Fate/reselect   作:Fate/reselect出張所

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プロローグ『激動のセレモニー』

 

 チェックインした時から不快だと思っていた換気扇の音が、暗がりの中でまた気になりだした。

 軸の金属部分が錆びているのだろうか、金属をこすり合わせた音が、一定のリズムで部屋に響く。もう慣れて眠りにつけたはずなのに、一度それに囚われると抜け出せなくなる。

 暗闇の中で、決して忘れさすまいと鳴り続ける不快な音。キイ、と音が鳴り、そして次にその音が鳴るまでの数秒間の静寂。

 繰り返されるそのリズムに、頭痛を覚え始めた頃だ。

 ――すぐに逃げろ! 竜也(たつや)

 換気扇の音に引き出されるように、声が頭の中で響き渡る。

 それは合間にあった静寂に食い込み、絶え間なく金属音と声が脳内をかき乱していく。

 ――これを持っていきなさい! 父さんも母さんもすぐに追いつく!

 ――鏡宮さんの所へ向いなさい……早くっ!

 ――聖堂教会……奴ら投降した人間も殺すのかよ!

 これは昔の記憶、俺……読水竜也(よみみずたつや)を読水竜也たらしめる言葉、トラウマだ。

 ――この光景を忘れるな、小僧。二人の苦しみを理解できるのはお前だけだ。

 ――竜也君、十年……十年、待っていなさい。絶対に二人を連れ戻せる奇跡を用意してあげよう。

 ――人のままくたばるか、外道になって生き抜くか……道は一つだ。

 もう良い。俺は唸りながら身を起こしている。もう充分だ。

 聞こえなくても分かっている。忘れてはいないし、忘れることなどできなかった。

 目を開くと、カーテンの隙間から溢れた日の光が乱暴に俺の目に飛び込んできた。まどろんでいた脳内を光が乱雑にかき回し、覚醒していく。微かな頭痛に伴い、呼び起こされていた声が遠のいていった。

 俺はカーテンに近づき、ヨロヨロとカーテンを開けていく。

 見ればまだ日も出て間もないが、もう準備を済ませ、この部屋を出よう。俺は窓に背を向け、部屋のベッドの隣に置いていた革製のアタッシュケースをベッドの上に乗せる。

 身支度を整え、椅子に掛けていたガンホルダーを身に付けた後、上着に袖を通す。ここブラジルでの仕事も既に終えたが、用心に越したことはないだろう。

 そして最後に、机の上に置いておいた銀製のロケットペンダントを手に取る。

 俺はペンダントを開けてみる。親指の爪ほどの小さな木片が納められた父の遺品。由縁は未だ分からないが、別れ際に貰ったこれは父の遺品でもあり、誓いを揺るがぬものとする依代でもある。

 もう少しだ。俺はペンダントを閉じ、首に掛けた。四日後の今頃には日本に戻り、魔術師の家系の当主として聖杯戦争に参加することになる。運び屋として過ごしたこの十年の雌伏の時が報われる、そのチャンスを手にすることができる。

 部屋から出て、目だけで軽く人気がないかを確認する。周囲の安全を確認し、俺は後ろ手でドアを閉じようとしたが、ふと部屋の様子が気になり、振り返った。

 滞在したのは三日ばかりだったか。雑誌が部屋の隅に束ねてあるだけの、殺風景な部屋。思えば十年間の合間に過ごした部屋の多くは、こんな感じだった。

 もう二度と戻ることはあるまい。俺は必ず戻ると誓ったあの地に、帰るんだ。そう決意すると、俺はこの部屋の景色を静かに覆い隠した。

 

 

 

 始まりはシスターからの一声だった。

「シュウジ神父。貴方宛のお手紙を預かっております」

 この孤児院に着いてから一通り施設を見回り、事務所に戻ると、この施設に務めるシスターが私に封筒を差し出した。

「ああ、ありがとうございます」

 と、礼を言って、受け取った封筒に視線を落とした。封蝋に押された印から、手紙は聖堂教会からのものとすぐに分かった。

 私はふと顔を上げた。シスターが黙ったまま、私を心配そうに見ていたからだ。よほど難しい顔でもしていたのだろうか。

「……ああ、大丈夫。世話になった方からですから、別に大した要件は書いておりませんよ」

 私はヒラヒラと封筒を振ってみせた。

「子供達も元気な様で安心しました。では、次の施設を見て回らないと行けないので……」

 そう言って頭を下げ、シスターの脇を通り過ぎて部屋を出る。

 歴史ある修道院を改装して作られたこの孤児院は、現代的な施設を備えても外装は尚も荘厳さを失っていない。私はお喋りに興じながら歩く子供達の前で表情を崩さぬよう気をつけながら、この孤児院を出る。

 駐車場に停めていた車に戻り、車体に背を預けながら固まった封蝋を無造作に割った。そして封筒の中に入った手紙を睨む。バンパーの歪んだ中古車だが、こうして背を預けると悲鳴を上げるように軋んだ音を立てる。

 届け主は神父、マリオ・アルバーニ。私の養父であり、かつての上司。そして今尚聖堂教会、第八秘蹟会に身を置く男。

 紙に反射する西日に苦しめられるが、私は目を手紙から離すことはできなかった。ただただ、そして何度も、手紙に書かれた内容を頭の中に反芻させる。

「………」

 手紙を読み終えた私は、ため息を着きながら顔を上げた。

 夕日で影になってしまっているが、遠くにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が見える。ここフィレンツェに住んで四年経つが、いつでも行けると思ってしまい、そして終ぞ行くことがなかったな。そんなことを思いながら、手紙を指で折り畳んだ。

 そして再び日本、それも故郷である忌まわしき日坂市に思いを馳せる。あそこで起きた悲劇、私の人生を大きく変えた一日を。

 もう二度と戻ることはないと思っていたあの土地に私は、二度と復職することはないと思っていた代行者として帰ることになる。

 私は目を閉じて、美しいと何度も見惚れたフィレンツェの夕焼けを心から追いやる。そしてあの頃の冷たさを取り戻し、手紙をポケットに押し込んだ。

 

 

 

 この物語は、失ったものを拾い直す物語だった。

 私にとって、そして彼らにとって。

 それは必ずしも、幸福や栄光を得る物語ではなかったかも知れない。

 しかし私はもう、決して後悔することはない。

 

 

 

 正月気分が抜け去り、寒さばかりが目立つ一月の半ば。

 一人の男が日坂市の街に帰ってきた。

 二十代前半の、痩せた体を着古したハンティングジャケットで包んだ男だ。荒れた生活を送っていたのか、髪はパサついており、垂れ目だが顔もどこか張り詰めたような雰囲気がある。

 男の名前は読水竜也。かつてこの街に居を構えていた魔術師の家系であり、運び屋として十年間、世界中を飛び回ってきた男である。

 そんな読水は日本に着いてからというもの、流れに身を任せるがままだった。

 仕事用のアタッシュケースを回収し、電話の指示通りに日坂市に向かい、用意されたホテルで一泊する。

 いつでも殺せる身だな、そう思わずにはいられなかった。しかしそれも、もう少しで終わる。聖杯戦争が始まれば、否が応にもあの男とは敵対することになる。

 読水はホテルから出ると、このホテルを用意した人物……この街の有権者にて聖杯戦争の主催者、鏡宮悟(かがみやさとる)に電話をした。

 彼はたった二回のコールで電話に出た。

「やあ、良く眠れたかな? 竜也君」

「おはようございます、鏡宮さん。たった今用意していただいたホテルを出たところです。これから儀式の準備に入るので、今のうちにご挨拶をしようと……」

 なるほど。と、鏡宮は察したように呟いた。

「……つまり、ここから戦争が終わるまでは敵同士になる訳だね」

「はい……貴方には返し切れない程の恩がありますが、俺にも叶えなきゃならない願いがある」

「そうだね……もう令呪は宿ったのかい?」

「ええ」

 読水はチラリと自分の右手の甲を見た。波紋のような形の紋章。これは証。これから起こる戦争へ召喚者、マスターとして選ばれた証だ

「日坂に着いて、すぐに」

「ならば聖杯は君を、有資格者として認めた。おめでとう……触媒はちゃんと用意できてるのかな?」

「流石にこればかりは、敵になる貴方の世話になれませんから……ええ、十年のうちに用意しておきました」

 それから暫く、二人は無言であった。腹の中の探り合い、と呼べるものではない。読水はすぐに電話を切るべきとも思ったが、これを切れば次の瞬間には電話先の男が全力で自分を殺しにかかることになる。それが恐ろしかった。

 次に言葉を発したのは、やはりというべきか、鏡宮の方だった。

「……じゃあ、そろそろ準備に入ると良い。協定を結びはしたが、これ以上連絡を取り合うような真似はしない方が良いだろう」

「はい……それでは」

 電話はどちらが先という訳でもなく、切られた。

 

 

 

 聖杯戦争。

 二百年も昔、アインツベルン、間桐、遠坂の三家の魔術師が構築した、あらゆる願望を叶える聖杯を召喚させる儀式。

 その儀式の歴史は血に濡れている。聖杯を手に入れるには、聖杯に認められた七人の魔術師は使い魔であるサーヴァントと共に、ただ一組になるまで戦い勝ち残らねばならないからだ。

 七人の魔術師は聖杯に三画の令呪を与えられる。そして聖杯の力を借り、この世界に名を残した存在、英霊をサーヴァントとして召喚することができる。サーヴァントはそれぞれにクラスを持ち、他のクラスを持つ六組と覇を競うことになる。

 剣士のクラス、セイバー。

 弓兵のクラス、アーチャー。

 槍兵のクラス、ランサー。

 騎兵のクラス、ライダー。

 魔術師のクラス、キャスター。

 暗殺者のクラス、アサシン。

 狂戦士のクラス、バーサーカー。

 つまり聖杯戦争は、異なる時代に名を馳せた英霊七騎が現界し、聖杯を求めて戦う殺し合いなのである。

 アインツベルンら三家は、日本、冬木市に満ちた霊脈を基に、過去数度に渡ってこの聖杯戦争を行った。そのシステムは回数を重ねる中で他の魔術師に評価され、今ではそのシステムは真に優秀であると認められた。

 血を血で洗うような闘争の中でそのシステムは盗まれ、そして現在では世界中で三家が構築したシステムを模倣され、規模も質も様々な亜種聖杯戦争が執り行われている。

 

 

 

 サーヴァントを召喚する場所は、この地に来る前より複数用意していた。

 読水は他のマスター達に儀式を妨害されることを恐れ、読水は何人もの人間を雇いマンションの部屋や貸し倉庫などを借りている。もちろん、その多くはブラフ、そして本命の場所も状況に応じて変える気だった。

 この日坂の地を離れて十年、読水は魔術礼装や魔導書等の希少品を魔術師へ届ける運び屋として生きた。その運び屋としての勘は、後に敵となる鏡宮の厚意さえ警戒したが、読水は彼が自分をどのように扱うか探る為に敢えて彼が用意したホテルに泊まった。

 結果として、鏡宮は彼に危害を加えることもなく袂を分かつことになった。マスターを一人減らす以上に効果のある策でも用意しているのか、あるいは本当に十年前の協定、最後の二組になるまで互いに交戦をしないという約束を守っているのだろうか。

 どちらにせよ、これで自分が何重にも用意していた対策は徒労に終わった。読水は眠たい体に鞭打って、景色の変わった、かつて住んだ街を歩く。

 今の所、追跡されている雰囲気はない。そう確認しながら、それでも念の為と遠回りを繰り返しながらサーヴァントを召喚する予定の貸し倉庫を目指す。

 次第に雨が降り始めた。小雨だが一月の真冬だ、無視して雨晒しになれば風邪でも引きかねない。読水は舌打ちして近くのコンビニに寄り、ビニール傘を購入した。

 引き続き目的地を目指そうと、コンビニを出た。

 その時だ。視界の片隅に、黒いキャソックを着た長身の男が見えたのは。

 

 

 

 シュウジ・アルバーニに与えられた任務は、拍子抜けするほど簡単なものであった。

 任務は魔術師、読水竜也が身に付けているペンダントを手段を問わず回収すること。そして任務に付いた時点で、代行者として復帰したものとする。

 ペンダントの詳細は聞かされていないものの、第八秘蹟会からの命令である以上、何らかの聖遺物、あるいは聖遺物の可能性があるものと見て良いだろう。

 対象を所有する魔術師の情報も与えられたが、以前に代行者として戦ってきた吸血鬼や異端者に比べれば、取るに足らない魔術師であった。

 読水竜也。魔術師であるが、運び屋として世界中を飛び回っている男だ。魔術も多少は扱えるようだが、実戦的な魔術を扱う訳ではないということだ。

 しかし……何より工房さえ持たない魔術師だというところが問題だと、シュウジは彼の情報を確認し思った。魔術の探求をする者のほとんどは拠点とする工房を構え、その工房に強固なセキュリティを用意するものだ。隠れ潜まず、備えもない魔術師など恐れるに値しない。

 そう、つい先程までは思っていた。

 シュウジは読水を待ち構えるように、コンビニの前に置かれた灰皿の前で立っていた。読水はシュウジの横を通り過ぎる瞬間、その瞬間だけは目を見開いたように見えたが、そのまま歩き去った。

 神父の格好をしたシュウジは、ここ日本では目立つだろう。当然、読水もシュウジを目で捉えたものとシュウジは判断した。しかし彼は振り返ることなく、どころか歩く速度さえ変わらないまま立ち去ろうとしている。

 気づかれた、シュウジはそう感じた。隠れて尾行しているうちは気づかなかったようだが、一度シュウジを視界に入れた途端に彼は自分が追われていると悟ったようだ。

 あるいは、聖堂教会に追われた過去でもあるのだろうか。シュウジは読水の背を目で追いながら、彼への理解を深めようと思考を巡らす。回収対象のペンダントを彼がいつから持っているか、情報にはなかった。第八秘蹟会が他の人間を使って回収を試み、そして失敗しているのなら、元代行者である自分を指名したのに納得がいく。

 どちらにせよ、一筋縄ではいかないようだ。シュウジは口角を上げると、読水を追う為、傘を差さずにコンビニの屋根から出た。どれほどの実力があるか分からないが、気づかぬフリを決め込むなら、こちらは逆に大っぴらに追ってやろうと決め込んだのである。

 数分の間、前方の読水は無反応に歩き続けた。やがて彼は駅前のデパートへ入って行った。

 これが人混みに紛れようと講じた策なら、それは失敗だろう。いくらデパートとて、視界から読水が消えるほどに人がいる訳ではない。シュウジはそう判断するが、それでも距離を離すことはないよう気をつけながら彼を追う。

 読水はふと何か見つけたように、ゲームセンターの中へと入って行った。そしてクレーンゲームが並ぶ狭い道を進んでいく。

 人混みと騒音に紛れ、逃げようとでも企んでいるのか。魔術師としては俗な真似をするのだなと、シュウジは拍子抜けしながらも気を抜くことなく追跡を続ける。

 この時点でシュウジは二つ、読水の思惑を看破できていなかった。

 一つ目は彼が、この状況では追跡してくるシュウジを撒くことなどできないことを承知していたこと。

 そして二つ目は、彼がゲームセンターへ逃げ込んだのは、周囲の騒々しさで詠唱を聞こえなくさせる為だったことだ。

 近くのクレーンゲームのウィンドウが割れ、大きな音を立てた。そしてすぐ傍にあった格闘ゲームの画面、照明と、次々と物が破壊されていく。その異様な状況に、ゲームで遊んでいたものらが悲鳴を上げ、その場から逃げ始めた。

 シュウジは見た。小さく素早い、鳥のような姿をした使い魔が、飛散する破片に紛れて素早く動き、破壊できそうなものに片っ端からぶつかり、叩き割っているのを。

 何のつもりだ。シュウジの顔から血の気が引いた。

 既に読水の姿が消えているのを確認すると、シュウジは出口へと走る客を押し退け、出口に急ぐ。しかし着いた頃には、読水の姿はなかった。

 近場の客から周囲の客へと混乱と恐怖は伝染し、ゲームセンター内に限らずこの階層は一時騒然となる。この混乱に乗じて逃げるつもりなのか。

 しかしシュウジが不気味に感じたのは、そんな表面的なことではない。

 魔術師は世界の法とは異なる法をもって生きている。その第一に挙げられるのが、神秘の秘匿というものだ。

 魔術とは常人には理解できぬ神秘であり、そして神秘であるからこそ魔術は魔術足り得る。シュウジもまた魔術を扱うが、魔術を使う際は人払いを行うなどして人を極力排除するのが常だ。神秘の秘匿という思想こそ、全ての魔術師が共通に持つ不文律なのである。

 読水はその不文律を、容易く切り捨てた。

 人払いを行うこともなく、公衆の面前で使い魔を操り状況を打破する。シュウジはこの行動の裏に隠れた、読水竜也という男の根幹に激情が沸き起こるのを拳を握って堪えた。この男は、魔術師としての矜持は持ち合わせていないのか。

 

 

 

 デパートから抜け出た読水は裏通りに入り、壁に背を預けて喘ぐように呼吸を繰り返した。そして煩わしそうに、顔に貼り付けていた御札を剥がす。

 『摩利支天の偽装符』、高値で買い取った魔術礼装なだけある。またこれに助けられたか。

 摩利支天の真言が書かれているこの格式高い札は、貼られている場所がどこであれ貼られていることに違和感を与えず、また貼られている対象の印象を薄くする。

 魅了魔術の一種だが、効果は通常イメージされるものとは真逆の魔術。普段はハンティングジャケットの内側のガンホルダーに貼ってあるのだが、読水は指輪を媒介に使い魔を操って混乱を作り、そしてこの偽装符を顔に貼ることで、シュウジに顔を認識させなくさせ、周囲に溶け込んだのだ。

 シュウジがすぐに出入り口に走ったのは想定外だったが、読水は彼のすぐ脇を通り過ぎて、そのままデパートから出てきた。

 しかし、一か八かだったのは否定できない。もしシュウジが読水をアタッシュケースを持つ男と認識していたり、服装からある程度当たりをつけて探してきたらバレてしまっていただろう。

 読水は額の汗を拭い、震え始めた右手を包むように左手で握りながら、その場でしゃがみこむ。

 何者だ、あの男は。読水は深呼吸を繰り返して昂ぶった精神を落ち着かせつつ、今必要な情報を吟味する。自分と同じ、マスターなのか。気になるのはあの服装、神父……まさか、聖堂教会の人間か。

 ただ一つ分かることは、あれが自分以上の実力を持つ者だということだ。ひょっとしたらあれが代行者、聖堂教会が抱える殺し屋かもしれない。だとすれば、自分の生還は絶望的とみて良いだろう。吸血鬼や異端者を相手取る連中に、一介の運び屋風情が太刀打ちできるはずもない。

 ……冗談じゃない。読水はアタッシュケースを掴んで立ち上がった。あと一歩のところまで来たのに、こんなところで殺されてたまるか。

 読水は裏通りを進み、人気のない場所を探す。打開策は一つ、一刻も早くサーヴァントを召喚することだ。幸い、用意した触媒は一級品だ。これなら自分が予測しているサーヴァントが確実に召喚されるだろうし、そのサーヴァントなら代行者にも、他のサーヴァントにも遅れを取ったりはしない。

 読水はトタン屋根の倉庫らしき建物を発見し、ドアに警報装置がないのを一瞥して確認してからドアを蹴破った。

 どうやら自動車の修理工場のようだが、人はいないようだ。念の為、人払いの結界を簡単に張る。

 そして雨で濡れた髪を掻き上げながら、工場内を神経質に見渡していき、やがて良し、と頷く。ここなら召喚の儀式ができるだろう。

 読水は唸り声を上げながら、儀式に必要なスペースを確保する為に置かれていた資材や工具を押し退け、投げ捨て、蹴散らす。そしてようやく魔法陣を引けるだけの広さを確保し、アタッシュケースから水銀が入った瓶を取り出す。

 消却の中に退去、退去の陣を四つ結んで召喚の陣で囲む……十数分掛けて水銀で引いた陣を数歩離れて確認し、読水は空になった瓶を脇に投げ捨てた。

 次に読水は、アタッシュケースから触媒を取り出した。

 それは樫で作られた箱に納められた、古い本だった。命懸けで得た触媒も、全てはこの時の為にあった。読水は慎重にその本を箱から取り出し、魔法陣の中に置いた。

「良し……さあ、始めるぞ」

 読水は再度距離を置いて、魔法陣の出来栄えを確認する。急ごしらえだが、充分だと思えるものだった。後は、詠唱を唱えさえすれば令呪と聖杯の魔力が英霊を呼び寄せる。

 読水は息を整え、魔法陣の前に立つ。そして令呪が宿った右手を、捧げるように魔法陣へと突き出す。

 その時だ。

 バン、と音を立てて自分が蹴破ったドアが開かれ、工場内へとシュウジが飛び込んできた。

「あっ……クソッ!」

 神父を確認した読水は、そう叫びながら右手をジャケットの中に滑らし、拳銃を引き抜いた。

 拳銃には『摩利支天の偽装符』が貼られているが、その挙動を見たシュウジは、舌打ちして腕を顔の前で交差させた。そして姿勢を低くし、読水の左側に回り込もうと駆け出した。

 速い。読水は両手で銃を構える余裕すらなく、獣のように低い姿勢で駆け寄ってくるシュウジに向けて、片手で何度も引き金を引く。

 銃声と着弾した弾丸が弾ける音が、工場内に何度も響き渡る。都合、三発。うち一発が神父の脇腹に当たった。

 脇腹に銃弾を受けたシュウジは横殴りに倒れて地面を転がり、体をクレーンを支える柱に打ち付けた。

 しかし、それだけで倒れる代行者ではなかった。シュウジはすぐに両手を地面に着けて飛び起き、屈伸した姿勢から何かを投げるように振るった。

 それが何か、咄嗟に反応した読水は当初気づかなかった。自分の身を守ろうと拳銃の銃身で受け、掠めて火花を散らしたその剣のような何かが黒鍵、聖書のページで作られる、代行者が得物に使う概念武装であることは後に気づいた。

「おわ……ッ!?」

 投げつけられたその剣に読水は怯むが、すぐさま手にした拳銃で反撃する。シュウジは既に二本目の黒鍵を生成していたが、投げる間もなく次の銃撃が彼の腕を叩いた。銃弾を腕でガードしたシュウジは衝撃で背後の柱へと叩きつけられる。

 無理だ。柱に磔にしたシュウジへと断続的に銃弾を送りながら、読水はアタッシュケースを掴んだ。銃弾を浴びて生きている人間に、致命傷を与えられる武器を読水は持たない。それに読水が握っている拳銃はリボルバーだ、微かに優位に立てているこの状況も、すぐに弾切れによって瓦解する。

 工場の正面口に飛びつき、鍵を開けた読水は、脇目もふらずに逃げ出した。

 

 

 

「……奴め、いよいよ魔術師か疑わしくなった」

 工場に残されたシュウジはそう毒づき、読水が落とした『摩利支天の偽装符』を踏みつけた。

「……クソッ」

 袖を捲って、銃弾を受けた腕の傷を確認する。腕はまだ使えるものの、撃たれた場所は青痣になっている。

 シュウジは強化という魔術を使う。刃物に使えばより斬れる刃物に、腕に使えばより強靭な腕にと多様性に富んだ魔術だが、あの時はただの拳銃程度ならとこの魔術で身体を強化するも、こうして突破されてしまった。

 シュウジは知る由もないことだが、読水が使っていた拳銃はコルト・ローマンと言うリボルバーだ。銃自体は小さく作られているが、使用する弾は.357マグナム弾、鹿程度の中型の獣を狩猟するのにも使われている弾だ。一般的な拳銃弾として知られるものとは、威力の面で頭一つ飛び抜けている。

 そしてもう一点、シュウジにとって想定外のことが、今起こっていた。

 袖を捲った際、ふと目についた手の甲の痣。よくよく見てみれば、それがまるで紋章のような形を象っていたのだ。

「……で、これか」

 と、シュウジは顔を上げ、読水が残した儀式の後を見た。中央に残された古い本と、魔法陣の形、そして自身についた紋様……これが意味するところを、彼は口に出した。

「……聖杯戦争」

 それは今や、聖堂教会の人間ならば知らないものはいないほどに知れ渡ったシステムだ。

 聖杯戦争で奪い合う聖杯は、本物の聖遺物ではないとは言え、聖杯という名を冠する。その為、冬木の聖杯戦争では聖堂教会は監督役を派遣し、聖杯戦争での被害やマスターの保護といった仕事を行っていた。故に形式的なものになりつつあるが、亜種聖杯戦争においても聖堂教会は監督役としての立場を魔術師達から求められ、今や聖杯戦争をどの組織よりも把握していると言って良い状況にある。

 しかし、少なくもシュウジはこの日坂市で聖杯戦争があること、そしてあの読水が聖杯戦争に参加するマスターであることを知らされてはいなかった。

 ただの復職の為のセレモニーと思っていた任務が、途端にきな臭いものになってきたことに、シュウジは顔をしかめる。

 そして一番の問題は、シュウジ自身にも聖杯戦争への参加資格である令呪が宿ってしまったことだ。

「………」

 恐らく聖杯戦争が開かれ、それが聖堂教会も認可したものとなれば、マスターである読水に代行者として手を出すことはできなくなるであろう。

 しかし、今のシュウジはこの聖杯戦争の参加者として、公然と読水と戦うことが許されている。

 シュウジはジッと令呪を見つめる。聖杯、魔術師の作った願望機などに興味はない。しかし、このタイミングで聖遺物の回収として派遣された意味、故郷で非公式と思われる聖杯戦争が開かれた背景、そしてもう手にする機会はないと思われた、十年前の理不尽な悲劇の理由、それらをシュウジを強く求めた……。

「………」

 シュウジは黙って、魔法陣の前に立った。

 

 

 

 一方、読水はフラフラと歩きながら、心に降り積もった感情を時折壁を蹴ったり叩いたりしながら晴らしていた。

 どうして触媒を回収できなかったのか、どうして『摩利支天の偽装符』を落としてしまったのか。

 どうして代行者に自分が襲われなきゃならないのか。

 どうして十年前、自分の家が聖堂教会に襲撃されなくてはならなかったのか。

「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう!」

 どれだけ口に出しても、当たり散らしても、何も変わらない。

 それでも変わりたいから、こうして命を賭けて聖杯戦争に望んだのに、この様は何だ。

「………」

 視界がすーっと暗くなり、思わず読水は電柱に体を預ける。

 まるで酔っ払いだな。と、読水は自嘲してしまう。気がつけば、すっかり日は落ちてしまっている。工場から逃げてから、どれだけ走ったかさえ、もう思い出せない。

 ……このまま国外に逃げるより、いっそ戻ってあの神父に殺された方が楽になるかもしれない。

 そんなことを考えながら、読水は踊るように翻って塀に背を押し付け、顔を上げて……。

 そして、気づいた。背を預けた塀、そしてその壁の向こうにある建物がかつての自分の家だということに。

「……嘘だろ」

 バッと体を離し、屋根瓦を付けたその塀を見る。そして塀を伝うように正門へ。何かに取り憑かれたように向かうその脚は、徐々に速度を早め、そして終いには走りだす。

 正門には錠がされていたが、構わず読水は脇の塀をよじ登る。そして塀の向こうを見た読水は。

「……はは。まあ、そりゃそうさ」

 と、乾いた笑い声を上げた。

 焼けた屋敷は既に影も形もない。考えてみれば、この敷地は今は鏡宮が管理していると聞いている。焼け落ちた屋敷なんて残せるはずもない、解体してしまったのだろう。

 あれだけ走り回って遊んだ屋敷も、庭の木々も、もう残されていない。十年前の悪夢と共に、きっと他の者には過去のものと葬られたのだろう。

 しかし、一つだけ残っているものがあった。正門から見て、敷地の一番奥に配置された土蔵。あれだけは火災から逃れ、残っているみたいだ。

 確かあそこは、降霊術で来歴不明の品を調べ、保留あるいは不明と評価されたものを保管していた蔵だ。

 その時、読水の脳裏に電流が走った。触媒を失ったなら、また探せば良いと。

「そうだ……」

 読水は塀から降り、土蔵へと走る。魔術を使って土蔵にある物の由縁を調べていけば、ひょっとしたら英霊を召喚するに足るものが見つかるかもしれない。

 土蔵は錠が取り付けられていたが、読水は思いっきり引っ張って錠前自体を扉から引き剥がした。

 スライド式の扉を背で押すように開け、月明かりを頼りに周囲を見渡す。

 禄に手入れもされてないのだろう。埃っぽい蔵の中には、陶器や刀剣、絵画や本に至るまで、あらゆる骨董品が雑多に積まれていた。

 すぐに始めよう。と、読水は跪き、顔の左半分を左手で覆った、そして右手で手近にあった日本刀に振れる。

 こうすることで、読水は覆った左目で対象の過去を遡って知覚することができる。『辿跡術(てんせきじゅつ)』と家では呼んでいたが、一般的にはサイコメトリーと呼ばれるもの、読水の一族が丹念に練り上げ、魔術刻印で子々孫々に伝えてきた家伝の魔術だ。

 魔術師は親から子へ、魔術刻印を継承させることでその探求成果を引き継がせ、発展させていく。そして読水家の当主として魔術刻印を引き継いだ読水は、一族が最期に残した品を掻き集め、未来を切り開こうと藻掻いていた。

 読水の辿跡術は、対象の物に残された残留思念が多いほど読み解くのに時間が掛かる。外を走る車の音も聞こえなくなった頃、読水は疲労と焦燥感で視界が定まらなくなってきた。それでも希望を捨て切れず、手が届く範囲の物を調べ終わると、読水は棚の高所に置かれた物に手を伸ばして漁り始める。

 次第に集中力も切れ、読水はまともな降霊術はおろか顔を上げることもできなくなってきた。手探りで棚の高所をまさぐり、掴んだ物からメチャメチャなやり方で起源を辿って見る。

 棚から陶器が幾つも零れ落ちていき、読水の足元で割れていく。陶器が飛散する音を聞く度、ハッと神経が引き締められるように集中力を生み、また弛緩する。そんなことを繰り返していると、読水は足元の物に躓き、仰向けに倒れてしまった。

 痛みに呻きながら目を開けると、棚から小物が落ちてくるのが見えた。

 それを読水は手に取ろうとは思っていなかった。しかし、咄嗟に顔に当たらぬよう防御した右手に、それはすっぽり収まった。

 その時、読水の脳裏に、ある光景が見えた。それは読水がかつて調べたどんな物より、迅速で強烈なイメージだった。

 それは和装の女性だった。木枯らし吹き荒ぶ中、槍を手に下げて晴天を仰ぐ一人の……。

 その凛とした強い瞳、傷だらけの十字槍。そして彼女が見上げる空には、一匹の龍が天に登っていた。

 汚い天井を仰ぎ大の字になっている自分の姿にすら気づかず、少しの間、読水はその光景に見惚れていた。

「………」

 そっと、読水は右手に握られた物を見てみる。それは小さなお猪口だった。

「……こいつだ」

 読水は誰に言うでもなく、そう呟いた。

 

 

 

 どんなに疲れた体も、希望がある時とない時では絞り出せる活力が違う。

 読水は土蔵の中で再度、サーヴァントを召喚する儀式の準備を始めた。既に魔法陣を書く為に用意した水銀は使ってしまっていたので、敷地内にある井戸から水を引き、そこに砕いた魔力を帯びた他の陶器を砕いて混ぜ、読水は泥を作る。

 そして作った泥で、読水は魔法陣を描く。消却の中に退去、退去の陣を四つ結んで召喚の陣で囲む。疲労で痺れた体に鞭打って、何とか魔法陣を描いた読水は。

「やれるだけはやった。後はお前に託すぞ、なあ……」

 そうお猪口に目を落として語りかけると、魔法陣の中央にそれを置いた。

 そして魔法陣の手前まで後退し、読水は手を突き出して高らかに詠唱を始めた。

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 詠唱を始めると、頭の中で火花が何度も散るような鋭痛を覚えた。自身の魔術回路が開かれてこの土地の霊脈と繋がり、今奇跡を起こさんと狂ったように暴れだす。

 泥が光り出し、召喚陣を中心に吹き荒れる風は周囲の物を吹き散らしていく。それで良い、読水は口角を上げて乱暴な笑みを浮かべる。この奇跡が、十年来の復讐の狼煙だ。反撃の号令だ。

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 

 

「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 そして読水が儀式を行うに先立ち、工場の中に描かれた召喚陣を使ってシュウジもまた儀式を行っていた。

「誓いを此処に。われは常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 これが本当に正しいことなのか、シュウジには分からない。

 しかし、かつての自分、沢尻周路(さわじりしゅうじ)としての人生を全て失ったこの土地の霊脈を吸って作られた聖杯に選ばれたというのなら、その意味を、あの理不尽の答えを、何としてもシュウジは知りたかった。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 

 

 私は、その光景を決して忘れることはないだろう。

 私を殺そうとした男と、私の前に吹き荒れた暴風と、眩い光の渦。

 そしてそこから現れた、彼の笑みを。

「……どうやら、俺を呼んだのはあんたみたいだな」

 彼はそう言うと、足元にいつの間にか描かれていた魔法陣から歩み出て、私を見下ろした。

「一応聞いておこうか? あんたが俺の、マスターか……ってな?」

 そう。

 この物語は、失ったものを拾い直す物語だった。

 私にとって、そして彼らにとって。

 それは必ずしも、幸福や栄光を得る物語ではなかったかも知れない。

 しかし私はもう、決して後悔することはない。

 

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