もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 作:夜中 雨
———空想こそ自由の証。
影の虚数は今、軽やかに駆ける風になる。
桜は
桜は
「———潰されそうな野の花が、
桜の
それは、まるで
「——————
その瞬間、桜に魔力が逆流してきた。今までスカサハに流れていたものが戻ってきたのだ。
桜は、息をするのが楽になったような気がして、そのまま大きく吸い込んで、言葉と共に吐き出した。
「——————
世界がドッと流れて来る。どんどん桜を侵食しにくる。
———桜はそれを、受け入れた。
やってみると、
第一、この手のものは先に桜の側が受け入れないと入ってこない。“間桐の蟲”やら“臓硯の悪意”やらと違って、今桜の中に流れてきつつあるものは、ほんのちょっとでも拒絶する
“自分の核”だけを残して、世界に溶けていく感覚。
桜のお腹の下、
自分の中にあるそんな場所を中心にして、自分の体が、皮膚の方から溶けていく。
世界と桜との境界線、桜の皮膚の感覚がなくなって。どこまでが自分かが分からなくなった。
今はもう、桜に残っているのは“濃淡の違い”だけ、膣のあたりの“濃い場所”だけは『ちゃんと自分だと言える』けれど、その場所から遠くなるに従って、どんどんと“桜である自信”がなくなっていく。
でも逆に、桜の周囲の空間が自分の体の中のような、そんな不思議な感覚もあった。
———例えば、桜を縛っている拘束魔術、その“拘束魔術そのもの”が“桜自信の手足”のように錯覚するのだ。
今、
「——————へっ?」
急な展開に頭が追いつかなくなった桜が、直立のまま落ちていく。さっきまでは冬木大橋を見下ろすことができたのに、今はもう、
……と。
次の瞬間、桜の体に重力がかかった。
桜は足を下にして落ちていたハズなのに、今はお腹から背中へと重力がかかっているのだ。
結局、自身が前に向かって加速していたのだと気づくまでに、十何秒かの時間が必要だった。そうなった時、つまり『勝手に体が前に加速するわけがないから、自分の体を誰かが加速させたいる』のだと思い
目の前に、
「———アーチャーさん?」
声が聞こえたのか、顔を前に向けたまま目線だけをこっちによこして、赤い弓兵はまた、前を見る。
「分かっていると思うが、今は君が生命線だ。大人しく
アーチャーはジャンプして、桜を横抱きでキャッチしたのだ。空中に剣を投影して固定、それを足場に反転して、元の場所まで戻っていく。
「マスターが私に送る魔力の制限を解除した。つまり、『向こうは片付いた』というワケだ」
アーチャーは着地した後、もう一度ジャンプして、最後方にいる慎二の前に降り立った。
「間桐慎二、桜を守るのがお前の役目だ。お前の
「……。……」
慎二は桜を受け取ると、ひたすら無言のままに、桜を抱え続けている。
「———さて」
アーチャーが振り返る。視線の先には、スカサハがいた。
士郎とランサーと向き合って、とっさに発動させたゲイボルクを士郎に切らせて致命傷を防いでいたスカサハの、
桜は奪い返した力、“イマジナリ・アラウンド”でもって、スカサハを外側から握り潰そうといている。対抗して、スカサハの内側から固有結界のように展開する“
結果、スカサハの周囲の空間は、
———だが。
だが、あのスカサハが、この程度で終わると思っている者は、この中には、誰一人としていなかった。
「——————
いつの間に発動体勢を整えたのか、
「———————
ゲイボルク
———この時、反応できたのは、二人だけだった。
士郎は、
ランサーは
そうして、二人の手が
ならば次は、当然、スカサハの“もう一つ”が発動する。
「———開け、
スカサハの背後に、巨大な門が降臨した。
石造りで、両開きの
その、巨大な
「その
——————
門の中から外側に向かって、スカイ島から冬木に向かって、ヒュルヒュルと風が吹き出している
「ッ……! これが彼女の“切り札”ですかっ!」
最後方にいるアーチャーの視線の先、最前列にいるランサーの後ろに
「——————
まるで、
———その、直前。
極限の状態にあって
いつ
———遅いな、小娘———
バゼットは、
———
気がつくと、赤い閃光が、バゼットの目の前まで迫っていた。
それがスカサハの放った、三発目のゲイボルクだと
……と、そこに割り込む、もう一つのゲイボルクがあった。
そんなクー・フーリンの青い髪の毛を見ながら、バゼットは、自分の足が地面から離れていたことを知った。
「へっ?」と言う
慌てて巨大な門を見ると、こちら側に開ききった門は、今度は逆にこちら側の物質を、あちら側に
門に吸い込まれていくバゼットの足首が、クー・フーリンに掴まれる。見ると右手でゲイボルクを維持したまま、左手でバゼットの右足を握っていた。
「…………あーあ、良いところまで行ったと思ったのによ。ちょうど、もう少しでコツが掴めるかと思ったところだったんだが……ま、しゃーねえか」
クー・フーリンはその左腕に魔力を込める。
「まぁ、あれだ。
———また会おうや、バゼット」
バゼットに
「———
———そして、“スカサハの死”が確定する。
この手順を踏むことで、スカサハの宝具は相手まで届かなかった事になるのだ。
だが、
発動されたが相手に届くまでに殺された?
確かにそうだろう。
だが、
———
ゲーム風に例えるなら、スカサハが存在するフィールドに一緒にいる全てのキャラクターには、隠しパラメーターとして“スカサハに認められた者”と“スカサハに認められなかった者”のどちらかが与えられる。そして、スカサハが
では、『死を回避する方法がないのか』といえば、そうでもない。これもゲイボルクと同じで、“全力で遠ざかる事”。いくら判定が
そもそも、
門の中に吸い込まれながらクー・フーリンは笑った。
よって、クー・フーリンと士郎とアーチャー。
クー・フーリンは左を見る。アーチャーが
一方、士郎の方は大丈夫そうだった。元より現地人である士郎には肉体がある。魔力が枯渇しても生きていけるなら、恐らく生還出来るだろう。
「しかしまぁ、坊主も運がねぇなぁ。あのスカサハに目を付けられるとは……」
それが、この聖杯戦争での、クー・フーリンの
◇ ◇ ◇
「———ふぅ」
桜は息を吐き出した。
初めて扱う魔術だったものだから、知らぬ間に全身で
自らを抱えて走る慎二の
「だったら後は———」
脚を止めて、慎二が言った。
「お前の体の———」
「いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」
桜は笑う、心を込めて。
———あの日、士郎に『心を声に出してもいい』と言われた日から、桜は士郎の事を、少しでも多く知ろうとした。
「桜にやれって言ったんだから、俺もやらないとな」っという士郎に、“切り札”を教えて
そこで、初めて桜は知ったのだった。士郎は今までも時々、切り札を切っていたという事を。
それからだ。
それから、士郎とは別人だということを、嫌でも自覚させられた。
士郎と桜とでは、“言葉の使い方”からして違うのだということを。
———『人を愛する』という言葉がある。
言葉にするのは簡単だった、ただ読み上げればいいのだから。
でも、そこから連想されるもの…………ううん、自分の中にあるどういった“感情・
士郎にとって、『誰かを愛する』とか『誰かを
つまり、『その人の笑顔が見れたら、それで満足できる』というのだ。士郎にとって、“その先”は無い。
まるで『士郎が物語でも読んでいるように見える』と、始めのうち、桜は思った。物語の登場人物たちがエンディングで幸せになって、『ああ、良かった』と涙するように、士郎は見返りを求めない。その中に入っていきたいとは、カケラも思わないようだった。
次に、桜は怖くなった。士郎の
彼が本当に、全く見返りを求めていない事に、桜が気づいたからだ。
「愛されたいとは思わないんですか? 先輩」
一度、士郎に聴いてみたことがあった。
その日は夏休み中で、藤村先生も居なくって、夕飯の洗い物も少なくて。だから士郎と二人、ちょうど、ホラー映画の再放送を見終わった時だった。
衛宮邸でテレビがあるのは居間だけだ。だから二人、居間の真ん中にドデンと置いている
桜としては、割と怖い話が好きなのだ。日常では感じない“恐怖という感情”を、唯一思い出させてくれるモノだから。
そんな桜は、映画のエンドロールを見ながら、ふと、士郎のことが気になった。『士郎は今の映画をどう感じたのだろう』と。
「先輩。先輩は今の映画、怖かったですか?」
士郎が画面から目を離して、桜と目が合う。それから目線を少し上げ、思い出すように返答した。
「“怖い”っていうより、“体が反応した”って言う方が近いんじゃないかな。
ほら、俺って武術を日課にしてるだろ? そのせいか、ああいうのを見ると『今のヤツとどう戦うか』を考えている自分がいるんだ」
「あの妖怪さんのこと、どう思いましたか?」
「どうだろうな。俺だったら、妖怪にはなれないんじゃないかと思う。あの境遇なら、俺は満足してしまえるから」
「愛した人から、愛してもらえなくなったんですよ? それなの———」
「ああ……」
士郎は左手を首の後ろにやって、何か悩んでいるような風で、しばらくして、手と顔を戻して話出した。
「俺さ、勉強したことがあるんだ、“男と女と人間”について。それが、“生物として”どうなっているのかを。
ほら、俺って他の奴らと感性が合わないからさ」と士郎は笑う。困ったような、そんな笑みで。
自分の姉、遠坂凛が嫌いな笑みだ。でも桜としては、憧れてしまうような笑みだった。
「だから、感覚として理解できないから、せめて頭デッカチでもいい、理論としてだけでもいい、他人というモノを知りたかったんだ」
士郎が
「男性と女性とは、“脳味噌の形から違う”んだ。男の脳と女の脳は、全く別の
だから俺は、“自分と他人との違い”を知る前にまず、“男と女の違い”から調べる必要に
桜の湯呑みにお茶を注いで、それでもまだ残った分を、士郎は自分の湯呑みに入れた。
「
この二つの違いは、“生物としては”とても正しいと、士郎は言う。
“スパイものの潜入任務”のような状況に追い込まれた時、あるいは新天地を開拓しに行く開拓者のような仕事についた時。つまり、『自分の信頼できる一握りの人間以外の全てが敵だと思わなければならなくなった時、生存確率が最も高いのが、“男と女の二人組”だ』という研究結果も存在するらしい。
女は“半径5メートル以内に潜む危険”を察知する。
『今自分が摘み取った葉っぱが、実は毒草だった』とか、『いつも良くしてくれるご近所さんが、実は自分たちをハメようとしていた』とか、『赤ちゃんが病気になりかけているかもしれない』とか。
男は逆に、“半径5メートルより外からやってくる危険”に対処できる。
『急に矢を射掛けられた』とか『暴漢が襲いかかってきた』とか『社会システムの不備のせいで、貧しい人が多い』とか。
だからこそ、その二人が役割分担して別々のモノを
だからこそ、自分の恋人やパートナーが自分と同じモノを見てくれているとは、カケラも思わない方がいい。そもそも人間とは、
「調べたんだけどさ、“遠くを見る脳”と“近くを見る脳”。この二つの思考回路を一つのコンピューターの中にインストールすると、フリーズするらしいんだよな。
男の脳と女の脳とは、同じ一つの問題に対して、走り出す向きが全くの逆になるんだと。それで、どちらを選択すれば良いのかが分からなくなって、コンピューターはフリーズする」
士郎が言うに、男と女とでは『気持ちが良い』と感じる言葉が違う。“男が察して欲しい事”と“女が察して欲しい事”は全く別のところにある。そして何より、会話する目的が、天と地ほども
一つの出来事に二つの見方があって、両方ともを同時に見ることはできないから、二つの性がそれぞれに
「桜が感じるのと同じように、俺は感じることができない。今見た妖怪と同じ境遇になったとしても、俺だときっと
士郎は割り切っているのだ、と桜は思った。
ゆっくりと湯呑みを傾ける士郎を見ながら、士郎が既に『自分が誰かに理解される事も共感される事もないと割り切っている』ことに気づいて、
その感情に、“諦め”が1ミリも無かったから。
まるで
桜は両手を、士郎から見えないよう
———桜ってさ、綺麗すぎてつまらないわよね———
———そんな悩みを持てるなんて、桜はいいわよね———
———そんなのさ、孤独を受け入れるしかないんじゃないの———
———
桜はヒトを信じていない。
それはやっぱり、桜が人を信じていないからで。誰かから
———こんなに苦しい思いをするくらいなら、最初から何も無い方が良い、と。
『理解されたい』と桜は思う、そのために色々な事をやってきた。桜は『理解されないのが当たり前』だと思いたくなかったのだ。
でも、そんな事は頭の
顔を上げると、士郎の顔がそこにある。
桜にとって、それは“とても尊い理想”だった。
だって、桜にとって、“割り切る事”はつねに“諦め”と共にあったから。
『わたしは理解されない』と割り切ることは、『所詮、わたしなんて誰も理解してくれない』と諦めることだし、『世界はわたしに優しくない』と割り切ることは、『わたしには優しくされる価値もないんだ』と諦めることだった。
でも、士郎は違う。
士郎にとって『自分は理解されない』と割り切ることは、『自分を理解しない人の事をどうやって理解しようか』と考えることだし、
———だって、そいつのことが理解できれば、そいつに理解して
『世界は士郎に優しくない』と割り切ることは、『他の奴らにとって優しい世界になるために、俺はどうしようか』と行動することだったのだ。
そして気づいた、桜にとって士郎は“毒”だということに。
桜は、我慢するのが得意だが、それは“信じることをやめる”ことから発生する我慢ばかりだ。
一方士郎は、信じ続けているが故に、我慢することが得意なのだ。
そう、衛宮士郎の思想とは、無条件で何かを信じ続けるものだ。
それは例えば、“地獄の中にいてなお輝きを放つ人の心”だったり、“世界は、本当はとても美しいんじゃないかと思うこと”だったりする。
衛宮士郎の辞書に、“無駄”という言葉はないのだ。「やってみないと分からないからな」が口癖のような彼は、“出来ない”という事を信じない。常に“出来る”と、信じ続ける。
士郎はずっと、信じることだけは絶対にやめない。どんなに辛いことがあっても、どれだけ裏切られようとも、きっと士郎は最後まで———
「———いいえ、大丈夫ですよ兄さん。全部食べちゃいましたから」
だから。
だからもし、そんな桜が、信じ続けることを覚えたなら。
自らが“存在不適合者”である事を、肯定的に受け入れられるようになったなら。
——— だから、実験してみる事にしたわけだ。アンタは、“
「———ッ、衛宮ッ!!」
慎二が
「どうしたんだよ、慎二」
門のあった辺りから士郎の声がした。
「———衛宮ッ、これ見て何も思わないの? 桜が、人間じゃなくなったんだぞ!」
「ああ、そうだな」
「お前ッ、それで———」
「それでもだ。桜は、桜でしかないじゃないか」
50メートルは離れて、声を張って話す二人。そこに桜が割って入った。慎二の腕から無理やり降りて、二歩ほど士郎に近づいて。
「行ってください、士郎さん。バゼットさんの捜索も、兄さんへの説明も、全部わたしがやりますから。
だから士郎さんは先に行って、決着をつけてきてください。
わたし、家で待ってますから」
思い出したんですよね? と桜は念じる。士郎と目が合っている今なら、それだけで通じるのだ。
「———ああ、そうだな」
桜の目を見て士郎が言った。
「衛宮ッ、まだ僕は———」
「そこまでです、兄さん」
桜は指先に少しだけ力を込める。右手の五つの指先に意識を持ってきて、きゅっと握るように、1センチくらい指を動かす。
士郎に向かって飛び出した慎二が、固まった。
「
士郎が、走り出した。魔術も使わずにいて
「———へっ?」
“バサッ”と、桜の視界が白く染まった。頭から何かが
士郎の着ていた
都合、上半身が裸になった士郎の肌から湯気が立ち昇っている。そんな士郎は、桜にふわっと笑いかけた。
「少しだけ、寒そうに見えたからな。カーディガンの上からでも
綾子との決着をつけたら、また戻ってくる」
「はいっ。
…………でも士郎さん、セイバーさんは……美綴部長だって」
「分かってる。だけど、俺は行かくちゃいけない。せっかく、自分で決めた夢なんだから」
「その先に、誰一人いなくなっても……ですか?」
「それでも、俺が決めた事だからな」
桜は少し
「……やっぱり、すごい」
桜が呟く。士郎の初恋は、決して……。
そんな桜を眺め見て、士郎はひとつ頷いて、「行ってくる」と駆け出した。
桜は、誰にも止めさせなかった。
◇ ◇ ◇
「
凛が
「お互い、
大空洞の奥、暗がりの中、崖のような祭壇の前に
凛はセイバーに駆け寄って、その背中に触れる。事前にパスを繋いでいたお陰で、スルリと魔力が通っていった。
「助かりました、凛」
セイバーが美綴を見たまま、凛に言葉を返した。
聖剣を解放、
「———これなら、全力で戦える」
凛は、ゆっくり周囲を見渡した。ここは洞窟の奥、太陽光など入ってこない。だが凛には、周囲の光景を見ることができた。セイバーの聖剣の光、それと、大空洞の崖の上とに、光源があるからだ。
大空洞の祭壇の上、かつて大聖杯の魔法陣が横たわっていたところから、今も光が漏れている。
メーティスが急いだわけ、綾子が唐突に戦闘から身を引いたわけが、今、目の前にある祭壇の光だと直感した。
「それが、アンタの“切り札”ってワケね」
「そうだな。コレが発動すれば、世界は確実に致命傷だ。“今日から
凛は目に力を込めて、綾子の顔を睨みつける。いつでも宝石をブン投げられるように、両手にそれぞれ隠し持って。
「“世界の果て”ね……、随分と大きく出るじゃないの」
「そりゃ、コレは“秩序を破壊するもの”だし、確実に人類を滅ぼしてくれるし」
「まどろっこしいわねっ。サッサと
凛の全身、全部の魔力が泡だった。ブクブクと沸騰するような魔力をそのまま綾子にぶつけると、アイツは少しだけ驚いた風で、それから、楽しそうに笑った。
「そうだな、遠坂。うだうだ喋るのも性に合わないし、
———いいぜ、教えてやるよ。
綾子はここぞとばかりに魔力を荒立て、遠坂凛と張り合うように、その手段を口にした。
——————魔法使いになる事だ——————
「……魔法使い? それでどうやって世界が滅ぶってのよ。魔法使いになって世界が滅んでたら、今頃人類なんて存在してないんじゃない?」
「今まではそうだろうさ。五つしかなかったんだから。第一法から第五法までの
そこに、今までに無い法則が生まれたら?
どう考えても、世界に根本的な改変がもたらされるんじゃない?」
「……そんな」
急に、凛は口がカラカラになっているのに気づいた。
手汗がすごい。両手のうちにある大きな宝石が、とてもトゲトゲしく感じられる。
いつの間にか、凛はセイバーよりも前に出ていた。
「綾子アンタ……、アンタがいう魔法って、それは“五つあるソレ”のどれでもなくて……」
「Program No .6、第六法。
第六魔法こそが、
綾子は羽を広げるように、薙刀と懐中時計を見せつけた。
「第六魔法、
「それじゃあ何? アンタは始めから魔法使いになれることが決まってて、それをわざわざ“今”やろうっていうの?」
「何事にもタイミングってのはあってさ、特に儀式なんてのはその
今回だってそれと同じでさ。どうしても、聖杯戦争の期間中に取り掛かる必要があったんだ。
———じゃないと門が
綾子はその左手で、その親指で、自身の背後を指差した。
綾子の親指の先、崖のような岩の上、かつて大聖杯があった場所から、今まさに、琥珀色の光が漏れていた。
「だから、大聖杯が邪魔だったんだ。一番良いトコを塞がれてちゃ、霊地の神秘を引き継げないじゃない、ねえ———遠坂」
凛は思わず、唇を噛んだ。
遠坂凛は魔術師の家系の六代目だ。当然、アレやコレやも耳に入る。
———第六魔法。
詳細は不明で、秩序を打破するものであるとされている。
アトラスの錬金術師、ズェピア・エルトナム・オべローンが人類滅亡を阻止するために挑み、敗れたモノ。
かつてオベローンが
第六魔法の使用者が現れた時、人類は滅ぶらしいという事だけは広まっていて、世界を根本から改変する魔法だという。
”6”という数字から、休眠中の二十七祖、“the dark six”との関係性も疑われているが、推測の域を出ていない———などなど。
「こんなの……これじゃ何も———」
「リン、気をしっかりと持ってください。揺さぶられではダメだ。
手段と目的とがすり変わっています。彼女は魔法使いになる為にこんな事をしているのではないでしょう。彼女の目的はそれに
———逆です、リン。彼女がしようとしている事、その理由は、魔法使いではないのです」
言われて、凛はハッとした。
そうだ、『
急いで綾子の顔を見る。ヤツは、笑っていた、まるで凛を哀れむように。
「ッ———ッツ!!」
フッーと長く息を吐く。沸騰した頭を
「……で? アンタの目的は結局何よ。“世界を壊す”とか意味わかんないこと言ってないで、サッサと吐きなさいよ、綾子。
———どうして、こんな事したのよ?」
凛の問いかけに、10メートルほど離れた先で、綾子は、ため息をついたて、その
「お前だよ、遠坂凛。
お前じゃ衛宮士郎を壊しちまう。それを理解するのにどれだけかかってんだよ、って話だ」
「シロウが、壊れる?」
セイバーは斜めに構える。右手の聖剣を引き、左手の
「セイバーは少し知っているかもしれないけど、アイツのアレは
セイバーが構えを緩める。ここに来て、綾子に戦う意志の無いことを感じとった———少なくとも、今は。
「『アイツのアレ』とは、つまりシロウの———」
「『一度決めたことは曲げられないし、自分を勘定にいれていない』。そう、アレのことよ。誰もが皆、士郎のアレは十年前の大火災のせいだと言う。『衛宮士郎は、十年前に一度死んだ』と言い出すんだ」
最近じゃあ士郎も影響されて、同じ事を言い始めた。と、綾子は
「だったらどうして、十年前の士郎があの大火災の中、全てを見捨て歩き続けたと思ってるんだろうな。
十年前の士郎の話をちゃんと聞いたら、思い
———
美綴綾子の両眼が光る。その眼光は、凛とセイバーとを射抜いていた。
「おかしいだろ? 5歳のガキが、母親に『生きて』って言われただけでそこまでの覚悟を決めるだなんて」
———生きのびたからには生きなくちゃ、と思った。いつまでもココにいては危ないからと、あてもなく歩き出した———
十年前、士郎の苗字がまだ“衛宮”ではなかった頃。
冬木市の一角、
その時、少年が
両親から命を繋がれ、生きる事を約束した少年は、しかし外に出てすぐに、この火災からは助からない事を理解させられた。
———まわりに転がっている人たちのように、黒こげになるのがイヤだった訳じゃない。
……きっと、ああはなりたくない、という気持ちより。
もっと強い気持ちで、心がくくられていたからだろう———
そして、
———誰かを助けようとして
偶然にそうなった訳じゃなく、少年は明らかに、それを意識してそうしたのだ。
———でも、
助けを求める声を無視して、生きているのが辛かった。
「ごめんなさい」と。
謝ってしまえば心が楽になると知っていたから、謝ることだけはしなかった。
それが。
何も出来なかった自分の、唯一の誠意だと信じて歩き続けた———
「ヒトは理解できないモノを拒絶する。なんとか理解できるカタチに落とし込もうとする。そうやって、衛宮は“一度死んだ”ことになった
———“強いストレスによる脅迫障害”。
———“サバイバーズギルト”。
そうやって病気にして、病名までつけて、『衛宮士郎の気質は被災によって造り出されたモノだ』という事にしたんだ」
綾子が薙刀を、その
「だから、『
凛だけじゃない、アルトリアも気づいていた。美綴綾子が、ブチ切れているということを。
「その結果がコレだ。士郎は最後まで救われない。
———なら、そんな世界なんて
美綴の眼は、凛を射抜いた。
「遠坂、お前は知ってるんだろ? 士郎の、“切り札”のこと」
「“リミテッド/ゼロオーバー”、でしょ。それがどうしたのよ」
「士郎の
「知ってるわ。士郎の切り札は“士郎の思いを押し付けるもの”。あの剣は“担い手が切れると思ったものを切る剣”だから、別に居合じゃなくでも良いって事は———」
「でもさ、実際、士郎は居合術をトリガーとしてしか
———理由、分かる?」
「ジンクスとか、ルーティーンの類いじゃないの?」
「ああ、もちろん。その言葉で片付けちまえるモノではあるんだけどさ……。
居合ってのは、“願いの結晶”だったりするんだ。『絶対に負けられない戦いで、勝てるようになりたい』って願いのさ」
居合は“死に覚えゲー”のようなものだと、綾子は言った。一瞬の
刀が
それらが、“抜刀の一瞬”に起こるのだ。
だから相手が、どれほど先の未来を体感していようと関係ない。相手からすれば、自分の未来が一瞬のうちに何度も何度も書き変わるように感じる。
———
死に覚えることでたどり着く動きを、未来から今へ
「なぁ、分かるか遠坂。
勝ち目がないような戦いで士郎が居合を抜き放つ時、アイツは六回死んでるんだ。
そこまでしないと、士郎は自分を解放できない。例え
懐中時計を
「そんなギリギリの士郎を前に、『別れる』だなんだと抜かす女がいる世界なんてサッサと潰して、
———来いよ遠坂、殺し合いを始めようぜ」
綾子は、大きく一歩踏み込んだ。
「これでいつかの予言通りに、“殺す殺さないの関係”だな」
次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]
———第二十六話、「殺す、殺さない」