もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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———空想こそ自由の証。
 影の虚数は今、軽やかに駆ける風になる。





《第二十五話、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)

 

 

 桜は(うた)う。空に浮かぶ半月(はんげつ)の下、口だけが動く自分の体で。

 桜は(うた)う。拘束され、(ちゅう)に浮かんだ自分のままで。

 

「———潰されそうな野の花が、(ほこ)れる世界でありますように」

 

 桜の(がん)()で士郎が走る。

 それは、まるで(すべ)るかのようで、右手は軽く、(つか)()えた状態で。

 無逆(むげき)の刀身が(あらわ)になって、(した)から(うえ)に振り抜いて、その居合は完結していた。

 

「——————極限切り裂く無からの一撃(リミテッド・ゼロオーバー)

 

 その瞬間、桜に魔力が逆流してきた。今までスカサハに流れていたものが戻ってきたのだ。

 桜は、息をするのが楽になったような気がして、そのまま大きく吸い込んで、言葉と共に吐き出した。

 

「——————深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)

 

 世界がドッと流れて来る。どんどん桜を侵食しにくる。

 ———桜はそれを、受け入れた。

 

 やってみると、別段(べつだん)どうということはなかった。世界からの侵食なんて、今更(いまさら)、桜にとっては。

 第一、この手のものは先に桜の側が受け入れないと入ってこない。“間桐の蟲”やら“臓硯の悪意”やらと違って、今桜の中に流れてきつつあるものは、ほんのちょっとでも拒絶する素振(そぶ)りを見せると、たちまち搔き消えてしまう(たぐい)のものだから。

 

 “自分の核”だけを残して、世界に溶けていく感覚。

 桜のお腹の下、(ちつ)のあたりに(ちから)が入らない場所がある。その場所の筋肉を動かそうとする事すら、できない場所がある。

 自分の中にあるそんな場所を中心にして、自分の体が、皮膚の方から溶けていく。

 世界と桜との境界線、桜の皮膚の感覚がなくなって。どこまでが自分かが分からなくなった。

 今はもう、桜に残っているのは“濃淡の違い”だけ、膣のあたりの“濃い場所”だけは『ちゃんと自分だと言える』けれど、その場所から遠くなるに従って、どんどんと“桜である自信”がなくなっていく。

 でも逆に、桜の周囲の空間が自分の体の中のような、そんな不思議な感覚もあった。

 ———例えば、桜を縛っている拘束魔術、その“拘束魔術そのもの”が“桜自信の手足”のように錯覚するのだ。

 今、拘束魔術(桜自身)(りき)みを抜いた。すると、桜の体が落下を始めた。

 

「——————へっ?」

 

 急な展開に頭が追いつかなくなった桜が、直立のまま落ちていく。さっきまでは冬木大橋を見下ろすことができたのに、今はもう、橋桁(はしげた)を見上げている。

 ……と。

 次の瞬間、桜の体に重力がかかった。

 桜は足を下にして落ちていたハズなのに、今はお腹から背中へと重力がかかっているのだ。

 

 結局、自身が前に向かって加速していたのだと気づくまでに、十何秒かの時間が必要だった。そうなった時、つまり『勝手に体が前に加速するわけがないから、自分の体を誰かが加速させたいる』のだと思い(いた)った時、桜は自分が目を閉じていた事実を思い出して、目を開けた。

 

 目の前に、浅黒(あさぐろ)い顔があった。

 

「———アーチャーさん?」

 

 声が聞こえたのか、顔を前に向けたまま目線だけをこっちによこして、赤い弓兵はまた、前を見る。

 

「分かっていると思うが、今は君が生命線だ。大人しく(つか)まっていたまえ」

 

 アーチャーはジャンプして、桜を横抱きでキャッチしたのだ。空中に剣を投影して固定、それを足場に反転して、元の場所まで戻っていく。

 

「マスターが私に送る魔力の制限を解除した。つまり、『向こうは片付いた』というワケだ」

 

 アーチャーは着地した後、もう一度ジャンプして、最後方にいる慎二の前に降り立った。

 

「間桐慎二、桜を守るのがお前の役目だ。お前の(あし)は、サーヴァントにも引けをとらないからな」

「……。……」

 

 慎二は桜を受け取ると、ひたすら無言のままに、桜を抱え続けている。

 

「———さて」

 

 アーチャーが振り返る。視線の先には、スカサハがいた。

 士郎とランサーと向き合って、とっさに発動させたゲイボルクを士郎に切らせて致命傷を防いでいたスカサハの、(なか)ばから切り飛ばされた槍の穂先(ほさき)が、空中で停止している。

 桜は奪い返した力、“イマジナリ・アラウンド”でもって、スカサハを外側から握り潰そうといている。対抗して、スカサハの内側から固有結界のように展開する“死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)”が自身の周囲の空間を塗り替え、そこを“スカイ島の内部だとする”ことで、桜の干渉から逃れていた。

 結果、スカサハの周囲の空間は、拮抗(きっこう)して固まっている。

 

 ———だが。

 だが、あのスカサハが、この程度で終わると思っている者は、この中には、誰一人としていなかった。

 

「——————()穿(うが)ち、()穿(うが)つ」

 

 いつの間に発動体勢を整えたのか、(あるい)はこうなることを予見していたのか。切り飛ばされた槍とは別にもう二本、ゲイボルクを召喚していたスカサハが、空間が固定化された後、強引に放出した“スカイ島の魔力”の影響力で、深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)を押しのけて、両手にそれらを握り締める。

 

「———————貫き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)

 

 ゲイボルク二槍(にそう)(りゅう)、二発同時に発動する二種類のゲイボルク。それを一切の()めなしに解放する。

 

 ———この時、反応できたのは、二人だけだった。

 

 士郎は、刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)を切り伏せる。

 ランサーは突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)同士で相殺させる。

 

 そうして、二人の手が(ふさ)がった。

 ならば次は、当然、スカサハの“もう一つ”が発動する。

 

「———開け、異境(いきょう)(とばり)

 

 スカサハの背後に、巨大な門が降臨した。

 石造りで、両開きの(とびら)のついたその門は、門柱(もんちゅう)のところに、無数の棘、無数の氷の結晶柱のような装飾がある。

 その、巨大な門戸(もんと)が開かれる。高さは10メートルを(ゆう)に超え、厚みが2メートルはあろうかと思われる、その重量感のある門戸(もんと)が、(きし)みを上げて、こちら側にゆっくりと開いていく。

 

「その(たましい)まで私のものだ。

 ——————死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)ッ!!」

 

 門の中から外側に向かって、スカイ島から冬木に向かって、ヒュルヒュルと風が吹き出している異様(いよう)な門を前にして、バゼットがやっと始動した。

 

「ッ……! これが彼女の“切り札”ですかっ!」

 

 最後方にいるアーチャーの視線の先、最前列にいるランサーの後ろに(じん)()ったバセットが腕を直角(ちょっかく)に構え、(てん)()(こぶし)が、(まん)()して、スカサハに突き出された。

 

「——————切り抉る戦神の剣(フラガラック)ッ!!」

 

 まるで、黒鉄(くろがね)の球体を押し出すように、バセットの(みぎ)(こぶし)が“切り抉る戦神の剣(フラガラック)”を殴り飛ばした。

 (こぶし)と球体が接触した部分から一番遠い場所、空気を割ってスカサハに突っ込んでいく先頭部分から短剣の刀身が出現する。バセットにぶん殴られた切り抉る戦神の剣(フラガラック)は閃光となってスカサハの胸を貫いた。

 

 ———その、直前。

 極限の状態にあって(なお)、その場にいた全員が、スカサハの声を聞いた。

 いつ(はっ)せられた言葉だったのか、どれだけのタイムラグの(のち)に自分たちがその言葉を理解したのか、最後までその答えは出なかった。それでも、皆がその声を聞いたというなら、それはきっとそうなのだろう。

 

 ———遅いな、小娘———

 

 バゼットは、切り抉る戦神の剣(フラガラック)を殴り飛ばしながら、スカサハの声を聞いていた。

 (いま)だ右手にある金属球の感触を感じながら、バゼットは冷や汗が止まらなかった。何故だか、この瞬間がとても長く感じられた。何故か“今”が、ずっと続いて欲しいと願った。

 

 ———(まこと)に遅いな、魔力充填(じゅうてん)・詠唱・構え・動作、どれもがワンテンポずつ遅れている。だから(わし)に三発目を許すのだ。状況の変化に取り残されたか? 将来性はあるが、まだまだ未熟。セタンタはやれんな、これでは———

 

 気がつくと、赤い閃光が、バゼットの目の前まで迫っていた。

 それがスカサハの放った、三発目のゲイボルクだと(おも)(いた)った時には、すでにバゼットになす(すべ)は無かった。

 ……と、そこに割り込む、もう一つのゲイボルクがあった。

 猛然(もうぜん)と、(けもの)のような笑みを浮かべながら戻ってきたクー・フーリンが、スカサハの槍とバゼットとの間に割り込んできて、発動したゲイボルクが目の前で拮抗(きっこう)している。

 そんなクー・フーリンの青い髪の毛を見ながら、バゼットは、自分の足が地面から離れていたことを知った。

「へっ?」と言う()に浮かび上がるバゼット。

 慌てて巨大な門を見ると、こちら側に開ききった門は、今度は逆にこちら側の物質を、あちら側に強烈(きょうれつ)に吸い出していた。

 門に吸い込まれていくバゼットの足首が、クー・フーリンに掴まれる。見ると右手でゲイボルクを維持したまま、左手でバゼットの右足を握っていた。

 

「…………あーあ、良いところまで行ったと思ったのによ。ちょうど、もう少しでコツが掴めるかと思ったところだったんだが……ま、しゃーねえか」

 

 クー・フーリンはその左腕に魔力を込める。

 

「まぁ、あれだ。

 ———また会おうや、バゼット」

 

 バゼットに()()られて、自分も浮き上がりながら、足場も無いその状況で、門とは全くの逆向きに、左腕を振り抜いた。

 

「———空飛ぶバゼット(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)……なんてな」

 

 ———そして、“スカサハの死”が確定する。

 切り抉る戦神の剣(フラガラック)はスカサハにヒットした瞬間に『“先に倒された者に反撃の機会はない”という事実を誇張する』のだから、キチンと発動したこの宝具は“必ず相手を倒す”。

 この手順を踏むことで、スカサハの宝具は相手まで届かなかった事になるのだ。

 だが、死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)は発動された。

 発動されたが相手に届くまでに殺された? 

 確かにそうだろう。死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)がバゼットを()()むより早く、スカサハの急所が穿(うが)たれた。切り抉る戦神の剣(フラガラック)()(えぐ)るのは敵ではなく“両者が相打つという運命”だ。

 だが、切り抉る戦神の剣(フラガラック)は迎撃礼装だ。ゆえに必ず、相手に先手を(ゆず)らなければならず、敵の切り札が発動したという事実の上に成り立つこの宝具では、“敵の切り札の発動”そのものを無かった事にすることはできない。だから、発動した瞬間に相手の死が確定するタイプの宝具からは逃れられない。

 ———死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)は、発動した瞬間に相手の生死が確定する。

 ゲーム風に例えるなら、スカサハが存在するフィールドに一緒にいる全てのキャラクターには、隠しパラメーターとして“スカサハに認められた者”と“スカサハに認められなかった者”のどちらかが与えられる。そして、スカサハが死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)を発動した瞬間に、その隠しパラメーターに沿()って判定が(くだ)されるのだ。そこに例外はない。

 (よう)は、ゲイボルクと同じタイミングで判定が(くだ)されるため、切り抉る戦神の剣(フラガラック)で死を回避することができないのだ。

 では、『死を回避する方法がないのか』といえば、そうでもない。これもゲイボルクと同じで、“全力で遠ざかる事”。いくら判定が(くだ)るとはいえ、吸い込めなかったものには届かないから。

 そもそも、死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)はスカサハが死んでも、展開するために込められた魔力が尽きるまでは存在し続けるのだ。これを回避したいなら、スカサハを殺した上で、門が消えるまで逃げ切る必要があるのだから。

 

 門の中に吸い込まれながらクー・フーリンは笑った。

 ()()まれたのは三人だけだ。バゼットはオレが投げた、間桐の嬢ちゃんはアーチャーが花びらで(かば)った(すき)に、嬢ちゃんの兄貴によって運ばれた。

 

 よって、クー・フーリンと士郎とアーチャー。

 

 クー・フーリンは左を見る。アーチャーが(ほど)けていた。「これじゃ、どっちか分かりゃしねえな」と、自分の声を聞いた。例え“スカサハに認められた者”だとしても魔力を急激に吸収されるため、サーヴァントには致命傷だ。強制的に魔力を枯渇(こかつ)させられては、肉体を維持できなくなる。

 

 一方、士郎の方は大丈夫そうだった。元より現地人である士郎には肉体がある。魔力が枯渇しても生きていけるなら、恐らく生還出来るだろう。

 

「しかしまぁ、坊主も運がねぇなぁ。あのスカサハに目を付けられるとは……」

 

 それが、この聖杯戦争での、クー・フーリンの最期(さいご)だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「———ふぅ」

 

 桜は息を吐き出した。

 初めて扱う魔術だったものだから、知らぬ間に全身で(りき)んでいたらしい。

 自らを抱えて走る慎二の肩越(かたご)しに消えゆく巨大な門を見て、本当に終わったのだと確信できた。

 

「だったら後は———」

 

 脚を止めて、慎二が言った。

 

「お前の体の———」

「いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」

 

 桜は笑う、心を込めて。

 

 

 ———あの日、士郎に『心を声に出してもいい』と言われた日から、桜は士郎の事を、少しでも多く知ろうとした。

「桜にやれって言ったんだから、俺もやらないとな」っという士郎に、“切り札”を教えて(もら)ったりもした。

 そこで、初めて桜は知ったのだった。士郎は今までも時々、切り札を切っていたという事を。

 それからだ。

 それから、士郎とは別人だということを、嫌でも自覚させられた。

 士郎と桜とでは、“言葉の使い方”からして違うのだということを。

 

 ———『人を愛する』という言葉がある。

 

 言葉にするのは簡単だった、ただ読み上げればいいのだから。

 でも、そこから連想されるもの…………ううん、自分の中にあるどういった“感情・(おも)い”を『愛する』と表現するのか、となると、桜と士郎とでは、まさに天と地ほどに(へだ)たっていた。

 

 士郎にとって、『誰かを愛する』とか『誰かを(おも)う』という言葉は、()()()()()()()()()()()()()だったのだ。つまり、『その人の笑顔が見たい』という意味で、それ以上でも以下でもない。

 つまり、『その人の笑顔が見れたら、それで満足できる』というのだ。士郎にとって、“その先”は無い。

 

 まるで『士郎が物語でも読んでいるように見える』と、始めのうち、桜は思った。物語の登場人物たちがエンディングで幸せになって、『ああ、良かった』と涙するように、士郎は見返りを求めない。その中に入っていきたいとは、カケラも思わないようだった。

 

 次に、桜は怖くなった。士郎の()(かた)が、だ。

 彼が本当に、全く見返りを求めていない事に、桜が気づいたからだ。

 

「愛されたいとは思わないんですか? 先輩」

 

 一度、士郎に聴いてみたことがあった。

 その日は夏休み中で、藤村先生も居なくって、夕飯の洗い物も少なくて。だから士郎と二人、ちょうど、ホラー映画の再放送を見終わった時だった。

 衛宮邸でテレビがあるのは居間だけだ。だから二人、居間の真ん中にドデンと置いている座敷(ざしき)(づくえ)(はさ)んで座って。お互いに向かい合った状態から、桜は右を向き、士郎は左を向いて、(すみ)にあるテレビを見ていて。テレビの中ではたった今、女妖怪が「誰も愛してくれなかったのよ〜」と、泣き叫びながら襲いかかっているところだった。

 桜としては、割と怖い話が好きなのだ。日常では感じない“恐怖という感情”を、唯一思い出させてくれるモノだから。

 そんな桜は、映画のエンドロールを見ながら、ふと、士郎のことが気になった。『士郎は今の映画をどう感じたのだろう』と。

 

「先輩。先輩は今の映画、怖かったですか?」

 

 士郎が画面から目を離して、桜と目が合う。それから目線を少し上げ、思い出すように返答した。

 

「“怖い”っていうより、“体が反応した”って言う方が近いんじゃないかな。

 ほら、俺って武術を日課にしてるだろ? そのせいか、ああいうのを見ると『今のヤツとどう戦うか』を考えている自分がいるんだ」

「あの妖怪さんのこと、どう思いましたか?」

「どうだろうな。俺だったら、妖怪にはなれないんじゃないかと思う。あの境遇なら、俺は満足してしまえるから」

「愛した人から、愛してもらえなくなったんですよ? それなの———」

「ああ……」

 

 士郎は左手を首の後ろにやって、何か悩んでいるような風で、しばらくして、手と顔を戻して話出した。

 

「俺さ、勉強したことがあるんだ、“男と女と人間”について。それが、“生物として”どうなっているのかを。

 ほら、俺って他の奴らと感性が合わないからさ」と士郎は笑う。困ったような、そんな笑みで。

 自分の姉、遠坂凛が嫌いな笑みだ。でも桜としては、憧れてしまうような笑みだった。

 

「だから、感覚として理解できないから、せめて頭デッカチでもいい、理論としてだけでもいい、他人というモノを知りたかったんだ」

 

 士郎が座敷(ざしき)(づくえ)の上に置いてあった(きゅう)()から桜の湯呑みにお茶を注ぐ。

 

「男性と女性とは、“脳味噌の形から違う”んだ。男の脳と女の脳は、全く別の器官(きかん)だった。

 だから俺は、“自分と他人との違い”を知る前にまず、“男と女の違い”から調べる必要に()られてしまった」

 

 桜の湯呑みにお茶を注いで、それでもまだ残った分を、士郎は自分の湯呑みに入れた。

 

男性(だんせい)(のう)女性(じょせい)(のう)との境界線は、5メートルにあると言われている。女性は、自分を中心に半径5メートル以内にあるものに、より強い関心を示す。だが、男性は逆で、自分を中心に半径5メートルより外側にあるものに、より強い興味を示すんだ」

 この二つの違いは、“生物としては”とても正しいと、士郎は言う。

 

 “スパイものの潜入任務”のような状況に追い込まれた時、あるいは新天地を開拓しに行く開拓者のような仕事についた時。つまり、『自分の信頼できる一握りの人間以外の全てが敵だと思わなければならなくなった時、生存確率が最も高いのが、“男と女の二人組”だ』という研究結果も存在するらしい。

 

 女は“半径5メートル以内に潜む危険”を察知する。

『今自分が摘み取った葉っぱが、実は毒草だった』とか、『いつも良くしてくれるご近所さんが、実は自分たちをハメようとしていた』とか、『赤ちゃんが病気になりかけているかもしれない』とか。

 男は逆に、“半径5メートルより外からやってくる危険”に対処できる。

『急に矢を射掛けられた』とか『暴漢が襲いかかってきた』とか『社会システムの不備のせいで、貧しい人が多い』とか。

 

 成体(せいたい)になった人間コミュニティの最小単位は“夫婦”だ。

 だからこそ、その二人が役割分担して別々のモノを()ることで、夫婦は、最も安全に生活できる。

 だからこそ、自分の恋人やパートナーが自分と同じモノを見てくれているとは、カケラも思わない方がいい。そもそも人間とは、男女(だんじょ)で同じモノを見るようには出来ていないのだ、と。

 

「調べたんだけどさ、“遠くを見る脳”と“近くを見る脳”。この二つの思考回路を一つのコンピューターの中にインストールすると、フリーズするらしいんだよな。

 男の脳と女の脳とは、同じ一つの問題に対して、走り出す向きが全くの逆になるんだと。それで、どちらを選択すれば良いのかが分からなくなって、コンピューターはフリーズする」

 

 士郎が言うに、男と女とでは『気持ちが良い』と感じる言葉が違う。“男が察して欲しい事”と“女が察して欲しい事”は全く別のところにある。そして何より、会話する目的が、天と地ほども(へだ)たっている。

 

 一つの出来事に二つの見方があって、両方ともを同時に見ることはできないから、二つの性がそれぞれに分担(ぶんたん)した。

 

「桜が感じるのと同じように、俺は感じることができない。今見た妖怪と同じ境遇になったとしても、俺だときっと成仏(じょうぶつ)しちまう」

 

 士郎は割り切っているのだ、と桜は思った。

 ゆっくりと湯呑みを傾ける士郎を見ながら、士郎が既に『自分が誰かに理解される事も共感される事もないと割り切っている』ことに気づいて、愕然(がくぜん)とした。

 その感情に、“諦め”が1ミリも無かったから。

 まるで()いだ()(めん)のように(しず)やかに、その事実だけを受け入れていた。

 

 桜は両手を、士郎から見えないよう(ひざ)に置いて、力いっぱい握りしめた。

 

 

 ———桜ってさ、綺麗すぎてつまらないわよね———

 

 ———そんな悩みを持てるなんて、桜はいいわよね———

 

 ———そんなのさ、孤独を受け入れるしかないんじゃないの———

 

 ———間桐(まとう)のそれはさ、才能だと俺は思うよ———

 

 桜はヒトを信じていない。

 それはやっぱり、桜が人を信じていないからで。誰かから(もら)った優しい言葉で、桜は自分を孤独に追い込むのだ。

 ———こんなに苦しい思いをするくらいなら、最初から何も無い方が良い、と。

 

『理解されたい』と桜は思う、そのために色々な事をやってきた。桜は『理解されないのが当たり前』だと思いたくなかったのだ。

 でも、そんな事は頭の(すみ)に追いやっていた。『理解されるのが当たり前だと思う』ことを傲慢だと思ってしまう時があるから。

 

 顔を上げると、士郎の顔がそこにある。

 

 桜にとって、それは“とても尊い理想”だった。

 だって、桜にとって、“割り切る事”はつねに“諦め”と共にあったから。

『わたしは理解されない』と割り切ることは、『所詮、わたしなんて誰も理解してくれない』と諦めることだし、『世界はわたしに優しくない』と割り切ることは、『わたしには優しくされる価値もないんだ』と諦めることだった。

 

 でも、士郎は違う。

 士郎にとって『自分は理解されない』と割り切ることは、『自分を理解しない人の事をどうやって理解しようか』と考えることだし、

 

 ———だって、そいつのことが理解できれば、そいつに理解して(もら)える言い回しを、工夫(くふう)する事もできるからな———

 

『世界は士郎に優しくない』と割り切ることは、『他の奴らにとって優しい世界になるために、俺はどうしようか』と行動することだったのだ。

 

 そして気づいた、桜にとって士郎は“毒”だということに。

 

 桜は、我慢するのが得意だが、それは“信じることをやめる”ことから発生する我慢ばかりだ。

 一方士郎は、信じ続けているが故に、我慢することが得意なのだ。

 

 そう、衛宮士郎の思想とは、無条件で何かを信じ続けるものだ。

 それは例えば、“地獄の中にいてなお輝きを放つ人の心”だったり、“世界は、本当はとても美しいんじゃないかと思うこと”だったりする。

 衛宮士郎の辞書に、“無駄”という言葉はないのだ。「やってみないと分からないからな」が口癖のような彼は、“出来ない”という事を信じない。常に“出来る”と、信じ続ける。

 士郎はずっと、信じることだけは絶対にやめない。どんなに辛いことがあっても、どれだけ裏切られようとも、きっと士郎は最後まで———

 

「———いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」

 

 だから。

 だからもし、そんな桜が、信じ続けることを覚えたなら。

 自らが“存在不適合者”である事を、肯定的に受け入れられるようになったなら。

 

 

 ——— だから、実験してみる事にしたわけだ。アンタは、“()()()()()()()()”なんじゃないか、ってさ———

 

 

「———ッ、衛宮ッ!!」

 

 慎二が()えた。桜を抱えたままで、空を向いて怒鳴(どな)っていた。

 

「どうしたんだよ、慎二」

 

 門のあった辺りから士郎の声がした。

 

「———衛宮ッ、これ見て何も思わないの? 桜が、人間じゃなくなったんだぞ!」

「ああ、そうだな」

「お前ッ、それで———」

「それでもだ。桜は、桜でしかないじゃないか」

 

 50メートルは離れて、声を張って話す二人。そこに桜が割って入った。慎二の腕から無理やり降りて、二歩ほど士郎に近づいて。

 

「行ってください、士郎さん。バゼットさんの捜索も、兄さんへの説明も、全部わたしがやりますから。

 だから士郎さんは先に行って、決着をつけてきてください。

 わたし、家で待ってますから」

 

 思い出したんですよね? と桜は念じる。士郎と目が合っている今なら、それだけで通じるのだ。

 

「———ああ、そうだな」

 

 桜の目を見て士郎が言った。

 

「衛宮ッ、まだ僕は———」

「そこまでです、兄さん」

 

 桜は指先に少しだけ力を込める。右手の五つの指先に意識を持ってきて、きゅっと握るように、1センチくらい指を動かす。

 士郎に向かって飛び出した慎二が、固まった。

 

深層無偏の虚数結界(イマジナリ・アラウンド)は、世界に裏側から干渉しますから……、いくら兄さんが速くでも、意味なんかないんです」

 

 士郎が、走り出した。魔術も使わずにいて(なお)、桜にとっては瞬間移動のような速さで———桜の方に。

 

「———へっ?」

 

 “バサッ”と、桜の視界が白く染まった。頭から何かが(かぶ)さっている。腕で少し押し上げてみると、それは士郎の着物だった。

 士郎の着ていた白衣(はくい)が、桜を頭から覆っていた。

 都合、上半身が裸になった士郎の肌から湯気が立ち昇っている。そんな士郎は、桜にふわっと笑いかけた。

 

「少しだけ、寒そうに見えたからな。カーディガンの上からでも羽織(はお)っていてくれ。

 綾子との決着をつけたら、また戻ってくる」

「はいっ。

 …………でも士郎さん、セイバーさんは……美綴部長だって」

「分かってる。だけど、俺は行かくちゃいけない。せっかく、自分で決めた夢なんだから」

「その先に、誰一人いなくなっても……ですか?」

「それでも、俺が決めた事だからな」

 

 桜は少し(うつむ)いて、士郎の白衣(はくい)打掛(うちかけ)のように羽織(はお)った。

 

「……やっぱり、すごい」

 

 桜が呟く。士郎の初恋は、決して……。

 そんな桜を眺め見て、士郎はひとつ頷いて、「行ってくる」と駆け出した。

 

 桜は、誰にも止めさせなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

随分(ずいぶん)と遅い到着ね、遠坂」

 

 凛が円蔵(えんぞう)(ざん)大空洞(だいくうどう)辿(たど)り着いた時、真っ先に飛び込んできた言葉がそれだった。

 

「お互い、千日手(せんにちて)でさ」

 

 大空洞の奥、暗がりの中、崖のような祭壇の前に(じん)()る綾子。それと対峙(たいじ)するセイバー。綾子は懐中時計と薙刀を、セイバーは聖剣とその(さや)を握っていた。

 凛はセイバーに駆け寄って、その背中に触れる。事前にパスを繋いでいたお陰で、スルリと魔力が通っていった。

 

「助かりました、凛」

 

 セイバーが美綴を見たまま、凛に言葉を返した。

 聖剣を解放、風王結界(インビジブル・エア)から解き放たれて、周囲に風を撒き散らしながら、その輝く剣身(けんしん)(あら)わにした。

 

「———これなら、全力で戦える」

 

 凛は、ゆっくり周囲を見渡した。ここは洞窟の奥、太陽光など入ってこない。だが凛には、周囲の光景を見ることができた。セイバーの聖剣の光、それと、大空洞の崖の上とに、光源があるからだ。

 大空洞の祭壇の上、かつて大聖杯の魔法陣が横たわっていたところから、今も光が漏れている。

 メーティスが急いだわけ、綾子が唐突に戦闘から身を引いたわけが、今、目の前にある祭壇の光だと直感した。

 

「それが、アンタの“切り札”ってワケね」

「そうだな。コレが発動すれば、世界は確実に致命傷だ。“今日から(さき)”は世界の果てだぜ」

 

 凛は目に力を込めて、綾子の顔を睨みつける。いつでも宝石をブン投げられるように、両手にそれぞれ隠し持って。

 

「“世界の果て”ね……、随分と大きく出るじゃないの」

「そりゃ、コレは“秩序を破壊するもの”だし、確実に人類を滅ぼしてくれるし」

「まどろっこしいわねっ。サッサと白状(はくじょう)しなさいよ、それとも何? まだ時間稼ぎが必要だっての?」

 

 凛の全身、全部の魔力が泡だった。ブクブクと沸騰するような魔力をそのまま綾子にぶつけると、アイツは少しだけ驚いた風で、それから、楽しそうに笑った。

 

「そうだな、遠坂。うだうだ喋るのも性に合わないし、

 ———いいぜ、教えてやるよ。(あたし)が世界を壊す方法、その手段は———」

 

 綾子はここぞとばかりに魔力を荒立て、遠坂凛と張り合うように、その手段を口にした。

 

 ——————魔法使いになる事だ——————

 

「……魔法使い? それでどうやって世界が滅ぶってのよ。魔法使いになって世界が滅んでたら、今頃人類なんて存在してないんじゃない?」

「今まではそうだろうさ。五つしかなかったんだから。第一法から第五法までの基盤(きばん)が存在する世界に(あたし)たちは生きている。

 そこに、今までに無い法則が生まれたら? 

 どう考えても、世界に根本的な改変がもたらされるんじゃない?」

「……そんな」

 

 急に、凛は口がカラカラになっているのに気づいた。

 手汗がすごい。両手のうちにある大きな宝石が、とてもトゲトゲしく感じられる。

 いつの間にか、凛はセイバーよりも前に出ていた。

 

「綾子アンタ……、アンタがいう魔法って、それは“五つあるソレ”のどれでもなくて……」

「Program No .6、第六法。

 第六魔法こそが、(あたし)(つかさど)る魔法なんだよ、遠坂」

 

 綾子は羽を広げるように、薙刀と懐中時計を見せつけた。

 

「第六魔法、Destiny (ディスティニー) Movement(ムーブメント)

 運命(うんめい)調律(ちょうりつ)機構(きこう)

 (あたし)は生まれた時から、そうなることが決まってたんだ」

「それじゃあ何? アンタは始めから魔法使いになれることが決まってて、それをわざわざ“今”やろうっていうの?」

「何事にもタイミングってのはあってさ、特に儀式なんてのはその(さい)たるモノだ。どんな儀式でも、だいたいその八割は時間と場所が握ってる。

 今回だってそれと同じでさ。どうしても、聖杯戦争の期間中に取り掛かる必要があったんだ。

 ———じゃないと門が()かなくってさ。魔法を“起動”させるには、それ相応(そうおう)の霊地がいるんだ」

 

 綾子はその左手で、その親指で、自身の背後を指差した。

 綾子の親指の先、崖のような岩の上、かつて大聖杯があった場所から、今まさに、琥珀色の光が漏れていた。

 

「だから、大聖杯が邪魔だったんだ。一番良いトコを塞がれてちゃ、霊地の神秘を引き継げないじゃない、ねえ———遠坂」

 

 凛は思わず、唇を噛んだ。

 遠坂凛は魔術師の家系の六代目だ。当然、アレやコレやも耳に入る。

 

 ———第六魔法。

 詳細は不明で、秩序を打破するものであるとされている。

 アトラスの錬金術師、ズェピア・エルトナム・オべローンが人類滅亡を阻止するために挑み、敗れたモノ。

 かつてオベローンが(いた)りかけた、いまだ誰も(いた)ってはいない魔法。世界平和や人類救済がその内容ではないかと噂されているものの、凛の所にすら、その話の先は流れて来ていない。

 第六魔法の使用者が現れた時、人類は滅ぶらしいという事だけは広まっていて、世界を根本から改変する魔法だという。

 ”6”という数字から、休眠中の二十七祖、“the dark six”との関係性も疑われているが、推測の域を出ていない———などなど。

 

「こんなの……これじゃ何も———」

「リン、気をしっかりと持ってください。揺さぶられではダメだ。

 手段と目的とがすり変わっています。彼女は魔法使いになる為にこんな事をしているのではないでしょう。彼女の目的はそれに付随(ふずい)して発生する“世界の滅亡”という現象にこそある。

 ———逆です、リン。彼女がしようとしている事、その理由は、魔法使いではないのです」

 

 言われて、凛はハッとした。

 そうだ、『()()()()するのか』を問いただしに来たのに、いつの間にか『()()()()()するのか』を話し合っていたのだ。

 急いで綾子の顔を見る。ヤツは、笑っていた、まるで凛を哀れむように。

 

「ッ———ッツ!!」

 

 フッーと長く息を吐く。沸騰した頭を(しず)め、極力(きょくりょく)冷静に綾子を見やる。

 

「……で? アンタの目的は結局何よ。“世界を壊す”とか意味わかんないこと言ってないで、サッサと吐きなさいよ、綾子。

 ———どうして、こんな事したのよ?」

 

 凛の問いかけに、10メートルほど離れた先で、綾子は、ため息をついたて、その拍子(ひょうし)に魔力が(こぼ)れる。荒立つ魔力でストレートのボブが舞い上がり、()(はかま)がはためいた。

 

「お前だよ、遠坂凛。

 お前じゃ衛宮士郎を壊しちまう。それを理解するのにどれだけかかってんだよ、って話だ」

「シロウが、壊れる?」

 

 セイバーは斜めに構える。右手の聖剣を引き、左手の(さや)を前に掲げて、綾子を睨んだ。

 

「セイバーは少し知っているかもしれないけど、アイツのアレは生来(せいらい)の気質だ。十年前の大火災で生まれたモノじゃない」

 

 セイバーが構えを緩める。ここに来て、綾子に戦う意志の無いことを感じとった———少なくとも、今は。

 

「『アイツのアレ』とは、つまりシロウの———」

「『一度決めたことは曲げられないし、自分を勘定にいれていない』。そう、アレのことよ。誰もが皆、士郎のアレは十年前の大火災のせいだと言う。『衛宮士郎は、十年前に一度死んだ』と言い出すんだ」

 最近じゃあ士郎も影響されて、同じ事を言い始めた。と、綾子は自嘲(じちょう)した。

 

「だったらどうして、十年前の士郎があの大火災の中、全てを見捨て歩き続けたと思ってるんだろうな。

 十年前の士郎の話をちゃんと聞いたら、思い(いた)らないハズがないんだ。

 ———()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 美綴綾子の両眼が光る。その眼光は、凛とセイバーとを射抜いていた。

 

「おかしいだろ? 5歳のガキが、母親に『生きて』って言われただけでそこまでの覚悟を決めるだなんて」

 

 ———生きのびたからには生きなくちゃ、と思った。いつまでもココにいては危ないからと、あてもなく歩き出した———

 

 十年前、士郎の苗字がまだ“衛宮”ではなかった頃。

 冬木市の一角、冬木(ふゆき)市民会館(しみんかいかん)から発生した炎が、周囲の民間にまで延焼(えんしょう)した。

 その時、少年が()(さか)る家から脱出する時、父親は少年を(かば)い、母親は少年に「生きて」と(たく)した。

 両親から命を繋がれ、生きる事を約束した少年は、しかし外に出てすぐに、この火災からは助からない事を理解させられた。

 

 ———まわりに転がっている人たちのように、黒こげになるのがイヤだった訳じゃない。

 ……きっと、ああはなりたくない、という気持ちより。

 もっと強い気持ちで、心がくくられていたからだろう———

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ———誰かを助けようとして背負(せお)いこめば、自分は崩れ落ちてしまうからと、誰ひとり助けなかった———

 

 偶然にそうなった訳じゃなく、少年は明らかに、それを意識してそうしたのだ。

 

 ———でも、(くじ)けそうだった。

 助けを求める声を無視して、生きているのが辛かった。

「ごめんなさい」と。

 謝ってしまえば心が楽になると知っていたから、謝ることだけはしなかった。

 それが。

 何も出来なかった自分の、唯一の誠意だと信じて歩き続けた———

 

「ヒトは理解できないモノを拒絶する。なんとか理解できるカタチに落とし込もうとする。そうやって、衛宮は“一度死んだ”ことになった

 ———“強いストレスによる脅迫障害”。

 ———“サバイバーズギルト”。

 そうやって病気にして、病名までつけて、『衛宮士郎の気質は被災によって造り出されたモノだ』という事にしたんだ」

 

 綾子が薙刀を、その石突(いしづき)を打ち鳴らす。琥珀色の魔力波が地面を伝って拡散する。ドンッと広がる魔力の波紋は、凛たちにも軽く、衝撃として襲いかかった。

 

「だから、『真人間(まにんげん)にする』だなんてコト、平然と言えるんだよな、遠坂は」

 

 凛だけじゃない、アルトリアも気づいていた。美綴綾子が、ブチ切れているということを。

 

「その結果がコレだ。士郎は最後まで救われない。

 ———なら、そんな世界なんて()らないと思わないか?」

 

 美綴の眼は、凛を射抜いた。

 

「遠坂、お前は知ってるんだろ? 士郎の、“切り札”のこと」

「“リミテッド/ゼロオーバー”、でしょ。それがどうしたのよ」

「士郎の極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)は本来、居合とは無関係だってのは?」

「知ってるわ。士郎の切り札は“士郎の思いを押し付けるもの”。あの剣は“担い手が切れると思ったものを切る剣”だから、別に居合じゃなくでも良いって事は———」

「でもさ、実際、士郎は居合術をトリガーとしてしか極限切り裂く無からの一撃(リミテッド/ゼロオーバー)を発動できないじゃん。

 ———理由、分かる?」

「ジンクスとか、ルーティーンの類いじゃないの?」

「ああ、もちろん。その言葉で片付けちまえるモノではあるんだけどさ……。

 居合ってのは、“願いの結晶”だったりするんだ。『絶対に負けられない戦いで、勝てるようになりたい』って願いのさ」

 

 居合は“死に覚えゲー”のようなものだと、綾子は言った。一瞬の交錯(こうさく)(あいだ)だけ、何度もやり直すことができる“格ゲー技”。

 刀が(さや)から抜け出る一瞬に、次の打ち合いを体感する。当然負ける。負けた原因を考えて、身体(からだ)の使い方を微調整してもう一度挑み、また負ける。

 それらが、“抜刀の一瞬”に起こるのだ。

 だから相手が、どれほど先の未来を体感していようと関係ない。相手からすれば、自分の未来が一瞬のうちに何度も何度も書き変わるように感じる。

 ———直近(ちょっきん)の未来を、都合(つごう)六度(ろくど)書き換える技。

 死に覚えることでたどり着く動きを、未来から今へ手繰(たぐ)り寄せ、現実世界で勝利する。そんな技。

 

「なぁ、分かるか遠坂。

 勝ち目がないような戦いで士郎が居合を抜き放つ時、アイツは六回死んでるんだ。

 そこまでしないと、士郎は自分を解放できない。例え体感(たいかん)した未来の(なか)でだけだとしても、精神的なストレスにはなる。自分の死を何度も体感(たいかん)する程のストレスに(さら)されてやっと———士郎は自分をさらけ出せるんだ」

 

 懐中時計を(ふところ)に戻した綾子は、薙刀を両手で持って、“クルックルッ”と回して、右脇に大きく振りかぶって構える。

 

「そんなギリギリの士郎を前に、『別れる』だなんだと抜かす女がいる世界なんてサッサと潰して、(あたし)は魔法使いになる。

 ———来いよ遠坂、殺し合いを始めようぜ」

 

 綾子は、大きく一歩踏み込んだ。

 

「これでいつかの予言通りに、“殺す殺さないの関係”だな」

 

 

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第二十六話、「殺す、殺さない」

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