So Long, Lonesome ~追憶の言葉~   作:けんごち

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第十七話

「あのさぁ、リチャード。この花の名前と花言葉はなんて言うんだい?」

「それはギンバイカっすよ。花言葉は愛のささやき、だったかな」

「ありがとう、リチャード」

「……ワイルダーさんも花屋なら、それくらい知っていてくださいよ」

 呆れ半分に俺はため息をついた。最近、上流階級では花言葉とやらがはやっているそうで、俺もその辺りの知識はたたき込まれている。全く興味の無い話で、こんなものが一体何の役に立つのか、と半分ふてくされながら勉強していたが――今、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 ワイルダーさんは全く悪びれずに笑っている。俺をアルバイトで雇いたいっていうのは俺を住み込ませるための方便かと思っていたが、この体たらくを見る限り、本当に花に詳しい人間が必要だったようだ。

 こんな風にして俺が転がり込んでから一週間が過ぎていた。

 大学の寮の方には俺個人の荷物だけ取りに行って、管理人さんに退寮するとだけ伝えておいた。まがいなりにも俺の実家は名家として鳴らしている。なので大方、ロンドン市内に個人で住む家でも見つけたと思われたのだろう。特に不審がられることもなく退寮手続きは終わった。

「いやー、リチャードが花に詳しくて助かるよ」

「詳しいなんてことはないですけど……一応、教養としてたたき込まれていただけで」

「そんな謙遜しないでよ」

 謙遜でも何でも無い。本当に、ただたたき込まれただけの知識だ。

「ワイルダーさんが、スイートピーの花言葉を知っていたから、俺は騙されましたよ。てっきりこの人は花に詳しいと思ったのに」

 俺が恨みがましく言うと、ワイルダーさんは悪戯がばれたみたいに舌を出した。

「私にわかる花と花言葉なんて数えるほどしかないけど、スイートピーはその一つだったのさ」

 騙されたなぁ、と思う。冷静に考えれば、自分で植えて店先に飾っていたくらいだから、好きな花の花言葉くらいは知っていたということなのだろう。

「そんなんでよく花屋のアルバイトなんてしようと思いましたね」

 呆れるしかない。恐るべき知識と経験のなさだった。

「花に関することは全て妻がやってくれていたからねえ。私は、経理だとか、土を運んだり、鉢を運んだり、そんな雑用しかしていなかったよ」

「……そのワイルダーさんの奥さんなんですけど、俺がここへ来てもう一週間になるけどまだ顔も見たことないっすよ」

 ある程度教養として仕込まれているとはいえ、俺だって花屋が務まる程の知識を持っているわけではない。こんな花に疎い野郎二人が接客する花屋の未来など推して測るべしで、早々にオーナー様に復帰していただかないと回らない。

「あー……私の妻なんだけど、ちょっと体調が悪いんだ」

「え」

 悪いことを訊いてしまった、と思った。そんな俺の表情から察したのか、ワイルダーさんは軽く笑いながら手をひらひらと振る。

「いやいや。そんな深刻な話じゃないんだ」

「いや、でも、一週間も店に出てこられないなんて、そうとう深刻なんじゃ」

 俺がそう言うと、ワイルダーさんは髪を掻き上げ、どうしようかなー、と呟いた。

「んー、私も妻も親兄弟のいない天涯孤独の身というやつでね。まだ誰にも言ったことがないし、私が勝手に言っていいかもわからないんだが……まぁ、リチャードならいいか」

「あ、はあ」

 わからない、とか言いつつ、ワイルダーさんの表情は早く言いたくて仕方が無いと主張している。

「妻は体調が悪いと言えば悪いのだが、病気じゃない。つわり、なんだ」

「つわり、っていうと、つまり」

 おめでた。

「そう。そうなんだよ」

 ワイルダーさんは言いながら頭の後ろに手をやり照れる。

「私も妻も、妊娠について相談できる相手がいないからわからないのだけれども、本などで調べた限りでは、妊娠中の女性はつわりというものになってしまうらしい。胃がムカムカして気持ち悪いということでね。ちょっと仕事はできないから、ということになったのさ」

「それは……おめでとう、ござい、ます?」

 祝福すべきなのだが、どうもうまく言えなかった。現実感が、ない。ただふわふわとした不思議な感覚だけがある。

 どうにもこうにも、こういったとき、どういう風に反応するのがスマートなのかがわからない。そんな自分が少し嫌になる。

「ありがとう、リチャード」

 それでもワイルダーさんはうれしそうに笑ってくれた。

「でも、奥さん体調が悪いんだったら、ついてなくていいんですか?」

「それも考えたんだけど、本人が妊娠は病気じゃないって言い張るし、何より店を閉めたくないらしくて。彼女が苦労して得た一国一城なわけだからね」

「なるほど。そういうもんですか」

 俺にはいまいちそういう感覚がわからない。これまで、執着するほど必死になって手に入れたものがないせいだと思う。

「そういうもんだよ。リチャードも自分で何かを手に入れたなら、きっとその気持ちがわかるようになるさ」

「……俺が何かを手に入れられる、そんな日が来ますかね?」

 俺がそう言うと、ワイルダーさんは鉢植えを持ったまま驚いたように目を丸くする。

「何を言っているんだい。まだまだ若いのに。全てはこれから、ね」

「これから、ですか。けど、俺、ずっとこれまで出来損ないの厄介者扱いされてきて、自分が何かになれるなんて、全く思えないっす」

 ワイルダーさんの植えたお世辞にも手慣れているとは言えない鉢植えを見る。どれもこれも真ん中に一本だけ差してあって、お世辞にも技術があるとは言えない。けれど、俺はこの武骨さにどこか安心する。飾り気のない、ただそれだけがあるという姿に。

「馬鹿なことを言うんじゃないさ、リチャード。世界はとても広いんだ。君のことをちゃんと見て評価してくれる人なんて、それこそ掃いて捨てるほどいるさ」

「……ワイルダーさんみたいに、っすか」

「もちろん」

 ワイルダーさんは閑古鳥の鳴いている店内で胸を張る。

「本当、すかね。今まで、そんな人、ワイルダーさん以外会ったことないですよ」

 そうだ。どいつもこいつも、俺を『スチュアート家の出来損ない』として馬鹿にするだけだった。ほとんどいないものとして扱われたことが何度あったことか。ずっと自分なんていないほうがマシな人間だと思ってきた。

「勇気を出して踏み出せばいい。君が笑えば、世界も君に微笑みかける。それだけのことだよ」

 そう言ってから、ワイルダーさんは冗談っぽく「リチャード、この花の名前と花言葉を教えてよ」と言って、カモミールの鉢を指さした。

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