てたと言っても過言では無いヤーナムとはあまりに違うその光景は、ここが間違いなく異邦であると雄弁に語る。
暫し呆然と街並みを眺めた狩人は、しかし直ぐに平静を取り戻す。辿り着いた先が異邦である等大した問題ではなく、寧ろその程度で一瞬でも呆然とした事に、狩人は少なからず驚いていた。
が、その驚きも一瞬、大海に生まれた漣の如く小さな感情は直ぐに凪ぎ、表情にも表れることは無かったが。
何処であれ狩人が、狩人のすべきことが変わることはない。
ただ獣を狩り、獣と化した人を狩る。記憶もなく目覚めたヤーナムでも、古狩人による警告を受けた旧市街でも、突然に攫われた先の隠された街でも、幾度倒れ目覚めを迎えようとも、狩人はただ狩人であり続けた。
故に真に悪夢から目覚めて辿り着いた先であろうと、狩人の何が変わろうものか。
とはいえ、と思考を切り替える狩人は、無感情な瞳で周囲をぐるりと見渡す。
相も変わらず周囲をせわしなく往来する同業と思しき者たち。しかも一人で行動するものは殆ど居らず、数人ずつの集まりで行動しているように見える。
不自然では無い、寧ろそれは実に合理的なことだ。狩人とて所詮脆い人の身、獣との多対一とはそれ即ち死に直結する状況だ。故に稀にではあるが、狩人たちは『協力者』として他の狩人を助け、或いは『協力者』を募り強大な敵を打ち倒す―――協力とは、狩人たちにとっても極自然なことであった。
しかしその協力とは、神秘の鐘によって世界の断絶を越えて齎されるもの。周囲の者たちの全てがまさかそうである筈も無く、故に彼らの集まりは、医療教会、或いは聖歌隊―――つまるところ、組織によって統括されたものであると狩人は推察する。
容易に他の狩人と連携できる環境、それは実に望ましい。そしてそれは、裏を返せばその組織と敵対するなり、この周囲の同業全てが獣より余程厄介な敵と化すという事実の裏返しだ。
医療教会も聖歌隊も、ビルゲンワースもどうでも良かった狩人ではあるが、この状況では、そうも言ってはおられまい。一先ずは狩りの前に、その組織とやらに接触してみるのが肝心であろう。幸い、同業たちは山ほどいる。
すぐ横を通りがかる同業の一団に、狩人は躊躇い一つなく接触を図る。
「貴公ら、少し良いだろうか」
「あァ? 何だおま―――何だお前!?」
不意に声をかけられた
「突然に済まない。大した用では無いのだが……貴公ら、何という組織に所属している?」
「組織……だァ? ンなもん教えて何になるってんだ」
「何、私は今日此処に迷い込んだ新参でな。貴公らや周囲の彼らの属する組織が何であるか、皆目知らぬ。故に、それを知りたい」
自分たちと周囲の冒険者たちを示され、果たしてこの不審な輩は何を言いたいんだと青年は困惑を隠せない。血みどろ野郎に声をかけられ、一体どんな異常者だと警戒してみれば、まともに質問してくるだけとは全く意味が分からないといった様子だった。その上質問も実に素っ頓狂だとくれば、最早どう答えていいやらわからない。
彼が背後にいる仲間たち―――エルフの魔道士、
「……して、ギルドとはどのような組織か?」
「え?」
「む」
「お前、そんなことも知らねぇのか? どう見てもダンジョン帰りですって見た目してんのによ」
「今日、迷い込んだばかり故な」
なんだその迷い込んだってぇのは、と意味の分からない回答にいい加減苛立ちを露わにする青年を、小人族のシーフがまぁまぁと宥める。素っ頓狂な質問に霞んではいるが、目の前にいるのは血みどろの奇人だ、不興を買えば何をしでかすか分かったものではない。
青年はしぶしぶ矛を収め、生真面目なエルフの魔道士は、首を突っ込んでしまった以上はと、ギルドは冒険者を管理する組織である。登録したければ、北西のメインストリートを進み、そこにある
「そうか、ギルド……助かった、礼を言う」
「ええ、気にしないで、それと―――」
「では、失礼する。貴公らへの礼は、後日させて貰う」
求める情報が手に入れば、狩人が彼らとこれ以上会話をする必要もない。あ、ちょっと!? と困惑の声を上げるエルフの魔導師の言葉を無視し、一方的に礼をするとの約束を取り付けて狩人は北西のメインストリートへ足を向ける。
ギルド。そこに赴き、この街に於いての狩りの許可が得られたならば―――再度、あの地下へと赴かん。
周囲の「なんかさっきも似たような奴が走ってったぞオイ」と言わんばかりの視線を受けながら広い道を歩く狩人は、そも己がギルドに登録するための前提条件があることを、未だ知らない。
◆
当然、門前払いである。
ギルド本部の入り口前、あっさりと追い出された狩人は、さてどうしたものかと嘆息する。
何故登録すら出来ず追い返されてしまったか、それは数分前に遡る。
あの耳の長い女性に聞いた道を歩き、程なくして辿り着いたギルド本部。中にいる者たちの驚愕の視線を受けても狩人は表情一つ変えない―――というより、視線を全く意に介していなかった。
さてさっさと登録とやらを済ませるべく奥の受付に向かおうと足を踏み入れるなり、近くにいた男性職員に止められる。何だと怪訝そうに目を向ける狩人へ、男性職員は厳しい表情を向けた。
「なんで血塗れなんだアンタ! 何しに来た!?」
「獣を狩っていた。此処に足を運んだのは、何か登録とやらが必要だと、耳にした故」
「け、獣……? まぁいい、登録をするならまず武器を仕舞って血を落としてこい!」
未だ総身から血を滴らせる狩人とその手に握られた武器へ嫌悪感を隠すことなく睨む職員の様子に、狩人もようやく己の血みどろな姿があまりにも礼を失していたという事に思い至る。
獣が蔓延する獣狩りの夜に於いては、常に血に塗れる事も、常に武器を握る事も何一つとしておかしいことではなかった。が、どうやら街中には獣の居ないこの異邦の街では、成程確かにおかしかろうと狩人は気づいた。
あの異常な一夜から目覚めて直ぐ、狩人は未だ常識的な思考を取り戻すに至っていなかったとは言え、これは此方の落ち度だな。と、狩人は両手に握る武器を己の内へと解かし、仕舞い込む。
男性職員は突如として消えた武器にぎょっとしたが、すぐに己の見間違いか何かだと思ったのだろう。狩人の手元から視線を外し、「全くどこの【ファミリア】の奴だ……」と悪態をついた。
……何やら、また聞き慣れない単語が聞こえたような。と、狩人は男性職員にずいと一歩歩み寄る。
「貴公」
「うお、な、何だ? 登録がしたかったら早く血を―――」
「その【ファミリア】とは、何だ」
「……はぁ?」
何言ってんだお前? と言わんばかりの男性職員の視線は、その場にいた者たち全員の総意だっただろう。本気かこいつと顔をまじまじと見つめられるが、異邦人たる狩人にその意を理解できよう筈もない。
「まずは【ファミリア】を見つけてこい!」と怒鳴りつける男性職員の言葉と共に、ギルドから退出することを余儀なくされた―――それが、門前払いされるに至った事の顛末である。
資格なし、と放り出された狩人は、しかし次に己はどうすべきかと考えあぐねていた。
すべきことは分かっている。その男性職員の言う【ファミリア】に加入すれば良いのだろうが、しかし狩人はそれが一体何なのかを全くもって知らない。
知らない以上はどうすることも出来ず、しかし先程の職員に再度聞きに行くのも不味かろう。何せあれ程の剣幕で追い出された後だ、余所者の自分がそれ以上手間をかけさせれば不興を買うのは間違いなく、それはこの街に於いて『狩り』をする上で非常に不都合である。
手詰まりと言うほどでもないが、少々面倒な状況だった。
とは言えまさかこのまま何もせずにいるわけにはいかない。他にも宿の確保などを考えねばならない以上、生業に関わるこの問題は早急に解決するべきだ。
兎に角、ギルドの事を聞いた時と同じように、他の同業にでも聞いてみるしかあるまい。と、狩人が手近な者は居ないか周囲に視線を巡らせ始めた時だった。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
背後からの声。はて何者かと振り向いてみれば、立っているのは白髪と紅い瞳が特徴的な少年である。未だあどけなさの残る容貌ながら、胸当てやバックパックを着用するその身なりは紛れもなく彼が同業の一人であることを示している。
斯様な少年も狩りを行うのか、と内心微かに驚きつつ、狩人は「何用か」と手短に返答する。
少年はあの、とかその、とか、暫し不明瞭に呟きつつ視線をあちこちに彷徨わせてから、意を決したように狩人を真っ直ぐに見据えた。
「その、【ファミリア】を探してる……ん、ですよね?」
「あぁ。それが何かは知らぬが、何やらそれに属することが必要と聞いた」
「だったら……良かったら、うちの【ファミリア】に来ませんか?」
少年からの提案に、狩人は少なからず驚愕し、瞠目する。恐らく先程の男性職員との会話を聞いていたのであろう、その少年の申し出は確かに渡りに船だった。しかし、だからと言って彼が狩人に声をかける理由がわからない。
同情か、憐憫か、或いは―――悪意か。特に悪意とは無縁そうな如何にも純朴な少年であるが、その裏に薄ら暗い悪意が隠れていないとは言い切れない。
微かに警戒を滲ませながら、狩人は率直に問う。
「何故、私を?」
「ええと、それは……僕の【ファミリア】、実は団員が僕しか居なくて。新しく誰かに入ってほしい、っていうのと……」
「……それと?」
「あとは……何だか、困ってるみたいだったので」
何も包み隠さない狩人の問いに、少年は指先で頬を掻き、はにかみながら答える。
その返答に狩人は暫し考え、そして、浅く頷いた。
「……解った。ならば、世話になるとしよう」
「ほ、本当ですか!? やったぁ、ありがとうございます!」
「礼には及ばん……と言うより、礼を言うべきは私だろう。感謝するぞ、貴公」
「いえいえ、そんな!」
両手をぶんぶんと胸の前で振った少年は「これからよろしくお願いします!」と狩人の左手を両手で握り、素直に加入を歓迎してくれているようだった。
握られた左手に伝わるのは、生温い血でもなく、気色の悪い内臓でもなく、狩人が久しく触れていなかった、紛れもない生きた『人』の温もり。
揺れる水面のように瞳を揺らした狩人は、温もりをより感じようとするかのように瞼を下し、少年の手を僅かばかり握り返す。
血に塗れ、臓物に塗れた狩りの果て、久しく忘れていたまともな感覚を無意識に逃がすまいとするように。
「じゃあ行きましょう、ホームで神様も待ってます!」
「……神?」
「はい! とってもいい人なんですよ」
先導するように歩き出す、己より少しばかり小さな背中を見つめながら、左手に残る余韻を噛み締めるように握り締める。良くはわからないが、これを手放してはいけないような、そんな気がした。
その小さな心の揺らぎは、或いは彼が未だ人間性を手放してはいない証左だろうか。
握り締めたままの左手を下し、「早く行きましょう!」と手を振る少年―――ベルを追って、狩人もまた歩き出した。
ベルくんは純粋だなぁ。