頭上には、今にも雨が降り出しそうな曇り空。それと高層ビルの天辺がそこかしこに。
たかだか数駅移動しただけで、上京したての芋学生というわけでもあるまいに。初めて足を踏み入れる街へとやって来た私は、軽めの迷子になってしまっていた。しかしこちらは十代、現代っ子、現役女子高生。スマホの機能を最大限活かして、現状の打開を試みる。
「あ、ごめんなさい」
地図アプリとの睨めっこに熱中しすぎてロクに前を見ていなかった。そのせいで不覚にも、冴えないにも程がある陰気なおじさんに肩をぶつけてしまった。結構がっつりぶつかってしまったので、因縁でもつけられたらどうしようかと一瞬身構えたけれど、どうやらそれは杞憂だったみたい。
すると今度は若干怒りが湧いてくる。こっちはちゃんと謝ったのに、おじさんは何も言わずに、私のことなんか認識もしてないって風で通り過ぎていった。そりゃもちろん前方不注意で歩いていた私が悪いけど、それでもなんだか腹立たしい。あれだ、感じ悪いってやつだ。向こうだって私を避けはしなかったくせに。
……ところで、それはそれとしておかしなことが起こっている。私は駅から出て買い物をしただけで、今はこうして真剣に帰り道を検索しているというのに、歩いても歩いても一向にその駅へ戻れないのである。これは何か、GPSとかそういうあれが、おかしくなったりしてるんじゃないの?
もはや直接通行人に道を聞くしかないのだろうか。人となりの知れない他人に話しかけることは気が進まないけれど、このままでは日が暮れそうなので仕方がない。それに女子高生(美人)から道を聞かれて嫌がる人なんてそうそういるはずが…………いやどうだろう、いるかもしれない。自分のことに必死な人って多いから、まさに今の私みたいに。
「……うん?」
私は今、ちゃんと前を向いて歩いている。二度も肩をぶつけるわけにはいかないと思ったのと、誰に道を聞くべきか品定めしていたから。……でも、何か変だ。
なにか、そう、みんなこっちを見てる。無数に歩いている赤の他人たちが、ほとんど全員こっちを見ている。どう考えても私を見ている。
さらに不気味なことに、それらの人たちはみんな血の気が引いたような顔をして、幽霊でも見るような目で私を見てきている。それにすれ違う時、過剰に私を避けるような動きをする。明らかに異常だ、というか失礼だ。
これはどういうこと……? 事態を把握するため、私の脳みそはかつてないほど高速で働いた。そしていくつかの可能性に気付いた。注目されるような理由で、思い浮かんだのは三つだ。
一、知らぬ間に服がめっちゃ汚れてる。二、何らかの事故でスカートがめくれっぱなしになっている。三、恐ろしい見た目の虫が私にくっついている。
……どれにもいまいち納得できなかった。ひどく汚れた服の女を見て血の気が引く人は極々少数派だろうし、スカートの説もそれは同じ。虫が付いてるというのも、なんというか、直感で違う気がする。たとえそれがどんなに気色の悪い見た目をしていたって、すれ違う他人のほぼ全員がこっちに不気味な視線を送りつけてくることなんかある……?
しかし何にせよ理由はあるはずだ。そしてその理由はたぶん、下を向くとわかる。通行人たちがドン引きしながら見ている物が、私の目にも映るはずだ。……そう考えると私も洒落にならないレベルで怖くなってくるし、もう下向けないんだけど。知らぬが仏って言葉もあるくらいだし……。
けれどそう考え始めてから少し、お腹のあたりが重いような気がしてきた。知らぬが仏の仏は、だんだん私から遠ざかってしまっているように思えてならない。ものすごく嫌な予感する。虫じゃありませんように虫じゃありませんように虫じゃありませんように……。
「あ、あなた……」
突然、私の母と同じくらいの年齢と思われる女性が、私のお腹あたりを指さしながら話しかけてきた。ああ……やっぱりそのあたりに何かあるんだ……。と、軽い絶望感に見舞われる。
それにしたっておばさんのリアクションは何か大げさすぎる気がするけど、でも嫌だな、指さすくらいなら助けてほしいと思う。
私は真実を知るのが恐ろしくて、面接かってくらいにおばさんの顔だけを見つめて言う。
「えっと、何か付いてますか……?」
おばさんの声は震えていた。
「それ、刺さってるの、それ……!」
「刺さってる?」
どうやら虫じゃないっぽい。なんだ、そうと分かれば何も怖くない。
だったら、この異様な視線の答えを確かめよう。そう思って私は下を向いた。何の覚悟もせずに、落とした小銭を拾う時みたいに、空っぽの頭でそれを見た。
……どこか別の場所でも、それを見たことのある気がした。握りやすそうな形をした、黒色のグリップのような物。……家だ、家で見た。私はそれによく似た物を、自分の家の……台所で見たことがある。
ありふれた「物体」だった。私は、そんなことをしている場合じゃないのに、なぜかしばらく「これは何て呼ぶ物だっけ?」と考えて立ち尽くしてしまった。脳みそが理解を拒否したのかもしれない。
「……柄だ」
柄。下を向いて見えたのは、刃物の柄。料理包丁よりは小さいけれど、例えば人を殺すには十分そうなサイズの刃物が、私のお腹に刺さっていた。
気付いた時には服が目も当てられないほど赤黒く汚れていて、そこだけぐずぐずと湿っていた。その一部分だけが、雨の日にずぶ濡れになった時みたいだ、と思った。
凶器を突き刺せば人間の体から血がそんな風にあふれ出るなんて、私は今までどこか信じていなかったのかもしれない。
「あ、あっ、や」
上手く言葉が出なかった。なんとなく、柄が掴みやすそうだったから、私はそれを握った。
「いっ……!?」
は? と何かを疑うほど痛かった。たぶん疑ったのは神様だ。か弱い人間の神経が、こんなに鋭く痛みを伝えるように出来ていていいのかと、正気を疑った。それで反射的に手を放したおかげで、ああそうだそういえばこういう時は、刺さっている物を抜いちゃダメって漫画で読んだんだったと思い出す。
「え……」
突然、景色がぐるぐる回りだした。いつか雨を降らしそうだった空の灰色が、逆上がりしている時みたいに何度もぐるんぐるんって回る……。
そのうち、人の足ばかりが見えるようになった。悲鳴みたいな物も聞こえるけど、なんでだろう、つんざくようで不愉快な高音がこっちへ向かって飛んできているはずなのに、でもどんどん遠ざかっているみたいだった。遠ざかっていく音のことを「あれはどんどん大きさの増している音だ」と、理性だけで理解しているような感覚に陥る。
自分が地面に倒れたのだということを理解するまで、何秒かかったのかわからない。理解が追い付いてきても、まだ頭がぐらぐらする。視界がずっと手ぶれするみたいに揺れている。慌ただしく人が動いているのだということが、気持ち悪い妖怪みたいにぐちゃぐちゃがちゃがちゃ動く足の群れでかろうじて分かるけれど、あれは何のために動いているんだろう。
もしかして無数の足は、私から逃げているのだろうか。それじゃ困る。してもらわなければならないことがあるから。無数の他人には、どうしてもやってもらわなきゃいけない。私はまだ、死にたくない。
こんなに人数がいるんだ。一人くらい出来るはず。本当なら全員わかってなきゃいけないくらいだ。こんな時どうするのか……なんて考えるまでもないでしょ。救急車。誰でもいい、一人でいい、早く呼んで。すごく寒い。悪寒ってやつがする。
「は……は……」
声が上手く出せない、それどころか今さら気付いたけど、呼吸も上手く出来てない。すごく寒い。ずっと音が聞こえる、がやがや言ってるばっかで何がなんだかわからない。無数の人の声が、クソの役にも立たない騒音だとしか思えない。
音はどんどん遠ざかっていく。視界に映る世界の色が薄くなった気がした。私以外の世界全部が、どこか遠くへ離れていくみたいな……。音も、熱も、全部取り上げられていくみたいで、その時ようやく私は、心の底から恐怖を感じた。
もしかして、本当に死ぬの……? 嘘でしょと言いたいけれど、離れていく物が全部そのまま、私の死の実感だった。
いやだ、死にたくない。だって私はまだ、何もしていない。出来てないことばっかりだ。思い残すことばっかりだ。例えばほら、お酒も飲んだことないし、働くと言ってもバイト程度で、あとそれと、今は夜遅く出かけることも出来ないし、来週友達と遊ぶ約束もあって…………あとは…………あとはなんだ…………未練といえば…………彼氏? 結婚? …………いや、違うか、それは。別に処女を捨てたいわけじゃないけど。
ともかく、とにかく、私にはまだやり残したことが山ほどある。何をやり残したのかさえはっきりとは分からないけど、それでも何かを大量にやり残している、死にたくない理由なんてその感覚だけで十分だ。明確な未練がなきゃ生きちゃいけないなんて決まりはないはずだ。死ぬなんて冗談じゃない。絶対にありえない。私は、私が死にたくなった時に死にたい。それは今でもないし、明日でもない、まだずっと先だ。
……けれど、死にたくないという気持ちは強まっていくのに、それは何かを成す様子がなかった。誰かが私の方に駆けつけてきて何か言っているけれど、もう何を言っているのか全然聞き取れない。視界もいよいよ揺れるどころか歪み始めて、何がなんだかよくわからないくらいボヤけてきたかと思ったら、だんだん暗くなっていく。そういえばまぶたを開いてるのか閉じてるのか、息をしているんだかいないんだか、全然わかんない。もう全部だ、全部がわからない。体の感覚全部。どっちが上で、どっちが下なのかも……。
わかんないけど、でもとにかく寒い、寒いことだけはわかる。きっと冷蔵庫に閉じ込められたらこんな感じだろうと思う。冷蔵庫って物は内側から開けられないようになっているから、絶対に入っちゃいけないって子どもの頃言われたな……。
ずっと、誰かが私に話しかけている。何を言っているのか聞き取れないのに、すごく小さな音に思えるのに矛盾してるけど、その人の声をすごくうるさく、うっとうしく感じる。いや、違う、みんなうるさいんだ。人の声がうるさすぎて、他の音が何も聞こえない。
こんなに長く、ずっと待っているのに、救急車のサイレンが聞こえない。みんながうるさいせいだ。みんながうるさいから、いつまで待っても聞こえやしないんだ。私が暗くて寒い苦しみの中で頑張って耐えているのに、いつまで待っても、サイレンの音が聞こえないのは、他人の声がうるさいから…………。
…………ふと気が付いた時には、何の音も聞こえないようになっていた。
全部が無くなっている。人も、街も、空も、全部。私は咄嗟に確かめる……するとお腹に刃物なんか刺さっていなかった。それに服は一滴の血にも汚れてなんかいなかった。
けれど変わっていな物もあった。暗闇だ。死にかけた私の視界がそのまま続いているかのように、上を向いても下を向いても、振り返ろうと何だろうと全方位完全に真っ暗闇。暗いというよりも、むしろ「黒い」とでも言った方がいいのかもってくらい、自分のこと以外は何一つと見えやしない。
病院のベッドの上で目が覚めるのかと思っていた。両親がこの世の終わりを乗り切ったみたいな顔をして、寝たきりだった私の隣に座っているものかと思っていた。でも違った。ここは、いったいどこなんだろう……?
「ああ、お目覚めかな?」
「うわあぁ!?」
突然のボイスに心臓を跳ね上がらせながら振り返ると、尋常じゃないほど近い距離におじさん(おじいさん?)の顔があって、さらに心臓が飛び上がった。比喩じゃなくて、マジで死ぬかと思った。
「そんなに驚かなくても」
「いや
思わず語気が荒くなってしまう。が、思えばこのおっさんは状況的に、倒れた私を治療してくれた医者なのではとも思い当たった。
異様に暗い部屋に患者を置いておく措置に、何かそうしなければならない理由があるのか……と考えると、もしかして私には何か後遺症が残ったんじゃないかとか、目をそらしたくなる内容ばかりが脳内をめぐっていく。
「あ、いや、すいません。ちょっとびっくりしちゃって……」
「んーいいよいいよ。こっちこそごめんね」
おじさんは二~三歩身を引く。暗闇の中よく目を凝らしてみると、彼の顔にはいかにも威厳のありそうな白い髭がわしゃわしゃと生えていた。
「えっと、それでここはどこなんですか……?」
「どこ? ふむ……」
私の至極真っ当な質問に対して、彼は白い髭を触り触り、わざとらしく考えているような素振りをしているように見えた。きっと答えなんてすぐ言えるに決まってるのに。
「どこでもない、と言うのが正しいかな。君にとって」
「はい……?」
「君は死んだのだよ」
不思議なことに、サァー……っと、自分の体から血の気が引いていった。
「……すみません、ちょっと意味が」
「君は通り魔に刺されて死んだ。享年17歳……悲しいけどね」
「嘘だ」
「嘘じゃない。実際ここはすでに現世じゃないから、出口なんてない。納得できるまで探してみるかい?」
……なぜだかそれは、言われるまでもなく本能が理解しているようだった。ここに出口はきっと無い。死んだのだと言われれば、なんだか「そういえば」という気もしてきてしまう。
けれどそうやって、いくら本能が語りかけてきたって、納得はできなかった。
「っ……!」
私は走った。得体の知れない男に背を向けて、暗闇の中を夢中で走った。いつか出口に、ドアか、窓か、そうでなくても壁に当たる、壁に当たれば壁を伝えばいい。とにかくここが「無」ではないことを確かめようと必死になった。
そして、息が切れて、立っていられなくなるほど走っても、私は自分自身以外の何物にも触れられなかった。地面だけは、地面だけはこの暗闇の中にも確かにあるらしい。けれどもそれさえ目には見えないのだ。私が足で蹴り、背中で寝そべった「それ」が何なのか、目視ではまったく確認することができない。
光も吸い込むような黒の中にポツンと浮かされているみたいなのに、重力は確かにある、地面もある。なのに何も見えない。自分の足元は奈落の底に落ちる穴のように暗く、地面なんかないように見える。なのに私はそこに立っているのだ。寝そべることもできるのだ。
「どう? わかってきた?」
「…………」
返事をしなかったのは、走りこんだあとで酸素を吸い込むことに必死だから……というわけではない。一秒前までは確かにそのような状態だった。けれどまた足音もなく、突如私のもとに現れた白い髭の男が話しかけてきた瞬間、私の中から息苦しさは嘘のようになくなってしまった。それさえ何かの間違いだったかのように。
「さっきの質問にもう少しちゃんと答えよう。ここがどこか、名称でも座標でもない答え方だ。ここは私のプライベートルームとでも言ったところなんだよ。そして私は、神だ」
「神?」
「薄々気付いているだろう? 君たち人間が思い描くのと同じ、全能の神様だよ」
あんなに走ったのに、そういえば私は少しも汗をかいていない。しかし喉が渇いたと思うと、いつの間にかペットボトルを握っていた。暗闇の中でも不思議とよく見えるそのボトルの中身は、スポーツドリンクのように見える。
全能か……と頭の中で呟く。嘘みたいだけど、状況から察せられる全てが、私が生きていてどこかに監禁されていることよりも、ファンタジックな別の可能性の方が、よほど正しそうだと示していた。
「死ぬと神様に会えるんですか」
「普通は会わない。こんなところは経由せず、天国か地獄に行く」
「ならどうして私はここに? 17歳を出口のないプライベートルームに……って、いくら神様でも、それはちょっと、まずくないですか? ……ふふっ」
ヤケになったのか、なんだかちょっと笑えてきた。相手が神でも人間でも、ここが現世でもあの世でも、今この状況ってつまり誘拐と監禁だ。成人もせずに死んだ哀れな女のことを、その死について眉一つ動かさず「悲しい」なんて言う男が、いったいどうしようっていうんだろう。
閉じ込められたら、死んだことと同じだ。欲しい物は何も手に入らない。手に入れるための努力すらできない。私が死んでようと生きてようと、ここがどこだったとしても、何がどうなっていても全て同じことだ。私の現状は、自分の辞書に載っている「死」に当てはまってしまっている。
こんなことになるなら意識を失ったまま二度と目覚ない方がマシだった……という意味では、今こそ私は死にたがっているのかもしれない。さっきまで生きたがっていたのに、おかしな話だけれども。
「うーん、なるほどね。そうだ、うん、まずい。もし私が独断で君をここに連れ込んでいるとすると、それは物凄くまずい。罰せられる」
「罰せられる? 神様が?」
「ああ、神だって法を犯せば罰せられる。神の世界にも法はあるのだよ。だから当然、神は一人じゃない。君をここへ連れてきたのは、みんなで決めたことだ。合法的なことだ」
「合法ね……」
本人の知らないところで勝手に何かを決められて、こんなところに閉じ込められて、それで合法だなんて、神の世界もそれなりにクソらしかった。
怯える子犬のような声が出れば可愛らしかったのかもしれないけれど、私はむしろふてぶてしく、どんどん自分の肝が据わってくることを感じる。
「つまり私に何しようって言うんですか」
「魔法少女になってもらいたい」
神は即座にそう言った。
「……は?」
肝が据わったと思い込んでいた小娘は、面食らって思考停止してしまう。
「魔法少女になってもらいたい」
「……は?」
呆然とする私の何を確認したのか、神様はこのまま話を進めても平気だと判断したらしい。もじゃもじゃ白髭男はそのままストーリーテラー気取りで、長引きそうな雰囲気を纏いつつ話し始める。
「君は知らないだろうけど、君のいた世界……つまり現世には、人間の欲望から生まれる化け物がいる。我々神はその化け物の処理に手を焼いているのだ。なぜ全能の神が手こずるのか、それはその化け物が、本来生まれるはずの物ではなかったからだ。イレギュラーな存在には神とて時に手を焼くこともある。しかし我々はそれを根絶やしにして、排除しなければならない!」
「いや、いや、待ってください。何の話ですか。何の話なんですかそれ」
「君に一つだけ問う。欲望から生まれる化け物……デザイアを狩り滅ぼす使命と引き換えに、もう一度君に命を与えよう。……そう言われたら、君はその使命を受けるかい?」
「いや、ちょっと待ってくださいよ!」
両手を胸の高さで押し出して「ストップ!ストップ!」と全力の意思表示をする。
「なんですかその、デザイア……って化け物の名前? それやっつければ生き返らせてくれるって、そういう認識でいいんですか?」
「うむ」
神は満足そうに頷く。言いながら冗談かと思う認識で合っていた。私の理解力がすごい。
一周回ってそろそろ冷静さを取り戻してきた私は、上げたままになっていた手をゆっくり下ろす。そしてじっくりと、質問をすることで話を進めていく。
「化け物なんですよね、そのデザイアってやつは」
「そうだ」
「それを退治するかわりに、生き返らせてもらえるんですか?」
「そう」
「……私が、化け物退治を?」
「うむ」
ここから出て、もう一度元いた世界に帰れるのなら、そんなに嬉しいことはない。蘇れるものなら蘇りたいに決まっている。わけのわからない化け物退治のことは一旦聞き流すとしても、私は「生き返る」ということに物凄く惹かれた。
死ぬとか生き返るとか、私にとってそんな事柄は、早くもファンタジーではなくなっていたのだ。理解力もすごいし、順応力もすごい。これは褒められるべきだろう、死ぬには惜しい人材だろう、そうだろう。
といった具合で私は自己肯定感高めの人間を自負しているけれど、だからってまさか自分を全能だと思っているわけではない。だから神に言うことは一つだ。
「ただの女子高生が化け物なんか倒せるわけなくないですか?」
瞬殺で返り討ちにされる未来しか見えない。化け物どころか、野犬や凶暴なカラスにさえ勝てない。
「もちろんそれは、こちらから「力」を支給する。神の与える力だ、心配はいらない。その力をもって化け物を退治してくれればいい」
「……なぜそれを神様ではなく私が? 力があるなら神様がやればいいのでは」
「我々はデザイアの元を断つことに忙しいのだ。わかっているとは思うが、人間の欲は無限だ。しかし欲望があってこその人間でもあるのだから、欲望自体を断つわけにはいかない。だから我々は「欲望が化け物を生む」という法則そのものを書き換える。……わかるかな、世界のルールを変えるのに忙しいのだ、我々は。その間君に、現物の数を少しでも減らしてほしいというわけだ」
「は、はぁ」
まるでゲームみたいな話だ……と、ロクにゲームをやったこともない私が思うくらい、全然現実味のない話だった。
でも要するに、その化け物が生まれること自体、神様にとって不本意なことらしいのはわかった。だから神様はその不本意を、言ってしまえば世界のバグを直すというわけだ。ゲーム感覚の話に聞こえるのは、たぶんそれが神のスケールというやつなのだろう。
「簡単に言うと「手伝い」だよ。我々が働く間、君にも出来る範囲で手伝ってもらいたいという話だ。引き受けてくれるなら、二度目の命という対価を支払う」
「それって……化け物退治って、すごく大変なことなんですか? 痛かったり、怖かったり、休む暇もなかったり……」
そもそも化け物ってなんだよ、という疑問もある。神の言った通りなら、私の生きていた世界には化け物がいて、しかしなぜかそのことを私を含み誰一人として知らないのだという。そこからすでにおかしいけれど、順を追って聞いていくことにしよう。
「痛みからはあらかじめ解放しよう。暇については、君たちが言ういわゆる「ブラック」よりはマシ……とまでしか言えないな。多少忙しいことは否めない。何しろ神の手伝い、神でさえ手に追いきれない部分を少しとはいえ背負ってもらうのだ。十代の少女には酷な話かもしれないが、夏休みはあげられない」
「うーん……」
悪い話ではないように聞こえる。そう聞こえてしまうことが、どうにも胡散臭い。一度死んでから生き返るって、そんなちょっとキツめなバイトみたいなノリで出来ることだっけ……?
全能らしく私のそんな気持ちを察したのか、あるいは思考まで覗かれていたりするのか。神はさらに魅力的なことを言い出す。
「それに何だ、やってみて嫌となれば別に、その時点でやめてもらっても構わない。どうかな、試しに一度やってみるだけでも」
「試しに……か」
その言葉は、天使がくれる贈り物なのか、それとも悪魔がちらつかせる契約書なのか。神様は私にとって善悪どちら側の存在なのだろう。何も分かりゃしないのに、正しく判断しろという方が無理な話だ。誰だってそう、胸を張って「こっちが正しい」と断言することなんか出来ない。
だから誰だって、私と同じ状況に置かれたら、私と同じようになるはずだ。
「本当の本当に、後悔するくらいつらいことはないんですね?」
「少なくとも痛苦の類はない」
「あとから「やっぱり無し」って言うこともできるんですよね?」
「うむ」
「……本当に、生き返らせてくれるんですよね?」
「もちろん。約束する」
「……わかりました」
そうして私は、魔法少女とやらになることを了承したのだった。
姿見に映りこむ、生まれ変わった自分の姿を見る。ピンク色の髪が我ながら、期待していた通り可愛く仕上がっていた。
「染めてみたかったんです。ピンク」
大きな鏡を前にしていることもあり、その場でくるっと一回転してみせたりする。そうやって満足感を全身で表現するも、隣に立つ神様は興味なさそうに無表情をつらぬいていた。それどころか時折、退屈そうに髭を触っている。失礼な人だ、こちとらJKだぞ。
生き返るにあたって、私はデザイアという化け物を借る力の他に、望んだ容姿も提供してもらえることになった。とはいえ自分の見た目は前々からそこそこ好きなので大胆なチェンジはせず、いつかやりたいと思うばかりで実行しないままでいた、髪色のチェンジだけをお願いしたというわけだ。
「気に入ったなら何より」
「それで、支給してくれるって「力」は、具体的にどういう物なんですか?」
鏡を見ているから余計になのか、力というのが「筋肉がムキムキになる」とかだったら、ちょっと今からでも断るかどうか真剣に悩むことになる。女子として、命と見た目どっちが大事なのかは、答えを出すのに永遠の時を必要としそうな大問題だ。
「具体的な形は君に決めてもらう。君の望むような力を与えよう。化け物退治に役立ちそうな内容を好きに考えてくれればいい」
「いや、そんなこと言われても思いつきませんけど……」
日ごろから巨悪を打ち倒す妄想に明け暮れる小学生男子じゃあるまいし、化け物退治に役立ちそうな力とか言われても何も浮かばない。これっぽっちもピンと来ない。
「ならば例を出してみよう。腕力ではなく「意思」で動き、何物であろうと一太刀で切り裂く剣。目標をどこまでも追尾する、エネルギー無限の光線銃。嵐を操る魔法の杖に……ええとそれから……どんな物があったかな……」
男の子の妄想を聞かされているかのような話ばかりされても、少年の心が私の中にはないのか、やはりいまいちピンと来ない。けれどもそこは私、理解力が高いので、考えるべき方向性だけは把握した。
「要するに武器を考えろってことですね」
「そういう解釈も間違っていない。もちろん何も持たず、サイコキネシスなどを使うことも選べるが」
「いや、武器にしましょう」
武器の例をいくつも出されたあとにあえて手ぶらで使える力を選んで、それを武器以上に有効活用できる自信があるのかと言われれば、そんなもの当然これっぽっちもない。だからとりあえず武器を作ろう。形から入るってやつだ。
「わかった。それでどんな?」
「どんな……うーん……」
自分が手にする武器について、具体的に想像してみる。性能については最悪神様におすすめを聞けばいいけれど、大事なのは見た目だ。自分が身に着けるのだから、見た目だけは妥協できない。
しばらく悩み、あれでもないこれでもないと頭の中に浮かぶイメージを吹き飛ばして、ようやく正解と思しき答えにたどり着いた。
「じゃあ鎌にします」
髪を染める話をして以降興味なさげだった神様が、初めて私の顔をまともに見た。
「鎌?」
「こーんな大きい、私の背と同じくらいの大きさの鎌にしてください。死神の鎌みたいなやつ。あ、でも刃の部分は出来るだけ細身でお願いします」
「構わないが、なぜそのチョイスなのか、一応聞いておいても?」
「武器の中で一番かわいいからです」
剣はザ・男の子の武器って感じがするし、そうでなくてもシンプルすぎる。槍はなんか、直感的な「切る」という動作ではなく「突く」をわざわざ選択するあたりインテリ感というか、意識高い感じがしてピンと来ない。ハンマーとか斧とかもデザインの時点で筋力ありきで野蛮な感じがするし、かといって杖はいかにも非力な女子、あるいは魔法少女向け(そもそも魔法少女ってなんだよという疑問はさておき)って感じで芸がない……と考えるうちに至った答えが、大きな鎌だった。
考えてもみてほしい。武器を持っていること自体おかしいって話は一回忘れることにして、デートの待ち合わせ場所にいる女の子が持っていて一番かわいい武器は何かってことを。剣か? 槍か? ハンマーか? 斧か? それとも杖? いやいやいや、鎌でしょう。すらっとしていて曲線がおしゃれで、ちょっと得体の知れない感じが素敵だ。
「かわいい……? 鎌が?」
「かわいくないですか? 大きいやつですよ。すらっとしていて長いやつ」
「武器にかわいさを求めるなら、個人的には遠距離系を推すが」
遠距離、そう言われてはっとした。真っ先に思い浮かべたのは弓道部の女子だった。なるほど確かに見た目は満点かもしれない。考えもしなかった。神様が最初に剣とか言うから。
けれどよく考えてみると、遠距離系なんか最初から選択肢になかった。というのも、私はボールを狙った箇所に投げるのがものすごく下手だし、射的も当てられた試しがない。ならきっと弓も苦手だろう。
神様の力で「必中の能力」を持った遠距離武器を用意してもらうにしても、本来自分がこれっぽっちも扱えない代物を、わざわざこの特別なタイミングで選びたいとは思わなかった。
「いいです、鎌にしてください」
「ふむ。それなら、その鎌に付ける「力」の内容はどうする?」
それについては武器の形が鎌に決定した時点で、一つ絶対条件を決めていた。
「力っていうか、やってほしいことなんですけど。物理的には絶対何も切れないようにしてください」
「ほう」
「ほら、鎌って刃ですし、むき出しの。ちょっと触ったら怪我するとか嫌だし。それにあと、こう、化け物をブシャーってやって、血みどろとかそういうの無理です」
グロいのが特別苦手というわけではないけど、猟師から「やり方を教えてやるから肉の解体を手伝ってくれ」と言われたら、それはなんとしても断りたい程度の感覚はある。どうせ神様に何でもありの力をもらうのだ、嫌なことは避けよう。
「なるほど。ではこういうのはどうだろう? 形はあるが、質量がない鎌。触れる物すべてをすり抜ける、実体のない鎌」
「ああ、いいですね。そういう感じでお願いします」
神様はもしかして、いわゆる中二病ってやつなのでは?
すらすらとそれっぽいことを決めてくれる神様にそんなことを思ったけれど、賢い私はそれを口にしなかった。私はコミュ力もあるのだ。
「しかしその鎌で戦うのだから、それ相応に適した力も必要になる。すり抜ける鎌なら例えば……通り抜けた物から「何かを断つ」という能力はどうだろう? 化け物の「存在を断つ」ことが出来れば一撃必殺の武器になる上、その他様々な、自分に都合の悪い物を断つことができるが」
「それでお願いします」
私の目的は生き返ることであって、かっこよく化け物を退治することじゃない。むしろ化け物退治は、出来ることならやりたくない部類だ。だからたぶんこの先この話題で、私は「それでお願いします」しか言わないのだろうなと予感した。出来るだけ楽をすることと可愛さを求めること以外、まったく興味が持てない。
「了解した。ではそれに加えて「触れずとも動かせること」「自由に出し入れが出来ること」「大きさを自由に変えられること」を能力とする。それと一応質量を得ること、「実体化」も任意で可能ということにしておこう。それでいいかい?」
「はい」
「よし。では君にこれを授ける」
神様が右腕を横に伸ばすと、その手中に柄が収まるよう丁度よく、大きな鎌がパッと現れた。あまりにも一瞬の出来事だったけれど、きっとこれが神様の言う「作る」なのだと理解する。
鎌を手渡されて持ってみると、新聞紙よりも軽かった。
「柄だけは常に実体化するようにしたが、刃の部分は全てをすり抜ける」
言いつつ、神は刃の部分に手を通す。鎌の刃は注文通り、映像みたいにその手をすり抜けた。「何かを断つ」能力っていうのも、この調子ならしっかり備わっているのだろう。
さらに言われるがままチュートリアルを進めると、確かに触れるまでもなく意思だけで鎌を動かすことが出来た。大きさも思うまま変わるし、消えろと思えば消えて、出てこいと思えば現れる。言われていた通り何もかも思い通りだった。一応刃の部分も実体化を試してみると、確かに冷たい金属の類に触れることが出来るようになった。使うことはない機能だろうけど。
しかし、そうやって武器を扱う練習をするうちに私は、何でも思い通りになるであろう神の力の、その一部を授けられてわくわくするというよりむしろ、じわりとした恐怖が湧いてきた。なんというか、デスノートを拾ってしまったような感覚だろうか。
「……どう? 扱えそう?」
「ああ、はい」
「なら次の話に移ろう」
「はい」
魔法少女になるにあたって、他にすること。望んだ容姿と二度目の命を与えられ、使う武器を決めた次は、
「衣装についてだけれど、もちろん必ず特別な物を用意しなければならないわけじゃない。が、せっかく魔法少女をやるのなら個人的には……」
あーだこーだと話す神様。「衣装」という響きに魅力を感じないわけじゃないのに、そのノリにまったくついていけないのはなぜだろう。どうも私は神の話が好きじゃないらしい。
希望を出せば出しただけ叶えてもらえるというのに、我ながらわがままなことだった。
魔女のような黒いローブを身にまとい、身の丈ほどある大鎌を背負った私は、扉の前に立っている。ローブはフード付きだ。
「それではいよいよ、君には魔法少女として旅立ってもらうことになる。その扉を開けばそこは現世、晴れて死者蘇生だ」
「はぁ、なんか実感ないですね」
「すぐに慣れるさ、きっと。……そういえば魔法少女は活動名として本名とは別の名前を設定出来るのだが」
「いや、あとあと考えますそういうのは。やってみないと続けるかもわかりませんし」
「うむ」
自分の名前どころか、その気になれば武器や着ている服など、あらゆる物にオリジナルの名前を付けられるらしいけど、それにはあまり興味がない。何かしら呼ぶための響きが必要だとは思うけれど、何より大事なのは見た目だ。
いざ蘇り……と扉を開く前に、神様からスマホを渡された。それはスマホを模した神々との通信機であり、現世にいながら神の世界との交信を取るための道具らしい。同じ道具同士で連絡先を交換することも出来るらしく、つまり魔法少女とやらはすでに、私以外にも複数人存在しているらしいけど、そういうことも考えるのはあとにする。まだ何も始まっていないのだから。
「じゃあ、行きますね」
「健闘を祈る」
ドアノブに手をかけて、出来れば戦いたくなんてないんだけど……と思いつつも扉を開く。途端、眩いばかりの光があふれだし、私はそれに包み込まれた。真っ暗闇の空間から一転して、眩しすぎて白い空間に投げ出されたようになる。
思わず目をつむったまま、神に抗議の言葉を投げつけようとした。ちょっとこれどういうことなの、って。しかしその前に肌で風を感じる。自転車で下り坂を全速力で走る時のような、風を切る感覚がひどく懐かしく感じる。
ハッとして目を開けると、世界は青かった。青い空だ、白い雲も浮かんでいる。蘇生日和とでも言うべきか、扉の外は清々しい晴天だった。
けれどすぐに気が付く。空が……近すぎる。それに自分が感じていたのは、風を切る心地良さではなかった。これはジェットコースターで落ちる感覚だ。重力というより、Gと表現したくなる感覚。生き返って早々、命の危機を感じるようなこれは……。
私は、空高くに投げ出され、落下している最中だった。我ながら死んだ時同様、生き返った時も状況を把握するのが遅すぎる。何が高い理解力だ!
「くっ、ちょ、これ、死っ……」
抗議しようにも神はもうここにいない。けど二度も死ぬなんて御免だ。
せっかく特殊な力を持った鎌を背負っているのだから、これでなんとか出来ないかと考える。そうだ、例えばこれが意思の力だけで動くなら、空中に浮いてとどまることだって出来るはずだ。魔法少女とはよく言ったもので、つまり私は魔女のイメージ通り、箒ではなく鎌で空を飛べばいい!
と背中の鎌に手をかけた時点で、ポケットの中のスマホが震えていることに気が付いた。耳を澄ませてみると、ビュウビュウ鳴る風切り音に紛れて、着信音のような物も鳴っている。
「もしもし!?」
「騙し討ちのような形になって済まない。けれどこれもチュートリアルなんだ」
「はぁ!?」
「魔法少女は空を飛べる。「飛べる」と信じてみたまえ」
「……はぁ!?」
それが本当だとして、いきなり空中に投げ出すなんて許せない……。腹の中に怒りを溜めつつ、飛べ……飛べ……! と念じてみる。すると体がふわっと浮かび上がり、ぷかぷか浮かんだまま停止した。あまりにもあっさり飛べた。試しに念じてみると、鳥が飛ぶように自在に空中を動けた。
「あ、飛べた」
「うむ。魔法少女の移動は基本的に飛行で行う。飛行状態でいる間、何者にも認識されないようにこちらで設定しているからね」
「なんで先に言わないんですかそういうことを」
「……二度目の人生のスタートは、劇的であるべきだと思わない?」
「良い意味でなら、思うかもですけどね!」
紐無しバンジーを良い意味とは言えない。二度目の人生であるばっかりに、人間は死ぬということをとてもよく理解しているからなおさらに。
「それじゃあ悪いけど、さっそく仕事の話だ。まぁ研修期間のようなものだ、気軽にやってくれたまえ。まずはそのまま下降して着地してほしい」
「はいはい。やってみます」
私、やっていけるのかな。せっかく生き返ったのに、初めに浮かんできた気持ちはそういった物だった。