So Long, Lonesome ~追憶の言葉~   作:けんごち

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第十話

 イーストエンドロンドンホワイトチャペル地区。毛細血管のように広がった複雑な路地を迷わぬ足取りでレインは進んでいく。チャックもところ構わず異臭を放っている道ばたを口を押さえて横目で見ながら、その後についていく。

「スラム街には慣れないかい?」

 半ば冗談めかしてレインがチャックに話しかけた。

「慣れないというか……ええ、そうですね。その通りです」

 一瞬取り繕おうとしたチャックだったが、すぐに諦めた。とてもじゃないが、そんな余裕はない。

「ここはシティオブロンドンの塵溜めみたいな場所さ。あっちが開発されるにつけ、どんどんと要らないものがここに流れてくる。もの然り、人然り、な」

 チャックは周囲を見回す。何の規則性もなく無造作に詰め込まれた家具や服やそれ以外の生活に必要だったと思わしきもの。かろうじて人が通れるほどの隙間しかない細い道。そして――視界には誰もいないはずなのに、常に誰かに見られているという肌を刺すような感覚。

「道ばたに死体が転がっていても誰も気に留めやしねえ。招かれざるものが紛れ込むのなら、ここ以上に相応しい場所はねえな」

 言いながらもレインは真っ直ぐに進んでいく。正直、チャックにはもう来た道をそのまま戻れる自信がない。

「テューダー検閲官達と合流する手筈はできているかい?」

「ええ。それはもちろん」

 

――迷いの森の奥深く、そこに妖精の国があります。ある日、一人の男の子が森に迷い込み、偶然にも妖精の国にたどり着いてしまいました。妖精は人と交わることを望みません。彼らは男の子にこう言いました。「私達はあなたに危害を加えるつもりはない。けれども、ここにはいてほしくない。道を教えるから、帰りなさい」と。男の子は頷きました。妖精達は続けて言います。「赤い羽の妖精を見つけたら、その方へ行きなさい。そうすればあなたは元の世界に帰られる。しかし、もしも違う色の妖精の元へと行ったら、一生この迷いの森を彷徨うことになる」と。

 

「チャック童話、迷いの森の道しるべ」

 チャックが魔法を詠むと、魔術書から赤い羽の妖精が飛び出し、曲がり角の周囲をふわふわと漂う。

「これが道しるべとなります。テューダーさん達なら、間違いなくこれを追って私と合流してくれることでしょう」

 いささか勇み足になってしまっていることは自覚していたが、巧遅は拙速に如かず。事態が進展する前に収拾しなくてはならない。

「……どういうことだ」

 レインがぴたりと足を止め呟いた。言葉の端に焦りの色が見える。

「どうしました、レイン警部補」

 ことさら平静を装いチャックが尋ねた。レインが取り乱すことなどめったにない。何か大きな問題が起きていることはチャックにも簡単に察せられた。

「ここは行き止まりじゃないはずだ」

 レインが呟いた。そのアイスブルーの瞳に焦りの色が見える。

 チャック達の目の前で、大きな石の壁が道を塞いでいる。

「……この辺りはスラム街です。道も綺麗に整備されているわけではない。どこかレイン警部補のあずかり知らぬところで道が変わっていて、それでこうなったという可能性は?」

「……ロウ検閲官。確かにお前さんの言うことは正しい。だが――こんな石の壁を誰でも作れるものなのか」

「となれば」

 チャックが後ろを振り返った瞬間だった。そこでは、先ほどチャックが召喚した赤い羽の妖精がでたらめな軌道で激しく飛び回っていた。当然だが、チャックはそんな指示はしていない。明らかに何かがおかしい。

「レイン警部補、しゃがんで!」

 チャックが叫ぶと同時にレインが身をかがめる。するとその上を駆け抜けるようにして、赤い羽の妖精が飛び抜けていく。

「おかしい……私の魔法なのに、私のコントロールが効かない!」

 チャックが必死に魔術書に力を込めるが、そんなことはおかまいなしに赤い羽の妖精は無軌道に飛び回り続けている。

「ロウ検閲官……あの妖精、口に牙が生えていないか?」

 レインが指さした先。チャックは己が召喚した妖精を観察する。確かに、その口からは鋭い牙が二本、その姿を見せている。

「馬鹿な……確かに牙を持つ妖精も召喚できるが、私はあんなものは」

 ここでレインとチャックは同じ答えに到達した。

「テムズ川の魚!」

「魚を怪物に変えた魔導士か!」

 レインとチャックは自分たちが攻撃を受けていることを理解した。そして、目の前にある二人を閉じ込めるべく存在している巨大な石の壁もまた――

「金塊を生み出した魔導士、アイザック・ベイリか!」

 刹那二人は悟った。これは罠だと。追い詰めていたつもりが逆に追い詰められていた。

「しまった……ということは、この迷路のようなスラム街に私が残してきた目印は」

 チャックが奥歯を噛むと同時に上から声が響く。

「Yesその通りだよ! みんな、俺の魔法でMonsterに変えちゃったよ!」

「いやー、いいねえ。予想通りに事が運ぶのって、おじさん大好き。こう賭けに勝ったみたいで気持ちいいじゃない」

 路地を挟む二つの建物。その上からレインとチャックを見下ろす二人の人影。

「アイザック・ベイリ、そしてデイブ・バレット!」

 上を見上げてチャックがその名を叫んだ。

「なるほどな……Dの部下が掴んできたネタ自体が罠だったってことかい」

 唇の端を引き延ばしてレインが笑っているような表情を作る。

「いやー。おじさんたち無駄に働くのは好きじゃないんだけど、誰にも邪魔をさせるな、っていう指示を受けているからねえ」

「そう。I regret to say that君たちはここで死んでもらうよ!」

 状況は最悪だ。目の前は岩で塞がれ、あるのは細い一本道の退路のみ。身を隠せる場所もなく、迂闊に逃げの一手を打てば間違いなく背後から攻撃されることだろう。

 ならば打つべき手はただ一つ。

 チャックは魔術書を開く。アイザックとデイブの二人がフィリップと同格だとしたら、チャック一人で相手にするには荷が重い。しかし、それでも、検閲官としてのプライドを賭けて、なんとかこの状況を打破する突破口くらいは作り出してみせる。

――声が出ない、だと?

 しかし、チャックの口から吐き出す息が言葉にならない。あのときと同じだ、とチャックは理解する。あのとき――そう、ピカデリー通りでリチャードと出会ったときと。やはりあのときチャックに魔法を掛けて動きを封じたのは、アイザックかデイブかのどちらかだったのだ。

「やっぱり、追いかけてきちまったんだな」

 心底残念そうに憐憫すら感じさせる声。アイザックの隣に一人の青年が姿を現した。

「お前さんが……リチャード・スチュアート、か」

 アイザックの隣に立つ青年の顔を見てレインが呟いた。事前にチャック達から聞いていたとおり、両目の瞳の色が違うオッド・アイ。こんな特徴を持つ人物はそう多くない。

「そして、その横にいるお前さん……一体、何者だ?」

 レインはリチャードの隣に立つもう一人を指さす。身長はさほど大きくなく、まだまだ少年といった風貌だ。流れるように柔らかい金色の髪、人なつっこさを感じさせる瞳。天使がこの世に顕現したとしたならば、きっとこのような姿をしていただろう。

 ――ただなぜだろうか。この少年の美しさは、まるで背筋を冷たい氷でなぞられるような、そんな感覚を覚えさせる。

「こんにちは。ボク、アル。リチャードの友達。そして、ジョナサンの友達」

 優美ささえも感じさせる蠱惑的な微笑みを持ってして告げた少年の言葉に、レインとチャックは胃の腑の底から震え上がるような恐怖を感じた。

 

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