香澄の記憶喪失 〜Lost memory〜   作:FeNiX/As

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第一話 失う恐怖と失って気づく大切な日常

それは、いつも通りの朝だった。

いつも通り、自分の部屋で目覚め、制服に着替えたりして朝の身支度をする。

ただ、いつもと違う点が一つ。

 

「今日はあいつ来ねぇのかな」

 

私、市ヶ谷 有咲のいつも通りの朝を送るはずだったのに、今日はどこか変だ。その異変に気付いたのは学校に着いてから気付いた。学校に着いても香澄の姿が見えず、隣の教室へと探しに行ってみる。

 

「おはよ〜。ってあいつ今日は学校に来て無ぇのかよ」

 

「あ、有咲!おはよ〜」

 

「沙綾か、おはよ。今日は香澄来て無ぇのか?」

 

「うん、連絡は入ってないんだけどね」

 

「そっか」

 

連絡も無しに休むなんて珍しい。何かあったのではないかと少し心配になってしまう。

 

「心配なの?」

 

「べ、別にそう言うのじゃねーしっ!」

 

「ふーん」

 

沙綾の見透かしたような視線がやけに刺さる。香澄が居ないからと言って私の日常に支障が出る訳でもないし。

 

「もう教室に戻るから。授業の用意して無ぇし」

 

「今日の放課後にでもお見舞い行こっか」

 

「考えとく」

 

なんて言ったものの、行くつもりではいたのだ。香澄が学校を休むなんて珍しいし、連絡も無いから少しは心配になる。

授業もあまり集中出来ないまま放課後を迎えた。少し駆け足で隣の教室に行くといつもの顔ぶれが揃っていた。

 

「あ!有咲!遅〜い」

 

おたえが指をさして笑いながら言った。そんなおたえもいつも通りだし、適当に流しておく。

 

「うるせぇ。こっちにも色々あるんだよ」

 

「香澄ちゃん大丈夫かなぁ?」

 

隣に居たりみが心配そうな声で言った。

 

「別に大丈夫だろ、ここで話してても仕方無ぇから香澄の家に行くぞ」

 

「そうだね、お見舞いにパンでも持って行こっか」

 

「それ良いね。沙綾ちゃんの家のパン美味しいから香澄ちゃん喜ぶよ!」

 

「じゃあ、沙綾の家に寄って行こっか」

 

「あ、私もパン欲しい」

 

うちのリードギター担当はこんな時でもマイペースだ。それが良いところでもあるし悪いところでもある。

 

「なんでも良いから行くぞ」

 

学校から出て香澄の家に向かう。

沙綾の家に寄って香澄が喜びそうなパンを選んだ。それにしても、一日中連絡が無いのは少しおかしい気がしたけど、家に行くといつも通りの香澄が出迎えてくれるだろうと思ってた。

 

「着いたな」

 

家のチャイムを鳴らすと香澄のお母さんが出て来たが様子がおかしい。どこか深刻そうで落ち着きのない表情をしていた。

そんな香澄のお母さんの表情を見た私たちは胸の中にある不安が一層大きくなった。

 

「みんなお見舞いに来てくれたのね、伝えたい事があるから、家にあがってくれる?」

 

香澄のお母さんは少し焦りながらそう言った。言われるがままに家にあがって、リビングに着くと香澄のお母さんが口を開いた。

 

「ありがとね、香澄のお見舞いに来てくれて」

 

「香澄はなんで今日学校休んでたんですか?」

 

沙綾の質問に香澄のお母さんは渋い顔をした。その時点で私の中では不安で埋め尽くされていた。

 

「香澄ね、朝起きて来ないから部屋に入って起こそうとしたの。そしたら、香澄は窓の方を向いて立って居て……」

 

香澄のお母さんは時折言葉を詰まらせながら、今朝起きたことを話してくれた。

 

「香澄はこっちを向いて言ったの。ここはどこですか?あなたは誰?って」

 

信じがたい話だが香澄のお母さんは表情一つ変えずに言った。

 

「香澄は寝起きで寝ぼけてただけと思っていたけど、時間が経っても治らなかったの」

 

「え?」

 

横に座っていたりみが飲んでいた水筒を落とし、中に入っていたお茶が床にこぼれ出す。

 

「あ、ごめんなさい!すぐに拭きますから!」

 

と言って下を向くりみの顔を見ると涙を流していた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 

と謝るりみの声が震えていた。私はまだ信じられなかった。と言うより信じられる気がしなかった。

 

「香澄に会わせてもらって良いですか?」

 

と私が聞いたら、香澄のお母さんは香澄の部屋に連れて行ってくれた。部屋に入るのは少し怖かった。それはここに居るみんなも一緒だ。

 

「泣くのは早ぇぞ、香澄にあって見ねぇと分からないだろ」

 

「うん……うん……」

 

扉をノックして中に居る香澄に呼びかけた。

 

「香澄、部屋入るぞ?」

 

部屋に入ると、そこにはベッドに座りながら窓の外を見つめる香澄が居た。

 

「香澄?」

 

「あなた達は誰?あなたはどうして泣いているの?」

 

「香澄、私たちの事覚えてないの?」

 

沙綾が声を震わせながら言った。目には涙が溜まっている。

 

「ごめんね、私はあなた達の事分からないの。初めましてだよね?」

 

と香澄が言うと沙綾も泣き崩れ、おたえが沙綾を支えていた。私は何も言えなくて、ただ状況を飲み込めずにいた。

 

「嘘だろ……香澄。嘘だよな?本当は私たちの事覚えてるんだろ?冗談だって言ってくれよ!いつも通り私たちに笑顔を見せてくれよ!」

心のそこから出た言葉だった。ただ嘘であって欲しかった。香澄が悪ふざけで私たちを困らせようとしてるに違いないって思いたかった。だけど、現実は残酷だった。

 

「ごめんね、私はあなた達の事は分からないの。ごめんね。」

 

香澄はうつむいて寂しそうにそう言った。

 

「そんな顔するなよ……しないでくれよ……」

 

涙が頬を伝って床へと零れた。悲しかった、いつもなら抱きついてくる香澄にうぜーとか皮肉を言えるのに、そんな事すら後悔に思えて来た。

 

「香澄……」

 

膝から崩れ落ちた私は声が出せず、ただ名前を呼ぶことしか出来なかった。そんな私を抱きしめて香澄は言った。

 

「ごめんね、あなたの事は分からないけど悲しいなら慰めてあげるから、大丈夫だよ」

 

「香澄……香澄っ……」

 

今はただ、香澄に抱きついて泣く事しか出来なかった。

 

「あ、香澄。ギターは?歌は?」

 

不意におたえが香澄へとした質問の意味が分からなかった。こんな時に何を聞いてるんだって思った。

 

「歌?」

 

「うん!歌ってみて!」

 

「えーっと、じゃあ。きーらーきーらーひーかーる」

 

香澄が歌ったのはキラキラ星だった。私はそれを聞くと余計に涙が止まらなかった。部屋に差し込む夕陽も暗くなって来た頃、私たちは帰ることにした。玄関まで見送ってくれた香澄は少し寂しそうだった。

 

「じゃあな、香澄」

 

「うん。あれ?なんで……?」

 

香澄を見ると目から涙が溢れてた。

 

「あれ?あれ?」

 

「香澄?」

 

「なんでだろ?胸がぎゅーってする」

 

「香澄……?」

 

倒れそうになる香澄を間一髪のところで支えた。

 

「大丈夫か?香澄!?」

 

私は心配で香澄を抱き寄せた。周りのみんなも心配そうに見つめる。

 

「うん……大丈夫だよ。でも何かが、大事な何かが……」

 

「香澄?」

 

「痛っ!」

 

頭を抑えてうずくまる。私は何も出来ずに呼びかける事しか出来なかった。

 

「香澄っ!香澄っ!」

 

「っ!……あ……りさ、ありさぁ……怖い、よ……ありさ……」

 

「香澄っ!?」

 

私の名前を呼んだ後、香澄は気を失った。香澄のお母さんが救急車を呼んで、香澄が病院へと運ばれて行った。最後に私の名前を呼んでくれたことが私の胸に残っていた。

 

翌日も香澄は学校を休んだ。その日の授業は全く頭に入って来なかった。今日から香澄の家に通うことを決めた。沙綾は家の手伝いとかで無理でも、おたえやりみが何か用事があっても。私だけは家に通うと決めていた。

放課後になり、急いで香澄の家に向かう。チャイムを鳴らすと香澄のお母さんが出てきた。

 

「ごめんね、今日も来てくれたのね」

 

「後から、友達も来ると思います」

 

そう言って、香澄の部屋に行った。2人で話がしたかった。部屋に入ると、昨日と同じ体勢で香澄が座っていた。

 

「今日も来てくれたの?ありがと!」

 

「そんな事より体調はどうなんだ?」

 

本音を言うと心配で仕方がなかった。気が気で無かった。

 

「大丈夫だよ」

 

「そっか。それは良かった」

 

そして、本題を切り出す。

 

「香澄は覚えて無いと思うけど、いつも朝になると家に来てたんだ。一緒に学校に行くためにな」

 

「そうなんだ」

 

「いつもベタベタくっついて来る香澄にうぜぇっ!!とか言って離そうとしてたんだ」

 

「ごめんね、やっぱり覚えてないや」

 

自然と目に涙が溜まって来た。

 

「私は口ではそう言っていたけど、香澄が居ないとやっぱり駄目だ。私は香澄の優しさや明るさに惹かれてたんだ。香澄に依存してたんだ。そんな香澄に助けられて来たんだ」

 

香澄は真剣に私の顔を見て話を聞いてくれていた。

 

「だから、香澄。今度は私が香澄を助ける番だ。私は香澄の事……」

 

「香澄〜来たよ!って有咲?先に来てたんだ!」

 

「おたえ!?」

 

「沙綾もりみも居るよ」

 

どっから聞かれてたんだ?と考えると恥ずかしくなって来る。

 

「遅いぞ。お前ら」

 

「みんなも来てくれたんだね、名前は覚えて無いけどありがと!みんな!」

 

「体調は大丈夫そうだね。昨日パンを渡し損ねたからみんなで食べよっか」

 

「あ、食べる」

 

即答するおたえを見て少し笑みが溢れた。

 

「分かったから焦らないで。おたえのパンもあるから」

 

「りみりんもチョココロネあるよ」

 

「ありがとう〜!沙綾ちゃん!」

 

「ほら、香澄も有咲の分もあるよ」

 

「ありがとう」

 

「悪ぃな」

 

香澄がパンを食べる姿を見て少し安心する。

 

「美味しいね」

 

香澄が笑顔で言った。ただそれだけの事なのに、いつも見て来たはずなのに。その笑顔を見ると胸がいっぱいになって再び涙が溢れて来た。

 

「有咲泣いてる〜」

 

「おたえ、茶化すな……」

 

香澄が私の横に座り顔を覗き込んで来る。

 

「悲しいの?私、何かしちゃった?」

 

「いや、違う……」」

 

と言いかけた時、香澄が私を抱きしめて言ってくれた。

 

「私は何も分からないし覚えて無いけど、あなたが悲しんでいる時にこんな事しか出来ないの。でも、悲しい時はいつでもしてあげるからね」

 

そんな事を今言われると余計に涙が出てくる。けど香澄の温もりはいつもと変わらず安心出来る。

 

「ずりぃぞ、香澄……」

 

「沙綾!もう一個!」

 

「おたえ、空気読みなよ」

 

笑いながらもおたえにパンを渡す沙綾。いつもと変わらない日常がどれだけ大切なのかを初めて痛感した。

 

「りみりんもチョココロネあるよ?」

 

「じゃ、じゃあ貰うね」

 

「落ち着いた?」

 

香澄の優しい声に背中を押された気がした。私が香澄を助けてやらないと。今度は守ってやるって約束したんだ。

 

「あぁ、もう大丈夫。心配かけてすまなかったな」

 

「あなたの温もり、なんか懐かしい感じがした」

 

そう言われた時は少しビックリしたけど凄く嬉しかった。

 

「そうか」

 

「このパンも懐かしい味がする」

 

「美味しい?」

 

沙綾が聞くと香澄は大きく頷いた。そして香澄が真剣な顔で言った。

 

「私、みんなの事覚えて無い。何を忘れたかも分からない。けど、みんなの温もりは覚えてるような気がする。それと、ごめんね。何も覚えてなくて」

 

下をうつむいて悲しそうに言った香澄は何も覚えてないことへの罪悪感を感じているようだった。

 

「そんな事言うな。みんな香澄が大事だから気にして無いよ」

 

気にして無いっていうのは嘘になるけど、香澄が元気で笑顔ならこれからもなんとかなる気がする。そんな空気にみんな自然と笑顔になる。

 

「有咲、暗くなって来たし帰ろっか」

 

と沙綾が窓の外を見て言う。

 

「そうだな、じゃあな香澄。また明日」

 

「あ、ちょっと待って!」

 

「どうした……っ!?」

 

香澄が抱きついてきた。いつもならすぐに離れようとするけど、私も香澄の温かさに安心する。

 

「どうしたんだ?」

 

「多分だけど私、記憶を無くす前にあなたの事が好きだったのかも」

 

「えっ?ちょ、ちょままっ!」

 

急に顔が熱くなって来た。こんな時にそれはズルいだろ。でも、今日だけは素直になれそうな気がする。

 

「私もだよ」

 

と耳元で周りに聞こえないように言う。

 

「じゃあな、香澄」

 

「うん!また明日ね!」

 

その笑顔に私達は救われて来たんだ。今度は私たちが助ける番だ。


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