香澄の記憶喪失 〜Lost memory〜 作:FeNiX/As
「んぅ……」
何かに体を締め付けられている。必死に振り解こうとしても振り解けないほど強い力で締め付けられて息苦しさを感じるほどだった。
「……あれ?」
私を締め付けている正体を見ようとしたけど目の前が真っ暗でその正体が分からなかった。何かで目隠しされているみたいだ。
寝ぼけた頭ではそれが何か分からなかった。
「香澄?」
「ん〜?有咲?」
思ってたよりも返事が近くで聞こえてきた。この温かくて柔らかい、どこか安心出来るような感触は香澄だったのか。
「有咲、おはよ」
香澄は私の名前を呼ぶ時、少し嬉しそうな顔をする。その優しい微笑みに心を掴まれそうになった。いや、もう盗まれてるんだけど。
「学校に行く準備をしないと」
「有咲…行っちゃうの?」
「また来るから。そんな寂しそうに言うな」
「うん!待ってるね!」
心底嬉しそうな顔。私がずっと一緒に居て守ってやらないとって本気で思う。誰よりも近くで香澄を守ってやらないと。
「しっかりしねえと」
頰を数回叩いて気合いを入れ直した。香澄のお母さんに昨日のお礼と学校があることを伝えて帰る事にした。
「はぁ……」
学校に着いても昨日のことで頭がいっぱいだった。そのせいで授業の内容が頭の中に入って来なかった。
「〜〜〜っ///」
不意に思い出すと我慢出来ずに表情へと表れてしまう。すげえ暑い。
「顔が真っ赤だね。どうしたの?」
不意に沙綾に話しかけられて、咄嗟に昨日のことを頭から追い出した。
「いや、何でもねえよ?」
「有咲ちゃん、熱でもあるの?」
心配そうにりみまで駆け寄って来た。思い出して恥ずかしくて紅くなってるだけなんて言えない。
「本当に大丈夫だから、心配してくれてありがと」
「なんか、有咲から香澄の匂いがする」
「っ!?」
こういう時のおたえはやけに鋭い。こっちからしてみればいい迷惑だ。
「それ私も思った」
「沙綾まで!? 違うから!」
「まだ何も言ってないよ?」
沙綾とおたえのフェイントにボロが出そうになったけど、ギリギリ耐え切った。
「もうこんな時間か。教室に戻るわ」
午後の授業中も相変わらず落ち着かない。早く香澄のところへ行きたい。こんな授業よりも遥かに香澄の方が大切だから。
いっぱい香澄には振り回されたけど、どれもこれも私にとっては大切な思い出だ。今度は私が香澄を助けるきっかけになりたい。
「やっと終わった」
放課後を知らせるチャイムが鳴り、私は教室を飛び出して香澄の家へと走った。一日の中で何よりも大切な時間。
「お邪魔します!」
香澄のお母さんに挨拶をして香澄の部屋へと向かった。
「香澄! 入るぞ!」
「うん!」
扉を開けて香澄の姿を見た瞬間、勢いよく扉を閉めた。ちょうど着替えてるタイミングだったらしい。
「なんで言わないんだよ!」
心臓がうるさいくらいに鼓動を打っている。もうこんな状況が続けば心臓と理性がいつか崩壊してしまう。
「有咲? 気にする事じゃないよ?」
「私が気にするんだ!着替えが終わったら言って!」
「は〜い」
それから五分くらい廊下でスマホをいじって待っていた。何か気を紛らわさないと、まともに話せそうにない。
「有咲! もう大丈夫だよ!」
そっと扉を開いて服を着てるか確認しながら入った。いつも通りの服装なんだけど、どこか違和感がある。なんて言うか香澄らしさが足りないって言うか。
そうだ。髪型だ。いつもと違って自然な感じだから香澄らしさが無いんだ。
「いつもの髪型にしないのか?」
「いつもの髪型?」
香澄が記憶を失ってから、猫耳みたいな髪型を見ていない。本人曰くあれは星だったらしいけど。
「う〜ん、覚えて無いや」
やっぱりそこの記憶もなくなってるのか。
胸に走る小さな痛みを掻き消して明るく振る舞うように努めた。
「整えてやるから」
香澄の髪型を教えてもらったことがある。最初は難しくて出来なかったけど、次第に出来るようになった。何度か香澄の髪も整えてやったこともあるし。最初はなんでやらされてるのか分からなかったけど、今に生きてるから良しとしよう。
「ほら、出来たぞ」
「これ! 有咲!これすっごくかわいい!」
全身を使って喜びを表現する香澄。仕草や行動は今も前も変わらないんだ。なんか安心するって言うか、懐かしい感じがする。
「お邪魔しま〜す!」
沙綾たちがお見舞いのパンを持って来た。やっぱり香澄としてもみんなが来る方が嬉しいもんな。
「体調はどう?」
「沙綾! 大丈夫だよ!」
「香澄が早く良くなるようにパンを持って来たから、食べて食べて」
「ありがと!」
みんなとワイワイしながら何かを食べるのって久しぶりな気がする。香澄が記憶を失くして学校を休んだあの日から、たまに揃ってお昼ご飯を食べたりするけど、そこに香澄の姿は無い。四人でお昼ご飯を食べる回数も段々と減って来てるし。
「美味しかった〜」
「なんで香澄よりもおたえの方が食ってんだよ!」
「あははは、有咲おもしろ〜い」
「おもしろくねえ!お前のことだよおたえ!」
「本当に有咲は香澄のこと好きだよね」
「はぁっ!? 急に何だよ!?」
無意識のうちにチラッと香澄の方に視線を向けてしまった。バッチリ目が合ってしまって気まずいし……
「私は有咲のこと大好きだよ!」
「私だって香澄が……」
誰にも聞こえないような声で返事するもはや声が出てたかどうかも分からないくらい小さな声で。
それを聞いた沙綾とりみの顔が徐々に真っ赤に染まって行った。
「恥ずかしがるならそんなフリをするなよ!」
「パンもう1個欲しい」
「おたえはまだ言ってんのかよ!」
いつものことだけど、めちゃくちゃだなこいつ。
「もうこんな時間か〜私そろそろ帰らないと」
「あ、私も」
「また来るからね! バイバイ!」
沙綾たちが帰って行った後、二人きりになった。さっきのことを思い出して恥ずかし過ぎて死にそうだ。好きなら好きって言わなきゃいけないってのは分かってるけど……
「パン美味しかったね〜」
パンの味なんて思い出せない。今の状況を意識し過ぎて何も思い出せない。
「有咲? どうしたの?」
急に近づいて来た香澄にビックリしてバランスを崩してしまった。
「痛ぇ……え?」
バランスを崩した時に香澄が助けようとしてくれてたみたいで。
「あ……香澄……」
香澄が覆い被さっている。顔が近い。恥ずかしい。うまく言葉が出ないし頭が真っ白だ。
「有咲は私のこと好き?」
「……」
「ねぇ、有咲」
「好き……だ」
「嬉しいな。有咲、好きって証拠見せてよ」
「はぁっ!? どうやって——」
香澄は無言で目を瞑った。恋愛経験のない私でも分かる。これは…これは……
「え?」
どうすれば良いんだよ!? ここで出来なきゃ一生後悔するし香澄も傷つけてしまう。腹をくくれ私っ! 今頑張らないでいつ頑張るんだ!
「香澄……ん」
ほんの一瞬。ストップウォッチの針が進むよりも短い時間だったけど、マシュマロよりも柔らかい感触が唇に伝わった。
「これで良いだろ」
「うん!」
顔から湯気が出そうだ。心臓の音も絶対聞こえてるだろうし。
「私も、有咲が大好きだって証拠見せないとね」
「え? あ——」
目をギュって閉じて、緊張でどうにかなりそうなくらい体が震えてしまって気が気でなかった。
「大丈夫だよ。有咲」
香澄が抱き締めてくれてる。さっきよりも長い時間、唇に柔らかい感触があった。好きな人からこんなことしてくれるなんて思っても見なかった。
「香澄?」
「有咲…もう一回……」
その日の夜は悶々として一睡も出来なかった。
「どうしたの有咲? 寝不足?」
「そんなところだ」
「今日は一緒に行こうね」
「ああ、沙綾は大丈夫だと思うけど、おたえに早く準備しろって言っておいてくれ」
「分かった」
ホームルームも終わって、いつもなら香澄の家に直行するけど、沙綾との約束もあるし隣の教室へと向かった。
「早く行くぞ!」
沙綾たちと合流して香澄の家へと向かった。昨日のことが鮮明に蘇ってくる。眠気を上回る恥ずかしさが身体中に広がっている。
「香澄〜来たぞ〜」
きっと香澄はこんなこと気にしないんだろうな。
「来てくれたんだ! 有咲も!」
不意に香澄と目が合うと、恥ずかしそうに頬を紅くして目を逸らした。
「有咲?」
「ごめん沙綾。限界。もう無理。ちょっと寝る」
「有咲!?」
「沙綾、そっとしといてあげて。私も寝不足なの」
「何かあったの?」
「実はね……」
「有咲、おはよ」
眼が覚めると香澄の顔が目の前にあった。ビックリして飛び起きると香澄の頭とぶつかってしまった。
「痛た…ごめん」
「ううん。ねぇ有咲」
香澄から沙綾たちに言ったってことを聞いた。それ自体は別に気にしてない。
「そっか」
「うん」
「おたえたちもね……」
沙綾とおたえの関係も聞いた。特に驚きはしなかった。あれだけ一緒に居て付き合ってないって方がおかしい。
「そっか」
沙綾たちとどんな顔して会えば良いんだろ?
「ごめんね、有咲」
「気にするな」