So Long, Lonesome ~追憶の言葉~ 作:けんごち
イギリス魔導協会チャック・ロウ検閲官は多忙を極めていた。
代筆屋、怪物騒動、そして魔導協会の崩壊――片付けるべき事案は山のようにある。チャック、赤星光正、そして代筆屋のサム。三人の手により事態が解決してからも、チャックはほぼ休みもとらずに働き詰めている。
「チャッキー。アンタ、自分の仕事もあるんだから、わざわざこんなところまで顔を出さなくても大丈夫だよ」
瓦礫の山に不釣り合いな美丈夫。長く柔らかい髪を優美に揺らしながらテューダー検閲官は同僚のチャックを気遣う。
「いえ……私も協会の検閲官ですし、それに病み上がりのテューダーさんに任せっきりというのは」
チャックがそう返事をすると、テューダーは、しょうがないねえ、と表情を崩した。
「まったく、アンタは融通がきかないというかくそ真面目というか。ちょっとはボーヤを見習ったらどうだい?」
そう言ってテューダーが指さす先。そこでは大きな瓦礫をベッドのようにして寝転ぶ少年の姿があった。その姿はまるでひなたぼっこをしている猫のようだ。
「……ウィローハウスさん、またサボって」
「やや。チャッククン、それは心外ぞな。ワガハイ、こうしてちゃんと発掘された魔導書の検閲をしているでにゃんすよ」
そう言ってウィローハウス検閲官は、心外だ、とばかりに悪戯っぽく笑ってみせる。どっからどう見ても家の中でくつろいで本を読んでいる姿にしか見えないが、確かにその手にあるのは魔導書である。
「にしても、ローズさんの魔法を使えば瓦礫の処理などお茶の子さいさいなのにでにゃんす」
ウィローハウスは責めるようにテューダーを見る。ローズさんというのは、ウィローハウスがテューダーにつけたあだ名で、テューダー家の薔薇の家紋に由来している。
「馬鹿言うんじゃないよ、ボーヤ。こんなどんな危ない魔導書が埋まっているかわからないところで、おいそれと魔法なんて使えるもんかい。何が起こるかわかったもんじゃないさ」
呆れ半分にテューダーは首を振る。もちろん、そんなことは同じ検閲官であるウィローハウスも理解していることだ。
三人は先日崩壊した魔導協会の跡地にいる。そこの片付けを行っているわけだが、特に厄介なのが『禁域』の存在だ。イギリス魔導協会が過去に蒐集した禁忌ではあるが学術的に非常に価値の高い魔導書、それらを一手に保管していたのが禁域である。しかし、先日の事件で魔導協会は禁域に賊の侵入を許してしまい、あろうことか協会の建物の崩壊という事態にまでなってしまった。地下にあった禁域は全て瓦礫の下に埋もれ、それをなんとか手作業で回収しているのが現状である。ものがものだけに専門の知識と技術を持った人間しか投入できず、瓦礫をひっくり返して禁書と呼ばれる魔導書を回収および確認する作業は困難を極めていた。
「まぁ、こっちは魔導書に足が生えて歩き出すわけじゃあないからね。人払いをして、作業を続けていりゃあいつかは問題なく終わるさ」
テューダーがため息をつく。言外に、こちら『は』問題ないが、とほのめかしながら。
「チャッキー。アンタの方はどうなんだい?」
水を向けられたチャックは首を横に振った。
「まったくなんの手がかりもない、という状況のままです」
「そうかい。とにかく一番厄介なのの行方がわからないってのは収まりが悪いねえ」
「そうですね。この世からなくなってしまっているのであれば、それはそれでよいのですが、確かめる術もなく」
チャックもテューダーに合わせるように嘆息する。
「アカシックレコード……本当にあのときの戦いで失われてしまったのだろうか」
チャックは天を仰ぐ。
ジョナサン・ワイルダーによる魔導協会襲撃およびアカシックレコードの簒奪事件。彼がやろうとした悪事は赤星光正とサムという二人の魔導士の協力により未然に防ぐことができた。しかし、アカシックレコードの行方についてはようとして知れない。
「あの公園に大穴を開けた魔法で燃えてしまったのではないのでにゃんすか?」
ことさら気楽そうな口調でウィローハウスが話に入ってきた。
「……確かにグリーンパークに大穴を開けたサムの魔法、私はそれを間近で見ていましたが、あれは全ての物質を焼き尽くすほどの破壊力がありました。あれを浴びせられたかつてジョナサンだったもの……そのときにアカシックレコードも彼の手元にあったとすれば、跡形もなく燃え尽きたという可能性は大いに考えられます」
あれから、どれだけ探してもアカシックレコードは見つからない。ゆえに、チャック自身、自分になんどそう言い聞かせてきたことか。しかし、それでも、胃の腑の奥底に重く残るものがあり続けた。
「グリーンパークに落ちた空中戦艦の瓦礫の中から、フィリップっていう奴の魔導書は見つかったんだってね」
テューダーが話題を変えた。
フィリップことフィリップ・マイルズはジョナサンと共に魔導協会を襲ったもう一人の魔道士だ。侵入した賊二人を討つべくテューダーとウィローハウスの二人が向かったのだが、フィリップには腹を撃たれ返り討ちのような形になってしまったのは、テューダーにとっては苦い思い出だ。
「ええ。フィリップの魔導書はグリーンパークの徹底的な捜索によりすぐに見つかりました。私自身、奴の魔法を目にした経験があります。そこから判断して、あれは間違いなくフィリップの魔導書と断言できます」
チャックは空中戦艦での戦いを思い出す。あのとき、チャック達三人はフィリップ・マイルズという魔導士と対峙していた。機械を操り自らの肉体すらも改造していた危険極まりない魔導士であったが、なんとかサムの活躍により倒すことができた。
――あのとき、ジョナサンは何をしていた?
彼ら三人がフィリップと対峙していた際、ジョナサンは船室にこもり何事かを行っていた。当時はそんなことを気にする余裕もなかったが――今となってはあのときのジョナサンの行動が不気味で仕方がない。
奴はアカシックレコードを片手に何をしていたのか?
「なんにせよ、アカシックレコードを見つけ回収せねば……あの戦いで焼失していたとしても、それが確信できるほど徹底的に捜索を」
一人呟くチャックの肩をテューダーがなだめるように叩く。
「チャッキー。アンタ一人で根を詰めすぎるんじゃあないよ。アタシ達がいつでもアンタの力になってあげるから……といっても、このいっぱいいっぱいの状況じゃあ説得力ないけどね。アタシも病み上がりだしさ」
苦笑いしながら、テューダーは自分の腹を指す。魔導協会に侵入してきたフィリップと対峙した際に銃撃を受けた跡だ。迅速に病院に運ばれ処置を受けられたおかげで一命はとりとめ、日常生活を問題なく送れるほどには回復したが、まだまだ肉体は本調子とは言えない。
「そうですね……この問題が片付いたら、休暇を取って日本にでも遊びに行きましょうか」
チャックはそう言って冗談っぽく笑ってみせた。
*
グリーンパーク、ロンドン魔導協会から歩いて五分とかからない位置にある公園だ。その南はバッキンガム宮殿と接している。
チャックは一人グリーンパークを歩いている。ジョナサン達との戦いの後、ほとんど日を開けず日課のようにこの地を訪れている。
あの日、この公園に空中戦艦の残骸が降り注ぎ、そしてこの場所でチャックと光正、サムの三人はジョナサンと対峙した。
チャックはまるで巨人が地面をえぐったかのようにできた大穴の縁に立つ。警察に協力してもらい徹底的に付近を封鎖しているため、チャック以外にこの場にいる人物はいない。
心の底がしんと冷える。この大穴を見るたび、改めてサムという魔導士の恐るべき力を実感させられる。
この穴は『掘られた』のではない。蒸発したのだ、この大地が、サムの魔法によって。しかし、アカシックレコードの力を用いて怪物と化したジョナサンにはこの力をもってしても通用しなかった。
そう考えると、つくづく自分がこうして生きていることが不思議な気持ちになる。
「私が最後にアカシックレコードを確認したのは、この場所。ジョナサンの手の内にそれはあった」
チャックは指をさしあのときのことを思い返す。毎日のように、何度も。
「ジョナサンがそのままアカシックレコードを持っていたとするならば、このサムの魔法に巻き込まれた可能性が高い」
蒸発した地面。高く天まで届きそうな火柱。真昼かと思わせるような激しい光。
「ならば燃え尽きているはず。そう跡形もなく」
チャックは自分に言い聞かせるように呟いた。あの炎の中にあって形を保っていらえる物質などこの世に存在しない。たとえ、それが伝説の禁書であるアカシックレコードとて。チャックは大きく息をつくと、身を翻し歩き出す。毎日毎日、この場所に来て、穴を眺めるだけ。自分でも、何をやっているのか、と思うが、しかし、こうして毎日自分に言い聞かせなければ不安で押しつぶされそうだ。
この魔法に巻き込まれたならば、この世に存在しているはずがない。
あの戦いが終わった後、現場に最も早く現れたのはロンドン警察のレイン警部補だ。チャックと光正は、彼の到着とほぼ同時に意識を失うように眠りに落ちてしまったが、掃除屋の異名を持つレインがみすみす現場にあった重要証拠を持ち出されるような失態を犯すとは思えない。実際、レインはチャックと光正を回収した後、部下に指示して付近一帯を封鎖した。ならば、第三者がアカシックレコードを持ち出したという可能性はほぼあり得ないと言える。
つまり、以上を鑑みれば、アカシックレコードはサムの魔法により焼失したと考えるのが最も理に適っているのだ。
――何かを失くしてしまったとき、それを探してもどうしても見つけられないとき、そのときは人差し指と親指を広げ、両手で交差させてみるのです。指で作ったのぞき窓。本当に心からそのなくし物を想うのなら、のぞき窓の中に妖精の姿が見えます。そのとき妖精は、自分の姿を見たことを忘れる代わりに失せ物を一つ見つけてやろう、と交渉してきます。そうすれば、例えどんなものであってもこの世に存在する限り、この妖精が見つけ出してくれるのです。
「チャック童話、のぞき窓の妖精」
チャックは魔術書を開いて魔法を詠む。そして、両手の人差し指と親指でのぞき窓を作る。その中に小さな帽子を被った握りこぶしほどの大きさの妖精の姿が映る。
「貴方の姿を見たことを忘れる代わりに探し物を一つ。アカシックレコードという魔導書を見つけてもらえませんか?」
妖精はこくんと頷いた。チャックは両手を離してのぞき窓を解く。後は待つだけだ。もしも失せ物が存在しているのなら、この妖精がチャックの元へと運んできてくれる。
「とはいっても、この魔法ももはや三回目。芳しい成果は何一つとして得られなかった。やはり、アカシックレコードは失われたとみるべきなのだろうか」
チャックは独りごちる。魔法を使いはしたものの、おそらく何も見つからないだろう。もはやただ自分を安心させるために行っている儀式に過ぎない。
「……魔導協会に戻らなくては。こんなところで無駄に時間を浪費している場合ではないのだから」
自分に言い聞かせるように呟いて、チャックは地面の大穴に背を向けた。
*
チャックはグリーンパークから魔導協会へ戻るのに遠回りする道を選ぶ。どこかにアカシックレコードの痕跡でも残っていないか、と思うと、とてもじゃないがまっすぐ帰る気分にはならないのだ。
魔導協会跡地を通り過ぎ、イギリス最古の書店であるハッチャーズの前を通り過ぎる。思い返せば、この書店の前であのジョナサン・ワイルダーが新聞記者達に囲み取材を受けていたか。あのときは、ジョナサンが一連の事件の犯人だとは夢にも思っていなかった。
「だんだんと、人が増えてきていますね」
つい一週間ほど前は、日が沈むと同時に人っ子一人いなくなっていたこのピカデリー通りにも、ちらほらと人影が見えるようになっている。とはいえ、往年の喧噪にはまだまだ程遠いが。しかし、あと何も起こらないまま一ヶ月も過ぎれば、全て忘れたかのように元の姿を取り戻すのだろう。
チャックは、自分たちが取り戻した日常を想い、深く安堵する。魔導協会の検閲官として、やらなければならない仕事は山積みだが、後片付けだと思えばずいぶん気が楽だ。あとはゆっくりとこのロンドンの傷が回復していくだけ。
気を落ち着けたチャックは、ここで身を翻し魔導協会へと足を向ける。アカシックレコードを探すことだけが彼の仕事ではないのだ。テューダーとウィローハウスの二人がいくら優秀とはいえ、人手が足りないのは事実。いい加減気持ちを切り替えて、二人の手伝いに集中せねば、と思い直す。
そうしてチャックが顔を上げたとき、通りの向こう、魔導協会の方角にいる一人の青年が視界に入った。なぜかはわからないが、チャックの視線はその青年に釘付けになる。
年齢と身長はチャックと同じくらいだろうか? 右の瞳が緑、左の瞳が青――オッド・アイが印象的だ。何かを思い詰めているかのように、表情は暗い。そして、その視線は真っ直ぐにチャックに向いている。
何が用があるのか、とチャックが距離を詰めようとした瞬間、チャックの周りの音が消えた。往来に人が歩いているのに、足音が聞こえない。風の音も消えている。逆にうるさいばかりの不思議な静寂。
魔法だ、とチャックは直感した。そして、目の前にいるこの男が関係していることも。
目の前の男は、苦しそうに顔を歪ませて、チャックへと歩み寄ってくる。
目的はわからないが、この男は魔導士か? チャックは懐の魔導書に手を伸ばす。
男はチャックの顔を数秒見つめた後、苦いものを吐き出すように口を開く。
「アンタが……ジョナサン・ワイルダーを殺したのか?」
「え?」
男の質問にチャックは言葉を失った。
ジョナサンが一連の事件の真犯人であったことを知っている人間は限られている。事件が社会に与える衝撃を考慮した魔導協会と警察により、公式な記録は全て闇に葬り去られ、世間的には怪物騒動は未解決事件としてただ風化することを待つだけなのだ。今回の事件に関わっていた、チャックを初めとする魔導協会の検閲官、そしてロンドン警察のレイン警部補を初めとする本当に限られた上層部の人間しか事件の真相は知らない。
しかし、目の前の男ははっきりとこう尋ねたのだ。ジョナサン・ワイルダーを殺したのか、と。
「……私は」
どう返事をしていいかわからない。チャックは続く言葉を失う。
困惑するチャックの表情を見て、男は深くため息をつき悲しげに頭を振ると、踵を返した。そのまま男の背中が遠ざかっていく。
「ま、待て!」
正体も目的もわからないが、この男は事件の真相を知っている。このまま見逃すわけにはいかない。
確信が持てない状況で行動を起こすのは不本意ではあるが、チャックは男を拘束すべく、懐の魔術書を取り出す。そして、魔導書を開いた瞬間――チャックは声が出ないことに気づく。
――魔法が詠めない?
これはあの男が仕掛けたことなのだろうか。しかし、魔法が詠めないなら詠めないで、物理的に捕まえることは可能だ。そう思いチャックは駆け出そうとするが、今度はまるで自分のものでないかのように体が動かない。
――私の行動が封じられている? まさかこれも、あの男の魔法なのか?
必死にチャックは男の背中を目で追うが、その後ろ姿は人混みに紛れ消えていく。そして、男の姿を見失ったと同時に、チャックは身体の自由を取り戻す。
「は……はぁ」
チャックは大きく息をついた。開けた往来の真ん中であったが、暗い穴ぼこに閉じ込められていたような閉塞感があった。束縛から解き放たれたチャックのこめかみを、一筋の冷たい汗が伝う。
「あの男は……一体?」
チャックは呟いた。何もしていないはずなのに全身が疲労感に支配されている。とてもじゃないが、走って追いかけるだけの余力はない。
地面を見つめながら悔しさに歯噛みしたとき、正面からチャックに声を掛けてくる人影が現れた。
「チャッキー? アンタ、どうしたのさ? 顔色悪いわよ」
心配そうにチャックの顔をのぞき込むのはテューダーだった。ここは魔導協会からほど近い。休憩か買い物か、なんにせよ外出してきたテューダーと会えたのは僥倖だ。
「テューダーさん! 魔導協会の方から来られましたよね! 男とすれ違いませんでしたか!」
「お、男?」
「そうです、男です!」
「いや、チャッキー、アンタとりあえず落ち着きなさいな。男って言われても、この世にいる人間の半分が男なんだよ」
戸惑いつつもチャックに落ち着くよう促すテューダー。チャックは一度深く深呼吸すると、再び口を開く。
「若い……そう、私と同じくらいの男です。そして――そうです! 目が、その男の目が、オッド・アイでした! 片目が緑で、もう片方が青で! その男とすれ違いませんでしたか!」
チャックの剣幕におされ気味のテューダー。しかし、落ち着かせるようにチャックの両肩を掴むと、テューダーはしっかりとチャックの両方の眼を見据える。
「何があったかは知らねえけど……アンタが言っている人物なら、心当たりあるよ」
「本当ですか!」
チャックは目を見開く。ダメで元々とばかりにテューダーに尋ねたのだったが、思わぬ収穫だ。
「あぁ。年の頃はアンタと同じくらいの美男子だろう? アタシにとっちゃ見知った顔さ」
「お知り合いなのですか!」
予想だにしなかった返答に対して驚くチャックに、テューダーはしっかりと頷いてみせる。
「声は掛けなかったけど、なんでロンドンなんかに来てんだろうって思ったんだ」
「して、その方は一体何者なのですか!」
肩を揺さぶるチャックに苦笑いを浮かべつつ、テューダーは答える。
「詳しい話はもうちょっと落ち着いた場所に移動してからにするけど、あの子の名前はリチャード・スチュアートっていうんだよ」
テューダーはそう言った後、腕を組み空を見上げる。
「しかし、なんでまたエジンバラのスチュアート家の次男坊がこんなところにいるのかね」
そしてテューダーは誰へともなく呟いた。