駄天使の堕とし方 作:いくも
俺、春辺陸亜は、堕天使と「何か」のハーフである。
幼少より母、ベリアルの手ひとつで育てられた。父が誰かは知らない。人間か、神か、天使か、それとも悪魔か。母にいくら問い詰めても笑ってかわされるだけであり、まともな答えが返ってきたことは無い。
母ベリアルは、堕天使である。その名は天界、地獄、人間界全てにそこそこに轟いているように思う。天界にも地獄にも知り合いが多い(らしい)し、地上の文献でも彼女について語られた文献は数えきれない。
その名は「悪」を意味する。姿は美しく淫らであり、しかし誇り高い。そしてそのすべてが虚飾である。文献にはそんな大層な伝えられ方をしている。
しかしその実態は、ただの享楽主義のバカである。
今日もまた、天上からバカの声が聞こえる。
「りっくん?ちょっと、りっくーーーん。今日もちゃんとガヴちゃんと会ってきたの?」
「母上よ。それについてだが、今日は知らせがある」
「……りっくん、母上って誰?」
「……」
母上は咎めるように声を荒げ、リビングに沈黙が降りる。天上から聞こえていた母の声は近づき、俺の部屋の天井に、光る穴が空く。スタリ。白銀の髪を翻し、彼女は地上に顕現する。
「ママって呼んでくれなきゃヤダ!」
裸の幼女は、地団太を踏んで駄々をこねた。
はぁ。思わずため息が出る。
「母上、またそんな悪趣味な格好を……せめて分別ある大人として、何か着るくらいしてくれ」
「ぶー、今日は天界にいたから、こういう格好の方が周りのウケもいいんだよーだ。それに私歳取らないし。永遠の9歳だし」
「だからと言って精神年齢まで合わせることないだろう」
「いーのいーの、天界のお偉方なんてロリコンの変態ばっかりなんだから。夢壊しちゃわるいでしょ……よいしょっと」
手をひらひらと振り、母上は椅子に腰かける俺の膝に座る。彼女は自分の意のままに姿を変えることができる。それこそ赤子から老婆まで、老若男女問わず変えられる。今の幼女姿は良く見るものではあるが、一応それにも理由があったらしい。実際にはほぼ気分の問題だとは思うが。
「ふー、今日も疲れた。で、りっくん。ママにどういうお話があるって?」
「そうだ母上、聞いてくれ」
「マ・マ」
母上は膝に座りながら俺を見上げ、にっこりと笑う。にらみ合うことしばし。彼女の表情には一切の変化がない。どう見ても天真爛漫な幼女そのものだ。しかし、年季が違う。彼女は望みを通すまでてこでも動かないだろう。俺は今日一番のため息を吐く。俺の目的のためにも、少しでも要求は呑んでおいたほうがいい。
「……………ママ」
「りっくん素直だから好き~~~~~~~!!!!」
母上は俺に向き直り、その小さな体躯をいっぱいに俺にむぎゅっと抱きつく。その凹凸のない体では何も感じはしない。たとえ大人の姿でも何も感じることは無いが。母親とは不思議なものだ。
ようやく話を聞く気になった母上に、俺は静かに本題を切り出す。
「天真に俺の正体がばれた」
「まじ?」
「まじ」
「なにそれやっばーい。りっくんしっかりしてるようで相変わらずドジっ子~」
母上は俺の失態を聞き、ニヤニヤと笑いながら俺の頬を引っ張って遊ぶ。やべえ、殴りてえ。
上げかけた拳を何とか抑え、震える声で続きを話す。
「で、母上との約束なんだが、堕天使だとバレても問題はないだろうか」
「別にー。そもそもガヴちゃんなら勘づいちゃうと思ってたし、別にいいよ。りっくん深刻な顔してたから何かと思ってたけど、そんなことだったんだ」
母上はテーブルの上のせんべいをかじりながら、興味なさげにつぶやく。俺にとってはそんなことでは済まされない。
「いいのか?今まで誰にもバラしたことなかったのに、よりによって天使なんかに知られて」
「だからいいって。りっくん堕天使って言っても半分だし。そもそも天使にバレたのまずかったら、りっくんはもうここにはいないでしょう?」
「う……まあ確かにそうだが」
俺は珍しい母上の正論に反論できない。本当にまずかったら俺は今頃、塵と化しているだろう。
「で、バレたってことは、ガヴちゃんとちょっとは進展あったの?ほらほら~、お母さんに言ってみなさい~」
「うぜえ……」
ウリウリと肘で俺の腹をつつく母上に殺意が湧くが、あれもこれも目的のため。母上に話すために、今日の屋上を思い出す。
「で、春辺。お前は一体、なんだ?」
「なにって言われてもだな……」
屋上。あの後結局教室には戻らず、俺は天真に正座をさせられ、詰問された。翼はもうしまっているが、背中はまだ妙にこそばゆい。
「まあ、見ての通りだ。堕天使もどきってところだ」
「もどきって……つまり、なんだ」
「なんだと言われてもな」
その問いは、俺だって知りたい問いだ。何せ父親の顔も、名前も、種族すらわからないのだから。
「俺にわかる範囲で言えば、母親は堕天使だ。父親は知らん。人間かもしれんし悪魔かもしれんし天使かもしれんし神かもしれん。母親曰く、いるにはいるらしい」
「なるほど。だからお前から変な気配がしたわけだ」
「変、とは」
「なんか私と似たような、聖なる側に属してるのに汚れてるような、性根が腐りきってるような、そんな感じだ」
「ただの悪口じゃねえかおい」
「冗談だよ、冗談」
天真はみじんも笑わず、正座した俺をまじまじと見る。その視線に居心地が悪くなるが、彼女の口ぶりにはたと思い当たる。
「ということは、お前は以前から俺を警戒していたわけか」
「まあ、人間だらけの学校にお前みたいなのが混ざってれば、いやでもね。最も私以外の三人は気づいてなかったみたいだけど」
「三人……?まあいい。じゃあ昼休み毎日屋上にいたのも」
「そ。突然とんでもないことされても後で面倒だから、ネトゲのついでに見てただけ」
当然のように言ってのける天真に、思わず頬がひきつる。こいつに近づこうとしていたこの一カ月、逆に俺は観察されていたわけだ。思えばあの何でもない会話も、俺という存在を判断する指標になっていたのかもしれない。
「で、天使学校主席の天子様として、消滅でもさせるか?報告でもするか?仲間呼んで袋叩きというのもあるか」
「別に、何もしないよ」
「は?」
天真は興味なさげに俺から視線を外し、パソコンに向き直る。
「だから、何もしないって。あんた別に悪巧みしてるわけでも、なりたくて堕天使になったわけでもないんでしょ?」
「だが、一応半分は堕天使だぞ。ほら、このように」
「チッ、うっとうしい。翼をしまえ翼を。その黒いの見てるとむかむかするんだよ。もぐぞ」
ハエを払うように手を振りネトゲに熱中する天真は、いつも通り駄天使そのものだ。
しかし、こいつは心の底では天使であろうとしている。それをこの一カ月で、俺は知っている。俺のような存在、面倒ならさっさと滅せば良いのに、わざわざ観察していることからもわかる。こいつは自分で言うほど、「天使」が抜けてはいない。
「なぜだ」
疑問は自然と口を突いて出た。天真はパソコンから振り返ることもない。
「ヴィーネに言わせれば、私は駄天使だからな。悪事をしてない堕天使もどきを取り締まるほど、暇じゃない。それに」
グルン。天真は機械のように顔をこちらに向ける。四つん這いのまま這い寄るように俺に近づく。その距離は息がかかるほどに近い。だからなんで風呂入ってないのにいい匂いがするんだこいつは。
濡れた瞳を揺らし、ガヴリールは俺を見つめる。
思わず、息が詰まった。
「お前がいなくなると、私の弁当がないからな」
「……は?」
呆ける俺に、天真はケタケタと笑う。
「お前の弁当で取れる栄養はバカにならない。ヴィーネに弁当まで頼むのも流石に悪いからな。……あ、童貞だから勘違いしたか?」
「……ああ、見逃してくれてありがとうバカ天使様。お世話になりついでに、小学生より凹凸が少ないその体のどこに勘違いする要素があるか、今すぐに教えてもらっていいですかね」
「あ?ケンカ売ってんのかこの堕天使の成り損ない」
「こっちの台詞とはこのことだなこの落ちぶれ天使が」
屋上に、火花が散った。
「果てろ堕天使」
「死ね駄天使」
「なんでそうなるの……」
天真と俺の顛末を聞いた母上は、珍しく頭を抱えた。まて、俺にだって言い分はある。
「あいつとは合わない。多分生理的に受け付けない。母上、今からでも条件を考え直してくれないか」
「だーーーーめ。ガヴちゃんもりっくんも、私のお気に入りなんだから」
俺の懇願を母上は0,1秒で却下する。机を思いきり殴りそうになる気持ちを何とかこらえる。感情的になるな。この母のわがままは今に始まったことではない。
「お気に入りだとなんで駄目なのか、教えてもらっていいか」
「えーそんなの決まってるよぉ」
母上は幼女の体躯で俺の膝の上で飛び跳ね、腰に手を当てる。
「駄天使と堕天使!こんなにぴったりな二人はいない!あとガヴちゃん可愛いから、私の義娘にしたいし」
「おい?今思いっきり自分の欲望が口に出てた気がするんだが?」
ピューピューピュー。母上は口笛を吹きながら素知らぬ顔をする。全くこの母は……。
思わずため息が出る俺に、母は笑う。
「ま、別に私はいいんだよ。りっくんがいつまでも、その中途半端な存在なままでも」
「……それじゃ困るからこうして努力はしている」
「そだよねー、りっくんは早くなりたいんだもんね」
その笑みは、悪魔の微笑みと言って差し支えなかった。
「普通の、人間に」
俺と母上の約束、というか、母上が高校に入った俺に持ち掛けた賭け。
『天真=ガヴリール=ホワイトを虜にし、恋に堕とせ。ならば春辺陸亜を真っ当な人間にする』
今までそんな交渉を持ち掛けたこともない母上の、最初の交渉。恐らく最初で最後となるだろう。
「さ、というわけで、この調子で明日も頑張りましょー!りっくん♡」
その幼女は俺に手を振り、天井の光る穴へと飛び込む。リビングには俺と、彼女の食べかけのせんべいだけが残る。
萎びたせんべいを握りつぶし、俺は宣言する。
「あのくそババア、いつか殺す」
俺が人間となる日は、まだ遠い。