もしも、美綴綾子の迷言が、本当に伏線だったなら。   作:夜中 雨

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《第六話、間桐 臓硯》

 

 

 短刀を一閃、眼前に漂う“澱み”を切る。

 何歩か進んで、振り返って横一閃、纏わり憑いて来た怨念を切った。

 

 ———俺は、今洋館の中にいる。廊下の上に立っている。

 足元は赤い絨毯、右手には両開きの四角い窓。そこから、赤黒い夕日が俺の足元を照らしていた。

 目の前にはT字路があり、左右に分かれた廊下の先、左手の方が気持ちが悪い と感じた。

 ちょうど目の前、T字路の連結部に掛けられている油絵には拷問の様子が描かれている。

 ———ここは洋館の中でもかなり奥まったところとは言え、女を拷問している絵を飾る奴がいるという事でもある。

 左手を伸ばし油絵に触れると、女性の“想い”が流れてくる。それは決して、絵画の中の女の声ではありえない。

 現実に居た女性の声だ。

 ……この人は、油絵に描かれた()と現実の自分との区別すら、つかなくなったのか。

 

 右手の短刀に力がこもる。

 

 油絵を格子状に切り裂いて、左に曲がる事にした。

 

 ……マズい。

 何がマズいって、マズい。

 

 衛宮士郎にとって、この場所は鬼門だ。今はまだ、“聖骸布で作った袖”が俺の心を護っているが、それも時間の問題だろう。

 俺が身につけている“聖骸布の袖”というのは、真っ赤なコートの袖だけを切り取ったようなもの。それを制服の上から左腕に装着している。その材料は確か…………“聖バルバラの聖骸布”とか言ってたっけ?

 

 ————いいかい衛宮。この聖骸布はね、拷問のようなモノ、つまり“精神を犯し苦痛を与えるモノ”や“苦痛を与える事を目的とする悪意”に対する防壁として働くものよ。

 つまり、聖バルバラの聖骸布は“外敵からの攻撃から身を守る”のではなく、“外界からの悪意や侵食から心を守る”…………衛宮は精神防壁が無いんだから、肌身離さず持っておいてよ————

 

 その聖骸布を持ってしても止めきれない程に濃密な悪意と怨念。

 中央公園とはワケが違う。あそこのはただ、“無念”や“悲しみ”、“苦しみ”や“痛み”といった“漠然としたモノに対する残留思念”だった。

 でも、この屋敷にあるものは違う。

『私の嫌がる(さま)を笑っているのが怖い』、『虫が身体を這いずり廻るのがイヤだ』。そう、ここにある思念は全部、“怖い”“苦しい”と助けを求める声ばかりだ。

 

 ……こんなに近くで助けを求める人たちに、衛宮士郎は十七年間も気が付かなかった。それは、あの災害の夜に周りの人々を見捨てた事と、一体何が違うと言うのか。

 

 ———衛宮士郎に霊感はない。だが、俺には精神防壁が存在しないので、霊障の類いはかなり重く発症する。衛宮士郎が怨念の類いに触れてしまうと、怨念の思念に染まってしまうのだ。つまり、さっきの怨念の声は、“その場にいる時の衛宮士郎の思考”そのものだという事。

 この聖骸布を手に入れるまでは戦場におもむくだけで、鬱になったりPTSDを発症したりという事が日常茶飯事だった。もっとも、それを隠す事くらいは出来るから、気付かれる事はなかったが。

 

 衛宮士郎はまたひとり、助けを求める人を斬り捨てる。怨念と一緒に壁を這いずる虫も切ったが、アレも良くないモノだったから、捨て置いても構わないだろう。

 

 またひとつの怨念を斬り、またひとつの(よど)みを()つ。こんな作業は、本来なら魔術師には必要ないものだ。遠坂みたいな優秀な魔術師なら、魔術回路に魔力を通すだけで防げるようなモノでしかない。でも、その程度のモノですら防げないから、左腕の聖骸布は常に持ち歩いている必要がある。

 

 

 洋館の二階、地下へと繋がる隠し階段を覗き込みながら、衛宮士郎は歯噛みしていた。

 

 そこは暗い階段だった。灯りなどない洋館の一角、地下へと続く石階段。

 底は見えない。ただ暗がりへと続いているだけ。

 辺りを見渡すと豪華な調度品やら綺麗な絨毯(じゅうたん)やら……それらと比べて、あまりにもお粗末なデキの階段。

 

 ————何となく、判る。

 ここから先は次元が違う。これまで見てきた、この屋敷で斬り捨ててきた澱みや怨念が涼風(すずかぜ)に思えるほどに、澱み、(こご)っている。

 

 ———僕ならあんな事があった後に、学校になんて来れないけどね———

 

 ここにだけは居て欲しくない、けれど他の手がかりもない。結局、衛宮士郎には“この呪いの中に入る”という選択肢しか、存在しないのだ。

 ……だったら、刃物を振り回す事に意味なんてないのか……

 

「—————投影(トレース)完了(オフ)

 

 短刀の鞘を投影、納刀する。

 これより先は“斬る”とか“清める”とか以前の問題だ。

 踏み出せば異界、そう思うより他はない。斬り、突く、なんて密度ではなく、刃物など意味もない—————海の水を切ったところで、何も変わりはしないのだから。

 

 左手を手刀にして身体の真ん中に持ってくる。自らの正中線を護るように、ほんのわずかでも、俺の心が死なぬようにと……

 

 

 一歩踏み出すと発狂し、二歩目が出ると心が死ぬ……階段の下はそんな場所だ。

 しかし、心が死んだ人間を、見分ける方法など有りはしない。だったら、何も変わらないのと同じじゃないか。

 

 ———衛宮士郎に霊感はない。故に自分の状態がどうなっているかなど、判りようもない。

 だけど、今はそれが有り難かった……自分の全てを無視したままに、突き進む事ができるから。

 

 呼吸を整えてから、左足で、一段下る。

 

「———美綴、お前が何かを隠しているのかどうなのか、俺にはてんでわからないけど…………」

 

 どうか無事であってほしいと、思わずにはいられなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ……頭が痛い。

 

 頭痛までしてきやがった。怨念にあてられたのか澱みに呑まれたのか、どちらにせよ、体調は万全とは程遠い。

 

 俺がこの地下蔵に足を踏み入れて最初に思った事は“吐き気がする”って事だった。車酔いしたみたいになって、今では頭痛も発症している。

 

 ————衛宮士郎に霊感はない。つまり、俺の身体に現れる症状は一般人と同じものだ。

 足を踏み入れた瞬間に吐き気をもよおす部屋に踏み入った事はあるだろうか、空気を吸うだけで頭痛がする空間にいた事はあるだろうか。

 

 途轍(とてつ)もなく気分が悪い。蔵の中を這いずり回る虫とは別に、この空間そのものが衛宮士郎を侵しにきている。

 

 ……蔵。

 

 …………倉庫。

 

 ………………そこは、とてつもなく()()()()()空間だった。

 

 

 

「————良かった」

 

 けれど……

 

「—————美綴がいなくて、よかったッ!」

 

 ここには、美綴綾子の姿はなかった。

 それだけが、救いだった。

 

「——————————ッツ!!」

 

 …………そして、気づいた。

 俺は今、ピンチではないだろうか。

 

 この地下空間は石で出来ている。

 まるで巨大な岩盤をくり抜いたかのように継ぎ目の見当たらない石の壁には整然と、無数の“マド”があいている。当然、地下倉庫に窓を開けたところで、外など見えるはずもない。実際、この空間にある穴も死者を埋葬する為に使われているようだった。穴の中には数々の棺桶が入れられている。

 

 しかし、士郎がこの穴を“マド”だと認識したのには訳がある。士郎は解析魔術を使い、この空間の構造を調べたのだ。

 結果、この空間はさらに大きな空間の中にある檻のようなものだとわかった。

 ……ちょうど、もっと大きな空間の中に、窓穴の無数にあいた石造りの小さな部屋が仕切られてあるようなものなのだ。

 

 辺りを見渡す。

 マドの外、暗闇の向こうは見通せない。

 

 …………構造としては尋問室か実験場か……この場合意味するのは、二者間に圧倒的な有利不利の差が生まれているという事。

 人間は地下蔵のマドを自由に行き来出来ない。大きさ的には通れなくもないが、通る為には身をかがめたり飛び上がったりしなければならない。一方、辺り一面に蠢めいている虫たちは、マドを自由に行き来できるのだ。

 

 この差は大きい。

 

 虫たちが今、俺を襲おうとした場合、このマドは俺を閉じ込める檻としてのはたらきを見せるが、俺が虫たちを殺そうとした時、このマドは俺の動きを制限する足止めとしてはたらく筈だ。

 虫は簡単に通れるが人間には通りずらい、無数にあいたマドの穴。

 この空間は、虫たちにとっては最高の狩場となるだろう。

 

 ———今襲われたなら、()して生きては帰れない。

 

 制服のベルトに挟み込んでいた短刀を抜き放った。

 腰を落として周りを警戒する……が、一向に襲われる気配もなしだ。

 もっとも、この虫たちが襲う気だったなら、俺はすでに死んでいるだろうが……

 

 キイキイキイ……と音がする。床を這いずる虫の声だ。

 仲間に何かを伝えたかったのか、一部の個体が激しく身をよじらせたかと思うと…………全く、動かなくなった。

 

 ————虫の声も聞こえない。

 

 

 

 

 …………ここは唯、静寂が支配していた…………

 

 俺は不用意に動けない。

 虫は何故か動かない。

 

 俺が一方的に警戒していると———俺の魔力が持って行かれた。

 

「————なっ!」

 

 虫に喰われたかっ————と思って見渡しても、俺の魔力が虫たちに流れている様子なない。こう見えても魔術師の端くれだ、目の前で魔力を引っこ抜かれたら流石に判る。

 

「虫じゃないとすると…………セイバーか!」

 

 確かセイバーは俺と魔力のパスが繋がっているって言ってた筈だ。つまり、俺とセイバーは使い魔の契約で結ばれている。セイバーが魔力を大量に消費する事態に陥ったなら、俺から魔力を引っこ抜く羽目になる。

 

 マズい、セイバーが戦闘している! 

 

 石階段を駆け上がる。

 石段。周りの石壁に沿うように、ぐるりと存在するそれの最上段、地下蔵の天井まで上がった時、綾子の事を思い出した。

 

 とっさに立ち止まり、蔵の中を見渡して、美綴綾子の姿を探す。

 

「—————いる筈もない……か」

 

 さっき散々探した後だ、床にへばりついている虫も蹴散らして捜索した。この空間の中には居ない————居るとするなら、それは……

 

 

「…………これが終わったら美綴の家に行って、病院にも行ってみる」

 

 決意する。

 そこにも居なかったなら、もう一度—————

 

 

 地下蔵から顔を背けた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 言葉にするなら、それは嵐のような剣戟だった。

 

 たった二人、たった二振の剣戟が、暴風のように思えてくる。

 

 冬木大橋の近くにある、海浜(かいひん)公園。夜に覆われたレンガの上で、二騎のサーヴァントは闘っていた。

 どんな経緯で彼女がここに居るのかなんて皆目見当もつかないけど、その嵐のような剣戟は、やっぱり、見惚れるほどに綺麗だった。

 

 ———後になって思い返せば、俺が見惚れたのは“セイバーの剣の上手さ”に、ではなかったと思う。

 確かに、セイバーの剣は“上手な剣”ではない。極限まで無駄を省いた“達人の剣”でもない。本当に上手な達人は、もっと簡単に剣を振り上げ、もっと上手に相手をいなす。

 だからきっと、俺が綺麗と思ったモノは、もっと別のモノだったのだと、後になってから思ったのだ。

 

 この時俺は、最後までずっと傍観していた。自分の名誉の為に言っておくが、別に気後れしたわけでも、怖れをなしたわけでもない。その必要を感じなかったと言えば言い訳に聞こえるかもしれないが……確かにこの戦闘に、俺の入り込む余地など欠片もなかったんだ。

 

 ———鈍色の巌のような大男と戦っていたセイバーの元に、アーチャーとライダーが、助けに来たとこだったから。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「アーチャー! ライダーを引っ張ってここから離脱! 見張っておきなさい!!」

「————了解した。マスター」

 

 こちらを振り返ろうとするライダーをアーチャーが強引に引っ張っていくのを魔力と気配で確認して、目線は奴から逸らさないまま、魔術刻印に魔力を通した。

 

 ……ここまでは奴の思い通りだろう。とはいえこの状況では、そうする他に無いのだが。

 

「ふむ……流石は遠坂の秘蔵っ子、と言ったところか」

 

 表情のない、顔。

 

「とっさの場面でも、戦況の把握が出来るとは……」

 

 鉄面皮であるワケではなく、シレっとしていて感情が読めない、澄まし顔。

 

「———だが、既に必要なモノは手に入れた。どれ、ここで“手打ち”にする気はないかな?」

「冗談! …………諦めるワケないじゃないっ」

「そうは言うがな遠坂嬢。ほれこの通り、桜はワシの手の内にある。お前さんの負けじゃ」

 

 カカカッと笑う、若草色の着物の老人。

 顔はしわくちゃで髪の毛も無くて、杖をつかないと歩けないほどに腰も曲がっているけれど、私にとってはこの老人が、とてつもない強敵だった。

 それはこの老人が魔術師だから————ではない。その程度で苦戦する程、遠坂凛はヤワじゃない。

 

 理由はひとえに、桜が人質になってるからだ。

 

 衛宮邸の中庭の地面から、うじゃうじゃと出て来る蟲、蟲、蟲。

 士郎のお父さんが仕掛けてあった、外敵を(しら)せる“魔術鳴子(まじゅつなるこ)”も鳴りっぱなしだ。

 

 解ってるわよ! ここに侵入者がいる事ぐらい。目の前に蟲のジジイがいるんだし、そんな事、とっくの昔に気づいてる。

 

 

 

 

 ———この戦いは、始まる前から負けていた。

 

 最初の異変は莫大な魔力反応だったのだ。冬木大橋の方からやって来る未知の魔力反応、それが殺気を振りまいているともなれば、セイバーを止められる者はいなかった。

 マスターである士郎がまだ帰ってない状況では力ずくで抑えるワケにもいかなくて、結局は放流したのだけど、セイバーはその魔力に向かってすっ飛んで行ったのだけど、良かったのか悪かったのか………………襲撃は、一瞬だった。

 気付いた時には負けていた。

 

 突然、居間に座っていた桜が痙攣した、と思った瞬間———

 私は、彼女をつき飛ばすことに成功していた。

 そのお陰で、いつの間にか湧いてた蟲から、桜を遠ざけられると思ったのに……

 家の中で襲撃されたら一先ず外に出る事が、一つのセオリーになっている。だから私は、桜を外につき飛ばしたのだ。居間の扉を突き抜けて、中庭へと桜を飛ばした。

 とっさに震脚を使ったけど、衝撃は身体を貫通させた。桜に外傷はないはずだ。

 対応も完璧に近いモノだった。

 

 …………なのに、

 

 私は、桜を護ると誓ったのに……

 

 カランカラン、と鳴子の音を聞いた時には、全てがもう手遅れだった。

 桜が息を呑む音と、キイキイという蟲の鳴き声。

 

 ————間桐桜は、間桐臓硯に捕まっていた。

 

 

 

 現在は、衛宮邸の中庭で一対一。

 時刻は夜、向かい合って対峙している。

 

 奴の蟲は私に効かない。結界を張っているからだ。近付いてくる蟲を全部、燃やすように設定してある。

 

 私の魔術は放てない。桜が人質になっているから。私の魔術は直接攻撃が主だから、射線上に桜がいると撃ちにくくなるのだ。

 

 人質とはいっても、よくドラマなんかで目にするように、背後から手を回して首に———てな感じではない。地面からポコポコ出てくるキモい蟲、手のひら大のソレが連なって桜を空中に縫い付けているのだ。位置はハゲジジイの正面、私が直線に魔術を放つと必ず桜に当たる位置。

 こうしている間にも蟲は増え、桜の身体をよじ登る。

 

 ……すでに、膝から下は完全に見えなくなってしまった。

 

 何をされたのか知らないが、桜の目には光がない。薄く目は開いているのに、その()に生気が感じられない。

 

 私は一体、どうしたら……

 

 桜を取り戻す術はある…………けど、ソレを仕掛ける隙がない。

 状況は、膠着(こうちゃく)していた。

 

「いやはや大したものよ、未だに勝つ気でおるとは……」

 

 時間稼ぎのつもりか、臓硯は話しかけてくる。

 

「先程、ライダーを遠ざけたのも……ワシが桜の令呪を使える可能性に思い至ったからじゃな?」

 

 …………燃やす、燃やす。

 近付いてくる蟲達をただ丁寧に燃やしていく。そうする事で遠坂凛は、臓硯の言葉に惑わされないよう、己を律していた。

 

「ワシもな、桜には自由にしてもらいたかったのだ。衛宮の倅と仲良くやりたいならそうすれば良いとな。

 ……だが、残念ながら状況が変わってしまってな。至急、桜を回収せねばならなくなった」

 

 ライダーを呼び戻す事は出来ない。臓硯が令呪をどう使うのか判ったものではないからだ。

 だからこそアーチャーを付けた、ライダーの監視と臓硯への抑止力として。令呪を使うために桜に干渉するのなら、その隙にお前を滅するぞ、と牽制する必要があったから。

 

「—————美綴綾子」

 

 一瞬、身体が緊張したのがわかった。多分、指先がピクッと動いてしまった、気がする。

 

 ———臓硯が、笑った。

 

 カッカッと、とてもとても愉快そうに。

 臓硯はアゴを上げていて、その顔色がよく見える。

 

「おおぅ、怖い怖い。そう睨まれると、この老体が竦み上がってしまいそうじゃ」

 

 アゴを下げ、顔を伏せる。その表情が影になった。

 

「あの小娘の相手をするには、この老体では荷が勝ちすぎるのでな。やはり、桜には協力して貰わねば……」

 

 …………マズい。

 マズいと判っているのに、打開策が浮かばない。

 時間が経てば経つほど、桜の状況は悪くなるばかりだ。

 

 桜は、もう腰まで蟲に埋まっている。

 ……不自然に、痙攣している。

 猶予などないというのに…………私は、どうすれば!? 

 

 痺れを切らして、ガントを放とうと指先に魔力を溜めた時…………私の魔力が霧散した。

 

「———なっ—————ッ!」

 

 確認するために右手を覗き込もうとして…………首が動かないのを、知った。

 

「—————やれやれ、やっと効いたか。並みの魔術師ならば5秒もあれば落ちるというのに……」

 

 90°傾いた視界の中で、臓硯の奴がため息をついた。

 ……いつの間にかこけている。

 倒れた時の衝撃も無かった。つまり、触覚も死んでいる。

 

「安心すると良い。その毒はお前さんの身体(しんたい)を傷つける類いのモノではない。

 そもそも、魔術刻印を持つ魔術師に対して、その体を害する毒が効果を発揮する事などないからな。魔術刻印は、己が所有者の身体(しんたい)を害する、あらゆるモノを受け付けない」

 

 臓硯が、こっちを見下しながら喋り出す。

 

 …………こいつ、わかっていながら! 

 

 ———確かに、今の臓硯には私の魔術刻印を押し切るだけの“神秘の深さ”も“魔力量”も無いだろう。それがわかっていて、なお毒が効いたというのなら、この毒は魔術刻印に弾かれない“巧妙な毒”だってコト。

 

 でも…………こんな話をすることに意味なんてない。

 コイツはただ私を見下し、桜を見せつける為だけに、まだ此処にいる! 

 

「冗談じゃないわよ……」

 

 死なせたくない。

 苦しんで欲しくない。

 あの時、綾子のヤロウに無理矢理戦場に放り込まれて、やっと、私たちはもう一度出会う事が出来た。

 

 ……不意な事から、桜の受けた苦痛を知った。その時に、桜を護ると決めたのだ。

 

 今度こそは絶対に、と……

 

「———私は、まだ、何もしてない……」

 

 ……指先が、やっと動いてくれた。

 

「———私は、桜の姉さんなのに……」

 

 その感覚、指先の感触を基点にして、左手を地面に固定する。

 指先は地面に触れた。手首の感覚はないけれど、目で見る限り、ちゃんと地面に付いている。

 

「———まだ、あの娘に何もあげてない!」

 

 ……後は、腕を一本の棒のように使えばいい。手首を支点にして、ワイパーのように腕を使って上体を起こす。だからッ—————

 

「———桜は絶対、アンタなんかに渡さない!」

 

 ……最後まで、間桐臓硯は動じなかった。私を見下ろしたまま、ずっと……愉しそうに笑っていたのだ。

 

「————ふむふむ、娘にしては、えらく大した意気込みじゃ。だが、その体では何も出来まい」

 

 そして、チラっと桜を見てから、大爆笑を始めやがった。

 “呵々大笑(かかたいしょう)”という言葉は、こういう時に使うのだろうか…………それはそれは愉快で愉快でたまらない、という風に上を向いて、笑い声の嵐を放っていた。

 

 —————とても、痛かった。こんなに悔しい事なんてない。

 どうしても助けたい人が目の前にいて、苦しんでいるのに何も出来ない。そんな自分が不甲斐無かった。でも………………いや、“だから”と言うべきだろうか。

 

 だからこそ、その時の私は視野狭窄に陥っていて、周囲の変化に気が付かなかったのだ。

 周囲の変化に、ついて行けなかったのだ。

 

 

 

 桜の周りを這いずって、アリ塚みたいになってた蟲が————爆発、炎上した。

 

 そう、それは突然に訪れた。

 

「なっ—————————ッ!!」

 

 臓硯のそれは声にもならず、その対応は後手後手だった。

 臓硯の左手、杖をついてない方の手を桜に向ける。いや、桜の周りの蟲に向けたのもしれない。とにかく、桜の方に向かって突き出した手のひらを、握りこむ。

 

 ———しかし、何も起きない。

 

 燃えた蟲はのたうちまわる。

 そして、臓硯の命令には反応しない。

 やっと気付いたらしい臓硯が、後ろに飛び退(とびしざ)ろうとして———爆散した。

 彼の頭部が。

 さらに、衝撃から顔を仰け反らせ、たたらを踏む臓硯の、胸から上が吹っ飛んだ。

 

 

「……………………………………はっ?」

 

 私の頭がフリーズしていたと気付いて、ここは戦場だと思い出したのは、臓硯の立ち位置からいくらか離れた中庭の端っこ、土蔵の入り口のところまで、何者かに移動させられた後だった。

 

「ま、焼夷弾程度だと燃やしきれないよねー」

 

 私の後ろで響く声。

 振り返ってみると、そこには————

 

「慎二! アンタなんでここにいるのよ!?」

「なんでとは心外だなぁ、遠坂。命の恩人に対してその口の利き方はないんじゃない?」

 

 ニヤッと、私の嫌いな笑い方をする、間桐慎二がそこにいた。

 






次回、Fate/stay night[Destiney Movement ]

———第七話、間桐 慎二
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