もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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 題名だけを変えました。


《第十八話、“原初の女神の物語”》

 

 

「お前は、メーティスだ」

 

 遠坂の結界を突き抜けて、俺はもう一度、彼女に(さわ)った。

 その瞬間、土蔵(どぞう)は、(あお)い光に包まれた。

 とっさに手をかざし光を遮る。俺のかざした(てのひら)の先、その光の発生源で、ゴルゴーンが分解されていく。

 なにも、ゴルゴーンの体が消えていく訳ではなかった。だが、明らかに分解されていた。

 分解されたそばから再構成され、全体としては、一見、なにも変わってないように見える。しかし、一瞬ほつれ、また結び直された魔力の塊はもう、以前とは別物だった。

 

 赤い鎖が、消えている。

 そして、かつてゴルゴーンがいたその場所に、ひとりの女神がたたずんでいた。

 (あお)い髪の毛、そのストレートの髪は腰のあたりまで伸びている。蒼いドレス、それは一枚の布で出来ていているようで、兵児(へこ)(おび)のようなものを腰に巻いて()めている。

 女神が、目を開く。印象としては、瞳が大きいと感じた。何色とも見分けがつかない、大きくて綺麗な瞳が輝いていた。

 一歩、二歩、と歩いて来る。彼女が結界に弾かれなかったことで、今更ながら遠坂の結界が(すべ)て、完全に消滅していることに気がづいた。

 彼女が両手をふわりと上げた。そして、いつの間にか俺の手が取られていた。俺の左手を持ち上げて、重さもなく握りしめる。

 

「えみや、しろう?」

「え? ……ああ」

「本当は“士郎”と呼ばなければいけないのですが、今だけは、“シロウ”と呼んでも?」

「あ、えっと……構わない、けど……」

「では、シロウ」

 

 彼女は、笑った。俺の左手を握ったままで。

 

「———出会えて、良かった」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺の部屋に移動した。

 俺は、彼女を迎えるにあたって部屋の隅に寄せられた本の山を背にしてちゃぶ台に座る。俺の左隣にセイバー、正面に彼女が座った。

 

「では、自己紹介ですね」

 

 彼女はずっと嬉しそうだった。今も、この部屋に来るまでも、ずっと。

 心持ち弾んだ声で、彼女はさらに言葉を(つむい)いだ。

 

(わたくし)の名はメーティス。“知恵”あるいは“女性の知恵”の名を冠する女神で、かつてのリビアという国があるところからアナトリアと呼ばれたあたりを中心に、その一帯(いったい)を治めていた“アマゾーン族”という民によって信仰されておりました」

 

 メーティスは三つ指をついてお辞儀する。日本人と見紛(みまが)うほどに、とても美しい座礼(ざれい)だった。

 

「自身の伝承を(かた)るというのも、可笑(おか)しなものではありますが……」

 

 と、前置きした上で彼女は、メーティス神という、ギリシア神話の中で登場してからたった四ページで殺される、そんな女神の伝承を語った。

 

(わたくし)という神格が(つかさど)るものは“(めぐ)り”と“知恵”です。

 そうですね、“生と死と再生の(めぐ)り”、“過去(かつて)現在(いま)未来(いつか)(めぐ)り”、“(あめ)(つち)黄泉(よみ)(めぐ)り”。

 それから、“女性の知恵”と“女の秘密”と」

 

 メーティスは(あご)に人差し指を当てて、何か考えているようだった。ウーンと悩んで、フムフムと頷いて。それから、俺とセイバーとに視線を向けた。

 

「せっかく、(わたくし)を見つけてくださったのてすし、このようなこと、もう二度と無いでしょうから———(わたくし)の、自己紹介を()ねた自慢話など、おひとつ如何(いかが)でしょうか」

 これからの戦闘でも、必要な武器になりますでしょうし。と、メーティスは言った。

 

 

 “女神メーティスの物語”。あるいは、“原初の女神の物語”。

 

 それは、壮大なものだった。ギリシア神話の遥か以前から(いま)現在(げんざい)に至るまで続く、(ひと)(はしら)の女神の、壮大な物語だった。

 

 “リビア”という地域は、かつてはエジプト以外のアフリカ大陸全土の事だった。“アナトリア”という地域は、現在のアナトリアとあまり変わらない。ただ、日本人が使う“アナトリア半島”の事ではなく、ヨーロッパの人々の使う“アナトリア(小アジア)”の事ではあるが。

 つまり、とても(さか)えた民族だった。ギリシア神話以前の世界では、彼らの一強だったと言っても過言ではないだろう。

 ではなぜ、ギリシア神話の中での“アマゾーン族”、つまり“アマゾーン族の女(アマゾネス)”たちは、隅っこに追いやられてしまったのだろうか。

 それこそが、“女神メーティスの物語”であったのだ。

 

(わたくし)、メーティス神を言い表す言葉は無数にあります。“出産という概念が存在するよりも前に生まれた万神(ばんしん)の母”、“(いま)いまし、(むかし)いまし、やがて来たるべき者”。

 面白いところでは“アルテミス”と、呼ばれたこともありました。“アルテミス”とは本来、(わたくし)(かたど)って作られた像の最初期の作品に付けられた名前だったりしたのです。現存する女神アルテミスは、遥か昔、ギリシア神話の発生と同時期に、(わたくし)から切り離された神格の一部が、自我を持ち生まれた女神。そう言う意味での、“万神(ばんしん)の母”でした。

 (わたくし)は、“死”です。“メーティス”という言葉は本来、“ヴェールをかぶる”という意味でありました。つまり、“決して(のぞ)いてはならないもの”、それは“至高(しこう)の女性の知恵”を意味するのです」

 

 俺から見ると、メーティスはちゃぶ台をはさんで向かい側、俺の対面に正座して、(もも)の上に両手を置いている。その状態でしゃべっている。

 でも、何も感じない。気迫(きはく)も、存在感も、まるでここにはいないみたいだった。

 

(わたくし)の信仰が始まったのは、古典期のギリシア神話から数えて、数千年くらい前……でしょうか。その頃からずっと、“人”を()ておりました」

 

 メーティスはスッ、と目蓋(まぶた)()ざす。

 

「“メーティス(ヴェールをかぶる者)”の顔を見ることは出来ません。しかし、(わたくし)は“死”です。ということは、死んだ者であれば見れないこともないのです。つまり、(わたくし)()うことが出来るのは、原則、巫女を除いては死者だけなのですね」

 

 そして目を閉じたまま、少し顔をほころばせた。

 

「死んでは生まれ、死んでは生まれる循環を、(わたくし)はずっと()ておりました。大切な人たちから『我が子になってくれ』と言われたのだとはしゃぐ子ら。それから、素晴らしい人と出逢(であ)えた、と語ってくれた娘もおりました」

 

 メーティスは楽しげに語る。その内に、目一杯(めいっぱい)の情動を込めて。

 

「そんな(わたくし)の終わりは、“父権制(ふけんせい)”と共に始まったのです」

 

 “父権制(ふけんせい)”とはつまり、“世界は大いなる母からではなく、至高の父から誕生した”とする考え方の事だ。

 

「紀元前十世紀。古代ギリシア人はアマゾーン族の都市アテナイを侵略し、父権制がスタートします。

 そして英雄たちと神々は、“自然”と“女”とを支配しました。天と地はもはや循環し(めぐ)るものではなくなった。その二つは永遠に分裂したのです。ギリシア神話の中で英雄たちは、自然を怪物に見立ててこれを侵略し、制服し、直線的な様式に書き換えてしまいました。そして、女もまた、野性的なものとして認識されたのです」

 

 メーティスは左手の、人差し指を一本立てた。

 

「女性はどちらかというと、“良いか悪いか”よりも“好きか嫌いか”で動く事が多いでしょう? 

 自分の大切な人が大怪我を負いながら他の誰かを助けた時、純粋にその成果を喜べる女は多くない。心配が先に出てしまいますから。

 そして、その人に向かって『ボロボロになっても、苦しみぬいて死んだとしても、それを続けろ』という事もまた、ありません。名も知らぬ誰かよりも、目の前の、その人の方が大事ですから」

 

 ですが。と言ってメーティスは、中指も立てる。指を、二本。

 

父権制(ふけんせい)において、コレは“悪”でしかありません。父権制、つまり男性原理は直線的な様式です。価値観の固定化こそがその真髄、よって“正しい事をしようとする者に対して邪魔をする事”がすべて“悪”になります。

 正しい事をしようとしている自分を妨害する(やつ)が“悪”であるならば、それを倒し、痛めつける行為は“正義”でありましょう。そして、“良いか悪いか”を絶対的な基準にしない女という生き物は、“野性的”で“邪悪”なもの、と分類されてしまったのです」

 

 そうして、ギリシア神話では“自然”と“女”とを化け物と呼び、それらを倒す者を英雄と呼んだ。()の神話における怪物を思い出して見るといい。大抵は、女であるか大地母神(ガイア)の子孫だ。

 

「紀元前七世紀、都市アテナイは陥落。古代ギリシア人は女神アテナを自分たちの守護(しゅご)女神(めがみ)に作り変えます。この頃から、古代ギリシア人は自らを“アテーナイ人”だと呼称するようになるのです」

 

 メーティスは淡々としている。正座をした状態でまるで書物を読み上げるかのように、その歴史を語っていく。

 

「紀元前六世紀、女神メーティスの祭儀(さいぎ)途絶(とぜつ)し、聖域は犯され、森の木々は切り倒され、(わたくし)の巫女たちは強姦され、その偶像は砕かれ、男性原理に支配されました。(わたくし)の力の一つである“ゴルゴーンの仮面”は当時でも広く知られていましたが、それでも、(わたくし)の権能は悪魔の力とされました。この時から、(わたくし)(みにく)い化け物になったのです」

 

 メーティスは顔を上げた。この時やっと、俺と彼女は目が合った。

 

(わたくし)はかつて、“神々の中で最も知恵あり、最も偉大な原初の母”と(うた)われておりました。だからこそ、ゼウスに犯され、()み込まれたのです。(わたくし)の知恵と血統を、(おの)がものとせんが(ため)に」

 

 メーティスが教えてくれた。ゼウスに犯されて最も辛かったことは、彼女の変身能力を強姦に使われた事だと。

 ゼウスがメーティスを()み込んだ事で、メーティスの能力は全て奪われたわけだが、その中に変身能力があったのだと言う。メーティスはゼウスから逃げる為にこの変身能力を駆使(くし)して撹乱(かくらん)した。だが、アマゾネスの女王を凌辱された事で走った動揺を突かれて捕まり、奪われたこの能力を、ゼウスは女を犯すために使っている。それが、何よりも(くや)しかった、と。

 

「ゼウスは、(わたくし)の知恵が欲しかった。(わたくし)の力が欲しかった。だからこそ、侵攻してきたのだと思います。そしてそれを奪うため、アマゾーン族を、(わたくし)を殺すことにした」

 

 正座をしているメーティスの全身に、一瞬力が入った気がした。

 

「そう易々(やすやす)とは殺させない。(わたくし)自身も、手にかかるつもりなど、毛頭(もうとう)ございませんでしたから、(こう)する事にいたしました」

 

 ———それが、いけなかったのかも……しれませんね———

 

「彼らは抵抗(それ)が、とても怖かったのかもしれません。結果、彼らは頭を悩ませて、とても巧妙な手口(てぐち)を思いついた。(わたくし)専用の滅却(めっきゃく)封印、一千年以上の時間を必要かとするかわりに、万に一つの逃げ道をも塞ぐ大儀式。その名を——“Fate/stay night”と、申します」

「“Fate”ですか」

 

 セイバーが声を出す。俺が横目で確認すると、セイバーと目が合った。セイバーはメーティスへと視線をうつした。

 

「いえ、英語だったもので、ふと疑問に思ったのです」

「不思議ですか? ちゃんと理由もあるのですが……せっかくですし、アルトリア。貴女(あなた)はこの術式を、どういったものだと思いますか?」

 

 メーティスはセイバーを見て、目を細めた。

 セイバーはちょうど、目を伏せていた。

 

「“Fate”というと、どうでしょうメーティス。運命神と関係があるのですか?」

 

 運命神というと、ギリシア神話ではモイラ三姉妹(モイライ)だろうか。それとも、彼女たちの母とされたアナンケーも候補に上がるが……

 なんて考えていると、フフッ、という笑い声が聞こえてきた。顔を上げた俺は、メーティスと目が合った。

 その笑い声は“思わず笑ってしまった”というよりは、“こっちに気づいて欲しい”と言った(ふう)だった。

 

「アルトリアはともかく、貴方(あなた)には思い当たって欲しかったです、士郎」

 

 と、言われでも、思い当たる節がない。確かに俺は魔術やら神秘やらと関わっているけど。それでも、ギリシア神話をちゃんと読んだのはメドゥーサと出会ってからだし、そんな人間がすぐ思い当たるものなんて、と。

 ここまで思考を巡らせて、始めて気づいた。自分の、間違いに。

 

「お前のことか? メーティス。運命の神“が”封印するのではなくて、運命の神“を”封印するのか」

 

 メーティスは、嬉しそうに答えてくれた。

 

「ええ、“Fate/stay night(夜に留まされし運命の神)”というこの大儀式の名は、その術式の第一工程からとって名付けられたものですが。

 まず、(わたくし)を夜に封印する、ということです」

「どうやって?」と、俺は聴いた。

 

「女神なんて存在を、どうやって夜に封じたんだよ」

「ギリシア神話の記述と同じですよ、士郎」

 

———【ゼウスは、彼が近づくのを()けるために様々な形に身を変じたメーティスと交わった。彼女が(はら)むや時を(いっ)せず()み込んだ】———*1

 

「あの時からメーティスという神は存在しなくなりました。ですが、死んだわけではありませんよ。メドゥーサとして生き延びました。もっとも、存在ごと呑み込まれたのですから、記憶を継承することは叶いませんでしたけれど」

 

 メーティスは穏やかに笑っている。その顔を見ながら俺は、少し違うことを考えていた。

 メーティスは名を捨て、記憶も捨てた。だが、自分の根幹は護り通したのかもしれない、と。

 “ Metis(メーティス)”はギリシア語で“女性の知恵”を意味する。そして、サンスクリット語で“女性の知恵”を意味する言葉は“ Medha(メードゥハゥ) ”だ。知恵の女神を表すこの言葉が、ギリシア語的になまると“Medusa(メドゥーサ)”になる。

 確かに、メーティスは名も記憶もなくしたかもしれない。だが、名は体を表すように、メドゥーサもまた、メーティスの一つの側面(オルタネイティブ)でもあったのだ。

 

(わたくし)の宝具を、お見せしようと思います」

 

 メーティスは右手を真っ直ぐ横に伸ばして、その手をギュッと握った。

 彼女の右手が握りこまれる瞬間、その手は取っ手を掴んでいた。小ぶりな、盾の取っ手を。

 

「仮面、ですか?」と、セイバーが聴いた。

 メーティスはその盾をちゃぶ台の上に置いて、俺たちにも見えるようにしてくれた。

 それは、顔のついた盾だった。噂に聞くゴルゴーンの顔かとも思ったが、覗いて見ると全然違う。そもそも、この顔は作り物、盾の表面に彫られただけのものだった。

 

「仮面のついた盾。しかしこれは———」

「ええ、この顔は“ゴルゴーンの顔”ではありませんよ。ですが、ゴルゴーンでは、あるのですけれど」

 

 メーティスは(たの)しげに笑う。俺たちをからかって(たの)しんでいる感じだ。

 

「宝具の名称を、“ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)”と申します。

 ゼウスの持つ宝具、“ギリシア神盾(アイギス)”の原典に位置付けられるもの。“ゴルゴーン”とは本来、“女の怖い顔”を意味します。人間誰しも、絶対に逆らえない怖い女が、存在した時期がありますでしょう? 

 ———母親です。幼子(おさなご)にとって(いか)った母という存在は、神の天罰にも等しい恐怖を呼び起こすものなのです。

 この盾は、その“幼子(おさなご)にとっての(おこ)った母”という概念を、仮面として彫り込んだもの。(わたくし)はこれを、アマゾーン族に渡しておりました」

 ですから本当なら、アマゾネスの誰かの宝具になるべきなのですが。と、メーティスはこぼした。

 

 彼女は正座したまま盾を取り上げ、俺たちに向かって、構える。

 

「士郎、アルトリア。どんな形でも構いません。(わたくし)を攻撃していただけませんか?」

「? なぁ、メーティス。その宝具の性能を確かめたいなら、外でやった方がいいんじゃないか?」

「それには(およ)びません。被害など出ませんから」

 

 そこまで言うなら、ということで、俺はセイバーに目配(めくば)せする。目と目が合ったセイバーは、その右手を、左から右に振り抜きながら聖剣を取り出して———

 

「なっ———ッ——————!!」

 

 セイバーが、固まった。

 

「石になったわけでは、ありませんよ」

 

 メーティスの声が割り込んできた。

 

(わたくし)に攻撃しようとしなければ、アルトリアは自由に動けますので」

 

 というメーティスの言葉を聞いたセイバーが右手を下げる。一度セイバーは太腿の上に手を置いてから、その右手を見て、ニギニキしていた。

 

「この宝具、“ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)”は対精神宝具です。能力は、“攻撃意図の抑止”。この盾の表面にある仮面を(わたくし)の目として機能させ、相手の『攻撃しよう』という意志そのものを縛る精神防御です」

 

 メーティスはそれをもう一度、ちゃぶ台に置いた。

 

「サーヴァントという特殊な枠に押し込められているからか、この宝具は今、手元にあります。ですが本来は、古代ギリシア人に侵略された時に奪われてしまいました。

 そして、何の因果かこの盾は、ギリシア世界において神々の主権に必要不可欠なものになってしまったのです。散々にやんちゃをしたからか、ゼウスですらこの盾がないと、()の神々を支配することができなくなった」

 

 他神話の女神から奪った盾を使わなければ、自陣営の神々すら従えることができなくなった時、ゼウスは、いくつかの選択を迫られることになる。

 

「そして、ゼウスは決断したのです。

 ゴルゴーンの仮面神盾(ゴルゴニス・アイギス)は、その始まりから自陣営に存在したギリシア神盾(アイギス)であったと、歴史を書き換えてしまおうという決断を」

 

 メーティスはゆっくり目を閉じた。

 

「だからこそ、何としても、メドゥーサの首を刈り取ってしまう必要があったのです」

 

 ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の寵愛(ちょうあい)を受けた英雄なのだから。

 ———ペルセウスに与えられた宝具は五つ。

 空を駆ける羽のサンダル。

 被った者の姿を消す兜。

 女神(アテナ)より贈られた鏡のように磨き上げられた青銅の盾。

 首狩りの鎌ハルペー。

 そして、魔物の首を収める袋、キビシス。

 ギリシア史上、これほど多くの宝具を与えられた勇者がいただろうか。それも、だった一つの魔物を狩るためだけに、である。

 ペルセウスは勝利するに相応(ふさわ)しい装備を持ち、敗北に(おちい)らないために多くの情報を心に刻んだ。

 信頼に足る武装と、それを支える戦略と知恵を(さず)かった。(いま)だ見ぬ敵、(いま)だ訪れぬ魔境であろうと、ペルセウスには欠片ほどの恐怖もなかった。

 どうしてだろう。どうしてこれほどに、神々はペルセウスに“魔物”を倒して欲しかったのだろうか。どうして、メドゥーサの首を確実に持ち帰られるよう、キビシスまで渡したのだろうか。

 

 ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の寵愛(ちょうあい)を受けた英雄なのだから。

 ペルセウス神話において、ペルセウスはアテナの助力なしにはその伝説を()()なかった。彼の冒険の間ずっと、彼を教え導いたのは、紛れもなくアテナだった。

 この神話は、メドゥーサの力の根源をアテナが簒奪(さんだつ)する物語だ。メドゥーサを見つけ出して、これを殺す方法を知っているのは、アテナだけなのだから。

 

「なんでアテナなんだ?」

 

 ふと、俺は聴いた。

 

「メーティスを呑み込んだゼウスが、頭からアテナを産んだのは知ってる。でも、メーティスの力を奪ったのはゼウスなんだろ? メドゥーサを殺したいと思ったのもゼウスなんだろ……だったらどうして、ペルセウスを導いたのがアテナなんだ?」

 

 メーティスは、ポカンと目を見開いた。

 

「おや? 気づかなかったのですか? 

 古代アナトリアの言葉、イオニア地方の方言でAthene(アテーネー)といえば、“知恵”を意味するのですよ。

 つまり、(わたくし)のことです。厳密には、まだ子供であった頃の(わたくし)、“メーティス・リリィ”とでも言いましょうか」

「あれ?」 

 

 俺は、手を顎に当てて首を捻った。

 

「なら余計におかしいじゃないか。メドゥーサもアテナもメーティスと同じなら、自分で自分を殺したのか?」

 

 俺が聴くとメーティスは、目を閉じて首を振った。

 

「まさか。これは、そう言った大層な話ではありません。ミステリ小説の手法と同じですよ、士郎。()()()()()()()()()()()()

 

 メーティスは目を開き、もう一度首を振る。それは、なんとも言えない表情で、俺には彼女の感情を、読み取ることが出来なかった。

 

「女神アテナなど、存在しません。その当時、(わたくし)はメドゥーサとなって、形のない島に幽閉されていましたから、ペルセウスに語りかけるなど、出来ようもない事です。

 士郎は、気になった事はありませんか? 

 アテナが英雄的行動に、とてもよく理解を示す事。

 アテナが女よりも男の味方をすることが多い事。

 アテナの思考形式が男性寄りである事。

 一応、(わたくし)とゼウスとの子、ということになっているのに、女神ヘラと仲が良い事。

 そして何より、やたらとゼウス贔屓(びいき)である事に」

 

「むっ」と、唸る。

 確かに、言われてみれば、引っかかる点があるにはある。

 俺は何か言おうとして、何も言えなかった。

 

「アテナ自身が『私に産みの母はいません』と、口にしています。彼女に母親はいない、つまり(わたくし)の娘ではありません。

 ゼウスの空想(あたま)から生まれた女神、アテナとは、ゼウスの女体化した姿なのです。アテナがゼウス贔屓(びいき)なのは、実は本人だったから。

『女はいわば、畑を貸しただけだから親子じゃない』などと言えるのも、また(しか)りです」

 

 メーティスは続けた。だからこそアテナは絶対に、男との性行を拒否し続けていたのだと。

 

(わたくし)の知恵と力を奪ったゼウスは、アテナに変じてペルセウスを導いた。万が一にもメドゥーサ(わたくし)を、殺し損ねることの、ないように」

「そうやって、メーティスは死んだのか」

 

 俺が呆然としているとまたしても、メーティスは柔らかく笑ったのだ。

 

「それが違うのです。(わたくし)が本当に死んだのは、ブリテンで、なのですか———」

「なんだとっ!」

 

 セイバーが反応した。

 思わず身を乗り出したらしいセイバーが、(まばた)きを二つ、正座に戻った。

 

「それは、本当なのですか?」

「ええ、勿論(もちろん)(わたくし)が死んだのはまさしく、アルトリア・ペンドラゴンが死んだ、まさにその瞬間なのです。

 もっと言うと、アルトリア・ペンドラゴンが死ぬことで、(わたくし)の命の(ともしび)が消えた、ということですね」

「私のせいで、貴女(あなた)が死んだと言うのですか」

「いいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうだ、メーティスはずっと、俺たちに笑いかけていた。それこそ、土蔵(どぞう)に現れた時から、ずっと。

 今も、ずっと笑っている。

 

(わたくし)安堵(あんど)したのです。ですから、貴女にもお礼が言いたい。

 アルトリア、(わたくし)を殺してくださって、ありがとう」

 

 そう言って、メーティスはもう一度三つ指をついて、とても綺麗な座礼をした。

 

 

*1
アポロドロースのギリシア神話、高津春繁訳。第一巻〔lll〕より抜粋。






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]


———第十九話、それぞれの切り札
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