So Long, Lonesome ~追憶の言葉~   作:けんごち

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第二十二話

 薄暗い部屋だ。ベッドの上に誰かが横たわっている。痛々しいまでに両頬の肉はそげ落ち、眼窩はくぼんでいる。相当に辛い目にあったのであろうことは明白だ。

 その傍らで一人の男がぼんやりと立っている。少しずつ、ぼやけた映像の焦点が合っていく。

 立っているのはワイルダーさんだった。しかし、それは俺の知っているあのワイルダーさんではなかった。あの快活で優しかった雰囲気はかけらすらも残っておらず、ただ陰惨な表情でベッドの上を見つめている。長い髪は手入れをしていない野草のように荒れていて、無精髭がカビのように張り付いている。

 これは一体何なのだろうか。俺は声を出そうとするが、何もできない。この場に肉体は存在しておらず、ただ感覚だけがこの状況を観察している。

 幽鬼のようにふらつく足取りで、ワイルダーさんはサイドチェストの引き出しを開いた。そして、中から一冊の本を取り出す。

 ――違う。本ではない。あれは魔導書だ。

 胡乱な表情でワイルダーさんはその魔導書の表紙を見つめている。

 なぜワイルダーさんが魔導書を、と思う。確かにワイルダーさんには魔導学校に通っていた過去があったはずだが、なぜ今になって魔導書を?

 俺の視線はベッドの上へと向く。長い髪と服装から、かろうじてそれが女性であるということがわかる。そして――大きく膨らんだお腹。それはきっと俺が初めて見るワイルダーさんの奥さんの姿だった。

 ワイルダーさんは魔導書を左手に持ったまま、右手を奥さんのお腹へと当てる。

「よく、ここまで頑張ってくれたね」

 ワイルダーさんが語りかける。

「まだ命を感じる。もう少し、本当にもう少しなんだ」

 愛おしそうにワイルダーさんは膨らんだお腹を撫でる。

「……魔法による人体錬成は禁忌だ。それは言葉で表現するには人間はあまりにも複雑すぎるため、必ず別の存在へと変容してしまうためだ。しかし――私は君がこの世界に戻ってきてくれることまでは求めない。ただ、時間を。君が私たちの子供を産む時間を、その分だけの命を繋ぐことができれば」

 そのとき俺は気づいた。ワイルダーさんの額に蜘蛛の姿をかたどった模様が現れていることに。

 そしてワイルダーさんは魔導書を開く。

 

――蜘蛛は冥府の神の使いであった。この世とあの世の間にそれは存在し、両者を隔てる扉を守り続ける。蜘蛛は敬虔なる冥府の王の信奉者であると同時に、救いの象徴でもあった。冥府の扉を開き、糸を垂らす。冥府に垂らされたその糸は、愛しいものの姿をそこから引き上げる。番人であると同時に、時として慈悲深く、それは救済の糸を与え給う。

 

 ワイルダーさんの詠んだ魔法。そこで俺ははじめてワイルダーさんが何をしようとしているかを理解した。そして、その危険性も。

 やめてくれ! と叫んだ。しかし、その声は誰にも届かない。

 ワイルダーさんの額の蜘蛛が鈍く光る。それと同時に、ベッドに横たわる人影が鼓動で動き始める。

 成功、したのだろうか? ワイルダーさんは命をつなぎ止めることができたのだろうか。

 そうしているうちに、人影はゆっくりと上半身を起こす。ワイルダーさんが安堵の息を吐いたことに気がついた。

「成功……したのか? 私だ。私だよ。わかるかい?」

 ワイルダーさんが優しい声を掛ける。

「う、ブァア」

 人影はうなり声のような低い声を上げた。ワイルダーさんの呼びかけに反応したのだろうか。

「よかった……。成功だ。成功したんだ」

 ワイルダーさんの目から涙がこぼれ落ちる。確かに命を再び与えることには成功した。だが――

「あ。あ……あ」

 人影は上半身をぐらぐらと揺らす。その瞬間、何かが月明かりを反射した。それは口から伸びた二本の長い牙だった。

 どういうことだ? あれは――人間じゃない。

「わかるかい? 私が、わかるかい?」

 しかし、ワイルダーさんはそんな変化に気づくそぶりも見せずに呼びかけ続ける。人影は胡乱な瞳をワイルダーさんへと向ける。そげ落ちた頬とくぼんだ目、それに不釣り合いな長く伸びた牙。

 人影はベッドから降りてゆっくりと立ち上がる。明らかに人ではないその姿。しかし、ワイルダーさんは歓喜の表情を崩さなかった。

「よかった。また会えるなんて……。本当は、ほんの少しだけ命が延びればいいと思っていただけだったんだ。なのに、こんな風に立っている君の姿をもう一度見られるなんて」

 落ち着け。冷静になってくれ。何かがおかしい。それは――人間なのか?

 俺の心配をよそにワイルダーさんはその人に向かって歩き始める。そのときだった。その人は何かに気づいたように視線を自分の腹へと向けた。

「あぁ! わかるのかい! そうだよ、そこに私の――私と君の子供がいるんだ! 早く、産んでやっておくれ。君が無事に産んでさえくれれば、後は乳母でもなんでも雇って私がなんとでもする」

 ワイルダーさんが笑う。しかし、俺は禍々しい予感に支配されていた。あの目は――我が子を見る母の目ではない。

「アヴァ……」

 一瞬、その人が笑ったように見えた。そしてその両手を自らの腹に当て――引き裂いた。

「え?」

 ワイルダーさんが呆然とその光景を見つめる。その人だったものは、自らの腹を引き裂き、中から赤子をとりだした。

「どうしたんだい……? 確かに産んでくれとは言ったけれども、そんなに乱暴に扱っては」

 ワイルダーさんが人だったものに向かって両手を伸ばす。その瞬間だった。

 二本の牙が嬰児に突き立てられた。赤い血が滴り落ちる。人だったものは満足そうに、その血をすする。

「な……何を!」

 ワイルダーさんは叫び、凶行を止めるべく人だったものの両手を掴もうとする。しかし、ワイルダーさんの体は簡単に振り払われてしまった。室内に、壁にしたたかに全身を打ち付ける音が響く。

「な、何をしているんだ……やめろ、やめてくれ」

 ワイルダーさんは倒れたままなおも両手を伸ばす。しかし、その手は届かない。人だったものはうまそうに血をすすり続ける。

「やめてくれー! それは、それは――私と君の、子供なんだぞー!」

 ワイルダーさんの悲痛な声が響く。俺もまたなんとかこの凶行を止めようとする。しかし、肉体も何もない状況では、ただ目の前の悲劇を見続けることしかできない。

「あ……あぁー!」

 ワイルダーさんが頭を抱え込んで叫んだ。その声を聞いた人だったものが笑ったような気がした。

 そいつは嬰児を持ったまま、ワイルダーさんへと向かって歩いて行く。

「あ……あぁ……あ」

 呆然とした表情で、ワイルダーさんは近づいてくる人だったものの姿を見つめる。ワイルダーさんを見つめるそれは、間違いなくそれは獲物を見つけた目だった。

「まさか……そんな……どうして……」

 ワイルダーさんは頭を抱え、唸るように同じ言葉を繰り返し続けている。

 逃げてくれ、と俺は声にならない声で叫ぶ。もう、そこにいるのはアンタの妻じゃない。ただの怪物だ、と。

 怪物がワイルダーさんの前に立った。長い二本の牙がカチカチと鳴る。ワイルダーさんはその怪物の姿を見上げる。その表情は絶望と恐怖に塗りつぶされ崩れていた。

 怪物が笑い、手に持っていた嬰児の体をベッドに投げ捨てる。その瞬間だった。ワイルダーさんの表情が一気に怒りの色に染まる。

「うわぁああー!」

 ワイルダーさんは叫び立ち上がると、ベッドサイドに置いてあった火かき棒をとり、それで怪物を殴りつける。殴られた怪物の体は、ぐらりと揺れ、そのまま横に倒れる。

 ワイルダーさんはひたすらに怪物を殴り続ける。何もかも全てを忘れ壊そうとするかのように。最初は、ゆっくりと手足を動かしていた怪物も、すぐに動かなくなった。それでもワイルダーさんは殴りつけるのをやめなかった。

 それからどれくらいの時間が経ったろうか。全身を返り血に染めて、やっとワイルダーさんは両手を火かき棒から離した。火かき棒が地面に落ちる鈍い音だけが響く。部屋にあるのは、ぼろぼろに荒らされた家具と、返り血にまみれた男と、二人分の死体だけ。

「あぁあああー!」

 ワイルダーさんは自らの頬を引きちぎるかのように強く掴み、そして叫んだ。

 そこには、悲しみと絶望しか、なかった――

 

  *

 

「は!」

 直後俺の視界に飛び込んできたのは、薄汚れたスラム街のアパートの壁だった。

 俺は自分の肉体の感覚があることを確かめる。それと同時に、激しい動悸と全身の痙攣。まるで一瞬で数マイルの距離を全力疾走させられたような、そんな異常な感覚。視界はちかちかと瞬き、俺は全身を揺らしながら床に倒れ伏す。

「リチャード、わかった? ジョナサン、何があったか?」

 声を掛けられ、なんとか視線だけを上に向ける。そこにはアルの顔があった。

「うわぁ。おっかないねえ。こんだけひどいダメージ受けるんだ」

「うーんPainfulだね。そりゃSuperpowerを人間が使ったんだから、しょうがないね!」

 上から振ってくる二つの声。アイザックとデイブとかいう魔導士か。

「……一体、俺は……何を……見ていた」

 なんとか俺は言葉を絞り出す。何が起こったのかわからない。だが、目の前にいるこのアルという少年の力であることは間違いない。

「ボクの力で、過去、見せた。ボク、知ってる、過去」

 あれだけ凄惨な光景を見せておきながら、アルは平然としてにこにこと笑う。

「わけが……わからない。なぜ……そんなことが……」

「そりゃ、ここにおわすお方は全知全能のアカシックレコード様だからねえ」

 俺の質問にアイザックが代わりに答えた。

「なん、だと?」

 訳がわからない。この世界の全てが記録されているという禁書――噂でしか聞いたことのないアカシックレコードが実在するというのか? そして、それが目の前にいる少年だというのか?

「ジョナサン、ボク、産みだした。アカシックレコードから、ボク、造った」

 アルはそれを何でも無いことのように言った。

「何が……何があったっていうんだ……ワイルダーさんは……ワイルダーさん、は」

 痙攣が治まらないまま震える俺の手をアルは両手で包み込む。

「ジョナサン、憎んだ。世界も、自分も、何もかも。だから、神様つくろうとした。神様造って、何もかも、なかったこと、しようとした」

 アルは破滅をもたらす天使のように微笑む。

「どういう、ことだ……」

「人間、変える実験、繰り返した。そして、人間も、造った。同じように、本から、ボク、造った」

「本からって……アル、お前は人間じゃないのか?」

 ようやく落ち着き始めた俺は息を整えながら上半身を起こす。

「そう。ボク、人間、違う」

 アルは笑って頷く。

「ちなみにおじさん達も人間じゃないんだよねー」

「Yes。Magic humanだね!」

 アイザックとデイブの二人もアルに同調する。

 どういうことだ? 何を言っているんだ? わけがわからない。しかし、先ほど俺が見せられた光景は――それらが嘘ではないと俺に理解させるには十分だった。

「お前達は、一体、何なんだ? ワイルダーさんが造った存在だとでも、言うのか?」

 俺の言葉に、三人は満足そうに頷いた。どういうことなんだ。あの悲劇の後、一体ワイルダーさんに何が?

「リチャード、ジョナサンの友達。ボクのなかにある、記憶、そう言っている。だから、リチャード、選んだ。ジョナサン代わりに、ジョナサンの願い、叶える」

「ワイルダーさんの願い、だって?」

「そう」

 アルは俺に握手を求めてくる。だが、まだその手を取るわけにはいかない。

「――何があったんだ。あの後、ワイルダーさんに何があった、そしてワイルダーさんは何をしたんだ! それをまずは教えろ!」

 俺はなんとか立ち上がり、座ったままのアルの姿を見下ろす。

「わかった。リチャード。全て、教える。でも、約束、して。ジョナサンの代わり、するって」

「一体、何を――まさか本当に俺に世界を壊せとでも言うんじゃないだろうな?」

 俺は戸惑う。言っている言葉の意味はわかる。しかし現実感がなさすぎる。

「うん。そう」

 アルは頷くと、俺に合わせるように立ち上がる。

「ジョナサン、ボクを造ってすぐ、殺された。だから、リチャード、代わり」

「ちょっと待て! ワイルダーさんが殺されただって!」

 俺は思わず叫んだ。ワイルダーさんの身に何かがあったということは覚悟していたが、殺されたとはどういうことだ?

「一体、誰が、なぜワイルダーさんを殺したんだ!」

「リチャード、憎い? ジョナサン、殺した奴ら?」

「当たり前だろう!」

 俺はアルの胸倉を掴んだまま叫ぶ。あのときの――はじめて俺に声を掛けてくれたときのワイルダーさんの笑顔が瞼の裏に浮かぶ。一緒に店をやっていたあのときも、ロンドンを発つと言った俺を応援してくれたときも。

「なら、ボク教える。ジョナサンになにがあったか。誰が、ジョナサン殺したか」

 アルは満足そうに微笑む。

「だから、リチャード。ボクと一緒に、この世界、壊して、なかったことにしよう?」

 その声はあまりにも甘く響いて、そのとき俺はただ頷くことしかできなかった。

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