もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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《最終話、〜また、恋をしよう〜》

 

 

「———悪い、遅くなっちまった」

 

 アルトリアは、振り向いた。

 地面はところどころ金色に光り、黄金の粒子を立ち昇らせている。その、さらに向こう。

 

「状況は、あまり良くないみたいだな。遠坂」

 

 大空洞の入り口に、袴姿(はかますがた)で、衛宮士郎が立っていた。

 

「「士郎(シロウ)ッ!!」」

 

 とっさに口をついて出た声が、隣にいる凛と重る。アルトリアは士郎へと一歩を踏み出しかけて、やっとのことで踏み止まった。

 

「———やっと、だな。

 待ってたぜ、いつか来るんじゃないかってさ」

 

 大空洞にある崖の上から、綾子が士郎に問いかける。

 

「それで? 何しに来たんだよ、衛宮」

「お前を止めに来たんだ、美綴。

 ———あの日、お前を止めに(おもむ)いて、そして、俺の記憶は持っていかれた」

「そう———記憶の内容は?」

「思い出せないんだ。お前に会いに行こうとしたところまでは、そこまでは覚えているんだが……」

「そう……」

 

 綾子は崖の上で構えをとる。

 右腕はかるく持ち上げて、左手を前に差し出す。(ひだり)半身(はんしん)を前にして、(りょう)(てのひら)は上を向き、その体は“ふわり”と、一度上がってまた沈む。

 

「なら来いよ。

 (あたし)は“衛宮の師匠”だしな、ちゃんと、やる事はやっておかないと」

 

 士郎は歩いて、アルトリアの左側、アルトリアと凛との(あいだ)に立った。

 士郎を挟んで反対側にいる凛は、隣に来た士郎に噛みついた。胸ぐらを(つか)み上げようとして、上半身が裸であることに気づき、士郎の胸をドツクように詰めよった。

 

「ちょっと士郎っ! 桜はどうしたのよ、アーチャーは!?」

 

 そんな凛に、士郎は(てのひら)を向けて落ち着けながら、事情を説明しているのだった。

 

「桜は無事……だと思う。ヒトではなくなってしまったけど、五体満足で生きて———」

「ハッ!? 『ヒトではなくなった』って何よ! 大丈夫なんでしょうねっ、士郎!」

「大丈夫だよ、遠坂。

 桜は()()()()()()()()()。何ひとつ不自由は無いし、何より寿命が()びたんだ。

 ひとまずは、安心していいと思う」

「それなら……アーチャーは? 令呪の反応が消えたのよ、こんなこ———」

 

 その時には(すで)に、士郎の姿が、凛の前から()()えていた。

 アルトリアは目線だけを右へ、士郎を追う。

 “シャキン”という金属音を後ろで聞いて、凛が振り向いた先、士郎は刀を抜き放ち、下から上までを、()り上げた後の体勢だった。

 士郎は刀を振り上げた体勢で、右の手首をクルッと返す。それだけで、刀は士郎の左側で大きな円を描くように後ろから(まわ)る。士郎は、刀を振りかぶった体勢になった。

 

 それを見てから、綾子はもう一度手刀(しゅとう)を振るった。右手で、左上から右下に。

 士郎が刀を振り下ろすと、“シャキン”という音が鳴る。

 それっきり、何の変化も無かった。

 

 アルトリアが、そんな士郎の視線を追って崖の上を(ちゅう)()すると、綾子は少し、嬉しそうに笑っていた。

 

「なんだ、思い出してんじゃん。無茶な死体を積み上げなくても、“リミゼロ”を、使えるようになったんだよな。

 ———いいぜ、衛宮。いつの間にか、居合をトリガーにしないと発動できなくなってたけど、それはお前の力なんだ。

 昔みたいに、普通に使っていいモノだからさ……」

 

 自然(しぜん)()ちして、刀を(さや)に戻す士郎。それから凛に向きなおり、事の顛末(てんまつ)を、語った。

 

「俺たちはスカサハの宝具に(とら)われたんだ。

 “死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)”。

 そこでは、魔力を急激に吸い取られる事がわかった時、アーチャーはルールブレイカーを投影して、自分自身に突き刺した。

 多分、自分から契約を切れば、遠坂の魔力だけは温存(おんぞん)できると考えたんだろう。門の中で、保有する全ての魔力が無くなって、アイツは消えた」

 

 士郎は一瞬、凛から目を()らしかけて、やっぱりもう一度目を合わせた。

 

「桜は、ヒトではなくなった。

 “神様”に、なったんだと思う」

「えっ?」

 

 凛は目を見開いて、声を()らす。

「んんっ」と咳払いして、「それで?」と士郎に(うなが)した。

 

「———“(マガ)(カミ)”って、知ってるか? 遠坂」

 

 士郎は少し、目を()せた。

 

「桜は、この世全ての悪(アンリ・マユ)を呑み込んだ。拡散する前のこの世全ての悪(アンリ・マユ)の呪いを、全部背負ったんだ」

「ちょっと、どうしてよ。

 ———だいたい、何で桜が。受け止めきれるワケないじゃない。“この世全ての悪”なのよ? あんなモノ、人の精神が耐えきれるワケが———」

「そう、遠坂は正しい。

 普通なら、受けきれる訳がないんだよな。でもさ、桜は“神に()()られる者”みたいだったから……」

 

 士郎が話を終わらせようとする気配を感じたのか、凛はすでに動いてあた。

 一歩士郎に詰め寄って、魔力を(あら)()て、言い逃れできないくらいの気迫を込めて、声に出す。

 

「……何よ。その訳の分からない呼び名は」

 

 士郎は一度だけ、深呼吸をした。目を閉じて、それから再び瞳を見せれば、それはもう、いつもの士郎の顔だった。

 

「“神に()()()()()者”。御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公とも、呼べるかもしれない……。

 “浦島(うらしま)太郎(たろう)”とか“花咲爺(はなさかじい)さん”とか、そういうヤツだ」

 前に、美綴がそう呼んでいた事があったと、士郎は続けた。

 

「“浦島太郎”という御伽(おとぎ)(ばなし)があるだろ? でもアレは御伽(おとぎ)(ばなし)だからさ、亀に暴力を振るってる人達が、悪者になるんだよな」

 

 士郎は、笑った。

 それを見たアルトリアは、士郎が、少し悲しそうに見えたのだ。

 

「普通に考えてみればさ、異質なのは亀の方なんだよな。

 自分たちが漁をしに浜辺(はまべ)に行ったら、大きな亀が打ち上げられていた。そして、その亀は(しゃべ)るんだ。

 ———異常だよな、そんなの。

 最初に『御伽(おとぎ)(ばなし)だ』と言われてから話を聞くから、俺たちはそのファンタジーを受け入れちまうけどさ……。当時の状況を考えれば、あり得ないほどに不気味なモノだ」

 

 士郎は一息ついた。そして———

 

御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公は、そんな異常を受け入れる。

 日本の御伽(おとぎ)(ばなし)の、主人公であるかどうかを決めるのは、『景色の反転した“異常”の中へ、易々(やすやす)と踏み込んでいけるかどうか』。そこが、分かれ目になる。

 そしてそれは、“自らも異質な存在になること”と、同義(どうぎ)でもあるわけだ」

「桜が……、桜がそうだって言うつもり?」

 

 凛の声は、震えている。

 士郎は、目を伏せた。

 

「すまない遠坂。悪いのは、多分俺だ」

 

 アルトリアからは、士郎の両手が力いっぱい(にぎ)(しめ)められているのが見える。

 それでも、士郎の声は普通だった。

 

「少し前、桜の数学の成績が急に上がった事があったろ? あの時俺は、絶対に押してはいけない筈の、桜の背中を押してしまった」

 

 ———桜は、“神に愛せられる者”なんだ。と士郎は言った。

 もっとも、これは美綴の受け売りだけどな。とも。

 

 士郎は崖の上を見上げて、美綴綾子の姿を見る。いくらかの()があって、士郎の方から視線を切って、凛と、それからアルトリアとを見た。

 

「日本の御伽(おとぎ)(ばなし)には、“神に愛せられる者”が登場することが多い。

 “浦島太郎”では浦島太郎が、“桃太郎”や“カチカチ山”、“花咲爺(はなさかじい)さん”なら、お爺さんとお婆さんがコレに当たるわけだけど」

 

 御伽(おとぎ)(ばなし)を少し思い返してみてほしい。種々様々なお話と、色々なバリエーションがあるように見えるが、そのほとんどは“異常な存在を受け入れる者達”の物語であることが多い。

 浦島太郎が生きていた時代、普通の人間ならば、(しゃべ)る巨大な亀を実際に見た時どうするだろうか。

『そんな不気味なモノなど一刻も早く自分の世界から消し去りたい』と考えるのが“普通”ではないだろうか?

 

 ではもし、「竜宮城に招待します」と言われた時……呼吸出来る保証もなく、無事にたどり着ける保証もなく、何より相手が信頼できる保証もないのに、一切疑うことなく平然と、亀の背中に乗れるだろうか? 

 ……何も亀だけの話ではない。

 御伽(おとぎ)(ばなし)の多くは、“不気味で人ならざる何物(ナニモノ)か”が突然にやって来るものである。

 皆が寝静まった頃、()を叩く音で起こされたと思ったら、見ず知らずの、顔も見えない人物から求婚されたり。

 話しかけられたと思ったら相手は犬で、その犬が「付いて来い」と、森の中に誘い込まれたりするのである。

 だが—————

 御伽(おとぎ)(ばなし)の主人公達は、何の情報も無いままに、コレを平然と受け入れるのだ。

 そして、間桐桜もまた……

 

「それはさ、見方を変えれば、神霊への第一歩と同じ事なんだよ。

 浦島太郎は竜宮城に行ったけどさ。その時亀をいじめていた少年たちは、あの後どうなったんだろうな。

 ———きっと、村で幸せに暮らした(はず)だ」

 そうは思わないか? と、凛とアルトリアとを見る士郎。

 

「あの村で浦島太郎はと言えば、“行方不明になった少年”でしかない。それも、自分たちが死ぬまでずっと、竜宮城で、(とし)を取らずに生きていた少年だ。

 ———そんなのはもう神様だろう?」

 

 士郎はただ、力なく笑う。

 肩の力が抜け、少し猫背になっていた。

 

「だって、神と同じ物を見て、神と同じものを感じ、神と同じように考えるんだ。

 そんなの、誰がどう見たって、神様にしか見えないじゃないか」

 

 そういう意味で言えば、浦島太郎は最後の最後で、人間に戻れたのかもしれない。とだけ、士郎は最後に付け加えた。

 

 浦島太郎は、帰りたいの願ったのだ。人間たちのいる、あの村に。

 それはきっと、人間に戻れる最後のチャンスで……。“浦島太郎”とはきっと、人間に戻る物語だった。と、士郎は(うつむ)いて、それだけをひねり出していた。

 

「桜はこの世全ての悪(アンリ・マユ)の一件で、その先へ踏み込んでしまったんだ。

 きっともう、桜は元には戻れない」

「———なら」

 

 士郎の語りに、上から声が割り込んできた。

 

「なら、桜の方は上手くいったって事でしょ。良かったじゃない。これで、少なくとも桜は、この世全ての悪(アンリ・マユ)を受け入れたんだ。それはさく———」

「フッ———ザケてんじゃないわよッ!! 綾子、降りてきなさいっ! アンタなんか、地獄にも天国にも居場所がないままに、その辺りを延々(えんっえん)彷徨(さまよ)わせてやるんだからっ!!」

 

 気炎(きえん)を上げる凛。

 それを一歩下がって眺めていたアルトリアは、ふと、綾子を見上げるのだった。

 

「まさか、これを狙っていたのですか? サクラがこうなることを分かった上で、貴女(あなた)は計画を組み立てた、と?」

「いいや」

 

 綾子は崖の上、構えもろくに取らないままで、首を振った。

 

(あたし)は別に、どっちでも良かったんだ、セイバー。

 この世全ての悪(アンリ・マユ)を抑えきれずに世界が滅んでも、この世全ての悪(アンリ・マユ)を受け入れて桜がヒトから外れても。別に、どっちでも良かった」

 

 綾子はほんの少しだけ、その口元を(ほころ)ばせた。

 

(あたし)としては、世界が滅んでくれた方が、都合が良かったのは事実だけどさ」

 

 瞬間、凛が尻餅(しりもち)をついて倒れた。

 凛の右手を士郎がしっかりと握ってて、凛は士郎に、抗議の視線を飛ばしている。

 

「離しなさい、士郎」

「ダメだ」

「離しなさいって言ってるのよ」

「ダメだ遠坂。今行っても、やられるだけだ」

「でもっ———」

「大丈夫だ遠坂。ちゃんと、切り札を(そろ)えて来たんだから」

 

 アルトリアからでは士郎の顔は見えなかったが、それでも、士郎の表情を想像することは、さほど難しいことではなかった。

 士郎はやっとのことで凛を(なだ)め、立ち上がる。そしてその目は、綾子の姿を(とら)えていた。

 士郎と視線が交差する、綾子。

 綾子は一歩だけ前に出て、(がけ)(ほとり)に立って、士郎を、見遣(みや)った。

 

「衛宮、ひとつだけ、言っておきたいことがあるんだけど……」

(かま)わないぞ。俺で良ければ(いく)らでも」

「じゃあ、言うげどさ———」

 

 綾子は一度言葉を切って、ためる。深呼吸をひとつ入れて、それからやっと口を開いた。

 

「士郎。(あたし)は士郎が好きだ」

「……。そうか」

 

 士郎は黙って、目を(つぶ)って、その言葉を反芻(はんすう)した。

 士郎が目を(ひら)いた時、その目を(じか)に見た綾子の方が、今度は目を閉じた。

 

「悪い、美綴。

 ———俺は、セイバーが好きだ」

「……うん。知ってた」

 

 綾子は目を閉じたまま、上を向き、呼吸を整えて、目を(ひら)く。

 

「それなら(あたし)は、この全部を殺してみせる」

 

 アルトリアは凛と士郎よりも前に出て、二人を背に、綾子の前に立ちはだかった。

 上を見上げる。

 アルトリアの視界には、綾子が映った。

 

 こうして綾子と相対(あいたい)して、綾子の想いを(じか)に聞いて。そしてアルトリアは、メーティスとのことを思い出していた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———もしも、ですけれど……。もしも、アルトリアが士郎に———

 

「士郎に、“感謝の念”を(いだ)いているなら、大切にしなければいけませんよ」

 

 アルトリアの対面に正座するメーティスは、急に真顔になったのだった。

 アルトリアは二度(まばた)きをして、メーティスへと返答した。

 

「ええ、勿論です。

 私はシロウに感謝している。その想いも、シロウ本人も———私は(けっ)して」

 

 思わず、アルトリアは姿勢を正した。

 視線を広げ、周囲を認識する。士郎の部屋の中央に置かれたちゃぶ台と、アルトリアの対面に座るメーティス。

 そのメーティスの目がアルトリアに告げていた。『話は、これで終わりではありませんよ』と。

 だから今度は、アルトリアから口を(ひら)いた。

 

「ですがそれは……今までの話と、どういった関係があるのです?」

「今までの話とは、それほど……。ですがこれからの話とは、とても、です」

 

 メーティスは少し、照れくさそうに(ほほ)()いた。

 

「変な言い回しになってしまいましたね。

 ですが、もしも貴女(あなた)が、最善の未来を手繰(たぐ)()せたいと願うなら———あるいは、士郎を認めたいと思うなら、必ずや、避けては通れぬ道ですよ」

 

 それから、メーティスはもう一度だけ、真面目な顔を作って言った。

 

(わたくし)から貴女(あなた)へ、どうしても伝えたい事が一つだけ。

『“愛する”という感情の源泉(げんせん)は、“感謝の心”だということ』ただ、それだけです」

 

 アルトリアが、メーティスの言葉を咀嚼(そしゃく)しようと頑張っていると、メーティスはさらに(たた)()けてきた。

 

「アルトリア。“(あい)”と“(こい)”との区別だけは、つけておきなさいな。

 それはきっと、貴女(あなた)に必要なことですから」

 

 メーティスはここにきて、悪戯っ子のようにニヤリと笑った。

 

此処(ここ)が、この聖杯戦争の地が日本で良かったです。英語で(かた)るとなると、微妙なニュアンスが難しいですからね」

 

 “恋”という単語は、“こひ”という大和(やまと)言葉(ことば)に、漢字の“(レン)”という字を当てたものだと、メーティスは言った。この“こひ”を、意味を(そろ)えて漢字にすると“()ひ”となるということも。

 

「“()ひ”とは、()(ねが)う事。欲しいという感情です。

 ———対して、“愛”は“()い”。“(かな)しい”というという意味を持つ言葉に、漢字を当てたもの」

 

 では、この国において、“(かな)しい”と“(かな)しい”とでは、何が違うと思いますか? 

 と、メーティスは目を細めている。

 

「“(かな)しい”は広く一般的に使えるものです。ですが“(あい)”は違う。『何も出来なかったことに対する悲しみ』それを日本人は“(あい)”の字を使って表現するのですよ」

 

 ———“哀悼(あいとう)()”とは、生前にたくさんお世話になったにも(かか)わらず、自分は何一つとして恩返しが出来ていないという、不甲斐(ふがい)なさを含んだ悲しみの気持ちのこと。

 

「“()い”という感情は、“(かな)しい”と読むにもかかわらず、その本質は感謝なのです。

 いいですか、アルトリア。始めに、感謝があるのです」

 

 母親とはそういうものです。と、メーティスは自分の胸に右手を当てる。

 

「自らが心の底から欲していた、“我が子”という存在を与えてくれた。だけれど、(わたくし)(いま)だ、この子に何も返せていない。

 ———母が子に向ける感情を“(あい)”と呼ぶのは、つまりそういう事なのですよ、アルトリア」

 

 ———私に、こんなにも素晴らしいもの与えてくれて“ありがとう”。でも、“ごめんなさい”。私は、あなたに何も返せていない。だから———

 

「———そういえば、士郎も日本人ですね」

 

 メーティスがいきなり脱線(だっせん)した。

 

「世界でも、日本人だけだそうですよ。“ありがとう”と“ごめんなさい”を、同じ言葉で話すのは」

 

 アルトリアの目をみて、それから一つ(うなず)いて。

 

「ですから、そう———“すみません”こそが、愛の種かもしれませんね。アルトリア」

 

 

 

 

「いいですね? 士郎」

「ああ、存分にやってくれ」

 

 その夜、三人して士郎の部屋に立てこもり、メーティスの()り行う儀式が始まった。

 暗がりの中、士郎があぐらをかいて座る。その正面にメーティスが座る。士郎が目をつぶり、メーティスは士郎の胸を指さした。

 

「———では」

 

 メーティスの指がゆっくりと士郎に迫っていく。指先が士郎の胸に触れる。そのまま、胸の中にめり込んだ。

 

「——————んっ———っ」

 

 士郎がもらす声が、隣で座るアルトリアにも聞こえてきた。

 アルトリアは右手に力を込めた。すると、ずっと握っていた士郎の左手が、ピクッとゆれた。

 人差し指の第二関節までめり込んだ指を、メーティスは引き抜いていく。指先が士郎の胸から離れたとき、本来なら血が出るところが、代わりに金色が噴き出した。

 噴き出した光は粒子となって部屋の中に充満し、ゆっくりと回転しながら収束し、士郎とメーティスとの中間に、ひとつの物体を形作った。

 

 静かに浮いている。

 

「聖剣の……(さや)……」

 

 刀身を覆う方はせまく、鍔元にいくに従って広くなっている造形の、蒼色(あおいろ)と金色とを基調とした鞘。

 アルトリアの手が触れると、その鞘は実体となって、彼女の手の中に収まった。

 そこまでの、一連の動作を見届けて、メーティスは言う。

 

「ではお二人に、切り札を授けましょう。

 ———ただその前に、一つだけ、知っておいて欲しい事があるのです」

 

 メーティスは一度、アルトリアがその右手に持つ、聖剣の(さや)に目をやって。それから、士郎の胸のあたりを見た。

 

 ———士郎の持つ心象風景は、アーチャーのものと同じだという事を———

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「シロウ!」という言葉と共に、アルトリアが何かを投げた。それは真っ直ぐにアルトリアの後ろへと走り、士郎の、()(うち)に収まった。

 

「———アヴァロンか?」

 

 それは、綾子の言葉。

 予想外だったのか、(ほか)に何かあったのか。綾子は疑問の言葉と共に、もう一歩、前に出た。

 

「させ———」

 

 崖から飛び降りようとする綾子。彼女の瞳は(えにし)を見る。だからきっと、綾子には見えていたのだろう。

 (さや)を持った士郎が何をするつもりかと、自分では止められないことと、それから———

 

「——————身体(からだ)(つるぎ)で出来ている」

 

 世界は、神秘に包まれた。

 

「固有結界、起動。

 その願いは()だ、無限の(つるぎ)の中にある」

 

 士郎の詠唱をトリガーに、アルトリアは、士郎の持つ(さや)の結合を解除する。()かれた(さや)はその存在を(ちゅう)へと(およ)がし、光に変わる。

 “光塵(こうじん)”、と呼ばれるべきものだ。

 舞い上がる光の粒は使用者を(おお)い、その存在を妖精郷(アヴァロン)へと隔離(かくり)する。しかし、この場合はどちらなのだろうか。使用者が妖精郷(アヴァロン)に行ったのか、それとも妖精郷(アヴァロン)の方が、使用者を(おお)う形で顕現(けんげん)したのか。

 

 それはきっと、どちらも正しい筈だ。ただ、“誰の立場でものを見たのか”ということろが違うだけ。

 ———相対性(そうたいせい)

 どの立場に立つかによって、同じ事象でも、その原理としての法則が違ってくる。ひとつの出来事に二つの見方、『どちらが正しいか』ではなく、『どちらも正しい』のだ。矛盾する二つのものをどちら(とも)が正しいと認め、その上で現実を(とら)(なお)した場合にのみ、その矛盾は消滅する。

 

 では、全て遠き理想郷(アヴァロン)の適合者とは誰か。当然、()の宝具はアルトリアにしか扱えない。

 だが考えてみて欲しい、(ほか)に誰かいなかったろうか。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)“が”適合したのではなく全て遠き理想郷(アヴァロン)“に”適合した存在が。幼い頃に埋め込まれた(さや)に、己の起源を塗り潰された男が、此処(ここ)にいなかったろうか。

 起源を塗り潰されたが(ゆえ)に、彼の魔術は“剣”に特化したものとなった。彼に許された唯一の魔術は、その心象風景を具現化する大禁呪、固有結界。

 

 では何故、士郎の心象は“剣の丘”なのか。

 未来の彼は、それを『俺が行き着いた世界』と言ったが、彼は本当に何処(どこ)かの丘に剣の墓標を建てたのだろうか。もしそれが本当であるならば、未来の彼だけでなく現在の士郎ですら、同じ丘の心象を(いだ)くのは何故だろうか。そして何故、あの丘には大量の剣が突き立っているのだろうか。

 

 ———未来の彼が本当に、その場所に行き着いたと言うのであれば、それはどれ程の幸せでありましょうか———

 

 その(さや)は、持ち主(アルトリア)から引き離され、収めるべき剣も無く。剣を求めて彷徨(さまよ)うも、いつまで()っても出会えなかった。

 そして(つい)に少年の、中に落ち着いたその(さや)は……。

 

 かくして、剣を求めた(さや)によって、少年は、目視した剣を貯蔵する能力(ちから)を得た。

 

 ———いつか、聖剣の不在を()めるに()る、剣と出会えるその日のために———

 

 ならば———

 

「——————抜剣(ばっけん)、完了」

 

 アルトリアは崖の下で陣取りながら、遠隔操作で、(おのれ)の宝具を起動した。

 

「固定化解除、夢幻始動。

 ———我が理想をもって今ここに、太古(たいこ)アヴァロンを顕現(けんげん)す」

 

 ならば、衛宮士郎の固有結界の真の姿は“剣の丘”などではなく。

 その真の能力は、剣を複製する事ではなく。

 その名は決して、“無限の剣製”ではあり得ない。

 

「————真名解放(しんめいかいほう)———」

 

 左手を高らかに(かか)げ、アルトリアは、その名を呼んだ。

 

「——————全て遠き理想郷(アヴァロン)ッ!!」

 

 変化は、一瞬だった。

 

 ———其処(そこ)は、黄金の下草(したくさ)()(そろ)う、一面の草原だった。

 さっきまでの気温が嘘のように暖かく、明るく。(まわ)りの花々は咲き誇り、眼下に遠く、木々には真っ赤な林檎(りんご)()っている。

 

「———セイバー」

 

 黄金の草原に立つ、アルトリアの後ろから、士郎の声がした。

 振り返ってみると、近いような、あるいは遠くぼやけているような、士郎の姿と声がした。

 

「セイバー、俺はセイバーのマスターには相応(ふさわ)しくないみたいだ」

 

『そんな事はない』と言おうとして、声は出なかった。だから、アルトリアは首を振った。

 それでも士郎はお構いなしで、困ったように少し笑って、また、口を(ひら)く。

 

「俺は、マスターらしい事なんて、何ひとつ出来なかった不甲斐(ふがい)ないマスターだげどさ。今回ばかりは、少しだけ———」

 

 士郎は、腰に()してあった(さや)を引き出し、居合の準備を(おこな)った。

 

「セイバーの行手(ゆくて)(はば)むものは、俺が全部()()せる。セイバーの剣を、今度こそ確実に届かせてやれる」

 

 言うだけ言って、士郎はずっと半透明のまま、アルトリアを追い越して、黄金の草原の、もっと先まで走って行った。

 アルトリアは目を(つぶ)って、深呼吸を一つだけ。

「よし」と(つぶや)くその顔は、(ほころ)んでいた。

 

 直後、世界が(ほど)け、全てが金の粒子に変わる。乱舞(らんぶ)する光の先、崖から飛び降りてきた綾子に向かって、士郎が走っていくのが見えた。

 綾子は両脚を揃え、曲げて。上体(じょうたい)を少し斜めにしてバランスをとる。体幹を維持したままで、高速で落下している。

 突っ込んでくる士郎に対して、綾子は右の手刀(しゅとう)を振るった。左上から袈裟(けさ)に一閃、銀色の魔力が、斬撃となって駆け抜ける。

 

 士郎は左手で(さや)を引き出し、右手でその(つか)を握る。

 

「行け———遠坂っ!!」

 

 アルトリアの左隣を追い越して、凛が崖を登っていく。“強化”をかけた両脚で、急な傾斜を駆け上がる。

 

 それと同時、アルトリアには士郎が一瞬、ふわりと浮かび上がったように、見えたのだった。

 

御稜威(みいづ)(りゅう)奥儀(おうぎ)の始まり」

 

 綾子の斬撃が放たれた時、士郎はそこにはいなかった。

 まるで、位相がズレたようだと、アルトリアは思った。

 多分、体捌(たいさば)きで(かわ)した(はず)だ。でもアルトリアには、綾子の斬撃がすり抜けたようにしか見えない。

 士郎は真っ直ぐ突っ込んだだけで、斬撃の方が(かわ)したように。

 

「—————歩法(ほほう)水端(すいたん)、“居合染め”」

 

 士郎の体が、一瞬ブレた。

 銀色の斬撃が士郎の後ろに着弾した後で、綾子は地面に降り立った。両脚をそろえて()き、しゃがみ、纏う白衣(はくい)緋袴(ひはかま)とが浮き、広がっている。少し遅れて、綾子の(はかま)が落ち着いた時には、綾子の体は、(すで)(じゅつ)の発動を完了していた。

 星の祭壇から溢れて出る神秘を引き連れて、綾子は()を光らせて、魔法の一端(いったん)を行使する。

 綾子の体に、琥珀(こはく)の魔力が渦巻いた。

 

「——————()ひ死なむ、(のち)(なん)せむ()が命」

 

 左手を地面に、右手を士郎へ向ける。綾子は(えにし)(たば)ね、調整し、自分と龍脈と士郎とを、一つの運命で(くく)りつける。

 次の一撃を、確実に士郎にぶつける(ため)に。

 

「——————()ける()にこそ、()まく()りすれ」

 

 アルトリアは、一瞬の攻防を妖精郷(アヴァロン)の中から眺めていた。一瞬の攻防のはずなのに、アルトリアにはその詳細が全て見えた。

 まるで、アルトリアの時間だけが伸びているような、そんな感覚だった。

 大空洞の中に広がる、聖剣による魔力の(あと)。金色に光る地面は、そこから金の粒子を(のぼ)らせていて、アルトリアにはその場所もはっきりと(わか)った。

 

降臨(こうりん)せよ。

 ———理想(りそう)(きょう)を、今ここに」

 

 アルトリアの呟きに呼応(こおう)して、大空洞の、金の地面が輝きを()す。立ち上がる金色の粒は、大空洞の全てを(おお)い、その一帯(いったい)を、全て妖精郷(アヴァロン)置換(ちかん)した。

 大空洞の中は、その全てが妖精郷(アヴァロン)になったのだ。当然、その中に隔離された美綴綾子は、冬木の龍脈と繋がれなくなってしまう。

 だがそれでも、綾子の()には(えにし)が見える。綾子の能力は運命の調律。

 綾子なら、妖精郷(アヴァロン)の中に()ってすら、それを手繰(たぐ)ることができる。

 運命の調律者が、一度繋がった運命を、取り(こぼ)すことなどないのだから。

 

御稜威(みいづ)(りゅう)奥儀(おうぎ)中今(なかいま)

 

 ———そう、だから。

 だからこそ、全て遠き理想郷(アヴァロン)の展開と同時に放たれた士郎の居合を、止めることなど出来なかった。

 

「——————八方(はちほう)(はら)う、“(はら)太刀(だち)”」

 

 士郎は一切(いっさい)(さや)から刀を、引き抜こうとはしていない。アルトリアが見るかぎり、士郎は自分の両腕に、一切(いっさい)の力を入れていなかった。

 なのに、綾子の斬撃を(かわ)した時には、(さや)から刀身が露出していた。

 (ひと)りでに(さや)から抜け出でた刀を、士郎は、下から上に、一直線に切り上げる。

 

 その斬線は、士郎と綾子の(あいだ)に走る。

 その斬撃は、二人の(あいだ)を切り裂いた。

 

 士郎の日本刀、その刀身(とうしん)が通り過ぎた空間で、魔力が(いかずち)のようにスパークした。いや、それは魔力というよりも……

 

(あたし)(えにし)が……」

 

 綾子は握り締めた右手の中で、運命がほつれていくのを感じていた。

 それは、綾子が右手に握ったモノは、“士郎と綾子との(えにし)”だ。それを切ったということは、二人は現在、(えにし)による繋がりがないということで、二人はお互いに、攻撃が当たらないということだ。

 ———(えにし)が繋がっていないということは、“(めぐり)()う運命にない”ということ。

 出逢(であ)うこともない相手に、攻撃など、当たるはずもないのだから。

 

「これにて御仕舞(おしま)い、奥儀(おうぎ)の終わり」

 

 士郎は刀を、右手一本で下から切り上げ、(きっさき)は綾子を向いている。その格好から、振り上げた右手の手首を返す。士郎が手に持つ真剣は、士郎の左側で、大きな円を描くようにして、縦に回る。

 士郎の手首を中心に、下に落ち、後ろから上に上がり、(きっさき)が天を()した時には、士郎は両手で、真剣を握っていた。

 

「——————五方(ごほう)調(ととの)う、“()みの比礼(ひれふり)”」

 

 士郎は、縦に一閃、二躬(にのみ)を振るう。

 居合とは本来、抜き切って終わりではない。第二撃、この二躬(にのみ)をもって、居合はその終わりを(むか)える。

 

 そう、そして———、士郎はこの二躬(にのみ)でもって、綾子の、左後ろの空間を切った。

 妖精郷(アヴァロン)の中に居てすら、ずっと(つか)み続けていた、冬木との(えにし)、魔法使いになる運命を、断ち切った。

 

 アルトリアは士郎の動きを見終わって、全て遠き理想郷(アヴァロン)を止める。

 急速に神秘は縮み、あっという間に、そこは大空洞に戻っていった。

 

 そして———。

 自分が天高く(かか)げている金に輝く聖剣に、(いま)(がた)凛から送られてきた、莫大(ばくだい)な魔力を注ぎ込む。

 

「—————約束された(エクス)……」

 

 この世で最も有名な剣。

 人々の『こうあって欲しい』という想念(そうねん)が星の内部で結晶・精製されたもの。神造兵装であり最強の幻想(ラスト・ファンタズム)

 アルトリアは、渾身(こんしん)の力でもって、並々ならぬ想いを込めて、その一撃を、振り下ろしたのだ。

 

「——————勝利の剣(カリバー)ーーーッ!!」

 

 大空洞の地面の上に、約束された勝利の剣(エクスカリバー)の斬撃が走る。縦に振り下ろされた一撃は、綾子へと、一直線に進んでいった。

 

 ———絶望を()き、希望を(とも)す、“灯火(ともしび)の剣”。

 この剣において、“光の斬撃”は副次効果(ふくじこうか)に過ぎない。

 その本質は“(おも)いを(たば)ねる”こと。(にな)()の魔力を()(みず)に、眠る者たちに語りかける。

 “光の斬撃”の殺傷能力は、おまけである。

 聖剣によって“束ねられた想い”は、平和に向けて作用する。だからこそ、“ラスト・ファンタズム”と呼ばれているのだ。その一撃で物語を終わらせ、平和な世界を(つむ)ぐために。

 

 ———それこそが、“束ねられた想い”だから。

 ()(ぎわ)の一瞬に(いだ)いた願い、今際(いまわ)宿(やど)(はかな)き祈り。

 何も、英霊豪傑(えいれいごうけつ)だけではない。凡人(ぼんじん)だろうと常人(じょうじん)だろうと、(いだ)く願いは常に同じだ。

『幸せになりたかった』『幸せにしたかった』『(まも)りたかった』『一緒にいたい』

 それらはいつも、平和を想う心なのだ。だからこそ、アルトリアの声に(こた)えてくれる。

 

 そう、同時のブリテンにおいて、アーサー王の聖剣が信仰(しんこう)を集めた原因は、その剣が“輝く剣”だったからだ。

 宵闇(よいやみ)(はら)い、暖かな光をくれる。そんな剣だったからこそ、()の国の民たちはアーサー王に従ったのだろう。きっと———

 

 大空洞を金色に染め上げた、聖剣の光が消えていく。

 下から上に伸び上がるように消滅する光の後には、淡い光が残された。今や大空洞の中は、聖剣に(とも)る光だけが照らしている。

 大空洞の奥、崖の上、星の祭壇からの光は、ゆっくりと消えていったのだった。それはつまり———

 

「遠坂が……、土地と契約を交わした(わけ)ね。

 アイツのスペックなら、いづれ辿(たど)()く場所だったけど」

 

 綾子はまだ、立っていた。

 緋袴(ひはかま)から煙を上げながら、それでも、五体満足で立っていた。

 左手を(ふところ)に突っ込んで、折紙(おりがみ)を引っ張り出して、ボロボロになったそれを捨てる。もう一度、折紙(おりがみ)を引っ張り出して、剣菱(けんびし)のマークを三つ重ねたような折紙(おりがみ)、“参剣(さんけん)護符(ごふ)”を眺めた。

 

「ああ、これで———」

 

 綾子から50メートルほど遠く、アルトリアから見ても分かりやすく、綾子は笑った。

 

「———これで、準備は全て(ととの)った」

 

 —————参剣(さんけん)御符(ごふ)、“一刀両断”—————

 

 士郎が慌てて振り返る。

 だが、もう遅い。

 綾子は護符を右手に持ち替え、自分の周囲を横一(よこいっ)(しゅう)、円を(えが)いて切り裂いていた。

 

 誰もが、綾子を見つめるだけだった。

 やっとのことで、崖の上から顔を出した遠坂凛は当然として。衛宮士郎もアルトリア・ペンドラゴンも、綾子が何をしたのかが、(まった)く何も分からなかった。

 

 地響(じひび)きが起きた。大空洞は揺れている。

 空間が(きし)みを上げる。世界が、揺らいだように見えた。

 

「何をしたんだよ。 美綴」

 

 士郎か聴いた。

 納刀(のうとう)を終えて、その状態で振り向いて、士郎はただ呆然と、綾子を見ているだけだった。

 綾子は、士郎と向き合った。

 

「“パンドラ計画”がついに終わったな、って思ってさ。

 ———衛宮。どうやらこれで、お別れみたいだ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ———“世界”とは、自分を中心にした概念だ。

 普段私たちが感じている“世界”は、私たちの体が感じとったものでしかない。

 この肌が触れた世界。

 この目がとらえた世界。

 この耳が聞き取った世界。

 

 自分の体で感じとった、自分の周囲の情報を『世界だ』と認識するならば、“世界の正体”は“自分と周囲との関係性”だということになる。

 つまり、世界を殺すということは……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「——————参剣(さんけん)護符(ごふ)、“一刀両断”」

 

 崖の上から覗き込んだ凛が見たのは、決定的な瞬間だった。

 崖の下、士郎の後ろにいる綾子は、右手に持った“三重(みえ)剣菱(けんびし)()”、参剣(さんけん)御符(ごふ)で、自分の周囲を一周し、水平に、左回りに切り裂いていた。

 

 士郎が、綾子を振り返る。

 

「何をしたんだよ。 美綴」

 

 納刀(のうとう)を終えた直後の体勢から、上半身だけ振り向いて、(つか)に手をかけたままで士郎が聴いた。

 構えを()いて自然(しぜん)()ちして、左足を一歩引いて振り返る。

 士郎を見て、綾子は言った。

 

「“パンドラ計画”がついに終わったな、ってさ。

 ———衛宮。どうやらこれでお別れみたいだ」

 

 士郎から視線を外して、上を見た綾子は、目を(つぶ)って息を()った。

 そして()く。

 

「これで本当(ホント)に、終わりだな」

 

 凛は、崖の斜面に踏み出した。

 何か大変なことが起きてる。それは分かる。でも『何が起きたか』、それがさっぱり分からない。

 

 革靴に、魔力を通して強化する。強化した革靴の底で、崖の斜面を(すべ)る。両手を前後に広げて、スノーボードのように崖を(くだ)る凛を尻目(しりめ)に、事態は少しずつ進行していた。

 

 セイバーは士郎に()()って、その隣に立っていた。手に持つ剣は下ろしたままだが、それでも士郎より半歩前に出て、綾子の挙動(きょどう)を警戒している。

 

「これ以上、何があると言うのですか。貴女(あなた)の狙いは阻止(そし)した(はず)だ、アヤコ」

 

 対する綾子は構えもしない。セイバーを、全く警戒していない。

 先ほどの折紙(おりがみ)を、鼻の先で眺めてすらいた。

 でも、その体はボロボロだった。聖剣の攻撃で服は焦げ、皮膚からは煙が上がっているのだから。

 

(あたし)はさ、最初に説明したぜ。『パンドーラに持たされた箱、それと同じことをする』って」

 

 綾子は折紙(おりがみ)をパタパタと振った。熱を(はっ)する折紙(おりがみ)は、次第に黒ずんで、炭のようになってしまった。

 

「あの話は、原典の方ともう一つ、イソップ物語の方にも、解釈の違うものが()っているんだよな。

 原典の方は“ゼウスが送り込んできた女”による災厄(さいやく)(えが)くだけだったけど、イソップ物語のラストは違う」

 

 ———パンドーラは箱を開け、災厄は世界に飛び出した。だけれど、パンドーラが慌てて蓋を閉めたために希望だけはそこに残った———

 

災厄(さいやく)は常に外から訪れる。けれど、(つい)()すように、人間は一つだけを、自ずから生み出すことができるのだ、と」

 

 綾子はゆっくりと、士郎へ向かって歩いていった。

 セイバーが前に出ようとして、何を思ったか、その場に(とど)まる。

 綾子は、左脚を引きずりながら、ゆっくりと、ゆっくりと、士郎に向かって。

 

 ———そう、パンドーラのおかげで、希望だけが、(こころ)の中に残ったのだから———

 

「要は二面性ってこと。“世界を滅ぼす方”の計画は第一段階、“災厄(さいやく)”。

 そして今が第二段階、“希望(きぼう)”。

 ———当然だけど、(あたし)にとっての希望だぜ。こればっかりは、お前たちは関係ないんだ」

 (あたし)の個人的な問題のための、(あたし)の個人的な計画ってこと。と綾子はいった。

 

 やっとの思いで崖を(くだ)り終えた凛は、士郎たちに駆け寄りながら、思わず、話に割り込んでいた。

 

「そんなの、今までだってずっとそうだったじゃない。ひとりよがりで、自意識過剰で———」

「今までのは一応、“師匠たる矜恃”とか何とか、色々とあったワケよ。でもコレは違う。(あたし)の望みで、(あたし)の希望」

 

 やっと、綾子の手が士郎に触れた。

 脚を引きずりながら、それでも伸ばした(みぎ)(てのひら)が、士郎の胸に触れている。

 

「これからも士郎は、ずっとずっと生きてくんだ。

 いろんな場所を旅してさ、いろんなヤツと出逢(であ)ってさ。それで、いろんな人を助けるんだ。

 そんな士郎の人生を、呪いたくないと思った」

 

 だから———

 

「美綴っ! おい美綴ッ!!」

 

 凛が士郎に駆け寄った時、綾子は地面に倒れていて、それを士郎が、左腕で()き起こしていた。

 セイバーは士郎の反対側から綾子を覗き込んでいる。鎧は着ているが聖剣は実体化していない。綾子にはもう戦えないことを、セイバーは読み取ったのだろう。

 いや、読み取るまでもなかった。

 

 駆け寄った凛ですら分かる、存在の希薄(きはく)さ。

 それは聖剣に受けた傷とは別で、“死にそうな”と表現するよりかは、“消えそうな”と表現したくなるような、そんな風体(ふうてい)だ。

 今にも透き通り、浮き上がり、そのまま消えてしまいそうな綾子は、凛が(のぞ)き込んだ時、士郎との会話の真っ最中だった。

 

(あたし)とアンタが共に存在する未来なんてのはさ、だから、始めから無かったんだ」

 

 力なく横たわる綾子を抱き起こしている士郎。左腕を首の後ろにまわし、左手で綾子の左肩を抱いていた。そのま左脚を綾子の背中の下に入れ、背もたれにすることで、綾子の上半身がもたれ掛かることができるようにして、士郎は綾子を支えていた。

 

「この世界では、(あたし)と士郎とは相容(あいい)れない。

 それは、(あたし)が魔法使いだったから。第六魔法が“人類を滅ぼすもの”だったから」

 

 士郎は、何か言い返そうと口を開いて———結局、何も言わずに口を閉じる。

 綾子は、士郎の腕の中で目を閉じた。

 

「だったら話は簡単でしょ、士郎。

 士郎のリミゼロを利用して、(あたし)自身の“魔術の素養(そよう)”を切り離した。(あたし)()を使って(とら)えた、“平行世界を含む全ての自分の体”から、“魔術の素養(そよう)全て”を、だ」

 

 綾子が最期(さいご)に目を開く。琥珀色の綺麗な瞳は、士郎を射抜いて、世界が止まった、ようだった。

 

「ねぇ、士郎。

 もしも、もしもの話。(あたし)が、運命を背負わされることがなくなったら、(ただ)の女になって、何のしがらみも無くなったら、その時は———」

 

 士郎の(ほほ)に綾子の左手が、その指先が触れていた。親指で士郎の目尻(めじり)()でる。

 綾子の目が、細められた。

 

「また、(あたし)と恋してくれますか?」

「ああ————ッ、ああ」

 

 士郎は(ちから)一杯(いっぱい)、綾子を胸に押しつけていた。

 綾子を胸に抱き、髪の上に鼻をつけて、目を閉じた。

 

「またいつか、恋をしよう。な、美綴」

「———はい」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 綾子の死から何日か()った頃、衛宮邸の、中庭に面した縁側には、二人の人影があった。

 

『自分自身から魔術に関する全てを切り取った』の発言の通りに、あの後、美綴の体は消えてしまった。

 それだけではなく、綾子が魔術に関わった痕跡(こんせき)の全てが、今では跡形(あとかた)もなく消えている。

 美綴綾子は魔術師の家系ではなく、一般人だったことになっているし、“どこぞのマンションに一人暮らししていた”という風に、記録が書き変わっていた。

 遠坂が確認したことろによると、「平行世界のどこを探しても、綾子が魔術師だった痕跡を、一つとして見つけることが出来なかったわ」と言うことだ。

 つまり、平行世界の美綴は魔術師ではなくて、だから美綴の()は“(えにし)をみる浄眼”ではなくて、(えにし)()た美綴が俺と幼少期に出逢(であ)う事もなくて、俺は聖杯戦争が勃発(ぼっぱつ)するまでずっと、魔術回路を作っては壊し続けているらしい。

 

 そんなこんなで、聖杯戦争は終結した。

 セイバーは“座”に帰り、綾子の遺体は消滅し、遠坂は時計塔(ビッグベン)に飛び立った。

 

 そうして、残ったのが二人。

 衛宮邸の縁側(えんがわ)に二人して座って、板張りの冷たさをお尻に感じながら、朧月(おぼろづき)を見上げている。

 

「———少し、あったかくなってきましたね、士郎さん」

 

 右隣に座る、桜が言った。

 

「明日には、雨、()るかもですね」

「ああ、そうだな……」

 

 俺があまりいい返事をしなかったからか、桜は前を向いて、夜空を見上げ、すーっと、息を吸った。

 そんな桜を横目に見て、俺はようやく、口を(ひら)いた。

 

「———桜。やっぱり俺、“正義の味方”になりたいと思ったんだ」

 

 俺の右側で、桜が目を閉じるのが、見えた。

 

「美綴は色んなものを見せてくれた。“正義の味方”に必要なこと、誰かを救うために大切なこと。

 人は、何をもって救われるのか」

 

 さっきのは(まばた)きだったのか、桜は俺に顔を向けて、こっちを見て、聞いてくれる。

 ゆっくりと、感情を傾けてくれる。

 (はげ)ますのではなく、前から引っ張るのでもない。ただただ、俺の話を聞いていた。

 

「始めから、世界平和を目指す道のりが、とても(けわ)しいものだと分かっている。

 “この世全ての平和”だなんて、目指すべきじゃないということも、分かっているつもりだった。

 ———第一、あのアーチャーですら、そんなモノは願わなかった」

 

『より多くの人間を救うのが正義の味方だ』と、そう自分に言い聞かせて。そして恐らくは、最も救いたかった筈の人を、アイツはその手にかけたのだ。

 

()()()()()、“正義の味方”になりたいんだ。正しく“正義の味方”になって、俺が最も救いたい人を、二度とこの手から離さないように」

 

 俺は、夜空を見上げた。

 満月は明後日の(はず)だが、それでも、薄い雲に隠れた今夜の月は(おぼろ)()で、俺にとっては、満月のように見えていた。

 

 ———世界の全てを救うために、だった一人、犠牲になった(ひと)がいた。

 彼女は確かに、最期(さいご)は満足して()ったのだろう。でも、そんなのはもう嫌だ。

 世界を護るために自分(ひと)りが犠牲になるなんて、もう見たくない。かといって、世界の方を犠牲にすると、アイツもやっぱり悲しむと思う。

 衛宮士郎としても、色んな意味で、その選択肢は取れそうにない。

 

 ———だったらもう、“世界平和”しかないじゃないか。

 アイツを助けて世界も救う。“世界を背負わされた(ひと)”を後腐れなく救うには、もう、それしかないじゃないか。

 だから俺は目指したい。“世界平和”を実現できる、正義の味方を。

 

 隣にいる桜は無言だ。

 いつの間にか目を瞑っている。けれど表情は柔らかいし、優しい雰囲気がにじみ出ていた。

 

 …………、やがて。

 

 やがて桜は、閉じていた目を()けて、こっちを見て、綺麗な瞳で笑ったのだ。

 

「なんだ、簡単じゃないですか」

 

 士郎さん、と桜が言う。俺が何かを言うより先に、桜はもう一つ言葉を(つむ)いだ。

 

「それって、『魔法使いになる』ってことですよね?」

 

 魔法使い? どうしてここで魔法使いが出てくんだ? と、俺の頭が混乱している。そんな内面が顔にでも出ていたのか、桜は口に手を当てて少しだけ笑って、今度はもっと目力を込めて、俺と視線を合わせてきた。

 

「『その時代の技術では、どんなに時間や手間をかけたとしても実現できないもの』、それが魔法の定義です。

 だったら“世界平和”も、立派な魔法じゃないですか?」

 

 桜が両手で、俺の右手をとる。その柔らかな感触と共に、じんわりと(ぬく)もりが伝わってくる。

 

「『(けわ)しい』なんてこと、ないです。『目指してはいけない』なんてこと、あるはずがないんです。

 だってわたし達、二人も、知ってるじゃないですか」

 

 桜の(てのひら)の温もりで、俺の右手が暖かくなってきた。目線を右手から上げると、紫の瞳が輝いていた。

 桜は、綺麗な瞳で(まばた)きをひとつ。それから、視線を夜空に逃した。

 

「見て下さい、月がとても綺麗ですよ」

 

 つられて、俺も月を見た。

 薄い雲に隠れていた満月間近(まじか)の今夜の月が、一瞬だけ、雲から顔を(のぞ)かせていた。

 

「ああ、本当だ。

 ———本当に、いい月だな」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 衛宮邸を見上げる私の心は、ずいぶんと寂寥(せきりょう)(かん)に満ちていた。

 そりゃあ半年ぶりの帰国だし、仕方ない部分もあるかもだけど、今回の帰国はちょっと、今までのそれとは違うのだ。

 

 衛宮邸の門をくぐると玄関までの石畳、それにヒールを打ちつけて歩いていると、奥の方からパタパタパタと、足音がやってきた。

 衛宮邸に出入りする人の中であんな足音を立てるのは1人しかいない。やって来る人物を思い浮かべて、ひとり微笑んでいると、その人物は、(とびら)の向こうに到着したみたいだった。

 

 私の予想通り、ガラガラと引戸(ひきど)を開けて現れたのは、桜だった。

 白いロングスカートに、桜色のカーディガン。つっかけを()いて(とびら)に手をかけたまま、桜が挨拶をしてくれた。

 

「おかえりなさい、姉さん。

 飛行機の時間を教えてくれたら、空港までお出迎(でむか)えしたのに……」

「そう? 士郎のヤツが張り切ってたら、じゃましない方がいいかな〜とか、思ってたんだけど」

「士郎さんなら大丈夫ですよ、準備はもう終わってます。

 今は、最後の確認をしてるだけですから」

 

 そう言って、桜は私を案内する。

 板張りの廊下を先導する桜、ついていく私。

 案内されなきゃならない程、私はここの地理に(うと)(わけ)じゃないんだけど、私たちはこういうのが好きなのだ。なんというのだろうか、この距離感。“仲のいい姉妹”というには少し離れている気がするが、じゃあ知人同士の様なものかと聞かれたら、それもやっぱり違うカンジ。自分でもよく分からないこの距離感が、私は好きだ。

 

 途中の部屋に荷物を置いて、中庭をつっかけで横切って、奥にある小さめの小屋、その引戸(ひきど)を開けて中を(のぞ)く。

 板張りの道場の真ん中に、男が一人座っていた。

 胡座(あぐら)をかいて、私たちに背中をむけて座る人影は、黒い着流(きながし)を着て、少し背を丸めた格好で、何やら作業をしているようだ。

 

 桜に続いて、私も中に入っていった。

 その瞬間に空気が変わる。この感じも、我ながら(なつ)かしく思う。空気が()んでいるというか、精錬(せいれん)されたというか。多分セイバーか来てからだ、聖杯戦争が始まるまでは、こんな感じはしなかったから。

 

「姉さんを連れて来ました、士郎さん」

「ありがとう桜。こっちの点検もこれで終わりだ」

 

 振り返ったのは、何を隠そうあの、衛宮士郎だ。

 手には刀、眼前(がんぜん)には打粉(うちこ)と油。どうやら、手入れをしていたらしい。まあ、戦場から帰った後は必ずコレをやってるから、つまりは日課(にっか)だ。

 士郎が自分から買って出た用事をすっぽかすとも思えないから、『用事を全部済ませた後、張り切ってる桜に台所から追い出された』ってのが私の見立(みた)てだけど、そう間違ってはいないと思う。

 

「それじゃあ士郎さん、それを片付けたら居間に来て下さい。お昼、出来てますから」

「ああ、そうしよう」

 

 私は、士郎の片付けを待って、士郎と一緒に居間へ行く。

 桜は、一足お先に行ってしまった。

「今日の姉さんはお客さんです。そんなこと、させられません」なんて言ってたけど、あの顔は自分がやりたいだけだ、スキップなんかしちゃってたし。

 

 士郎と二人、中庭を渡り、廊下を歩く。

 それにしても、隣に立つと良くわかる。隣のこいつがアーチャーとは決定的に違う路線をつっ走ってるってことが。

 別に人体工学とかスポーツ科学とか、そんなに詳しい訳じゃないけれど、身体つきが全然違う。同じ人間でも鍛え方次第(しだい)でこうも変わるのかって、なんか、“人体の不思議”とか“生命の神秘”とかに触れちゃった気がするのは、気のせいだろうか。

 

 アーチャーは全体的にもっとゴツかった。あれはあれで(ととの)った身体をしていたけど、今の士郎はもっとスリムだ。無駄な筋肉をそぎ落として、必要最低限だけ残した感じ、あれからニ年で背も伸びたから、アーチャーを知る身としてはちょっと頼りなく感じてしまう。

 

 ……まぁ、士郎が強いのは身にしみて分かってるんだけどね。

 

「今日は久しぶりに姉さんが帰って来るから、わたし、張り切っちゃいました」

 

 桜は、そう言って座敷(ざしき)(づくえ)に、肉じゃがを並べる。

 いつものように、三人で座る。居間にある座敷(ざしき)(づくえ)を、贅沢(ぜいたく)一辺(いっぺん)ずつ陣取(じんど)って。

 半年ぶりに食べた、桜のごはんは、かつてより繊細な味がした。

 

「それで、士郎。ちゃんと用意してるんてしょうね。

 今日帰る事、事前に伝えてたんだから、最高のヤツを頼むわよ」

 

 私は入り口に近い一辺に座っている。そして、その対面に座っていて、桜の肉じゃがを箸で(つま)み上げた士郎に、念のために注告した。

 

「分かってるよ遠坂。ちゃんと仕込(しこみ)は済ませてある。

 最後の処理は桜に任せてあるから、多分、より美味(おい)しくなってると思う」

「頼むわよ、士郎。アナゴの天ぷら、ずっと楽しみにしてたんだから」

 

 既に帰国した時の恒例(こうれい)になりつつある、士郎の()げた“アナゴの天ぷら”を(たい)らげて、食後のお茶でまったりして。

 それから私は、手を叩いて宣言した。

 

「さて、食後のお茶も終わったところで、いよいよ本題よね」

 

 いくら半年ぶりの帰国とはいえ、今回の趣旨はまったり日本を楽しむ事じゃない。聖杯戦争のあと、三人で決めた約束を果たす時がやって来たのだ。

 それが———

 

「行きますか、並行世界へ」

 

 “並行世界への移動”、もっというなら“セイバーに会いに行くこと”。

 

 綾子が死んで、その遺体が消えてしまって。そして、次の朝を(むか)えた。

 その朝日に()かされるように、セイバーは“座”へと帰っていった。ただ一言、士郎に「好きだ」と言い残して。

 

 ———すみません、シロウ。

 それでも私は、貴方(あなた)を愛している———

 

 私達の恋愛戦争に終止符を打つため、いずれセイバーの辿(たど)()妖精郷(ようせいしょう)、つまり“アヴァロン”に、私達も行ってやると、あの時、私たちは決めたのだ。

 

 それから、私たちは全力を()くした。個人的には『聖杯戦争よりこっちの方が難易度高いんじゃないの』と、いったい何度思ったことか。

 その回数は計り知れない。

 

 そして、結果だけ言えば、私たちはついに、ここに辿(たど)()いたのだ。とは言っても、“世界間移動に”ではない。

 そもそも第二魔法には聖杯戦争中に辿(たど)()いていたのだし、“平行世界への移動”だって、当時でも出来たのだ。だから問題はそこではなく、“あのセイバーを見つけること”にあった。

 

 平行世界に移動できるってことはどういうことか。(よう)は船が使えるようになったと思えばいい。だからと言ってセイバーを探さなくていい事にはならないのだ。

 例えば、『セイバーがイギリスのロンドンに居る』とわかって、『その場所がどっちの方角か』も調べた上で、初めて航海が可能になる。場所も方角もわからないのに船を出したって遭難するに決まって居るのだ。

 

 だから、セイバーを見つける方法を探していて、やっとそれを見つけたからこそ、こうしてまた三人が(つど)った、というわけだ。

 

「やっと、コレの掌握(しょうあく)に成功したわ。

 ホント長かった。綾子のヤツ、すんごい面倒なロックをかけてるんだもの」

 

 私は正座をしている、その右ポケットにあるものを取り出した。

 座敷(ざしき)机《づくえ》の上にそっと置いて、士郎と桜とに見えるようにする。

 

「綾子の(のこ)した懐中時計、“運命の調律機構(ディスティニー・ムーブメント)”」

 

 あの日、綾子が消えた後、その場にあってひとつだけ、消え残ったモノがあった。その懐中時計を士郎が拾い上げると、中央が透明になっている懐中時計の(ふた)から、中に紙が入っているのが見えた。

 士郎が()けて中を見る。四つ折りに(たた)まれた紙、それを(ひら)いた士郎は、無言で、私に時計を渡してきた。

 中にあった、遺書と共に。

 

 ———追伸、この時計は遠坂にくれてやる。

 きっと役に立つだろうぜ。せいぜい、上手(うま)く使ってみろよ———

 

上手(うま)く使ってみろよ』という割に、この時計にはロックがかけられていて、そのロックを解除するために、私は急いで、ロンドンに飛ぶ羽目(はめ)になった。

 というのも、綾子の生きた痕跡が消え始めていたからだ。時計塔に保存されている綾子の資料を回収するのに、時間制限があると知ったからには、行かない訳にはいかなくなった。

 

 冬木にある綾子の痕跡を集めに集めて、それから飛行機に飛び乗って、あらゆる手段を使い倒して。

 そうして集めた綾子の資料を解読し、ひとつひとつ、時計のロックを外していった。

 

 その中でわかった事があった。

 それは『あの事件の大半(たいはん)は、私と桜のためにあった』ということだ。

 “並行世界の自分たちを見た今”なら(わか)るが、つまり私たちに、『ありのままの士郎を、そのまま受け入れさせたかった』。

 私たちが士郎に何かを求める、士郎自身がどうなって欲しいかを(しゃべ)ると、士郎はそうなろうと頑張ってしまう。

 それは士郎にとって、とてつもないストレスになる。

 そのストレスは士郎を縛る、“満足して死ぬとこ”と、“ストレスを感じないとこ”とは別だ。士郎の場合は、どんなストレスも我慢できる、我慢できてしまえるから、(まわ)りの人間には分かりにくい。

 

 綾子は、自分がいなくなった後、士郎のことを任せられる人間を探していた。条件は、『ありのままの士郎を受け入れること』。

 今にして(わか)る。その条件の、なんと難しいことか。

 

 ———条件に合うヤツがいないなら、自分で作ってしまえばいい。

 綾子が(まわ)りくどいことをしていた理由の一つは、そんな感じだった筈だと、密かに私は思っている。

 

 そしてもう一つは、本番にたいする練習だった。

 綾子が最初に始めたことは、青崎(あおざき)橙子(とうこ)に会いに行くことだったらしい。“天才人形師の青崎(あおざき)”に、魂を入れる器を作ってもらって、そこに、影の国から意識だけを飛ばしたスカサハを入れ込んだ。

 

スカサハは“綾子が第六法に到達すれば世界が崩壊する”事を逆手にとって、綾子が死を予約されたスカサハを青崎の人形に召喚したモノ。

 

 なんの事はない。ここまで来ると、もはやただの降霊術だ。難しいのはスカサハとコンタクトを取るところだが、それも綾子ならクリアできる。自分と“(えん)の深い関係”をサーチして、『己の存在そのものによって、その土地を(ほろぼ)すモノ』という(えにし)を見つけて、繋いだらしい。

 

 士郎と桜に、ロンドンでの事を話していると、不意に、士郎が口を(ひら)いた。

 

「なあ、遠坂。

 俺、分かったような気がするんだ、“七番目の魔法”のありかが」

 

 それはさりげなく、まるで明日の予定でも話すように、おかわりのお茶を()ぎながら、士郎は言った。

 だから、私もさりげない風を(よそお)って、士郎に返事をしたのだった。

 

「へぇ、じゃあ聴いてあげるわ。

 ———いったい、何を見たのかしら?」

 

 (そそ)ぎ終わった急須(きゅうす)を机に置いて、私の目を見て、士郎は言った。

 

「綾子にもらった、言葉の中に」

 

 そう、きっと。

 綾子にとって、聖杯戦争とはその程度のもので、彼女がそれに割り込んだのは、(ひとえ)に、呪いを()くためだったのだろう。

 

 ———この、バカな男の。




  


『どのルートを選択しますか?』


・Fate……………………………clear!
・Unlimited Blade Works……clear!
・Heaven's feel ………………clear!
▶︎・          





『……そのルートは存在しません』

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