もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 作:夜中 雨
「———悪い、遅くなっちまった」
アルトリアは、振り向いた。
地面はところどころ金色に光り、黄金の粒子を立ち昇らせている。その、さらに向こう。
「状況は、あまり良くないみたいだな。遠坂」
大空洞の入り口に、
「「
とっさに口をついて出た声が、隣にいる凛と重る。アルトリアは士郎へと一歩を踏み出しかけて、やっとのことで踏み止まった。
「———やっと、だな。
待ってたぜ、いつか来るんじゃないかってさ」
大空洞にある崖の上から、綾子が士郎に問いかける。
「それで? 何しに来たんだよ、衛宮」
「お前を止めに来たんだ、美綴。
———あの日、お前を止めに
「そう———記憶の内容は?」
「思い出せないんだ。お前に会いに行こうとしたところまでは、そこまでは覚えているんだが……」
「そう……」
綾子は崖の上で構えをとる。
右腕はかるく持ち上げて、左手を前に差し出す。
「なら来いよ。
士郎は歩いて、アルトリアの左側、アルトリアと凛との
士郎を挟んで反対側にいる凛は、隣に来た士郎に噛みついた。胸ぐらを
「ちょっと士郎っ! 桜はどうしたのよ、アーチャーは!?」
そんな凛に、士郎は
「桜は無事……だと思う。ヒトではなくなってしまったけど、五体満足で生きて———」
「ハッ!? 『ヒトではなくなった』って何よ! 大丈夫なんでしょうねっ、士郎!」
「大丈夫だよ、遠坂。
桜は
ひとまずは、安心していいと思う」
「それなら……アーチャーは? 令呪の反応が消えたのよ、こんなこ———」
その時には
アルトリアは目線だけを右へ、士郎を追う。
“シャキン”という金属音を後ろで聞いて、凛が振り向いた先、士郎は刀を抜き放ち、下から上までを、
士郎は刀を振り上げた体勢で、右の手首をクルッと返す。それだけで、刀は士郎の左側で大きな円を描くように後ろから
それを見てから、綾子はもう一度
士郎が刀を振り下ろすと、“シャキン”という音が鳴る。
それっきり、何の変化も無かった。
アルトリアが、そんな士郎の視線を追って崖の上を
「なんだ、思い出してんじゃん。無茶な死体を積み上げなくても、“リミゼロ”を、使えるようになったんだよな。
———いいぜ、衛宮。いつの間にか、居合をトリガーにしないと発動できなくなってたけど、それはお前の力なんだ。
昔みたいに、普通に使っていいモノだからさ……」
「俺たちはスカサハの宝具に
“
そこでは、魔力を急激に吸い取られる事がわかった時、アーチャーはルールブレイカーを投影して、自分自身に突き刺した。
多分、自分から契約を切れば、遠坂の魔力だけは
士郎は一瞬、凛から目を
「桜は、ヒトではなくなった。
“神様”に、なったんだと思う」
「えっ?」
凛は目を見開いて、声を
「んんっ」と咳払いして、「それで?」と士郎に
「———“
士郎は少し、目を
「桜は、
「ちょっと、どうしてよ。
———だいたい、何で桜が。受け止めきれるワケないじゃない。“この世全ての悪”なのよ? あんなモノ、人の精神が耐えきれるワケが———」
「そう、遠坂は正しい。
普通なら、受けきれる訳がないんだよな。でもさ、桜は“神に
士郎が話を終わらせようとする気配を感じたのか、凛はすでに動いてあた。
一歩士郎に詰め寄って、魔力を
「……何よ。その訳の分からない呼び名は」
士郎は一度だけ、深呼吸をした。目を閉じて、それから再び瞳を見せれば、それはもう、いつもの士郎の顔だった。
「“神に
“
前に、美綴がそう呼んでいた事があったと、士郎は続けた。
「“浦島太郎”という
士郎は、笑った。
それを見たアルトリアは、士郎が、少し悲しそうに見えたのだ。
「普通に考えてみればさ、異質なのは亀の方なんだよな。
自分たちが漁をしに
———異常だよな、そんなの。
最初に『
士郎は一息ついた。そして———
「
日本の
そしてそれは、“自らも異質な存在になること”と、
「桜が……、桜がそうだって言うつもり?」
凛の声は、震えている。
士郎は、目を伏せた。
「すまない遠坂。悪いのは、多分俺だ」
アルトリアからは、士郎の両手が力いっぱい
それでも、士郎の声は普通だった。
「少し前、桜の数学の成績が急に上がった事があったろ? あの時俺は、絶対に押してはいけない筈の、桜の背中を押してしまった」
———桜は、“神に愛せられる者”なんだ。と士郎は言った。
もっとも、これは美綴の受け売りだけどな。とも。
士郎は崖の上を見上げて、美綴綾子の姿を見る。いくらかの
「日本の
“浦島太郎”では浦島太郎が、“桃太郎”や“カチカチ山”、“
浦島太郎が生きていた時代、普通の人間ならば、
『そんな不気味なモノなど一刻も早く自分の世界から消し去りたい』と考えるのが“普通”ではないだろうか?
ではもし、「竜宮城に招待します」と言われた時……呼吸出来る保証もなく、無事にたどり着ける保証もなく、何より相手が信頼できる保証もないのに、一切疑うことなく平然と、亀の背中に乗れるだろうか?
……何も亀だけの話ではない。
皆が寝静まった頃、
話しかけられたと思ったら相手は犬で、その犬が「付いて来い」と、森の中に誘い込まれたりするのである。
だが—————
そして、間桐桜もまた……
「それはさ、見方を変えれば、神霊への第一歩と同じ事なんだよ。
浦島太郎は竜宮城に行ったけどさ。その時亀をいじめていた少年たちは、あの後どうなったんだろうな。
———きっと、村で幸せに暮らした
そうは思わないか? と、凛とアルトリアとを見る士郎。
「あの村で浦島太郎はと言えば、“行方不明になった少年”でしかない。それも、自分たちが死ぬまでずっと、竜宮城で、
———そんなのはもう神様だろう?」
士郎はただ、力なく笑う。
肩の力が抜け、少し猫背になっていた。
「だって、神と同じ物を見て、神と同じものを感じ、神と同じように考えるんだ。
そんなの、誰がどう見たって、神様にしか見えないじゃないか」
そういう意味で言えば、浦島太郎は最後の最後で、人間に戻れたのかもしれない。とだけ、士郎は最後に付け加えた。
浦島太郎は、帰りたいの願ったのだ。人間たちのいる、あの村に。
それはきっと、人間に戻れる最後のチャンスで……。“浦島太郎”とはきっと、人間に戻る物語だった。と、士郎は
「桜は
きっともう、桜は元には戻れない」
「———なら」
士郎の語りに、上から声が割り込んできた。
「なら、桜の方は上手くいったって事でしょ。良かったじゃない。これで、少なくとも桜は、
「フッ———ザケてんじゃないわよッ!! 綾子、降りてきなさいっ! アンタなんか、地獄にも天国にも居場所がないままに、その辺りを
それを一歩下がって眺めていたアルトリアは、ふと、綾子を見上げるのだった。
「まさか、これを狙っていたのですか? サクラがこうなることを分かった上で、
「いいや」
綾子は崖の上、構えもろくに取らないままで、首を振った。
「
綾子はほんの少しだけ、その口元を
「
瞬間、凛が
凛の右手を士郎がしっかりと握ってて、凛は士郎に、抗議の視線を飛ばしている。
「離しなさい、士郎」
「ダメだ」
「離しなさいって言ってるのよ」
「ダメだ遠坂。今行っても、やられるだけだ」
「でもっ———」
「大丈夫だ遠坂。ちゃんと、切り札を
アルトリアからでは士郎の顔は見えなかったが、それでも、士郎の表情を想像することは、さほど難しいことではなかった。
士郎はやっとのことで凛を
士郎と視線が交差する、綾子。
綾子は一歩だけ前に出て、
「衛宮、ひとつだけ、言っておきたいことがあるんだけど……」
「
「じゃあ、言うげどさ———」
綾子は一度言葉を切って、ためる。深呼吸をひとつ入れて、それからやっと口を開いた。
「士郎。
「……。そうか」
士郎は黙って、目を
士郎が目を
「悪い、美綴。
———俺は、セイバーが好きだ」
「……うん。知ってた」
綾子は目を閉じたまま、上を向き、呼吸を整えて、目を
「それなら
アルトリアは凛と士郎よりも前に出て、二人を背に、綾子の前に立ちはだかった。
上を見上げる。
アルトリアの視界には、綾子が映った。
こうして綾子と
◇ ◇ ◇
———もしも、ですけれど……。もしも、アルトリアが士郎に———
「士郎に、“感謝の念”を
アルトリアの対面に正座するメーティスは、急に真顔になったのだった。
アルトリアは二度
「ええ、勿論です。
私はシロウに感謝している。その想いも、シロウ本人も———私は
思わず、アルトリアは姿勢を正した。
視線を広げ、周囲を認識する。士郎の部屋の中央に置かれたちゃぶ台と、アルトリアの対面に座るメーティス。
そのメーティスの目がアルトリアに告げていた。『話は、これで終わりではありませんよ』と。
だから今度は、アルトリアから口を
「ですがそれは……今までの話と、どういった関係があるのです?」
「今までの話とは、それほど……。ですがこれからの話とは、とても、です」
メーティスは少し、照れくさそうに
「変な言い回しになってしまいましたね。
ですが、もしも
それから、メーティスはもう一度だけ、真面目な顔を作って言った。
「
『“愛する”という感情の
アルトリアが、メーティスの言葉を
「アルトリア。“
それはきっと、
メーティスはここにきて、悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
「
“恋”という単語は、“こひ”という
「“
———対して、“愛”は“
では、この国において、“
と、メーティスは目を細めている。
「“
———“
「“
いいですか、アルトリア。始めに、感謝があるのです」
母親とはそういうものです。と、メーティスは自分の胸に右手を当てる。
「自らが心の底から欲していた、“我が子”という存在を与えてくれた。だけれど、
———母が子に向ける感情を“
———私に、こんなにも素晴らしいもの与えてくれて“ありがとう”。でも、“ごめんなさい”。私は、あなたに何も返せていない。だから———
「———そういえば、士郎も日本人ですね」
メーティスがいきなり
「世界でも、日本人だけだそうですよ。“ありがとう”と“ごめんなさい”を、同じ言葉で話すのは」
アルトリアの目をみて、それから一つ
「ですから、そう———“すみません”こそが、愛の種かもしれませんね。アルトリア」
「いいですね? 士郎」
「ああ、存分にやってくれ」
その夜、三人して士郎の部屋に立てこもり、メーティスの
暗がりの中、士郎があぐらをかいて座る。その正面にメーティスが座る。士郎が目をつぶり、メーティスは士郎の胸を指さした。
「———では」
メーティスの指がゆっくりと士郎に迫っていく。指先が士郎の胸に触れる。そのまま、胸の中にめり込んだ。
「——————んっ———っ」
士郎がもらす声が、隣で座るアルトリアにも聞こえてきた。
アルトリアは右手に力を込めた。すると、ずっと握っていた士郎の左手が、ピクッとゆれた。
人差し指の第二関節までめり込んだ指を、メーティスは引き抜いていく。指先が士郎の胸から離れたとき、本来なら血が出るところが、代わりに金色が噴き出した。
噴き出した光は粒子となって部屋の中に充満し、ゆっくりと回転しながら収束し、士郎とメーティスとの中間に、ひとつの物体を形作った。
静かに浮いている。
「聖剣の……
刀身を覆う方はせまく、鍔元にいくに従って広くなっている造形の、
アルトリアの手が触れると、その鞘は実体となって、彼女の手の中に収まった。
そこまでの、一連の動作を見届けて、メーティスは言う。
「ではお二人に、切り札を授けましょう。
———ただその前に、一つだけ、知っておいて欲しい事があるのです」
メーティスは一度、アルトリアがその右手に持つ、聖剣の
———士郎の持つ心象風景は、アーチャーのものと同じだという事を———
◇ ◇ ◇
「シロウ!」という言葉と共に、アルトリアが何かを投げた。それは真っ直ぐにアルトリアの後ろへと走り、士郎の、
「———アヴァロンか?」
それは、綾子の言葉。
予想外だったのか、
「させ———」
崖から飛び降りようとする綾子。彼女の瞳は
「——————
世界は、神秘に包まれた。
「固有結界、起動。
その願いは
士郎の詠唱をトリガーに、アルトリアは、士郎の持つ
“
舞い上がる光の粒は使用者を
それはきっと、どちらも正しい筈だ。ただ、“誰の立場でものを見たのか”ということろが違うだけ。
———
どの立場に立つかによって、同じ事象でも、その原理としての法則が違ってくる。ひとつの出来事に二つの見方、『どちらが正しいか』ではなく、『どちらも正しい』のだ。矛盾する二つのものをどちら
では、
だが考えてみて欲しい、
起源を塗り潰されたが
では何故、士郎の心象は“剣の丘”なのか。
未来の彼は、それを『俺が行き着いた世界』と言ったが、彼は本当に
———未来の彼が本当に、その場所に行き着いたと言うのであれば、それはどれ程の幸せでありましょうか———
その
そして
かくして、剣を求めた
———いつか、聖剣の不在を
ならば———
「——————
アルトリアは崖の下で陣取りながら、遠隔操作で、
「固定化解除、夢幻始動。
———我が理想をもって今ここに、
ならば、衛宮士郎の固有結界の真の姿は“剣の丘”などではなく。
その真の能力は、剣を複製する事ではなく。
その名は決して、“無限の剣製”ではあり得ない。
「————
左手を高らかに
「——————
変化は、一瞬だった。
———
さっきまでの気温が嘘のように暖かく、明るく。
「———セイバー」
黄金の草原に立つ、アルトリアの後ろから、士郎の声がした。
振り返ってみると、近いような、あるいは遠くぼやけているような、士郎の姿と声がした。
「セイバー、俺はセイバーのマスターには
『そんな事はない』と言おうとして、声は出なかった。だから、アルトリアは首を振った。
それでも士郎はお構いなしで、困ったように少し笑って、また、口を
「俺は、マスターらしい事なんて、何ひとつ出来なかった
士郎は、腰に
「セイバーの
言うだけ言って、士郎はずっと半透明のまま、アルトリアを追い越して、黄金の草原の、もっと先まで走って行った。
アルトリアは目を
「よし」と
直後、世界が
綾子は両脚を揃え、曲げて。
突っ込んでくる士郎に対して、綾子は右の
士郎は左手で
「行け———遠坂っ!!」
アルトリアの左隣を追い越して、凛が崖を登っていく。“強化”をかけた両脚で、急な傾斜を駆け上がる。
それと同時、アルトリアには士郎が一瞬、ふわりと浮かび上がったように、見えたのだった。
「
綾子の斬撃が放たれた時、士郎はそこにはいなかった。
まるで、位相がズレたようだと、アルトリアは思った。
多分、
士郎は真っ直ぐ突っ込んだだけで、斬撃の方が
「—————
士郎の体が、一瞬ブレた。
銀色の斬撃が士郎の後ろに着弾した後で、綾子は地面に降り立った。両脚をそろえて
星の祭壇から溢れて出る神秘を引き連れて、綾子は
綾子の体に、
「——————
左手を地面に、右手を士郎へ向ける。綾子は
次の一撃を、確実に士郎にぶつける
「——————
アルトリアは、一瞬の攻防を
まるで、アルトリアの時間だけが伸びているような、そんな感覚だった。
大空洞の中に広がる、聖剣による魔力の
「
———
アルトリアの呟きに
大空洞の中は、その全てが
だがそれでも、綾子の
綾子なら、
運命の調律者が、一度繋がった運命を、取り
「
———そう、だから。
だからこそ、
「——————
士郎は
なのに、綾子の斬撃を
その斬線は、士郎と綾子の
その斬撃は、二人の
士郎の日本刀、その
「
綾子は握り締めた右手の中で、運命がほつれていくのを感じていた。
それは、綾子が右手に握ったモノは、“士郎と綾子との
———
「これにて
士郎は刀を、右手一本で下から切り上げ、
士郎の手首を中心に、下に落ち、後ろから上に上がり、
「——————
士郎は、縦に一閃、
居合とは本来、抜き切って終わりではない。第二撃、この
そう、そして———、士郎はこの
アルトリアは士郎の動きを見終わって、
急速に神秘は縮み、あっという間に、そこは大空洞に戻っていった。
そして———。
自分が天高く
「—————
この世で最も有名な剣。
人々の『こうあって欲しい』という
アルトリアは、
「——————
大空洞の地面の上に、
———絶望を
この剣において、“光の斬撃”は
その本質は“
“光の斬撃”の殺傷能力は、おまけである。
聖剣によって“束ねられた想い”は、平和に向けて作用する。だからこそ、“ラスト・ファンタズム”と呼ばれているのだ。その一撃で物語を終わらせ、平和な世界を
———それこそが、“束ねられた想い”だから。
何も、
『幸せになりたかった』『幸せにしたかった』『
それらはいつも、平和を想う心なのだ。だからこそ、アルトリアの声に
そう、同時のブリテンにおいて、アーサー王の聖剣が
大空洞を金色に染め上げた、聖剣の光が消えていく。
下から上に伸び上がるように消滅する光の後には、淡い光が残された。今や大空洞の中は、聖剣に
大空洞の奥、崖の上、星の祭壇からの光は、ゆっくりと消えていったのだった。それはつまり———
「遠坂が……、土地と契約を交わした
アイツのスペックなら、いづれ
綾子はまだ、立っていた。
左手を
「ああ、これで———」
綾子から50メートルほど遠く、アルトリアから見ても分かりやすく、綾子は笑った。
「———これで、準備は全て
—————
士郎が慌てて振り返る。
だが、もう遅い。
綾子は護符を右手に持ち替え、自分の周囲を
誰もが、綾子を見つめるだけだった。
やっとのことで、崖の上から顔を出した遠坂凛は当然として。衛宮士郎もアルトリア・ペンドラゴンも、綾子が何をしたのかが、
空間が
「何をしたんだよ。 美綴」
士郎か聴いた。
綾子は、士郎と向き合った。
「“パンドラ計画”がついに終わったな、って思ってさ。
———衛宮。どうやらこれで、お別れみたいだ」
◇ ◇ ◇
———“世界”とは、自分を中心にした概念だ。
普段私たちが感じている“世界”は、私たちの体が感じとったものでしかない。
この肌が触れた世界。
この目がとらえた世界。
この耳が聞き取った世界。
自分の体で感じとった、自分の周囲の情報を『世界だ』と認識するならば、“世界の正体”は“自分と周囲との関係性”だということになる。
つまり、世界を殺すということは……。
◇ ◇ ◇
「——————
崖の上から覗き込んだ凛が見たのは、決定的な瞬間だった。
崖の下、士郎の後ろにいる綾子は、右手に持った“
士郎が、綾子を振り返る。
「何をしたんだよ。 美綴」
構えを
士郎を見て、綾子は言った。
「“パンドラ計画”がついに終わったな、ってさ。
———衛宮。どうやらこれでお別れみたいだ」
士郎から視線を外して、上を見た綾子は、目を
そして
「これで
凛は、崖の斜面に踏み出した。
何か大変なことが起きてる。それは分かる。でも『何が起きたか』、それがさっぱり分からない。
革靴に、魔力を通して強化する。強化した革靴の底で、崖の斜面を
セイバーは士郎に
「これ以上、何があると言うのですか。
対する綾子は構えもしない。セイバーを、全く警戒していない。
先ほどの
でも、その体はボロボロだった。聖剣の攻撃で服は焦げ、皮膚からは煙が上がっているのだから。
「
綾子は
「あの話は、原典の方ともう一つ、イソップ物語の方にも、解釈の違うものが
原典の方は“ゼウスが送り込んできた女”による
———パンドーラは箱を開け、災厄は世界に飛び出した。だけれど、パンドーラが慌てて蓋を閉めたために希望だけはそこに残った———
「
綾子はゆっくりと、士郎へ向かって歩いていった。
セイバーが前に出ようとして、何を思ったか、その場に
綾子は、左脚を引きずりながら、ゆっくりと、ゆっくりと、士郎に向かって。
———そう、パンドーラのおかげで、希望だけが、
「要は二面性ってこと。“世界を滅ぼす方”の計画は第一段階、“
そして今が第二段階、“
———当然だけど、
やっとの思いで崖を
「そんなの、今までだってずっとそうだったじゃない。ひとりよがりで、自意識過剰で———」
「今までのは一応、“師匠たる矜恃”とか何とか、色々とあったワケよ。でもコレは違う。
やっと、綾子の手が士郎に触れた。
脚を引きずりながら、それでも伸ばした
「これからも士郎は、ずっとずっと生きてくんだ。
いろんな場所を旅してさ、いろんなヤツと
そんな士郎の人生を、呪いたくないと思った」
だから———
「美綴っ! おい美綴ッ!!」
凛が士郎に駆け寄った時、綾子は地面に倒れていて、それを士郎が、左腕で
セイバーは士郎の反対側から綾子を覗き込んでいる。鎧は着ているが聖剣は実体化していない。綾子にはもう戦えないことを、セイバーは読み取ったのだろう。
いや、読み取るまでもなかった。
駆け寄った凛ですら分かる、存在の
それは聖剣に受けた傷とは別で、“死にそうな”と表現するよりかは、“消えそうな”と表現したくなるような、そんな
今にも透き通り、浮き上がり、そのまま消えてしまいそうな綾子は、凛が
「
力なく横たわる綾子を抱き起こしている士郎。左腕を首の後ろにまわし、左手で綾子の左肩を抱いていた。そのま左脚を綾子の背中の下に入れ、背もたれにすることで、綾子の上半身がもたれ掛かることができるようにして、士郎は綾子を支えていた。
「この世界では、
それは、
士郎は、何か言い返そうと口を開いて———結局、何も言わずに口を閉じる。
綾子は、士郎の腕の中で目を閉じた。
「だったら話は簡単でしょ、士郎。
士郎のリミゼロを利用して、
綾子が
「ねぇ、士郎。
もしも、もしもの話。
士郎の
綾子の目が、細められた。
「また、
「ああ————ッ、ああ」
士郎は
綾子を胸に抱き、髪の上に鼻をつけて、目を閉じた。
「またいつか、恋をしよう。な、美綴」
「———はい」
◇ ◇ ◇
綾子の死から何日か
『自分自身から魔術に関する全てを切り取った』の発言の通りに、あの後、美綴の体は消えてしまった。
それだけではなく、綾子が魔術に関わった
美綴綾子は魔術師の家系ではなく、一般人だったことになっているし、“どこぞのマンションに一人暮らししていた”という風に、記録が書き変わっていた。
遠坂が確認したことろによると、「平行世界のどこを探しても、綾子が魔術師だった痕跡を、一つとして見つけることが出来なかったわ」と言うことだ。
つまり、平行世界の美綴は魔術師ではなくて、だから美綴の
そんなこんなで、聖杯戦争は終結した。
セイバーは“座”に帰り、綾子の遺体は消滅し、遠坂は
そうして、残ったのが二人。
衛宮邸の
「———少し、あったかくなってきましたね、士郎さん」
右隣に座る、桜が言った。
「明日には、雨、
「ああ、そうだな……」
俺があまりいい返事をしなかったからか、桜は前を向いて、夜空を見上げ、すーっと、息を吸った。
そんな桜を横目に見て、俺はようやく、口を
「———桜。やっぱり俺、“正義の味方”になりたいと思ったんだ」
俺の右側で、桜が目を閉じるのが、見えた。
「美綴は色んなものを見せてくれた。“正義の味方”に必要なこと、誰かを救うために大切なこと。
人は、何をもって救われるのか」
さっきのは
ゆっくりと、感情を傾けてくれる。
「始めから、世界平和を目指す道のりが、とても
“この世全ての平和”だなんて、目指すべきじゃないということも、分かっているつもりだった。
———第一、あのアーチャーですら、そんなモノは願わなかった」
『より多くの人間を救うのが正義の味方だ』と、そう自分に言い聞かせて。そして恐らくは、最も救いたかった筈の人を、アイツはその手にかけたのだ。
「
俺は、夜空を見上げた。
満月は明後日の
———世界の全てを救うために、だった一人、犠牲になった
彼女は確かに、
世界を護るために自分
衛宮士郎としても、色んな意味で、その選択肢は取れそうにない。
———だったらもう、“世界平和”しかないじゃないか。
アイツを助けて世界も救う。“世界を背負わされた
だから俺は目指したい。“世界平和”を実現できる、正義の味方を。
隣にいる桜は無言だ。
いつの間にか目を瞑っている。けれど表情は柔らかいし、優しい雰囲気がにじみ出ていた。
…………、やがて。
やがて桜は、閉じていた目を
「なんだ、簡単じゃないですか」
士郎さん、と桜が言う。俺が何かを言うより先に、桜はもう一つ言葉を
「それって、『魔法使いになる』ってことですよね?」
魔法使い? どうしてここで魔法使いが出てくんだ? と、俺の頭が混乱している。そんな内面が顔にでも出ていたのか、桜は口に手を当てて少しだけ笑って、今度はもっと目力を込めて、俺と視線を合わせてきた。
「『その時代の技術では、どんなに時間や手間をかけたとしても実現できないもの』、それが魔法の定義です。
だったら“世界平和”も、立派な魔法じゃないですか?」
桜が両手で、俺の右手をとる。その柔らかな感触と共に、じんわりと
「『
だってわたし達、二人も、知ってるじゃないですか」
桜の
桜は、綺麗な瞳で
「見て下さい、月がとても綺麗ですよ」
つられて、俺も月を見た。
薄い雲に隠れていた満月
「ああ、本当だ。
———本当に、いい月だな」
◇ ◇ ◇
衛宮邸を見上げる私の心は、ずいぶんと
そりゃあ半年ぶりの帰国だし、仕方ない部分もあるかもだけど、今回の帰国はちょっと、今までのそれとは違うのだ。
衛宮邸の門をくぐると玄関までの石畳、それにヒールを打ちつけて歩いていると、奥の方からパタパタパタと、足音がやってきた。
衛宮邸に出入りする人の中であんな足音を立てるのは1人しかいない。やって来る人物を思い浮かべて、ひとり微笑んでいると、その人物は、
私の予想通り、ガラガラと
白いロングスカートに、桜色のカーディガン。つっかけを
「おかえりなさい、姉さん。
飛行機の時間を教えてくれたら、空港までお
「そう? 士郎のヤツが張り切ってたら、じゃましない方がいいかな〜とか、思ってたんだけど」
「士郎さんなら大丈夫ですよ、準備はもう終わってます。
今は、最後の確認をしてるだけですから」
そう言って、桜は私を案内する。
板張りの廊下を先導する桜、ついていく私。
案内されなきゃならない程、私はここの地理に
途中の部屋に荷物を置いて、中庭をつっかけで横切って、奥にある小さめの小屋、その
板張りの道場の真ん中に、男が一人座っていた。
桜に続いて、私も中に入っていった。
その瞬間に空気が変わる。この感じも、我ながら
「姉さんを連れて来ました、士郎さん」
「ありがとう桜。こっちの点検もこれで終わりだ」
振り返ったのは、何を隠そうあの、衛宮士郎だ。
手には刀、
士郎が自分から買って出た用事をすっぽかすとも思えないから、『用事を全部済ませた後、張り切ってる桜に台所から追い出された』ってのが私の
「それじゃあ士郎さん、それを片付けたら居間に来て下さい。お昼、出来てますから」
「ああ、そうしよう」
私は、士郎の片付けを待って、士郎と一緒に居間へ行く。
桜は、一足お先に行ってしまった。
「今日の姉さんはお客さんです。そんなこと、させられません」なんて言ってたけど、あの顔は自分がやりたいだけだ、スキップなんかしちゃってたし。
士郎と二人、中庭を渡り、廊下を歩く。
それにしても、隣に立つと良くわかる。隣のこいつがアーチャーとは決定的に違う路線をつっ走ってるってことが。
別に人体工学とかスポーツ科学とか、そんなに詳しい訳じゃないけれど、身体つきが全然違う。同じ人間でも鍛え方
アーチャーは全体的にもっとゴツかった。あれはあれで
……まぁ、士郎が強いのは身にしみて分かってるんだけどね。
「今日は久しぶりに姉さんが帰って来るから、わたし、張り切っちゃいました」
桜は、そう言って
いつものように、三人で座る。居間にある
半年ぶりに食べた、桜のごはんは、かつてより繊細な味がした。
「それで、士郎。ちゃんと用意してるんてしょうね。
今日帰る事、事前に伝えてたんだから、最高のヤツを頼むわよ」
私は入り口に近い一辺に座っている。そして、その対面に座っていて、桜の肉じゃがを箸で
「分かってるよ遠坂。ちゃんと
最後の処理は桜に任せてあるから、多分、より
「頼むわよ、士郎。アナゴの天ぷら、ずっと楽しみにしてたんだから」
既に帰国した時の
それから私は、手を叩いて宣言した。
「さて、食後のお茶も終わったところで、いよいよ本題よね」
いくら半年ぶりの帰国とはいえ、今回の趣旨はまったり日本を楽しむ事じゃない。聖杯戦争のあと、三人で決めた約束を果たす時がやって来たのだ。
それが———
「行きますか、並行世界へ」
“並行世界への移動”、もっというなら“セイバーに会いに行くこと”。
綾子が死んで、その遺体が消えてしまって。そして、次の朝を
その朝日に
———すみません、シロウ。
それでも私は、
私達の恋愛戦争に終止符を打つため、いずれセイバーの
それから、私たちは全力を
その回数は計り知れない。
そして、結果だけ言えば、私たちはついに、ここに
そもそも第二魔法には聖杯戦争中に
平行世界に移動できるってことはどういうことか。
例えば、『セイバーがイギリスのロンドンに居る』とわかって、『その場所がどっちの方角か』も調べた上で、初めて航海が可能になる。場所も方角もわからないのに船を出したって遭難するに決まって居るのだ。
だから、セイバーを見つける方法を探していて、やっとそれを見つけたからこそ、こうしてまた三人が
「やっと、コレの
ホント長かった。綾子のヤツ、すんごい面倒なロックをかけてるんだもの」
私は正座をしている、その右ポケットにあるものを取り出した。
「綾子の
あの日、綾子が消えた後、その場にあってひとつだけ、消え残ったモノがあった。その懐中時計を士郎が拾い上げると、中央が透明になっている懐中時計の
士郎が
中にあった、遺書と共に。
———追伸、この時計は遠坂にくれてやる。
きっと役に立つだろうぜ。せいぜい、
『
というのも、綾子の生きた痕跡が消え始めていたからだ。時計塔に保存されている綾子の資料を回収するのに、時間制限があると知ったからには、行かない訳にはいかなくなった。
冬木にある綾子の痕跡を集めに集めて、それから飛行機に飛び乗って、あらゆる手段を使い倒して。
そうして集めた綾子の資料を解読し、ひとつひとつ、時計のロックを外していった。
その中でわかった事があった。
それは『あの事件の
“並行世界の自分たちを見た今”なら
私たちが士郎に何かを求める、士郎自身がどうなって欲しいかを
それは士郎にとって、とてつもないストレスになる。
そのストレスは士郎を縛る、“満足して死ぬとこ”と、“ストレスを感じないとこ”とは別だ。士郎の場合は、どんなストレスも我慢できる、我慢できてしまえるから、
綾子は、自分がいなくなった後、士郎のことを任せられる人間を探していた。条件は、『ありのままの士郎を受け入れること』。
今にして
———条件に合うヤツがいないなら、自分で作ってしまえばいい。
綾子が
そしてもう一つは、本番にたいする練習だった。
綾子が最初に始めたことは、
スカサハは“綾子が第六法に到達すれば世界が崩壊する”事を逆手にとって、綾子が死を予約されたスカサハを青崎の人形に召喚したモノ。
なんの事はない。ここまで来ると、もはやただの降霊術だ。難しいのはスカサハとコンタクトを取るところだが、それも綾子ならクリアできる。自分と“
士郎と桜に、ロンドンでの事を話していると、不意に、士郎が口を
「なあ、遠坂。
俺、分かったような気がするんだ、“七番目の魔法”のありかが」
それはさりげなく、まるで明日の予定でも話すように、おかわりのお茶を
だから、私もさりげない風を
「へぇ、じゃあ聴いてあげるわ。
———いったい、何を見たのかしら?」
「綾子にもらった、言葉の中に」
そう、きっと。
綾子にとって、聖杯戦争とはその程度のもので、彼女がそれに割り込んだのは、
———この、バカな男の。
『どのルートを選択しますか?』
・Fate……………………………clear!
・Unlimited Blade Works……clear!
・Heaven's feel ………………clear!
▶︎・
『……そのルートは存在しません』