So Long, Lonesome ~追憶の言葉~   作:けんごち

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第二十三話

 饐えた臭いと鼻腔にまとわりつく砂埃。瓦礫と照りつける日差しと。それは、真っ白な光に包まれる前に見ていた光景に他ならなかった。

「これは、一体」

「僕たちが、いた場所?」

「やや、これはまた面妖な。ワガハイは夢を見ていたでにゃんすか?」

「いや。違うな。あれはおそらく――」

「リッチー。私たちはアンタの記憶を見せられていたというわけかい」

 そこにいた人たちが自分の感覚が元へと戻ったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 全員の視線がリチャードに集まる。リチャードは唇の端だけを伸ばして不敵な笑みを浮かべてみせると――そのまま顔から飛び込むように地面に倒れる。

「……体は、粉々にならず、に、すんだみたいだな」

 倒れながらリチャードは誰にともなく呟いた。

「リチャード! どうして? ボクの力、全て、使わなかった?」

 アルが倒れたリチャードに駆け寄り、その背中を揺さぶる。

「……アル、すまない、な。期待に、応えて、やれなくて、な」

 リチャードの体は激しく痙攣している。その悲惨さは先ほどレインの動きを止めたときとは比較にならなかった。

「こうやって……話せる……だけの……時間が……あって、よかった」

「リチャード、まだ、大丈夫! まだ、魔法、使える! ボクの力、今、全部使って! この世界、壊して!」

 アルはさらに激しくリチャードを揺さぶる。しかし、リチャードは満足げな笑みを浮かべながらアルを見つめるだけだ。

「リッチー。アンタ、どうしてアタシ達にあの記憶を――」

「わかって……いるでしょ……俺は……ただ、知って……欲しかったんだ」

「リッチー……」

 テューダーは継ぐ言葉を失う。

「アンタらにとって……ワイルダーさんは……ただの狂った、殺人鬼、かもしれない。俺だって、わかってる、さ。ワイルダーさん……が許されない、ことを、したこと、くらい。けれども……いたんだ……行き場をなくした、俺を……救ってくれた……ジョナサン・ワイルダーという人は……確かに……いたんだ」

 リチャードは最後の力を振り絞り言葉を紡ぐ。心臓が壊れんばかりに激しく波打っている。視界は真っ白で、どこに誰がいるかもわからない。治まらない痙攣に襲われている全身は、もう自分の肉体ではないようだ。

 ――もう俺も永くないんだろうな。

 リチャードは静かに自らの死を受け入れていた。自分の命が、穴の開いた水瓶から漏れるように、なくなっていっていることを感じる。もう、救われることはない。

「ステュアートさん! 彼を、早く病院へ!」

 チャックがリチャードに駆け寄る。しかし、リチャードは首を横に振る。

「手遅れ、だ。俺が、一番、よくわかってる」

「しかし! そうだ! 赤星さん、ウィローハウスさん! 貴方方の魔法で彼を――」

「すまない、チャック。僕にはそんな魔法はないよ。それに――」

「魔法で人の命をどうこうするなど、同じ轍を踏むだけでにゃんす……」

 光正とウィローハウスの返答に、チャックは歯嚙みし、額を押さえる。無論チャックだってわかっていた。しかし、何もしないというわけにはいかない。

「なぜ……アンタは俺なんか、助けたい、と思うんだ」

「なぜって、人として当たり前のことでしょう!」

 チャックははっきりと言い切った。そんなチャックを見て、リチャードは笑う。

「確かに……ワイルダーさんの、言った、通りだった。世界は、広いな。いろんな、人間がいる」

 リチャードは満足げに脂汗に覆われた相好を崩す。

「どうして、リチャード、こんな、世界、どうでもいい、思ってた。なのに、なぜ?」

「アル……」

 リチャードはほとんど見えなくなった視界の中でアルの姿を捉えようとする。

「そう、だ。お前の、言うとおり……俺は、この、世界なんて、どうでもいい」

「どうでもいいなら、なぜ、リチャード! どうして、ジョナサンの願い、叶えない!」

 アルは理解できないと大きく上半身を揺らす。

「どうして? みんな、憎い。リチャード、いじめた。魔導士、みんな、リチャードのこと馬鹿にした! こいつら、ジョナサン、殺した! リチャード、みんな、憎い! この世界、壊さないと! だって、みんな、どうでも――」

「あぁ、その通りだ! こんな世界なんて、どうでもいいさ!」

 アルの言葉を遮り、リチャードは最後の力をふりしぼって叫ぶ。

「どいつもこいつも、俺のこと、を、馬鹿にして、コケにして来やがった……世界が、滅んで、アイツらが、困る、っていうなら……ざまあみろさ。ゴミのように、扱われてきた、二十年間、だった。こんな、世界、どうでも、いいさ……」

「だったら、なぜ!」

 アルの声は悲鳴に近い。彼には理解できない。この世界なんてどうでもいいのなら、憎しみと悲しみに満ちているのなら、それを壊すことに躊躇などないはずなのに。

「どうでもいいからさ! こんな世界、どうでもいいから――そんな、どうでもいいものに、俺の、どうでもよくないものを邪魔、されたく、ないんだ」

 わかりやすい理屈だろう、とリチャードは笑ってみせる。

「俺は……大馬鹿、野郎、だよ。とても、大切なことを、忘れちゃいけない、こと、を、忘れて……いた」

 リチャードはなんとか声のする方向へと体を向ける。アルの声が聞こえる方へと。

「アル……お前の、本当の、名前は……アルジャーノン、だ」

 リチャードは歯を食いしばり、溶けてしまったかのように感覚のない体を動かす。

「女の子、なら、セシリー、男の、子、なら、アルジャーノン……そうだろ」

 ふふ、とリチャードは笑う。そして、懐へと手を伸ばす。

「これを……君へ。ずっと、渡したいと……渡さなくてはならない、と思って、いた」

 その手にあったのは、一冊の本。表紙には、こう書かれている。作 ジョナサン・ワイルダーと。

「ワイルダーさんが、お前の、ために書いた、物語、だ。そして、俺が――」

 いつか出会う大切な、そう俺にとっての新しい家族のような――

「お前に、贈りたかった」

 見当違いの方向に伸ばされたリチャードの手。その中にある一冊の本を、アルは受け取る。

「どうして……リチャード、ボクには、わからない」

「今は、わからなくて、いい……ただ、忘れないでくれ。それが、ワイルダーさんの願い、であったとしても、俺は、お前に世界を、壊させやしない。そんなこと、させる、わけにはいかないんだ」

 リチャードは笑う。もはや声すらも遠く聞こえるようになってしまった。使命を果たした自分の命が、今にも尽きようとしていることが、はっきりとわかる。

「俺は、今、世界で一番、幸せ、さ。だって――絶対に叶わないと、思っていた、夢が、今、叶った、んだから、な」

 リチャードの手が力なく地面へと落ちる。できることなら、この場にいる人全てに感謝の気持ちを伝えたかったが、そこまでする猶予はもうなさそうだ。

「リチャード!」

 アルが叫ぶ。その声だけが、かろうじてリチャードに届く。

「ボク、壊すため、だけ、生まれた! ボク、どうしたらいい? ボク、何を壊したらいい!」

 これでいい、とリチャードは思う。自分の命が尽きれば、もうアカシックレコードの力を使うことはできない。そして、この場にいる人たちなら、必ず力を失ったアルの身を守ってくれるだろう。思い残すことは、ない。

――あぁ、でも、アル。俺は、壊したい。

 リチャードの意識がなくなっていく。その全てが白に染まる。

――この、どうしようもない悲しみを、俺は壊したい。

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