もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 作:夜中 雨
題名だけを変えました。
「お前は、メーティスだ」
遠坂の結界を突き抜けて、俺はもう一度、彼女に
その瞬間、
とっさに手をかざし光を遮る。俺のかざした
なにも、ゴルゴーンの体が消えていく訳ではなかった。だが、明らかに分解されていた。
分解されたそばから再構成され、全体としては、一見、なにも変わってないように見える。しかし、一瞬ほつれ、また結び直された魔力の塊はもう、以前とは別物だった。
赤い鎖が、消えている。
そして、かつてゴルゴーンがいたその場所に、ひとりの女神がたたずんでいた。
女神が、目を開く。印象としては、瞳が大きいと感じた。何色とも見分けがつかない、大きくて綺麗な瞳が輝いていた。
一歩、二歩、と歩いて来る。彼女が結界に弾かれなかったことで、今更ながら遠坂の結界が
彼女が両手をふわりと上げた。そして、いつの間にか俺の手が取られていた。俺の左手を持ち上げて、重さもなく握りしめる。
「えみや、しろう?」
「え? ……ああ」
「本当は“士郎”と呼ばなければいけないのですが、今だけは、“シロウ”と呼んでも?」
「あ、えっと……構わない、けど……」
「では、シロウ」
彼女は、笑った。俺の左手を握ったままで。
「———出会えて、良かった」
◇ ◇ ◇
俺の部屋に移動した。
俺は、彼女を迎えるにあたって部屋の隅に寄せられた本の山を背にしてちゃぶ台に座る。俺の左隣にセイバー、正面に彼女が座った。
「では、自己紹介ですね」
彼女はずっと嬉しそうだった。今も、この部屋に来るまでも、ずっと。
心持ち弾んだ声で、彼女はさらに言葉を
「
メーティスは三つ指をついてお辞儀する。日本人と
「自身の伝承を
と、前置きした上で彼女は、メーティス神という、ギリシア神話の中で登場してからたった四ページで殺される、そんな女神の伝承を語った。
「
そうですね、“生と死と再生の
それから、“女性の知恵”と“女の秘密”と」
メーティスは
「せっかく、
これからの戦闘でも、必要な武器になりますでしょうし。と、メーティスは言った。
“女神メーティスの物語”。あるいは、“原初の女神の物語”。
それは、壮大なものだった。ギリシア神話の遥か以前から
“リビア”という地域は、かつてはエジプト以外のアフリカ大陸全土の事だった。“アナトリア”という地域は、現在のアナトリアとあまり変わらない。ただ、日本人が使う“アナトリア半島”の事ではなく、ヨーロッパの人々の使う“
つまり、とても
ではなぜ、ギリシア神話の中での“アマゾーン族”、つまり“
それこそが、“女神メーティスの物語”であったのだ。
「
面白いところでは“アルテミス”と、呼ばれたこともありました。“アルテミス”とは本来、
俺から見ると、メーティスはちゃぶ台をはさんで向かい側、俺の対面に正座して、
でも、何も感じない。
「
メーティスはスッ、と
「“
そして目を閉じたまま、少し顔をほころばせた。
「死んでは生まれ、死んでは生まれる循環を、
メーティスは楽しげに語る。その内に、
「そんな
“
「紀元前十世紀。古代ギリシア人はアマゾーン族の都市アテナイを侵略し、父権制がスタートします。
そして英雄たちと神々は、“自然”と“女”とを支配しました。天と地はもはや循環し
メーティスは左手の、人差し指を一本立てた。
「女性はどちらかというと、“良いか悪いか”よりも“好きか嫌いか”で動く事が多いでしょう?
自分の大切な人が大怪我を負いながら他の誰かを助けた時、純粋にその成果を喜べる女は多くない。心配が先に出てしまいますから。
そして、その人に向かって『ボロボロになっても、苦しみぬいて死んだとしても、それを続けろ』という事もまた、ありません。名も知らぬ誰かよりも、目の前の、その人の方が大事ですから」
ですが。と言ってメーティスは、中指も立てる。指を、二本。
「
正しい事をしようとしている自分を妨害する
そうして、ギリシア神話では“自然”と“女”とを化け物と呼び、それらを倒す者を英雄と呼んだ。
「紀元前七世紀、都市アテナイは陥落。古代ギリシア人は女神アテナを自分たちの
メーティスは淡々としている。正座をした状態でまるで書物を読み上げるかのように、その歴史を語っていく。
「紀元前六世紀、女神メーティスの
メーティスは顔を上げた。この時やっと、俺と彼女は目が合った。
「
メーティスが教えてくれた。ゼウスに犯されて最も辛かったことは、彼女の変身能力を強姦に使われた事だと。
ゼウスがメーティスを
「ゼウスは、
正座をしているメーティスの全身に、一瞬力が入った気がした。
「そう
———それが、いけなかったのかも……しれませんね———
「彼らは
「“Fate”ですか」
セイバーが声を出す。俺が横目で確認すると、セイバーと目が合った。セイバーはメーティスへと視線をうつした。
「いえ、英語だったもので、ふと疑問に思ったのです」
「不思議ですか? ちゃんと理由もあるのですが……せっかくですし、アルトリア。
メーティスはセイバーを見て、目を細めた。
セイバーはちょうど、目を伏せていた。
「“Fate”というと、どうでしょうメーティス。運命神と関係があるのですか?」
運命神というと、ギリシア神話では
なんて考えていると、フフッ、という笑い声が聞こえてきた。顔を上げた俺は、メーティスと目が合った。
その笑い声は“思わず笑ってしまった”というよりは、“こっちに気づいて欲しい”と言った
「アルトリアはともかく、
と、言われでも、思い当たる節がない。確かに俺は魔術やら神秘やらと関わっているけど。それでも、ギリシア神話をちゃんと読んだのはメドゥーサと出会ってからだし、そんな人間がすぐ思い当たるものなんて、と。
ここまで思考を巡らせて、始めて気づいた。自分の、間違いに。
「お前のことか? メーティス。運命の神“が”封印するのではなくて、運命の神“を”封印するのか」
メーティスは、嬉しそうに答えてくれた。
「ええ、“
まず、
「どうやって?」と、俺は聴いた。
「女神なんて存在を、どうやって夜に封じたんだよ」
「ギリシア神話の記述と同じですよ、士郎」
———【ゼウスは、彼が近づくのを
「あの時からメーティスという神は存在しなくなりました。ですが、死んだわけではありませんよ。メドゥーサとして生き延びました。もっとも、存在ごと呑み込まれたのですから、記憶を継承することは叶いませんでしたけれど」
メーティスは穏やかに笑っている。その顔を見ながら俺は、少し違うことを考えていた。
メーティスは名を捨て、記憶も捨てた。だが、自分の根幹は護り通したのかもしれない、と。
“
確かに、メーティスは名も記憶もなくしたかもしれない。だが、名は体を表すように、メドゥーサもまた、メーティスの一つの
「
メーティスは右手を真っ直ぐ横に伸ばして、その手をギュッと握った。
彼女の右手が握りこまれる瞬間、その手は取っ手を掴んでいた。小ぶりな、盾の取っ手を。
「仮面、ですか?」と、セイバーが聴いた。
メーティスはその盾をちゃぶ台の上に置いて、俺たちにも見えるようにしてくれた。
それは、顔のついた盾だった。噂に聞くゴルゴーンの顔かとも思ったが、覗いて見ると全然違う。そもそも、この顔は作り物、盾の表面に彫られただけのものだった。
「仮面のついた盾。しかしこれは———」
「ええ、この顔は“ゴルゴーンの顔”ではありませんよ。ですが、ゴルゴーンでは、あるのですけれど」
メーティスは
「宝具の名称を、“
ゼウスの持つ宝具、“
———母親です。
この盾は、その“
ですから本当なら、アマゾネスの誰かの宝具になるべきなのですが。と、メーティスはこぼした。
彼女は正座したまま盾を取り上げ、俺たちに向かって、構える。
「士郎、アルトリア。どんな形でも構いません。
「? なぁ、メーティス。その宝具の性能を確かめたいなら、外でやった方がいいんじゃないか?」
「それには
そこまで言うなら、ということで、俺はセイバーに
「なっ———ッ——————!!」
セイバーが、固まった。
「石になったわけでは、ありませんよ」
メーティスの声が割り込んできた。
「
というメーティスの言葉を聞いたセイバーが右手を下げる。一度セイバーは太腿の上に手を置いてから、その右手を見て、ニギニキしていた。
「この宝具、“
メーティスはそれをもう一度、ちゃぶ台に置いた。
「サーヴァントという特殊な枠に押し込められているからか、この宝具は今、手元にあります。ですが本来は、古代ギリシア人に侵略された時に奪われてしまいました。
そして、何の因果かこの盾は、ギリシア世界において神々の主権に必要不可欠なものになってしまったのです。散々にやんちゃをしたからか、ゼウスですらこの盾がないと、
他神話の女神から奪った盾を使わなければ、自陣営の神々すら従えることができなくなった時、ゼウスは、いくつかの選択を迫られることになる。
「そして、ゼウスは決断したのです。
メーティスはゆっくり目を閉じた。
「だからこそ、何としても、メドゥーサの首を刈り取ってしまう必要があったのです」
ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の
———ペルセウスに与えられた宝具は五つ。
空を駆ける羽のサンダル。
被った者の姿を消す兜。
首狩りの鎌ハルペー。
そして、魔物の首を収める袋、キビシス。
ギリシア史上、これほど多くの宝具を与えられた勇者がいただろうか。それも、だった一つの魔物を狩るためだけに、である。
ペルセウスは勝利するに
信頼に足る武装と、それを支える戦略と知恵を
どうしてだろう。どうしてこれほどに、神々はペルセウスに“魔物”を倒して欲しかったのだろうか。どうして、メドゥーサの首を確実に持ち帰られるよう、キビシスまで渡したのだろうか。
ペルセウス神話は、数あるギリシア神話の物語の中でも、特に異質である。なにしろ、勇者ペルセウスは、ギリシア世界で最も神々の
ペルセウス神話において、ペルセウスはアテナの助力なしにはその伝説を
この神話は、メドゥーサの力の根源をアテナが
「なんでアテナなんだ?」
ふと、俺は聴いた。
「メーティスを呑み込んだゼウスが、頭からアテナを産んだのは知ってる。でも、メーティスの力を奪ったのはゼウスなんだろ? メドゥーサを殺したいと思ったのもゼウスなんだろ……だったらどうして、ペルセウスを導いたのがアテナなんだ?」
メーティスは、ポカンと目を見開いた。
「おや? 気づかなかったのですか?
古代アナトリアの言葉、イオニア地方の方言で
つまり、
「あれ?」
俺は、手を顎に当てて首を捻った。
「なら余計におかしいじゃないか。メドゥーサもアテナもメーティスと同じなら、自分で自分を殺したのか?」
俺が聴くとメーティスは、目を閉じて首を振った。
「まさか。これは、そう言った大層な話ではありません。ミステリ小説の手法と同じですよ、士郎。
メーティスは目を開き、もう一度首を振る。それは、なんとも言えない表情で、俺には彼女の感情を、読み取ることが出来なかった。
「女神アテナなど、存在しません。その当時、
士郎は、気になった事はありませんか?
アテナが英雄的行動に、とてもよく理解を示す事。
アテナが女よりも男の味方をすることが多い事。
アテナの思考形式が男性寄りである事。
一応、
そして何より、やたらとゼウス
「むっ」と、唸る。
確かに、言われてみれば、引っかかる点があるにはある。
俺は何か言おうとして、何も言えなかった。
「アテナ自身が『私に産みの母はいません』と、口にしています。彼女に母親はいない、つまり
ゼウスの
『女はいわば、畑を貸しただけだから親子じゃない』などと言えるのも、また
メーティスは続けた。だからこそアテナは絶対に、男との性行を拒否し続けていたのだと。
「
「そうやって、メーティスは死んだのか」
俺が呆然としているとまたしても、メーティスは柔らかく笑ったのだ。
「それが違うのです。
「なんだとっ!」
セイバーが反応した。
思わず身を乗り出したらしいセイバーが、
「それは、本当なのですか?」
「ええ、
もっと言うと、アルトリア・ペンドラゴンが死ぬことで、
「私のせいで、
「いいえ、
そうだ、メーティスはずっと、俺たちに笑いかけていた。それこそ、
今も、ずっと笑っている。
「
アルトリア、
そう言って、メーティスはもう一度三つ指をついて、とても綺麗な座礼をした。
次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]
———第十九話、それぞれの切り札