もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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遅くなりました。
それと、サブタイトルを変更しています。





《第(十三)話、女怪(じょかい)メドゥーサ殺人事件》

 

 

「お茶が入りましたよ、士郎」と、メドゥーサは言った。

「———ああ、いま行く」と、俺は返した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 本を読むのはめんどくさいと気づいたのは、そろそろ三時を過ぎようかという頃だった。

 俺の部屋、(たたみ)の上で本を読むこと数時間。俺は目頭をもんでいた。

 本を読むのに疲れてしまったのだと思う。読んだものが頭に入らないとか、目が上滑りするとか、そんな感覚で、ただ文字を目で追うだけなのに、こんなに大変だとは思わなかった。

 

「その本は読む必要ありませんよ、士郎」

 

 メドゥーサの声が割り込んで来たのは、ページを睨んでいる時だった。

 

「二行目を読む必要はありませんよ。本文の一行目を読んで『二行目を読みたい』と思わなかったなら、それは今の貴方にとっては不要な書物だと言う事です」

 

 俺の部屋の隅っこに座っているメドゥーサは、本を持ったまま手を伸ばし、ちゃぶ台に本を置いて、次のを手に取りながら、少し笑った。

 そうか、とこぼして、もう一度本に目を通す。

 やっぱりダメだった。目が、本の文字の上を滑ってしまう感じがする。思い切って本を閉じた。ちゃぶ台の空いたスペースに置いて、乱立する本の塔の上の一つを、適当に取り上げた。

 タイトルを見る、“ケルト巡り”。石でできたドデカい十字架のようなモノの前に知らないおじさんが立っている。そんな表紙を眺めること少し、本を開いて本文を読んでみた。

 

【我々は、言葉にしないと伝わらないと考えてしまう節がある 】

 

 閉じる。

 気が抜けたのか、少しため息をこぼしてしまった。本当にこれで良いのか、と思う。一行目を読んだだけでやめて良いなら、何十冊も積み上がっているこの本の摩天楼も、一瞬でなくなりそうなものだ。

 

 

 ———人生には、いつまでも色あせない黄金の1ページがある。

 ほかの事は全部忘れてしまったのに、何故か、その瞬間のことだけは覚えている、そんな1ページが———

 

 

「なあ、メドゥーサ」

 

 これは、まだ誰も欠けていなかった時、俺がメドゥーサと過ごした、最期(さいご)の数日間の物語。

 

「もう一度、本屋に行こう」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ライダーは、桜たちと一緒に街に繰り出したあの日の朝、遅めにとった朝食の席で、唐突に真名(しんめい)を公表した。

 

「私の真名(しんめい)はメドゥーサ、ギリシア神話に登場する蛇の化け物、女怪(じょかい)メドゥーサです」

 

 バイザーの奥の相貌(そうぼう)に動きはなく、能面のように固まっている。ライダーはちゃぶ台の一角で正座して、腿の上に両手を置いて、かしこまって話し始めた。

 

「私は、自らに定められた運命、“いつか怪物になる”というソレによって擬似的に、魔獣としての怪力を行使できます。

 つまり、力の前借りですね」

 だからこそ、デメリットもあるのです。とため息をついた。

 

「私自身が(すで)に一度、怪物に成り果てた後だということ。魔獣ゴルゴーンの力を使えば使う程、魔獣化が進行してしまうのです」

 

 つまり、全力での長期戦闘は望めないという事。

 つまり、強敵のと戦闘では肉体が崩壊しかねない事。

 ゆえに、一人では桜を護りきれそうにない事。

 

「私に出来ることなら、何でもしますので、どうか……お願いします」

 と、ライダーは締めくくった。

 

 

「どうか、なんて言われても、諦めるしかないんじゃない?」

 

 反応したのは、まず遠坂だった。いつものように、右手を(あご)に当て、右肘を左手で握っている。

 

「そもそも、魔獣化ってなんなのよ」

「魔獣というのは、私が辿(たど)った物語の果て、“形なき島”で自らの姉妹すら喰らい()くした怪物の事です。そうなった私には、おそらく敵味方の区別はつきません。命あるモノは溶かし、喰らい、その周囲一帯を“鮮血神殿”へと書き換える、見境(みさかい)のない化け物です」

「令呪で、抑えきれるモノでもなさそうね」

「えぇ。三画すべてを使っても、そう長くはもたないでしょう」

 

 そうして、数秒の沈黙がただよったこの空間で、今まで最も無口だった男が、口を開いた。

 

「たとえ(わず)かでも、令呪で無理やり抑え込めるんだったら、方法がないワケじゃない」

 

 ニヤっと笑って、上から目線で、いつもと何も変わらぬ態度で、

「みんな、僕の家名を忘れたの? マトウは、令呪システムの考案者だぜ」

 

 目を細めて、慎二はさらに、唇の(はし)を吊り上げたのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ありがとうございます、士郎」

 

 メドゥーサが、そう言った。

 

「私の事情に、こんなにも付き合っていただいて」

 

 大量の、紙袋と共に。

 

「何言ってんだ、俺が好きでやってるんだから、メドゥーサが気にやむことなんてないじゃないか」

 

 紙袋から取り出した大量の本をそれっぽく分類し、俺の部屋に積んでいる既存の本と見比べて、似た分野そうなところに平積みしておく。

 とはいえ、今買ってきた本もそうだが、昨日買った本もかなりの数だ。こうなると分類が難しい。買う本自体は完全にメドゥーサに任せているが、このメドゥーサ、「お前が心を失わずに、かつ強制されなくてもいい方法を探したいから、お前のことを教えてくれ」って言ったら、

 

 ———私が語れるのは体験だけです。貴方が連れて行ってくれると言う場所まで、それだけでは不足でしょう。

 ですので、一緒に本を読みませんか? ———

 

 といった具合に、大型書店に連行された。

 俺にはただカゴ持ちをさせて、そろりそろりと本を置いていくメドゥーサは心持(こころも)ち楽しそうだった。無表情が崩れていると言うか、いつもの(けん)が取れていると言うか。

 

 ———お茶が入りましたよ、士郎———

 

 居間からメドゥーサの声がする。

 

「ああ、いま行く」と、俺は返した。

 

 

 居間でお茶を飲む俺とメドゥーサ。茶菓子は帰りしな買った鯛焼きだ。

 

「どうです? 昨日今日と読書ばかりでしたが、そろそろ嫌になりましたか?」

 

 鯛の頭を()み込んでから、メドゥーサは聴いた。

 それに対して俺は、メドゥーサの入れてくれたお茶で口を(うるお)して、二度三度呼吸してから、声に出した。

 

「確かに、最初は面食らった。買ってきた本の中に小説やマンガなんて一つもない。評論・神話分類学・歴史書・宗教学、かろうじて物語の(てい)をなしているのは神話の本だけときた。

 でも、嫌になったっていう訳じゃないんだ。なんて言うかな……意味もわからないまま、意味もよくわからない本を、それも、似通った物事について書かれた本をこうもたくさん読んでいると、な。著者は、熟考しながら本を書いてるんだって事が、だんだん分かってきたように思う」

 

 メドゥーサについて書かれた本が三冊あれば、三冊とも、違う描写の仕方をしていた。当然、ペルセウス神話の捉え方も、みんな違った。みんな、自分の経験と知識を総動員して神話を読み、考えていた。

 だから、ジャンルの違う本を読んで、まったく違う切り口で、でも同じく、ギリシア神話が登場する。

 だから、彼ら(著者)はギリシア神話を読んでいて、その最中(さいちゅう)、その向こうに、こっちを見る他の誰かと、目が合うんだ。

 

「それに気づいた時、感動したんだよ。小説を読んで涙を流すのとは違って、その感動を言葉で表すのは難しいんだけど」

 

 鯛焼きの、最後に残った尻尾を食べる。

 商店街の外れにあるこの鯛焼きは、尻尾の中まであんこがあって、そのあんこがプチュっと(あふ)れてきて、俺は甘さを誤魔化すように、(ぬる)めのお茶で口を洗った。

 

「それは良かったです」

 

 既に、鯛焼きを全部()()したメドゥーサは、湯呑みを両手に感想を述べた。

 その笑顔があまりにも眩しかったから、目を()らしつつ話題を変えた。

 

「今頃、他のみんなはどうしてるかな」

「確か、魔獣と化した私を確実に自害させる為の封印を作る、と」

「昨日の朝から一日かけて、慎二がマトウの資料を遠坂の家に運び込んでたもんな」

 

 昨日、隣町まで繰り出した遊びの最中(さいちゅう)、慎二はずっと一人で、せっせと資料の運搬をやってたワケだ。今現在は、桜や遠坂と封印を作っている最中だろう。

 セイバーは桜たちと一緒にいる。

 魔術師三人にサーヴァントが二人、単独行動さえなければ、護衛はなんとかなりそうだけど。

 

「正直、あの封印だけは、出来上がって欲しくないよな」

「そういえば、凛と慎二が封印の内容を詰めていた時も、ひとりだけ猛反対していましたね。なぜそんなに、士郎は反対なのですか?」

 

 そう、あの時、俺は猛反対した。どう考えても遠坂に口で勝てるワケないのに、さらに慎二までついているとなると、反対しても負けるのは明白だった。

 それでも、反対した。

 

「だってお前、震えてたじゃないか」

「そうでしたか? いつも通りだと思いますが」

「そう見えた、気がしたん……だけど」

「それは、根拠とするには(いささ)か不十分では?」

 

 ズズッと湯呑みを口元に当てて、メドゥーサは目を少し見開く。その四角い瞳孔から逃げるように、今度は逆に顔を(そむ)けた。

 

 座敷机(ざしきづくえ)の向こうから、ハァーっとため息。

「感情で突っ走っただけでは?」

「そ、そんな事はない。ちゃんと考えてる」

「どのようにですか?」

「ホラ、俺は正義の味方になりたいんだからな。大勢の誰かを救うためには、まず、目の前のひとりを救わなくちゃいけない」

 

「———では」

 メドゥーサを見てみれば、彼女は目を伏せていた。両手を太腿に置いている。

 

「では、私を救えば世界は滅び、世界を護るには私を殺さなければならないとしたら」

 

 そして、

 

 —————士郎は、私を殺してくれますか? —————

 

 震えていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ツッかれたーーーッ!」

 

 ベトッと、座敷机(ざしきづくえ)に突っ伏す遠坂。

 

 キッチンにいるアーチャーは、俺の隣で紅茶を蒸らしている。

 その横で、俺はアナゴを開いていた。

 

(しょう)海老の仕込みは終わりました、先輩」

「解凍中のヤツは?」

「それも終わってます、先輩」

「じゃあ、玉ねぎの皮むきと……メカブを頼む」

「はいっ」

 

 俺はアナゴの、最後の一尾の頭を落とした。

 目釘を引き抜き、頭を捨てる。アナゴの背びれを切り取りながら、チラッと目線だけで左を見た。

 桜はメカブを洗っている。ボウルに入れてゴシゴシと。その横に、皮のむけた玉ねぎもある。俺は急いで、アナゴの腹骨を(そぎ)ぎ取った。

 仕込みは時間との戦いだ。余裕はまだある。とは言え、桜が隣にいるこの状況では、先輩の威厳を守るための戦いだった。

 

「そこまでだ、小僧」

 

 そんな時だ、アーチャーの声が割り込んできたのは。

 

「アナゴのヌルヌルはおいておけ。———そう、その皮に付いているヤツだ。ソレは、付いていた方が(うま)く仕上がる」

「なんでさ。アナゴのヌメリは落としてナンボ、そうじゃないのか?」

「フッ———」と、鼻で笑いやがった。

 

「貴様は、和食が得意だと豪語(ごうご)していた筈だが……魚の事すら、何も知らないらしい」

「ッ————っそこまで言うなら、アナゴもお前が揚げてみろよ、アーチャー」

「よかろう。では、貴様などでは到底たどり着けぬ高みというものを、教えてやる」

 

 

「あのー、先輩?」

 

 アーチャーへの視線を切って、バッ! とふり向くと、両手を後ろ手に組んだ桜が苦笑していた。

「えっと。お野菜の仕込みも全部、終わらせちゃいましたっ」

 所在なさげに傾けた桜の顔が、先輩の威厳の失墜を、ありありと物語っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 網を敷いたバットに、揚がった天ぷらを乗せていく。油がポタポタとバットに垂れる。それを目で確認しながらコンロのツマミを調節、油の温度が上がらないように少し弱める。

 箸をギュッと握り締め、バットを片手に、居間の座敷机へ。膝と腰とを軽くかがめて、その流れでバットから天ぷらを取り出し、各々(おのおの)のお皿によそいながら、素材の名前をおごそかに告げる。

 

「最後の一品(ひとしな)は、“菜の花”です」

 

 菜の花。

 春の山菜ではあるのだが、その走りはこの時分に出回り始める。八百屋さんで菜の花を見かけた時の“春を先取りした感じ”、「ああ、もうすぐ春が来るんだな」って感じが好きで、最後の一品(ひとしな)に持ってきた。野菜の天ぷらは、秋の終わり頃のものから順に揚げて、季節の移り変わりを演出した……事になっている。それぞれがああだこうだ言いながら食べているから、一切(いっさい)気にされてないのだが……。

 

 ()にも(かく)にも、ほろ苦い春の天ぷらで、俺のコースはひとまず終わりだ。

 この後は、アーチャーのヤツが天ぷらを揚げる。

 

「なるほど、貴様の力量は把握(はあく)した」

 とだけ言い残して、アーチャーはキッチンの向こうに消えていった。

 

 居間とキッチンの間にある、カウンターになっているところに置いてあった箸と皿一式を持って、先ほどまでアーチャーがいた場所に座る。

 隣に座っている遠坂に、聴いておきたい事があった。

 

「遠坂、封印はどうなったんだ?」

「とりあえず、別の神話の大地母神を使うことに決めたわ」

 

 むっ、と唸る。なるほど、とは言えなかった。

 

「何で大地母神が出てくるんだ? メドゥーサは蛇の怪物なんだろ」

 

 そうすると遠坂はマジマジと俺を見て、ため息をついたのだった。

 

「メドゥーサはかつて、ギリシア神話よりも古い神話でね、大地母神だったのよ」

「そうなのか? だったらギリシア神話でもガイアみたいな立ち位置にいそうなもんだが」

「さあね。そこは私も知らないわ。でも、同じ権能を持つ神の力を流用すれば、他神話の神の力を打ち抜ける。一時的に相殺出来るから、それを使う。

 メドゥーサの神性なんか、()れども(なき)(ごと)しだし、魔獣化によって霊基が変質するタイミングで発動するよう調整すれば、なんとかね」

「そうか」

 

 お茶を飲む。それ以上は何も、言えなかった。

 

「こういう戦いがあるとは、知りませんでした」

 

 と言ったのはセイバー、角を挟んで左斜め前にいる彼女は、神妙な顔をしていた。

 

「剣を交えぬ、戦い。戦いとは、お互いの主張をぶつけ合うものとばかり思っていましたが、これは」

 

「どうでしたか? 先輩の料理は」

 

 遠坂の向こう、俺から見て右斜め前にいる桜は、自身の隣に座るメドゥーサに聴きながら、白ごはんを食べている。

 

「ええ、とても」

 

 メデューサは、湯呑みをスッと持ち上げた。

 

 

 

「さて、まずは海老だ」

 

 やって来たアーチャーは、菜箸(さいばし)で海老を摘み上げ、素早く全員に配膳した。すると横のヤツの気配が変わった。右隣に座る遠坂が目に見えて上機嫌になったのだった。

 

「勝ったっ」

 

 遠坂は、戦いに参加してなかった筈なんだが。

 

 

 ズズズッとお茶漬けをかき込んでから、茶碗とお箸をトンと置く。一呼吸おいてから、遠坂は宣言した。

 

「アーチャーの勝ちね」

 

 同卓の面々を見渡すと、桜は天丼、メドゥーサは天茶(てんちゃ)、セイバーは天丼を食べ終わってアーチャーに天茶を催促していた。

 

「衛宮、何年も料理から遠ざかってたサーヴァントに負けるなんて、サボりすぎなんじゃないの?」

 

 俺と向かい合って正面に座ってる慎二は、時々毒を吐きながら天茶をすすっていた。

 

「ま、“霊基縛り”のメドも立ったし、どっちにしろ衛宮のまーけ。初めっから出来もしない事をやり続けるなんて、とんだマゾだよね」

 

「なぁ、慎二。ソレって、メドゥーサへの封印のことか?」

「アレッ。何? あの雌ヘビのこと名前で呼んでんの? 

 なんだよ衛宮、あの体目当て? ヤったんなら感想聞かせろよ、どうだったんだよ、な———」

 気づくと、慎二の肩に、刃物が突き付けられていた。

 

「その行為が、どういうモノかはさておいて、だ。

 それは、食事時に()する話ではあるまい」

 

 茶碗を左手に、アーチャーは亀甲模様の付いた白い刀身の短剣、干将を慎二の肩に置いている。

 右肩を見てため息を吐いた慎二は、背中を丸め、頬杖をつくのだった。

 

 夕食も終わり、それぞれの部屋に帰りしな、メドゥーサがアーチャーにボソッと「ありがとうございました」と言っているのを、俺は聞いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺がその本を見つけたのは、ほんの気まぐれだった。

 ちょっと聞きたいことがあって、メドゥーサの部屋を訪ねた時のことだった。

 

 ——— “アマゾネスと蛇と馬”———

 

 メドゥーサに招き入れられた時、彼女が読んでいた本がソレだった。

 部屋の一角に正座して左の肩を壁に預けるようにして、ハードカバーを読んでいた。

 

「それは」

「ああ、この本ですか? “あの日”貴方に買っていただいたものです」

「いや、そうじゃなくてさ。どんな本なのかってのが、気になったんだ」

「タイトルの通りです。ギリシア神話に登場するアマゾネス達と、彼らが信仰していた、蛇と馬の神についてです。

 読んでみますか?」

 

 メドゥーサが差し出してきた(ソレ)を、腰をかがめて受け取った。

 

「———それで」

 彼女は下から、俺の目を覗きこんだ。

 

「どのような用事だったのですか?」

「ああー。なんでもない」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———第一章、怪物にされたメドゥーサ———

 

【メドゥーサはそれほどの悪だったのだろうか】

 

 背中に、壁の(たい)らさを感じながら、本を開いた。ちょうど、自分の頭の後ろあたりにある窓から刺してくる日の光がページを照らした。

 

【醜い怪物に変えられてなお、地の底でひっそりと過ごしていた()の女神はなぜ殺されなければならなかったのだろう】

 

 “あの日”、メドゥーサの顔色を変えた文章がどのあたりのページにあるのか、予想はつかない。

 ページの上に(うつ)り込む自分の影を()けるように、頭をずらした。

 

【「美しかった」という理由だけでは説明のつかない何か、もっと……】

 

 本を閉じた。

 この本、“アマゾネスと蛇と馬”を書いた人は、メドゥーサという女神は美しかったから怪物になったワケじゃないと言っている。メドゥーサを殺したい誰かが先にいて、アテナ云々(うんぬん)は後付けだと。なんでもよかったんだけど、ただ、メドゥーサが綺麗だったから……と。

 

 俺は本の表紙を見た。そこには、美しい女神(ひと)がいた。(あお)い色のストレートを腰の手前まで伸ばした、瞳の大きな白い服の女神(ひと)が。その左手は、白い馬を撫でている。

 翼もなく、角もない。純白の馬だ。

 

「メドゥーサじゃない。よな」

 

 この本の中では、ただ“女神”とだけ呼ばれている。ほんのちょっとだけ憶測のように書かれていたモノ。

 ため息をつく。

 

「メドゥーサを殺すために、アテナはメドゥーサを怪物にした。その原因になった女神がいる、かもしれない。ということか」

 

 ギリシア神話より古い神話体系に存在した、太古の女神。本の中ではただの推測として、根拠のないまま作り出された、架空の女神。

 

「でも、もしそんなヤツがいるのなら」

 

 部屋を見渡す。たった数日で作り出された、本の牙城を。

 

「何か、手がかりになるかもしれない」

 

 魔獣化の原因を、見つけるために。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一度物事を整理しようと、俺はまず、ギリシア神話の本のページを開いた。かたわらのちゃぶ台にノートを開き、疑問点を洗い出す。

 

 どうしてアテナは、こうも執拗にメドゥーサを貶め、殺そうとしていたのか。

 どうしてメドゥーサだけが、ゴルゴーン三姉妹の中で成長することができたのか。

 

 一つ目は、神話の中にのっている。メドゥーサの髪が綺麗だったから。資料の中には、メドゥーサはアテナの髪よりも私の髪の方が綺麗だと自惚(うぬぼ)れたから、と書いてあるものもあった。

 二つ目は、神話の中にはのっていない。手元にある二種類のギリシア神話、どちらにも書いてなかった。

 

 手元にある二冊のギリシア神話。桜の快気祝(かいきいわ)いに外出した時、立ち寄った本屋でメドゥーサが手に取ったこの二冊は、見比べてみると少しづつ違いがある。メドゥーサ(いわ)く、この二冊は編纂(へんさん)時期が違うらしい。

 例えば、ペルセウス。新しいの方の(ヤツ)では、ペルセウスの父親はゼウスだということになっている。変身能力で金色(きんいろ)の液体になって、夜、壁の隙間から侵入して、ダナエという女性が寝ているところを起こさずに交わったらしい。

 古い方のギリシア神話では、ダナエの叔父のプロイトスとの子供である説も一緒に掲載(けいさい)されている。

 物語としてのギリシア神話と、歴史資料としてのギリシア神話、といったところか。原典にだけ記されているものもある。

 

 次に、俺の部屋にうず高く積まれた本の塔を(にら)んだ。幸い、歴史・神話考察の本は大量にある。だが、ギリシア神話より古い神話についての本は、ほとんどない。メソポタミア神話のことが少し書いてある本があったくらいか。

 

 現在の情報はこれだけだ。だから、情報を集めないといけなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「なぁ、メドゥーサ」

 

 その足でメドゥーサの部屋に行った俺は、彼女にことの真偽を聴いてみた。畳の上に座り、同じく正座している彼女に本を返しながら表紙の女神について問うと、わからないと返ってくる。アテナの呪いについても、よくわからないと返答された。自身の魔獣化はゆっくりと進行していったから、それが本当にアテナに()けられたモノだという証拠もない、と。

 

「私は、幼い頃からあの島で暮らしていました。“名もない島”、そこで姉様たちと、三人で」

「アテナって言う女神は、どんな奴なんだ?」

「いえ、それも。私個人としては、面識などなかったのです。私の髪についても、自慢した記憶もありませんし」

 少しうつむきながら、左手で髪の毛を後ろに払った。シャラっと垂れた前髪が、目元に影を落としていた。

「あっ。ですが、姉様たちに褒められて、浮かれていた時期もあったかもしれません」

「うーん。ならさメドゥーサ。ギリシア神話の神って、その程度のことで怪物にして殺そうとするのか?」

「ええ、わりと。貴方も読んだと思いますが」

「ああ、たくさん出てきた。でも、被害者は大抵、人間だったろ?」

 

 そう、ギリシア神話の神は驚くほど死なない。特にゼウス。

 そのことを指摘すると、彼女は黙ってしまった。

 

「確かに、ギガースたちを除いて神々は不死身ですね」

「でも、お前は不死身じゃなかったったんだろ?」

「ええ、私だけが、このような大女(おおおんな)なのです」

 

 結局、メドゥーサに聴いても、肝心の女神のことはわからなかった。そもそも、その女神が関係しているかどうかもわからないんだが。

 ペルセウス神話には、隠されたモノなんて初めからなかったってこともあり得る。そうなりゃ詰みだ。昨日の慎二の言葉通りなら、メドゥーサの封印が完成するのは時間の問題になってくる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「そこに立って、ライダー」

 

 遠坂邸、地下室。

 即席の机やら燭台やら、資料やら本やらが全て部屋の隅に寄せられている。日の光の届かぬそこでの唯一の光源は、凄惨(せいさん)と輝く魔法陣の光だった。二重の円の中に五芒星と(くじら)座を模した図形、そして八芒星みたいな図形が並んで描かられている。その三点からそれぞれ三色の光が漏れ出していた。その三色の光が混ざり合い、外周の二重円は刻々と色を変えながら虹色に輝いている。

 

 メドゥーサが立っているのは、魔法陣のすぐ手前(てまえ)

 

「五芒星が五大元素、八角の星がイシュタル、(くじら)座はティアマトを表しているの」

 

 遠坂は、握り締めた右手の隙間からポタポタと輝く液体を垂らしながら説明する。

 

「メソポタミア神話を使って、魔獣を縛るクサビを撃ち込むのよ」

 

 魔法陣の魔力が渦巻き、紙の資料がバサバサと音を立てる。その内の一枚が、風によって舞い上がった。

 真っ白な服を着た桜が、遠坂の隣に並んだ。

 

「ライダー」

「了解しました、桜」

 

 メドゥーサが足を運んで、魔法陣の真ん中に進んだ。振り返る。下から光に(あお)られた紫の髪が重力を無視してフワフワと舞い、紫色のバイザーに隠れた顔は能面のように動かない。

 

 そして、遠坂が詠唱する。

 

「白くて黒く、赤くて黄色い。アルフィディウスの水銀と、再誕の白き月の石。

 (きよ)(たる)(うち)、王冠の穴に声を打つ」

 

 ギュッと、メドゥーサの全身に力が入ったのがわかった。光はいっそう強く、髪の毛は逆向きに、勢いよく逆立(さかだ)った。

 

「フォンス・オルクス・フルグルス、(フォンス)(オルクス)稲妻(フルグルス)

 テミスの(いかり)、かくて再び」

 

 遠坂は右手に宝石を握りこんだまま、左手を桜とつないだ。

 桜は唯一空いている左(てのひら)をメドゥーサに向けた。メドゥーサは胸を強調するかのように力なくのけぞり、儀式の魔力を受けてか否か、桜の令呪三画が、花弁のように赤く光った。

 

 声が重なる。

 

「「その名を碑文(ひぶん)に、我が令呪をその四肢(しし)に。

 未来を縛れ、大地(だいち)天空(てんくう)の過去の(ごと)くにーーーっ!!」」

 

 魔法陣から上に向かって逆巻(さかま)くように拡散していた魔力の光が、乱回転しながら収束し、メドゥーサの鎖骨と胸の谷間との間に集中し、胸元に赤黒い刻印が刻まれた。

 術者二人はフラフラと腰を下ろして、メドゥーサは気絶したのか仰向けに頭から倒れ落ちる。士郎は、メドゥーサの頭が地面につく直前で、彼女を抱きしめることに成功した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 アルトリア・ペンドラゴンは、己がマスターに声をかけた。

 

「マスター」

「ん? どうしたんだ、セイバー」

 

 何もない和室の真ん中に、布団が一式。隣に士郎が座っている。この部屋は居間の隣にあって、ふすまを(へだ)ててつながっている。

 

「いえ、『先輩をお願いします』と、サクラに言われたものですから」

 

 その部屋の真ん中、布団の上で横たわっているのはライダーのサーヴァントだ。彼女の両目は、儀式の時と同様に紫色の目隠(めかくし)をしていて、魔眼の発動を抑えていた。

 掛け布団はかかっていない。その男好きする肢体(したい)は、紫ぶちの黒いボディコンで強調されていた。

 アルトリアはふすまの前に立ったまま、布団のそばであぐらをかいている士郎に忠告しているのだった。

 

「マスター、サーヴァント同士の戦闘では一瞬の判断の(あやま)ちが命取りになります。休息を」

「ああ。言われてみれば、少し、体が重いかもしれない。わかった、素振りでもして体調を整えてみる」

 

 ノロノロと立ち上がった士郎に、アルトリアは思わず声をかけた。

 

「マスタ──っ」

「どうしたんだ? セイバー」

 

 声をかけてから、内容を考えてなかったことに気づいたアルトリアは、大急ぎで頭を回転させた。

 

「マスターは、どうしてこうも、ライダーを助けようとしているのですか?」

「正義の味方になるためだ」

「そう言う事ではない。どうして、助けを求められてすらいない者を、助けようと言うのですか」

 

 ふすまに手をかけた状態で固まっている士郎は、視界の上の方を眺めた。

 

「“正義の味方は、助けを求められてからしか動けない”。これはルールみたいなものだ。望みもしないモノを押しつけて『救いだ』って言ってたら、そんなの、独裁にしかならないからな」

 

 この時、ずいぶんと久しぶりに、二人は目が合ったのだと思った。

 

「男ってのは、自分が成長する事に喜びを感じるんだ。辛い時・苦しい時でも、できないかもしれないと思っていた事が出来た時、男は嬉しくなる。だからそんな時、つまり困難に突き当たった時は、手も口も出さないで欲しいんだ。『お前なら、この程度()えていけるだろ』って、遠くからただ眺めてくれるのが、一番力になる」

 

 士郎は目を細める。

 

「でも、遠坂や桜を見て、色んな人たちと紛争(ふんそう)をかけ抜けて、女性はどうも違うらしいと思った」

 

 力なく笑った。

 

「だから俺も、頑張ってみようと思ったんだ。それだけだよ、セイバー」

 

 そう言って、士郎は出ていった。閉じられるふすまの音だけが響く。

 少しの(あいだ)、そこに突っ立っていたアルトリアだが、このままではラチが開かないし、桜からの依頼も果たせそうにない。ふすまを開けて、居間()に出た。

 居間を突っ切って廊下に出ようとした時、障子の向こうから二人ぶんの声が聞こえた。一人は士郎だ。先に部屋を出た士郎がそこで誰かに捕まったのだろう。反射的に固まってしまったアルトリアの耳が、もう一人の声をとらえた。

 

「まさか本当に、『もう終わった』などと思っているとはな。

 衛宮士郎」

 

 間違いない、アーチャーの声だ。

 

「うるさい、ほっといてくれ」

 何のようだよ、と士郎が語感を強める。それに対してアーチャーの方は笑みでも浮かべてそうなくらいに、静かだ。

 

「衛宮士郎。お前が探している者が神霊の(たぐ)いであるならば、その痕跡は人間程度がそう易々(やすやす)と消し去れるものではない」

 

 障子()しの雰囲気で、士郎が(いぶか)しんだような気がする。

 

「神話とは物語だ。その物語を書き終えた後で、登場人物を、それも大地母神なんぞというキャラクターを抹消し、一切の矛盾なくプロットを調節できるとは、とても思えん」

 

 アルトリアは、その障子を開けるのをやめた。ライダーが寝ている部屋まで戻ると、玄関の近くの扉から出られるから。

 反転し、一歩踏み出した。

 

「必ず、その痕跡(こんせき)は、神話の中に刻まれている」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 結局、どうにもならなかった。

 アーチャーの話を聞いたあと、俺はそのままメドゥーサの部屋に直行し、無断でギリシア神話二冊を手に取り、最初のページをガバッと開けた。

 それからのことはあまり覚えていない。一日中文字を追っていた気もするし、ほんの数分だった気もする。確かなのは、カランカランという音で気がついたという事。

 魔術鳴子(なるこ)。“侵入者あり”の合図だった。

 

「誰かいないの〜」と美綴の声がする。同時に、家の中をバタバタと走り回る気配。

 サーヴァントたちが迎撃に出るならと、俺は裏から回ることに決めた。

 中庭から外に出て、(へい)沿()ってぐるりと半周、建物の影に隠れながら玄関の先、門をうかがった。

 玄関前に遠坂、その後ろに三騎のサーヴァント。対するは美綴とその後ろに二騎のサーヴァント。

 

 奮戦むなしく、桜は連れて行かれ、慎二の起源弾は止められた。桜の服に縫い付けていた遠坂の髪の毛を探知したところ、円蔵山(えんぞうざん)に反応あり。

 俺たちは桜を取り返し、美綴の世界滅亡計画を阻止するために、全戦力で襲撃した。  

 

 

 それは、星を(まつ)る祭壇だった。

 

 円蔵山に到着後、遠坂の探知を頼りに山肌を歩くこと少し、中腹にある洞窟を見つけ、大空洞に繋がるというその横穴を、遠坂を先頭に進んでいった。

 何の妨害もなく、その終点に行き着いた。

 果てのない天蓋と、正面にある壁の如き一枚岩。

 その一枚岩の上辺(うわべ)から、魔力の赤い光が見える。

 ここからそこまで、距離にして約一キロメートルといったところか。

 その中間地点、一枚岩との間あたりに、巫女服を着た人影があった。

 

「遅かったじゃない、衛宮」

 

 近くまで行くと、綾子は手に持つ薙刀を、くるりくるりと回してみせる。

 背丈を()えようかという薙刀の朱色(しゅいろ)()が、キラリと赤い糸を引く。

 薙刀の刃が円を描く。

 

「儀式は全部、終わったぜっ」

 

 トン、と軽い音を立てて、その石突きを地面に落とし、門番が(ごと)く仁王立ちした。

 

「アンタ、桜に何したってのよ」 

 

 遠坂が、問いただす。

 

「簡単な話よ、不要なモノを(うつ)し取ったんだ。

 (あたし)は大聖杯に巣くう“アンリ・マユの呪い”が欲しかった。でも、肝心の呪いは大聖杯と癒着(ゆちゃく)しててね、そう易々(やすやす)と離れてくれそうになかったからさ」

 

 ———間桐桜を鋳型(いがた)にして、アンリ・マユを抜き取ったんだ———

 

 大聖杯という物体は、ザックリ分けて三つの要素で構成されていた。と、美綴はいう。

 

 一つ目は、冬の聖女と呼ばれたアインツベルンのホムンクルス、ユスティーツアという個人。

 二つ目は、大聖杯という機能を持たせる為に拡張された聖杯としての機能。あるいは魔術回路と天のドレス。

 そして三つ目が、第三次聖杯戦争の(おり)に持ち込まれた“唯、悪であれ(アンリ・マユ)”という呪い。

 綾子はここから、二つ目と三つ目とをユスティーツアから引き剥がしたと言う。

 

 イリヤスフィール(バーサーカーのマスター)は聖杯として完成された存在だ。人としての機能と引き換えに、ホムンクルスの子に聖杯としての機能を付加したモノ。

 間桐桜は、大聖杯と繋がった後の小聖杯のカケラと同化し、アンリ・マユの呪いと繋がっているモノ。

 

 綾子は自身の眼でもって、“イリヤの聖杯としての機能”と“桜の中にあるアンリ・マユとの繋がり”を把握して、マーキングした。

 そして、神代(かみしろ)の技を持つキャスターとスカサハと三人がかりで引っぺがし、それぞれを封印する。

 

「こうして、大聖杯は解体された。あの魔方陣はもう聖杯としての機能を持たない、だだのガラクタってワケだ」

 

 綾子のやつは仁王立ちのまま淡々と解説する。隙のひとつも見せる事なく、重心の一切をぶらす事なく。

 

「ねえ、綾子?」

 

 隣にいる遠坂が声を上げた。

 俯いたまま、顔を上げない。

 心なしか魔力が鳴動していて、左腕の魔術刻印が服越(ふくご)しに光って見える。

 

「大聖杯から引き剥がしたっていう、アンリ・マユの呪いは……一体どこに封印したの?」

「ああ、アレか。そりゃ〜勿論(もちろん)、間桐の中に封印したぜ。(うつ)し取ったって言ったじゃん」

 

 ———それが一番安全だろ? ———

 

 その言葉を聞くが早いか、遠坂がガンドのガトリングをお見舞いしていた。

 “ドドドド”というより最早(もはや)“ズガガガ”という勢いで、何十発もの弾丸が放出、着弾した。

 だが、無傷。

 遠坂のガンドは、ただのひとつも当たらない。

 

「ッ——行動開始!」

 

 

 円蔵山(えんぞうざん)の戦いは、こうして切って落とされた。






次回、Fate/stay night[Destiny Movement ]

———第十五話、Destiny(ディスティニー) Movement(ムーブメント)
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