So Long, Lonesome ~追憶の言葉~ 作:けんごち
イギリス魔導協会の歴史は、以外と浅い。正式な組織として発足したのは1840年のことである。無論、それまでにも各地域や分野に小さな組織は存在していたが、十九世紀に入り、それら全てを統合し国としての公的な組織を編成するという動きが始まった。その中で中心的な役割を果たしたのが、イングランドのテューダー家やスコットランドのスチュアート家といっか俗に名家と呼ばれる家であり、結果として依然として彼らが協会内で巨大な権力を保持することとなった。
「ステュアート検閲官、お疲れ様です」
廊下の中央を闊歩するリチャードに、職員が恭しく頭を下げた。リチャードは軽く右手を挙げて応えると、そのまま背筋を伸ばして歩き、目的地である魔導図書館のカウンターへと向かう。
イギリス国立博物館にある魔導図書館。現在、ロンドン魔導協会はそこの一部を間借りする形で活動を続けている。なので、こうして魔導協会の職員も多数この建物の中で働いているのだ。
「リオ・ショー司書。魔導協会のリチャード・スチュアート検閲官だ。先日、依頼していた資料が用意できたという連絡を受けたので、それを受け取りに来た」
リチャードはカウンターにたどり着くと、そこにいた司書のリオに用件を告げた。
「あ。資料ならこちらに用意できています」
パタパタと足音を鳴らして、リオはカウンターの奥へ引っ込んだ。そして、数分後、数冊の本を胸に抱えて出てくる。
「こちらがロウ検閲官に依頼された資料で間違いないでしょうか?」
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
リチャードはポケットから一枚のメモを取り出し、そこに記載されている中身と目の前に詰まれている本のタイトルとを見比べる。
「これで問題ない。ありがとう」
礼を言い、リチャードは本を受け取る。数は三冊だが一冊一冊が百科事典並の厚さがあるので、いざ持ってみると重量感がすごい。
「必要でしたら、台車を持ってきますが」
「いや。大丈夫。これくらい。同じ建物の中を移動するだけだし」
リチャードはリオの提案を断った。そのままリチャードは荷物を運び出そうとする。
「あ。あの……」
「まだ、何か?」
リオに呼び止められて、リチャードは振り返る。
「特例で新任検閲官になられたスチュアートさんですよね? あのスチュアート家の」
「あぁ……そうだけど?」
また家の話か、とリチャードは内心うんざりする。
「何度かお茶会でお会いしたことがあるんですけど、僕のこと覚えておられますでしょうか? ショー家の、えっと……現魔導協会会長の孫のリオです」
「ショー家の魔導協会会長の孫……すまない。記憶にない」
ショー家もまた名門だ。スチュアート家とも社交界での付き合いがある。なので、リチャードも知っていてもおかしくはないのだが――記憶にない。ここ数年、スチュアート家からは勘当状態だったとはいえ、リオの年齢ならその前に必ず顔を合わせているはずだ。
「確か、女の子の孫はいることは知っているんだが、男の子がいたとは」
リチャードがそういった瞬間、あちゃー、とリオが頭の後ろに手を置いた。
「すみません……それが、僕です」
「え?」
リチャードは驚愕する。確かにまじまじとよく見れば、見覚えがあるような……。しかし、彼の記憶の中にあるリオ・ショーはどっからどうみても女子にしか見えなかった。
「昔から、よく間違えられるんです……」
しょんぼりとした表情でリオは肩を落とす。図らずも失言してしまったことにリチャードは戸惑うが、かといってうまくとりなすだけの話術があるでもない。
「なんというか――すまない」
「いえ、こちらこそ」
お互い頭を下げると、リオがクスクスと笑った。
「なんにせよ、ご挨拶が遅れて失礼しました、スチュアート検閲官。僕は魔導図書館司書見習いのリオ・ショーといいます。何かとお世話になるかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします」
「えっと、あぁ、こちらこそいろいろとお世話になると思うけれど、その、よろしくお願いします」
不器用に頭を下げて、リチャードは魔導図書館を後にした。
*
すれ違う人たちが声を掛けてくれる。今までの自分だったら、全く想像できなかったことだ。エジンバラにいる間、リチャードはまるで道ばたの石のようにないものとして扱われてきた。人々に気にもとめられることもなかったのに。
「そんな俺が、ロンドン魔導協会の検閲官、なんてな」
リチャードは魔導士の証である自らのローブを見つめる。魔導協会の中でも魔導書を管理する権限を持つ検閲官はエリート中のエリートだ。その役職柄、実力が伴っていなくては任命されることはない。
そんなものに、まさか自分がなるとは――
廊下の真ん中で立ち止まり、リチャードは思う。全ては自分が昔思い描いていた、こうなったらよかった未来。スチュアート家次男としての周囲の期待に応え、堂々と家名を名乗り生きていく。
魔法の才能の無かった自分には、絶対にあり得なかった、未来。
「あぁ、そうか――」
これは夢なんだ。命尽きようとしている自分が見ている、今際の際の夢……
「そうか。やっぱり俺は、死んだんだな……」
あのとき、イーストエンドロンドンのスラム街で、自分とジョナサンの記憶を見せるために魔法を使って。
「何もかも、幻なんだ。なら納得でき――」
刹那、小気味のよい音が廊下に響き渡った。リチャードは慌てて自分の後頭部に手を当て、後ろを振り返る。
「アンタ、何往来の真ん中でぼーっと突っ立ってんだい。周りのご迷惑じゃないか、まったく」
「テューダーさん」
恨みがましい目でリチャードはテューダーを見る。油断しているところ、後頭部をいい音ではたかれたのだ。
「どうせアンタのことだから、この現実はきっと夢に違いないとか思って、ボーとしていたんでしょう」
「な……」
図星だったため、リチャードは言葉を返すことができなかった。
「いや、でも……本当に現実感がなくて。だって、俺、あのとき本当に死んだはずですし」
「うん。リチャード、あのとき、心臓、止まってた!」
テューダーの後ろからぴょこんと顔を出したのはアルだった。満面の笑みと共にずいぶんと物騒なことを言う。
「まぁ、確かにあのときはアタシ達も本気でアンタは死んだと思ったわねえ」
しみじみとテューダーが言った。
「いや、アンタら、人が死んだのをそんな気安い感じで」
「まぁ、いいじゃないか。結果として、アンタの命は助かったわけなんだしさ」
「そう!」
テューダーとアルの二人に笑いかけられると、リチャードは反駁する気勢を削がれた。
「ボク、命、リチャードと、共有した! だから、リチャード、もう、大丈夫!」
アルがうれしそうにリチャードの両手をとり、ぶんぶんと振る。
「あぁ、そうだな。……アルが、俺を助けてくれたんだよな」
あのとき、リチャードの心臓の鼓動が止まった瞬間、アルが自らの意志で力を行使した。否、正確には二人の間の契約をより強固なものへと書き換えた。リチャードの体へのダメージはアルの魔法を使った副作用のようなものだから、二人の関係がより強固になれば、その副作用は抑えられる。そういう理屈だった。
「けど、そのせいで、アル、お前は――」
より契約を強固なものとし、お互いの命を共有するということは――つまり、リチャードの死と共にアルもまた消滅することを意味している。本来、寿命のない存在であるアルにとって、それは大きな犠牲を強いる決断だったはずだ。
「ボク、リチャード、一緒に生きる! それ、うれしい!」
しかし、そんなリチャードの想いをまったく意に介さず、アルは無邪気に笑う。
「それに、テューダーさんには俺を検閲官にとりたててもらって」
「あら、別にお礼なんていらないのよ。アルちゃんと命を共有することになって、『力』をより自在に使えるようになったアンタは間違いなく歴史上最強の魔導士さ」
「俺が……魔法の使えなかった落ちこぼれの俺が、歴史上最強の魔導士ですか。ほんと、人生ってわからないもんですね」
リチャードは苦笑いを浮かべる。テューダーの言っていることは事実だ。よりリチャードとアルの関係が強固になった今、魔法の副作用はほぼないと言ってもいい。
「とはいっても、強力な魔法を使えばそれなりに俺にダメージはあるみたいですけどね」
「そんな強力な魔法を使う機会なんてそうそうないだろうさ」
テューダーはリチャードの言葉を笑い飛ばした。
「ま、そういえば聞こえはいいけど、実際はアンタ達の監視のためだけれどもね」
「わかってます」
神妙な面持ちになったテューダーにリチャードは頷いた。
リチャードの命は助かったといえ、その結果、世界を破壊しうる力を個人が有しているという危険極まりない状況が生まれた。そのため、リチャードの取り扱いについて、魔導協会上層部で緊急会議が開かれた。一部ではリチャードを監禁すべきという過激な意見まで出たが、リチャードに危害が加わるような状況になればアルが何をするかわからない、できる限り刺激を与えず穏便にことを運ぶべきだ、という意見が勝った。結果として、リチャードとアルは検閲官という地位を与えられ、テューダーの部下という形で魔導協会に組み込まれたのである。
リチャードの寿命と共にアカシックレコードは失われる――それは魔導協会にとって非常に大きな痛手であったが、逆にアカシックレコードの暴走の危険性を考えれば、それは安全を担保するものと言える。よって、リチャードの命尽きるまで魔導協会で面倒を見る、という決着を迎えた。
「アンタにゃいろいろと不便を強いるかもしれないねえ」
申し訳なさそうにテューダーが言った。これから、リチャードの全てに魔導協会としての、いや国家としての思惑が絡んでくる。
「構いませんよ。ただ、俺は――」
リチャードはアルの肩に手を置く。
「この残りの人生をアルと共に生きていける。そんなチャンスをいただけただけで、十分です」
そう言ってリチャードが笑うと、よくわからないというようにアルが首をひねった。
「そうだ。テューダーさん、あの二人も元気にしていますか?」
*
ロンドン魔導協会跡地――先日のジョナサン・ワイルダーによって引き起こされた事件により崩壊した建物は、未だに瓦礫の山として横たわっている。そこにいるのは、三人の魔導士の姿。
「アイザック・ベイリ、この瓦礫を錬金術で処理してください」
「ワガハイが入れるように、ここに階段も作って欲しいぞなもし」
「へーい。まったく人使いの荒いこと。お給料弾んで貰わないとやってられませんよ」
チャックとウィローハウスの二人に指示されて、不承不承といった様子でアイザックは魔導書を開く。
――石は再び原子に分かれ、新たな形を結び直す。それはまた一つの巨大な塊として、もう一つは段々に連なる階段として。それは雨に侵されることなく、火に燃やされることもなく。恒久に安定なる姿を留める。
アイザックが魔法を詠むと、瓦礫の山は一つの大きな石の塊へと変わり、ウィローハウスの指した先には階段が出現する。物質を変化させる――これはアイザックの十八番だ。
「いやー実に錬金術とは便利なものでにゃんすねえ」
「元はと言えば貴方のお仲間がやらかした不始末。貴方が後片付けをするのは必然です」
感心する様子のウィローハウスと憮然としたままのチャック。
「へいへーい、と。お給料がもらえるのならなんとやら」
アイザックは口笛を吹きながら不平不満を嘯く。
「全く、怪我の功名というか、なんというか……貴方方のおかげで遅れていた作業も、無事その遅れを取り戻せそうです」
「へいーロウ検閲官ー、嫌みを交えずにお話出来ないのかい?」
「嫌みではなく事実ですよ」
チャックはそっぽを向く。どうにも愛想よく振る舞うことが苦手だ。
「ま、いいけどさ」
アイザックは両足を投げ出して、空を見上げる。
「しかし、正直意外でした」
「何が」
「貴方方がおとなしく私たちに協力する立場を選んだことです」
「あーそれねー」
笑いながらアイザックは上半身を起こす。
「暇だったんだよ。元々ジョナサン・ワイルダーに造れた俺たちだけど、肝心の役割を果たす前にジョナサン・ワイルダーの方がいなくなっちまった。一号さんも一緒にね。おかげで俺たち二号と三号はやることもなく取り残されて――そこで、アルに声を掛けられて協力はしたけど、ぶっちゃけ、なんでもどうでもよかったんだよ。ただ、何もやることなく、退屈の刑に処されなければよかったってだけでね」
アイザックは、へへ、とわざとらしく下卑た笑みを浮かべてみせる。
「それはわかりますが……こう言ってはなんですが、貴方たちほどの力があれば、その力を使ってもっと自由を求めてもおかしくなかったはず。特に貴方は錬金術で貴金属を完璧に生み出せるわけですし」
チャックの質問は当然のものだった。アイザックがその気になれば、今目の前にある瓦礫の山を全て金塊に変えることもわけないだろう。
「わかってないねえ。貴金属っていうのは、換金性があってはじめて価値があるもんなのよ。いくら立派なものだって、換金できなきゃ意味がない。その点、おじさんには換金の伝手もなにもなくてねー」
「裏社会に流すという手もあると思うでにゃんすが」
ここでウィローハウスがぴょっこりと地面から顔を出して合いの手を入れる。
「そっちはそっちでいろいろ面倒くさそうじゃん。お金に換えてバイナラ、とはいかないだろうしさ」
へへ、とアイザックは鼻の頭を掻く。
「だから、お給料が欲しい訳よ。んで、ここで働いている、と。言っとくけど、おじさん、お仕事できるからねー。お給料ははずんでもらいたいな」
「何を都合のいいことを。確かに、それなりの待遇は保証しますが、それはあくまで正当な対価のみを支払うという意味です」
「それで、十分だって。変に忖度されて、面倒に巻き込まれるのもいやだしね」
へらへらとアイザックは笑ってみせる。
相変わらず掴み所の無い男だが――彼の言うことは信じてもいいだろう、とチャックは思う。
「ところで、ウチのもう一人は、どこで何やってんのさ?」
そう言って、アイザックは右手でひさしを作って、キョロキョロと辺りを見回す仕草をして見せた。
*
テムズ川の河川敷に並んで座る二人の男。一人は背が高く警察官の制服に身を包んでいる。もう一人は東洋人の顔立ちでローブを着ている。そんな二人が、ぼんやりとテムズ川の方を見つめている。
「ねぇ、レイン警部補」
「なんだい、赤星」
「どうして僕たちはさ――」
光正がテムズ川の河川敷を指さした。
「マルティン博士とデイブが戯れてるのを眺めているわけ?」
光正は重いため息をついた。目の前で、大の大人二人がきゃっきゃとはしゃいでいるだけに、そのコントラストが強い。
「仕方がないだろう。マルティン博士たっての希望だからな」
レインはあくびをかみ殺す。先の事件の重要参考人デイブ・バレットの監視、と言えば聞こえはいいが、実際は彼らが遊んでいるのをぼんやりと眺めているだけだ。
一応、という形でレインがテムズ川の魚を怪物に変えた犯人がデイブであると報告したとき、マルティンはすぐにこう言ったのだった。
――その人に生命の神秘と尊厳をしっかりと教えてあげなくてはなりません!
そうして、レインはマルティンの勢いに押し切られ、彼が海の魅力についてデイブに語る機会を設けることを認めさせられてしまった。しかし、相手は魔導士。いざというときのために、とそのときちょうど手が空いていた光正も呼ばれたのである。
「本当は海にまで行きたかったのですが、このロンドンからは一番近い海岸まででもおよそ三十マイル。どうしても時間がかかってしまいますし、さすがにそこまでレイン警部補や光正にご足労願うわけにはいきません。代わりにこのテムズ川で生命の神秘について語り合いましょう!」
「Yes my teacherよろしくね!」
にこやかに手を上げるデイブ。それを見てマルティンはとても満足そうな表情を浮かべている。
「まぁ、今回の一件、振り返ってみれば人的な被害はなかったからな」
「確かにそうだね」
レインの言葉に光正は同調する。
「しかしながら、魚的な被害があったことがマルティン博士には許せなかったそうだ」
「……納得したよ」
光正は苦笑いを浮かべた。何のかんの言っても、ロンドン滞在時に世話になったマルティンと再び会えたのはうれしい。
「いいですか、バレットさん! 貴方は今日から私と同じ、海を愛する同志なのです!」
「Yes I see俺も海はI‘m loving itだよ!」
端から見て、あのデイブが生物を変容させる恐ろしい魔法を使うとは誰が思うだろうか。どこからどうみても川ではしゃいでいる無邪気な青年二人にしか見えない。
「こんなにのんびりしていると、ついこの間世界破滅の危機があったなんて思えないよ」
「確かにそうだな。ま、世界の危機なんてご大層なものは、そういうものなのかもしれないな」
ふぅーとレインは大きく息をつく。
「赤星。お前さんは、いつ日本に戻るんだ?」
「それについてはまだ決めてないんだよね。いろいろと手続きもあるし、とんぼ返りするのもしんどいし。もう一週間くらいは滞在しようと思うよ。今度は『ちゃんとした』魔導協会の施設に泊めてもらっているし」
光正は指折り日を数える。基本的に旅券の手配などの全ては魔導協会に任せているので、彼らが動いてくれないことには旅程も決まらない。
「それはそうと――結局、あのデイブ・バレットとアイザック・ベイリの扱いはどうなるの?」
「どうなるの、とは?」
「……彼らはフィリップや万字郎と同じく魔法で生み出された人間だ。魔導協会としても警察としても、そんな事実は明るみにはしたくないはず」
「その点については、テューダー検閲官らとも話をしてな。あいつらが魔法で造られたということは、俺たちだけが知る秘密だ。テューダー検閲官の手引きで、職員として魔導協会の方が面倒をみる手筈になっているぜ。あんなナリをしているが、奴ら二人はその気になればこのイギリスを混乱の渦中に落とすことができる程の力を持った魔導士だ。こちらが下手に敵対的な態度をとるよりも、こうやって平々凡々とした日常を過ごして貰うほうがよっぽどいい」
「僕もそれが一番いいと思うよ。だけど」
レインの説明に光正は納得する。だが――
「魔法で生み出された彼らには、個人情報と呼べるものが何もない。いくらテューダー検閲官の力があるとはえ、そんな出自の怪しい人間を採用できるものなのかい?」
光正は心配を口にする。テューダーとレインの結論に対して光正も異論はない。しかしながら、どこの国でもそうだが、魔導協会という組織の性質上、身辺調査は徹底されているのだ。
「その点に関しては問題ないけえ」
声がして、光正は後ろを振り返った。
「よう、久しぶりじゃのう」
太陽のように笑う少年。その少年の姿に光正は見覚えがあった。前回ロンドンから旅立つ際に、なぜか万字郎の使っていたペンを渡してくれた少年だ。
「え? どうして、君が? というより、君は一体」
「まぁ、そんな細かいこたあええけえ。警部補、言われたとおり、ワシんとこでやっといてやったぞ」
「あぁ。ありがとうさん」
言いながら少年はレインに向かって数枚の紙束を渡す。レインは受け取った紙束の中身を簡単に確認すると、少年に向き直る。
「ご苦労さん。これで問題なさそうだ。しかしまた、仕事の早いことだな」
「警察に貸しを作れるとなっちゃあ、ワシらもそれを最優先じゃねえ」
少年は満足げな表情でレインの肩を叩く。
光正は、この二人が一体何をやっているのかがわからないまま、置いてけぼりだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは何?」
「あぁ、これかい? なァに、さっきも話していただろう。デイブ・バレットとアイザック・ベイリがこのイギリスで生活するために、必要なものさ」
「え? まさか、それって――」
「そこは他言無用じゃで」
笑いながら少年が光正の口を押さえる。
「世の中には知らん方が、何もかも丸うおさまることもあるからのう」
「ま、そういうことさ。なァに、心配無用だ。これを悪用してどうこうということもない。ただ、ロンドン魔導協会に二人の魔道士が新たに加わる、それだけのことさ」
事情を察した光正は、呆れるようにため息をついた。清濁併せ呑むという言葉があるが――目の前にいる男はまさしくそれだ。
*
イーストエンドロンドンの夜。光正とチャックはテムズ川のほとりでロンドン塔を見上げている。
「思えば、ここでチャックと戦ったんだねえ」
「あれを戦ったと言っていいものか。お互い、本気で命のやりとりをしたわけではないですし」
「でも、あのときどっからどう見てもチャックは本気だったけど」
「そりゃ、本気にもなります。何せあの代筆屋を拘束しなくてはならなかったのですからね」
「あのときテムズ川を逆流させたのにはびっくりしたよ」
「私もです。まぁ、逃げられたという意味では私の負けだったのかも知れませんね」
欄干に体を預け、光正とチャックの二人は語り合う。
「なんにせよ、ありがとうございました。貴方が戻ってきてくれなければ、私やロンドンの街はどうなっていたか」
「大げさだよ。それに一体何回お礼を言えば気が済むんだい」
「何回でも、私の気が済むまでですよ。それだけのことを貴方はなされたのですから」
「それだけのこと、か。僕はそんなたいしたことはしてないよ。それを言うなら――今回の事件を陰で解決に導いたのは、万字郎だね」
「そう、ですね。彼がリチャード・スチュアートに掛けた言葉がなければ、事態はどうなっていたことか」
オックスフォードの書店。そこでリチャードと万字郎が出会っていなければ。万字郎がリチャードにあの言葉を掛けていなければ――彼は世界を破壊する引き金を引いていただろうか。
「やっぱり万字郎はすごいや。知らないうちに世界を救ってるんだから」
「さすがにあれは本人も予想だにしなかった展開では」
冗談っぽくチャックが笑う。確かにそうだ、と光正も続く。
「他人の記憶の中だったけれど――もう一度万字郎に会えてよかったよ」
「私もです」
光正とチャックは思い出す。彼ら三人が過ごしたのはあの夜だけだったが――それでも一生忘れることはないだろう。
「ロンドンは、いい街だね」
「ええ。私も、そう思います。心から」
*
「赤星さん。日本行きの手配ができたんで、その連絡に来ました」
「あ。ありがとう、リチャード」
「おはよう、光正」
「おはよう、アル」
魔導協会所有の宿泊施設。朝からドアをノックするのは誰だ、と光正が寝ぼけ眼で扉を開けたら、そこにいたのはリチャードとアルだった。
「こいつがチケットとか書類とか、必要なもの一式らしいです」
リチャードが分厚い封筒一つを光正に渡す。
「わざわざありがとう。けど、まさかリチャードがこれを届けに来てくれるなんて思わなかったよ」
そう光正が話しかけると、リチャードはばつの悪そうな顔で頭の後ろに手をやった。
「いやー。一応、検閲官っていう形になってるはなってるんですけど、俺はテューダーさんや先輩方みたいにちゃんと教育を受けたわけじゃないですし。出来る事と言えば、こんな小間使いだけで」
そう言ってリチャードは笑ってみせる。そこにはかつての自虐的な色はない。
「光正、お別れ会、しよ!」
アルが二人の間に割って入った。
「アル、いきなりネタばらしするなよ」
リチャードが苦笑いを浮かべる。
「ごめん、リチャード。でも、ボク、お別れ会、したい」
「そうだな。でも、お別れ会したい、なんていうと、俺たちが赤星さんを追い出そうとしているみたいで」
「いいよいいよ。気にしてないし、わかってるから」
光正が笑いかけると、リチャードは、すみません、と頭を下げた。
「じゃあ、アル、行こうか。準備ないといけないからな」
「準備! ボク、楽しみ!」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
光正は二人の背中を見送る。それはまるで年の離れた仲のよい兄弟のように見えた。
*
「やぁ、リッチー。ちゃんと光正ちゃんに書類は渡してきてくれたかい?」
「あ、はい」
魔導協会に戻ったリチャードを出迎えたのは、テューダーだった。テーブルに着いたテューダーの前にレインもいる。
「あぁ、赤星の奴に旅券一式を持っていってやったんだってな。ご苦労さん」
レインにねぎらわれて、リチャードは頭を下げた。
「レイン警部補もお疲れ様です。って、今日はなんかあったんですか?」
「ん? あぁ、デイブ・バレットとアイザック・ベイリの二人について、正式に魔導協会職員として採用されるという話の、最後の詰めみたいなものさ」
「……そうですか」
そういえばあの事件の後、アイザックとデイブの二人とは会っていない。彼らの事だからおそらくはひどい目には遭ってはいないと思うが――
「お。リチャード、おじさん達のこと心配してくれてた?」
「Hiミスタースチュアート! 俺たちは全員Healthyだよ!」
軽快な調子で部屋に入ってくるアイザックとデイブの二人。その二人を見て、リチャードは顔をしかめたものの、すぐに呆れるように笑った。
「相変わらずっすね」
「おじさんたちは年もとらないし、そうそう変わることもないのよ」
「But俺は『海を愛する同志』にPromoteしたけどね!」
「はぁ」
なんのこっちゃ、とリチャードは思ったが声には出さないでおいた。
「アイザックも、デイブも、元気、よかった!」
「あー、変わりないという意味ではそうだけど、おじさんもともと元気いっぱいでもないからねえ」
「Heyミスターベイリ、弱気は心をMake olderだよ!」
お互いの健在ぶりを喜び合う三人。
「ま、うまくやれそうでよかったじゃないか」
「そうそう。何せ結果的にウチは腕利きの魔導士を四人も迎えられたんだ。万々歳だよ」
紅茶のカップに口を付けながらレインが茶化すと、テューダーが豪快に笑ってみせた。
「あ、それはそうと、赤星さんの送別会なんですけど」
リチャードが光正の送別会について切り出す。
「あぁ、アタシは問題ないよ。ちゃんと出席させていただくさ」
「俺の方も時間の都合が付く限りは、必ず出席すると約束しよう」
テューダーとレインに色よい返事をもらえて、リチャードは内心ほっとする。
「リチャード、アイザックとデイブは? 呼ばない?」
アルに尋ねられて、リチャードはどうしたものか、とテューダーとレインの表情を伺う。
「別にかまやしないよ。というか、二人に目の届かないところにいられる方が困るからねえ。嫌がっても引っ張って連れて行ってやるところさ」
「せっかくだ。わざわざロンドンまでとんぼ返りしてきてくれたことだしな。せいぜい派手に見送ってやるとしようか」
テューダーとレインが、当たり前だ、とでも言うように二人の参加を了承する。
「ただ飯ただ酒なら遠慮なく行きますよ」
「Wow more people are good俺たちもおめかししなきゃね!」
この二人組は、とリチャードは内心思ったが、すぐにいちいちつっこんでいてもきりがないと考えを改める。まぁ、彼らの言うように人数が多ければ多いほど楽しいだろう。多分。
*
「市場で仕入れてきた新鮮な魚介類です! 料理の方も私にお任せください!」
腕まくりをして、包丁を高々と掲げるマルティン。その目の前には、魔法で氷付けにされた魚や貝やらが並んでいる。
普段魔導協会がバンケットなどに使用する会場。そこを借り切って光正の送別会が開かれている。リチャードとアルの二人が
「Wowこれこそが海の恵みってやつだね、ミスターマルティン!」
「そうです。その通りなのです! これこそがまさしく海の恵み! バレットさんもおわかりですか! とはいえ本当は海の上で獲れたてをいただくのが最高なのですが……」
アイザックが呆れた表情で二人を指さし、なんなのアレ、とリチャードに目で訴えかけてきた。リチャードはそれを見なかったふりをする。
「しかし、マルティン博士は、大学での業務でお忙しいのでは」
気遣わしげに尋ねたのはチャックだ。
「何を言うのです! 光正の送別会となれば、他の全ての予定をキャンセルしてでも駆けつけますよ!」
当たり前のように言うマルティンに光正が照れ笑いを浮かべる。感情表現が真っ直ぐだな、と思う。
「ワガハイも楽しみでにゃんす。新鮮な魚介による寿司! 思うだけでよだれがでるぞなもし」
「……悪いけど、僕は寿司職人じゃないからね」
期待に目を輝かせるウィローハウスに対して、困ったように光正が訂正した。
「僕の祖父からもお酒の差し入れがありますので」
リオが部屋の隅のテーブルに置かれたワイン瓶の一団を指さす。するとアイザックが歓喜の声を上げる。
「あらー! こいつはお高いお酒じゃないのー。いやー、ありがたいねえ。こんなのがただで飲めるなんて」
「……アンタのための会じゃないだろう」
歓喜するアイザックにリチャードが呆れた仕草を見せる。
「まぁ、いいじゃないか。パーティーは盛り上がる方がね。ねえ、光正ちゃん」
「僕は会を開いていただけただけでもう十分ですけど」
「馬鹿を言わないでください。私たちの都合で引っ張りまわしてしまいましたので、これくらいはねぎらわせていただかないと」
謙遜する光正をチャックがたしなめる。
「まぁ細かいことはいいじゃないか。で、乾杯の音頭は誰がとるんだい?」
レインが辺りを見回す。
「言い出しっぺがおやりなさいよ、と言いたいところだけど、そりゃ光正ちゃんのお別れ会となっちゃあ、ねえ」
テューダーがウィローハウスに目配せをする。
「ワガハイ、早くごちそうにありつきたいでにゃんすからねえ、チャッククン、ここは手短にお願いするぞな」
「な、私ですか!」
指名されたチャックは狼狽する。対して、周囲の人物達は、十分に予想できたことだろう、と半ば呆れるような表情を浮かべている。
「……わかりました。テューダーさんとウィローハウスさんのご指名とあれば、この不肖チャック・ロウ、開催の挨拶を」
「挨拶が固いねえ、まだ若いのに」
「Don‘t be so formal楽しくいこうよ!」
「リチャード、あの、挨拶、変?」
「いや。変じゃないんだけどなって、人が喋ってるときに茶々をいれるのは失礼だぞ、アル」
ごちゃごちゃと喋り出した四人組をチャックは横目で睨む。そうするとアイザックは肩をすくめ、デイブは手を振り、アルはきょとんとした表情でリチャードの服の裾を引いた。リチャードただ一人が申し訳なさそうに会釈する。
「まぁ、いいでしょう。ならば、簡潔に。我らが友人赤星光正さんへの感謝の気持ちと旅路の無事を祈って、乾杯!」
半ば自棄になったチャックの挨拶と共に、その場にいた全員が高くグラスを掲げる。
*
リチャードはバルコニーでぼんやりと外を眺めていた。人数に対して広すぎる部屋だったはずだが、それを補って余りあるほどに賑やかしい。バルコニーに出たリチャードの耳にも談笑する声が届いてくる。
今まで生きてきて、こんな楽しいパーティーはなかったな、とリチャードは思う。いつもビクビクと粗相をしないかどうかだけを気にして、最後はパーティーにすら呼ばれなくなって。
だから、あんな賑やかな場所でどう振る舞えばいいかがわからない。そうして一人でバルコニーで涼んでいる。
「リッチー、アンタなに一人で黄昏れてるのよ」
「テューダーさん」
リチャードが振り返ると、両手にグラスを持ったテューダーがいた。片方のグラスをリチャードへと差し出してくる。リチャードは礼を言いつつそれを受け取る。
「どうにも、こういう賑やかな場は慣れてなくて」
「なんだい。そんな気を遣わなくちゃいけねえ人なんていないのに」
カラカラとテューダーは笑うが、リチャードに会場へ戻ることを強いたりはしなかった。
「にしても、不思議なもんですね」
「ん? 何がだい?」
リチャードは欄干に背を預け、会場を見つめる。彼らも酒に酔うのかと思うほど、アイザックとデイブの二人はご陽気で、光正とチャックとリオの三人は何かを話しながら時折全員で笑い合っている。その中で、おとなしく静かに飲んでいるのはレインとマルティンの二人だ。特にマルティンにいたっては最初の魚料理のときの勢いはなんだったのか、というように落ち着いている。そして、ウィローハウスがデザートを皿いっぱいに盛りながら、部屋の中をちょろちょろと移動しては誰かに声を掛けて遊んでいる。
「俺たち――敵だったんですよ。それがこんな風になるなんて。あのときは、こんな未来があるなんて想像もしなかった。こんな、嘘みたいに、何もかもうまくいくなんて。俺、未だに夢を見ているんじゃないか、って思うんです」
「確かに、夢みたいな結末かもしれないね。けれどもね、忘れちゃいけないよ、リチャード。これは全てアンタの力が導いた結末なんだよ」
「俺の、力?」
リチャードはきょとんとした表情でテューダーを見る。そして吹き出した。
「何を言っているんですか。俺なんか何もしていないですよ」
「だからだよ」
テューダーは言葉に力を込める。
「自暴自棄になって誰かを傷つけることだってアンタにはできたはずだ。けれども、アンタはそれをしなかった。最後の最後までね。もしも、何か人的被害があったとしたら――さすがのアタシ達だってアンタらをこうして受け入れることを提案できなかったよ。全てはリッチー、アンタのおかげなのさ。アンタが臆病だけど善良な人間だったから、ね」
「……だとしたら、この結末はワイルダーさんのおかげですね。あの人に出会わなければ、俺は変われなかった」
おかしな話ですけど、とリチャードは笑った。
深い哀しみの傷跡は残っている。しかし、生まれたのは悲しみだけではない。
「リチャード、探した。どうしたの、一人で?」
リチャードを探していたらしいアルがバルコニーへと歩いてくる。そうすると、テューダーは軽くリチャードに手を振って、あると交代するように会場へと戻っていく。
「いや――ちょっと話をしていたんだ」
「そう? ここ、いいところ。ボク、ここから外を見るの、好き」
そう言ってアルはリチャードの隣に立ち、バルコニーから見える庭園の風景を楽しみ始める。
「アル――俺たちはこれからどうしたらいいだろう」
リチャードはアルに話しかける。
「どうする? リチャード、なんでも、好きなこと、する。ボク、なんでも、できる」
「そうか。そうだよな。アルは何でもできるんだな」
うん、と褒められたと思ったアルは満面の笑みで頷く。それを見て、リチャードも表情を崩す。
「アル、例えて言うなら、お前は王様だ。全ての魔導書の頂点に立つ」
「王様。うん。ボク、とても偉いんだね」
アルは王様という表現が気に入った様子だった。
「けどな、アル。王様には、いい王様と悪い王様がある。いい王様は人を幸せにする。悪い王様は人を不幸せにする。だから、アル――」
リチャードはアルの背に手を置く。そして、こう続ける。
「俺たちは必ずいい王様になろう」
「――うん」
アルが頷くのを見届けて、リチャードはアルの背中を押す。まだパーティーは続いている。そして、彼らの日々は始まったばかりだ。
――君ならきっともう大丈夫だ。勇気を持って前へ進んで。
ジョナサンの手紙。なぜジョナサンがこの言葉をリチャードに贈ったのか、今ならその理由がわかる気がした。
だから、前へ進んでいく。勇気を持って。大切な家族とともに――