誰も助けてくれない -Can you hear me?- 作:麒麟犬
肺が痛むほど吸い込んだ息をゆっくりと吐けば、はっきりとした白い靄となって空気へと溶けていく。しかしこの季節ならではの視覚情報を得られるのはそれだけではない。吐息の行く末を追って目で追って行けば自ずとそれはわかる。
夏とは対極に位置する季節ならではの風物詩、それを目にすれば肌を刺すような気温だけでなく今の季節が何なのかはすぐにわかることだろう。
歩道上で有象無象に行き交う人混みを眺め、中身を飲み終わって空になった容器をすぐ近くに備え付けられていたダストボックスに投げ入れる。そしてまた長い溜息を吐いたところで背を預けていた商店から一人の人形が出てきた。
「ここでの用は済みました。他にはもうなかった筈ですよね?」
「うんにゃ、まだもう一つだけ。整備員の連中が保管している灯油がなくなってきているから追加で注文しておいてくれ、とかも言われていたぞ」
「むぅ、彼らとて休日で暇でしょうから自分達で行けばよかったのではないのでしょうか……」
「まあ俺達が前線で戦えているのはあの人たちのバックアップあっての事だ。今回ぐらい、労う意味合いも込めて俺達が逆になってやってもいいだろ」
表情の変化が少ないその顔を顰める戦術人形、
拠点からの外出の際に寒さを直に感じた時から彼女はやや後ろ向きではあったが、ローガンを除いた他に手の空いた人員がいないということでついて来ている。自分が役に立つことであるのであれば、という風に本当に渋々ながら、である。
「厚着をしていてもやっぱり寒いものは寒いな。この時期の作戦行動で寒冷地に潜入したことがあったけど、気を張ってなければこんなに寒かったのかもしれん」
「そうなのですか?バナナで釘を云々、ということを作戦中の休息で実験したことがあるとこの間MG5が言ってました。敵を目にした時はすぐに周囲の環境の事を忘れたとも言ってましたけど、その時の私は拠点にいてその場には……」
「いやいや、そう言いながらネガティブになるなよ。お前もバルソクのようにSMGも扱えるようになれば仕事の幅も広がるだろ。並び立っている他の奴のバックアップは申し分なしなんだから、無理に一つの事を突き止めようとせずとも幅を持たせればなんとかなるから」
「はぁ、そうなんですかね……」
決してMG4が怠惰な性格であるわけではないのだが、戦術人形としての自分の性能が他のハイエンドモデルよりも劣っているという思い込みが働いている所為なのだろう。実際他のマシンガンの人形と比べると火力の低さを否定できない。だが、ローガンの目には見えない戦術人形同士の相互作用、機械端末でいうところの情報処理を加速するデータリンクのように彼女の効果は大いに働いているらしい。
なので決して自身を無力だと卑下する必要はないのだとは思うが、それはきっとすぐには解消できない事項だ。いずれは誰かに――――――。
「どうしました、ローガン?」
「……いや、なんでもない」
一瞬自分がここではない何処かでこの少女に対し同じようなことを言ってた気がするが思い出せない。訝しむ彼女に取り繕うと、ローガンは肩にかけている鞄のバンドをしっかりと肩にかけながら歩き続けた。
すぐ横をMG4が続きつつも彼女はローガンに言った。
「まだ飾り付けを完全に片さずにいる店もあるのですね。もう少しで年を越すというのに」
「クリスマス関係の売れ残りがあるからだな。物資がこれまで以上に限られているこのご時世でそういうのを無くしたいという気持ちはわかる」
「半額なりしてジャンクになるのを無くそうというのは環境面に配慮したことで良いとは思います。ですけどもう……」
「言ってやるなよMG4。彼らも彼らで自分達の生計を立てていくのに必死な訳なんだし本当のことをそのまま言えばヘコませてしまう」
鮮やかな赤と緑、金銀も交えての飾り付けがされている店頭の方を見てみれば数日前のイベントであったクリスマスの商品がまだ並べられている。丁度先週にローガンがここの商店街に赴いた時にも同じく煌びやかにされていたが、今ではそれが悪い方に目立ってしまっているというのが現状だ。
MG4が最初に言った通り、あと数日で年越しで西暦の数値が更新される。今年のキリストの降誕祭というのがもう既に過去のものとなっているのもあって鮮やかである筈のその店がより一層色あせて見えた。
ガラにもなくそんな普段考えないようなことで束の間の懐旧に浸りそうになったが、ローガンは呼吸のリズムを崩しての深い吐息を漏らして自身に対し誤魔化す。なぜかそうしなければ深い思考の沼に嵌っていきそうであったからだ。
「それにしてもお前もコートとかでちょっとしたお洒落ってのをするんだな。別にいいことではあるが、マシンガンの人形連中はどうも戦闘服以外じゃボーイッシュな印象があるからお前のはなんか新鮮だ」
「私はじっくり見たわけではありませんが、
「マジか、そいつは驚きだ。外出時も作戦時に身に着ける防寒具で良いとか言い出しそうなのに」
一瞬ローガンはペチェネグがカラフルなウサギやクマがプリントされていたりするコートやセーターを着ている様を想像してしまったが、すぐにそれらを振り払った。単純にそういった自分の世界内で勝手に構築してしまった申し訳なさによるものではなく、冷たく重々しい銃口を突きつけられた時のように悪寒が背筋を走ったからである。
そんなファンシーなものではなくカジュアルだったりスポーティであったりするのであれば文句は言われないであろうが、口にすれば否定より先に手が出てくることだって容易に考えられる。
「……彼女が心理学を使えばわかるようなことを考えてませんか?」
「んにゃ~、俺も黒とか紺だけでなくもっと明るい色の服を着た方が良いのかなと思ってだな~。学に自信のある奴なら俺の服にいちゃもんつけまくるんだろうな~とかで斜面でコケてしまった気分」
「カラーコーディネートを学んでいる方ならたしかにローガンの服装の代わり映えのしなささに呆れてしまって仕方ないのかもしれませんね。インテリアや貴重品の機能美だけに拘っているだけではビジュアルの華やかさがありませんし、ですよねローガン?」
「いいでしょ機能美!別にデザインにも気を配っているのが悪いとは思ってはいないけど俺としてはこっちの方が良いの!安心と信頼のジャパニーズブランドじゃそういった方向性のが手に入らないのは残念だけど!非常に残念なんだけど!!」
「なんでそう台詞にそう力を入れつつも涙目になっているのですか。私が別にローガンの事を悪いと言ったわけじゃないですよね。暗に機能美という特徴しかない物々ばかりしか揃えていないのは問題あるのではないかと言っただけですよ」
「遠回しにディスってませんかねMG4。一応俺も自室に置いてたりする私物はちょっとカラフルだったりするんだぞ~!」
「さいですか」
内側には断熱材を、外側には防弾仕様の繊維で編んでいつつもシンプルなカジュアルデザインの深緑コートの袖を通しているMG4がひらひらと手を振って先を歩く。白く縁どりされている黒のショートパンツから伸びている長い脚は同色のタイツで覆われていて、その先はブラウンのスノーブーツ。彼女の容姿と見た目からの仮初の年齢であれば何ら違和感を感じないファッションで、MG4はスタスタと歩いていった。
その背中を追いかけつつもローガンは言葉を投げかけた。
「ふと思ったんだけど、お前ら人形も通信端末持たされているんだしそういった電子機器に絡んだ趣味に興じたりするのか?戦術人形が機械を使う、なんてのにはもう何も思わないけどパズルとかだと演算処理で逆につまらなさそうだし」
「個体差はありますけど戦闘外では基本そこまで気張ってませんからそうでもない、と思いますよ。私も暇潰しに配給されている端末にインストールされているブロック崩しのゲームをやってたりしますけどほどほどに楽しめてます」
「RFBみたいなゲーマーは『そんなちゃっちぃなのはゲームじゃない!時代はバーチャルRPGよヒャッハー!!』とか言ってたけど、やっぱりあれをお前もやっているのか」
グリフィン北米支部の従業員には役職などは関係なく端末が支給されている。ローガンが戦線で使うような戦術端末ではなく、電話やメール関係のツールを主に活用していく為の通信端末だ。配布されてからはそれぞれが思い思いに様々なカスタムを施しているのが特徴で、ハリーも自分の趣向に合わせたカスタムパーツを注文していたりする。
それが初めて手渡された初期の頃からインストールされているアプリが幾つかある。その中の一つがローガンが言ったブロック崩しのパズルで、上から降って来た色付きのブロックを隙間なく積み上げては崩していくというゲームだ。なんの変哲もないゲームアプリだとは思うかもしれないが、これの最大の特徴は北米支部内の人員が叩きだしたスコアがランキング表に名前と一緒に載せられるという点だ。つまるところ、人や人形という違いや兵士や整備士などといった立場も関係ない、グリフィン北米支部内の者達によるランキング戦が毎月催されているのである。
ローガンにも配給された時は白熱するのは最初だけだったのだろうと思っていたのだが、ハリーが指揮官として着任した翌年から始まって意外にも長続きしているらしい。詳しく聞いてみれば納得したが、毎月違った景品が上位三名に用意されている、とのこと。
これを考案した彼曰く、日常面でも戦闘以外でも競い合えるといいよね、とのこと。
余談というかこれだけは留意しておいて欲しいのだが、これに全員が仕事など訓練をそっちのけでやっているわけではない。
「脈絡もなく唐突な話題ですね。さっきの会話の共通点としての……好みというワードを起点に色々と考えたのですか?」
「そんな感じではあるしナイス推測で特にケチをつけるところがありません。そんで話の続きだが、あれって景品獲得を目的に
「用意されてる物が物で安く手に入るとは思わない物々が掲げられていますからね。月末に渡されるのが自分になるよう、人によっては躍起になったりもします」
「やる気の発生源は結局のところそういった物欲に従属してはいる、ていうのが人と人形の共通点としてあるのがいいことなのかその逆か、それはそれでともかくだ。MG4は用意されている物の中で好んでいる物が並べられてたりするか?」
「……いえ、これまでの事を振り返っても思いつかないのでたぶんありません。気持ち手元にあった方がいいかも、というのはありますけど」
ほほーん、とローガンはテンションの起伏が少ない戦術人形を見る。MG4はこちらの前方を歩いていながら掴みどころがいまいち感じられなかったらしく、訝しみながら振り返ってローガンを見た。
「ローガンは一体なにを聞きたいのですか?周囲への印象がよろしくない私がブロック崩しで景品を得ているのだと考えていたのですか?」
「そうじゃなくてだな。これまではブロック崩しにそれなりに興じていたが今月の景品をどうしても逃したくないって奴がいてな?自分が上位に上れなくても、返礼はするからランキング上位に乗っかって景品を譲って欲しいってたまっているんだよ」
「なんですかそれ。景品の譲渡がほいほいとあっちゃ北米支部内でのランキング戦が無意味じゃないですか」
「ごもっとも、当人が言われちゃぐうの音も出ないだろうな」
そりゃあそうだ、とローガンは苦笑いを漏らしてMG4と並んで歩いた。気持ちばかりの寒風が吹いて来たのでトレンチコートの前を閉めて少々身を震わせていると、MG4はウェストポーチから任されている事項のメモを取り出す。それに目を通している最中にふと何かに思い立ったようにして言ってきた。
「今年最後の景品はたしかウィスキーだったということを思い出しました。まさかとは思いますが、M16がそんなことを言い出したのですか?」
「残念、はずれ。あいつは最高の酒はジャックダニエルに決まってるだろうが、っつう一言で一蹴したよ。最初に俺にそんな話をもちかけたのはあいつに近しい奴の一人だ」
ますます訳が分からなくなったMG4が首を傾げたのに無理もない。
補足説明をすると、一位には当然の如く用意されている物の中で価値のある物が渡されるが、二位と三位には保護区内の店舗で有効な割引券などが手渡される。それは決して一位に授与される物と必ず共通しているわけではなく、まったく別のジャンルに関係した景品であるとローガンは聞いた。
それに渡されたそれが決して矮小に思えるものではないということも耳にしている。
「じゃあ一体誰がなんです?」
「そうだな……お前拠点に戻ってから時間はあるか?もし大丈夫だったら付き合ってくれた礼がてらコーヒーなりなんなり出すぞ」
「問題はありませんがいいのですか?私は皆さんに好印象を抱いてもらっているとは思えないのですが……」
「大丈夫だって。あいつらが得ている信用っていうのは何も戦闘だけじゃない。日常生活での人付き合いだって上手にやってるからでもあるんだよ。不甲斐ない部分があるのは誰もが同じなんだしそこまで気に病む必要なんてない」
「ですけど――――――」
結局のところMG4は首を縦に振ったのだがそこにまで行き着くのに灯油の配達を手配するガソリンスタンドに徒歩で到着するまで時間を要した。帰ったら荷解きだけでなく誰もが飲みやすいようなカフェラテとか作らないとかな、と本心を語らない少女にローガンはそう思った。
他人との交流に対し臆病にもなっているMG4の扉を開かせるのは、まだまだ先らしい。
――――――
お馴染みの執務室にMG4を通すと真っ先にもてなしたのはSOPIIだった。満面の笑みで帰宅してきたローガンに飛びついてきた彼女はいつものように抱っこをねだった。
「ロ~ガ~ン、私頑張ったよ~抱っこして~」
「はいはい、ピカピカにするまでよく頑張ったな。AR15もお疲れさん」
「これぐらいの掃除は私達にでもできるんだしいちいちご褒美を強請らないのSOPII!」
緊急事態が無ければではあるのだが、グリフィン北米支部に所属する人員全員が年末年始の休暇に入った。それ伴いに大掃除を開始したのはAR小隊だけではない。宿舎に自室がある者はもちろんのこと、自分達が所属する部隊の仕事部屋まであるのであればそこに溜まっている埃などの掃除があったりもする。御多分に洩れず、AR小隊とそこで事務処理などをするのにデスクを置かせてもらっているローガンもそれに含まれていた。
AR小隊の執務室に足を運んできたのはローガンだけではないことに気付いたのは一番距離が近いSOPIIであった。
「あれ、MG4が来たの?」
「お、お邪魔させてもらってます……」
「外回りの手伝いをしてくれたということでちょっと温かい飲み物をご馳走する為にな。もしまだキリが悪いのなら後に回すが今は大丈夫か?」
「ここの掃除が終わったから、ちょうど今から二人で休憩にしようとしていたところよ。よかったら私達のもいつものように淹れてくれる?」
「はいよ、ちょっと待ってろ。MG4も入って来いよ」
そう言ったローガンは先に上着をハンガーにかけて壁のフックで吊るすと、手洗いを済ませている手でAR小隊がそれぞれで専用としているカップと客人用のを手に取る。磨き上げられて輝きを放っている給湯器の横に置いてあるコーヒーメーカーの電源を入れ、ポットの中にあるローガンからすればお馴染みであるブラックコーヒーをまず注いだ。
注いでから水場のすぐ横に備え付けている冷蔵庫からミルクを取り出していると、背後からSOPIIとMG4の会話が聞こえてきた。
「へぇ~、今の西区はそんな感じになってるんだ~。じゃあなにか掘り出し物が見つかったりするかな~」
「必ず見つかるとは限りませんが、思ったより安価で購入できたりするかもしれませんね。あの辺りは気前のいい方が多いですし多少はまけてくれるかもしれませんから」
二人の会話を背中で聞きながら、ローガンはそれぞれが好んでいる味にする。ミルクや砂糖などを感覚で覚えた量だけ投入、MG4にはやや甘めという程度までに砂糖の量を調整した。
談笑している二人の分が終わらせたところですぐ横にAR15が出てきて中身が注がれているカップをトレイに載せ始めた。
「やっぱり今日の私のはブラックで良いわ。偶には苦いぐらいじゃないと飽きてしまうわ」
「ほ~ん、お前もブラック飲むというのはちと珍しいな。いつもならミルクと砂糖を少々、と言った感じなのに」
「いいでしょ別に。あなただって時折当分摂取ということでシュガーを入れるじゃない。ぼーっとしていたせいで糖尿病になるのかと心配したことだってあるぐらいに」
「あの時はまあ……残業するぐらいの仕事量で俺もぐだぐだだったんだよ。そりゃあまあ、あれは入れすぎだったとは思うが」
「コーヒーだってガバガバ飲んでたし、カフェイン中毒にもなりかけていたんじゃないかとも思ったわ。カフェインを含んだ飲み物を致死量まで飲んだ挙句仕事に追い込まれて死亡してしまったという事例もあったから見てないと気が気じゃなかったわよ」
「お前は俺のおかんか。飲んでる物も全部カウントしているとか、親しき隣人としてはそれ以上にやりすぎじゃね?」
「だったらこの間のミス続きに対して私が納得できるだけの理由を言ってみなさい。できたらこれ以上口出ししないわよ?」
厳しいことを言っているAR15にローガンは反論できずその場で肩を落とした。拠点内でパーティが予定されているクリスマスに入るまでに片付けたいと思い、大した量ほどじゃなくても立て込んできた仕事を残業までしてとりかかったのはちょうど半月前。ただ、行事に持ち込まないように先を見越したのはよかったが、来年の仕事始めの初日から来るであろうと思っていた事務処理も含めて余裕で終わると思ってたのは間違いだった。
後々に連携している外部からの変更された事項が伝えられて一からやり直しになったり手早く終わる筈だった単純な作業が複雑化したのである。それによりローガンからしても眉間に皺を深く刻みながら画面や紙面と格闘する日々が続いた。それでもなんとか終わらせようと日付が変わる一時間ほど前まで根を詰めていたのがクリスマス・イブの二日前。
ローガンも事務仕事をしながら飲み物を口にする人間の一人だ。残業まですれば当然、好んでいるコーヒーの量だって増えてくる。コーヒーメーカー内部で収納されている粉があまりにも少なっていることにいち早く気付いたのが、他でもないAR15だった。
「ったく、これじゃ三食の飲み食いも見張られてそうでおっかないな」
「ジャンクフードを連日食べていなかったりしなければ私だって何も言わないわ。ローガンだって健康にも良い魚とか野菜も取っているわけだしケチをつけるところなんてないわよ」
「この間のパーティでフィッシュアンドチップスを食おうとしたら一瞬険しい顔をしたのはどこの誰だったかな。少なくともそいつはグリフィンのエリート部隊の参謀で引き締め役であったと記憶しているが」
「さあ、誰でしょうね。どんなことを考えていたのかはわからないけど、浴びるように酒を飲んでいた酔っ払いを良く思わなかったんじゃないかしら」
「こいつめ」
捕まえて言い返そうとしたが、その前にするりとAR15はカップ三つをのせたトレイを持ってSOPIIとMG4の方に歩いていった。すぐさま二人との会話に混ざり始めたので、浮かんでいた言葉が段々砂に刻まれた文字が海にさらわれていくようにして消えていく。
「やれやれ……」
冷えた身体にコーヒーを流し込むと、ローガンは自分のデスクの椅子に座って外出中に補充された用品を自分のデスク内に保管する。そして一通りの仕事用具を入れた後でまた淹れたての飲み物を啜った。
しばし何も考えずに無心のままにコーヒーを口にしていると、執務室の扉が開いて小隊メンバーが戻って来た。
「ほいほい~っと、とりあえずまとめてたごみ類は捨てて来たぞ~」
「ローガンさん戻ってたんですね、お疲れ様です」
「そっちもお疲れさん。そっちも楽じゃなかっただろ」
「そうでもないさ。まあさすがに寒い空の下で雪かきまで流れで手伝うことになった、ていうのは予想外だったがな」
髪や肩に雪をのせたまま戻ってきたのはM16とAR小隊を取りまとめるM4。二人とも鼻を赤くしながら戻って来たので、ローガンは再度立ち上がって同じく飲み物を淹れる準備を始めた。この二人の飲みたい味に当たってはその時の匙加減で決まるので、使い捨てのプラスチックの容器に収まっているシロップなどと一緒に出す。
上着を所定の位置に掛けた二人は会釈したり顔の前に手を立てたりそれぞれで礼を示すとカップの温度と中身で体を温め始めた。
「はぁ~……生き返ります……」
「そういえば知ってるかローガン。雪下ろしをしている最中に聞いたんだが、あーいった作業が済んだ後に指揮官にはコーンポタージュが用意されているんだとよ」
「それ、人からの伝手で本人から聞いた話じゃないな。以前みたくライアーガールからの情報でダウトって叫ぶのはなしだぞ」
「UMP45」
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、すっげぇ微妙!!」
とはいえ45からの話であれば内容の十割が嘘であることはない。からかうのを目的に誤情報を身内に流したりしても、どちらも痛手を負うことはない。彼女の愛嬌だったり娯楽だったりで踊らされているのはこちらではあるが、最後には満点の笑顔と心からではない謝罪があるのでまだよしとできる。
まあそれでも多少は不服が残るのだが。
「あ~、たしかにあのブロック崩しにのめり込んでいるのは私達の部隊の一人だね。最近は平常運転、といった風に装っているけど闘争心が内側で燃えているのは間違いないよ」
「あそこまで物に執着するのは彼女にしても珍しいぐらいね。彼女も物欲は人並みにあってもあそこまで著しいのは付き合いが長い私達でも片手で数えれる程度しかないわ」
「ローガンから聞いた時から疑っているわけではなかったのですが、本当の話のようですね。それじゃあ今……」
「さすがにやるべきことをおざなりにするのはいけないということでそこは自制しているわよ。たぶん今頃は気を揉みながら作戦指令室の清掃を手伝っているんじゃないかしら」
AR15が言った予測の通りに想像してみれば目に浮かんでくるぐらい容易だった。ここにいないAR小隊のメンバーである戦術人形など、おわかりであろうがRO635であり、今月に入ってから躍起になっているのである。
苦笑いを浮かべているのはコーヒーによるものか、それとも友が言った事に含まれる現実味によってなのか。同じ部隊で親しみを覚えている相手が今も尚自分の目が届かない場で苦心している、そんな様を想像した隊長は口角を困ったようにして笑っていた。そんな妹を横目に部隊の姉貴分は面白げににやにやと笑みを浮かべながらを言った。
「それでも、どこかで抱いている欲が出てきてしまうことだってある。この間なんてあいつ、調べものでの使用のつもりが自然とゲームの方にシフトしそうになってたりしてたぞ」
「そんなこともあったね~。すぐに自分が無意識に何をしようとしているのかには気付いたけど、あれでROが何を考えているのかわかっちゃったしね~」
「まあプライベートなこととして置いといても、どうしても頭に過ってしまうのは仕方ないわ。ローガンさんはそう思いませんか?」
M4がフォローに入ろうとしてこちらに話を振ってきたが、ローガンとしてもM4が言ったことに頷ける。ただなんとなくではあるが、言葉では明確に表現できない居心地の悪さが芽生え始めていたのである。
MG4を誘ったのは自分たというのに、今すぐにでもここから立ち退きたいと思っている自分がいることにローガンは言葉を発さずとも困惑していると、放心していたと思っていたのかSOPIIが突然飛びかかって来た。
「うりゃりゃ~!ローガンはもう疲れたのかな~!そんな虚弱体質にしたのは一体何なのか私が暴いてやるぅ~!」
「ぬぉおおお!?俺は宝箱じゃねえんだから服の内側をまさぐっても意味ねえって!つうか地味に冷えてるその手で触るな滅茶苦茶に冷てえし!」
危うく手に持っていたカップを落としそうになったが、それをなんとかデスクに置いて横から腰に巻き付いて来たSOPIIを両手で剥がしにかかる。満面の笑顔を浮かべてはこちらの体に顔を押し付けられると服越しに温かい吐息が肌を撫でて来た。
曖昧な反応を示して大事なことらしいことに思いを巡らそうとしていた所できた不意打ちにローガンは割と全力で対処しようとするが仕掛けた当人がそうは問屋を下ろさせない。機械部が露出している彼女の片手が体中を駆け巡られれば季節で冷えていることもあって背筋が震えあがるのもやむなし。
「わかったから降参!降参するから今すぐやめい!このままじゃ俺も理性蒸発してヒーハーしてしまうからタガを外さないで頂戴!」
「降参されても続けちゃうよ~!心ここにあらずなんてローガンになんてあるまじき狼藉!お縄につけ~ってね~!!」
「誰か助けてくれませんかねぇ!?なんかあなた方の妹分が暴走なさっているんですけどぉ!!」
「私はまだ皆さんとの付き合いが浅いのではっきりとは言えませんが、なんかお互いに楽しそうなので止めなくていいんじゃないでしょうか」
「長い付き合いはあっても私としては同意見だぞMG4。SOPII、思う存分にローガンのマウントを取り続けろ。そうした方がいい肴になる」
「お前はいつの間にジャックダニエルを持ってスポーツ観戦風に興じてんだM16ぅ!!」
楽しそうだな~とやや羨ましそうにしているMG4はともかく、ウィスキーの酒瓶を持って笑みを浮かべているM16にローガンは吠える。やりたい放題、ではなく一方的なやられ放題になっているローガンが珍しいのか目を瞬かせているM4と、喧しくなったことに厄介者を見る目になったAR15は完全にアウェー。救いはないとローガンは見た。
完全に乗ってきたSOPIIはもうお構いなしにこちらをこそぐっているが、防御を捨てたローガンがどれほどに恐ろしいものなのか知らないのだろう。
止められない両手の蹂躙のことは諦め、ローガンは反撃とばかりに彼女の脇の下の方に自身の両手の位置をシフト。そして『攻撃は最強の防御』作戦(仮称)を開始した。
「っ!?ちょっとローガンそこはやめひゃははははははは!」
「うるせぇずっとこっちの静止と降参の意に耳を貸さなかった礼だ!そんな悪い子には『笑って悶え死ぬ一歩手前にまでのこそぐる』刑に処してやるぞおららららら!!」
「い、一応私女の子の体だよ!?ローガンはそんな遠慮なく触っていて恥ずかしくならないのかな!?まさぐられて羞恥心が抜け落ちてしまっているのかもしれないけれども!!」
「だから脇の下限定にして手を動かしているんだろうが!目には目を、歯には歯を!こそぐりにはこそぐりを!痛覚でお前を制しようとも一瞬思ったがお互いに兵士!痛みへの耐性が出来上がっていても仕方ないからこそぐっちゃうもんねー!!」
色々と言の葉を並べてはいるが、要は意趣返しである。考えていたことが彼方へと消え去ってSOPIIへの仕返しがメインへと移行、全力で執行を始めた。
首輪が緩んだ猛犬のようにSOPIIはその場で足をバタつかせて笑い声を漏らしているが、そこでローガンは終わらせるつもりはない。さらにその先、ささやかな恩讐の彼方で得られる何かを求めてローガンはひたすら両手を動かす。
さっきまでは一文字を描いていた口が自然と口角が上げて三日月を形作っているのだと、ローガンは落ち着きのない妹のように思っているSOPIIに制裁を加えながらそう思った。
「ひゃははは、だったら私もふひひやり返しちゃうもんねあはははは!そぉ~~~~~~れぇ~~~~~~!!」
「おぉおおおおお!?やり返されてもめげないそのメンタルを評価してやるぞSOPII!だがそうすればお互いに闘争心が尽きぬ限り動き続ける半永久機関が出来上がるというものだ!俺は一歩も退かずにお前に抗い続けるぞぉ!!」
「上等だよローガン!私だってここで負けて瀕死に追い込まれるつもりはないもんねー!ローガンがそうこなくちゃ私だってつまらないもーん!!」
防御を互いに捨てて攻撃に転じている獣のように、ローガンとSOPIIは取っ組み合いになった。
咢の代わりに掌で食らいついて優位に立とうとする。そんな野性的なことまで考えているわけではないが、心のゆくまでじゃれ合おうとしているのが無意識のうちに二人の内に生まれた本心である。よって二人は建前などを一旦置いた嘘偽りのない笑顔でわきわきと指を這わせた。
とはいえ、それは本人達の話であり外野にまでそれが伝わっているとは限らない。もしくは、それが過度な域に達していると認識してしまっている可能性だってある。
いずれにせよ、それまでずっと俯瞰していた立ち位置に立っていた一人の少女が立ち上がり、
「いい加減にしなさいよバカ二人ぃ!!」
頭頂部に拳骨を落とし、鉄血制裁を加えた桃髪少女にとって容認できなかったものであるのは間違いない。
しかしこれだけは確かであるのだが、ローガンとSOPIIの二人が取っ組み合うような体全体を使った事案に陥った場合はAR15による鉄拳が降り注ぐ。AR小隊に所属していれば嫌でも知ることになる、そんなお約束であった。
――――――
繰り返すことになるが、グリフィン北米支部の人員は年末年始の休みに入った。それはつまり戦闘員だけでなく拠点の清掃や給仕を行っていた人員までもが休暇を得たという事。休息を得る憩いの場のスプリングフィールドのカフェも元旦まで休業である。
よって三食分の食事は出前なり自分達で作るなりして自前で用意することになり、必ず誰かが食堂の厨房を借りて調理することになっていた。
この日は夕方からローガンを含めた複数人で夕食の準備をすることになっていたので、冷蔵庫の中と変わらない温度に震えながら包丁を握っていた。
「とりま、やっぱりこの時期は温かいのが一番だよなぁ……。というわけで汁物系でいこう」
「肉や魚のタンパク質だけでなく野菜もたくさん摂れるたらベストよね……。というわけで単なる汁物でなく東洋の鍋料理というのはどうかしら?」
「あ~いいっすね~」
などと本日の夕飯分の給仕を共に担当することになった45と手を打ち合った後、単調な作業なら可能としているロボットたちと連携して具材を刻んだ。今日一日で使うのが許容されている合成肉、野菜類、キノコ類を食べやすいサイズにカットしながら、五人程度でつつける土鍋を出して洗って出汁を敷いていく。
……つもりなのだが、
「出汁ってどれだけ調味料を加えればいいのかしら……?」
「たしか飯を出してくれてる婆さんたちがいくつかのメニューのメモを残してくれてるとか聞いたな。どこかに張り出されてたりしていないか?」
「え~っとちょっと待って……ああ、冷蔵庫の脇に冊子という形であったのね。でも意外と種類は少ないのね、これだけでいいのかしら……?」
「ちょっと見せなさい……。たしかに本当にこれだけでいいのか心配になるわね。日本の料理って簡単じゃなかったりそうであったりとわからないものだけど、これは簡単で美味しいものなの……?」
416に続いてローガンも見てみればたしかに書き漏らしがあるのではないかと疑わしくなるぐらいであった。昆布や鰹節の合わせ出汁にしょうゆにみりんなどと、欧米人であるこちらからしてもあまり馴染みのない物々が片手で数えれる程度しか記されていないのだから不安にもなってくるというものだ。
「いっそのことカレーにした方がいいんじゃない?あなた達が言ったことに私も頷ける点が大いにあったから異議は唱えなかったけど、今こうしてみると雲行きが心配になって来たわ」
「なんじゃあ割烹着姿になってやる気満々の416せんせぇ、あなたはここで妥協という道を選ぶのですかのぉ?それにカレーという道を選ぶあたり、とても安易ではありませんかぁ?」
「果てしなくうざったらしいわよローガン。私は完璧だけど、完璧なのだからこそ失敗を予測しているのよ。ここで変にチャレンジ精神を働かせれば地雷に足を突っ込んでジ・エンド。
「とりあえずその異議は却下。時には冒険しなきゃ何も面白くないじゃない。それに何も白紙の地図を広げているわけじゃないのだから大事故に陥ることはないわ」
「そーだそーだ、作った料理の美味さに定評のある人達が書いてもらっているのだから間違いはないだろ~」
意地悪い笑みを浮かべる45にローガンも悪ノリし、メモに記されている通りに調味料を必要な分だけ彼女が用意している間にローガンは出汁の用意を始めた。沸騰した湯に具材を通すなり落とそうとしていると、言われたことの処理が間に合わずフリーズしていた416が我に返ってこちらに食らいついて来た。心なしか、ローガンの腕を掴んだ握力が華奢で細いその手にしては強すぎる気がする。
掴まれてから416の表情を見てみれば、その碧眼は涙目になっていて眼前に忌避したいものを突き付けられた少女そのもののようでさらにはガタガタと震えていた。それに改めて見てみれば掴んだというよりは縋り付いている、という表現が正しいのかもしれない。なにせ両腕でローガンの片腕をガッチリとロックし関節をキメずとも動かせないようにしているのだから。
「ローガンお願いよ。お願いだから他人からの意見を聞かずに我が道を突っ走ろうとしないで。この間のようなことになるのは本当に御免なのよ……!」
「……あ~、先日のあれか」
鬼気迫っていながら切羽詰ってもいて、未来予測に怯えているその様子にローガンもさすがにノリが冷めてしまう。先日の苦難を体験したのはローガンも同じであるからだ。
慣れない者達が当番制にして料理をするということは、どこかで『はずれ』を食すことになるかもしれないという事でもある。ちゃんとレシピ通りに料理をすればいいのだが、中には敷かれたレールから自ら外れていく者がいる。
自分好みの味じゃないということで調味料を足していった人形がいた。火の調節をせずに一気に加熱していった人形もいた。それでもよっぽどのことをしなければ食事をするのにあたって飲み込めないことにはならない。
ただ先日、面倒くさがったとある人形が適当に諸々放り込み煮込んでいったせいで食した人員が全滅に追い込まれた、という事実がある。ローガンが苦々しく覚えている限りでは、たしか416がじゃんけんで負けて404小隊分のメニューを『処理』することになり、顔面蒼白にしながら『処理』していた。
その時の行いをローガンは生ごみへとゴーシュートしなかったことを評価しており、自分と同じ道を辿らなかった彼女に敬意を表していた。
しかしこの様子からしてやはりというべきか、416とてあの時には苦痛を感じていて二度と体験したくないということだ。ローガンとてここまで懇願されれば良心が大いに働いて気持ちの方にストップが掛けられるし、彼女が策士であっても本心かどうかをほとんど疑わない。
ただ目の前に提示されているレシピを無下にもできないので、
「……とりあえず45、一つの鍋分だけ敷いてみよう。レシピ通りにやってダメなようなら別の料理を作るとしようや」
「オーケー。416がこんなになったのも私達に責任の一端があるというものだもの。ちゃんとこまめに味見もしてみるとしましょう」
「416、とりま放してくれ。さすがに骨が軋んできて痛い」
涙目になっている416を剥がしてからは慎重に量などを見て入れていった。目分量などやった暁にはすぐに絞殺されそうであったので、きちんと小さじやら大さじやらの調理器具を使って忠実にレシピに従って、である。すぐ傍に監視の目がありながら調理するというのはここまでやりにくいものなのかと、ローガンは初めて知った。
やがて一通りの手順が終わり具材を投入するだけになったところで、ローガンと45は完成した出汁を口に運んでみた。
「ん~……まあこんなもんじゃないか?」
「……ちょっと味が薄いのかもしれないけどね。また別で作っておいて適宜つぎ足すということでいいんじゃないかしら」
「というわけで416、お前も賞味してみてくれ」
416が恐る恐るといった様子で出汁を掬ったスプーンを口に運ぶ。大丈夫なはずだがもしかして、という可能性を考えてローガンははらはらとしていたが、味わった後に浮かべていた表情が万が一のと違っていて安心した。
「45の言う通りちょっと薄いかもしれないけど、これだったら抵抗なく食べれそうだわ。ちゃんと下処理をしていれば、の話だけど」
「そこからはもう俺達全員の努力次第だな。とりあえず今夜の飯は『すき焼き』ということでいいか、二人とも」
「異議なし」
「同じく」
理性の番人からの許しが出たということで、そこからは本格的に準備を進めていった。
45と出汁の作り方をずっと見ていた416はローガンと交代し、こちらは作業ロボットによって切り出された具材をまた洗い出したり一つの鍋の分だけ分けたりとする。冷水で両手が悴んで難儀したが、それでも何とか一通りの区分けが終わらせることができた。
温水で手を温めてからローガンは二人の様子を窺ってみると、二人の仕事も終わりを迎えようとしていた。
「その様子からして一先ずそっちも終わりそうか?」
「まあね。時間としてはまた夕飯時よりちょっと前だし、誰かが来たぐらいから具材を入れて茹で始めればいいわ」
「それじゃあちょっと休憩できるかね~」
「そんなわけないでしょ。各テーブルにコンロを設置したりとまだやることはあるのだから一服する暇なんてないわよ。ほらローガンは先に終わったのだからやってきて頂戴」
「さっきまであんな小娘みたいに怯えていたのによくもまあ……」
416に聞こえないようにそう呟くと厨房の棚から小型カセットコンロを全て引っ張り出し、食堂の方に出て設置を始めた。取り皿なども置いてから壁の時計を見てみればもう六時。早い者であればもう既に来ていてもおかしくない時間帯である。
腹の虫の主張を聞き流してふと行き来した食堂を一望した途端、ローガンは自分の視覚を疑った。今の季節は言うまでもなく冬、そして日もすっかり沈んで光源たるものはローガンが立っている食堂の天井に取り付けられている大型の白熱電球しかない。それに清掃員の仕事に関心出来るぐらい、白塗りの床と壁などの光沢に清潔感を感じさせられるものであった。
それが一瞬だけ暗転したかと思いきや自分だけが別の世界線に飛ばされたと錯覚させられた。テラスに面している大きな窓のガラスが全て割れて床に瓦礫などと散らばっているがその床も酷いことになっている。ひび割れて亀裂が入って穴までも開いており、土埃までもが舞っていて生活感を全く感じさせない。ジジジ……と電球が音を立てながら明滅し申し訳程度に働いているがそれでも全体を見まわすのには足りない。それでもなぜ暗がりの中でも『食堂だった場所』をはっきりと見ていられるのか、というとサーチライトのような光が外から中へと入ってきているからだ。
あまりにも唐突なことにローガンは愕然としながら周囲を見渡す。誰かいるかと思っていたがそこには自分以外、誰もいなかった。
「一体、こいつは……!?」
これでは拠点などの安心できる『
嫌でもローガンにも自分の在処としての感覚が根付いてしまった、慣れ親しんでしまった場所。『
「なん、で……!?」
どうしてグリフィン北米支部のここでこのような光景を幻視してしまっている?いや、そもそもこれは幻視しているのか?自分は今、過去に見た光景を今また映し出しているだけなのではないのか?
靄が晴れるようにして思考がクリアになっていくに比例して、瓦礫に混じって遺体が転がっているのも目に映ってきた。一人一人に見覚えがある。非戦闘員であるこの基地の給仕係であったり研究員だったり、またはここで武器を取って戦死したであろう整備士。そして誰よりも果敢にも戦ったものの敵わなかった戦術人形の彼女達。皆、そこで壁にもたれかかれて、横たわって血を流して死んでいた。
何故、何故?何故自分はこうしてプレイバックして見ている?得をすることなどなに一つもない筈なのに、自分の精神を自傷するのと変わらないのに何故?
「頭が……痛ぇ……!!」
物理的に脳が左右に分離していくようだった。それは右脳と左脳というように人間の脳は分かれているとかそういうのではなく、解体されていくという表現が当てはまる。身体ではなく精神が悲鳴を上げて血を流し、苦痛を訴えてくる。
次第に頭痛、胸痛、腹痛と全身が悲鳴を上げて吐き気までも催す事態にローガンは耐えきれず両膝を床についた。耳鳴りまでもがロックミュージックの最大音量のように響いてきて聴覚を潰したくなったが生憎にも両手とも最初に痛覚を働かせた頭部の方に行ってしまって張り付いてしまっている。
―――動かそうとすれば抑えられなくなった方に飛び出そうとする軟体動物のように、頭痛という概念そのものがまるで……?―――
―――一体俺は何を言おうとしている……?―――
思考が纏まらず、ローガンは何色かもうわからない視界内で自分が倒れたことだけを知覚した。
『ローガン……?どうしたのローガン……!!』
誰かが、自分にとって大切な誰かが駆け寄って来る。キーンッという耳鳴りに混じって聞こえてくるその声でうっすらと浮かんできたのはとある部隊の隊長。左目に古傷が残されている、戦場では合理的な戦術を行使してじわじわと敵を追い詰める、狩りのリーダー。周囲には陽気で人当たりよく付き合ってもそれはあくまで計算しての偽善であって誰かに自分を許しているわけではない。
だがその内面、自分を本当の意味で理解し物怖じせずに向き合ってくれる、そんな人を密かに渇望している女の子だ。彼女が過去になにを見て経験し苦しんだのか、自分はもう知っている。
『どうしたのローガン!?45、一体なにが……!?』
『私にもわからないわよ!416、今すぐ彼を――――――!』
身体を動かせないのは今だけだと、自分は大丈夫だとそう伝えたかった。
しかしそう口を動かせないまま、ローガンの意識は闇に沈んだ。
――――――
目を開ければそこは見知らぬ天井、と昔の誰かが何かの作品で表現していたらしいがローガンはそれを詳しく知らない。ただ自分の場合は見覚えのない、というわけではなく単に見慣れていないだけだと目を覚ましてからそう思った。
鼻を突く薬品の臭いと身体の背面全体に感じる柔らかさから、自分は医務室に運ばれてそこのベットの上で横になっているのだと認識するのに一分弱の時間を要した。だが、誰かに聞かずにそう気付けたのだから悪いことではないだろう。
「ローガン、起きた……?」
その声の元を頭を動かして追ってみると、そこにはいつもの普段着としての警告色の戦闘服を着用しているUMP45がいた。ローガンが何かを言う前に彼女は目を覚ました自分の額に手を当てると、しばらくそのまま硬直。そしてゆっくりと手をどかすと溜息を吐いた。
「熱はやっぱりないか……ビックリしたわよローガン。呼びかけに応えないから見てみれば倒れていたんだもの」
「……悪い。ちょっとした体調不良からの眩暈がな」
「まったく、自己管理云々とは言わないけど心配させないでよね。この間まで残業してまで書類作業で働き詰めていた影響がここに出てくるものじゃこの先やっていけないわよ?いっそのこと、あの夜戦女王が以前言ってた通りに基地内の警備に回ってた方がいいんじゃないかなロ~ガァン?」
ピッとローガンの額に指した人差し指の先をグリグリと45が押しつけてくる。少々棘を含めた言葉にローガンはぐうの音も出せずに詰まって言葉を発せれなかった。ただその白磁のように白い指先には力が込められておらず当てられているだけであるのだと、ローガンはすぐに気付いた。
指先から伝って45の表情に視点を移してみれば、彼女は笑っていながらもどこか気持ちの靄が晴れていないように陰を落としている。その黄金色の両目には憂いが浮かんで彼女の想いが映し出されていた。
「本当に悪かったよ。良かれと思ってやってた結果がこの様だ。情けないと罵倒されても仕方ないし、お前からも甘んじて受けるよ」
「じゃあ言わせてもらうわよ。バカ、アホ、無鉄砲、命知らずの博打男。あなたと肩を並べて戦うことになった時は一回は肝が冷えるだけの思いをするだけの覚悟をしなければならないじゃない。いい加減に段階を飛び越さない戦い方を一貫しなさいよ」
「皆にも言われるなそれ。気付けばそうしなければならないとかを直感で思ってしまって、可能かどうか考える前に身体が動いてしまっているんだよ」
「言い訳するなバカローガン。それでいつも見ていられない思いをするこっちの身にもなりなさいよ、いくつ私達に活動寿命があっても足りなくぐらいになるんだから」
「はっはっは……そんなにひどい男なんだな、俺って奴は」
「ええ、本当に。自省しなさいよ、狼さん?」
頬を膨らませた45にローガンは力なく笑って起こした上体と一緒に両目を動かして状況を確認。損壊していたりする異変などが全く見受けられない、そんな静かな医務室にいるのは自分と45だけ。薄暗い豆電球に照らされて掛け布団などの皺が見えていても、自分や45が着ている暗色の上着にははっきりと見られない、そんな明るさだ。
そんな中でローガンは少女の姿をしている45と二人きりでいることに気恥ずかしさを感じ始めたところで、不意に45はこちらに正面からもたれかかって来た。
「……45?」
胸に当てられた彼女の左手は次第にローガンの上着を掴んで自身の引き寄せ、もう一方はローガンの背へと伸びていた。自惚れではなく、まるで掻き抱いたローガンを大切な何かのように、失くしたくないと主張しているようで、そして遠くへと行って欲しくないと懇願しているかのようでもあった。ローガンは内に湧いていた羞恥心が鳴りを潜めているのを隅に追いやっていながらどうしたものかと困っていると、胸に顔を埋めた45がくぐもった声で言ってきた。
「……ローガン、ハリーと同じくあなただって代わりは見つからない、『唯一』の存在なんだから無茶はほどほどにして。誰かの為に身体を張ってくれているのだから絶対にするなとは私からは言えない。でもあなたは銃を握って戦いながら
その言葉による衝撃は初めてではない気がした。しかし、だがらといってそれによるインパクトが弱まる理由になっていない。
45が本心のまま訴えているのか、と疑問を抱くほどローガンだって自分が捻くれていないと確信している。彼女が今日まで歩んできた道のりを詳しく知らないが、決して楽な道筋ではないことまでは重々承知している。もしかしたら幼少期の自分よりも過酷な経験を、心をすり減らされる思いをしてきたのだろうから。決してローガンは45達に憐れまず同情までしない。それはあくまで客観的に、『他人』という立場に甘えて傍観しているだけのような気がするからだ。結局それらは戦術人形として自分達の為に戦ってきた彼女への冒涜に、侮辱へとなってしまう。それだけはローガンとて断じて許せなかった。
何かをするのだとしたらただただ、共に目線を同じ高さに合わせて物を見ること。そして苦々しく思うことがあればそれを共有し肩を組む、それだけだ。
その事象の『当人』という立ち位置にいなければ、『404小隊』というこの世の『必要悪』を良き友人として受け入れられない。
ローガンは密かに行き場のない、何にも形容できそうにない温かい感情を込めて45の頭をゆっくりと撫でた。
「ごめんな45、俺はまだこの先もお前達に心配をかけることになる。俺はきっと、自分の命をなげうっての姿勢でなければ地団駄踏んでしまって前進できないんだ」
「それをやめてって言ってるのに……」
「うん、お前が言いたいことはわかってる。でもさ、目指しているその先に輝ける未来があるって、立場を気にせずに笑い合えるんだって思うんだよ。俺はそれをお前の為にも形にしたい。クソッタレな取捨選択を強いている、そんな世界で在り続けて欲しくない。だってよ、誰も苦しいままでありたいなんて思うわけないじゃないか」
「でもローガン、それって――――――」
45が何かを言い掛けた途端、数メートル目の前の医務室の扉が開かれる。ガチャリッと開かれた先にいたのは小さな土鍋をトレイに載せたAR15であった。
一瞬、ローガンは自分の中の時が止まった気がした。腕の中には顔を埋めている45がいて、自分は医務室のベッドの上。さらには薄暗い部屋の中で彼女と二人キリで誰も居ない。そんな状況下で事がこれから起こらない、という方向性に考えないのは無茶があるというものだ。
顔を見せた当初はきょとんとしていたAR小隊の参謀が徐々に邪気を纏っていくのをローガンは見た。眉間に皺をつくれるだけ両目はつり上がり、わなわなと身体を震わせて手に持っているトレイからは軋ませるだけの力を込めている。それに恐れを抱かない程、ローガンは怖いもの知らずではない。
「……なにをしているのかしら二人とも。『そういったこと』をする為に医務室はあるわけじゃないのだけど?」
「ち、違いますことよ参謀閣下!俺としましては単に心配してくれていた45に謝っていただけの事でありましてですね!?」
「それって抱き合わないといけない事?口頭だけで済むだけなのに、体全体で意思表示をするというのは随分とオーバーじゃないかしら?」
AR15の長い脚が一歩を踏み出す度に地響きが鳴っている気がした。ローガンからすれば自身より背丈が低い華奢な少女が歩いて来ているだけだというのに、何故か自然界の絶対的王者が自分の命を狩ろうとしているのだと誤認してしまう。
『抵抗』という二文字すら掻き消えてしまうそれほどまでにST AR-15という戦術人形の少女が畏怖を抱かせる存在のように思えた。
「どう取り繕ってももう手遅れねローガン。私がこうしてきているというのに45を引き剥がそうとしていないのだから」
「キャーッ!もう言い訳しても本当に耳を貸してくれなさそうで俺のパニックは最高潮!ていうかすごいぞAR15、もう気迫だけで人を殺せる勢い!そんな奴が味方にいてくれるだなんてとても嬉しいぞぅ!!」
「そうかしら。でもここで潰えようとしているのはあんたよ。ここでどのような手段を取っても私はあんたを逃がすつもりはないから」
「怖い、とてつもなくすっげぇ怖い!やめて俺のメンタルゲージはゼロになっていますから!!」
ズモモモモモモモ……と黒い邪気をより濃くする彼女にローガンはガクガク震えて怯えている小動物へと変容させられていた。正直な話、他意そのものが鳴りを潜めていたというのであって行為に及ぼうとする機などローガンには微塵もなかった。弱みを見せてくれた少女につけ込むようなクズにローガンだってなりなくない。
命に誓ってそう言えるというのに、AR15は明らかにそういった宣誓すらも受け付けてくれる様子はない。彼女の立場からすれば訝しむのを通り越して怒りを覚えて当然なのだろうが、数段飛ばして私刑という名の説教が執行しようとしているのが目に見えている。
男とかの性別の問題ではなく、理不尽な境遇にローガンは辛くなった。
しかし思わぬ方向からの助け船が現れることだってある。日本の童話の一つである鶴の恩返しのように、恩を得た動物がその相手の為にできるだけのことを尽くすことのように。
ローガンの腕の中にいた少女がこちらの胸にまた数度額をこすりつけた後に立ち上がる。一瞬だけ見えた彼女の笑顔はこれまで見たことないぐらいに綺麗であった。
「不満とかはごもっともだけどさAR15、今回はそういうのはなしだよ。あなただってローガンの事が心配だったんでしょ?だったらやることはわかっているよね」
「あんたがそれを言う?経緯はどうだったかは私は知らないけど容認できるほどお人よしではないわよ。第一、体調を崩した人に何をしようとしていたのか聞く権利は私にある筈よね?」
「そうだしあなたの主張の正当性は否定はしないよ。でもAR15、ローガンにそう強気でいられるの?あなた達がしでかしたことの負債は――――――」
ノイズが走ってそれ以降の45が言ったことはわからなくなった。ただその最後の言葉を聞いた瞬間、ローガンは自分の中になにかがストンと落ちて来た。パズルのピースが繋がり組み合わされて一つの絵が完成するように、今日一日であった負のイメージが連結していった。
夢心地であった意識が現実に引き戻されるのと同一の感覚が生まれたと同時にAR15の顔色が変わる。背を向けている45がどのような表情を浮かべているのかはわからない。ただ、ノイズがローガンの聴覚で働き続けている間にも二人の会話は続いているのはAR15の動きでわかった。ローガンは読唇術を会得しているわけではないが、それでも穏やかな会話をしているのとはかけ離れているのだけは確信できる。
現実であればこんな喧しいノイズなんかが耳を遮る筈はないというのに、何故?二人の会話を聞こえないよう妨げてきている、何故?誰がどのような意図をもってこんなことを……?
―――ああ、そうか。これは『俺自身』による……―――
パズルの絵が完成して全体図がはっきりと見て取れて来た。MG4との会話における空白の思考、SOPIIに憚れた違和感、気を失う前に見た光景。その全ては自分の中で巣食っている負の記憶とイメージによるもの。誰かに打ち明けることなどできない、話すにしても全てを曝け出すことなども到底かなわない。それでも誰かに理解して欲しい、そんなローガンの葛藤と渇望であった。
やがて二人の会話が終わったらしく、45が立ち退いて医務室から退室しローガンの耳を覆いつくしていたノイズまでもが消え去る。意気消沈、という四文字が表現が合うほどにAR15はそこで俯いて沈黙していた。
ローガンは立ち上がり、AR15の前に立つ。すると彼女からか細い声が聞こえてきた。
「……ねえローガン、教えて。あなたが今も戦っているのは、何故なの?」
「なんで、だろうな。やりたいことが他に見つからないから?いや、鉄血よりも酷い、虐殺を平然と続ける連中を叩き潰したいからかもしれない」
思えば多くの敵を屠って来たと思う。ナイフや銃弾で敵を殺し、その血肉を糧にして自分は前に進んできた。生きる為、以外にも目的はあったが、結局は自分が生存していられる道を確かなものにする為という原点に立ち戻ることになる。それがおかしなことだとは微塵にも思わない。だって人間だけでなく生物そのものが自己の存続を無意識にも望んでいるのだから。
「その中に、あなたにとって大切だった人はいるのかしら。信じていた者に裏切られて傷心し、憎悪を覚えるだけの枠組みに入れたことはある?」
「……あったかもしれない。もう覚えていたくないことも多すぎるからな」
「じゃあローガン、
その言葉に我に返って彼女の方を見てみれば、いつの間にか自分の手にはかつて愛用していた拳銃が握られていて、その銃口をAR15は自ら自分の胸に押し当てていた。いつの間にか周囲は医務室の整った環境ではなくなり、ローガンにとっての始まりの場所に移り変わっている。
脳の処理が間に合わず混乱したが、とにかく今は引き金を引いてはならないと指を懸命にそこから離し銃口も明後日の方向に向けようとした。だがローガンが行っていることを予測していたかのように、AR15は両手で銃身を掴み、もう片手をローガンの右手に添えて妨げている。
理解が追い付かない、力が及ばない、意志を表明できない。出来ないことがあまりにも多すぎた。
拳銃に落としていた視界に上から何かが垂れ落ちて来る。視線を上げてみればそこでは誰でもない、AR15という少女が蒼炎たる両目から涙を流していた。
目が合ったのと同時に、彼女の口はわななきながら再び言の葉を紡いだ。
「……教えてよ、ローガン。私はあなたにとってのなに?あなたにとっての他人か敵なのか、私にはわからない。あなたの良き隣人としてありたい、それは本当の事だけど事実がそれを許してくれないの……。45が言った通り私達が、私が犯したあなたへの罪は大きくてどう報いればいいのかわからないの。……教えて、ローガン。あなたは私が―――」
――憎い……?―――
これは夢であって現実ではない。だけどこの胸を貫く痛みと高鳴る鼓動は間違いなく本物で、咄嗟に取ろうとしている行動も嘘偽りなくローガンがそうしたいと思っている事。そうであると自分もそう断言できる。
「答えてよローガン!あなたは私を殺したいというのならそうしていいわよ!それだけの資格があなたにはある!それとも自己破壊を私に命じてみる!?それであなたの気が晴れるなら構わないわ!!」
「違う、俺は……!!」
あんなことがあって何も思わないことはない。遺恨が残るのは然るべきことで、AR15に対し負の感情を抱いてしまっても咎められる覚えはない。
だけどそんなどす黒い渦の中に一つの光だけがあった。自分の中に朧気ながらに留まっていた亡霊を払ってくれたのは誰だったか、はっきりと覚えている。そもそもの話、過去となった隣人たちが逝ったことの喪失感を影ながら歯を食いしばって耐えて来た自分、そんなどうしようもない男を誰よりも先に見つけてくれたのは誰だったか。
全て、全て、全て、覚えている。暗闇を歩いてきた分、抱擁しあった時の嬉しさを。言葉を声に乗せての伝え合う高揚を。友愛や親愛を受けた時の温かさを。
それを取り戻したいと、心から思っているいからこそ、ローガン・ブラックという自分はこんな幻想と願望に満ち溢れた夢を見た。
だから目の前にいるAR15は彼女本人ではない。ローガンが過去に見た記憶が投影されている偶像で、記憶にない言葉や台詞、言い回しなどは全てローガンのこうであって欲しいという願いという名の当てつけだ。
「……ごめんな、今はお前が満足のいく答えを用意できない。いざこざがあった奴にこういうのもなんだが、俺も迷ってるんだと思う。でも確かなのは、お前を殺したいとは微塵も思っていない、それだけだよ」
ゆっくりとローガンは距離を詰めてAR15を抱きしめる。腕に収まった少女は銃口を未だに自身に当てながら抵抗してきたがなんとか抑え込む。きっと暴れているのはやりどころのない感情に満ち溢れてしまった幼き頃の自分で、AR15の姿をしているのはきっとそれだ。
「俺もいい加減に大人にならないとなんだ。身体的にじゃなくて、はっきりとした線引きが出来るぐらいの精神的にな。そうならなきゃ、機械仕掛けの人間であり続けるお前達に申し訳が立たない」
きっとこのまま帰って彼女本人に言えば何を言ってるのかと罵倒されることだろう。SOPIIと一緒にされているように拳骨を落とされた挙句には一蹴されてくどくどと耳に痛いことを言われてしまうことだって容易に想像できる。
だからそうならないよう、きちんとやるべきことをやって帰らなくてはならない。胸を張って堂々していられる自分になって、自分の足で彼女の元に。
そう認識した途端、なにかが浮上していく気がした。浮力が働かないまま沈んでいた暗闇そのものに光が差し込んでいくように、段々と自己の深層意識から引き戻されていく。
それでもローガンは腕に抱いた少女を抱きしめ続けた。もう二度と、忘れてしまわぬように。
――――――
揺れ動かされていた、銃器を抱えた目の前の少女に。いつの間にか予定していた自分だけの休憩時間がオーバーしていたらしく、マシンガンの少女は眉根を寄せて不満げであった。
「サボっていたのか」と言われかけたがすぐに取り消された。仮眠に入るまでの二十六時間、一睡もせずに戦地に潜伏していたのだし疲れはピークに達していた。それはこの少女も長時間に渡り行動を共にしているので重々承知している。戦術人形という立場になれば人間の疲労の具合が正確に測れないと、彼女は物静かに愚痴った。
そんなことはないさ、と俺は言った。他人が感じている疲労なんて同じ人間でもよくわからなかったりするし、逆に俺だってお前達のことでわからないことだってある。俺達も属しているタスクフォースなんて部隊にいるんじゃ、そんな命題に真っ向からぶつかるのは避けられない。だけど二人三脚で行ってはならないと言われているわけではないんだし、地道に見極めていけばいいさ。
言いながら俺は身体の節々を鳴らしていると、少女は立ち上がって呆れたようにして言葉を漏らした。その言葉、捉えようによってはプロポーズになるのではないですか?
少女は変化が乏しく無表情のままであったが、少し顔を赤らめていた。そんな気恥ずかしいことを恥ずかしがりながら言えるようになったということは心の距離が近くなってきている証拠だろう。しかし彼女とてむず痒くなっているのも間違いない。
このまま少々雑談で洒落込みたかったが、寝坊してしまったせいで時間も差し迫ってきている。
とりあえず俺は近くの壁に立て掛けていた小銃を手に取ってセーフティを解除、ハンドルを引いて移動準備を整えた。少女の方はもう準備完了とばかりにセーフハウスの出入り口にて待機している。
互いに拳を打ちつけてから外に出ると、硝煙の臭いが鼻を突くのはいつもの事ではあるが空から風物詩そのものが降ってきていた。グローブを填めた掌に載せてみればそれは溶けて水へと変化していく。それが何なのか、俺はわからないほど無知ではない。
雪……、と静かに白い吐息と共に漏らした少女の頭を俺は撫でると戦闘用のマスクを鼻に掛けて顔の下半分をそれで覆う。夢で見た時のようにリラックスして歩けないこと、それによる虚しさを少女が感じているから慰めているのではない。むしろ逆、俺自身へのそれだ。
どうしたのですか、と尋ねて来る少女に俺は悪いな、とだけ返して先を急ぐ。今の俺の情けない姿を少女を始めとして誰にも見せたくなかった。
……もちろん、彼女にも。
ここから先、俺はまた銃弾が飛び交う戦地にまた飛び込むことになる。同じ部隊の誰かがそこで死ぬことになるだろうし、それで心を痛めることになることだって間違いない。だけどそれを避けようとするものなら、俺は俺を許せなくなるし彼女に申し訳立たなくなる。
それに場合によっては俺自身がここで急に命を落とすことになるかもしれない。そうなったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
……嫌な想像を振り払い、俺と少女は部隊の集結地点に急いだ。
―――全ては、彼女の為に―――
俺はここにいない彼女に思いを馳せながら、もう一度眼前の空を仰いだ。
駆け込み投稿、スライディング投稿と私の中では表現が幾つか生まれてたりはしますが、ここまで時間かかるとは思わなかったなぁ……。書き始めた当初は宣言通りに時季ネタを行うつもりではあったのですが、気付けばだいぶ先と考えていたシナリオの断片を盛り込んでしまっていました。なのでクエスチョンマークを浮かべている皆様、そうなってしまっていて正解でございます!だってこのローガンの苦悩、まだまだ随分と先の話の断章なんだもん!
なんで所々本筋のこれからに触れていたりするのですが、まあそれはそれ、これはこれ。とにかく、『そういうこと』です。さすがに一部をぼかしてしまっていますがお許しを。だって作者からの壮大なネタバレになりますもん。ああでも、察しの良い方ならもう薄々勘付かれてしまっているかなぁ……。
というわけで、今作が今年最後の投稿でございます。ていうか大晦日に投稿しているのだから今年最後もなにもクソもないのですがね。でも大分今年で打ち込んだ文字数としましては多いのではないのだろうか、と思ったりしますね。昔はこの半分以下であったというのに、とんでもない違いが出てきたものだなと一人でしみじみ。
来年の始めからすぐに本筋に戻りますが、私の中で齟齬が生まれてしまったりするのではないかと心配になったりなんだったり。怖いなぁ、色々と。こういう恐怖心は最高レアリティ確定の福袋ガチャだけでいいというのに。
では今回はこの辺で。皆様、よいお年を―――