もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 作:夜中 雨
———そこまで頑張る必要はないんだ。セイバーは女の子なんだから———
何やらセイバーが絶句しているうちに、反応したのはアーチャーだった。
「そら、マスターもああ言っているぞ、セイバー。オレとしても、君と戦いたくはない」
アーチャーは一歩、二歩、
「ここに来て、セイバーに邪魔をされては
俺からみて、セイバーを眺めるアーチャーの表情は……ありきたりだけど、とても優しげですらあった。
「神髄を見せよう、セイバー。厳密には君ではないが、それでも……」
アーチャーはその
「——————
見せつけるように。
或いは、ただ、誇るように。
「セイバー! これは君への花向けでもあり、そしてオレの答えでもある」
———“Steal is my body, and fire is my blood ”———
何も起きない。
変化もない。
唯、アーチャーの詠唱だけが、朗々と———
———“Unknown to death, nor known to life ”———
状況は動かなかった。
誰も何もしなかった。
ただアーチャーの声を聞き、ただ詠唱の先の
——“Yet, those hands will never hold anything ”———
赤い外套の英雄は、胸の前で握った拳を、その中のモノまで、解き放つように———
———“So, I as play. UNLIMITED BLADE WORKS ”———
そうして、世界は染められた。
◇◇◇
———術者自身の心象風景でもって周囲の空間を侵食する大禁呪、固有結界。
三流魔術師を自認する俺でも知っている“最も到達可能性の高い魔法級事象”。
術者によって結界の内部構造がガラリと変わり、術者自身の過去や経験、そして
平たく言えば、自身の心に形を与えて、その中に術者の指定した対象を引きずり込む魔術とも言える。
ここで重要になってくるのは“術者自身の心に形を与える”というところ。つまり、今、俺たちが立っているこの世界は、アーチャーの心そのものだっていう事だ。
「……
「そうだ、セイバー。これがオレの歩みの果て、正義の味方を目指した衛宮士郎の死に場所だ」
「……アーチャー、貴方は———」
「知っているとも。君が何故やり直しを求めているのか……そんな君への僅かばかりの返礼だ」
空一面に雲がたゆたい、隙間からオレンジの陽が差している。
そのオレンジが反射して、地面が所々輝いている。
———それは剣だ。
見渡す限りの荒野に、数えきれないほど大量の剣が突き立ったいる。俺たち三人はちょうど平地になっているところに立っていて、俺からみて正面、ちょうどアーチャーの真後ろが小高い丘になっていた。
「セイバー、その小僧も言っていたが、邪魔だけはしないでほしい。どうしても、オレはその男を殺さなければならない」
「それは……」
「君にも覚えはあるだろう? 過去の選定をやり直したいと願った君なら、私の考えもわかる筈だ。
———そう、私は……自身の行いを後悔している。正義の味方など目指さなければ良かったと。そう言う意味では、私も君と同じかな」
過去の選定のやり直し。
セイバーがそれを叶える為に聖杯戦争に参加していると言うのなら、彼女は何一つ満足していなかったことになる。自身がかつて積み上げて来たすべてのものを、何一つ。でも、それは———
「——————
幸い、セイバーの立ち位置は俺とアーチャーの間にはない。どうやら、固有結界に取り込む際に立ち位置を調節できるらしかった。
「———ほう? この状況でまだ剣を構えるか。愚だな、衛宮士郎。この固有結界の意味を、履き違える貴様でもあるまい」
「ああ、見えているさ。この世界にある刀剣は
会話しながら脚を動かす。
前へと進む。
そうとも、衛宮士郎は理解している。こと剣製において、俺では奴に届かない事など、とうの昔に理解している。
距離はおよそ50メートル。
だから、距離を詰める必要があった。遠距離からの撃ち合いでは勝ち目がないなら、距離を詰めて叩っ斬るよりほかにない。
接近戦における斬撃の応酬の中にのみ、衛宮士郎の勝機がある。
そうやって、半分くらい近づいた所で、アーチャーはふと口を開いた。
「衛宮士郎。貴様は一度終わったように見えたがな。どう言う風の吹き回しだ?
先のオレとの問答で、決着は付いたと思っていたがな」
「ああ、確かに俺は動けなかった。お前の言葉をそっくりそのまま受け入れていた。
けど、なんでだろうな———セイバーの姿を見たら、どんな事でも、出来る気がしたんだ」
「そうか……だがそれでどうなる。オレとお前の差は歴然だ。立ち直ったところで、結果はすでに見えている」
「そんなの、やってみないと判らないじゃないか。だいたい、お前の言葉は正しい。お前はずっと、そんな地獄を見続けてきたんだろうさ。でも————」
———でも、違和感を覚えた。奴に言葉で追い詰められていた時は気づかなかったけど、一息ついた今なら判る。
奴の語った言葉、奴の道理に何も間違いは無いはずなのに、明らかに何かがおかしい。
「そうだ、何かは判らない。判らないけど、お前の考え方はどこかおかしい」
「何を今更。衛宮士郎の思考が破綻しているのは———」
「そうじゃない、俺が言いたいのはそこじゃなくて—————アーチャー、お前、勘違いしてるんじゃないか?」
「……勘違いだと?」
既に、そこは剣の間合いだ。だが、構えることはしていなかった。
二人とも、剣を下ろして———
「アーチャー、お前は……なんと言うか、とても多くのものを失って来たんだよな」
「それは、少し違うな。オレは何も失わない様に意地を張ったから、こうして今、ここにいる。だから、結局のところ、私が失ったものはない」
——————“
「ああ、そうか。お前は結局、唯の一度も諦めることをしなかった……」
「いや、諦めることをしなかったのではない。
アーチャーは少し目を細めて、
「だからこそ、オレに残ったのは後悔だけだった。そもそも、始まりからして間違えていたのだと。
正義の味方になろうとすればするほど、理想の正義を求めれば求めるほどに、事件の中核にいる何人かを殺さざるを得なくなる。
無力であった当時のオレが、沢山の人を救いたいと願うなら、行き着くところはいつだって同じだった」
アーチャーの方が背は高い。少し俯いた奴の視線が、俺のそれと重なった。
「一番最初、オレの持つ原初の記憶。それは一面の焼け野原と涙を流す切嗣の顔だ。その顔がとても幸せそうだったから、憧れただけ」
———いいかい、士郎———
「その理想は破綻している。お前は、正義の味方になどなるべきではない。お前はいずれ、選ばなければならなくなる。正義の味方が救う事が出来るのは、正義の味方が助けた者たちだけなのだから……」
———誰かを助けるという事は、誰かを助けないという事。……正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ———
……
…………
………………。
見つけた。
やっと見つけた、アイツを切り崩す突破口を———
今、自分の表情がどうなっているのか判らないけど、奴の怪訝な顔を見る限りでは、きっと笑っているんだと思う。
「アーチャー、お前もやっぱり、衛宮士郎だったんだな」
「————何?」
「だってそうじゃないか。正義の味方を否定して、英雄になんて成るべきじゃないって言って、爺さんとの約束を捨てるように迫って、自分の辿った道をどれだけ悪しように語っても———やっぱりお前は衛宮士郎だ」
俺ひとりだけ納得してもしょうがないが、それでもやっぱり快感だった。今まで散々煮え湯を飲まされてきたあのアーチャーが気づかなかった事に俺が気づいた、というちょっとした優越感だ。
ゆっくりと深く、息を吸う。
ここからが正念場だ。ここがアーチャーの心象世界である以上、心でアイツを打ち負かさないと意味がない。
元々、能力では圧倒的にこっちが下なんだ。心でアイツに勝たないと、勝負にすらなりはしない。だから、せめて……
「『全体の救いと個人の救いは別のものだ』と、お前は言ったな。『その二つは絶対に両立しない』とも」
「事実だ、衛宮士郎」
「いや、事実じゃない。そこが違和感の正体なんだよ、アーチャー」
さらに一歩、脚を運ぶ。アーチャーと視線を合わせたままに、もう一歩。
「アーチャー、“それ”にはいつ気づいたんだ? “それ”は誰に教えられた?」
そう、全ての始まり、全ての矛盾点はここにある。俺もアーチャーも、二人揃って間違えた。
どうして、全体を救うか個人を救うかを決めなければならないのだろう?
どうして、どちらかの陣営にしか味方してはいけないのだろう?
どうして、いつもいつも、二者択一なのだろうか。
そしてそれは、一体全体、いつから俺たちの中にあったのだろうか。
———何度も、夢に見ていた。
それは爺さんとの別れの夢で、衛宮士郎が生まれた夢だ。
———子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた———
アーチャーの奴は呪いだとでも言いそうだけど、俺にはそうは思えなかった。
あの夜があったから、衛宮士郎は今日まで生きて来れたと思う。そうじゃなければ、とうの昔に壊れていたとも。
———ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ———
だから、自分の成れの果てを見た今になっても、俺はやっぱり、爺さんには感謝している。
人間に憧れる人形のような人生だけれど、俺は———
———誰かを助けるという事は、誰かを助けないという事———
だけど、そんな俺を救ってくれた爺さんが、どういう理由でそう結論づけてしまったのか。
きっと、本当に救いたかった筈のものを救うことが出来なかったんだろう。どれ程の犠牲の果てにその結末を迎えたのか、想像することしか出来ないんだけど。
———正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ———
「アーチャー、俺は———」
———そんな事、もっと早くに気づけば良かった———
「—————
◇◇◇
———人は心ある生き物だ。だから、考えるじゃなく感じるんだと。命ではなく心の話と。
この世界は残酷だ。思い通りになることなんて一つもなくて、誰も代わってくれなくて。他人に何を言っても、その人は変わってくれないし、世界なんてびくともしない。
だからこそ、表側を見るんじゃないんだ。
物事の裏にある人の心に、ルールではなく人の想いに、心を馳せることだって、きっと出来る筈だから。
なんて———、
新都にある数多のビル群、その一角。
乱立する摩天楼の屋上に彼女は在った。
ビルの屋上、その端っこ。
海浜公園を向いたまま、何するでもなく立っている。
穂村原学園の女制服、肩まである栗色のストレートボブ。闇夜に輝く琥珀の瞳……
「———それだけは、教えてきた筈だけど……」
美綴綾子は、視線を切った。その戦場から背けるように……
「古き良きを嘆き憂い、若者たちを
———ねぇ、ギルガメッシュ?
と、後ろにいる黄金に聴く。その金ぴかはいつからいたのか、何を見たのか。
美綴綾子の琥珀の瞳が、少し細まる。
フッ、と。ため息なのか自嘲なのか、どっちつかずの仕草の後に、彼女は口を開いた。
「遥か
森羅万象は人の思惑を遥かに超えた大きなもので、人の知恵の及ばないところにあるから、人の狭い理屈で捉えきれるものじゃない。
憲法や道徳と言った仰々しいものなど在っても無意味であり、そう言ったものが初めから無かったが故に、日の本は長い間、うまく治っていた。それなのに……」
彼女の、華奢なその手に力がこもる。
「秩序が生まれ、科学が生まれ、法律が生まれ、善悪が生まれ……世界はどう動いているのか、どう廻る
「———だがな、綾子。現実に目を向けるがいい。
“人を殺してはいけない”という思想が一般化したのは、たった数百年前のことだ。
それにな、
……どこまでも脆弱でくだらぬ獣よ」
後ろから聞こえる裁定者の言葉に、綾子は楽しげに、少し笑った。
「ルールを設けなければ事の善悪を測れない程、人間は愚かな生き物じゃないぜ」
———普通なら、道理に基づく説得によって“己”を抑制すれば、理論上、世の中の争いは無くなる筈だと考える。
でも、考えてみてほしい。道徳によって抑制しても、内面の“己”が消滅するわけではない。己の欲、感情的な衝動は、依然として心の中に在り続けるのだ。
そうである以上、“己”同士の争いそのものは無くなりはしないし、それが道徳という建前の影に隠れている分、争いはより巧妙で陰湿なものになっていく。
だから、人間が感情を本質としている以上、道徳は悪意や争いを助長するモノになりかなない。
———ならば、実際はどちらだったのだろうか。憲法、法典、道徳は悪意の抑制に役立ったのか、或いは……
「でもね、ギルガメッシュ。
だったら、人間の善性に賭けてみよう、って」
———世界
「人の世界を消滅させて、あらゆる法が意味を無くせば、人間は心と向き合わなければならなくなる。
理性に押し潰されてた人の心が本来の形を取り戻した時、この世は地獄になるかもしれない。
……でも、『光輝くものは常に暗闇の中から生まれる』ように、パンドラの箱の中からあらゆる災厄を取り出してはじめて、希望を見つけることが出来たように……」
息を吸い、吐き出した後で体を回す。
黄金の王と向き合って、美綴綾子は宣言したのだ。
「
———ねぇ、ギルガメッシュ。この賭けに、乗ってくれるかい?」
風が吹き、髪が舞う。
ギルガメッシュの黒のレザーが、風に吹かれて揺れていた。
「馬鹿者、この
ギルガメッシュが
ビルの端に足をかけ、その相貌をこちらに向けて———
「———やって見せよ。この
その淵から身を投げた。
「……あらら、行っちゃったよ。気まぐれな王様だこと」
フフッと笑ってもう一度、士郎の闘いに目を向けて、
「パンドラ計画が成功すれば、士郎が正義の味方に成らなくてもいい。そんな世界が、出来るかもしれない……なんて。
……そうすればさ、お前は結婚でもしてさ、そいつの味方になればいい」
◇◇◇
振り向き様に頭上に構える。
次の瞬間、地面と水平に構えた刀が、半ばから砕けてしまった。原因は———
「——————ハァァァア──ーッツ!!」
迫り来る二刀。
初撃を躱し、二撃目を防ぐ。
だがこれで、先程投影したモノが柄と鍔だけになってしまった。最も、俺はこの刀を投影してから、ずっと右手でしか扱っていない。
———だから左手が空いている。
剣の間合いにいるヤツには、もう一歩踏み込めば拳打も届くと言うものだ。
「——————ハッ!」
気合いと一緒に魔力も乗せた掌底を一発。
勿論、効くとは思っていない。俺の目的は———
「…………チッ」
———奴との間合いを離す事だ。
「——————
二刀を構えるアーチャーに、無構えで対峙する。
「俺は正義の味方になる。その為に、お前をここで打ち負かす」
「……『総てを救う』だと? そんな事が出来るのならな……オレがとっくにやっている!」
アーチャーが踏み込んできた。
上段からの縦一閃を“受け流し”てやり過ごし、カシッという音を残して、今度は俺が、刀を縦に振り下ろす。
アーチャーが左手の一刀で防御しようとしたところで、瞬間、俺は足元まで沈み込んだ。
———日本刀にて、“打ち合い”は禁物だ。
和包丁を落としたところを見た事がある人はわかるだろう。刃が欠ける。それも、恐ろしいことに、1ミリ以上も欠けたりするんだ。
これをキチンと処理する為には、刃先から刃元まで、全て均一に1ミリ分研ぎ進めないといけない。
その大変さは、わかる人には解るだろう。
———日本刀にて、打ち合いは禁物だ。
それを回避する為のモノが、各流派それぞれに、キチンと伝承されている。
身をかがめることで、刀の速度を殺す術。
アーチャーが後ろに跳ぶのと、俺が行動に移るのは同時だった。
しゃがむ時、身体に掛かる重力や重さを利用して斜め上に跳び上がる。
身体を捌き、身を捻り、アーチャーが着地する瞬間には、その右側面に移動していた。
「—————————ッツ!!」
また、間合いが離れてしまった。
一足で、剣の間合いに踏み込める。しかし、今は確かに間合いの外に。
「……まさか、その
アーチャーの右腕、その二の腕に一筋の傷。
「ああ、言ったろ。何でも出来る、そんな気がする」
「……なに———それは“気のせい”と言うものだ。総てを救う事など、出来る筈もない」
「そこだよ、そこなんだよ、アーチャー。確かに、総ての人々の命を救う事は出来ないかもしれない。
でも、
———人は心ある生き物でしょ。だから、命でじゃなくて心の話よ———
「俺は正義の味方になる。お前がどれだけ否定しようと、俺は、この道を行くと決めたんだ。
———だって、俺の夢を『頑張れ』って応援してくれた人が居るんだから」
だから、
「お前に、負けてなんかやるもんか。“座”にでも籠もってじっと見てろ!
お前の出した議題の答えは、俺が、生涯をかけて証明する!
俺は絶対間違えない。諦める事もない。
———だって、前から導いてくれる人、隣を走ってくれる人、背中を押してくれる人に……同じ夢を、追いかけてくれる人も居るんだ」
だから……
「———だからッ———!」
その後は言葉にならなかった。
だから全力で駆け抜けて、全力で剣を振り抜いた。
どうなっているのかも分からない。
何も考えず、何も思わず。
剣が無くなったら投影し、二刀が迫れば受け、躱し。
いつ攻撃したのか、何処へ脚を運んだのか……何も分からないままに、唯アーチャーを見つめている。
そして、ついに———
「—————全く、どこまでも度し難い。まさか、こんな結末になろうとはな……」
眼前にはアーチャーがいる。それは今までと変わらない。
違いは———そう、その肩から脇腹にかけて、袈裟筋に一本、刀傷が走っている事。
「…………勝った、のか?」
手元の刀が綻びていく。
息を乱して、しゃがんだ姿勢から起き上がれない。
「…………
衛宮士郎。と言葉を残して、立ち去ろうとするアーチャーを見る。
その背中、風にはためく赤い外套を見ていると……不意に、この胸に去来するものがあった。
「最後に、ひとつだけ……聴いてもいいか、アーチャー」
「———なんだ、衛宮士郎」
「アンタが英霊になった……きっかけ、その始まりに、違和感を覚えたんだ。
———だから、答えろ。アーチャー、お前が死後を捧げてまで、救いたかった数百人のその中に——————桜はいたのか?」
一瞬の、空白と沈黙。
「…………つくづく、気に喰わない男だな。衛宮士郎」
「アーチャー、アンタは“鉄の心”を持っているわけじゃない。今の闘いでそれが判った。
お前はどんな状況になったとしても、桜を殺せる人間じゃない。
それにさっき言ったじゃないか。『何も失わない様に意地を張ったから此処に居る。何も失ったものはない』って」
それはつまり———
「……間に合わなかったんだな」
「いや、それは違う。
間に合ってしまったかなとこそ私は此処に居ると、アーチャーは言った。
桜は
「もしも間に合わなければ、私は正義の味方になる事もなく、こんな醜悪な化物に成り果てる事もなかったかもしれない。
きっと私は、誰かを助けてもいい人間ではなかったのだろう。
———これが私からの教訓だ、衛宮士郎。衛宮士郎という人間は、大切な人を救おうとすればする程に、周囲に災厄を撒き散らす。
おぞましいものに成り果てる。
だから、正義の味方になど、成るべきではなかったのだと……」
そう、桜を救おうとしたから。
桜を、救おうとしてしまったから。
衛宮士郎は桜を救ってもいい人間ではなかったのだと。それなのに、傲慢にも救おうとしてしまったから。
「……それは、どうい———」
「それからは、数を基準に人を救うようになった。己の心が信用できないと悟ったからだ。陣営の数を見比べて、より多い方に味方した。自らの感情に目が眩み、二度と被害を増やさぬようにと」
アーチャーは自分の掌を見つめていた。
奴が、そこに何を見たのかは分からないけど、きっと、大切な何かがあった筈なんだ。
ギュッと握りしめた掌の中に、かつてあったもの。それは、差し出した手を取ってくれた時の温もりか、或いは————
「果たして、私は誰を救いたくて、その戦場に
この手で切り落とし、この手で殺した人をこそ、救いたかった筈なのにな」
———その言葉を聞いて、もう一つの疑問の答えも見つかった。
フゥと、肺に溜まった淀みを吐き出し、立ち上がる。
未だ背を向けるアーチャーにどうしても言わなければならないことが、できた。
「———アーチャーお前、後悔してるのか?」
「そうだな、確かに私は後悔をしている。しなかった時などない」
「そうか…………、でも俺は、お前は間違ってなかったと思う」
俺の言葉に
「…………何?」
振り返りかけ、寸前で止まり、ちょうど首だけ捻った格好になったアーチャーに、俺はちゃんと笑う事が出来たと思う。
だってそれは、正義とは何かという事で、救うとはどういう事かという話だからだ。
「—————最近、思い出した事がある」
今度は俺が掌を見る番だった。
それはいつの話だったか、誰に言葉をかけられたのかは、霞んで思い出せないけれど。
———正義とは、“自分が正しいと思っている事”だから———
人は心ある生き物だ。だから、考えるんじゃなく感じるんだと、理屈ではなく心の話と。
この世界は残酷だ。思い通りになる事なんてひとつもなくて、誰も彼もが救われない。
———本当にそうなのか? 本当に、奴に切り捨てられた人々は皆がみんな絶望したのだろうか。奴に殺された人間は、全員が奴を恨んだろうか。
『命なんてどうでもいい、先ずは心を救いなさい』と、誰かに言われたことを思い出した。
最初はずいぶんと反発したものだけど、その後戦場に赴くようになって、いくつか気づいたことがあった。
「戦地に居る人々の中には、自分よりも、自分の大切な人に生きていて欲しいと願う人が沢山いるって事だ」
海で溺れそうな時、見つけた一枚の木板を取り合う二人が赤の他人だったなら争いも起こるかもしれないが……もし、母と息子だったならどうだろうか。例え木板に掴まれるのがひとりだけだったとしても、相手を突き飛ばして己が生きようとは思わない筈だ。
俺はそういう人たちに、戦地で出逢うことができた。
「自分が信じた者の手で殺されるなら、それは結構な幸せだと、そう言ってくれた
誰かの為に死にに行くのは決して悪い気分じゃないと、笑ってくれた
———なぁ、アーチャー———
「お前が殺したその人は、誰かに何かを託して逝けたか?
託された者の心をこそ、護ることは出来たのか?」
———きっと俺は出来たと思う。ほかの何も判らなくでも、これだけは解る。だってコイツは未来の自分そのものだから。
「なら、お前は間違ってなんかなかったさ。その人たちにとってすら、正義の味方だったんだから」
次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]
———第十二話、綾子の浄眼