扶桑の兄妹外伝~ブレイブウィッチーズ 佐世保の英雄の弟妹~   作:u-ya

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ストパン世界のホ103は、12.7mm×99弾を使用できそう。


第7話「ペテルブルグの日常」

オラーシャにおける人類連合軍とネウロイの戦いは、あまりの酷烈さ故に“魔女の大鍋”と呼ばれている。

土地の広大さと過酷な環境は将兵達の士気を削ぎ、蠢く無数のネウロイは空陸双方から侵攻してくる。多くの犠牲と損耗の上に、東欧の防衛線は維持されているのだ。

それは、連合軍東部方面総司令部西オラーシャ方面司令部直属の航空ウィッチ部隊――第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』が基地を構えるペテルブルグ方面も例外ではない。

故に、502にはオラーシャの激戦を潜り抜けたウィッチ達が多く所属している。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年4月、ペテルブルグより南方の戦闘地域――

 

「メディ~ック!」

 

鬱蒼とした針葉樹林の中から誰かの叫び声が漏れ出ていた。

女性にしては低めの声音は、扶桑皇国陸軍の陸戦ストライカー――九七式中型装甲脚“チハ”を駆る陸戦ウィザードの耳にも届いていた。

 

「だから、俺は衛生兵(メディック)じゃないっつーの……」

 

不愉快そうに呟いた陸戦ウィザード――雁淵輝准尉は、樹林へ向かって走る。

ありがたいことに。“チハ”に搭載された魔導エンジンが出力の上昇と共に唸り声を上げ、針葉樹林から聞こえてくる耳障りな声を掻き消してくれた。

林に入って間も無く、木に背中を預けて地べたに座り込んでいる人影を認めた。

 

「お?衛生兵のお出ましだ。こっちこっち♪」

 

対する人影も、自分に近付いてくる輝に気付いた。ニヤニヤしながら手招きするのはヴァルトルート・クルピンスキー中尉。カールスラント空軍第52戦闘航空団――JG52――から502に派遣されているエース級のウィッチだ。

170cmの身長に短めの金髪や中性的な顔立ち、低い声から一見すると小麦色の肌をした美男子のようだが、彼女は歴とした女性である。

 

「俺は衛生兵じゃない、装甲歩兵だ」

 

笑顔を向けるクルピンスキーに対し、駆け付けた輝は仏頂面で訂正する。

扶桑皇国陸軍東欧方面軍から第502統合戦闘航空団へ派遣され、同部隊直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊に所属している輝は、ネウロイと戦闘の後に墜落したクルピンスキーの救出と彼女のストライカーユニットの回収に赴いていた。

損傷した『Bf109―G6』とMG42が、カールスラント空軍中尉の傍らに無造作に置かれている。

 

「輝く~ん、どうしよう♪僕の腕がないよぉ♪」

 

背中に片腕を隠し、クルピンスキーは尚もおどける。彼女は哨戒飛行中に中型ネウロイと遭遇していた。基地に一報入れた後き単機で応戦・撃破したものの、ネウロイは中々に手強かったらしい。固有魔法の『マジックブースト』を多用した無茶な戦闘が祟り、ストライカーユニットを中破させてしまう。

報告によれば、そのまま飛行手段を失い、針葉樹林へ頭から落下したとのことだが、木々や地面と接触する際にシールドを張って身を守ったらしく目立った外傷は見当たらない。

 

「後ろのかくしているそれがお前の腕だよ。アホ」

 

輝はにべもなく応じる。本来なら上官で年長者でもあるクルピンスキーには敬語を使うべきだが、ウィッチ部隊特有の自由な空気や規律の緩さ、彼女に対する輝の心象の悪さ等の理由からタメ口――むしろ悪態に近い言葉遣い――で話している。

 

「つれないなぁ……よっと!」

 

クルピンスキーは尻を持ち上げ、ボロボロになった制服やタイプ様の重ね履きズボンに付着している埃を両手でパンパンと払った。

凛と背筋を伸ばして立ち上がったカールスラント空軍ウィッチ。175cmの長身を見上げた輝は、改めてクルピンスキーのスタイルの良さを実感した。

スラリと伸びた手足、小麦色の綺麗な柔肌、下から制服を押し上げる豊かな胸、髪と同色の澄みきった瞳。紳士然とした端正顔立ちも相俟って、まさに“男装の麗人”と形容するに相応しい。

凛々しく、美しい容姿は――黙っていれば――男女問わず人々の心を掴み、魅力することだろう。

 

「ん~!……ねぇ輝くん、ブドウジュース持ってない?」

 

両手を高く上げ、背伸びをしながらクルピンスキーは訊ねる。しかし、輝は口を利く気はないと言わんばかりに顔を背けてしまう。

扶桑陸軍ウィザードの態度にクルピンスキーは「やれやれ」と肩を竦めるも、彼女から憂いはまったく感じられない。

 

「お~い!中尉は見つかったか?」

 

ふと背後から声がした。輝が振り返ると、カールスラント製の陸戦ストライカーユニット『III号突撃装甲脚G型』を脚に装着した回収中隊隊長の姿があった。スオムス陸軍大尉――アウロラ・エディス・ユーティライネンだ。

透き通るような白肌に銀色の髪。アウロラの外見的特徴は、クルピンスキーとは対象的だった。身長が172cmもあり、クルピンスキーに及ばないながらも、女性の基準で言えばかなりの高身長である。

アウロラの後に続くようにして、回収中隊に所属するスオムス陸軍の兵士達が樹林に侵入する。2人の長身女性と野戦服姿の屈強な男性数名に囲まれた輝は、大型動物の群れに紛れ込んだ小動物のようだった。

 

「はっ!」

 

輝は扶桑陸軍式の敬礼をして応じると、回収作業中の周辺警戒に回るため、樹林の外側へ移動していった。

樹林の外周では、レーヴェシュライホ少尉を含む数名のスオムスウィッチが哨戒兵よろしく監視の目を光らせている。

 

「女の子だったら絶対ほっとかないのに……」

 

早歩きで自分から離れていく輝の後ろ姿を見て、クルピンスキーは口惜しそうな声音で独り言ちた。

 

「あ~……ブドウジュース。しばらく飲んでないなぁ~……」

 

「ヴィーナで良ければあるぞ?」

 

そう言って、アウロラは年季の入ったスキットルをクルピンスキーの鼻先に差し出す。

回収中隊の中隊長は、作戦行動中――しかも、自分が指揮官だというのも構わず、腰からスキットルをぶら下げていた。吐き出す息が酒気を帯びているのは、移動中に何度も飲酒をしていた証拠である。

スキットルの中身は、アルコール濃度35%の蒸留酒――ヴィーナ。アウロラ曰く水だそうだが、もちろん嘘だ。

かといって、オラーシャの戦場を甘く見ているのでもなければ、不真面目なわけでもない。

これが彼女――アウロラ・エディス・ユーティライネン大尉のやり方。流儀なのだ。

 

「おっ!嬉しいねぇ♪ありがたく頂くとしますか♪」

 

クルピンスキーはスキットルを受け取るなり、中身のアルコールをゴクリと喉へ流し込む。

飲み干さんばかりの勢いに、一口だけ分けるつもりでいたアウロラは苦笑する。

正直、一気飲みはあまり行儀が良いとは言えない。クルピンスキーのような目麗しい女性がやっているから気持ちよく見ていられるが、むさ苦しい髭面の兵隊がやると見苦しい思えてならない。

 

「ん~♪スオムス産の蒸留酒も悪くないね♪」

 

中々に美味な蒸留酒で喉を潤し、クルピンスキーは満足げな声を上げる。

アウロラとクルピンスキー。酒好き同士でもアルコールの耐性には大分差が出るらしい。

ヴィーナの酒瓶を数本空けても白磁の如き肌を保っているアウロラに対し、クルピンスキーはスキットル半分もない残り酒だけで頬に紅を灯している。

同様に酒の影響で艶かしく潤んだ瞳も相俟って、クルピンスキーは“男装の麗人”から扇情的な雰囲気を醸し出す“妖艶な美女”へガラリと印象が変わっていた。

 

「ところで、どうなんですか?」

 

「……何がだ?」

 

クルピンスキーは、中身を飲み干したスキットルを返しながら持ち主に訊ねる。

一方。持ち主ことアウロラは、スキットルが軽くなって戻ってきた事実に悄然としていた。

曖昧な質問が理解出来なかった回収中隊指揮官は、悲しげな眼差しを空になったスキットルへ落としながら問い返す。

 

「もちろん、輝君のことですよ。扶桑陸軍から派遣されてきた陸戦ウィザードの仕事ぶりや実力はいかがなものでしょうか?」

 

「答えに困る質問だな」

 

と、アウロラは難しそうな顔をして己の顎を撫でた。輝が扶桑皇国陸軍戦車第2師団ストライカーユニット回収中隊に転属してきて、まだ1週間ほど。彼の実力や人間性に正当かつ正確な評価を下すには、まだまだ情報不足している。

装甲歩兵としての雁淵輝准尉が戦力外でないことは確実だろう。実際、機体性能の劣る九七式中型装甲脚“チハ”で、スオムス陸戦ウィッチの精鋭たるアウロラ達に引けを取らぬ働きをしていることが、何よりな証拠である。

資料によると『協調性に欠け、独断専行等の問題行動が目立つ』そうだが、少なくとも今のところは素直に命令に従っている。

例え、書類に記されている通り輝が素行に問題のある悪童だったとしても、人間性は悪くないとアウロラは胸を張って言えた。

502部隊司令のグンドュラ・ラル少佐や教育係のエディータ・ロスマン曹長がそうであるように、アウロラもまたベテランの魔女である。人を見る目には大いに自信を持っていた。

根拠は彼女自身の見立ての他。アウロラの実妹の親友で、スオムス空軍曹長――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。通称“ニパ”が、輝に心を許しているのも大きく関係している。

最近は目立たなくなってきたが、生来ニパは人見知りする性格だ。そんな彼女が、知り合って間もない異性相手に、親しくなろうとアプローチをかけている姿が度々見られる。

ニパにそうまでさせる何かが、雁淵輝にはあるということか。

 

(さてはニパのやつ、生意気に色気付いたのか?)

 

質問の回答を退屈そうな表情で待っているクルピンスキーを余所に、アウロラはククッと笑みを噛んだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数時間後、ペテルブルグ・第502統合戦闘航空団基地――

 

ウィッチの救助とストライカーユニットの回収作業を終えたアウロラ率いる中隊は、帰路においてネウロイと遭遇することなく、無事ペテルブルグへ帰投していた。

愛機を規定の場所へ格納すると、輝はスオムスウィッチ達の会話に混ざることもなく、足早に格納庫を去っていった。

 

「ふぅ…………」

 

基地の埠頭までやって来た輝はその場に座り込み、制服のポケットから軍用タバコとオイルライターを取り出した。咥えたタバコの先端に火を点け、紫煙を燻らす。

前線の兵達は当然として、作戦会議で渋面を突き合わせる将軍達、次々と入る戦況報告に一喜一憂する役人や政治家達の中にも喫煙を嗜む者は多い。

ヨーロッパ大陸の殆んどを異形の軍勢に占領され人類は、来るべき反攻作戦に備えての戦力増強と、拠点の確保・防衛に心血を注いでいる。

タバコの紫煙は人体にとって有害であると同時に、過酷な現状にて未曾有のストレスを軽減してくれる慰めとなるのだ。

 

「………………」

 

無言のまま輝は虚空を見つめる。その瞳には疲労の色が滲んでいた。

彼がアウロラの中隊に配属されてからまだ1週間ほどだが、ウィッチ救助と彼女らが駆るストライカーユニットの回収任務は毎日のように行われていた。

502部隊は激戦区を担当しているだけあって、ストライカーの損耗率が非常に高い。ペテルブルグにお“ブレイクウィッチーズ”と揶揄されている3人組――ヴァルトルート・クルピンスキー中尉、管野直枝少尉、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長――は特に際立って高いため、同隊で戦闘隊長を務めるアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉は頭を悩ませている。

東部の最前線は、時に補給も儘ならなくなるような厳しい戦場。ここまで頻繁にストライカーユニットを壊されては堪ったものではない。高い金を払って製造している兵器であり、紙飛行機ではないのだ。

そして、ストライカーユニット回収中隊もまた、空陸のネウロイを警戒しつつペテルブルグとウィッチの墜落地点を往復しなくてはならない。

暖かい時季ならまだいいが、冬は勘弁願いたい。ネウロイに溢れた極寒のオラーシャは、移動するだけでも命懸けだ。

この広大なオラーシャの地で異形共と戦い続けて、もう3年になる。まだ輝が航空歩兵だった本大戦初期。扶桑陸軍欧州派遣部隊の主力は、カールスラント軍をはじめとする連合軍に追従する形で、オラーシャまで撤退してきた。

最初こそは、季節による気候変動の激しい扶桑よりも遥かに環境の厳しい地獄とさえ思っていた。しかし、悪いことばかりではない。9月から4月初めのムルマンスク方面では、扶桑には無い美しいオーロラが見られる。

出来ることなら佐世保の家族を呼び寄せて、一緒にオーロラ見物に行きたい。一瞬、輝は本気でそう思ったものの、すぐにいいや、と頭を振った。

あの家に――家族の中に自分の居場所などは最早存在しない。

両親は出来の良い姉を心から愛しているが、半端者の長男である自分のことなど、おそらく歯牙にもかけてない。

輝は父――雁淵浩平が苦手だった。無口無表情で何を考えているのわからない父の視線は何処か冷たく、息子であるはずの自分を蔑んでいるように思えてならなかった。

歳を重ねるごとに姉への嫉妬心と劣等感は増していき、姉弟の仲も険悪なものへと変わってしまった。

やがて輝は、自分が家の中で孤立していると感じるようになった。彼の目には姉の孝美はもちろん、天真爛漫な妹のひかりまでもが、自分以上に両親に愛されているように映っており、それが一層疎外感を強めた。

優秀な姉と比べられること。そして、家族と顔を合わせることに堪えられなかった輝は、陸軍へ入隊した。海軍航空ウィッチを志した姉や妹、無線技士として針尾送信所に勤める父から逃げるように……。

 

「雁淵くん!」

 

1本目を吸い終えようとしたタイミングで、背後から弾むような声が聞こえた。振り返ると、ニパが息を切らしながら走ってくる様が見えた。

頬を薄く染め上げ、スオムスカラーのセーターに包まれた膨よか胸を揺らして駆ける姿は、14歳の少女とは思えないほど扇情的に映る。思春期の男子にとっては目の毒だ。

 

「カタヤイネン?」

 

「帰投した、って聞いたのに……格納庫にいなかったから探したよ……」

 

膝に手を置き、やや前屈みの姿勢でニパは呼吸を整える。

“ブレイクウィッチーズ”の一員でもある彼女は、“ツイてないカタヤイネン”の異名で知られる凄まじい不幸体質の持ち主である。

他の2人が無茶な戦闘が祟ってストライカーを損傷させるのに対し、ニパの場合はただ飛行するだけでも墜落するという不運に見舞われていた。

ネウロイが現れずとも、天候が良好であっても、整備が万全であっても、ニパ本人やストライカーユニットのコンディションに問題が無くとも、何かしらの――常識的にあり得ないものも含めた――原因で機体が不調を起こし、日々墜落の憂き目に遭っている。

幸いにも、今日ニパは墜落することはなかった。そもそも魔導エンジンの不調で発進出来ず、飛行すら出来なかった。しかし、彼女に代わって哨戒任務に従事したクルピンスキーが墜落するとは……。

 

「お疲れ様。はい、これ!」

 

今日も回収中隊の一員としての役割を果たした輝を労いつつ、ニパはリベリオン製チョコレートの包みを手渡す。

 

「チョコレート?」

 

「タバコなんかより、こっちの方がいいでしょ?」

 

「よく手に入ったな」

 

怪訝そうな輝は受け取った包みを持ち上げ、矯めつ眇めつ眺めた。

最前線で戦う兵士にとってタバコ、酒、アメやチョコレート等の甘味類は何物にも耐え難い嗜好品である。補給で賄える量は限られており、奪い合いに発展することも珍しくない。

殊に、ここペテルブルグでは前述の“ブレイクウィッチーズ”の件もあり、ストライカーユニットの予備パーツ補充が何よりも優先され、嗜好品の補給は後回しになっている。

 

「へへ~ん♪スオムスの仲間がこっそり送ってくれたんだ♪」

 

ニパは自慢気な口調で説明すると、歯を見せニヒッとて笑った。

 

「みんなには内緒だよ?」

 

唇の前に人差し指を立てて念を押したニパは、輝の隣に腰を下ろしてからチョコレートの包みを開封する。

 

「ん~♪」

 

チョコレートを一口頬張ると、ニパは満足そうに喉を鳴らす。

久しぶりの甘味に舌鼓を打つ彼女の横顔はなんとも幸せそうで、見ている側を気持ち良くさせる。

 

「この為に俺を探してたのか?」

 

頂きもののチョコレートを味わいつつ、輝は意外そうに訊ねた。

 

「そうだけど?」

 

ニパは平然と応じる。知り合ってからというもの、ニパは何かと輝に構ってくる。暇されあれば世間話――大体はツイてないことに対する愚痴だが――を振り、今みたいに菓子を差し入れてくれる。

親しくしてもらえるのはありがたいが、何故ニパがここまでしてくれるのか。輝にはまったく分からなかった。

 

「もしかして、チョコレート嫌いだった?」

 

輝に渡したチョコレートが殆んど減ってないことに気が付き、ニパは不安そうな表情で訊ねる。

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

頭を振って否定すると、輝は再びチョコレートを口に運んだ。

確かにチョコレートの甘さは、タバコとはまた違った形で疲労とストレスを緩和してくれる。大昔の人々は、甘いお菓子ではなく薬としてカカオを摂取していたとのことだが、納得である。

やがてチョコレートを食べ終えた輝は、口内に甘ったるさが残っているのも構わずに2本目のタバコを咥え、火を点けた。

 

「また吸うの?」

 

紫煙と共に漂ってくる嫌な匂いにニパは顔を顰める。どうやら彼女はタバコが好きではないらしい。

 

「身体に悪いよ?」

 

「そんなの俺の勝手だろ……」

 

輝はネヴァ川に視線を向けたまま、ぶっきらぼうな口調で応える。

尤も、輝自身タバコを美味いと感じたことは一度もない。吸い続けているのは、単にニコチン依存症となっているからだ。

健康的によろしくないとはいっても、即ちに何かあるというわけでもない。当分、禁煙するつもりはない。

 

「もう……」

 

可愛いくない返事に、ニパは唇をへの字に曲げて見せた。

輝は女の子と見間違うほど目麗しい容姿をしているが、それとは裏腹に口が悪く、少々やさぐれている。見た目は良いのに性格で損するタイプだ、とニパは思っていた。

 

「分かった分かった。他所にいくよ」

 

あからさまに不機嫌な顔をするニパにウンザリした輝は、立ち上がって埠頭から出ていこうとする。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

立ち去ろうとする輝の手を、ニパは咄嗟に掴んで引き留める。扶桑陸軍ウィザードは少しだけ驚いたのか、咥えていたタバコを足元に落としてしまった。

 

「何だよ?」

 

「あ―…………」

 

呼び止めたはいいが、その後のことは完全にノープランだった。険しい表情をする輝を見て、ニパは固まる。

 

「用が無いなら――」

 

「あるある!用ならあるよ!」

 

ニパは必死に食い下がり、尚も立ち去ろうとする輝の腕にギュッと抱き着いた。

 

「――っ!?」

 

北欧系の美女にしがみ付かれ、今度は輝が真っ赤になって固まる。

セーター越しとはいえ、年齢不相応に豊かに育ったたわわな果実をグイグイと押し付けられ、扶桑陸軍ウィザードは陸に打ち上げられた魚のように口はパクパクさせる。

 

「良かったら、その……私と一緒に基地を回らない?」

 

そう問いながら、ニパは離してなるものかと腕に力を込める。

それはまるで、気になる相手を必死にデートに誘う恋する乙女のようだった。

 

「えっ?」

 

「ほら、雁淵くんが来てから……ずっと慌ただしくて……ちゃんとした基地の案内とかまだでしょ?」

 

ニパの言う通り、輝が着任して――正確には4月に入って――からネウロイの襲撃が大幅に増え、当基地については最低限のことしか説明されていなかった。

「別にいいけどさ。いい加減離せよ……」

 

「えっ?……あっ!」

 

輝に言われて、漸くニパは彼の――異性の腕に抱き着くという自らの大胆極まりない行為を自覚する。

指摘されるまで、ニパはそのことに全く気付いてなかった。今からながら羞恥心が込み上げ、顔がカァッと熱くなる。

 

「………………」

 

「………………」

 

ウブな少年少女2人は、揃って赤面した顔を足元に向ける。

 

「青春だねぇ♪」

 

いつからいたのか。2人の可愛らしいやり取りをアウロラは遠目に眺め、ヴィーナの酒瓶を呷りながら楽しげに呟いていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

十数分後、502基地内――

 

ニパの案内の下、輝は基地のあちこちを見て回っていた。

基地本部前に建つ記念碑。カールスラントの主力高射砲『88mmFlak36』が備えられた基地の堡塁。兵士が詰める防空監視哨。ウィッチ達が銃火器の扱いを学ぶ射撃場。毎日ブリーフィングが実施される作戦会議室。輝も部屋を借りている宿舎。デスクワーク中のラル少佐がいる司令室は、さすがに中には入らずドアの前までだった。

案内役のニパが、丁寧な説明と軽い世間話を挟んでくれるので各所の現状が分かりやすく、また退屈もしなかった。

 

「そして、これから行くのが下原さんと炊事班の人達が働いている厨房だよ」

 

「下原って……海軍の下原定子少尉か?」

 

ニパは得意げに語り、輝は確認するかのように問い返す。

下原定子扶桑海軍少尉。扶桑皇国海軍遣欧艦隊第24航空戦隊第288航空隊から、ここ502部隊へ派遣されている海軍の航空ウィッチだ。

遣欧艦隊の第24航空戦隊は、501に派遣されている坂本美緒少佐や宮藤優人大尉、扶桑本国にて教官職に就いている竹井醇子大尉の原隊でもある。

第23、24航空戦隊を中心とした扶桑海軍航空隊――通称“リバウ航空隊”の一員として名を馳せていた3人の活躍は、海軍のみならず扶桑陸軍にも聞こえていた。

他にも元リバウ航空隊指揮官――新藤美枝少佐。“リバウの魔王”の渾名を持つ西沢義子飛行兵曹長。遣欧艦隊空母機動の若本徹子中尉。そして、輝の実姉――雁淵孝美。

リバウ航空隊は、扶桑海軍最高峰の航空歩兵が多数在籍していた精鋭部隊である。

陸軍がカールスラント国境に前線基地を構えていた大戦初期に、下原定子の名を聞いたことは殆んどなかった。

だが世界的エースと肩を並べ、オラーシャやカールスラント方面の激戦を経験している彼女が、統合戦闘航空団に相応しい実力を有しているのは間違いない。

それらを鑑みれば、下原が502に招聘されるのも当然だろう。しかし、輝の脳裏には疑問符が浮かんでいた。

 

「そうだよ。数年前までリバウで戦ってたって……」

 

「ちょっと待て!下原少尉が炊事をしているのか?」

 

海軍士官の地位にあり、統合戦闘航空団に派遣されるような実力を持つウィッチが、自ら台所に立って同じ部隊の仲間に手料理を振る舞っている。

その事実が、陸戦ウィザードを驚愕させた。海軍と比べて規律や規則にうるさい扶桑陸軍所属の身には、信じ難いことだった。

新参者の輝には預かり知らぬことだが、統合戦闘航空団とは隊員の自主性を重んじる部隊。通常の部隊とは様々な面で勝手が違っている。

 

「うん!下原さんの料理って、すごく美味しいんだよ!」

 

「いや、俺が聞きたいのは……いてっ!」

 

「うわっ!?」

 

ニパと話をしながら歩いていた輝は、曲がり角で何者かとぶつかった。

相手は輝とぶつかった拍子に床に尻餅を着いており、苦痛に顔を歪めながら尻を擦っている。

 

「あ、悪っ……」

 

悪かった、と言い掛けた輝だが、誰とぶつかったのかを理解すると、途端に表情を険しくする。

それは相手方も同じだ。輝を見るなりキッと目付きを鋭くして彼を睨みつけてきた。

 

「いてぇだろうが!気を付けろ!」

 

「テメェこそ、通行の邪魔だろうが!」

 

ぶつかった相手――扶桑皇国海軍少尉の管野直枝は、立ち上がるなり輝に怒声を浴びせた。輝も負けじと怒鳴り返し、2人の叫び声が廊下中に木霊する。

すぐ近くに立っているニパは、2人の大声に堪らず手で両耳を塞ぐ。

 

「邪魔はてめぇだろうが!ぶつかってくれやがって!」

 

「ふざけんな!テメェが、俺の前に割り込んで来たんだろうが!」

 

「い~や!違うね!てめぇがぶつかってきたんだ!」

 

「何言ってやがる!テメェの方ががぶつかってきたんだ!」

 

売り言葉に買い言葉。お互いにの不注意が原因だと言うのに、どちらも譲らず口汚い言葉遣いで罵倒し合っている。

何故ぶつかったぐらいで、ここまでの言い争いに発展するのか。それは初対面時の一件が尾を引いているからだ。

管野は輝の姉――雁淵孝美と親しい間柄にあった。訓練生時代に出会った彼女が持つ、自身の豪快無比さとは正反対の洗練された飛行技術に魅了されて友人となり、いつか僚機として共に飛ぶことを夢見ていた。

時期未定ではあるが、502配属が決まった孝美がペテルブルグに来るのを、管野は楽しみにしている。

その期待感故、輝と初めて会った際によく似た容姿の彼を孝美と間違えてしまった。余談だが、輝の方が孝美よりもやや顔立ちが幼い。

輝が優秀な姉と少女のような可愛いらしい外見に激しいコンプレックスを抱いていることは、今さら言うまでもない。管野は図らずも彼の神経を逆撫でしてしまっていた。

以来、輝は管野を目の敵にするようになった。管野は管野で、負けん気の強さと孝美に会えない苛立ちから輝を辛く当たるようになる。

 

「ちょっと、2人共止めなよ!」

 

段々ヒートアップしていく扶桑陸軍准尉と、扶桑海軍少尉。ニパはオロオロと狼狽えつつも、なんか仲裁に入ろうとする。しかし、残念ながら彼女の声は届いてないらしい。

 

「何をしているんですか!?」

 

喧嘩中の扶桑人達のものでも、困り顔のスオムスウィッチのものでもない何者かの声が廊下に響く。

502ウィッチ部隊戦闘隊長――“サーシャ”こと、アレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉だ。

 

「あっ、サーシャさん!」

 

思いがけない救世主の登場にニパは表情を輝かせる。サーシャならなんとか事態を収拾してくれるはずだ、とスオムスウィッチが安堵できたのも僅か数秒だけだった。

 

「「うるせぇえええ!」」

 

――バッチ~ン!

 

輝も管野も怒りのあまり周りが見えていなかった。新たに仲裁に入った相手がサーシャだとつい知らず、邪魔だと言わんばかりに平手打ち――というよりは突っ張り?――をお見舞いしてしまう。

2人の手の平が勢いよく突き出され、よりにもよってサーシャの顔面に直撃した。

その光景を見ていたニパは一瞬で青ざめ、恐怖心からカタカタは歯を鳴らし始めた。

 

「…………ふ、ふふ……ふふふふ……」

 

しばらく無言のまま静止していたサーシャだが、やがて聞いた者を身震いさせるような冷たく、不気味な笑い声を漏らす。その声音には怒りの色が滲んでいる。

 

「あ……」

 

「さ、サーシャ……」

 

輝と管野は、ここで漸くサーシャの存在と自分達がやらかしたことを理解し、喧嘩を中断する。

2人が揃って移した視線の先には、顔の上半分――目元を中心に影がかかり、目が真っ暗笑っていない微笑みを向けてくるサーシャがいる。

 

「雁淵さん、管野のさん、ニパさん……」

 

サーシャが抑揚の無い声で言葉を紡ぎ始めると、名を呼ばれた3人は揃って直立不動となる。

戦闘隊長はふぅ~っと深呼吸すると、問題児らに一言怒鳴った。

 

「正座ぁ!」

 

「「は、はいぃいいいいいい!」」

 

「なんで私までぇえええええええ!」

 

4人のうち、己に振りかかった理不尽な仕打ちに嘆き叫ぶニパの声が最も大きかったそうな。




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