So Long, Lonesome ~追憶の言葉~ 作:けんごち
イーストエンドロンドン。ロンドン市街中心部から東側にあるこの地域は、ロンドン中心部の開発により追いやられた貧困層が多数移住してきたことにより、貧困と人口過密に由来する伝染病や犯罪の蔓延する場所と化していた。そして、ここ一年ほどロンドンの街を震え上がらせていた怪物騒動の被害者も、このイーストエンドロンドンに集中していた。そのため、ただでさえ人が寄りつかないこの地域は、より一層市井の人々にとっては不可侵の領域と化していたのである。
そのイーストエンドロンドンの路地を一人の男が歩いている。イーストエンドロンドンに不釣り合いな全身を包むえんじ色のコートと短く切りそろえられた髪。そして人一倍大きな身長が印象的だ。
男はまるで自分の庭のようにイーストエンドロンドンを歩きながら、一件のカフェの前で足を止める。オープンテラスが設えられた小洒落た外観は、イーストエンドロンドンという街の空気からは大きく浮いている。その店だけほっこりと暖かい空気に満ちているようで、まるで砂漠にあるオアシスのような存在感だった。
男はオープンテラスの階段を昇ると、カフェの店員には何も告げずに、テラスの隅にある丸テーブルへと足を進める。その席には一人先客がいた。
「おお、警部補。こっちじゃ、こっちじゃ」
男に向かって元気に笑いながら大きく手を振る少年。年の頃は十代半ばといったところか。この少年もまたイーストエンドロンドンには不釣り合いな快活な空気を纏っている。
「わざわざこっちまで来てもろうて、すまんかったのう」
言葉とは裏腹に、大して悪いとも思っていない様子で少年は男に席を勧める。
「なァに、気にしなさんな。俺の方が出向く方がなにかと都合がいい」
「そりゃ、ロンドン警察の警察官がワシとこっそり会うとったとなったら、人に何言われるかわからんけえのお。ここならどいつもこいつもワシの息がかかっとる。チクリはせんよ」
少年はカラカラと笑う。
「で、わざわざ警察官を呼び出した用はなんだい、六代目のD?」
男が悪戯っぽく笑いながら椅子に腰を降ろす。
「まぁ、まずは注文したらどうじゃ? ここの紅茶はぶちうまいぞ」
Dに促されて、男は右手を挙げ店員を呼びつけた。そして「いつものを頼む」とだけ注文すると、再びDに向かい合う。
「おう。用件言うのはこれじゃこれ」
Dは足元の袋を持ち上げ、もぞもぞとその中身を取り出した。そして、それをテーブルの上に置く。
「おい、お前さん、これは……」
飄々としていた男も目の前に現れたモノにはさすがに驚いた様子だった。目を丸くして、それを指さす。
「あぁ。立派なもんじゃろ? こんなごつい金塊、おとぎ話の海賊船レジェンド号のお宝にもないんちゃうかのう」
置かれた瞬間、みしりとテーブルがきしむ音がした。それほどの質量を持っているのだ――この目の前にある金塊は。
「しかもただの金塊じゃあねえ。しっかりと延べ棒の形に加工されているな。一体、どれくらいの量があるんだい?」
「ワシんとこで測ったら、きっちり四十ポンドじゃった」
四十ポンド――つまりはおよそ十八キログラムもの金塊ということになる。
「ポンド単位の金なんざ、はじめてお目にかかるぜ」
冗談っぽく男は言ってみせるが、その目は笑っていない。
「偽物っていう可能性はどうなんだい?」
その質問を予期していたかのようにDは答える。
「もちろんワシらんとこで調べられるだけのことは調べた。けどのう、密度や堅さ、そのたもろもろどう考えても――金なんじゃよ」
あきれたようにDは上に向かって息を吐く。
「で、この金の塊を俺に見せたってことは、何かきな臭い事情があるんだな?」
尋ねられてDは深く頷く。
「もともとはワシんとこの金やらなんやらを裏でさばいているブローカーんところにもちこまれたんじゃ」
ぺちぺち、と右手でDは金の塊を叩く。
「なるほどな。お前さんとこの人間ならやばいものに鼻がきく。こいつがまともなルートで手に入ったモノじゃないと勘づいたわけか」
「別に鼻がきかんでも、いきなりこんなどでかい金を持ってきおったら、そりゃ怪しさしかないじゃろ」
ケラケラとDは笑う。裏社会で生き抜くために最も大切なことは『危険なことには首をつっこまない』であり、そんなものはイーストエンドロンドン界隈に生きる者達にとっては常識だ。
「それでそいつは買い取りを拒否したわけじゃ。なんにせよ、まともな出所でないことははっきりしとるし、そんなもん関わっても百害あって一利なしじゃからのう」
「ちょっと待ちな。そのブローカーはこの金を買わなかったんだろう? なら、なぜそれが今お前さんの手元にあるんだ?」
男の質問に我が意を得たり、とDが満足そうに唇の端を伸ばす。
「そこじゃ。この量と品質もまげにけったいなんじゃが……なによりもけったいなんが、コイツ、その近くの草むらにほかされとったんじゃ、ゴミのようにのう」
「この、金塊を、か」
さすがの男も驚きを隠せない様子だった。どんな闇ルートで手に入れたにせよ、時価にしてとてつもない金額になるこの金塊を無造作にすてるということはあり得ない。
「じゃけえ、ワシに報告が上がってきた。なんやきな臭いことになっとるかもしれんてのう」
Dは頭の後ろを掻く。若干十四歳であるが、正真正銘代々このイーストエンドロンドンを仕切ってきたマフィアのボスだ。何か厄介な事態が起きているのだとすれば、早急に手を打たなくてはならない。
「ゴミのように捨てられていた……つまりはそいつを持ってきた奴にとって『価値はない』ってことだな」
「ほうじゃ。じゃけど、ワシらが調べた限りでは紛れもなく金じゃった」
「っていうことはつまり――錬金術か」
ふう、と男は小さく息を吐く。物質の偽造――そんなことを可能にするのは魔法しかない。
「ワシゃあんま詳しゅうないんじゃが、魔法で金を作るっちゅうのは、そうとう難儀なんじゃろ?」
「あぁ。原理的には可能ではあるが、実際に金という物質を表現しきれるだけの言葉がない。せいぜいが、銅や鉄の見た目を金っぽく変えるだけが関の山さ」
「けど扱いの荒さから見て、偽造されたもんと考えるのが一番妥当じゃ」
Dの言いたいことを理解した男は頷く。
「わかった。この一件は魔導協会の検閲官に任せるとしよう」
「すまんのう。さすがにワシが直接頼むわけにはいかんからのう」
大して申し訳ないと思っていない様子でDは笑う。
「で、こいつはどうする? 証拠物品として押収しておこうかい?」
「ワシゃ別に構わんが、賄賂と思われるんちゃうんかのう? のう、ロンドン警察の『掃除屋』レイン警部補」
「わかってるさ。今回俺はここで何も見なかった。そういうことにしておくぜ。そいつはそっちで好きなように始末しな」
冗談っぽくやりとりを交わして、レインは席を立つ。
「一応、その金を売りつけられたブローカーに話は聞けるかい? 唯一の目撃者だからな」
「そう来る思うて、話は通してあるけえ」
Dがブローカーの連絡先を書いた紙切れをレインに手渡す。
「そいつの話じゃあ、前髪で右目が隠れた猫背のひょろっとした男じゃったそうじゃ。たぶん地元のもん違うて、どっかから流れて来たんじゃと思う」
「あいわかった。のんびり紅茶を嗜みたかったが、そうも言ってられないのは警察官の世知辛いところだぜ」
レインはテーブルの上のカップを手に取り、その中身を一気に飲み干す。そして右手を挙げると、テーブルの上に自分の分の紅茶代を置き、颯爽と立ち上がる。
「こっちの都合で朝早うにすまんかったのう、警部補」
「なァに、こっちこそ朝の登校前悪かったな、学生さん」