So Long, Lonesome ~追憶の言葉~ 作:けんごち
「うーん。生物を変質させる魔法についての記述は、どこにも見当たりませんね」
大英博物館内に存在する魔導協会図書館。司書見習いのリオ・ショーは、眼鏡をくいっとあげて申し訳なさそうにそう告げた。
「やはりそうですか」
大して残念そうでもなくチャックは言った。念のために魔導協会の図書館に調べには来たが、やはり芳しい成果は得られなかった。そもそもが魔法を持ってして生物を変質させるというアプローチが規格外なのである。
「お役に立てずすみません」
「いえ。貴方の責任ではないのでお気になさらず。私の方こそ、ダメで元々の思いつきにお手間を取らせてしまって申し訳ありません」
すまなさそうに目尻を下げるリオに対してチャックは慇懃に頭を下げる。
「しかし、リオさんが魔導図書館で働いているとは驚きました」
チャックが話題を変えると、リオは少し表情を綻ばせる。
「はい。サムさんがいなくなって人手不足で困っているということだったので。それに僕も少しでもサムさんのお役に立ちたかったですから」
「……そうですか」
チャックは目を細める。
十年前、何の前触れもなくまるで霧のようにロンドンに現れた謎の男サム。彼を発見し保護したのが当時五歳だったこのリオ・ショーという少年だった。それからサムはリオ家に家族同然に迎えられ、魔導協会会長であるリオの祖父の口添えもあり、この魔導協会図書館で司書として働いていたのである。
「サムさんのことだから、僕の仕事が遅いって顔をしかめるかもしれないですけど」
「いえ。きっと喜んでいますよ。貴方が彼の後を継いでくれたことには」
冗談っぽく笑ってみせるリオに対してチャックは優しく首を振ってみせる。
「でも、僕、魔導士としての道を諦めたわけではないですからね! この魔導図書館の本を読みあさって、知識を得るんです。サムさんのように。サムさんはずっと僕の憧れでしたから」
両拳を握りしめ、鼻息荒くリオは決意を語る。その様子に、サムがいなくなった当初は意気消沈していたリオもすっかり立ち直ったものだ、とチャックは安堵する。リオ自信、できる限り周囲に心配を掛けないように振る舞ってはいたが、サムがいなくなったという喪失感を隠し切れてはいなかった。
「リオさん、貴方にはこれからお世話になりますね。ところでもう一つ訊きたいのですが――」
チャックは周囲を見回し、声を潜める。こちらが本題だからだ。
「この魔導図書館に最近怪しい男が来ませんでしたか?」
「怪しい男、ですか?」
リオは辺りをキョロキョロと見回す。言っては悪いが、魔導士には変わり者が多く、怪しいか怪しくないかと問われれば、魔導士の半分くらいは怪しいと答えざるを得ない見た目をしていることだろう。
「ある程度はっきりした特徴がわかっています。背が高くて――レイン警部補よりちょっと低いくらいだそうです――右目が前髪で隠れています。そして猫背気味で無精髭を生やした男」
「あー、そこまで具体的なら」
言いながらリオは思い出す仕草をする。
「たぶん、いなかったと思います。同僚にも確認してみましょうか?」
「いえ。大丈夫です。その男が用があるとすれば、魔導協会の図書だけなので」
元々望みは薄いと思っていた。チャックはさして落胆する様子もなく礼を述べる。
「お手間を取らせてすみません。どうもありがとうございました」
もう図書館に用はない。そう考えてチャックが去ろうとしたときだった。
「あ、ちょっと待ってください! その人ではないけど、気になる人はいました」
「気になる人、ですか?」
チャックが訪ね返すと、リオは頷く。
「一昨日、来たんです。ホラー作家のジョナサン・ワイルダーの資料について訊いてきた人」
「な!」
思わずチャックは大きな声を出してしまった。慌てて口を押さえ、前屈みになりリオに確認する。
「……その男の特徴を教えてもらえないでしょうか」
「あ、はい。えっと、若い男の人で……そうです! 左右の瞳の色が違っているのが印象的でした」
間違いない、とチャックは確信する。昨日、ピカデリー通りでチャックに接触してきたあの男と同一人物だ。
「あ、あの……その人がどうかしました?」
よほどチャックが険しい顔をしていたのか、リオがおそるおそるといった様子で尋ねてくる。
「いえ。まだはっきりとしたことはなにも。その男は、一体何を調べに来てなんと対応されたのですか?」
「尋ねてきたのは、ジョナサン・ワイルダーさんが魔導協会に所属していたときの記録です。僕が調べた限りでは、魔導協会に所属した経歴はなくて……魔導学校には籍を置いていたようなんですけど」
腕を組みながらリオは言った。
魔導士として活動するためには、魔導協会への登録が必要不可欠である。しかし、魔導学校を卒業したとしても、その後魔導士として活動するのは卒業生の一割にも満たず、ほとんどの学生が卒業後別の進路をとる。なので、ジョナサンの経歴自体はごくありふれたもので、珍しくもなんともない。
「……なるほど」
チャックの中で情報が繋がっていく。少なくともあのオッド・アイの男がジョナサン・ワイルダーについて調べているのは間違いない。
「ジョナサン・ワイルダーのファンの人なんですかね? 魔導士でもないホラー作家の資料を尋ねてきたから印象に残ってるんです」
リオは首を傾げる。リオ自身は、ジョナサン・ワイルダーが一連の事件の犯人だったことを知らされてはいない。
「それでなんと答えられたのですか?」
「そのままです。魔導協会に所属していた経歴はないです、とだけ」
「それで相手はどうしました?」
「どうもこうも、そうですか、って頭を下げて、そのまま行っちゃいました。なんだか、思い詰めていたような顔が印象的でしたね」
思い詰めていたような顔――間違いない、チャックが遭遇したあの男と同一人物だ。どういう関係があるのかはわからないが、彼がジョナサンについて調べているのは間違いない。
「わかりました。貴重な情報ありがとうございます」
チャックは礼を言ってすぐにその場を後にしようとする。何が起こっているのかはわからないが、一般人であるリオをこれ以上巻き込むわけにはいかない。
「あ、はい。僕の方でも、何かあったら連絡しますね」
「……よろしくお願いします。ただくれぐれも深入りはなされぬよう。何かおかしなことがあったらすぐに私達か、連絡がつかない場合はレイン警部補の方に伝えてください」
チャックは改め深々と礼をし、身を翻す。
あの事件は終わっていない――その事実がチャックの心に杭のように刺さった。
*
アカシックレコードの捜索だけでも手一杯なのに、再びこんな案件が持ち上がってくるとは――暗澹たる気分でチャックは大英博物館からの帰り道を歩く。状況が状況だ。テューダーとウィローハウスと情報を共有し、対策を練らねばならない。もっとも一体何が起こっているのか、皆目見当がつかない現状で立てられる対策などないにも等しいが。
彼らがいてくれれば――そう考えて、チャックはすぐに首を横に振った。あのとき共にジョナサンと戦ってくれたサムこと百千万字郎も赤星光正もいないのだ。サムの力は生みの親である光正の元へ帰り、光正も今頃は日本へと向かう船旅の途中である。彼らの助力を期待することはできない。
チャック達だけでこの事態に対処しなくてはならないのだ。
金塊を売りに来た男とジョナサンのことを調べている男の特徴は把握している。しかし、彼らがもし何らかの悪事を成そうとしているのなら、そうそう人前に姿を現すだろうか? 必要とあれば、レインや裏社会に通じているDの助力を請う必要がある、そうチャックが考えたときだった。
「どうにかしてお金持ちになる方法ってないかねえ」
「うーん。結構Difficultな問題だよね。いっそCashを錬成してみるってのはどう?」
「えー……できないこともないけどめんどくさいんだよねえ。印刷物って、絵柄があるからさぁ。金単体を作る方が楽ちんなんだよね。うーん、次はダイアモンドでもいってみる?」
チャックの脇を通り過ぎた二人の男。あまりにも堂々と――いや無防備過ぎるから、一瞬チャックも状況が理解できなかった。
右目が髪で隠れた猫背気味の背の高い男。会話の内容からしても、間違いない。禁書である錬金術を用いて金塊を生み出し、それを売り飛ばそうとしたのはこの男だ。
そしてもう一人。金塊を売ろうした男と親しく会話している人物。会話の内容から、彼らは仲間であると判断して間違いなかろう。
逃がすわけにはいかない――
「そこの二人、お待ちなさい!」
振り返り、チャックは二人を呼び止めた。
「ん?」
「What‘s up?」
抵抗するそぶりを見せることなく、二人は自然に立ち止まり、チャックを振り返る。
「私は魔導協会検閲官チャック・ロウ。貴方たち二人には禁書執筆の容疑がかかっている。容疑者として拘束させてもらいますよ」
そこまで告げて、チャックは自分が早まってしまったことを理解した。人通りの多い日中の往来の真ん中だ。もし相手が抵抗した場合、一般人に被害が出る可能性がある。
普段ならこんな失敗はしないが、あまりにも相手が無防備すぎたためについ体が反応してしまった。
「禁書っていうのは、なんのこと?」
右目を隠した男が頭を掻きながらすっとぼけるように尋ねてきた。
「とぼけないでいただきたいものですね。錬金術は、魔導協会により禁書に指定されていますよ」
「あー、なるほど。おじさんが犯人だって、よくわかったねえ」
ヘラヘラと笑う男。錬金術を使ったということは、この男も魔導士であるはずなのに、検閲官を前にしてもまったく怯えるところがない。
「Oh mistake」
もう一人の男にいたっては、イントネーションのおかしな英語で他人事のように良手のひらを天に向けている。
なんなのだ、こいつらは、とチャックは訝しむ。怯える、開き直る、抵抗する――検閲官が不貞の魔導士を捕らえる時は、大体相手はこの三つに分類される反応を示す。しかしながら、ここまでどうでもよさそうな態度をとられたのは初めてだ。
「ねえ、検閲官のお兄さん」
「な、なんだ……」
あまりにも馴れ馴れしく話しかけられたため、逆にチャックが怯んでしまった。
「おじさんさぁ、金を売りたいんだけど、何も言わずに買い取ってくれるところってない? イーストエンドロンドンのマフィアのところに持ってったんだけど、買い取り拒否されちゃってさあ」
「一体、貴方は何を言っているのだ……?」
チャックの理解が追いつかない。この二人は今の状況をわかっているのか? つい敬語を忘れてしまったことからも、チャックの困惑がはっきりと見て取れる。
「え? おかしいこと言ってる? 俺は金を売ってお金が欲しい。だから、金を買ってくれる場所を訊いてるんだけど」
心底訳がわからないという風に男は首を傾げる。
彼らの行動の意図がわからない。チャックはまるで宇宙人と出会ったかのように錯覚する。
「いったい……貴方たちは何者だというのです!」
精一杯気を持ち直して、叫ぶようにしてチャックは二人を指さした。
「何者って、えーと……俺たちの名前ってこと?」
「OK俺はデイブ・バレットだよ!」
「あー、おじさんはアイザック・ベイリ」
あまりにもあっさりと名を名乗ったので、逆にこれが偽名ではないかとすら思う。彼らは理解しているのだろうか? 検閲官という立場の人間が何をするのかを。
「何にせよ、貴方たちには禁書執筆の容疑がかかっている。おとなしく、私と一緒に魔導協会までご足労願いましょうか?」
慇懃な態度で、しかし鋭い視線でチャックは二人を射貫くように見る。
「えー、めんどうくさいしいいよ」
「それに俺たちは魔導協会のMemberじゃないしね」
心底めんどくさいといった様子で目を細めるアイザックと大げさに両手を広げてみせるデイブ。二人にチャックを恐れる様子は全くない。
「ならば力尽くでも――」
そう言って、チャックが魔術書に手を掛けたときだった。目の前の二人を包む空気が変化したことに気づく。
「あちゃー。派手な行動は慎むように言われているのにねえ」
「Oh my godだけど、やるからにはきっちりAssaultしちゃうよ!」
二人が懐から魔導書を取り出す。やはりチャックの見立て通りこの二人は魔導士だ。
チャックは周囲を見回す。チャック達の剣呑としたやりとりにおされたのか、チャックと二人の周囲にはぽっかりと人払いされたように誰もいない。人々は遠巻きにある者は心配そうに、ある者は興味深そうに三人のやりとりを見守っている。
「……近すぎる」
チャックは悔しげに奥歯を噛みしめた。目の前にいる二人の魔道士の実力はわからないが、周囲に被害を出すことなく拘束することは可能であろうか?
そして、さっきまでのやりとりでなんとなく理解している。この二人の魔道士は周囲の被害など一切構うことはないだろう、と。
逃げろ、と叫ぶのも一つの手ではあるが、その隙を突かれれば元も子もない。にらみ合ったまま、チャックには数秒の時間が数十分にも感じられる。
「えーと……やるの、やらないの? おじさん的にはこのまま見逃して貰った方がありがたいんだけど」
「そうだね、I think so tooだよ」
表面上にこやかに笑ってはいるが、執着が一切見えない無機質かつ無感動な反応。この感覚はまだ記憶に新しい。あの――フィリップ・マイルズとよく似ている。
この二人の実力がフィリップと同等であるとするならば、二人同時に相手にしてチャックに勝ち目はない。
「……くっ」
力なくチャックは魔導書を持つ手を下ろした。今ここで無謀な戦いを挑むわけにはいかない。
「あ、見逃してくれるの? じゃあ、俺たちはここら辺でバイナラということで」
「Luckyだね」
アイザックとデイブの二人は笑いながらチャックの両隣を通り抜けていく。
チャックは敗北感に身を震わせながらも、じっと耐える。
「……未熟だ」
そして、二人の姿がそのまま人混みの中へと消え去ったとき、チャックは静かに天を仰いだ。