もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。 作:夜中 雨
「あっ、大事な事忘れてた」
遠坂が声を上げたのは、俺が記憶を一通り話し終えた後だった。途中で軽い昼食を挟んで夕方まで、俺と遠坂、時々桜。三人で話し詰めていた。
「サーヴァントにも聖杯を求める理由がある筈なのよね、危うく忘れるところだったわ」
俺の対面で、人差し指をピンと上げ、遠坂は目を大きく開いた。
「せっかく集まったんだし格式張って話しましょうか」と。
俺が記憶を喋っている
アイツは遠慮ってモノを知らないのか?
その為にもまずは腹ごしらえよ、との
普段なら、昼食と夕食の当番を三人で変則のローテーションでやっていて、俺の時と桜の時はお互いが補助に入る、そんでもって今日の夕食は順番的に俺が当番のハズなんだが……
「何、小僧が長々と喋っていたのでな。物のついでだ」
気がついたらご覧の有り様、アーチャーの奴が夕食を用意してやがった。それも割烹。
俺が話し込んでいたとはいえ、いつの間に拵えたんだ?
というか、どうして割烹なんぞ作れてるんだ? 昆布締め後の
慌てて台所に駆け込むと全部キチンと整理してるし、白髪の男がドヤ顔してるし……。
先ほどからずっと使っている
四角い机の対面に遠坂、左の辺には桜とライダー。俺の左隣にはセイバーがいて、アーチャーは給仕をしに台所にいった。
出された料理を一口食べる。
俺から出てきた感想は、
「アーチャー、貴方の料理はとても
「そうか、それは何よりだセイバー。料理というのは相手の幸せを願って造るモノ。君のソレは、何にも勝る言葉だよ」
「それは、私としても嬉しいのですが、その———」
「鯛めしなら余りがある。一晩置くと風味が落ちてしまうからな、出来れば今日のうちに空にしてしまいたいのだが……」
アーチャーがセイバーに目を送る。それを受けてセイバーが……なんと言うか、有り体に言って、とても嬉しそうな顔をしたんだ。
「そうでしたか! そうであるならば、是非おかわりをお願いします」
耳から、セイバーの感情が伝わってくる。
今、隣で顔を綻ばせながらご飯を食べている少女が、今の今まで“騎士だから”“亡霊だから”と自らを定義してまで成ろうとしていたモノを考えると……俺は、今のセイバーの方が好きだと思った。
やっぱり彼女は、弾んだ声がよく似合う。
「ちょっとアーチャー、コレ凄く美味しいじゃない。もしかしたら———ううん、割と確実に士郎の造るソレより上よね」
すごいじゃないアーチャー、なんて言って、俺の料理と比較しながら食べる遠坂。
「えっと……わたしは好きですよ? 先輩の造る御飯」
と、フォローにならないフォローをする桜。俺だって分かってはいたんだ、自分の方が美味いだなんて、口が裂けても言えないって事は。
———料理には思想が宿る、料理人が込めたモノの残滓が感じ取れる時がある。アーチャーの造ったコレは、ただ純粋に“誰かの幸せを願った”モノだと嫌でも分かった。
でも、負けを認める事だけは、どうしても出来なかった。それがくだらない子供の意地でだって事も、判った上で……
◇◇◇
「ご飯が美味しいって何にも勝る幸せよね。アーチャーのごはん、良かったわよ」
ご馳走さまでした、と異口同音に声を合わせて、本日の夕食が終了した。
時刻は午後8時を回っている。既に日も暮れた後、蛍光灯の明かりの下に俺たちは皆着席した。特に誰が決めた訳でもないんだけど、席順は夕食の時と同じになった。上座には誰も座ってなくて、入り口から見て俺たちが右側、遠坂たちが左側。桜たちは障子戸側の入り口付近に座っている。
「さてそれじゃあ、ここから先は聖杯戦争よ。あなたたちも召喚に応じたのなら、聖杯で叶えたい願いがあるって事よね、それをここで吐いて貰うわよ」
「ほう? これはまたどういう風の吹き回しだ、凛。他人の願いを知って諦めるようならモノであるなら、そもそも“戦争”などと称されはすまい」
遠坂の横、俺の目の前で腕を組んでいるアーチャーが眉間にシワを寄せながら返答する。それに対して、遠坂のヤツは“ニヤッ”と笑った。
「あら、彼我の戦略目標を確認するのは大事な事よ? そうでなければ、敵と味方の区別すら付かないもの。それとも何? あなたは人に言えないような願いしか持ってないってワケ?」
「何故そうなる……」
「じゃあ、言ってみなさいよ。言い
少し体を引き気味にしながら遠坂はアーチャーを流し見る。その口元は歪んでいて……つまりは、俺の一番嫌いな
俺もよく知っている、遠坂が勝ちを確信した時の顔。どう足掻いても逃れる術は無いって判っていながら追い詰める、遠坂の
「—————ハァー」
アーチャーのため息。
さすが英雄だと感心する。
あるいは、遠坂の笑顔の中にあるモノを読み取ったとでも言うのだろうか………………ともかく、アーチャーの奴は顎を指でつまみ、少しうつむきながら声を上げた。
「そうだな、聖杯が真に万能であるならば、“恒久的な世界平和”など、どうだろうか」
————空気が凍った。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「—————むっ。やはりダメか…………まぁ、
「そんな事はない! アーチャー、貴方の願いは尊いものです。“誰かに幸せになって欲しいという願い”、それは最も純粋なものではないですか。何も卑下する事はありません」
セイバーが食い気味に身を乗り出してアーチャーをフォローする。
いや、それよりも———
「は? 世界平和が願いだって?」
——と、気がついたら口にしていた。瞬間、アーチャーと視線が重なってしまう。
「どうした? 衛宮士郎。何を願おうと人の勝手だろう」
「………………ん? …………」
なんだろう、何かが引っかかる。しかし、それは目の前の男の事ではない。もっと別、もっと以前の……
もう、アーチャーなど見てはいなかった。そんな些事などどうでもいい。俺は今、何かとても大切なものの片鱗が、目の前を通り過ぎたような気がしていたから。
「………………っ…………」
でも、それが何かわからない、記憶を探るが出てこない。何処かで見たか、何かで聞いたか、あるいは俺が言ったのか?
「…………っ……ッウ、……………………か」
俺が言った? なんのために? 考えろ衛宮士郎、“世界平和”をどこで見た? 俺は何を聞いたんだ?
————士郎、誰かを救うという事は、誰かを助けないという事なんだ————
何かがあった筈なんだ、今の俺が忘れている、過去の何処かで。だからそれ———
「シロウ!!」
セイバーの声が鼓膜を揺らした。
衛宮士郎は周りを見渡し、そして、注目を集めている事を知った。
「シロウ、アーチャーの願いがそんなに気にいらないのですか!」
「アーチャーがなんだってんだ?」
むっ、話についていけない。彼女が何を話したいのか、俺にはてんでわからない。
とりあえずセイバーの方を向いて、彼女の目を除き込む。目は口ほどに物を言うから、少しでも何かわかるかもしれない。
「彼の願いはとても尊い。それをシロウは鼻で笑った。どうしてそんな事が出来るのですか」
彼の夢を
……どうも、アーチャーの奴が何かいい事を言ったらしい、それを俺が笑ったらしい。思考の海に潜ってる間に、口が勝手に動いたのか?
「セイバー、大丈夫だ。アーチャーが何を言ったのか知らないが———」
「知らない、だと? …………シロウ、
ずっと、彼女の目を見ていたから、色が変わったのがよく見えた。今のセイバーの目の中に、衛宮士郎は映っていない。
「次は私が、聖杯にかける願いです」
セイバーは既に衛宮士郎を見ていない。彼女は姿勢を正し、その
「———セイバーさん、『そちら側』って、どういう事ですか?」
桜は時々、妙な気迫を見せるような時がある。“睨む”というよりは“じっと見る”といった風だが、今の桜もそんな気迫を見せていた。
「どうもこうもありませんよ、桜。私は以前にも“聖杯に関する試練”を行っています。何の因果か、そこで英雄を否定する男と出会った。そして、私と彼とはどうにも反りが合わなかったようなのです。決定的に」
「その“英雄を否定する人”と先輩は別人です。どうして一緒にするんですかっ」
「——私は“同じ”と見ました。同じなら、関わらない方がいい。人間、どうあっても
「そんな……それじゃあ……」
桜がうなだれる。その身体は、少しばかり小さく見えた。
桜を見ていた遠坂が視線を切る。セイバーの目を見てひとつ頷いた。
「———私の夢、聖杯に託す願いは“ある選択を無かった事にする事”です。生前の私はひとつの間違いを犯した。それは取り返しのつかない事だったのです。…………それを、もう一度やり直したい」
言い切った、セイバー。
彼女の願いは、俺にも判る気がした。
助けたい人がいた、でも助けられなかった人がいた。きっと彼女はそんな何かを、やり直したいと思うのだろう。
セイバーの目線が左右に滑る。
誰一人として異論は出ない。まあ当然か、異論を突きつけるには情報量が少な過ぎるし、聞き出そうとする者に対する予防線も張っている。
……生前は戦上手だったのではないだろうか。
「————私の望みは以上です。ライダー、貴女の願い、聖杯に託す望みは何でしょう?」
そして最後のサーヴァント、ライダー。桜が召喚したらしい
「————そうですね。強いて言うなら……サクラの幸せ、とでもしておきましょうか」
「もしかしてそれは、“座”に居る時から桜に召喚される事が判ってたって、そう言う事? ライダー」
「リン、貴女は勘違いをしているのですね。そも、我々サーヴァントに拒否権などないのです。聖杯戦争は“守護者システム”を利用するモノですが、この“守護者のシステム”、召喚される者に拒否権などないものですので」
私の望みはサクラと会った後に決めたものです、と静かな声で語るライダー。抑揚があまりないくせに、妙に首筋がゾクゾクする声だった。
◇◇◇
衛宮邸の居間の奥の
中庭に脚を出して座ると、頭上には半月が輝いていた。
———俺は今、月夜にひとり。
同盟云々の会議は終わった。ああやって軽い自己紹介が終わった後、ダラダラと雑談をして、キリのいいところでお開きとなったのだ。衛宮邸は部屋が有り余ってるから、自分の部屋の掃除をする事を条件にサーヴァントたちにも一部屋ずつ選んでもらった。
セイバーの部屋は桜の部屋に近いトコ、ライダーの部屋の隣にある。俺の部屋からは居間を挟んで正反対だ。
———聖杯戦争の目標は元より、その過程についてさえも……お互い、話し合わない方が良いでしょう———
セイバーとはその言葉を最後に分かれてしまった。
前後の文脈は忘れたが、その言葉だけは未だ耳に残っている。“英雄を否定した男”っていう奴がどんな奴かは知らないが、セイバーはそいつによほど手酷くやられたようだ。
「————衛宮士郎」
後ろから声がする。
目だけで後ろを伺うと、白髪の浅黒い男の姿がそこにはあった。
「何の用だよ、アーチャー」
振り返る事はしない。
今はそんな気分じゃないし、何より振り返ると何故だか負けた気がするからだ。
「お前は何故、聖杯戦争に参加する?」
「……さっきも言ったろ、成り行きだよ」
「例えそうだったとしても、行動には目的が必要だ。だからこそ聴いている。
聖杯戦争に参加すると決めた時、お前の心にあった物は何だ? お前は何の為に、聖杯戦争に参加すると決めたんだ?」
「……そんなの、俺の勝手だろ。何でお前なんかに……」
月の周りに漂っている薄い雲を眺めていると、あの男鼻で笑いやがった。
「安心しろ、オレとて別に聴きたい訳じゃない。……だが、あの場で聖杯を求める理由を口にしなかったのはお前だけだからな。戦略上仕方なく、だ」
……たしかに、遠坂と桜もその辺りの事を口にしている。食後の雑談の中で何かの拍子に喋ったのだ。
遠坂は“遠坂家の悲願だからとりあえず手に入れる”、桜は“聖杯自体に興味はない”。これだけでは判らないかもしれないが、その場に居た人達には納得出来るだけの答えを提示していた。
「俺は……」
だから、俺の目標を聴きに来るのもわかる。俺だけが、何も口にしていなかったから。
「———俺は、聖杯に叶えて欲しい願いはないんだ。ただ、聖杯戦争が終わった時、犠牲は少ない方がいいと思った」
今日は一段と風が強いのか、パンをちぎったみたいに立体感のある雲が、結構な速度で走っている。それも一つや二つじゃない。かなりの数が団体で押し寄せてきてるから、久しぶりに夜空を見上げた俺としては、かなり大迫力に感じられた。
「……それが理由か」
「ああ、みんなが幸せであれば良い。この世が平和であれば良い。……その為なら俺は、何だってする覚悟なんだ」
「————『何だって』と言うと、例えばこの町の人間の
「何でそうなるんだっ!」
思わず声を荒げてしまった。
手のひらに爪が食い込んでくる。知らず、眉間にシワがよる。
「そんなワケないだろバカっ。犠牲は少ない方が良いって言ってるのに、何でそうなるんだ!」
「『何でもする』と言ったのはお前だろう、衛宮士郎。それとも、さっきの今でもう忘れたか、マヌケ」
「マヌケはお前だバカ! この町の人達が犠牲にならない為に、何でもするって言ったんだ。お前の方こそ忘れたんじゃないかバカ!」
目に映るのは地面にだけ、中庭に敷かれた土だけだ。
……俺の目はもう、空を向いていなかった。
「————全てを救う事は出来ん。必ず何処かに綻びが出る。……そしてその綻びは、細かく
————誰かを救うという事は、誰かを助けないという事なんだ————
……アーチャーの言葉は、切嗣のそれによく似ていた。
「だからこそ大きく捉えろ。世界を救う為にはこの町の犠牲もやむなしと、割り切って考えるべきだ」
理由はわからない。
わからないけど、俺はこの時、アーチャーと俺との会話が、どこか噛み合っていない事に気がついた。
全然違う事について話しているのに、似たような例えで話すものだから、結果的に相手の話したい事柄を勘違いしているような……妙な違和感。
「犠牲を肯定しろ、衛宮士郎。より多くの人を救うというのが、正義の味方だろう」
だからきっと、この時の俺たちは、お互いが本当に言いたかった事に、最後まで気が付かなかったんだ。
◇◇◇
———襖の奥から声がする。
「何故それを聴くのですか、ライダー」
「あの男の事をサクラはいたく気に入っているようでして…………貴方のマスターの死はサクラにとっても不利益となりますから」
「だからといって、私の過去を詮索する権利など無い筈です」
「えぇ、確かに……それでも、聴いておきたいのです。貴方のマスターは英雄を否定する人では無いと、あの時に感じたものですから」
………………魔力を使えば気づかれる。だからここは古典的に、身体技術だけで気配を抑えなければならない。
———襖の向こうから畳を
身動きしたのがどちらなのかはわからない。
息はゆっくり。早くすると気配が漏れる。
膝を抱えてしゃがみこむ。重心は低い方が断然いいから。
「……私は“英雄を否定する事”を同じだと言った訳ではありません。勿論、“世界平和を馬鹿にした事”でもない。私が同じだと言ったのは“自らが否定したものを馬鹿にする事”なのです。
……私とて、世界平和が夢物語だと理解しているつもりです。マスターは過去に、世界平和を目指す事で取り返しのつかなくなった事例を見てきたのかもしれない。……ですが、だからと言って
例えマスターがどれほど正しい事を聖杯に願いたいのだとしても、私は、その過程をどうしても、受け入れる事が出来そうになかったのです」
セイバーの手のひらに食い込んだ爪の痛みさえ、想像出来そうな雰囲気だった。
「———よく、話してくれましたね。セイバー」
ライダーのかけた言葉がひどく優しく聞こえたのも、きっと間違いではないだろう。
そして、私はこれ以上を聞く必要もないだろうから、こっそりと撤退することを決めたのだった。
◇◇◇
「結局、桜に先を越されたワケか……」
自室の扉にもたれかかりながら、ひとりゴチる。
「あの
セイバーの部屋とライダーの部屋は襖で仕切られているだけだから、セイバーの事情を聴き出すのにこれ以上ない立地だと思う。
「まあ、思ったよりマシだったから、大丈夫かな。士郎のヤツ、仲良くなるのは大得意だし……」
士郎の問題は大した事ない。ならば、私が本当に気にかけないといけないモノはただ一つだけ。
「———桜は聖杯として調整されてしまっているから、どの道長くは生きられない。この聖杯戦争で
それ程に酷い扱いを受けてきたのだ。
私がそれに気づいたのは、既に手遅れになってから……
ズルズルと、扉をこすりながら座り込む。
今の私に出来るのは、
————士郎にだけはバレないように。