So Long, Lonesome ~追憶の言葉~   作:けんごち

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第十二話

 イーストエンドロンドンスラム街の路地裏。ひび割れた路の上を長い髪をたなびかせテューダーは駆ける。

 道行く浮浪者達は胡乱な視線を場に不釣り合いに華やかなテューダーに投げかけるが、そこには何の感情の変化も起こらない。ただぼんやりと駆けていくテューダーの背中を見送るだけ。

 世界に冠たる大英帝国――その首都といってもこの有様だ。華やかなのは一部だけで、後は深い影に覆われている。未だに貴族としての生活を謳歌するテューダー家の人間達は、この現状を知りもしないだろう。ただ一人、魔導協会検閲官として日々社会の暗部と向き合っているこの男を除いては。

 とはいえ、このスラム街は迂闊に引っかき回したくない場所だ。下手にかき回せば何が飛び出すかわからない。ゆえに、魔導書の不正をただす検閲官とはいえ、テューダー達はこの当たりの地理には暗かった。なぜか勝手知りたる自分の庭のように闊歩するレインの方がよっぽど異端なのである。

「まるで迷路だねえ……。一見さんにゃあどこに何があるかわかりゃしないよ。下手すりゃここから外へ出るだけでもずいぶんと骨が折れそうだ」

 駆けながら呆れ半分にテューダーは呟く。デイブを追ってはいるものの、その背中すらまだ見ていない。

 テューダーは懐から懐中時計を取り出す。そして、自分がデイブを追って駆け出してからどれくらいの時間がかかっているかを見る。

「ここいらが頃合いか……」

 テューダーは立ち止まり辺りを見回す。そしてめぼしい何かを見つけたのか、納得した様子で頷くと、近くにあった建物の壁に手を掛ける。服が埃で汚れるのにも構わず、テューダーは器用に建物の壁を登り、その屋根の上へと上がる。

「じゃあボーヤ。任せたよ」

 そうテューダーが呟いた刹那、巨大なマドレーヌが突如として街中に現れた。それはまるで風船のようにふわふわと漂い、ある場所でピタリと止まる。

「お見事」

 テューダーは唇の端を伸ばして笑ってみせると、懐から魔導書を取り出す。

 

――その騎士はほぼ岩肌の荒れた地ですら見事に馬で駆け抜けてみせた。御された馬は、まるでそこが広い大地であるかのように跳ね、岩と岩との間を飛び越えていく。進軍を遮るための策は全く意味をなさず、むしろここに誘い込んだ相手方の方が乱れた足場に動きを抑制される始末。真に一流相手には、この程度の奇策を弄したところで、ただ裏目に出るだけなのだ。

 

 魔法で召喚した馬に乗り、テューダーは鞭の代わりに魔導書で目指す場所を指し示す。馬はいななくと共に全身の筋肉を使って跳び、建物の屋根をまるで飛び石のように軽やかに移動していく。

「やぁ。思ったよほど遠くには逃げていなかったんだねえ」

 太陽を背にし、テューダーは地面を見下ろす。彼と馬の作る影の下には、デイブの姿があった。

 

  *

 

「What‘s!」

 雲も出ていないのに自分の姿が日陰に包まれて、デイブは思わず叫んだ。視線を上に上げれば、黒々とした毛並みとつややかに光る筋肉に包まれた馬が降ってくる。

 なぜこんな街中を馬が走っているのか、と考えたのは一瞬の間だった。上から響いてきた声、そして馬を御する人物の姿を見た瞬間にデイブは状況を理解した。

「なんと! 馬で建物の屋根の上を駆けてきたっていうのかい! Unbelievableだね!」

 脳天気な様子で唇を尖らせるデイブ。このまま拍手すらしそうだ。

「アンタは魔法でモノを変質させるんだったけね」

 しかし、テューダーはデイブの反応を意に介さず、髪を掻き上げる。その仕草と共に馬の姿が空気に紛れて消える。

「Yesその通りだよ! そのHorseをMonsterに変えようと思っていたのに、残念!」

 対して残念そうでもなくデイブは愉快そうに笑う。

「You達は俺が魔法使いからVoiceを奪う魔法を使うと思っているわけだから、Aloneじゃないよね?」

 デイブはキョロキョロと周辺を見回す仕草をしてみせる。

「あのTricky boyはどこかにHidden。俺の見立てだと、彼は魔法を使ったViolenceには向いてないんじゃないかな? だから、どこかに隠れてYouのSupportをしている、Is‘nt it right?」

「馬鹿正直に答える義理はないよ」

 テューダーは周囲を見回す。もともと在った建物は崩壊していて足場は瓦礫まみれだが、思ったよりも開けている場所だ。ここならば存分に魔法の力を振るうことができる。

「Hey、ミスターテューダー。安心したかい? ここがOpen spaceで?」

 デイブが心の内を見透かしたかのように、テューダーの胸を指さす。

「そうだねえ。アンタにゃアタシのかわいい仲間に怪我させてくれた借りがあることだしねえ。これなら思う存分、アンタを張り倒してやることができそうだよ」

 テューダーは優美に笑うと魔導書を構える。

 

――人影が大地を埋め尽くす。じりじりと影が太陽の動きに合わせて動くように、相手陣営を囲んでいく。その動きに速さはなく、しかし蟻の子一匹すら逃がさない周到さに溢れていた。圧倒的な戦力差に基づいた確実な殲滅のための行軍。それはまるで時計の針のように、終末へ向けて確実に時を刻む。

 

 刹那、デイブを囲むようにそびえ立つもの。黒い壁のように見えたそれは、鋼鉄の甲冑に身を包んだ戦士達だった。その手に携えた長槍を真っ直ぐにデイブへと向ける様は、まるで車輪のようであった。

「さぁてと。どうせアンタ達のことだから、アタシ達の魔法についても調べはついているんだろう? なら、とくとその両目を見開いて目の当たりにしな。これがイギリス魔導協会検閲官、テューダーの魔法だよ!」

 一般に優秀とされる魔導士でさえ魔法で召喚できるのはせいぜい数体が限度だ。しかし、このテューダーという男の力は、一個小隊にも匹敵するだけの戦士を召喚することを許す。

「ひゅう! まさにFantasticだね!」

 兵士達に囲まれているにもかかわらず、デイブはまるで観光地にでも訪れたかのように朗らかに表情を崩す。

「ミスターテューダー。もしかしたらMissunderstandingしているかもしれないけど、俺は逃げていたわけじゃないよ? むしろ待っていたのさ、君が存分に魔法の力をふるえるこの場所でね!」

 デイブはローブを翻し、魔導書を開く。

 

――その兵士達は悪魔の森に入ってしまった。いつ何時でも深い霧に包まれた禁足地。地元の人間はそこには悪魔が棲むと噂し、その森の名前すら口にすることを憚る。しかし、他国から侵略してきた兵士達は、そんな森の噂などつゆ知らず。深い霧の中を進んでいると、一人の兵士は肺に入ってきた霧が体の中で広がるように感じた。少しずつ、意識に白い靄がかかる。彼はただなんともなしに――そう、まるで紐で操られるマリオネットのように無造作に隣を歩く兵士を槍で刺し貫いた。

 

 デイブの魔法が詠み終わった瞬間、デイブを囲んでいた兵士の内の一人が槍の矛先を逸らし、無造作に隣の兵士を刺し貫いた。刺し貫かれた兵士の姿は空気に紛れて消える。

「もしかしたら君も知っているかもしれないけど、俺の魔法はTransformationさ。生き物をMonsterに変えることができる。それはMagicも例外じゃあないよ!」

 デイブは笑いながら同士討ちをする兵士達を見回す。

「つまり、君と俺との相性はBest matchingってことさ! 俺から見て、だけどね!」

 デイブは勝ち誇る。自分を追って来たのがテューダーだったのは幸運だった。召喚を主体とするテューダーの魔法は、デイブにとっては利用するための餌に過ぎない。その力が強大であればあるほど、つまりデイブは有利になるということだ。

「ミスターテューダー、Understand? 俺がこの場所を選んだ理由。君が魔法を使えば使うほど、俺のCounter attackが強力になるのさ! そっくりそのまま全部君にReturnしてね!」

 テューダーの召喚した兵士達は完全に統制のとれない状態になっている。激しい同士討ちで数を減らしながら、最後はその矛先を自分たちを産みだしたテューダーへと向けるのだろう。

「ミスターテューダー、Very very disappointedかい?」

 先ほどから俯いたまま言葉を発しないテューダーをデイブは煽る。やはり召喚を得意とする魔導士と自分は相性がいい。相手が力を使えば使うほど、自分が有利になる。相手の力が強大であればあるほど、デイブの魔法は威力を発揮するのだ。

「Do you give up all hope、もう勝ち目はないってわかってくれたかな?」

 俯いたままテューダーは肩を震わせ始めた。その仕草を見て、デイブは自身の勝利を確信する。

「……アーハッハッハ!」

 突如テューダーは天を仰ぎ、大声で笑い始めた。

「What‘s? I’m not jokingだよ?」

 突如笑い始めたテューダーにさすがのデイブも戸惑う。

「あぁ、いや、ごめんねえ。ちょいとばかしおもしろいことになったなぁって思ってね」

 デイブに右手の平を見せ謝りつつも、テューダーは笑うのを抑え切れていない。

「Are you crazy? 何がそんなにFunnyなのかわからないね」

 デイブは両手を挙げて嘆息する。絶望的な状況に気が狂ったか、それともデイブの油断を誘うためのはったりか。

「あー、おもしろい。いやねえ、自慢じゃないんだけどさあ」

 ようやく呼吸を整えたテューダーが笑みを浮かべたまま両手を広げる。

「アタシってね……実は魔法戦で一度も本気を出したことがないんだよ」

 とんとん、とテューダーは自分の胸を叩く。

「検閲官の仕事はあくまで拘束だ。相手をぶちのめしてやることじゃあない。だから、どうしてもいつも手加減しないといけなくてねえ」

 おかしくて仕方がないという様子でテューダーはまだ肩を振るわせている。

「こいつはいいねえ。例えて言うなら、力業で石をひっくり返すリバーシみたいなもんさ。戦略も知謀もあったもんじゃない。単純にどっちが多くひっくり返せるか――頭の悪い力押しの勝負だねえ」

 テューダーの顔から笑みが消える。

「乗ってやろうじゃないか、この馬鹿な勝負。アンタがアタシの魔法を化け物に変える速度が勝つか――それともアタシが召喚する速度が勝つか」

 テューダーは魔導書を広げ、デイブを一睨みする。

「覚悟しな? アタシ自身も一体自分がどこまでやれるのか、皆目見当もつかないんだからねえ」

 

  *

 

――旅人は道の真ん中で一匹の蛇と出会いました。蛇を怖がった旅人は、大きく遠回りをして蛇を避けようとしますが、蛇は長い体を伸ばして旅人の足元へとやってきました。「旅人さん、旅人さん、そんなに怖がらなくてもいい。私には貴方を飲み込めるほど大き口はないし、この牙には貴方を殺せるほどの毒もない」。旅人は応えます。「それはわかっているが、どうも君がカエルを飲み込んでいるところを見てしまうと、君が怖くて仕方ない」。蛇は至極当然とばかりに頷くと、こう言いました。「なるほど。ならば、私が貴方にとって怖くない存在であると証明してみせればよいわけだ。ならば私が道案内をして差し上げよう。道を這う私は、ここの地理を全て知り尽くしているのだから」

 

「チャック童話、旅人と蛇」

 チャックが魔法を詠むと、一匹の長い蛇が現れる。それは大きく鎌首を上げると、するすると地面を這い始める。

「では私を案内してください、アイザック・ベイリの元へ」

 チャックは真っ直ぐに地面を這っていく蛇の後を追う。検閲官であるチャックにとって、追跡の魔法はお手の物だ。地面を這う蛇の体は地表の色に擬態しているため、相手に見つかる危険性も低い。

「奴はどれほど遠くまで逃げたか……。しかし、この迷路のように複雑な路地だ。奴とてそう遠くまでは移動できまい」

 イーストエンドロンドンのスラム街に都市計画などというものはない。空いている場所に建物が建って、人が通る場所に道ができている。地元の人間でも道に迷うと評判で、こんなところを自由自在に移動できるのはよっぽど裏社会に精通した人物だけだろう。

「あれは、空き地……いや、廃墟か」

 蛇を追って歩くこと数分。チャックは開けた場所へと出てきた。目の前には半壊した石造りの建物がある。

 蛇は迷うことなくするすると廃墟の中へと入っていく。

「やけに近いが、ここにいるということなのか?」

 チャックが懐から魔導書を取り出し、慎重に一歩を歩み出した瞬間だった。

「その通り。おじさんはここで待っていたのよ」

 暢気な調子の声が響く。チャックが視線を廃墟の奥へと向けると、崩れ落ちそうな壁により掛かりながらアイザックが立っている。

「アイザック・ベイリ……検閲官からは逃げられないと観念したのですか?」

 努めて平静にチャックは尋ねた。

「まっさかー」

 アイザックはへらへらと笑いながら手を振る。

「そうですよね……貴方が一筋縄でいく相手であるはずがない」

 チャックはアイザックを威嚇するように睨みつける。しかし、アイザックはそよ風でも吹いたかのように唇の端で軽く笑ってみせるだけだ。

「正直さぁ。おじさん、もう年だから走って逃げ回りたくないのよ。疲れるしねえ」

「なるほど。それはおとなしくお縄につくということですか?」

「いやいや、そんなそんな」

 アイザックはぼりぼりと頭の後ろを掻く。

「本当に単純な理屈よ? ただ単に逃げ回るよりも、ここでアンタを倒しちゃった方が楽だっていうねえ」

 へらへらと笑っているが、アイザックの目に無機質な鋭さが宿る。これはかつてフィリップと相対したチャックが目の当たりにしたものだった。

「ご冗談を。倒した方が楽? この魔導協会検閲官である私を、ですか」

 チャックもまた笑いながら、意識を手元の魔導書に集中する。

「うん、そうそう」

 ボロボロにほつれたローブの中から、アイザックは魔導書を取り出す。

「もしかしたら、おじさんそんなに弱そうに見えてた? 弱ったなあ。まぁ、あんまり威厳はないほうだと思うんだけどねえ。でもまぁ、見た目をもうちょっとちゃんとしたら、強そうに見えますかねえ、と」

 アイザックは魔導書を開く。

 

――万物は、火木水土の四大元素によって構成される。全てを構成するものは等しく、よって全ては同様に変質しうる。錬金の力を用い錬成すれば、麻もまた絹に。光もまた色に。石もまた金に。錬金術の前に、物の姿はとはただ仮初め。万物は流転し、しかし、その本質は一つ。

 

 アイザックが魔法を詠む。刹那、アイザックの体を包んでいたぼろ布のローブが変化していく。真っ白に輝くような折り襟のシャツ。金糸の刺繍をあしらった青いベスト。そして錬金術をあしらった金のモチーフを付けた、深い海を思わせる見事な色に染め上げられたマント。

 チャックの目の前にいるのは、中世貴族のようなたたずまいをした一人の男に変わっていた。

「な……一瞬で、それほどの精度の錬金術を行っただと」

 チャックはおののく。錬金術自体、使用できる魔導士が少ないわけではない。しかし、これほどの精度を短時間でこなしてみせるとは、これまでの常識では全くもってしてあり得ない事であった。

「まぁ、魔導協会の検閲官様のお相手をするっていうなら、ちゃんと正装するのが一応の礼儀でしょ」

 人なつっこく微笑んでみせるアイザックの姿に、チャックは逆に背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 

  *

 

 迷路のような細い道を迷わずにレインは進む。イーストエンドロンドンの地図は頭に入っている。リチャードとアルと呼ばれていた少年――この二人がいた場所から、どのようなルートで逃げているのかを推測する。追跡において重要なのは、闇雲に後を追いかけることではない。相手の逃走ルートを正しく見抜くことだ。

「失礼するぜ」

 相手に声を掛けて、レインは道ばたに寝転んでいるホームレスの背中を飛び越える。これまで培ってきたレインの知識は、あの場所からリチャード達が必ず通るであろう地点をはっきりと示していた。若干迂回することになるが、そこへ先んじることができれば、彼ら二人の身柄を確保できる。

「俺にも魔法が使えたら便利なんだが、贅沢は言っていられないな」

 ため息をつきつつも、レインの足取りに迷いはない。長い手足を使って障害物を越えながら、目的地へと向かって真っ直ぐに駆けていく。

 レインの視界に目的地としていた交差点が入る。

「……奴らの姿はねえな。俺の予想よりも先へ行ったか、それとも」

 そこに人影がないことを確認し、レインは思案する。彼らがレイン並みにこの場所の地理に明るく、迷わずに真っ直ぐ道を進んでいると仮定すれば、ここを通過している可能性も考えられるが――

「奴らはまだここまでたどり着いていない可能性が高い。慎重に進むとするか」

 判断を迫られる行動を起こすとき、レインはわざと自らの思考を口に出す。声に出して確認することで、自分の思考を確認し、誤りを防ぐことができるからだ。

「逃げるか、潜むか。奴らはどうする?」

 先ほどとは打って変わり、レインは慎重に足を進める。逃走する犯人のとる行動は二つ。そのまま逃げ続けるか、それともどこかに身を隠すか。ここイーストエンドロンドンには所有者のわからない廃墟のような建物が多くある。姿を隠す場所には事欠かない。リチャードはあれだけ目立つ容姿を鑑みれば、周辺の人々に聞き込むのも有効な手であるはずなのだが、いかんせんここイーストエンドロンドンの人間は他人に対する関心がない。

「隠れているとすれば、必ずこちらの動きを伺う機会があるはずだ。居場所がわからないのは奴らも同じだからな」

 レインは建物の影に身を隠しながら、慎重に進む。

 リチャードの人物像をはっきりと理解しているわけではないが、さきほど見た限りでは彼はずいぶんと消極的な態度をとっていた。積極的に何か行動を起こしてくる可能性は低いとみる。

 まるでゆっくりと深い海へと潜っているような心持ちで、レインは進んでいく。周囲は不気味なほどに静まりかえっている。五感を研ぎ澄ませ、些細な変化すらも見逃すまいとレインは集中する。

「――な」

 しかし、そのレインの集中は一瞬にして破られた。

 道の先に見えた人影。地面にうずくまるようにして倒れている男と、その男の背中を心配そうにさすっている少年。

 レインは真っ直ぐに走り出す。

「おい、お前さん大丈夫か?」

 レインを騙すための演技などではない。レインの呼びかけに反応し顔を上げたリチャードは、顔中に脂汗をかきながら、右手で胸の辺りを掴むように押さえている。呼吸も荒く、体に力が入らない様子だ。

「……まさか、もう追いつかれるとは、思わなかったぜ」

 リチャードは痛々しく笑ってみせる。

「怪我をしたのか? それともどこか体が悪いのか?」

 心配そうに尋ねるレインに対して、リチャードは首を横に振る。

「……別に怪我もしていないし、病気ってわけでもない。そうだな……たとえて言うなら、一マイル強引に全力疾走させられた後って感じか」

「どういう意味だ? あの場所からここまでは一マイルもない。そのせいぜい四分の一といったところだぜ」

 長距離を全力疾走したせいでうずくまっているというのならわかるが、そんな時間と距離ではない。のんびり歩いていたとしても、これくらいの距離なら数分あれば移動できる。

「リチャード、大丈夫? ちょっと、がんばった?」

 アルが心配そうにリチャードの顔をのぞき込む。

「……大丈夫だ、アル。ちょっとばかり心臓が壊れそうに脈打っているけど、大丈夫だ」

 リチャードがゆっくりと上半身を起こす。そして、憐れむようにレインを見つめる。

「レイン警部補。アンタが俺たちを見つけてくれなきゃよかったのに」

「そうもいかねえさ。こっちはそれが仕事なもんでね」

 レインが応えると、リチャードは苦笑いで返した。

「……多分、死にはしないよな」

「どういう意味――」

 リチャードの不穏な言葉に問いかけようとしたレイン。しかし、その言葉は最後まで続かなかった。

 レインは小さくうめき声を上げながら、膝から地面に崩れ落ちる。何かに押さえつけられたというより、一瞬で全身の力がなくなってしまったという感覚の方が正しい。わけがわからないまま、レインはそのまま地面に倒れ伏す。

「体の力が、入らねえ。何だ、これは」

 声は出せるが、まるで体が自分のものではなくなったかのように一切の力が入らない。倒れ伏したまま、なんとか視線だけをレインはリチャードへと向ける。

「まさか……ロウ検閲官の言葉を封じていたのは、あのデイブ・バレットではなく、お前さんだったというのか」

 レインの問いかけに、リチャードは額いっぱいに脂汗を浮かび上がらせながら頷く。言葉を発するのもきついという様子だ。

「これは、魔法、なのか? しかし、どういうことだ……。お前さんは魔導士ではないはず。しかも、それ以前に魔導書も魔法の詠唱もなかった。魔導士ではない俺でも、それくらいのことはわかる。お前さんは一体――何なんだ?」

 レインはリチャードに問いかけ続けるが、リチャードは青白い顔のまま地面に両膝をついた。

 体の自由を奪われている状況と、リチャードの体調――この二つは無関係ではないことを、レインは察した。

「そうか……。俺たちは勘違いさせられていたのか……。お前さん達の本命は、リチャード・スチュアート、お前さんだったんだな」

 

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