セシリア・オルコットは悩んでいた。お昼休みは既に終わり、今は5時限目の時間。
山田先生がISの基礎知識について詳しく、かつわかり易く説明していた。話し終わった後に『まあ、こんなの覚えても彼氏の一人捕まえられないんですけどね』と愚痴を零すのは頂けなかったが。
周囲は周囲で、人生の先輩の諫言を聞き青褪めた顔をしていた。仕事にかまけ、私事を疎かにすればどうなるか力説する先生に圧倒されている。
(はあ……)
セシリアは、別に彼氏がどうのこうのといった悩みはなかった。幼い頃からの執事みたいな知古が、それに近しい関係だからだ。
返事は保留されているが、側に居てくれればそれでも構わないと彼女自身自覚している。無論、一番になりたいという野心は忘れていない。
好きな人の為にアレコレと努力する、そういった努力は忘れてはならないとセシリアは常日頃思っている。ただ、料理に関しては想い人に匙を投げられたが。
(本当に美味しゅう御座いましたわね、シャルルさんと一夏さんのお弁当)
彼女が悩んでいるのは、お昼に御相伴に預かった一夏とシャルル謹製の手料理。その美味しさについてであった。
一夏の高カロリーながら、御飯の進む濃いめの味付け弁当に、シンプルながらも量質共に申し分のないシャルルのランチセット。
セシリアはそれを泣きながらも完食し、今また泣きそうになりながらも、その時の味わい深い食事について考えていた。
(織斑先生に教えを受けて覚えたと仰ってましたが、どれだけ万能なのでしょうかね。羨ましいですわ、織斑先生)
そう思い、他人に阿る様に振舞うのを何よりも嫌う彼女は、少しばかり自己嫌悪になりつつあった。
時折、人に対し素直に馴れない自分の性分に対して、どうにも我慢ならなくなることがセシリアにはある。そうしたとき、必ずその感情の発露が起き、性分が反転して周りを驚かす事はよくあった。
ツンデレからデレデレになるのだ、主な被害者はシャルル。
裏の感情を出すのは場所を問わず、本国の屋敷でメイドの見ている前であったり。またある時は欧州各国間での会合の際でやらかしたり、本当に怖い物無しの状態のセシリアの行動に執事のsan値は削れ、快復を繰り返した。
何があったのか、語る者はいない。
(ああっ……なんでしょうか。料理が出来ないだけでここまで憤りを感じてしまうのは)
セシリア・オルコットを形成するのは、イギリス貴族にお嬢様、尊大にして俺様何様私様な口調。そしてメシマズである。他にも、たれ目でエロ可愛いアホの子というステータスがあるが、ここでは割愛する。
欠点の中でも特に酷い調理の才能の無さ、元は料理をしたことが無いセシリアが何を思ったか、独創的なアレンジを覚え実践したのである。しかも味見を一切しないという、常軌を逸したオプションまでつけて。
執事代わりの貴公子もただ手をこまねいていた訳ではなく、料理のさしすせそからレシピの徹底に始まり、時々常識の欠如を矯正しながら自らの知識、技術を伝授した。
メシマズの大半の理由として、調理法が分からない・材料が分からない・必要道具も分からないの基本の三ないに、材料や調味料の代用に隠し味の誤用なのだ。これらを主にセットで活用すればどうなるか、料理を作った経験のある方ならば自ずと結果はしれよう。
セシリアは少なくとも味覚音痴、味音痴ではない。自国の飯を『……雑でした』と零していた亡き母の元に産まれたので、美味しいものに関しては結構五月蝿いほどだ。
父がメシウマであったことも大きな要因で、普段昼行灯だのバカスパナと嫁の尻に敷かれていた父であったが、厨房と寝室では負け無しと豪語する使用人顔負けの貌も持っていた。
(お母様も日頃言っておられましたわね、年下の婿は金のWARAZIを履いてでも探せと)
その父と母の馴れ初め、実は父が当時留学生だった母と飯の話しで口論になったのが切欠で、『世界一不味い料理で何年覇者だよ』と父が喧嘩を売り、そこそこ愛国心がある母がそれを買ったのが付き合いの初めというなんともいえない事実があったのだが、父母がセシリアに教える前に故人となってしまった為、彼女は知らない。
(私が見つけた、いえ、向こうから来たのは同い年の貴公子でしたが、遠慮がなさ過ぎですわ。日の本の住人は慎ましやかなんて、真っ赤な嘘でしたわ)
メシマズを治すのに刃は要らぬ、ただ唯根気なり。普段穏やかな貴公子が精神崩壊し、スパルタンの狂犬モードになりようやく改善され、料理に洗剤を混ぜることはなくなった。
人類にとっては小さな一歩であるが、彼女にとっては大きな一歩だと貴公子は時計塔まで来ていた朋友に熱く語ったという。その朋友も同時期、幼馴染達に似たようなことをしていたのでよく理解し互いに成果を褒め千切った。
(お皿も洗ってから使うではありませんか、と言って『前の食事の汚れがそのままがデフォルトの英国人が言うことじゃねえよ』と返された時はどうしてくれようかと。英国全てがそんな無頓着な訳ないでしょうに)
とはいえ、貴公子がキレながらも洗剤で洗うと成分が材料に染み込んだりして、人体に影響が及ぶと別方向からアプローチを掛けたのでセシリアは納得し、しっかりと野菜洗い専用の洗剤を買ってくるようになった。
シャルルは呆れたが、世界各国が日本の様に飯に魂魄を注入している訳ではないのだ。製造の時点で色々と付着した食材を、水洗いだけで済ませられない国も世界には存在する。貴公子もその時初めて文化の違いというものを実感した。
(外面仏蘭西のテルマエ好きが居るのです。質実剛健を旨とする大英帝国にだって、煮る方法以外の調理が出来る人はいるに決まっていますわ)
よく世間から言われる英国の料理の作り方に、多少愛国者のセシリアは度々憤慨している。煮る、じっくり煮込む、さらに煮る、念の為もう少しだけ煮てみる、以上。
こんな誹謗中傷を受け容れる人が居たら、最早その国はもう終わりである。
忍耐強いともとれるが、胃袋に麻酔薬を打っているか清教徒の教えを曲解して実践していなければならない。彼女はどちらでもなかった。
元々矜恃が高く、やんごとなき生まれのセシリアにとって己の不得手をそのままにするという答えは、到底認められないものだ。
彼女の立場と地位から見れば、自ら料理せずとも良いのだが身近に潜在敵の皮を被った同い年の異性が、すこぶる多芸であったのがセシリアの負けじ魂に火を着けた。
そして彼女のメシマズという名の暗黒錬金術師の才能が開花したのだ。試食に付き合った執事は等価交換として、一週間の外出を物理的に『持ってかれた』。
危うくオルコット家とデュノア社の間に亀裂が走ったが、オルコットの謝男と畏怖されるセシリアの父がデュノア本社まで向かい、ジャンピング五体投地、すなわちゲザることによりことなきを得た。
『婿養子だから、当主じゃないから恥ずかしくないもん』と、しれっと答えた父に本物の畏敬を覚えたのもその頃だ。
(父はその身を以て、私に無知の知というものを示して下さいました。出来ないからやらない、ではなく出来ないならやる、其れこそ何度でもトライエラーを繰り返すまで)
病み上がりの執事にその決意を伝え、メタメタに貶され笑われながら協力を取り付けた。
少年漫画の様にスキップ出来ない厳しい修行期間であったが、その効果は凄まじくセシリアの調理方法に煮る、焼く、炒める、揚げる、蒸すが加わった。今は亡き父母が信じられないものを見るような目つきで身体の具合を心配してきたので、少しばかりショックを受けたが。
(今日は作って貰いましたし、明日の昼餉は私が腕を奮いましょう。確か冷蔵庫に上物の鰻が……)
そう考え、自国の郷土料理のレシピを頭に思い起こすセシリア・オルコット。
数少ない得意なレパートリーの中でも特に忠実に再現出来る料理の完成形をイメージし、妄想するは友人達からの称賛。先程までの苛立ちを少しでも解消するために、彼女の気炎は大きく燃え上がっていた。
余談になるが、5時限目が終わった後、足早にそれを執事に伝えたところ『メニューを変えて、一緒に作ろうか』と言外に遠慮されることになり、嬉しいながらも納得いかないと駄々を捏ねるL85クオリティの彼女の姿を一年一組の面々は見ることになり、可愛らしいところもあるようだと評判が上がるようになった。
次回辺り簪ちゃん再び。