So Long, Lonesome ~追憶の言葉~ 作:けんごち
イーストエンドロンドンホワイトチャペル周辺、奈落とまで表現された貧困の最下層。そこでは誰も他人に対する興味など一切持たず、肉体が排泄を繰り返すように人々が現れては去って行く。その中の一角。今にも朽ち果てそうな二階建てのアパートの一室へとアイザックとデイブの二人は戻ってきた。
「ただいまー。いやー、全然だめだったね。あんだけの金を売ればしばらくは遊んで暮らせるだけのお金が手に入ると思ったんだけどなー」
「Me tooだよ。俺も魔法の実験はNot a good resultだったよ」
せいぜい風よけ程度の役割しか果たしていないドアを開け、部屋の中に入るアイザックとデイブの二人。つまらなさそうに報告をすると、どかりと部屋の中央に座り込む。
「あんたら、いったい何をやってきたんだ?」
部屋の一番奥、窓際に立って表情を険しくしたリチャードがアイザックとデイブの二人に尋ねた。
「何って、お金持ちになるための経済活動。失敗したけど」
「俺はMonsterを作る実験だったよ。こっちもFailedだったけどね」
剣呑な雰囲気のリチャードに対してまったく悪びれない二人。
「あんたらが何をするかは勝手だけどな、くれぐれも目立つ行為はやめてくれよ」
「んな目くじら立てないでよ、リチャード。こんなゴミ溜めみたいなイーストエンドロンドン、誰も俺たちのことなんて気にしてないって」
「そうそうNo problemだよ、ミスタースチュアート」
「デイブ……俺をそう呼ぶなと言っているだろう」
「Oh sorry」
リチャードはデイブを睨みつける。しかし、全て何でもないことのように笑う二人。リチャードの眉間に皺が寄るが、二人はまったくそんなことは気にしていない。
「警察や検閲官に目をつけられるようなことはしてないだろうな?」
リチャードが確認の意味を込めて尋ねた。
「あぁ。それだけどね。ついさっき検閲官に絡まれちゃったよ」
「そうそう、ミスターロウだったかな?」
「なんだって! っていうか、何をやってんだよ、あんたらは!」
憤りを隠さずにリチャードは二人を責め立てる。
「別にいいじゃないのよ。特に何のお咎めもなく素通りさしてもらったし」
「Exactly」
「何のお咎めもなくって……第一なんであんたら検閲官に見つかってるんだよ!」
「さぁねえ。デイブと普通に談笑してただけだけど」
「うーん、もしかしたらAlchemyの話をしていたのがよくなかったのかもね」
「なんなんだよ、それ……」
リチャードはうなだれる。無防備というか無自覚というか。事を進めるにあたり、できる限り目立つ行動は避けたかったのに。
「リチャードだって、検閲官と接触したって話でしょ。だったら、おじさんたちだけ責められるのはおかしくない?」
「……あれはあの検閲官に確認する必要があったからだ。必要があったから、俺は接触しただけで、不必要な接触はしていない」
「あらそ。じゃあ、ごめんね」
へへ、と笑うアイザック。まったくもってして謝意が感じられない。
「あんたら――」
「あのさぁ、リチャード。勘違いしているようだけど、俺たちはあんたの部下なんかじゃあないからね」
アイザックに鼻で笑われた瞬間、リチャードの中に煮えたぎるような衝動が巻き起こった。今までの人生で、何度味わっても決して慣れることのなかった感覚。
「お前ら!」
「どうしたの? ケンカ、よくない。みんな、仲間」
剣呑とした空気は、割って入ってきたアルの一言により霧散した。
「アル……」
「リチャード、あまり怒らないで。アイザックとデイブ、ちょっと、わからないこと多い。僕と同じ」
毒気を抜かれた表情でリチャードはアルを見る。
「それにアイザックとデイブも。リチャード、からかわない」
「はいはい。別にからかっていたわけでもないんだけどねえ」
「まぁまぁ、俺はNo problemだよ」
口を尖らせるアイザックとにこにこと笑っているだけのデイブ。
「まぁ、いいさ、別に。俺は、誰も信用しないし、信用することもないんだから」
リチャードは吐き捨てるように呟くと、窓枠に腰を下ろす。窓から見えるイーストエンドロンドンのスラム街は、相変わらず澱んで見える。
この世界は、どこもかしこもくそったれだ――心の中でリチャードは吐き捨てた。豪奢な屋敷に住む貴族達も、ゴミ溜めのような場所で生きるスラム街の貧民達も。
「リチャード、そろそろ、覚悟決めた?」
無邪気に微笑みながら尋ねるアルに対して、リチャードは唇をぎゅっと噛みしめたまま、ゆっくりと首を縦に振った。
*
魔導協会跡地になんとか設えた仮設の居室にてチャックは先ほどの出来事をテューダー達に報告していた。
「金塊を生み出した魔導士ともう一人の男、ねえ」
「うーむ、もしかしたらそのもう一人も魔導士で、そやつが魚を怪物に変えた犯人かもしれないでにゃんすねえ」
顎に手を当てて考え込むテューダーと椅子の上で足をぶらぶらとするウィローハウス。
「すみません。私が軽率でした。奴らに声を掛けたくせに、何もできないまま見過ごすはめになるとは」
チャックがうなだれる。急いたおかげでことをし損じてしまった。わかったことといえば、あの二人の名前だけである。
「まぁ、そう自分を卑下しなくてもいいわよ。相手の実力がわからないのに無理に戦いを挑むのは無謀無策だし、かといって人通りのなくなるところまでつけていったところで、連中に返り討ちにあっていたかもしれないしねえ」
「そうでにゃんす。それにチャッククン一人では厳しくても、ワガハイ達三人が協力すれば、きっと戦うこともできるでにゃんすよ」
チャックを励ますテューダーとウィローハウス。半分は慰めだが、残り半分は純粋に状況を分析した結果でもある。それは、チャックが報告したある一点に根ざしている。
「テューダーさん、ウィローハウスさん。私が感じたこと――アイザック・ベイリとデイブ・バレットという二人の魔道士。この二人と対峙した感覚が、フィリップ・マイルズのそれとよく似ていたという点については、どう思われます?」
意を決した様子でチャックはテューダーとウィローハウスに確認をとる。
「……あのフィリップ・マイルズって魔導士は、ジョナサンが魔法で生み出したんだろう? だったら、フィリップ以外にもジョナサンがそういった存在を生み出していてもおかしくないね」
「禁書をばらまいて念入りに『実験』とやらをやる輩でにゃんすからねえ。十分あり得る話とみたぞな」
「私も、そう思います」
テューダーとウィローハウスの見解はチャックのものと一致した。
「リチャードのぼうやにアイザックとデイブっていう二人の魔道士。繋ぐキーワードはジョナサン・ワイルダーときたもんか」
「さすがに無関係ではない可能性が高いでにゃんすねえ」
三人の検閲官は頷きあう。
「アカシックレコードの一件も気になるけど、こっちのほうがよっぽど危急の事態だ。一旦禁域の後始末はおいておいて、そっちの方に注力するとしようか」
「テューダーさんのご提案に賛成します。とはいえ、現時点では名前以外何もわかっていない状況ですが」
「魔法を使っての人捜しをすれば一発解決でにゃんすが、先方に気づかれる危険があるぞな」
「ボーヤの言うとおりだね。急ぎたいところではあるが、下手につつくのは悪手だ。アイザックの方は錬金術に近い魔法、デイブの方は生物を変容させるジョナサンに似た魔法を使う可能性がある、ってところか」
「アイザックが生み出した金は本物の金とまったく遜色ない出来映えだったそうです。あのフィリップと同格だとすれば、相当腕が立つと見て間違いありません」
「レイン警部補にも協力を要請しようか。魔法が使えないとなっちゃあ、地道に足で探すしかないからね」
検閲官達は三人で方針を確認し合う。まずは奴らがどこにいるのか、そして何をしようとしているのかを突き止めるのが先決だ。
「チャッキー、悪いけどアンタはまずレイン警部補のところへ行っておくれ。アタシ達はこっちをちょいと後片付けしてからアンタと合流するようにするよ。さすがに禁書をその辺に置いたまますぐ飛び出すわけにはいかないからねえ」
「わかりました」
チャックは魔導書を携え立ち上がる。相手の目的もわかっていない状況ではあるが、時間に猶予はないとみていいだろう。
「そういえば――」
ここでチャックは思い返す。ピカデリー通りの雑踏でリチャードに声を掛けられたとき、チャックの声と行動が封じられた。あれはいったい誰の仕業だったのだろうか? チャックが見る限りリチャードが魔法を用いた様子はなかったし、テューダーの話が正しいとするなれば、彼に魔法の才能はない。となれば、近くにアイザックかデイブがいて、そのうちのどちらかがチャックに魔法を掛けたのか。それとも――チャック達の知らないもう一人の魔道士が存在するのか。
チャックは自らの魔導書を強く握りしめる。ジョナサンの起こした事件はまだ終わりを迎えていない、そんな確信めいた予感があった。