「いきなり呼び出して済まないな」
「いやいや構わないさ、優秀な部下が居るのでね…」
ドイツ某所に存在する軍の秘密基地。そこにある応接室に三人の男性が席について向かい合っていた。正確に言うと将校服の男とスーツの男が席について向き合い、軍服を着たもう一人が将校服の男の傍に立っているといった状況である。
礼儀正しそうな雰囲気を持った将校服に身を包んだ初老の男…この基地の司令官でもある『ホルニッセ将軍』は口を開いた…。
「君達に、はいつも苦労をかけるな…御蔭で私も随分と楽ができたものだ……」
「それはよかった、これからも御贔屓願おう。」
「特に、第二回モンド・グロッソの時は本当に素晴らしい働きをしてくれた…」
「ははは、あれは流石に苦労したよ?…まさか……」
―――世界最強(ブリュンビルデ)の弟を誘拐しろだなんて…
「君達が織斑一夏を誘拐し、我々(ドイツ軍)がその解決に貢献する。くだらない茶番に他ならなかったが、あれは素晴らしい成果を残した。その茶番が産み出した偽りの貸しが、世界最強(ブリュンヒルデ)とのパイプを繋げたのだからな…」
第二回モンド・グロッソにて人知れず起こった『織斑一夏誘拐事件』。その事件は、大会二連覇を期待されていた織斑千冬の試合放棄と、彼女がドイツに貸しを作るという結果を残した。その貸しを返すべく彼女はドイツで一年間、特殊IS部隊『黒兎隊(シュヴァルツェア・ハーゼ)』の教導を務めることになったのだ。
「気にすることは無いよ将軍、僕たちも報酬はしっかりと貰ったからね…」
「私の地位の対価だと思えば安いものだ。軍部の情報や技術などいくらでも渡してやる…」
そして、将軍である自分と向き合うこのスーツの男が見返りとして欲したものは地位や権力ではなく、軍部の情報や技術であった。この国の軍部には表沙汰に出来ないモノ、お蔵入りすることになったモノが腐るほど存在しており、いくつか渡しても何の支障も出ない。
故に安定した仕事の成功率、安上がりな対価…。これほど便利で利用価値の“あった”裏組織は、他に存在し得なかった。
「で、要件は何だい? よもや、今までの感謝の言葉を送るためだけに呼んだわけじゃ無いだろう…?」
「いやいや、案外その礼の言葉こそが本件だ。なにせ…」
―――君達とは今日でお別れだからだ…
「おや?」
ホルニッセの言葉にスーツの男が眉を顰めたのとほぼ同時に、部屋の扉が乱暴に開かれた。そして外に待機していた数名の衛兵たちが小銃を構えてなだれ込んでくる…。
状況を把握したスーツの男は顔を思いっきり顰めた…。
「……僕達は既に用済み、というわけか…」
「この地位にまで上り詰めることができたのは君達の御蔭だ、感謝している。だが、ここから先の高みは私自身の力で目指すことにするよ…」
最早、不要になった裏仕事の道具など汚点にしかならない。そんなものは秘密裏に処分するに限る…。
「君とは長い付き合いだったが、今日でお別れだ…」
一国の将軍という地位を手に入れた自分は、これからもさらに上を目指す。ここまで軍の上層部に食い込んだ今ならば、彼ら…『亡国機業(ファントム・タスク)』に匹敵する部隊を設立することだって簡単にできる筈だ。しかも犯罪組織のような非合法なものではなく、国家容認の部隊を、だ…。
「こんな別れ方になってしまい、とても残念だよ……“フォレスト”…」
「……あぁ、本当に残念だよホルニッセ………特に…」
―――君の頭が、ね…
「ッ!?」
スーツの男…フォレストの言葉の意味を理解する前に、ホルニッセは自分の後頭部に固い何かをゴリッと押し付けられる感覚に襲われた…。
この感覚が何なのか、軍人であるホルニッセはすぐに理解し、同時に混乱した。今、自分は“銃口を押し付けられている”のだ。しかし、彼が混乱した理由は銃口を押し付けられたという状況ではなく、銃口を押し付けてきた人物にある…。
「こ、これは何の真似だシュミット中尉…!?」
「申し訳ありません、閣下……静かにして下さい…」
―――自分に銃を突きつけたのは、さっきから傍で待機していた自分の副官だった…
「なぜだ、なぜ参謀本部から送られてきた貴様が…!?」
「何故って、彼は私の部下だからだよ……君が彼を殺し損ねた、その時からね…」
「ッ、どういう意味だ…!?」
自分がシュミットを殺し損ねた?そんなことは記憶に無い。シュミット中尉は第二回モンド・グロッソでの計画が完了した後、参謀本部から直接自分に極秘で送られてきたエリートだ。優秀な男であり、シュミットの御蔭で随分と楽に仕事が出来たものだ…。
そんな彼を自分が殺そうとしただと?……有り得ない…!!
「ははは、混乱しているようだね?…ひとつ言っておくけど、君が彼を殺そうとしたのは十年も前の話だよ…?」
「……十年前だと…?」
十年前…。その年は世界中を巻き込み、世界の中心へと成り上がったアレが表舞台へと進出した年である。それ以外のことで自分の記憶に残りそうな出来事は無かった筈だが…。
「まだ思い出せないのかい?……じゃあ、『ティーガー』…」
「了解…」
その瞬間、シュミット中尉…もとい亡国機業のエージェント、『ティーガー』は右手でホルニッセに銃を突きつけたまま左手首を自分の口元に持っていき…
―――手の一部を少しだけ喰いちぎった…
「な、何を…!?」
「……。」
喰いちぎった部分から血をドクドクと流すティーガー…。彼の突然の行動に唖然とするホルニッセだったが、それとは対照的にフォレストは笑みを浮かべたままである。そして、ほんの数秒後…ホルニッセは再び驚愕の表情を浮かべることになった……。
「なッ…!?」
あの出血量は、普通の者ならば何かしらの治療を施さない限りしばらく止まらない筈である。下手をすれば軽傷とは呼べない程のものだ……にも関わらず…。
―――ほんの数秒でティーガーの出血が止まったのだ…。
「その治癒力…ナノマシンか…!!」
「えぇ、そうです…」
『ナノマシン』…身体に馴染ませることにより、人外と呼べるまでの身体能力や自然治癒力を手に入れる事ができる特殊なテクノロジーであり、現在のドイツ軍では『黒兎隊』の全隊員達に投与されている。
そして、ホルニッセはナノマシンの技術をフォレスト達に報酬として渡した事がある…。
「まさか、既にここまで技術を再現できているとは…!!」
「本当に鈍いな、将軍。彼のナノマシンは正真正銘、“ドイツ製”のものだよ?」
「は?……ッ…!?」
そこまで言われ、彼はようやくフォレストの言葉の意味を理解した…。
―――十年前の出来事…
―――シュミット中尉の過去…
―――ドイツのナノマシン…
これらのことから推測できるシュミット中尉…もとい、ティーガーの正体は……
「…貴様、『遺伝子強化素体(アドヴァンスド)』なのか!?」
「はい……ISを起動できないが為に役立たずの烙印を押され、貴様に直々の処分命令を出され死に損なった、“雄の”遺伝子強化素体だ…」
最強の兵士を目指して造られたデザインベイビーでもある『遺伝子強化素体』。ドイツ軍最強を誇る『黒兎隊』のメンバーもそれであり、一人一人が並の人間を遥かに上回る能力を誇っている。しかし現在のドイツ軍において、“男の遺伝子強化素体”は一人たりとも残っていない。
「ようやく彼らの成果が軌道に乗ったところに、ISの登場ときたもんだ。戦場の絶対強者がISとなった今では、ISが起動できない男の遺伝子強化素体はただの“金喰い虫”…とでも思ったんだろう?」
「……。」
フォレストの言う通り、あらゆる戦闘手段を身に着け、あらゆる戦闘技術を磨いたところで生身の存在ではISに勝つかことは不可能だ。彼らは全員、戦闘機や戦車などの機動兵器も乗りこなすことも可能だが、それらの兵器もISを前には鉄屑同然ということが『白騎士事件』で既に証明されている。
故に、ISが軍の中心へと変わるのに大して時間は掛からなかった…。
ISを起動させることができる女性の遺伝子強化素体は全員ISのパイロットとして鍛え直し、『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』等という部分的な人体改造まで受けた。現黒兎部隊長である『ラウラ・ヴォーデヴィッヒ』はこれのせいで随分と苦労したらしいが、今この話は置いておこう…。
「十年前、殺されまいと施設から必死で逃げ出してきた彼とこの国で出会ってね……それ以来、僕の右腕として働いて貰っている…」
しかし逆に言えばそれは、ISさえ除けば無類の強さと優秀さを兼ね備えていることを意味する。たかだか十歳を過ぎた程度の少年が、犯罪組織の幹部の右腕を担い続けたということがその事実を物語っている…。
「実に優秀だったろう?」
「……あぁ、それは認めよう…」
そう返しながらも、ホルニッセは内心で盛大な舌打ちをした。よもやこのような場所で過去の残滓が現れるとは思っていなかったからだ…。
「……で、貴様は私と差し違えるつもりか…?」
改めてこの状況を考える。自分の後頭部には一丁の拳銃が突き付けられ、目の前のフォレストには四つの銃口が向けられている。下手に動けば自分もフォレストも互いの部下に撃ち殺される羽目になるだろう。
(だが、私は中尉の拳銃さえ凌げれば…!!)
人間一人を殺すのに必要な弾丸は一発で事足りる。されど、自分はその一発を避けさえすれば、後は4人の部下がフォレストとこの死に損ないの遺伝子強化素体を始末してくれる…。
(ここまで上り詰めてきたのだ!!このような場所で終ってなど……)
言い聞かせるように己を叱咤し、体に力を込める。腐っても軍人…並みの人間より良い動きはできると自負している。しかも一瞬…一瞬だけでいいから、奴の銃口を自分の頭から弾き飛ばせば全てが終わるのだ……簡単なことじゃないか…。
ホルニッセは自然とその表情に笑みを浮かべた。
―――だが、その笑みは次の瞬間あっさり消えることなる…
「何か勘違いしているようだから、2つほど言わせて貰おうか…」
「……なに…?」
「1つ…この場において、死にかけているのは君だけだ……」
「何を言ッ…!?」
フォレストが紡いだ意味不明な言葉…その意味を、ホルニッセは視線を彼の背後に向けることによりやっと理解した。故に、その顔から血の気が引いていくのは必然だった…。
「どいうことだ貴様ら!?…な、何故……」
―――何故“4人共”私に銃口を向けている!?
フォレストに向かって銃を突き付けていた筈の自分の部下達が全員、その銃口を全て自分の方へと向けていたのだ。それも全員、此方を馬鹿にするような笑みを浮かべながら…。
現実に思考が追い付かず、唖然とするしかないホルニッセを嘲笑うかのように、フォレストはそれに構わず言葉を続ける。
「そんなの、彼らが全員僕の部下だからに決まっているだろう…?」
「なん…だと…?」
「ティーガーや彼らだけじゃない、この基地に所属する“君以外の人間”は全て……」
―――僕の仲間だ…
「そんな…そんな馬鹿なことがあってたまるものか!!全員だと!?参謀本部が直々に指示を出してきた転属先に限ってそのような…!?」
「『ルドルフ・ホルニッセ准将、これまでの軍への貢献を評し、貴官を第88秘密司令部への転属をここに命ず。ドイツ軍参謀本部総司令・ビスマルク中将』…」
「ッ!?」
「それが、君に届いた指令状の内容だよね…?」
そう言いながら、フォレストはスーツの胸ポケットから一本のペンと一冊の手帳を取り出し、何かを書き始めた…。
「な、なんで貴様がそれを…!?」
「何故?なんで?…さっきからそればかりだな、准将。だが教えてあげよう、その為の“2つ目”なのだから…」
言うや否やフォレストはコトンと音をたてながらペンを置き、同時にそのペンで書いた文字をホルニッセに見せた…。
「君は僕達の依頼者(クライアント)でも、仲間(パートナー)でもない……」
―――ただの捨て駒だ
「そ、そんな……まさか、貴様ッ…!?」
手帳に書かれたていたのはたった一行程度の文字。しかし、その一行はホルニッセから言葉を失わせるには充分な威力を持っていた。
―――『ラファエル・ビスマルク中将』……ホルニッセの元へと届いた指令状に書かれたサインと、“完全に同じもの”だったのだ…
「それにしてもビスマルク中将の筆跡は、彼の真面目な性格が滲み出ているせいかとても真似しやすかったよ。しかも、彼は指令状以外の連絡手段を好まない。本当に彼の名前は使いやすかった…」
「あ、有り得ん……認めん…認めんぞ、そんなこ……!!」
―――ゴリッ…
「准将、いい加減に諦めろ。貴様はもう、引き返せない所にまで足を踏み込んだんだ…」
「クッ…!!」
再度銃口を押し付けられ、ティーガーにそう言われたら黙るしかなかった。ホルニッセが静かになったことを確認したフォレストは再度喋り始めた…。
「ホルニッセ准将、君は我々に報酬としていくつかの情報や技術を提供してくれた。その中にはとても役に立つものがあったし、今となっては組織に欠かせなくなったものもある…」
―――生半可な覚悟で彼と関わってはならない…
「だが、もうこの国に価値のあるものは残っていないようだ。君がつい最近まで手を出していた『VTシステム』は、幾らか興味が湧いていたのだけどね…」
「ッ!?」
―――彼と共に闇の奥深くへと進めば進むほど、それに見合うだけの栄光が手に入るだろう…
「唯一興味があったそれも、この前『天災』によって完全に消されたみたいだね…?」
「……!!」
―――しかし同時に奥へと進めば進むほど、元居た場所に帰ることは出来なくなる…
「利益も無い、懇意にする気も無い…僕たちにとって今の君は、完全に無価値な存在になったわけだ。僕の言いたいこと、分かるかい…?」
「ま、待て!!何が望みだ!?私ができることなら何でもする!!」
―――途中で突き進むことを諦め、引き返そうと思った時は既に手遅れ…
「だから頼む!!私はまだ死にたくは……!!」
「諸君…」
―――中途半端な欲望と願いを持った臆病者が払う代償は、決して安くはない…
「Ermorden Sie ihn(殺せ)」
「「「「「ja!!(了解)」」」」」
―――強者には希望と栄光を、弱者には絶望と死を……さながらそれは、御伽話に出てくる、引き返すこと叶わぬ『迷いの森(フォレスト)』…