もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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《第十四話、誘拐事件》

 

 

 それは唐突に訪れた。

 

 

 遠坂の『パーっと遊びましょ』宣言から4日ほどだったある日、前日までは学校に行ったり、修行したり、本屋に行ったり、はたまた魔術の研鑽を積んでいたり、それまでからして考えられない程ゆったりと時を過ごしていた。

 そんな中おとずれた、土曜日の事だった。

 

 

 ———カラン、カラン———

 

 

 ちょうど朝食を食べ終わった辺りだろうか。

 桜が皿洗いをしていると、まるで鳴子の様な音が響きわたった。

 

 ———カラン、カランカラン———

 

 

 衛宮邸は静かになった。或いは、『空気が変わった』というべきだろうか。生活音の全てが消え、シーンと静まり返る屋敷の中に声が響く。

 

「おーい!」

 

 少しハスキーな少女の声。

 

「誰かいないのーー!」

 

 美綴綾子の、声だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 衛宮邸の表門、その片側だけを直角に開いて、そこから「おーい」と叫んでいる袴姿の彼女の元に最初に姿を見てたのは、桜だった。

 

「ふーん、中々いい覚悟じゃない」

「部長には、猶予を、頂きましたから……」

 

 両手を体の前で重ねて、俯きながら、表門まで歩いて来る。

 

「やっぱり気づいてたんだ」

「はい。わたしが悩んで、選べるように……」

「うん、そこまで解ってるなら話は早い。で、どうするの?」

「わたしは————」

「ダメェ——————ッ!!」

 

 少女の悲鳴。

 それと同時に黒い球、ガンドの呪いが降り注ぐ。

 

 

 ——————と。

 

「——————“サンギ・ヒツギ・ホウヒ”———」

 

 美綴綾子は右手で手刀を型どると、前に一線(いっせん)振り下ろし、次いで左右(うし)ろに振り下ろし、

 

「——————“フロウサイレキ”———」

 

 そして最後にもう一つ、ガンドの来たる上空に向け、横一線に手刀をなぞると———

 

「……嘘、でしょ?」

 

 ガンドの呪いが、ひとつ残らず蒸発した。

 脚力を強化してひとっ跳びで来た凛が、桜の隣に着地するのと、綾子が目の前の2()()()()()()()()のとが同時になった。

 

「ッチ。桜、とりあえず離れるわよ。此処は流石に近すぎる」

 そう言って、桜の腕を引こうとして———スカッた。

 

「——————え?」

 

 周りを見て気づく、自分が玄関前にいる事に……桜が門の近く、綾子の前にいる事に……

 綾子の瞳が、琥珀に輝いてる事に———

 

「そう、それがアンタの能力ね」

「言ったでしょ遠坂。『殺し合う関係になる』ってさ」

「そっか。未来も見えるんだっけ、貴女。でも、それにしちゃお粗末ね、こうして————時間稼ぎを許すだなんて」

 

 そう、凛の台詞が終わった時、その背後には三騎のサーヴァントが揃っていた。

 

「遅れてすまない、凛」

「反省会は後! 今は———」

「ああ、判っているとも」

 

 アーチャーが干将・莫耶を投影する。

 他の二騎も、既に準備を終えていた。

 腰に手を当てた美綴綾子はそこに反応した。

 

「へぇー。アーチャーを弓兵として使わないんだ」

「当然でしょ。その“眼”を持っているアンタに宝具じゃない矢は当たらない。この家は気に入ってるから被害は最小限で抑えたい。それに、()()()()()()()()()()()()()()、戦力を遊ばせておく理由はないわよ」

 

「うんうん、流石は遠坂」などと頷いている綾子の背後、門の外の空間が歪み、ねじ曲がった。

 そうやって出来た穴の中から、2つの人影が歩いて出てきた。

 

「よく見つけたわね、小娘」

 

 その人影のうち1人、黒いフード付きのローブを頭から(かぶ)ったった女が進み出て、凛を見ながら綾子に喋った。

 

()()()貴女のライバルたり得ると言うのは、(いささ)か過大評価じゃないかしら」

「そう? キャスター。もうポテンシャルは揃ってるんだし、開花してなけりゃこんなもんじゃない?」

 

 綾子は左手を顎に添え、その肘を右手で支え、首を傾げる。

 キャスターはそのローブの下でフフフと笑った。

 

「そう言うもの? まあ、相手がこの程度なら、仕事が楽で助かるのですけどね」

 ———では参りましょうか、お嬢さん———

 

 キャスターが桜に手を出す。その手を———桜がとった。

 

 

「——————ッ———つ———!」

 

 動かない、動けない。

 凛やアーチャー、セイバーも含めて、誰一人として動けなかった。

 サーヴァントたちは武器を構えたまま、凛はポケットに手を突っ込む寸前で、それぞれに固まっている。

 

「空間ごと固定したのですもの。時間稼ぎにはなるでしょう」

 

 桜の手をゆっくり引いて、歩き出すキャスター。

 桜がキャスターの隣に来たところで反転して、綾子の横を通って門をくぐる。瞬間に、

 士郎が腕を切り落とす。

 

 古い伝記の中には、恐ろしまでの身体能力を持つ人が多数存在する。気がついたら近寄られていたとか、気がついたら刀を奪われていたとか。そう、武術の達人の逸話を紐解けば“気がついたら……”と言う描写が驚くほどに多い事に気づくだろう。

 凛とて、気がついたら士郎が後ろに立っていて“声をかけられて初めて気づく”という事が何度もあった。

 他の国の伝説にある武術家・兵士の言い伝えはもっと豪快で大掛かりなものであるのに対して、この国の人間が「凄い凄い」ともてはやし賞賛するのは、(もっぱ)らこの“気がついたら”なのである。

 

 しかし、遠坂凛は知っている。

 戦場において“気がついたら”はそれなりに信頼できる武器になることを。

 ミスディレクション。マジシャンなどがタネや仕掛けを観客から隠すために用いる、視線誘導のテクニック。

 だが士郎は、自分の行動を隠すのにこのテクニック(ミスディレクション)を必要としない。

 故に、こと奇襲において、彼は最強の切り札()()るのだ。

 

 ———しかし、それは———

 

()()()()()()()()()()だが。

 

 今、キャスターは門の外にいる。手を引かれる桜はまだ門の中。繋がれた手はまさに門をくぐるっている最中(さなか)

 “気がついたら”近づいていた士郎がいつの間にか小太刀を振り下ろしている。

 ———だが、小太刀に刃は付いていない。

 根元から切り落とされているからだ。

 

「つまらぬ仕事かと思っていたが……」

 

 三人いる敵の中で反応したのは一人だけ、“気がついたら”引き抜かれていた恐ろしいまでの長刀を手に、桜の後ろに立っている。

 

此度(こたび)の現界、愉しめそうでなによりだ」

 

 白い着物に馬乗り袴、紺の陣羽織を羽織っている男。

 頭の後ろでポニーテールに結んでいる、烏の濡れ羽色の髪。

 

 抜刀の際右手一本で保持していた長太刀に左手を添えて、俊速(しゅんそく)、左から右に横薙ぎに払う。

 だか、士郎には届かない。斬撃の瞬間跳び下がり、斬線の外に脱している。

 

「———っ! ……」

 

 陣羽織の男の眼前に縦回転する小太刀の柄。ちょうど彼の正中線を捉えて回るソレに意識を割いたその隙に、士郎は潜り込んでいた。

 

 ———彼の足元に。

 

「—————————」

 

 音もなく、気迫もなく、気配すらない踏み込みから、手に在る二本目の小太刀を縦に、下から上に斬り上げる。其れを———

 

「よくぞ止めたな、小太刀の少年。そのまま小太刀を上げていれば、首が飛んでいたものを。一息で、間合いの外まで退がるとは———素晴らしい身のこなしだぞ」

 

 ———だが、此方の仕事も時間稼ぎでな———

 

 言うが早いか男も一息に跳び退がり、後ろ向きで門を跳び越えてしまった。

 その行動を目で追っていた士郎は———笑った。

 

 鎖が伸びる。

 重りの付いた鎖が迫り、侍サーヴァントの右腕を捕縛しようとする。が、長刀の柄頭を重りに当てた侍は鎖を弾いた勢いをそのままに、迫るセイバーの剣を流した。

 

 ———その瞬間に重なるように、破裂音が辺りに響く。

 

「あのバカ! アンタのソレは切り札なのにッ……」

 

 静寂の中、凛の声だけが響いて消えた。

 セイバーはライダーと士郎と横並び、その後ろに凛とアーチャー。

 三騎と二人の視線の先には、空中に固定された円状の魔法陣によって止められた、一発の弾丸がある。

 

「なるほど、弾丸そのものに己の起源を封入しているのね。面白い構造だわ」

 

 キャスターのサーヴァント、その頭部から1メートルほど先の空間で。デタラメに組み替えられた魔法陣が自己消滅した。

 支えがなくなって落ちて来た弾丸をその手に収め、しばらく眺めた後、キャスターはそれを適当に捨てた。

 

「どうやって封入したかと思えば、まさか骨粉を入れるだなんて。落ちるとこまで落ちたわね」

 

 宙を掴んだ右手が握りこまれると、彼女は身の丈をこえる杖を持った。あたかも、空中から取り出したように。

 

 セイバーが飛び出す。見えない剣で切りかかる。

 だが、キャスターの方が早かった。その長い長い魔法の杖で、地面をトンッとひと突きすると、瞬間に消えてしまっていた。敵のすべてが———

 

 

 ◇◇◇

 

 

「遠坂、結果はどうだ?」

「まだ三工程も残ってるんだけど?」

「あっ…………すまん

 

 

 桜を連れて行かれてからと言うもの、俺たちは大忙しだ。

 ———訂正、遠坂が大忙しだった。

 

 桜を守り通せば俺たちの勝ち。作戦会議で遠坂はそう宣言した。

 だが同時に、それがいかに難しいかも力説した。

 現状、サーヴァントの突破力を無力化するだけの防御を固める事は不可能だ。聖杯戦争の、期間中でなければやりようもあるかもしれない。美綴相手にそれをやるのがいかに難しいにしても、だ。

 だが聖杯戦争にばサーヴァントがいる。この時点で桜を死守する方法が敵の撃破に限られてしまう。

 こちらの拠点が一方的に知られている状況で、それを成すには———

 

「“待ち”の一手よ。

 敵は必ず仕掛けてくる。桜が欲しいんだもの、当然よね? だったらこちらの戦術はほぼ1つに限られてくるわ」

 

 気分の問題よと、赤いフレームの伊達眼鏡をかけて人差し指を立てた遠坂は、こちらから索敵するのは悪手だと言った。

 

「私達はもう監視されていると思いなさい。そんな状態で索敵のためと少数で行動なんてしてみなさい。格好の的よ。撃破されに行ってる様なものじゃない」

「俺たちには美綴側の戦力情報がほとんど無いんだもんな」

「そう、最初からとても不利なの。だからなんとしても()()()()()()()()()()()()()()。チャンスは一度、奴らが桜を(さら)いに来た時、戦闘の間に糸を結ぶわ」

 

 ———例え桜を護れたとしても、その戦闘で何の情報も得られなかったと言うのなら、私達の敗北が確定すると思いなさい———

 

 

 

「———っ。よっしゃ捉えた!」

 

 あれから半時間はたっただろうか。やっと、遠坂が()えた。

 

 中庭の地面に棒を使って作成した即興の魔法陣に、遠坂の手持ちの宝石を10個ほど流体化させ流し込み、ライダーと共同で“糸を辿った”のだ。

 

 事前に遠坂から渡されたマーカーは宝石だった。(もっと)も、手渡された物というのは、ドロドロに溶けた宝石の入った石の器だったわけだが。

 器の中身、ドロドロの宝石に両手を漬ける。そうすると一定期間、その手で触れたモノにマーキングするという代物だ。

 

 けど、先の戦闘では問題があった。

 

「まさか、あの()が綾子につくなんてね……」

 

 遠坂は、両手で顔を覆っている。その両手の甲には三角ずつの令呪があった。

 

「ああ、サーヴァントとの契約の白紙化。それも桜の方から一方的に……令呪を引っぺがされた可能性はないのか? 遠坂」

「もしそうなら、契約ごと持ってかれてる。私がライダーと再契約なんて、出来ない筈だもの。

 (もっと)も、そうだったなら、ライダーのパスを通して一瞬で居場所を抜いてたけどね」

「…………そっか」

「戦闘では誰も触れられなかった。桜の衣服に縫い付けておいた私の髪の毛を使ったから、こんなに遅くなったのよ。アンタがマーキング出来てたら()ぐだったんだからね!」

 ()ぐよ()ぐよと、詰め寄る遠坂にちょっと笑って、その頭をポンと撫でた。

 

「な、なによ?」

「いや———精神は回復したみたいだと思ってさ」

 

 一度目を見開いた遠坂は、フッと笑った。

 

「行くわよ士郎! お姉ちゃんに相談もなく綾子についた事、取っちめてやるんだから!」

「———ああ、行こう」

「私達はまだ負けてない。首の皮一枚繋がってる。だったら、桜を取り返して理由を取っちめてから綾子を倒して、それで終わりよ!」

 

 遠坂は歩き出す。途中、テーブルの上あったアーチャーの紅茶を一気飲みして、颯爽(さっそう)と。

 玄関を抜ければ、慎二を含めて全員が(そろ)っている。

 

「目的地は円蔵山—————」

 

 遠坂が宣言した。

 

「桜を、奪還するわよ!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「よく来たねぇ、王に連なる(くらい)の方々」

 

 美綴綾子の挨拶に、誰一人返す者はない。

 いや、ギルガメッシュだけがただ一人、鼻を鳴らして威張ってみせた。

 四人が集まったのは地下にある小部屋だ。壁は地面が剥き出しで、木の柱を組むことで補強している。

 四角い小部屋の中に机がひとつ、机の上にランプがひとつ。

 

「今日集まってもらったのは他でもない。渡すものがあるからよ」

 

 彼女は馬乗り袴に覆われた脚を前に運び、左手に持っていた巾着袋を机に乗せた。

 机の上で輝くランプは、四角い机の四方に(たたず)む4つの影を4つの壁に投影していた。

 

 綾子が巾着の紐を解く。中から虹色で星型八面体の結晶石が多数出て来た。

 

「これは“(えにし)の結晶石”と言ってね、大聖杯から魔力を(かすめ)め取って、(あたし)の眼で判別した(えにし)の概念を、魔力を(のり)に結晶化させたモノ。

 つまり、今誰かと繋がっている(えにし)、それを辿(たど)ることの出来る石。

 (えにし)は未来から現在へと繋がっているから、未来を手繰り寄せることができるんだ。使い方は令呪に近い。

 コレは“未来を確定させる概念が結晶化したもの”と考えてもいい」

 

 ———例えば、「〇〇のそばに行きたい」と望んだとすると、“その想い”によって方向付けられた“(えにし)”がその人物との繋がりを辿り、中に込められた魔力によって瞬間移動すら可能になる。

 

 綾子はその中の一つを取り上げて、自分の眼に透かしてみせた。

 

「この“(えにし)の結晶石”、使い方は数限りなく存在する。

 霊基の復元もなんのその、割と何でも出来るからね。

 でも、|()()()()()()()()()()使()()()()()は一つだけ、それが何かは…………解っているみたいだね」

「———成る程な」

 

 金色の王が虹色の晶石を二つ手に取る。

 

「ふむ、何が起きようともそこに居合わせなければ手出し出来ぬ故、(オレ)には関係ないと高を(くく)ってはいたが…………成る程、コレは悪くない一品だ」

 

 闇色の女王も二つ手に取る。

 

「私は千里眼を持たぬ故な、直接見た訳ではないが……お主から聞く限りにおいては、(わし)も参加した方が良さそうだな」

 

 そして、

「あまり気は乗らないのですけれど……。コレも契約ですものね?」

 

 フーディットローブの魔女だけは、それを四つ手に取った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ———『己を低く見積もるな、されど他者を(おとし)むべからず』だ———

 

 いつかの、先輩の言葉。

 

 ———誰かが不幸になるくらいなら、俺がそうなった方が百倍良い。

 でも、それはきっと……一番辛い役割を、誰かにおしつけることだと思う———

 

 

 そう、この世で一番辛いのは“自分の大切な人が不幸になる事”だと、思えるようになってきた。

「そんな事無い、自分の不幸が一番辛い 」と言う人もいるだろう。

 ただわたしは、先輩と一緒にたくさんの地獄を見てきて、いくつもの悲劇に立ち会って、その中で一番辛そうだった人たちはいつも、自分自身の事ではなかった。

 だからと言って、それを理由に秘密(蟲蔵でのこと)を打ち明けなかった、という訳でもない。

 確かに、先輩は他人の不幸にとても敏感な人だ。わたしがそうであると知ったなら、きっとわたし以上に悲しんで、わたしを力一杯抱きしめた後で、きつく叱ってくれると思う。

 それこそ(先輩が悲しむ事)が一番辛いから、という身勝手な理由ではないと、わたし自身は思っている。

 

 だから、そうじゃない。

 そうじゃなくって……ただ、気に喰わなかっただけだ。

 

 だって、それを知った先輩はずっと、一緒にいてくれると思う(知っている)から。

 わたしが苦しんでいたと気付かなかった自分を責めて、己の鈍感さを呪って。

 そうして、「誰かひとりを救えない奴が、世界を救える筈ないじゃないか」とか何とかうそぶいて。それから、わたしと死ぬまで一緒にいてくれると、自惚れでなくそう思うから、決して彼には明かさなかった。

 

 ———だってそんなの、わたしが負けたみたいじゃないですか———

 

()()()()をすれば、それ以降ずっと、わたしが姉さんと会うたびに、()()()()したのだと思い出させられる事になる。

 罪悪感ではない、劣等感を抱いたままで生きていく羽目になる。

 

 

 ———それだけは、嫌だったのだ。

 

 こんな時、先輩の事をよく知らなかったら良かったのに……と思う自分は、きっと善人にはなれないのだろう。

 先輩の事をよく知らなければ……“わたしを選んでくれる”という確信を未だに持っていなかったなら……もしもそうだったなら、わたしはきっと——————

 

 

 ◇◇◇

 

 

「桜は強いわよ。私より、何百倍も」

 

 衛宮邸から出陣する前に、遠坂は俺に教えてくれた。

 

「桜はね。自分に合わないモノを受け入れる為に、自分の存在を変えたのよ。器の形を間桐臓硯に合わせる事で、あの男を受け入れた。

 それは強くないと出来ない事よ」

 

 とびらの前に立つ俺に、自室の椅子に座った遠坂が流し目をくれた。

 

「人はね、自分の存在の崩壊を何より(おそ)れる生き物なのよ。強姦されて辛いのは、無理矢理やられるからだけじゃないの。

 確かにそれも嫌だけど、それ以上に、自分が何か得体(えたい)の知らないモノに成ってしまいそうで、今までの自分が塗り潰されてしまいそうで……

 “死ぬのが恐い”って言うのも、結局はそういうことでしょう? 

 “自分が消えてしまうのが恐い”、“その後どうなるのか、その得体(えたい)の知らなさが恐い”って」

 

 遠坂は、さっきアーチャーが入れて来た紅茶、もう冷めてしまったそれを一口。

 カップをソーサーに戻す時()った、カチャっという音が遠坂の部屋に響き渡った。

 

「もしも……もしも私が桜だったなら、『痛いのは自分が悪いからだ』って、『恐いのはわたしのせいだから』って、()()()()()()()()()()かしら」

「———ああ、遠坂は凄いからな。やろうと思えば出来ると思うぞ、俺は」

「そう? やっぱり優しいのね、士郎は。

 ……でもね、私はしようとしないだろうと思うのよ。自分が塗り潰される恐怖を、受け入れようとはしないだろうなって」

 

 答えることが出来なかった俺に、(つい)に遠坂は向き合った。

 椅子の上でお尻を回転させてこっちを向いて、両膝に手を当てて俺をみて———

 

「そんなモノ、受け入れる必要なんてないんだと、他人は言うかもしれない。でもね、コレは士郎が一番よく判ってると思うけど、それこそ(受け入れる事)幸せに生きる為の第1歩、人生の極意ってヤツなのよね、きっと。

 私は士郎と旅をしてきて、そう言ったモノの大切さ、天才の私に足りないものを見ることが出来るようになったと思うのよ」

 

 

 ———だからね、士郎———

 

 あかいあくまはニヤリと笑って———桜に宣戦布告するのだった。

 

「桜をぶん殴ってやろうじゃない! 士郎を見くびるんじゃないわよって。

 その程度でなびく男だと思われちゃ、私の沽券(こけん)にかかわるわ」

 

 ——————? 

 

「…………? なんでさ」

 

 

 






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十五話、円蔵山の戦い
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