リメイク作品集   作:(╹◡╹)

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【僕と剣姫の物語】より『親交』
 作:泥人形さん











泥人形さん

 日付けは変わって翌日。

 週の中ほどにあたる木曜日の、午前十時を告げる鐘が鳴るほんの少し前。

 

 オラリオ北西部のメインストリート… 通称・冒険者通り。

 僕は嫌になるくらいに晴れた空の下、その冒険者通り中央にある噴水前のベンチに腰掛けていた。

 

 服装はいつものダンジョンに潜る時の鎧姿──ではなく、まぁそれなりに見れる今風のモノ。

 

 ……所謂、“待ち合わせ”というヤツらしい。無論、僕の発案などでは断じてない。

 

 僕としてはファミリアのホームから一緒に向かった方が効率的に思えたので、その旨を提案しようとした。

 すると、どうやらヴァレンシュタインから話を聞いていたらしいヒリュテ(妹)が「分かってない! 十華は何一つ分かっちゃいないよ!」と吠えだしてお説教を始めてきたのだ。

 

 曰く、デートには待ち合わせが必要なのだとか男が待つべきなのだとか待つべき場所は噴水前のベンチがいいのだとか、どこから仕入れてきたか分からない怪しい知識の数々とともに。

 それが今のこの結果につながっていることは言うまでもないのだが、無論、僕としても唯々諾々とそれを受け入れたわけではない。

 

 そもそもこれはデートではない。というかそれを受け入れてしまえば本当にデートのようになってしまいかねない、とせめてもの抵抗を試みてはみたのだ。

 ……試みてはみたのだが、他でもない彼女が当然聞き入れてくれるはずもなく、僕が女性に弱いという当たり前の事実を再認識するのみに終わってしまった。

 

 これが僕が一人寂しく噴水前のベンチで待機するに至った理由の全てだ。

 因みに今の季節は夏。それも時期的には真夏日にあたる。

 

 雨は勘弁ではあるものの、たまに訪れる曇りの日であればどんなに良かったことか。しかし、無情にも僕の頭上では灼熱の太陽が猛威を奮っている。

 降りかかる日光は確実に肌を焼き、照らし出された大地からはもうもうと熱気を立ち込めている。どこに出しても恥ずかしくない真夏日で… まぁ、なんだ。つまり物凄く暑いのだ。

 

 あと5歳は若ければ躊躇うことなく背後の噴水に飛び込んで思う存分に暑気を追い払っていたであろうは想像に難くない。

 吹き出る汗を拭いつつ、水を一口呷る。これがなければ今頃は熱中症になって倒れていたかもしれない。下手なダンジョンよりキツいってどういうことだ。

 

 内心で“待ち合わせ”なるモノをゴリ押ししたヒリュテ(妹)への抗議をこぼす。無論、現実で口にするほど僕も無謀ではないが心の中でくらいは許されて然るべき案件だろう。

 それにしても暑い。

 

 もう一度汗を拭って、強張った首の筋肉を解すために頭を回そうとしたところで上から──…

 

「……ごめんなさい。ちょっと、遅れちゃった」

 

 と暑さを追いやるような、決して声量は大きくないがよく通る涼やかな声が注がれた。

 その声につられて、顔を上げる。一瞬だけ声の主が誰か分からなかったけれど、この局面、この時間に声をかけてくる人間なんてのは一人しかいない。

 

 僕の眼の前に立っていたのは、やはり、アイズ・ヴァレンシュタインその人であった。

 だがしかし、いつもと様子が違う。いや様子と言うより、その、なんだ… 僕の反応を少し遅らせる程度には違っていたのだ。

 

 つまり、彼女もまた、今のこの僕と同様に普段ダンジョンに潜る時のような服装ではなく…

 

 金の刺繍が施された白い肩出しのトップスに、下は些か短過ぎるのではないかと思うくらいの裾丈の蒼いスカート。

 足は純白のストッキングに覆われているのだが、彼女の動きに応じて肌色が見え隠れする様子が目に眩しい。

 

 みっともなく心臓が大きく跳ねてしまったのを自覚する。散々デートだなんだと囃し立てられていただけに妙に意識してしまう。

 こんなことじゃいけない… 少しだけ熱の上ってきた頬を押さえて数秒、目立たぬよう深く息を吸ってから口を開いた。

 

「数分なんて遅れたうちに入らないよ。気にすんな」

 

 互いに「じゃあ行こうか」なんて言いながら歩き始めて、ふと立ち止まる。

 つられて足を止めたヴァレンシュタインが、僕の顔を覗き見る。

 

 ──女性の服装は必ず褒めてあげること。

 

 待ち合わせ云々の際に、ヒリュテ(妹)ほど騒がしくはなかったが真剣な表情で記憶野に刷り込むようにして語っていたヒリュテ(姉)の言葉を思い出す。

 小首を傾げながらこちらを見詰めていたヴァレンシュタインと、自然、視線がぶつかり合う。

 

 僕は「あー…」とか「うー…」とかいう無意味な言葉とともに何度か口を半端に開閉させてから、最後に咳払いを一つ。

 

「その服、似合ってる。すごく可愛い… と、思う」

 

 似合わないことを言ってしまった。

 

 ヴァレンシュタインは少しの間だけ目を見開いて固まる。

 そして一拍の後に真っ赤に染まった顔を俯かせてから聞こえるか聞こえないかの小さな声で、しかし、確かに「ありがとう…」とつぶやいたのが僕の耳に届いた。

 

 はぁ、まったく… 今日は暑いな! 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目的の場所… 三つの槌のエンブレムが刻まれた扉を開く。

 店としてよりも工房としての側面が強く出ている店内。

 

 入って程なく、如何にも職人といった風情のアマゾネスが声をかけてくる。

 

「いらっしゃい。今日はどういったご用件で?」

「あぁ。ちょっと無理させすぎちゃったから、見てもらいたくてさ」

 

 彼女の言葉に自分の武器を示しながら返せば、一つ頷いて「こちらへどうぞ」と奥の部屋へと案内される。

 通された部屋では、一人の老人が剣を丹念に磨いていた。

 

 ──主神・ゴブニュ。

 数あるファミリアの中でも商業系の… もっと具体的に言うのであれば武器防具全般の作成、整備を主としてこなすゴブニュ・ファミリアの主神だ。

 

 少なくとも僕の武器はファミリアの団員を通さずに彼ゴブニュに直接渡すという形で話がついている。

 ヴァレンシュタインについては知らないが、慣れた足取りでここまで着いてきた以上は彼女も僕と同じ待遇であるのは想像がつく。

 

 二人揃って彼に己の武装を渡した。

 

 僕が出したのは片方にだけ刃のついた刃物──所謂刀、というやつである。

 極東の方から輸入されてきたものであまり使っている冒険者は見かけない代物なのだが、僕は今なんとなくこれを気に入って愛用していた。

 

 そして僕の隣で彼女が差し出したのは蒼の装飾が入ったサーベル。

 

 デスペレートと名付けられたそれは、【不壊属性(デュランダル)】を付与された特殊武器(スペリオルズ)らしい。

 彼女曰く、【不壊属性(デュランダル)】がついていないとすぐに武器を壊してしまうんだとか。

 

 ……シンプルな感想として怖すぎるんだが。……壊すってなんだ? いや、なんで? 

 どんなちんけな武器だって鉄や鋼を使ってるし、そもそも一級冒険者ともなれば特殊な鉱石を使用してのオーダメイド品を注文したり買うことだって出来る。出来ないはずがない。

 

 そんな鍛冶師入魂の逸品であろうとヴァレンシュタインとしては、ぶっ壊す自信しか無いとか。えぇ… なんなの? 怖すぎるぞ。

 

「兄ちゃんの方は… こりゃあ派手にやったな。整備は結構かかるぞ」

「ん。まぁ、それは承知済み… 実際どのくらいになりそう?」

 

「ふむ、そうさな…」

 

 彼は自身の顎髭を一度撫でると、悩むようにそう言ってから刀身に指を滑らせた。

 

 ……改めて見てみれば僕の使っていた刀も結構刃がガタガタである。自分で思っていたよりも傷は付いているし… うーん、僕もヴァレンシュタインのことは言えないな。

 暫くそうやって眺めていれば、やがて検分は終わったのか彼は静かに告げてきた。

 

「早くても三日… ってところだな」

「うーん… おーけー、任せたよ」

 

 早くても三日… その言葉には少しだけ悩んだが、ダンジョンに潜る身で武器の手入れを怠れば命が幾つあっても足りないことはよく身に沁みている。

 まして武具関係のスペシャリストであるゴブニュファミリアの主神直々の言葉だ。僕よりもよっぽど武器については分かっているだろうと、お任せすることにした。

 

「……スペアはあるのか?」

「まあ、一応ね」

 

 スペアの武器なら幾らでもあるさと告げれば、彼は頷いて僕の刀を降ろした。

 

 次いでヴァレンシュタインの剣を手に取り、検分を始める。

 しかし、ほどなく彼は疑問符を浮かべたような表情でチラリとヴァレンシュタインの方に視線を向けた。彼女はそれに対し少し慌てた様子で小さく首を横に振っている。

 

 ……? はて、あの二人は一体何をしているのだろうか。

 

 ヴァレンシュタインの顔が紅潮して見えるのは、鍛冶場としての向きも強いここゴブニュファミリア内の室温が高めであることから考えてもそう不思議なことではない。

 ないのだが、二人して見つめ合って何をしているのだろうか? 

 

 ヴァレンシュタインは素早く首を横に振っているし、よく見れば目線がダンジョン内… それも遠征で強敵に出会った時のような真剣味のある色を帯びている。

 もしや、心で対話する術を会得しているのか…? ついに言葉という縛りを捨ててテレパシーに辿り着いたのか…!? 

 

 むむむ… なんだそれは! 非常に羨ましいぞ、僕にも是非教えて欲しい! いや、教えるべきだ! 

 僕がそう言葉に出そうとしたまさにそのタイミングで、ゴブニュの方が「はぁ…」と深く大きい溜め息を吐き出した。

 

「アイズ、おまえも三日後だ。そっちの兄ちゃんと一緒に取りに来い… ソレで良いな?」

 

 片眉を上げたしかめっ面の表情で、ゴブニュはヴァレンシュタインにそう尋ねた。

 尋ねられた当の彼女の方は「……ん。分かった、ありがとう」と破顔の表情とともにそれを受け入れた。

 

 そんな彼女の様子を見てますます渋面が濃くなったゴブニュは、そのまま僕に視線を移す。

 ()めつけられることほんの数秒… フン、と大きく鼻を鳴らした彼は「じゃあ仕事の邪魔だからもう出てけ。三日後な」と僕たちを蹴り出した。

 

 ……そう、文字通りに蹴り出したのだ。

 そこらの冒険者ならばいざ知らず、流石に神に向かって逆らえようはずもない。僕らは無抵抗のまま放り出され、無様に尻餅をついた。

 

「いったた… いつにも増して強引だったなぁ。……立てるか? ヴァレンシュタイン」

「……うん、大丈夫。ありがとう」

 

 先んじて立ち上がった僕は、ヴァレンシュタインへ向かって手を差し出した。

 彼女も躊躇なく僕の手を掴んでくれたので引っ張り上げて彼女を立たせる。

 

 線の細い彼女の手は僕のソレのようにゴツゴツしていなくて、なんというか、こう言うと変態染みているような気がしないでも無いのだが… その、スベスベしていて柔らかかった。

 

 急に今の状況が照れくさくなりパッと手を離し、さり気なく彼女から距離を取る。

 こういったことを一々気にするから周囲にからかわれるというのは分かっているのだが、どうしても気にしてしまうのが僕の悪いところだった。

 

 何となく自分の手の平を眺めてみる。

 

 仄かに残った感触を思い出すように握ったり開いたりしていれば──…

 

「……どうしたの?」

 

 こてんと首を傾げながらこちらを見ていたヴァレンシュタインに声を掛けられた。

 そこで僕はようやく自分の恥ずかしさを自覚して、誤魔化すように「何でもない」とだけ言葉を発して逃げ出すように歩き始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それからおおよそ一時間と三十分ほどが経過して。

 

 デートと散々言われた割りには特段それらしいイベントも発生せず。

 それどころか冒険者として極めて模範的かつ健全なショッピングを続けていると、正午を告げる鐘の音が響いてきた。

 

 オラリオ中に陽気な音色が響き渡る。正午、十二時、お昼時。

 そうか、もうそんな時間なのか。不思議なほど早く過ぎ去った時間に思いを馳せていれば、隣から「くきゅる…」といった可愛らしい音が鐘の音に混ざって僕の耳に入ってきた。

 

 横を向けば、当然のように隣を歩いていたヴァレンシュタインと目が合った。

 互いに牽制し合うような暫しの沈黙。

 

 見つめ合っていた彼女は、ついに耐えきれなくなったのか、まるで早送りで茹で上がっているのかのように顔を真っ赤にした。

 

 ……うん。

 

 流石にここで「ご飯にしようか」と躊躇わず口にしてしまうような愚行を犯さないほどに、僕にも良識というものは存在している。

 なんと言ってもあのロキ・ファミリア一のプレイボーイたるフィン直々に、幼い頃より手解きを受けているのだ。

 

 ここは僕のエクセレントな会話術を駆使してヴァレンシュタインを恥ずかしがらせること無く、また違和感なく適当な小洒落た飯屋へと連れて行ってみせようではないか。

 

 さぁ、いくぜ! 

 

「……ご飯にしようか」

 

 無理だった。

 

 不可能であった。

 完膚なきまでに失敗してしまった。

 

 そもそも考えてみれば、僕はこれまで女性経験というものが皆無のままこの時まで過ごしてきたのだ。

 それこそ、こうして二人きりで出掛けるという状況にすら極度の緊張状態に陥ってしまうシャイボーイであることを失念していた。

 

 これが誤算ってヤツか… この僕としたことが、知らず知らずのうちに己の能力を過剰評価してしまっていたようだ。

 ダンジョンでは己の実力を過信した者から死んでいく。……そんなこと、とうの昔に分かっていたはずなのにな。

 

 少し遠い目をして夏真っ盛りの青空を見上げた。お空きれい。深呼吸をしてから、恐る恐るヴァレンシュタインに視線を移す。

 彼女は茹で上げられたかのような真っ赤な表情に加えて、今度は若干の涙目までプラスした上で「うぅぅ…」と唸りながら暫し僕を睨んだ後にしっかりと頷いてくれたのであった。

 

 何か… ごめんな。僕は心の中で謝った。

 

 

 

 

 

 

 

 適当に腹ごしらえを済ませた僕らは、今度は冒険者通りを離れ、フラフラと当ても無くオラリオを歩き回っていた。

 というのも、買うべきものは午前中に全て買ってしまっていたからだ。

 

 正直手持ち無沙汰であると言える(荷物はあるが)。

 にもかかわらず、僕らは『ホームに帰る』といういつもなら当然すぐに選んでいたであろう選択肢を未だ選べずにいた。

 

 何故そうしているのか、それは当の僕にもわからない。おそらくヴァレンシュタインにとってもそれは同じなのではないだろうか? 

 ただ、そう、強いて言うのであれば… 明確な目的もないままぼんやりとオラリオの景色を楽しんだり、露店を眺めたり、他愛ない雑談を交わす。そんな非効率的なことを彼女と二人でやることこそが他の何物にも代え難いのだ。

 

 それは僕ら二人にとってもイマイチ良く分からないような曖昧な、おそらくまだ形になってすらいない“ナニカ”こそが理由であったからなののかも知れない。

 

 ヴァレンシュタインは、ダンジョンのことになると途端に饒舌になる(これは少なからず僕も当て嵌まるが)。

 ジャガ丸くん(ジャガイモをすり潰し調味料と合わせてサクッと油で揚げたおやつ。コレがなかなか美味い)がこの上なく好きであること。

 

 青や白といった色を好むこと。

 お酒を飲むことを禁止されていて少し不満に思っていること。

 

 そういった、ともすれば「どうでも良い」と一蹴されてしまうような他愛ない話を聞くことがこの上なく幸せだったのだ。

 

 そう、『幸せ』だ。

 それは『楽しい』とか『面白い』とかそういった感情も確かにあるけれど、決してそれだけではなく。

 

 この時、僕は確かに『幸せ』を感情を噛み締め、心から味わっていたのだ。

 二人で話したいことはまだまだ尽きないのに、いつだって時間はほんの一瞬で過ぎ去ってしまう… そう感じてしまうほどに。

 

 

 

 

 

 

 時刻は夕暮れにほど近い頃合い。

 

 お昼過ぎに大量に購入したジャガ丸くんを未だに頬張りながら、彼女はこちらの話に熱心に耳を傾けてくれている。

 その時、不意に風が吹いた。

 

 彼女の金糸のような長い髪がふわりと舞って、ジャガ丸くんの包み袋へかかる。

 ヴァレンシュタインはムッと不機嫌そうに眼を細めて髪の毛を払ったが、まるで遊ぶかのようにその長い髪は彼女がジャガ丸くんを食べようとする度に横顔をくすぐってくる。

 

 ……ふむ。

 

「ちょっと待っててくれるか?」

 

 そう伝える。彼女が不思議そうな表情で、しかし確かに頷いたのを確認してから僕は走り出す。

 

 日も落ちてきた中であるが、目を凝らして周囲の露店を見回せば… あった。見事お目当てのソレを発見する。

 うん… まぁ、こんなモンでいいだろう。

 

「これ一つくれ。幾らだ?」

「うん? ……あー、それね。700ヴァリスだよ」

 

「おっけー、これお代ね」

「おう、毎度あり!」

 

 随分とガタイの良い兄ちゃんからソレを購入した僕は、やや早足でヴァレンシュタインの元へと戻る。

 彼女は先程の所からやや道の端の方に身を寄せ、不安そうに首を傾けながらジャガ丸くんをもっきゅもっきゅ頬張っていた。……ジャガ丸くんへの執念、すごいな。

 

 やれやれ、昼飯の時に気付ければよかったんだけど。

 彼女に真っ直ぐ近寄いて、僕はつい先ほど露天で買ってきたソレを差し出した。

 

「良かったら、これやるよ。……その、髪の毛、邪魔じゃないかなって」

 

 彼女の好きと言っていた青色に染められた紐状の絹物… 世間一般にはリボンと呼ばれるソレである。

 ヴァレンシュタインは呆然としたように数秒ほどそれを見詰めて、次いでハッとしたようにポケットからそろそろと何かを引き出した。

 

 それは髪ゴムであった。あまり使われた痕跡のない、如何にも新品然とした髪ゴム。

 

「………」

「………」

 

 無言のまま、互いに見詰め合う。

 

 ……いや、持ってんじゃねーか! てっきり持ってないんだと思って見栄張って買ってきちゃったんですけどー!? 

 いや、恥ずかし過ぎるぞオイ! フッ、ついにこの僕の気遣いが輝く時が来たか… なんて思ってた数分前の自分を殺したい! いや、もういっそ殺してくれ!? 

 

 ていうか、なにリボン見せられてから「ハッ! そう言えば…」みたいな顔してんだヴァレンシュタインぅううううううううううううう!? 

 

 おそらく僕の顔は今真っ赤になっていることだろう。僕はプルプル小刻みに震えそうになる身体を意志の力で抑え付けながら、そろっと差し出していた手を引き戻そうとした。

 その腕を掴まれる。

 

 誰に? 無論、言うまでもなく目に前にいたヴァレンシュタインその人に。僕がなにかを思う前に、その手の平の上から呆気無く掻っ攫われるリボン。

 

「あ、おい…」

 

 所在なさげにリボンを追おうと手を伸ばす僕を尻目に、ヴァレンシュタインは、そのまま慣れた手付きで己の流れるような金髪を一つにまとめて垂らした。

 瞬間、僕の世界が弾けた。

 

 

 

「えっと… 似合う、かな?」

 

 不安げに一通り髪を触ってから確かめるようにその場でくるりと回り、どこか恥ずかしそうにヴァレンシュタインは尋ねてきた。

 一つにまとめられた彼女の長い金髪が風に舞う。

 

 俗に言う、ポニーテールというやつであった。

 金糸の描く薄い(とばり)の向こうに覗くその白磁のように美しいうなじが、夕焼け色に染まる街並みにどこか場違いな… 非現実的なコントラストを生み出している。

 

 ──心臓が、バクリと跳ねる。

 

 髪型一つで、見え方はこうも変わるものなのだろうか。

 ……いや、違う。この時ばかりは髪型だけではない。

 

 照れているのか薄っすらと頬を朱に染めて、瞳は伏し目がちなままに、されどこちらを探るように見つめてくる。

 元より整いすぎているほどに整っている容姿であることも相俟って、それは絶大的な可愛さを放っている。

 

 ──────。

 

 情けないことに、思考は先ほどから吹っ飛びっぱなしだ。

 なにか言おうとは思うものの、言葉が出てこない。

 

 今のヴァレンシュタインの美しさ・可愛らしさをどうやって僕ごときの語彙で表現できるだろう。元から赤かった顔が、更に熱を増す。

 無理に口を開けば思いっきりどもってしまうことは間違いないだろう。

 

 僕は挙動不審になりつつある自分の様子を自覚しながらも、何度か口をパクパクとした後にゆっくりと閉じる。

 熱は頭にまで回りショート寸前。オマケにいつもなら無駄にスラスラと出てくる言葉が今は全く出てくる気配がない。

 

 ぼ、僕はどうすれば… そう一人葛藤を続けていると、ヴァレンシュタインは寂しげに(まなじり)を下げた。

 

「……やっぱり、私には似合わないかな」

 

 結んだソレを解こうとする… 瞬間、身体が動く。

 それは、もはや脊髄反射の領域であった。

 

 リボンを解こうとした彼女の細い手首を掴み、反動で倒れないように思わず彼女の身体を支える。

 それからほとんど無意識的に僕はヴァレンシュタインの髪を撫でて口を開いた。

 

「いや、すげー似合ってる。それこそ、筆舌に尽くしがたいほどに… 可愛い」

 

 オブラートも何も無い本音だった。伝えたいことの億分の一にも満たないけれど、それでも、ただただ感じたままのことがそのまま口から滑り落ちるように零れ出た。

 彼女の雪のように白い肌が、薄紅色に染め上げられる。

 

 そんな彼女の姿を見て、僕はようやく正気を取り戻した。

 

 ──やっちまった。つい脊髄反射で身体を動かしてしまった…。

 や、やばい… セクハラで訴えられても文句は言えないぞ、コレは!? いや、そもそも殺されてもおかしくはないよな!? 

 

 自身の死後の取り扱いについて思索を巡らせている僕の耳に、ヴァレンシュタインは震える声でそっと囁いた。

 

「あ、ありがとう… 嬉しい…」

 

 それだけでも信じられないことなのに、あろうことか、彼女は僕の手をギュッと握りしめてきたのだ。髪を撫で続けていた僕の手を取って。

 

 ──は? 

 

 瞬時に顔に血が集まって、戻ってきたはずの正気が再び吹っ飛ぼうとしたところで──…

 

「あー! 見て、お母さん! カップル! カップルだよ!」

「こら、やめなさい!」

 

 突如として割り込んできた見知らぬ少年の言葉に、僕らは同時にバッと距離をとった。

 少しだけ互いに視線を合わせて、やはり眼をそらす。

 

 ヴァレンシュタインの顔を真っ直ぐ見詰めることが出来ない。

 心臓はまるで全力疾走をした直後のようなおかしいスピードで早鐘を打っている。

 

 ……落ち着け。

 トントンと自分の胸を叩きながらクールダウンさせていく。

 

 そうして僕は思った。

 きっと… そう、きっと二人してたまたま脳味噌が茹だっていたのだと。

 

 この暑さと、ヴァレンシュタインの可憐さ。

 それ故に起きた僕の突発的異常行動に違いない。

 

 この三つが重なり起きてしまった不幸な… いや、むしろラッキー? 

 ……いやいや、やはり不運な出来事であり事故であったのだと。

 

 ──そう、思うことにした。

 

 これは偶然起こり得た、ともすれば奇跡的とも言えた瞬間であったのだ。

 そう思い込むことにして、彼女に手を差し伸ばす。

 

「……行こうか」

「……ん」

 

 ヴァレンシュタインは顔を赤くしつつも、当然のように僕の手を取ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん? 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()? 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 呆けたように違和感なく繋がれた手を見詰めて、それからヴァレンシュタインに視線を移す。

 彼女も同様だったようで数秒きっかり硬直した後に、ハッとしてから手を離した。

 

 互いにごめん、と謝って一緒の帰路へとつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──恐らく。

 

 これは飽くまで僕個人の予想や推測に過ぎないものでは有るが。

 やはり、僕らは急激に距離を詰め過ぎてしまったのだろう。

 

 なんだかんだ幼い頃から互いのことを知ってはいたが、結局こうして言葉を交わすようになったのはつい先日の話なのだ。

 

 それから止め時を見失ったかのように今日という日に至り、時間を忘れて言葉を交わしたものの…

 僕らの関係がどういうものかと考えれば、それは友人にすら満たない──いや、友人はギリ名乗れるか? とはいえ、その程度の仲でしかないのだろう。

 

 つい一昨日までは同じファミリアの団員であるとはいえ、近くて遠い他人のような関係であった僕らだ。

 そもそも幼少期からこっち9年間お互いに積極的に関わろうとしてこなかった、そんな特殊な関係性である僕らだ。どう考えても一般的ではない。

 

 ……だから、間違えた。

 距離を縮めようとするあまり、無茶をやり過ぎてしまったのだ。僕も彼女も勢いのままに行動してしまい、麻痺したままの頭で考えてしまった。

 

 その結果がこれである。

 

 僕は色々と反射的に動いてしまったし、彼女も僕の珍妙な動きに対応してきた。まぁ要するに… 正気に戻ったようで、その実まったく戻っていなかったということだ。

 そして今、ようやく戻ってきた。そんなところだろう。

 

 僕もヴァレンシュタインも判断能力が鈍ってしまっていただけだ。こういう日もあるだろう。互いの距離感を掴みあぐねていた僕らであればなおのこと。

 そろそろホームが見えてきたところで、「ヴァレンシュタイン」と彼女を呼ぶ。

 

「今日はすまなかったな。その、色々ご無礼を…」

 

 なんだか畏まってしまった。……いやいや、なんだよご無礼って。

 いやまぁ、ご無礼ではあったのだけれどもさ。

 

「……うぅん。私も、ごめんなさい」

 

 いや、ヴァレンシュタインが気に病むことはない。

 悪いのは概ねトンチキな行動を取ってしまった僕だろう、そう口を開こうとして。

 

 決して多弁ではない彼女が、言葉を続けようとしていることに気付く。

 

「でも、今日は楽しかった… よ? 十華のこと、いっぱい知ることができたから」

 

 そう言葉を紡ぎ、はにかむ。

 彼女の言葉、彼女の笑顔に胸の中が暖かいなにかで満たされていくように感じる。

 

「あ、あぁ… 僕も楽しかった。……その、ありがとうな」

 

 僕は端的にそれだけ返すと、ホームの扉を開いた。

 

 彼女と「それじゃあまた明日」と軽い言葉を交わして別れる。これで今日という一日は終わる。

 また明日からそれなりにスリルに満ちた、しかし、変わり映えのない日々が訪れることだろう。

 

 ……少し、ほんの少しだけ青いリボンの結ばれた彼女の後ろ髪に名残惜しげな視線を向けてしまう。

 それがどういう気持ちに由来するかまでは分からないけれど、せめて今日だけはこの気持ちを抱えたまま静かに終わらせたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに彼女はヒリュテ(姉妹)とウィリディスらに捕まっており。

 僕の前には我らがロキ・ファミリア主神であるロキが立ちはだかっていた。……それも、なんだか非常ににやけた面を晒しながら。

 

 ──因みにこれは豆知識なんだが。

 

 ヴァレンシュタインは、ロキの大のお気に入りだ。

 ついでに彼女は相当の主神(おや)バカであり、オマケに色恋沙汰は大の好物ときている。

 

 つまり何が言いたいのかって言うと。

 朝からずっとヴァレンシュタインを連れ回していた僕は、これからロキの執拗な尋問に遭ってしまうことはまずもって間違いないということだ。

 

「はぁ…」

 

 ままならぬものだ。一日の締め括りに、僕は深く重い溜め息を吐くのであった。


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