もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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 収斂(しゅうれん)こそ理想の証。
剣を鍛えるように、己を燃やすように、彼は鉄を打ち続ける。

———なぜか? それは、ただ一振りの完成の為に。






《第二十四話、リミテッド/ゼロオーバー》

 

 

 (とき)(よる)

 場所は未遠(みおん)(がわ)近くの海浜公園(かいひんこうえん)

 地面はレンガ造り。

 頭上には半月と、(とら)われの桜が浮いている。

 

 眼前(がんぜん)には敵の、スカサハが一人。

 

「———よし。じゃあ今度は、俺が出る」

 

 そう意気込んで、俺は先頭に立った。

 アーチャーは遠坂の魔力切れを心配して全力で戦えない。

 ランサーの宝具は発動前に(つぶ)される。

 スカサハが宝具を発動しないから、バゼットさんの斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は起動したまま、発射できない。

 

 なら、俺が出るしかないだろう。

 

 左手で腰をさぐる。腰に()した無逆(むげき)(さや)をひっつかみ、地面と並行になるように“シュルッ”と引き出す。

 そして、右手一本で太刀(たち)を握った。

 

「来るがいい、士郎」

 

 スカサハは、腰を落として槍を地面と並行に。

 彼女のボディーラインを強調する、赤紫の薄い服。腰に巻いている僅かばかりの遊び布が、夜風に吹かれてはためいた。

 そして、ゲイボルクが光を(とも)す。

 

 後ろから、息を()む音が聞こえた。それら一切(いっさい)の全てを無視して、(おのれ)の中に沈んでく。

 

 ———刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)という宝具を、衛宮士郎が初めてみたのは、冬木市にトンボ返りした、その日の夜だった。

 時間を逆行し、因果を逆転させながらセイバーに疾走していく赤い槍。セイバーはそれを左右に斬り払い、最後には偶然すらも味方につけて、ゲイボルクから生還(せいかん)したのだ。

 

 衛宮士郎が初めてゲイボルクを見た夜から、ずっと疑問に思っていることがあった。

 それは『どうしてセイバーはまだ生きているのか』ということだ。

 何のことはない、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)の能力が、“セイバーの心臓を穿(うが)つという結果”を()()()()()()()()()()()というのならば、当然、“セイバーの心臓が穿(うが)たれるという結果”は()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。

 “人理定礎(じんりていそ)”、またの名を“事象(じしょう)固定(こてい)(たい)”と呼ばれるそれは、“人類史を固定する事象”を指す言葉だ。余計な可能性を()み取り、些細(ささい)な出来事によって変動しがちな歴史を固定する座標のこと。

 例えば、“フランス革命”や“ローマ帝国の崩壊”、“アメリカ合衆国の成立”といった人類史に大きな影響を(およぼ)ぼした出来事は、無かったことになると歴史が土台から崩れてしまう。

 こういった“変動してはマズい出来事を記録したもの”が“人理(じんり)定礎(ていそ)”だ。

 こうした出来事の“結果”をあらかじめ固定しておく事で、たとえ過去や未来から(かん)(しょう)を受けたとしても、世界は致命的な疾患(しっかん)を生じることなく、人類史は存続される。

 ようは抑止力の一つ、人類の集合的無意識、“アラヤ”のひとかけらだ。

 例えの一つとして、“ブリテン王国が滅びるという結末”があるとする。その“結末”を過去や未来からの介入(かいにゅう)によって変えようとしても無駄だ。

 『未来からの介入(かいにゅう)によってより繁栄はした。アーサー王はカムランの戦いを生き延びた。だが、キャメロットに帰り着いたアーサー王に居場所などなかった。ブリテン王国はやはり、最終的には消滅する』となるように、過程を(わず)かにしか変えられず、大筋(おおすじ)の“結末”は変わらない。

 

 だから刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)が、カタログスペック通りに相手の心臓を貫いたという結果を()()()()()()()()()()()ことができるなら、セイバーは今に至るまでのどこかの時点で死んでいないとおかしい。

 ———人理(じんり)定礎(ていそ)に刻まれるとは、そういう事だ。

 たとえ運良く、ランサーのゲイボルクを(かわ)したとしても、セイバーが死ぬことに変わりはない。死因が槍のひと突きである必要は、どこにもないのだから。

 死因はバーサーカーとの戦いか、美綴綾子との戦いか、あるいは何かの(ひょう)()にポックリと。

 人理定礎(じんりていそ)に“セイバーの心臓が穿(うが)たれる”ことが組み込まれるなら、セイバーは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 現実はどうだろうか。

 あの日からすでに、ゆうに十日は経過した。だが、セイバーは(いま)だ生きている。

 

 だから、衛宮士郎は()けてみることにした。

 ()の槍の能力が、人理(じんり)定礎(ていそ)にその結果を刻み込むものならば、衛宮士郎になす(すべ)はない。

 ———だが、

 そうでないのなら、地の果てまでも追い詰めるほどの圧倒的な(つい)()の呪いを、軌道を()()げ、分裂してでも対象(すべ)てを穿(うが)つ呪いを、一つの心臓に収束させることにより()()()()()()()()()()()()()()()()()のものであるならば、俺の、腰の剣が効いてくる。

 

 俺は左手で腰の(さや)(にぎ)り、右手で投影した無逆(むげき)を持って、前にいるスカサハに、ゆっくりと近づいていく。

 お互いの距離は10メートルほど。

 ———まだ、近づける。

 

 ゆっくりとスカサハに近づきながら、右手を、その先の打刀(うちがたな)を、後ろに構える。

 基本の()(ほう)の一つ、右脇構(みぎわきがま)えよりもさらに、刀を体の後ろに置いて、正面にいるスカサハから刀身が見えないように。

 ———5メートル。

 

 そこで止まった。

 

 左肩を前、右肩を後ろ。左腰を前、右腰を後ろ。

 (あし)肩幅(かたはば)よりも広くとり、(ひだり)(ひざ)を少し()げ、膝の(その)先端をスカサハに向ける。

 左手は鯉口(こいぐち)付近(ふきん)を握り、右手は刀を体に(かく)す。

 

 ———武術の歩法を極めれば、その全ては“(しゅく)()(ほう)”に行き着くとされている。

『視界にいてなお目で追えぬ』、『いつ動いたのかすら(わか)らない』、そんな縮地(しゅくち)(ほう)を居合術から求めようとする時、一番最初に始めること、縮地法への第一歩は“()(がま)えからの立ち上がり”だ。

 ———“()(がま)え”、居合道では“立膝(たてひざ)”と呼ばれる(かま)えは、ちょっと特殊な座り方で座る(かま)えだ。流派によっては“(かた)胡座(あぐら)”とも言われるコレは、一言(ひとこと)で言えば、『(ひだり)(せい)()(みぎ)胡座(あぐら)』。左足を正座のようにお尻に()き込み、右足首は胡座(あぐら)()くように左膝(ひだりひざ)の近くに置く。そして右膝(みぎひざ)を、横に寝かせる。

 ()(がま)えから立ち上がる時『右膝(みぎひざ)を立ててはいけない』。先に腰を()ね上げてから、その後に、腰と地面との(あいだ)、その()いた空間で右膝(みぎひざ)を立てる。

 居合術の(けい)()では、脚に力を入れている時間(ひま)などない。常に、相手は剣を振りかぶっていることを想定し、こちらは座った状態から、剣の()ろされるより、さらに(はや)くに立ち上がる。

 文字にすればどうという事はないコレの、どれほど難しいことか。

 通常、右脚にも左脚にも力を入れず、腰から上の動きだけで上方向の推進力を得ることなど、まず有り得ない。

 だが居合では、最初にそれが要求される。

 当然、秘訣(ひけつ)は腰から上にある(わけ)だから、慣れてくれば、正座からだろうと胡座(あぐら)からだろうと、脚に力を入れずとも立ち上がれるようになる。

 そして当然———()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “脚を使わずに(ちゅう)に浮く”、居合術が難しいと言われる所以(ゆえん)は、案外こんなところにあるんじゃないかと、衛宮士郎は思うのだ。

 

 (こし)を落とし槍を構えるスカサハに、右手の刀を投げつける。

 ここはまだ、イマジナリ・アラウンドの中にいる。だから、投げた刀でのダメージは見込(みこ)めない。だが、スカサハは刀を弾いた。

 士郎は刀を投げることで、スカサハの視界を(ふさ)いだ。自分の感覚を(さえぎ)られることを嫌って、スカサハは刀を弾いたのだ。

 

 左手は(さや)を握ったままで、衛宮士郎は、ググッと身体(からだ)を低くした。その右腕が(つか)へと伸びる。

 スカサハの槍が輝きを増した。飛んで来た刀を左に弾いたスカサハは、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)を発動しながら、右脚を大きく()()し、()(さき)が左を向いた槍を、右手一本で振り切った。

 

 ただそれだけで、(ぜつ)()だった。

 

『達人同士の戦いは単純は技の応酬になる』と言う人がいる。

 本当にそうだろうか? 

 例えば、目の前に紙屑(かみくず)が落ちているとしよう。それを(ひろ)う。

 武術を知らない人間が紙屑(かみくず)を拾う動作、武術の達人が紙屑(かみくず)を拾う動作。同じはずがないだろう。

 “腰を落とす”というただそれだけで、相手を吹き飛ばせる人がいるのだ。

 “肩に手を置く”というただそれだけで、相手を倒せる人がいるのだ。

 

 だから今でも、神様に(えん)()奉納(ほうのう)する武芸者がいる。

 自らの(きた)え上げられた身体(からだ)を見せるためだ。武術の達人の身体(からだ)は、一種の芸術品だと認識されている。彼らの身体は、その(つく)りからして一般人とは乖離(かいり)している。武術を知らない人間がどう動いても、彼らと同じようには、動けないのだから。

 

 世の中には目に見えないモノが(あふ)れている。

 物理学者は“アインシュタインの方程式”に興奮(こうふん)する、数学者は“オイラーの数式”を見て涙を流す。そういった人々には見えているのだ、我々には見えない、とてつもなく()(れい)なモノが。

 武術の動きもそれと同じで、“現実世界には存在しない”し“誰の目にも映らない”。それでも確かに、“美しい動き”は存在している。

 

 スカサハは左に構えたゲイボルクを()(よこ)一閃(いっせん)、振り切った。

 そんな(よこ)()ぎの斬撃は、いつの()にか消えている。

 

「——————刺し穿つ(ゲイ)———」

 

 (はや)()ぎて目で追えない(よこ)()ぎ。次に士郎の目が追いついた時、それは突きへと変化していた。

 

「—————————死棘の槍(ボルク)ッ!!」

 

 因果すらも逆転させる死の呪いが、士郎の心臓に(ねら)いを(さだ)め、放たれる。

 赤い閃光が士郎に向かって駆け抜ける。

 

 ———そして士郎は右腰(みぎこし)を、後ろに引いた。

 

「————御稜威(みいづ)(りゅう)居合術、奥儀(おうぎ)の始まり——」

 

 右腰を引き始めてから(のち)、ほんの(わず)かの時間差で、(つか)に手を置き、右腰(それ)を追い越すようにして、(ひだり)(こし)を引き切った。

 

「——————歩法(ほほう)水端(すいたん)・“居合(いあい)()め”」

 

 (ひだり)(こし)を引き始めた瞬間(しゅんかん)から、衛宮士郎には()(あし)の感覚がなくなった。自分の意識が体から離れていくような、目を開けたまま()(ぜつ)しているかのような。あるいは、体が、消えて無くなったかのような。

 

 士郎の体の左側を、ゲイボルクが駆け抜ける。

 脚に力を入れることなく、(りょう)(こし)操作(そうさ)だけでスカサハの突きを(かわ)しきった。

 だが、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)は発動している。つまり(すで)に、“衛宮士郎の心臓を穿つ”という結果は確定している。

 スカサハのゲイボルクはカクカクと()()がりながら分裂し、時間を逆行し、最初から分裂したことになって、複雑な軌道を描きながら五つの()(さき)が、心臓めがけて突っ込んで来た。

 

 士郎の右手は(つか)を持ち、その左手は(さや)を握る。士郎の肩と腰とが(ひら)き、するりと、そのその刀身が(あら)わになった。

 

 ———居合。

 それは、“絶対に勝てない戦いで、それでも勝ち筋を見つける能力(ちから)”。

 人間は時間を身体(からだ)で刻む。人間は自分の体を使って時間をカウントする(わけ)だから、体を(こま)かく割って使う事は、時間を割って使う事に帰結(きけつ)する。

 士郎の身体(からだ)は、今、(かく)()が別々のテンポで動いている。右肩と左肩、右腰と左腰、そして右脚と左脚とが全く違う時間を刻んでいる。

 居合術の神髄(しんずい)は、()(るい)を見ないほど精密な身体操作(しんたいそうさ)にある。ゆえに、別々の速度で動く(ろく)のパーツと、それらを俯瞰(ふかん)して()(ななつめ)のパーツ。これら(けい)七つの部位は、それぞれが未来へとフライングしている(わけ)だ。

 日本武術において“勝ち目が無い”ということは、“相手のほうがより先の未来に()る”ということだ。そして敵は、“未来(みらい)体感(たいかん)”のスキルを持っていると思っていい。極めれば“天眼(てんがん)”へと(しょう)()()るもの。無限にあるべき未来を“たった一つの結果”に限定する、極めて特殊なスキル。

 そんな相手から、未来を(つか)()ろうというのだ、それは並大抵(なみたいてい)ではない。

 

 その答えが、ここにある。

 

 (はやし)(ざき)甚助(じんすけ)(さず)かったもの。それこそが、“並列(へいれつ)逆行(ぎゃっこう)”だ。

 全身の時間感覚を七つに分け、それぞれが時間をフライングして“未来を体験”し、“勝てた未来に自分の全ての感覚を同調させる”ことで、その未来を引き寄せる。

 ———これら全てを、(ひと)呼吸(こきゅう)のうちに(かさ)ねるのだ。

 未来における、七つの同時(とうじ)並列斬撃(へいれつざんげき)。現在ではなく、体感する未来を飽和させて、未来において勝利をおさめる、それが居合(いあい)神髄(しんずい)だった。

 

 俺は、完全に(さや)から()()た刀を、(した)から(うえ)に、(いっ)(ちょく)(せん)に斬り上げた。

 

「——————極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……(すご)い」

 

 バセット・フラガ・マクレミッツには、その一言(ひとこと)精一杯(せいいっぱい)だった。

 衛宮士郎という赤毛の少年の一連の動きを頭の中で反芻(はんすう)していて、ハッと我に返ってから、やっと、自分が斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を発射していなかったことに気がついた。

 (ちから)(こぶ)を作るように構えた右腕と、天を向く(こぶし)。その10センチほど上で、(いま)だに滞空(たいくう)している黒い球。

 バセットは、自分の宝具を見ながら、ため息をついた。しかしそれは、“自分が宝具を使わなかった事への後悔”ではない。

 軽く魔力を(まと)いながら浮いている逆光剣から視線を切り、衛宮士郎に目を向けた。

 

 士郎は居合のあと、下から上へと刀を斬り上げた体勢だ。

 スカサハは右脚を大きく()()み、右手一本で、()()ぐに槍を突き出している。その右手にあるゲイボルクは、(なか)ばから切り飛ばされていた。

 

(すご)い、何ひとつ見えないなんて……」

 

 速くて見えない(わか)ではなかった。と、バセットは(ひと)りごちる。むしろ、感覚としては『衛宮士郎が遅すぎて見えなかった』感じだった。まるで、動いていないかのように見えたのだ。

 

()かったな、バセット」

 

 (みぎ)(どなり)から声がする。振り向くと、ランサーがいて、目と目が合うとニッと笑った。

 

「お前の宝具使ってたら、今頃(いまごろ)ボウズは死んでたからよ」

 

 付き合いの浅いバセットですら見抜ける程に上機嫌なランサーが、槍を右肩にかけ、三歩ほど前に出た。

 

「しっかしまぁ、面白(おもしれ)え状況だな。

 ()正面(しょうめん)からゲイボルクを、呪いごと切り裂きやがった」

 

 士郎とスカサハが急に離れる。二人が反対方向にバックステップし、さらに何歩か大きく退()がり、距離をさらに大きくとった。

 バセットの後ろから舌打ち、アーチャーが弓の投影を解除した。

 

「衛宮士郎、なんだその(ざま)は。

 自分だけで飛び出した挙句(あげく)()(うち)(さら)すだけで帰ってくるとは、ガキである(くせ)間抜(まぬ)けとは、最早(もはや)()が付けられんな」

 結果もイメージせず勢いだけで飛び出すからだ、馬鹿(ばか)め。とアーチャーが移動してランサーと肩を並べる。

 

確率(かくりつ)(もっと)も高い手段だけを取れ、衛宮士郎。(ぶん)()相応(そうおう)(あこが)れを持つお前では、それでもまだ不足(ふそく)だがな」

「まぁ、そう言うなよアーチャー。

 戦いには“流れ”ってもんがある。ボウズの切り札は一切(いっさい)効果がなかったが、それでも勢いだけはあった。

 ———良いじゃねえか」

 オレは好きだぜ、そういうの。と、ランサーもゲイボルクを光らせながら、低く(かま)えた。

 

 確かに、とバセットも(うなず)く。

 自分も、もう少しやれそうな気がしたから。

 心を入れ替えて、先頭に立つ三人の戦士と最後方(さいこうほう)にいる一人の兄をチラッと見た。

 

 この戦闘の始まる前、作戦会議を(おこな)った時に聞いた間桐慎二の切り札、起源(きげん)(だん)。そもそも、()構成(こうせい)からサーヴァントには効果があまり見込めない上に、イマジナリ・アラウンドの魔力源は間桐桜であるという。その事実があるだけで、起源(きげん)(だん)は使えない。

 アーチャーと士郎は、魔力がすでに心許(こころもと)ない。

 スカサハ(あの女)にダメージを与えられる武器が自分とランサーの宝具しかない以上、選択肢は(かぎ)られてく———

 

「……あらっ?」

 

 ふと、バセットは思った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。アーチャーはなぜ、この状況で前に出たのか。

 

「———まさかッ!」

 

 その真逆(まさか)だった。

 スカサハが、アーチャーの矢を(かわ)している。

 ランサーと士郎とで接近戦を仕掛け、少し離れた(ところ)からアーチャーが弓で援護している。その“(しゃ)”は何度見ても()()れする腕前(うでまえ)で、確実にスカサハに()たる軌道(きどう)(えが)いている。

 今まではそれを、スカサハは無視していた(はず)だった。

 

 “その事”に気づいた時、バセットは震えた。

 しばらく、鳥肌(とりはだ)が消えなかった。

 

「“魔剣・無逆(むげき)”—————そういう事ですか」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 間桐桜は、その戦闘をずっと、未遠(みおん)(がわ)の上空から(なが)めていた。

 今もそう、桜の(がん)()で、衛宮士郎が回避(かいひ)(たて)として戦っている。

 スカサハの注意を引き付けて、その突きを(かわ)す。士郎は地面を()ることなく、腰から上、体幹の操作だけで、自分の体を右に運んだ。

 士郎の体の左側を、スカサハの槍が突き抜ける。突きを繰り出すために踏み込んだスカサハは、この瞬間、士郎の剣の間合(まあ)いに入った。右脇(みぎわき)が前の脇構(わきがま)えから横一閃(よこいっせん)。ちょうど、ストライクゾーンに飛んで来た野球ボールを打つような位置関係で、士郎が刀を左から右に、一文字(いちもんじ)に振り抜いた。

 対してスカサハは、突き出した槍をそのまま、地面と並行にしたままで下から上に、自分の()(じょう)に引きつける。

 

 士郎の刀を、横に()かせた(やいば)(しのぎ)を、槍の()で上に押し上げることで空間を作りだし、体ごと(かが)めて、士郎の足元のスペースに飛び込んだスカサハは、相対的(そうたいてき)に体の上に位置する槍を、両手で(つか)んで、反転しながら振り下ろす。

 士郎は振り切った刀をそのままに、自分の体を反時計回りに180度回転させる。スカサハと向かい合い、体の後ろにある剣を頭の上から振り下ろす。

 

 士郎は刀、スカサハは槍。お互いに(しのぎ)(けず)りながら、両者共に振り下ろし、お互いの武器がお互いの武器を押しのけるように、両方の武器が()れていった。

 

 士郎はランサーに攻撃の場所を譲るように後ろに退()がり、()わりにランサーが、スカサハの前に(おど)り出る。

 

 ———まるで、(えん)()を見ているような、(みんな)で踊っているような。

 ———まるで、(なん)()も先を読みあっているような、全てが予定(よてい)調和(ちょうわ)であるような。

 

 桜は思う、『きっとこの人たちには、自分の“()(すじ)”が見えているに違いない』と。そして戦闘中、(はる)か未来に浮かび上がった“()(すじ)”を、丁寧(ていねい)(つぶ)しながら戦っている。

 

 それから、士郎が大活躍(だいかつやく)を始めた。

 今も、スカサハが攻撃に打って出ようとした瞬間に、スカサハの間合いギリギリで刀をひと振りすることで、スカサハの攻撃をキャンセルさせた。

 桜には、何がどうなっているのか全然(ぜんぜん)()からないけれど、スカサハは間違いなく士郎たちを殺しに来てるし、さっきも本気でゲイボルクを発動してたし。

 そんなスカサハが攻撃をキャンセルしたなら、キャンセルしたなりの理由がある(はず)で、それはやっぱり、士郎だと思うのだった。

 それとも。

 それとも桜が、“士郎が活躍(かつやく)できる理由”を知っているから、士郎の動きが変わったように見えるのだろうか。

 

 ———あのバカ遠坂っ、何が『()人間(にんげん)にする』だ。全然(わか)ってないじゃない———

 

 ……そうだ。

 間桐桜は、士郎が“極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)”を使()()()()()()()を知っている。

 もっと言うと、普段の士郎が抱える問題について正確に理解しているのが、桜だけだとも言える。

 

 ———『最近の士郎が変』だって? そんなの、随分(ずいぶん)前から(わか)り切っていたことじゃない。アンタだって、薄々(うすうす)気づいてたんじゃないの? 自分自身と、士郎が抱える問題にさ———

 

 アンタだって、魔術の才能が無いんだしさ。というような事を、美綴綾子に言われたと思う。

 その時は確か、ムキになって言い返したような気がする。「わたし、こんな才能なんていりません」って。

 そこは確か、衛宮(えみや)(てい)居間(いま)だった。

 美綴は、座敷(ざしき)(づくえ)に正座していた。右手を腰に当て、左手で顔を(おお)い、ため息と共に反論した。

 

「まぁ、アンタにとっては魔術の才能なんてどうでもいいモノだと思うけど、“何でも良いわけじゃない”んだからさぁ」

 

 そう言うと美綴は、右手を腰から離して人差し指をピンと立て、対面(たいめん)に座る桜の顔を見て、口を(ひら)いた。

 

「アンタは、遠坂凛とほぼ同じだけの魔術回路を持って生まれて来た。この意味分かる? メインの回路が40本、そしてメイン一本につきサブ回路が()()()()30本づつ持ってるワケなんだけど。

 ———つまり、1,200の魔術回路が、その体には流れてる」

 士郎なんか27本だぜ。と美綴。

 

「さらに言うなら、“架空元素・虚数”を持って生まれて来たアンタは、その属性の希少性でも“五大元素使い(アベレージ・ワン)”と比肩(ひけん)()る」

 

 解る? と美綴は、琥珀(こはく)(いろ)の目を少し細めた。

 

「そんなアンタに“魔術の才能が無い”なんてのは、嘘だろ」

「そんなっ、でもわたし———」

「『実際(じっさい)、何も出来てない』———そこだ、そこなんだよ桜。(あたし)がずっと言い続けてきたことは」

 

 座敷(ざしき)(づくえ)に置いている湯呑(ゆの)みを(つか)んで一気飲みする。ドンと湯呑(ゆの)みを叩きつけるように置いた美綴は、(なか)ばほど桜を()()けながら、士郎について(かた)り始めた。

 

「士郎はさ、才能が“有る”とか“無い”とか、そんな次元にはいないワケよ。アイツは初めから“()()ること”が出来たから、才能云々(うんぬん)以前に“始まりから(いた)ってる”んだ、アイツはさ。

 本人は魔術修行の成果だとか()かすけど、アレは生来(せいらい)の気質だぜ、絶対」

 

 そういえば一時期、()ねていたことがあったな。と桜は、湯呑(ゆの)みを持って一人(ひとり)ごちる。

(つか)を握るだけ無駄(むだ)じゃないのよ」と士郎に()()っていたことがあった。「アンタは刀を抜かずに勝てるんだから。抜刀(はっとう)するだけ“遅れ”だから」とか、なんとか。

 

 ———ふと、美綴綾子と目が合った。

 彼女の目は琥珀(こはく)(いろ)に輝いていた。

 

「でも、最近の士郎からは、剣の才能を感じない。桜の言う“士郎が変わった”ってのは、これのこと。士郎から、才能が消えている事。

 原因なんて、始めから(わか)りきってることだけど……。

 アンタと同じよ、桜」

 

 —————慢性的(まんせいてき)な、(きょく)()のストレス—————

 

 ほら、また、士郎がスカサハの槍を止めた。スカサハが突き出した槍に、そっと左手を(そえ)えているだけ。

 士郎はスカサハの握る槍を(かい)してスカサハの、(てのひら)皮膚(ひふ)(はたら)()けて、一瞬だけ、スカサハの体を硬直(こうちょく)させた。

 

 そんな、()()きしている士郎を上から眺める桜には、“士郎の感覚”が流れ込んできていた。

 

 ———それは、不思議な感覚だった。ただ、不快ではなかった。

 自分の体から士郎の()(あし)()えているような感じがした。士郎の手足(ソレ)(あき)らかに桜の体から()えているように感じるのに、士郎の手が握る(かたな)触感(しょっかん)がする。桜の体についていないはずの三本目と四本目の足が地面を()感触(かんしょく)がする。

 それだけではない。

 桜の胴体(とうたい)からもう一本(いっぽん)(くび)が生えている感覚もあるし、“士郎の目”が見たものや“士郎の耳”が感じたものが、桜にも分かった。

 ———それは、不思議な感覚だった。自分の肩や脚を目で見ても、当然(とうぜん)何も付いてないのに、その“付いてないはずの()(あし)”を、動かすことが出来るのだから。

 桜の両腕は背中で拘束されている。でも、桜にはもう一対(いっつい)の腕があって、その腕で、刀を()ったりできる。

 桜の両足は地面から浮いている。でも桜にはもう一対(いっつい)の足があって、その足で、地面を()ったりできる。

 ———それは不思議な感覚だった。まるで足が四本、手が四本、首が二つある()(もの)になったかのようだった。

 ただ、不快ではなかったのだ。

 

 ふふっ、という声が自分から()れた。それで初めて、自分が笑っていることに気がついた。

 士郎の心配はしていない。だって、士郎が死ぬことはあり()ないから。桜には、士郎が今、なにを感じているかがよく分かる。士郎がどれだけ丁寧(ていねい)に、死を回避するために先手(せんて)を打って行動しているかがよく分かるから、士郎は死なないと分かっているから、心配などしていない。

 

 桜は、快感(かいかん)だった。

 今、まさに今、自分と士郎とは(つな)がっているのだ。士郎がなにをどう感じているのか、手に取るようによく分かる。

 逆に、自分の感覚が全部、士郎に転送されていることも……。

 そして、二人は同じ事を考えている。

 だからこそ、桜が士郎の手を動かそうとして、その通りに士郎が動く。桜が一歩を踏み出そうとして、士郎の足がそう動く。

 

「……。そういう事だったんですね、先輩」

 

 桜は、目を閉じた。

 でも今は、士郎の見ているものが、桜にも見えている。

 目の前には、スカサハがいる。スカサハが槍を持ち、上から下に()()ろす———その()(さき)、スカサハの足元を(すく)うように、士郎は刀を低く()いだ。

 スカサハは、士郎の刀の届く距離にはいない。にもかかわらず、スカサハは攻撃をキャンセルし、防御の構えに移行する。結果、スカサハは一瞬、硬直した。

 

「———ありがとうございます、士郎さん」

 

 桜はもう一度、目を(ひら)く。

 桜の目には、空から()る無数の槍に追い立てられるランサーと、そのカバーに入ったアーチャー。ほとんど棒立ちで戦いに見入っている慎二とバセットが見えた。

 ふふっ、と桜が笑う。なんのことはない。この状況で、思い出してしまっただけだ。

 

 ———桜。今日、一緒に帰らないか? 見て欲しいものがあるんだ———

 

 あの日。

 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 士郎に連れられて、いつかの図書館に行った日のこと。

 

 図書館に着くより前から、士郎は少し興奮気味(ぎみ)で、(かばん)から一冊のノートを取り出した。

 士郎が広げて、そのページを見えるように持ち上げる。

 大学ノートの左のページの真ん中あたりに、その数式は存在した。

 士郎の左隣にいる自分は、士郎が右手で広げたノートをマジマジと見つめて問いかけた。

 

「何ですか? それ」

「これは、“(りょう)()の存在を書き表す方程式”だ」

「“(りょう)()”……、前に聞いたことがあります。“物理学の何か”、ですよね? 先輩」

 

 桜は学生鞄を(うし)()に両手持ちし、少し胸をそらせるようにして、士郎の左を歩いている。

 そんな桜と並走しながら、士郎はノートのページを、その数式をチラリと見た。

 

「“(りょう)()力学(りきがく)”。この世界の事をより正確に、より深く知ろうとしていると、あるところで考え方をガラッと変えなければいけなくなるんだ。一定(いってい)領域(りょういき)よりも小さな物を見ようとした時、そこには、今までの物理学では考えられないような世界が広がっていた。

 そういった世界、(りょう)()世界(せかい)の、最も基本的な方程式がコレ、“シュレーディンガー方程式”だ」

 

 桜は別に、物理やら数学やらに詳しいわけじゃない。でも、そんな桜でも、士郎の見せる方程式を見て一つだけ、分かることがあった。

 士郎がどうして、そんなものを持ってきたのか。

 

 桜は右手を(かばん)から離すと、士郎の見せる方程式の左端を指差した。

 

「先輩、ここに書いている“$i$”っていうの、これが虚数なんですよね?」

「そう、この“シュレーディンガー方程式”は量子力学の基本方程式だ。そこに虚数が混じっているってことは、『量子力学以降の物理学は虚数を使わないと理解すらできない』ってことだ。

 量子力学は世界の裏側を記述する理論なんだ。つまり、世界は虚数に満ちている」

 

 何かの“存在を書き表す方程式”があるなんて知らなかった。

 桜は図書館の戸をくぐりながら、そう思った。

 

「世界は二層構造になってるんだ」

 

 図書館の奥まった場所にある読書スペースに座りながら、士郎はそう切り出した。

 円形のテーブルに、椅子が二脚。それぞれが対面に座り、士郎はテーブルに(りょう)(ひじ)をついて、右手の指で、開いたノートの数式をなぞった。

 

「俺たちが知っている世界。一日は二十四時間で、原因の後に結果があって、起きたことは戻せない。そんな、(ひょう)(そう)の世界。

 もう一つの世界。原因の後に結果がなく、結果があっても原因はなく、そもそも時間すら存在しない。そんな、深層(しんそう)の世界」

 

 士郎の人差し指の先、桜にはちっとも分からない文字の()(れつ)が、少しだけ、色づいて見えた。

 

「桜、これはその世界への入り口なんだ。俺たちが普通に見ている世界、遠坂の(あやつ)五大元素(アベレージ・ワン)の世界とは別の、もっと深くにあるもう一つの世界への、入り口なんだ」

「でもそんなの……分からないじゃないですか。

 世界の裏側は、とっても(みにく)いかもしれない。だって“虚数の世界”なんですよ? そんなの、(みんな)嫌いに決まってます」

 

 桜が士郎の顔を見ると、士郎は目を細めて笑っていた。しょうがないな、という風に。

 士郎は一つ息を吐いて、桜の目を見て、言った。

 

「桜はさ、“世界一美しい数式”って、知ってるか?」

「知りません。知りたくないです、そんなの」

 

 桜が突っぱねると、士郎は「ハハハ」と声に出した。

 別に困らせたい(わけ)ではなかったから、せめて士郎の顔を見ていると、(つい)には左手で、首の後ろを()いてしまった。

 

「“世界一美しい数式”は、人類史の結晶なんだ。今まで人類が積み上げてきた“考え方”ってものが、一つにまとまった瞬間だった。

 人間は色々考えてる。長い歴史の中で、『こういう時にはこういう風に考えた方が良い』ってモノが、ずっと伝承されていた。

 そうやって、個々(ここ)別々(べつべつ)に生み出され、運用されてきた色々な考え方を、ある時、『虚数を触媒(しょくばい)にして連結させる事が出来る』ってことに気づいた人がいた」

 

 残った右手で、士郎はノートのページをめくる。

 一つ、二つ、三つ……。

 そして、桜の気づかないうちに、士郎の右手は止まっていた。

 士郎の開いたページの右下、最後の(ぎょう)に小さく書かれた数式を、桜は今でも覚えてる。

 

 —————— $e^{ i \pi }=-1$——————

 

「数学者たちが初めてこの数式を見た時、感動して泣いたらしい。

 だから俺も、先生たちに聴いてみたんだ。理系の先生の中で、数学を知ってる先生の中で、これを嫌いだって言う人はいなかった。“(みにく)い”だなんて(もっ)ての(ほか)だ。先生方が(みんな)そろって、俺にその“美しさ”を語ってくれた」

 全部理解したなんて、口が()けても言えないけどな。と士郎は、左手で首筋をモミモミしている。

 その手つきが面白くって、桜は不思議と笑ってしまった。

 

「確かに、虚数は()()()()()()かもしれない。でも、それはもう昔の話、だからな」

 

 それから士郎は、桜にたくさんのことを語った。

 “オイラー”という人が虚数の本当の意味に気づいた話。オイラーの公式を知った“シュレーディンガー”という人が世界の裏側に足を踏み入れた話。世界を正確に理解したいなら、一度“虚数領域”に(もぐ)り込んで、また現実世界に戻ってくる必要があるらしい事。

 そして、“世界一美しい数式”と出会った人は、(みんな)虚数を好きになると力説された。

 

「だから桜、苦しかったら『苦しい』で良いんだ。痛かったら『痛い』って言えば良い。

 ———傷は耐えるんじゃなく、ちゃんと(うった)えてくれ。じゃないと俺には、それが分からないんだ」

「それは———」

「俺は、自分から困難に突っ込んでる。それは、自分を成長させたいからだ。

 俺が成長できるのは、“自分の能力では乗り越えられない困難”に出逢(であ)った時。自分の出来る範囲のことやり続けていても、大した成長は見込めない。

 だから俺は、自分の知らない事を知るために、

 出来ない事を出来るようにする方法を見つけるために、

 そして今日、助けてられなかった人を、明日こそは、助けられる俺になるために、

 自分の命くらいまでは、()けるようにしてる」

「先輩がずっと、美綴部長に止められるまでずっと、あんな自殺(まが)いのことをしてたのは、そんな理由からなんだすか?」

 

 士郎は、(うなず)いた。

 

「俺の中には常識が無い。

たぶん、世界を見て感じる事が、あまりにも世間(せけん)から(はず)れすぎてる。

 ———前に、綾子から紹介してもらった人が、その事を“チャンネル”にたとえて、俺に話してくれたがあった」

 

 士郎は頭の裏を見ながら、少しばかり脱線した。

 

「俺は、『(ほか)の人と見ているチャンネルが違う』、と。

 (ほか)の人が8チャンネルを見ているところを、俺だけ11チャンネルを見ているんだと、そんなことを言っていた。

 だから、(ほか)の人が話す8チャンネルのテレビの話に、俺だけがついていけない。俺が11チャンネルの事を話そうとすると、周りの人間と不協和が起こる」

 

 士郎がノートをパタンと閉じた。

 桜の口から声がもれた。もう少し、見ていたかった。

 

「だからこそ、俺は知らなければいけない。

 何が良くって、何がダメで、桜はどうして欲しいのか。どの(あた)りから先、助けてほしいのか。

 ———痛みは、ちゃんと(うった)えてくれ」

 

 士郎の言葉に、桜はつい、(うつむ)いてしまった。

 桜の発する声が、口の中でこもってしまう。

 

「先輩、それなら……姉さんの方が良いと思います。

 わたしじゃダメです。姉さんの方が、ちゃんと“常識”を見ていますから」

「だからこそ桜なんだ。

 遠坂とじゃ、話がサッパリ噛み合わないからな。でも桜なら、チャンネルを切り替えることが出来るんだろ? 

 ———“世界一美しい数式”と同じように。

 俺と世界とを繋ぐ、触媒(しょくばい)になってくれないか?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 眼下に(うつ)る士郎を見る。士郎の目に(うつ)るスカサハを見る。 

 士郎の目に(うつ)る世界を見て、士郎の体感(たいかん)を感じとる。

 桜には、士郎の次の行動が、手に取るようにわかっていた。

 

 あの(あと)、桜は士郎に「もう少しやらせてほしい」と言ったのだった。間桐臓硯のこと、間桐慎二のこと、桜自身の手で決着を付けさせてほしいと、あの時言った。

 理由はいくつもあるけれど、一番は士郎と並びたかったからだと思う。士郎の独白を聞いた時、純粋に桜は、士郎が一番強いと思ったからだ。

 能力ではなくその精神性が、強い。

 

 周りの人間は時々、士郎のことを『ロボットのようだ』と言うけれど、桜にしてみれば、そんな彼らの方がよっぽどロボットみたいだった。

 ———人間の中にロボットがひとり。

 士郎のことを、そんな風に理解する。でも、それって『自分たちの方が人間だと思いたい』だけなんじゃないだろうか。

 彼らはきっと、(ぎゃく)を考えたことなんて一度もないのだ。

 ———ロボットの中に人間がひとり。

 士郎から見れば、きっと世間(せけん)はそう見える。世間(せけん)の“自称普通”の人々のことが、士郎にはきっと異常に見える。「(みんな)がそうしてるんだからしょうがないじゃない」って(あきら)めてる事が、士郎にとっては異常なのだと、桜は知った。

 

 そんな普通の、桜にすれば異常な人々の価値観を、士郎はずっと学ぼうとしている。自分のことを封印して、自分を異常者だと言ったりして。

 この世界に、“誰かのために自分を異常だと言える人間”が一体(いったい)何人いるだろう。

 (みんな)の“普通”を護るために、士郎は自分を“異常”にしている。

 だから桜は、士郎が最強だと思うのだ。

 

 そんな士郎の“切り札”なんて、たった一つしかないだろう。

 

 ———本当(ほんとう)の自分を解放すること。

 “リミテッド”というのはつまり、自分ではめた(かせ)のこと。自分で自分を制限したこと。

 それはまた、“常識の(かせ)”でもある(わけ)だ。『日本刀でそんなの斬れるワケない』と、周りが士郎に押し付けた(かせ)

 

 極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)

 

 士郎には“士郎の常識”がある。士郎には“士郎の普通”がある。それがたまたま、(ほか)の人とは違っただけ。

 それを無理に合わせようとして、士郎は“自分の普通”を封印した。そんな事も知らないで、(みんな)は士郎を『へっぽこ』と言うのだ。

 

「助けてっ! 士郎さんっ!!」

 

 士郎が一瞬、桜を見た。

 桜と士郎の目と目が合った。

 その瞬間、鏡合わせのようにお互いに、相手を通して自分を見た。

 

「———ああ、待ってろ桜。すぐにそこから解放してやる」

 

 士郎が、目を(はず)す。

 士郎の刀、無逆(むげき)をもう一度(さや)(おさ)めて、そのまま()()ぐスカサハを見る。

 

「さっきのは半端(はんぱ)だったけど、そのお(かげ)でコツを(つか)んだ。

 次は確実に、()()れる」

 

 士郎は(つか)に手をかけた。

 

 士郎の扱う剣術、“御稜威(みいづ)(りゅう)”の事も、桜は士郎に聞いていた。御稜威(みいづ)の剣術は決して打ち合わないのだと。

(やいば)同士(どうし)で打ち合って、刃こぼれしたら大変だろ」というのが理由だ。

 御稜威(みいづ)(りゅう)()対一(たいいち)を基本とする。刃こぼれすれば肉に引っかかって抜きづらくなる。その一瞬は、()対一(たいいち)では(すき)になる。

 だから、士郎は決して打ち合わない。

 ———ひとつの、例外を(のぞ)いては。

 

 極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)は、士郎の剣術の中で、唯一相手と打ち合うものだ。

 だが、刃こぼれを心配する必要はない。“打ち合い”はしても“(つば)()り合い”になることはないのだから。

 

 衛宮士郎の武装の中で唯一の真作(しんさく)、日本刀無逆(むげき)において繰り出される不可避(ふかひ)の一撃。

 士郎の心を“(から)”にすることで、相手の心を(おのれ)の内に映し出す。ならば、回避など不可能。相手のあらゆる行動は、士郎の(たもと)に、すでに映っているのだから。

 無逆(むげき)は士郎の最高傑作(さいこうけっさく)(にな)()が切れると断じたものを切り裂く魔剣。“普通”であれば、それは意味のない能力だろう。常識の中に生きて、常識という絶対法則に守られている人間には、まったく意味のないモノだろう。

 だが、“ありのまま”を解放し、“士郎の常識”を()るった時、魔剣は、(にな)()たる“士郎の常識”のもと、“世界の常識”を()()せる。

 概念にすら、手を伸ばす。

 

 居合の構えをとった士郎を眺め見て、桜は(うた)う。

 空中で縛られたまま、桜は(うた)う。

 

「———わたしは()して望まれぬ者」

 

 (つか)にかけた右手は添えるだけ、左手にも力を入れず、骨盤を開き肩甲骨をズラすことで刀を引き抜く。

 

「———心は壊れ、身体(からだ)は汚れ、その存在は(よど)みに()まる」

 

 桜の中から、士郎の手足の感覚が消えた。

 

「———でも、例えわたしが(けが)れていても——」

 

 桜は知っている、士郎が、今度こそ確実に、わたしとスカサハとの(つな)がりを、切り裂いてくれるということを。

 

「———潰されそうな野の花が、(ほこ)れる世界でありますように」




 

次回、Fate/stay night[Destiny Movement]

———第二十五話、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)

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