駄天使の堕とし方   作:いくも

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勤勉な悪魔の闖入

 

 俺がまだ紅顔の美少年だった幼稚園時代。俺には婚約者が3人いた。

 幼稚園の時はまだ俺の力はそこまで重いものではなく、「〇〇君と結婚する!」程度のものだった。

 

 生意気盛りの小学校時代。俺には彼女が6人いた。

 その頃はまだ男女関係など理解していなかった。女子からの「好き」という気持ちをすべて受け入れていたら、見かねた教師から指導された。

 

 思春期に突入した中学校時代。数えきれないほどのラブレターを受け取るようになった。

 自分がなかなかにモテるのだということを自覚し、俺は浮かれていた。ファッションに興味を持ち、勉学に励み、スポーツに興じた。

 そして俺が最も有頂天だった中学二年生。この世がすべて俺の思い通りになるとすら思っていた。

 

 厄年の始まりとも知らずに。

 

 その年から、俺の受難は顕在化した。

 

 電車に乗れば女に痴漢された。吐き気がした。

 学校に行けば、勝手に付き合うことになった女子たちのケンカに巻き込まれた。なぜか俺が教師に再三注意され、男子には目の敵にされた。

 そして、とある下校途中。見知らぬ女に包丁で刺された。

 

 それからも女難は続き、心身共に限界が来るのはすぐだった。

 

 母親曰く、俺の女難は半端に持っている堕天使の力のせいらしい。母ベリアルの「悪徳、淫ら、不埒」という要素が、半端に俺に受け継がれているとのことだ。

母は息をするようにそれを使いこなすが、完全な堕天使ではない俺には、使いこなすどころか制御することもできなかった。

 

 高校では精々目立たないように眼鏡をかけ、地味な髪型にした。部活には入らず、勉強も最低限しかしない。親しい人間は作らない。そのように三年やり過ごすつもりだった。

 

 しかし言い渡された、母との賭け。俺はすぐにその提案に乗った。母ベリアルは気まぐれな、本物の堕天使だ。本性はただの悪魔だ。口では俺のことを可愛い可愛いとは言っていても、それは所詮ペットや玩具に対するそれと変わらない。

 

『天真=ガヴリール=ホワイトを恋に堕とせ』

 

 母の動機も目的もどうでもいい。利用されていようと関係ない。それでただの人間になれるのであれば、しがみつくしかない。所詮天使でも悪魔でも、堕天使ですらない俺には、天界にも魔界にも居場所はない。俺はここで、人間界で生きていくしかない。

 

 たとえ、誰かを騙すことになろうとも。

 

 

 

 

 

「今日も相変わらず死んだ魚のような目だな、春辺」

「鏡を見てからものを言え、天真」

 

 天真に正体がバレた翌日。彼女は何食わぬ顔で屋上に現れた。今も給水タンクの上に横たわり、パソコンを弄っている。何かしらのアクションを予想していた俺は、あまりにもいつも通りの彼女の姿に拍子抜けした。

 

「時に、春辺よ」

「なんだ」

「人はなぜ勉強をしなければならないのだと思う?」

「まんま中学生のような質問だな、中二病患者の自称天使君」

「おい、堕天使。消滅させられたくなかったら、今すぐ私の質問に退屈しない答えを返せ」

 

 太陽の照る屋上に冷たい声が響き、弁当を食す俺の足もとに天使の弓が深く突き刺さる。深さにして20センチくらいは刺さっている。刺さってたらまあ死んでるな、これ。

 いろんな意味で彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。俺はホールドアップし、ため息を吐く。

 

「わかった、わかったからその物騒なもんを今すぐ下ろせ。

勉強する理由、だったか?そんなもんは簡単だ。人間じゃなくたってわかる」

「ほう。して、それは?」

「勉強ってのは、証であり、免許であり、証明だよ」

 

 天真はいまいち納得いかないのか、顎を突き出して先を促す。まいった、面白い話でもないんだが。

 

「人間ってのは多かれ少なかれ誰かに認められ、社会の中で生きてかなきゃならない。そのためには誰にでもわかる物差しが、『努力の尺度』になるもんが必要になる。それには勉強が最適ってだけの話だ」

「?入った大学がそいつの人間性を証明してくれるってか?」

「ま、早い話がそうだ。学生証を眺めて『この大学に入るくらい自分は努力した』って実感が、人間には必要なんだよ」

「でも私はいい大学に行きたいわけじゃない」

「だが高校に、学業のための場にいるからには、お前はここで認められなくちゃならない。それを放棄するなら、もうお前はここにいる意味はない。嫌なら、あっちにさっさと帰ればいい」

 

 俺は人差し指を指し、照りつける太陽へと向ける。天真は苦々し気に反論する。

 

「だが、勉強をせずに認められている人間も、この世には大勢いる」

「それも真理だ。だが往々にしてそういう道は、勉強をすること以上の努力や苦悩を求められる。甲子園に出られる人間は高校球児の0.25%。プロになれる人間は大学生含めて0.03%。それだけで生涯飯を食える人間は、さらにその中のほんの一握りだ」

 

 弁当片手に五限の英語に備えて単語帳を眺め、俺は適当に言葉を吐く。

 

「だから賢い大人たちは口をそろえて言うんだろうな。『若いうちに勉強しろ』と」

「ふーん。納得はしてやるが、面白い話じゃないね」

「さいで」

 

 だからつまらんと言ったろうが。勉強は大抵つまらんものだ。俺からすれば、面白いはずの趣味を仕事にする方が、よほどつまらない人生になると思うが。

 

 天真は給水タンクから降り、俺の背中にもたれて弁当をのぞき込む。

 

「あー、しょーもない話聞いた。つまらん話ついでにその唐揚げ寄越せ」

「ふざけんな、だれがやるか。というかこれ、ニンニクマシマシ労働者階級向けの味付けだぞ。うら若き女子高生が口にしていい食べ物じゃない」

「いーでしょ。私も二日くらい風呂も入ってないし、労働者階級みたいなもんだよ」

「いつの時代の労働者階級の話をしてるんだお前は」

 

 臭いから。そう返そうとし、言葉を飲み込む。俺は極力虚言は吐かない。臭くないから余計腹立つんだよなこいつ。なんでいい匂いするんだよ。ふざけんな天使。

天真は俺の体を揺すり弁当を強奪する機会をうかがっているが、そうはいかない。そう毎回栄養源を取られてたまるものか。

 

 いつもの押し問答が続く昼下がり。突然屋上に甲高い声が響き、屋上の扉が開かれた。

 

 そこには、ぷりぷりと怒りを露わにした黒髪の女生徒が立っていた。

 

 彼女は天真を見つけ、詰め寄る。

 

「ガヴ!あんた昼休みのたびにちょくちょくコソコソとどこ行ってるかと思ったら、こんなとこでネトゲして!五限の予習したの?宿題もあるんだから早く教室に――って、え?」

 

 矢継ぎ早にまくし立てる黒髪の彼女はようやく俺の姿に気づき、声を落とす。

 

「えーっと、同じクラスの、春辺君、だよね?」

「いかにも」

「こんなとこで、なにを?」

「見ての通り、昼食をとりつつ英単語のおさらいの最中だ」

「そっか。ごめんね、お邪魔しちゃって」

 

 彼女は本当に申し訳がなさそうに目を伏せ、手を合わせる。なんと、どうやら黒髪の彼女は同級生らしい。申し訳ないが、まったく覚えていない。この一カ月、俺の関心の内にあったのは、この昼休みの天真との時間のみだ。教室では女子と関わらぬよう、男子に目をつけられぬよう、一言も発していない。

 

 彼女の言葉から察するに、天真が急に『なぜ勉強を~』などという話をし始めたのも、このせいだろう。予習と宿題をやっていないだけだろう。ただの現実逃避じゃねえかこの中学生駄天使が。

 

 まだ俺に話しかけようとする彼女を遮り、天真が口を開く。

 

「ヴィーネ、どしたのこんなとこまで」

「どしたの、じゃないわよ!あんたこそちゃんと、次の英語の宿題と小テストの予習したんでしょうね!?」

「してない。というか私は生涯勉強をしない。主にこいつのせいで」

「この駄天使がっ!!!!!って春辺君、このバカにどんな入れ知恵したの!?」

「俺に話を振られても困る。というか天真、さっき言っただろう。勉強はしたほうがいい。この名も知らぬ少女もそう言ってくれている」

「そうそう、名も知られてない私も――って、私の名前知らないの!?一カ月も同じクラスにいるのに!?」

「ヴィーネ、こいつの薄情さと人見知りっぷりは普通じゃない。多分クラスの人間誰もこいつと話したことないぞ。気にするな」

 

 本気で肩を落とすヴィーネなる少女に、天真は肩をポンポンと叩く。失敬な。俺もそこまで薄情ではない。厭世を気取り、クラスメイトと距離を置く痛い奴だと思われても面倒だ。俺は弁解する。

 

「そんなことは無いぞ。俺は天真とはこうして話しているし、昼休みを毎回共にもしている。クラスで話すのはこの天真だけだが、故に誰とも話していないわけではない。単純に今は天真以外の人間に興味がないだけだ。勘違いのないように」

 

 母との約束も、いつまで有効かわからない。何せ気まぐれな堕天使が相手だ、今はそれ以外に、『天真を堕とすこと』以外の些事にかまけている暇はない。

俺はふんぞり返って彼女たちを見るが、ヴィーネなる少女は目を瞠り口に手を当て、なぜか天真は押し黙っている。ヴィーネなる少女の目が数度瞬き、天真の沈黙がしばし続く。

 

 そして、ヴィーネは絶叫する。

 

「え、えーーーーーーーーーー!?ガ、ガヴったら、いつの間にか、か、彼氏とかつくっちゃってんの!?」

「バ、バカ!バカヴィーネ!そんなわけないだろ!つーか春辺!お前もなんでそんな誤解されるような言い方するんだよ!」

「誤解って、何がだ。俺には興味のないものに時間を使うような趣味はない。それはお前も知っているだろう。単純にお前を気にしているからこそこうして――」

「あああああああああああ、だからそういうとこだってば!もういい、お前もう喋んな!余計ややこしくなる!」

 

 ぜえ、ぜえ、ぜえ。天真は大声を上げたからか、顔を真っ赤にして俺の口を塞ぐ。いつになく余裕のない天真に、俺も何も言うことができない。ヴィーネだけがなぜか薄い笑いを浮かべ、俺と天真を見比べている。

 

 そういえば。俺ははたと思い当たる。俺はクラス内で存在を消し何も見ないようにしていることから、俺以外の存在と接する時の天真を知らない。彼女の余裕のないこの態度も、ひとえにヴィーネなる少女がいるせいなのかもしれない。

 

「じゃ、若い二人の邪魔してもあれだし、私はそろそろ――」

「だ、か、ら!そんなんじゃないから!わかったわかった宿題と予習でしょ!?やってやるよやってやりますから早く教室に行きましょうヴィーネ様!」

「あら、別にガヴがここで彼と過ごしたいというなら、櫃休みくらいは邪魔しないけど――」

「そんなんじゃないって言ってんでしょ!!いい加減にしないと天誅くらわすよ!?――じゃ、じゃあな春辺!また昼休みに」

 

 天真はヴィーネの口を塞ぎ、足早に屋上を立ち去った。あんな余裕のない天真は初めてみた。少しは他社との干渉も考慮し、彼女と付き合っていくべきかもしれない。しかし。俺は彼女たちが去った屋上で、思う。

 

 ヴィーネ。そう呼ばれる少女は天真を見つけた瞬間、その頭に悪魔だけが持つ『角』が宿った。

 

 それを思い出し、俺はため息を抑えることができない。

 

 どうやら、この学校にいるのは天使と堕天使だけではないらしい。

 


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