人中呂布 暗中高順 作:痩せた骸骨
焚き火の薪が弾け、火の粉が巻き上がる様を見守りながら影は膝をついた。
大木に座り、狩りをした獣を焼いた肉を噛み締めながら影を見つめていた少女は、なにもせず食事を続けてた。
焚き火を挟み、互いに視線を合わせることなく沈黙が暗闇の寝床を支配していた。
静謐の森を照らす月は彼女たちを優しく包み、つめたい風は熱を連れていくようにゆるりと過ぎ去っていった。
影は微動だにせず膝をつけたまま顔を下に向けていた。
「奉先さま、我が生涯の全てと忠義を影の中にて捧ぐことをお許しください」
「……………………」
「討てと命じられば、如何様な術をもって果たしましょう。死ねと命じられば、如何様な心が巡ろうとも果たしましょう」
「……………………」
静かに、淡々と、迷いなき誓いをたてる影の言葉を聞いた少女はなにも喋らない。
パチリと、焚き火の薪が再び弾け火の粉が巻き上がる。
なにも告げられないことに影は震えていた。
眼を閉じ、身体の震えを抑えるように右手で左腕を掴んでいた。
「どうか」
「……………………」
急かすように、すがるように顔を上げ、言葉を重ねて少女に求めた。
影の呼ぶ声に反応したのか、空腹に耐えかねたのか、少女は頷いた。
「感謝」
淡々と、しかしどこか弾むように、影は近くの串指し焼いた肉を掴み少女に渡した。
少女は受け取り、噛みつくようにほうばった。
「姓は高、名を順、字はありませぬ」
「…………字がない?」
「真名もありませぬ」
「…………不便」
「はい」
姓と名。それだけが影が持ちうる証であり、なにもない影の唯一の宝である。
少女は応えるように立ち上がり影の前に歩み立った。
「姓は呂、名を布、字を奉先」
少女──呂布は高順にちょうど手に取った串肉を近づけた。意図がわからずに頭を傾げる高順に呂布は言った。
「食べる?」
何をすべきかを理解した影は御意と、褒美を賜るように串肉を受け取り、その肉を口にした。
その時の肉は、味を感じなかった。
──そんな、懐かしい出逢いの夢を見た。
焚き火の薪が弾ける音が聞こえる。
火の明かりと熱を感じる。
夜風の冷たさが高順の眠りを覚まさせたようだ。
「高、お目覚めを」
誰かが影を起こそうとしている。
奥ゆかしい声の響き、身体の揺らし方、それでいてどこか母の暖かさを感じる気配。
確か……。
「軍医どの?」
「高、刻限です」
夜に溶けるような黒い着物を纏った女性──軍医どのが時間を告げに訪ねたようだ。
物静かな佇まいは、気を抜けば誰なのか分からなくなるほど小さいのに、確固たる気配を持つおかしな人。
しかし軍医どのの言は無視することはできない。
壁に背もたれていた姿勢を正し、胡座をかいて座り直した。
「任務確認」
「董卓様から呂布様に命じられ、黄巾賊の生き残りの討伐の任を承り、敵地へを赴いております」
軍医が懐から木簡を取り出し、手渡された。
高順がこれまで調べた黄巾賊の情報が書かれており、焚き火の明かりに照らし読み返していた。
「再認」
黄巾賊の生き残りが荒野の近くにある洞窟に集結しているとの調べが着いていた。
敵はおよそ千人潜んで居るであろう洞窟を根城としている。
天然の要害、天然の城壁が立ちはだかり、中に籠城すれば雨に曝されることなく見張りは少人数で済む。
数々の官軍が討伐を差し向けてきたが、自然によって産み出された難攻不落の陣営を前に尽く失敗し、撤退を余儀なくされてきた。
敵の首魁は知恵者なのは疑いようもなく、そして残忍な性格だ。
これまでに襲われ、焼き尽くされてきた村に生存者はなく、その村が一夜を待たずして滅ぼされている。
風雲急を告げるこの時代に、賊の襲撃を警戒しない農村はありえない。
滅ぼされた村の中には賊と戦える程の武装を所持している所も存在した。
黄巾賊はその農村をあっさり滅ぼしたのだ。
それほどの相手に無計画で戦えば、先の官軍の二の舞を演じる羽目になるだろう。
対して此方は七百の軍隊。
数は劣り、地形も不利。
兵の質は勝るが勝算は低い。
陽が昇っている間に攻めても、天然の要害に阻まれ返り討ちに遭うだろう。
ならば、月が昇っている間に進軍し、敵陣に侵入して夜襲を仕掛けることで攻城戦を回避する。
さまざまな策も思いついているが、攻城戦の回避を前提として進軍することに集中すべきだろう。
その夜がやって来たのだ。
ゆえに、出陣の儀を行うために軍医どのが迎えに来たのだ。
木簡をくるめ、軍医に返した高順は準備に取りかかった。
「武装点検」
外套の下に隠している武装を取りだし、具合を確かめるようにつぶさに見ていた。
鞘に納められた刀を抜き、焚き火に照らしながら刀身を観察した。
高順が持つ刀は一風変わっていた。
峰が白く、刃が黒い彩りをなした刀身。
剣のように細く、鍔本には白の勾玉と黒の勾玉が組合わさった紋様が描かれており、片手で振るえるほど軽く両手で使えるほどの長い柄。
ただの刀より細く、ただの剣より反りがあり、小柄な高順の腰の高さまであるその刃は長きにわたり生死をともに渡り歩いた高順の愛刀。
不備がないことが分かり、愛刀を鞘に納めた高順は次の道具を見ようとした。
「お手を」
「承諾」
そう言い、軍医が高順の腕を掴み、手探りでなにかをしている。すると、唐突に腕が外れた。
外された腕は傷つかぬよう丁寧に目の前に置かれた。
それは木で出来た腕だった。
肘の根本から中場までの長さで断たれた左腕を覆うように作られた、からくりの義手である。
三本の指でなにかを掴むことができるだけでなく、特殊な操作をすることで短剣を射出する暗器であり、高順が信頼する武装である。
片手で触りながら調べ、可動域と装置の起動確認をし、短剣を仕込み直して終えた。
「点検完了、出立」
「お見送り致します」
軍医が砂を掛けて焚き火を消し、静かに立ち上がった。
義手を付け直し、感触を確かめながら立ち上がり、軍医と共に寝床を出た。
小屋を出たその先には、黒ずくめに統一された兵が立ち並び、身じろぎをせずに高順の命令を待っていた。
兵士の鎧は正規軍の物とは思えないほど軽装で、最低限の急所の範囲しか守られておらず、前線で戦う武装としてはあまりにも心許ないように感じられた。
だが、鎧を着込んでいるのに音が立たず、身動きをするとき間接の可動の阻害が一切ない。
もとより前線で戦うことを想定していない。
夜襲を成功させるために重さと堅さを捨て、迅速に行動を起こせるよう着込み方を工夫した。
暗殺者。
その姿を一言で例えるならその呼び名が重なり、闇夜に紛れれば見失うその色彩は迷彩と呼ばれる工夫がなされていた。
「任務開始」
静かに、淡々と、迷いなく告げられた命令に兵士たちは雄叫びを上げることなく、代わりに抜刀でもって応えた。
その光景を見届けた高順は歩きだし、兵士たちは後を追うように続いた。
「高、ご武運を」
そう言葉を贈られた高順は振り向き、軍医を見た。
月に照されたその顔は、不安と哀しみの念が浮かんで見えた。影にはそれが、別れを先伸ばしたい童のようだと思った。
軍医どのは常に心配をしてくれる、何故なのだろう。
影が屍を晒そうとも涙は流れないのに。
「気遣い、感謝」
しかし、その心遣いを無下には出来ない。
影は戻ろう、奉先さまの影へと帰還を果たすために。
任務をこなそう、賊の皆殺しが主命なればこそ。
「帰還の任を受託、黄巾賊の討伐に参る」
「では、また」
高順は軍医のもとを去り、黒鎧を纏った七百の兵を率いて無音の行軍を開始した。