Fate/reselect 作:Fate/reselect出張所
アダム。
本名、国籍、一切が不明。確かなのは、彼女が優れたゴーレム使いであることのみ。
しかし、それでも噂程度の逸話は囁かれる。
かつて、彼女は欧州に住む魔術師の家系だったという。どの魔術協会にも所属せず、より人間に近づこうとゴーレムを作り続けたカバラの一族。彼女はそこで生まれた、天才児であったと。
彼女は一族の期待を背負って魔術刻印を継ぎ、一族の研究を何十年、何百年分も進展させた。彼女の作るゴーレムは精工で、外見は人と全く区別がつかない領域に達していたという。
そして、彼女の研究はある結論に至った。それは、自分達の研究では根源に辿り着けないという、絶望的なものだった。
一族の限界を悟った彼女は、次代に研究を継がせることを拒絶した。以降は衰退するだけ、自分が一族の絶頂であるなら、今現在が一族の終着点とすべきだ。見苦しく足掻いて、何になるだろうか。
彼女は自分の才能と一族の知識を元に、あるものを作成した。
それは、彼女自身と一族の魔術刻印を溶け合わせて結晶化した魔術礼装。彼女は今もその魔術礼装から、ゴーレムを生み続けている。アダムと名乗る武器商人のゴーレムが、それだというのだ。
その魔術礼装は噂で、セフィロトの樹、と呼ばれている。
薄暗がりの中、アダムは悠々と『加工屋』スティーブと一ツ目の間に割って入って行った。
背後で震えている一ツ目の小倅と、油断なくこちらを見下ろすスティーブ。スティーブは無言で右手の武器にかけていた布を剥ぎ取る。
それは人間大の背骨だった。椎骨にそれぞれある突起部分は研がれているのか、異様に鋭い。おそらく、この研がれた部分を使いノコギリのように引き裂こうという趣旨の刃物だろう。
だが、肝心要なのは切れ味でなく、その効果だ。ヴードゥーの死霊術師であるこの男が、こんな奇抜な武器に何も仕込んでないはずもない。それに……どうしてあんな体になっているかは知らないが、あの加工された肉体にも何かしら仕込みがあるに違いない。
アダムがそんなことを考えていると、スティーブは先ほど剥ぎ取った布を、不意に顔面に投げつけてきた。
血で濡れた麻布で、顔を覆われるアダム。咄嗟のことに後方にアダムはたじろぐも、隙を逃さずにスティーブは飛びかかる……飛びかかっているのだろう。アダムは迫るスティーブを想像し、笑った。カビ臭いテクニックだ。
アダムは銃口を地面に下げたまま、ショットガンの引き金を引いた。瞬間、着弾した地面から凄まじい閃光と音が部屋に満たされた。
閃光と破裂音は一瞬で終わる。しかし射撃の衝撃で払い落とされた麻布をアダムが踏みつける頃にも、未だスティーブは体を丸めていた。
フラッシュバン弾。閃光と爆音で対象を行動不能にする兵器だ。例え死体の体であろうと、目と耳で外界を認識しているのなら、効果は充分にあるらしい。
「スティーブぅ……今時の目潰しは、こうやるんだよ」
まあ、聞こえないか。この部屋内で唯一自由な身となったアダムはそう言うと、容赦なくショットガンをスティーブに向け、腰だめに発射した。
途端、アダムの方へ向けられていたスティーブの背中の肉が弾け飛び、彼は突き飛ばされたように前に突っ伏した。
アダムが手にしている銃器は、厳密にはショットガンではない。KS-23Mという、暴動鎮圧用の多目的カービン銃だ。ロシアで作られたこの特異な銃からは散弾だけでなく、ゴム弾、催涙弾、先ほど使用したフラッシュバン弾など、多くの特殊弾を発射することができる。
そして対空砲の砲身を流用して作られた銃身の口径は、対人用が一般的に12ゲージ(18.5ミリ)とされるのに対し、こちらは6ゲージ(23ミリ)である。
常軌を逸した大口径から発射された散弾は、魔術によって強化された人間の肉体であっても容易く破壊した。
「グッ……ガァァッ!」
「逃がすかオラアッ!」
血肉を撒き散らしながら立ち上がり、駆け出すスティーブ。アダムは叫んで銃を肩越しに構え、火を吹かせた。
散弾はスティーブの両足に命中し、脚は銃撃に砕ける。スティーブは叫び声を上げながら、ひっくり返るように倒れてしまった。
アダムはその様子を観察しながら、ジャケットから予備弾を取り出して銃に装填していく。ここで畳み掛ければ最高なのだが、そう上手くいかない。この銃は思い上がった魔術師をぶっ倒すのに充分な性能があるが、弾が三発しか弾倉に入らないのが難点なのだ。
アダムは弾を込め終えると、スティーブの所まで歩きながらポンプアクションで弾を銃身に送り込む。そしてスティーブの頭を両足で跨ぎ。
「なあ。頭がなくなれば、流石に死んでくれるよな?」
と、スティーブの顔面に銃口を突きつけた。
それをスティーブは、黙って見つめていたが。
「……血を流せ」
そう呟くと、彼の左腕がずるりと音を立てて伸びた。見れば皮膚は所々に破れ、そこから肉と骨だけの腕が幾つも生えている。おそらく折り畳み傘のように器用に小さくまとめていたのであろう。血に塗れたそれらの腕は、先ほどまでにスティーブの左腕に収納されていたものだ。
何かヤバい。そう判断したアダムは、引き金に掛けられた人差し指に力を込める。しかし、そうしようとした時になって初めてアダムは、自分が膝を折ってスティーブの胸に腰を下ろしていることに気がついた。
全身に力が入らない。口や目から体液が流れ出し、思考能力も大きく損なわれている。これが左腕から湯水のように流れる黒い血による呪いであることも、今のアダムには分からなくなってきていた。
だが、やるべきことは分かっている。
まず、この体に取り付けられた思考機能を放棄、次いで身体に張り巡らされた神経を通じて、たったニつの行動だけできるよう、指示を順序立てて残した。
そして、アダムは自死した。
あの閃光と音が、ようやく頭の内側から消えてきた。
突然現れたライダースーツの女と、死体男の戦い。一ツ目は悪態を付きながら、何とかといった様子でそれを見守っていた。
しかし、それも最終段階のようだ。男の左腕から溢れ出た呪いによって、女が膝を下り今にも死のうとしている。助けるべきだろうが、近づけば自分もあの呪いの餌食になるのは目に見えている。
この隙に逃げるべきだろうか。一ツ目が葛藤していると、女の方が動いた。
彼女は痙攣を起こした腕を動かし、ジャケットから円筒形の物を取り出す。そして、それを両手で包み込み胸に抱いた。
「……カ、ソウ」
そして彼女は、掠れた声で呟いた。
「ノ……ジ、カ」
何を言おうとしたかは定かではないが、彼女は言葉は途切れ、どっと男の上で倒れた。
その一瞬の後、女と男が閃光に包まれた。
その光に、一ツ目は反射的に顔を背ける。花火のような火花を飛ばしながら、二人が燃えている。
テルミットだ。錬金術、冶金技術を学ぶ一ツ目は、この光を知っていた。
アルミニウムと金属酸化物によって引き起こされる、酸化還元反応。この科学反応には強烈な光と熱が発生する。鉄さえ熔解できる熱は、付着すれば骨まで容易く焼き焦がしていく。
男は怪物じみた叫び声を上げるが、脱出することができないようだ。如何にあの男が化物だからとて、その部品は人間由来だ。耐えられるはずもない。
「………」
一ツ目は、ただ黙ってその光景を見ていた。何者か分からない女に助けられ、そして目の前で死なせた事実から、その場から動けずにいるのだ。
その手を、突然掴む者が現れた。
「おい小僧、さっさと逃げるぞ」
驚いて見れば、スポーツバックを肩に背負ったヨーロッパ系の女が、一ツ目をこの場から引き離そうと手を引っ張っている。
「ああ、さっきのは良いから」
「ちょっと待て、一体あんた……」
「良いから付いてこいって」
有無を言わさず一ツ目は部屋の外に連れていかれる。先ほどの閃光の影響か、電灯は点いているのに廊下は真っ暗に見えた。その暗さに難儀しながら、一ツ目は叫ぶ。
「一体何なんだ!? さっきの女の仲間か!?」
「本人だよ」
「はぁっ!?」
「まあ付いてこいって」
女はそう言って一ツ目を廃工場から連れ出し、眠った町へと走り続ける。
しばらくはお互い無言で走り続けたが、女は線路沿いの道に辿り着くと立ち止まり、周囲を油断なく見渡した。
「奴は……来ないな。で、何から聞きたい?」
「……あんた、ひょっとしてアダムか?」
お。と、女――アダムは嬉しそうに頬を緩ませる。
「名前くらいは聞いていたかな? お前の親父さんから助けてやってほしいと頼まれた。ここから逃げるぞ」
冗談じゃない。一ツ目はアダムの手を振り払った。父親が作った魔術礼装を売り捌いた女だ、知らないはずがない。
「お前のお陰で、俺の親父は家から縁を切られたんだぞ……ッ! 誰がお前なんかと……」
「そのお陰で、一族を再興できるだけの資金を得たんだろ」
その言葉に、一ツ目は声を詰まらせる。
「なのに、次の代で聖杯戦争に関わるとはねぇ……」
アダムは一ツ目を見る、その顔は呆れ果てたと言わんばかりだ。
一ツ目の一族は錬金術を魔術系統としているが、お世辞にも名家とは言えない。それでいて錬金術の探求は多くの貴金属や薬品を扱う。一言で言えば、金食い虫だ。
父親はその為、自分の研究成果をアダムに売って資金を調達した。魔術師としては、最もやってはならないことだ。老人達が決めた絶縁の処遇は一ツ目自身も妥当とは思うが、得られたその金と当主の座を継いだ身としては思うところもある。
「……俺は、俺の親父が作った資金で、一番手っ取り早い道を選んだだけだ」
「……そいつが邪道だって言ってるのさ、小僧」
「なに?」
「おっとと、来たぞ」
アダムはそう言うと、向こうからやってくる貨物列車を見やった。それから立てた人差し指に息を吹きかけ、黒色の燐光を指先に灯す。
「
彼女はそう呟きながら、指先で複雑な図を空中で描いた。そして貨物列車が脇を通り過ぎると、燐光を握り締める。
「……よし、あれに乗るぞ」
「人払いか」
「それじゃ誰が列車を運転するのさ? ちょいと、おバカさんになってもらっただけだよ」
アダムはそう笑いながら、スポーツバックの重さに苦慮しながら線路と一般道を区切っていた柵を乗り越えた。
貨物列車は、人を運ぶ為の電車よりずっと遅い。乗り込むのは造作もなかった。
コンテナの上に腰を落ち着かせ、一ツ目は長い逃亡で溜まった疲労を吐き出すように体を落ち着かせた。寒風が吹く中、揺れる冷たい鉄板の上に腰を下ろす。最低の環境だが、命を脅かされていた先ほどに比べたらずっとマシだ。
一息つく一ツ目、その様子に、アダムはナハハと笑う。
「お疲れだな」
「丸一日、あんなのから逃げ回ってたんだ。当然だろ……で、これからどうすんだ」
「ここから離れて安全を確保したら、鏡宮に全滅したって連絡しろ」
それから。と、アダムは言葉を続けようとしたが、ハッと顔を強張らせ、列車の先頭方向を睨む。まだ何かあるのかと、反射的に一ツ目も同じ方向を見た。
暗がりの先頭車両。リズミカルに差し込まれる照明に照らされて見えるのは、車両の上に立つ薄着の女だ。まだ一月だと言うのにダメージジーンズを履いた左足は完全に露出しており、照明の下で光を反射させている。その距離は、五十メートルほどか。
女は腰に手を当てながら、ふんぞり返るようにこちらを見ている。一体何をしてくるのか、一ツ目も目を離せずに彼女を見つめている。
アダムはそんな中で、拳銃を発砲した。
腰に挿していた小型の拳銃を抜くと、躊躇なく女に向かって撃ち始めるアダム。女は慌てて背後へ飛び込み、車両にある僅かな傾斜の後ろへと隠れてしまった。
「死霊術の類じゃあ……ん、なさそうだ」
その様子に、銃撃に度肝を抜かれた一ツ目は恨めしそうにアダムを見る。
「……また敵か」
「バックアップってところだろうね……ちっ、追ってきた」
と、アダムは列車後方に銃口を向ける。見ると、薄暗くて良くは分からないが、先ほどの死体男と思わしき者が列車の横合いからコンテナの上へよじ登ろうとしているのが見えた。
アダムは男に向かって、片手撃ちで数発拳銃弾を撃ち込む。一発は頭に当たり、突き飛ばされたように体を仰け反らせたのを確認した。しかし、それでも男は構わずコンテナを登ろうとしている。
「……頑丈だな。小僧、時間稼げ。速攻であっちを倒してくる」
アダムはそう言いながら担いでいたスポーツバックを足元に捨て、拳銃の弾倉を交換し始める。
「お、おい……ッ!」
「あと、こっちは見るな。太ももの入れ墨……あれ、魅了魔術が掛けられているからね!」
アダムはそう叫び、先頭車両へと駆け出した。
マジか。と、一ツ目は彼女の方を見て確認しようとしたが、自分がまだ魅了魔術の影響を軽く受けていると悟り、慌てて後方の男へと意識を集中させた。
アダムは不安定に揺れる車両の上を、全速力で駆け抜けた。
先頭車両にいる女は斜面から這い出て、こちらを睨みながら立ち上がる。向こうも誰を相手にすべきか、分かったようだ。
女はポケットから何かを取り出し、口に含んだ。そしてそれを二本の指で取り出すと、こちらに放り投げる。
アダムは立ち止まり、自分の視力を魔術で強化させながら投げられた物を拳銃で狙う。しかし、投擲物――唾液の付いた飴玉は、途端に泡立って煙を上げる。撃ち落とす間もなかった。
「………ッ!」
考えられるのは用途は煙幕か、毒煙だ。面倒くせえ。と、アダムは銃を下ろし駆け出す。車両の上では、迫りながら広がる煙から逃げる手もない。ならば、攻めた方が良い。
アダムは顔の前で両腕をクロスさせながら、青色の煙に頭から突っ込んだ。
アダムに対して、毒はさほど驚異ではない。神秘を持った、魔術で作られた毒なら話は別だ。毒気に足を縺れさせ、アダムはコンテナの上に強かに膝を打ちつけてしまう。
しかし、煙は列車の速度によって後方へと飛び散っていく。煙が晴れた瞬間、アダムは再度駆け出しながら銃口を女へと向け、引き金を引いた。
アダムの拳銃の構え方は、模範的と言える代物ではない。しかし蛇ように腕全体をくねらせ、銃口は執拗に標的へと向けられる。
乱れ撃ってくる銃弾に身を低くしながら、次の飴玉を女は口に含む。この間に少しでも距離を縮めようと、アダムは散発的に銃を撃ちながら走る。
「この……ウっゼえんだよッ!」
女が叫びながら、飴玉を投げてきた。しかし距離を詰めた分、気化するまでに時間がかかる。
「よっし、インターセプト……ッ!」
アダムは宙へと跳ねた。そして足の甲で泡立つ飴玉を捉え、上空へとすくい上げた。
上空で無為に煙となっていく武器に、女は気を取られた。その隙を突き、アダムはどんどんと互いの間を詰めていった。
「うわっ、ちょ……っ!」
ほんの数メートルまでに距離を縮めたアダムは、慌てる女に銃を撃つ。女は魔術で何とかその一撃を防ぐも、次いで飛びかかったアダムによって、地面に抑え込まれてしまった。
後頭部を鉄板に打ちつけ、女は怯む。このまま頭にでも銃弾を叩き込めれば最高だったのに、とアダムは考える。しかし、愛用しているマカロフPMは八発しか弾が入らない。先ほどの一発で、もう弾切れだ。
故にここからは古式、伝統ある肉弾戦だ。
「汚い言葉を吐くな、お嬢さん。お仕置きだ」
アダムは馬乗りになって、女の顔面に拳銃を横にして押さえつける。そして残る手で、彼女の頬を思いっきり殴りつけた。
アダム達より後方の車両にて、一ツ目はよじ登ってきた死体男――アダムはスティーブと言っていたその男と対面していた。
例の禍々しい武器を持った、死体人形。テルミットで焼かれたその胴体と左腕は、ほとんど炭化している。幸運なことに、あの左腕の呪物も使い物にならなさそうだ。
対して散弾で抉られたはずの脚は、特別動きが鈍っているようには見えない。治癒魔術、あるいは再生の類か。どちらにせよ、一ツ目が持つ手札ではこの男を倒すのは無理だと分かる。
だが足止めくらいなら、やりようはある。一ツ目は両腕を敵前方へと持ち上げた。あの骨製の剣だけならば、恐らく、何とか……。
身構えた一ツ目に、スティーブは何一つ考慮なく手にした武器を天高く掲げ、一気に振り落とす。一ツ目は覚悟を決め、それを受け止めるべく右腕を振り上げた。
骨で作られた剣が、一ツ目の腕に直撃する。瞬間、硬い音と共にスティーブの剣が弾かれた。
「………」
驚いたようにこちらを見下ろすスティーブ。とりあえず危惧していた結果にはならなかったと息を吐いた一ツ目は、こう言った。
「あんた、俺を舐めすぎだろ」
一ツ目は腕を勢い良く右に振りつけ、スティーブの剣を横に払う。そして体勢を崩したスティーブに、アッパーのように右腕を振りつけた。
右拳、否。一ツ目の手から赤黒い棒が高速で生成され、スティーブの顎を打ちつける。
血金。一ツ目が作った、とっておきの魔術礼装。使い手の皮膚表面に貼りつき、複雑な操作や自動化はできないものの、体から分離しない限りは自在に移動、成形できる硬軟自在の金属だ。
一ツ目は自分用に調節した血金を八キロ分、この日坂市にいる間は上半身の表面に纏わりつかせている。スティーブの武器がどれほど強力な呪いを持つ剣であろうと、骨の剣では鋼と同程度の強度を持つ血金を破壊することはできない。
顎を叩かれ、よろめくスティーブ。その姿を見送りながら、一ツ目は体に纏う血金全てを右手の棒へと集めた。パーカーの袖からどんどんと右手の金棒に集まり、全て集まった時の長さはおよそ一ニ〇センチにもなった。これなら……。
「せい……のぉ!」
一ツ目は血金で成形した金棒を横に振り被り、横薙ぎに大きく振るった。
軌道はスティーブの右肘へ、狙うは彼の武器破壊。読み通りスティーブは咄嗟に剣で金棒を受け止め、剣は真っ二つに圧し折れた。
このまま畳み掛けろ。と、血が興奮で熱くなる。一ツ目は金棒を手元に引き寄せ、槍を扱うように先端をスティーブの顔面に突き出した。
直撃。顎を打たれた時のように、ふらついている。しかし一ツ目の快進撃は、続けて放った二度目の突きを掴まれたところで止まった。
「なッ……クソっ」
単純な膂力では、向こうの方が圧倒的に上だ。掴まれて反射的に身を強張らせた体を、ズルズルと引き寄せていくスティーブに恐怖し、一ツ目はスティーブが掴んでいる付近の血金の硬度を下げた。
ドロドロの粘土のようになった血金によって、掴まれていた金棒は簡単に抜き取れた。しかし見れば、金棒は一メートルにも満たない長さになってしまった。
スティーブの足元で広がっている血金は、遠隔での操作は叶わない。直接触れば回収はできるが、彼がそんな時間を許してくれるはずもない。
「………」
スティーブは無言で、一歩ずつ前に出てくる。それに合わせるように一ツ目も、一歩、また一歩と下がってしまう。
しかし、思わぬ誤算があった。
突然、引いた脚が何かに引っかかった。それが何か知るよりも早く、体は呆気なく仰向けに倒れ込んでしまう。
手足をバタつかせて、一ツ目は上体を起こす。そこでようやく、自分がアダムが置いていったスポーツバックに躓いて転んだのだと気づいた。
そして当然、この機が見逃されるはずがない。
大きく前に踏み込み、握り拳を振りかぶるスティーブ。一ツ目は金棒で防ごうとするも、半端に長く、重い金属の塊を思うように動かせずにいた。
そして一ツ目の顔面に向かって飛んでくる、スティーブの拳。
思わず息を呑んだ一ツ目だが、その拳は一ツ目の顔に到達するよりも早くに、ビタリと止まった。
「………?」
一ツ目は金棒から手離し、バタバタと後退りながら状況を確認する。良く見ると、二人の間にあったスポーツバックから腕が飛び出し、スティーブの右手首を正確に掴み取っていた。
スポーツバックはビリビリと音を立てながら引き裂かれる。中から出てきたのは、褐色の肌をした、スポーツインナー姿の少女だった。
「………ッ」
「また会えたね」
少女はギリギリとスティーブの右腕を締め上げながら、そう嘯いた。
間違いない、アダムだ。
少女――アダムはパッとバネのように体を跳ね上げさせると、両足でスティーブの顔面を蹴りつけた。
強烈なドロップキックを顔面に食らったスティーブ。彼は痛々しい音と共に後方に跳ね跳び、そのまま貨物列車の横合いから落下してしまった。
その様を確認し終えたアダムは、腰に手をやって一息つき、こちらへと振り返った。
「頑張ったじゃあないか、小僧」
「……前の体は?」
「あの辺の田んぼで、あの小娘と泥遊びしてるよ」
やたら粘られてね。と、アダムは溜息をついた。
「近場に置いておいた予備は、もうこれだけだ。奴らの大将がこっちに来る前に、早々に隠れないとキツいぞ」
そこだ。一ツ目は乱れた息を深呼吸で整えながら、こう言った。
「奴ら、一体どこの勢力だよ。マスターじゃあないだろ」
「あの加工屋だけじゃあ、私も何とも言えなかったけどね。さっきの小娘と戦って、やっと分かった」
敵は……。と、アダムが言いかけたところで、急に足元の方で金属を擦り合わせた音が響き、体が列車前方へと倒れそうになる。
「……っとと、何だ?」
「……急停止、しているな」
確かに、周囲を見回すと貨物列車が速度をドンドンと落としていっているのが分かる。
「……まだ、何か来るのかよ」
「………」
アダムは、何の軽口も飛ばしてこなかった。黙り込んで、前方を睨んでいる。
「……なあ、向こうにいるのか?」
「……小僧、ここにいろ」
と、アダムは振り返って一ツ目に言った。その顔は、有無を言わさぬほどに真面目な顔つきだった。
「それで、何も見るな、聞くな」
「お、おい……何が」
「良いから、何があってもだ……そうすれば、守ってやる」
アダムはそう告げると、完全に停止した列車から飛び降りてしまった。
アダムは停車している列車に沿って、ゆっくりと歩を進める。
その前で悠然と待っているのは、炎のように揺らめいた赤髪を持つ、長身の女――アレクシア・ブロッケンだ。
アダムは足を止めないよう気をつけながら、視線を巡らせる。魔術での戦いは、得られた情報から相手ができることを予測することから始まる。より多くの情報と経験から裏打ちされた想像力が、勝率を高めるのだ。
サーヴァントの気配はない。魔女の右腰からは炎を纏った大きな右腕、栄光の右手が伸びている。そして周囲の電線には、使い魔のカラスが何匹もこちらを見下ろしている。それに時間が経てば、先ほどの二人も追いついてくるだろう。
状況は向こうの方が圧倒的に有利。一ツ目が生き延びる手があるとすれば、自分が相打ってでもアレクシアを即座に無力化することだけだ。
「……状況は、理解してくれたかしら?」
そう声をかけるアレクシア。アダムは苦笑し、アレクシアとの距離を十メートルほど詰めた所で足を止めた。
「……まさか、あんたが直接出向いてくるとは思わなかったよ」
「あの二人じゃ、お前の相手は荷が重いと思ってね」
アレクシアはそう言って腕を組んだ。
「悪いけど……ここでお前は殺す。お前は野放しにしておくには、少しばかり有能過ぎる」
その言葉に、アダムはクツクツと笑ってみせた。
「……そうかい」
その言葉を機にアダムはグッと体勢を下げ、アレクシアに向かって飛び掛かった。
話に付き合っている間はない。アダムは弾丸のような速度でアレクシアへと向かい、対するアレクシアは片手を上げ、頭上の使い魔達に合図した。
途端、カラス達はアダムへと紫色の光線を放つ。しかし信じられない速度で突貫するアダムはそれらを全て後方へと置いていってしまう。現在アダムが使っているゴーレムは、前の二体とはスペックが違うのだ。近接戦闘用に特化したこのゴーレムは、十メートルの距離なら瞬きする間に肉薄できる。
前へと突き進みながら、アレクシアへと右の拳を突き出していく。拳の軌道上に栄光の右手が入り込む。
ここまで、予想通りだった。
「………ッ!」
アダムは身を捻りながら、踏み込んだ足で跳ねた。スケートのアクセルジャンプのように時計回りにスピンをしながら、フェイントとして出した右拳を横に流し、左手で栄光の右手を払う。
アダムの突進の勢いは、ジャンプしたところで止まらない。障壁となっていた栄光の右手を払い除けたアダムは体当たりをするように、右の肘鉄をアレクシアの額に叩き込んだ。
アレクシアの額から、パッと血が舞う。そのまま魔女は地面を転がり、大の字になって倒れた。
アダムは、息を整えながらアレクシアを睨む。
ここまでは、予想通りだった。あの使い魔が遠隔での攻撃に特化していることも、アレクシアの額を打つことができることも、彼女が強化魔術で全身を守っていたことも。
そして攻撃する瞬間に、アレクシアもカウンターを決めてくることも。
「……貫手、ね」
アダムは腹部に開いた穴を触りながら、ポツリと呟く。
「ブロッケンの魔女としては、少々お優しいんじゃないかな?」
「……ぐっ、フフ……そうでもないわ」
アレクシアは流れ出る額の血を手で拭いながら、身を起こした。
「アダム、お前は見る目のない魔術師連中からゴーレム使いと言われているみたいだが……実際のところ、お前の本質はカバラだ」
「あ?」
「セフィロトの樹。不死身じみたお前の、本体の話よ」
アダムは最初こそ怪訝な顔をするが、その言葉に目を見開き、先ほどの攻防を理解し始める。
「カバラでは、全ての魂はセフィロトの樹から流出し、死後はそこに還るという。ここにいるお前は、遠隔操作されたゴーレムじゃあない。魔術礼装に保存されたアダムという名の精神を、泥人形のゴーレムに送り込まれた……限りなく人間に近い化物だ」
「………」
「大したシステムね。アダムと名乗る前からどれほど変質したかは知らないけど、自分用に調節したゴーレムに精神を移動させ、体が壊れれば自動で保管された魔術礼装に転送されるんだから」
だが、それも終わりだ。と、アレクシアは唇の端を釣り上げた。
「その精神に、ちょっとした爆弾を残した。もしそのゴーレムが壊れ、精神がセフィロトの樹に戻れば……」
そうなれば……。その先の言葉を濁し、サディスティックな笑みを浮かべるアレクシア。アダムはそれを睨みつけながら、自身の置かれた状況を何度も確認した。
ここで死ねば、アダムの精神は別所に隠した魔術礼装『セフィロトの樹』に戻ってしまう。そうなれば、彼女の言う所の爆弾が、魔術礼装を破壊する。これは実質、アダムという存在の死を意味する。他に用意したゴーレムが何体あろうと、それを操る精神と転送装置が駄目になれば、何の意味もないのだ。
そうか。アダムは目を閉じ、理解した。
ようやく、終わりが見えたのか。
「……降伏しなさい」
アレクシアは、俯くアダムに言った。
「お前は魔術使いとして、私達よりずっと先を行っている……お前が全てを投げ売って作った魔術礼装は、無駄に代を繋ぐそこいらの魔術師より余程価値がある」
「……何が言いたい?」
「こんな所で死ぬ必要はない。あんな雑魚一匹に命を賭け死ぬことに、どれほどの価値があるのかしら?」
「……価値、か」
言いたいことは理解できる。しかし、この魔女は分かっていない。いや、分からないのだ。
アダムは……いや、アダムになる前の、かつての自分は、確かに根源を目指す魔術師だった。それが夢破れ、こんな姿に成り果てた。
だが夢を見ていた事実と意味を、否定する気はない。
夢を追ったことのある者は、同じ夢を見る者をコケにしたりはしない。先達者だからこそ、彼の未熟さ、若さというものの価値が理解できる。
アダムは目を開け、魔術使い、アレクシアを見据えた。
「価値はある。枯れ木のようなこの命を賭けて、アレクシア・ブロッケン……お前という芽が摘めるならな」
その言葉に、アレクシアの笑みは消えた。それからゆっくりと、失望したように冷めた顔に変わっていく。
「そうか……お前も所詮、魔術師という訳ね」
彼女はそう呟くと、パチリと指を鳴らした。すると、頭上を照らしていた電灯が、魔女の頭上にあったものを起点として次々に消えていく。
さあ、最期の時だ。アダムは吠え、前に進もうと重心を倒していく。
しかしそこで、アダムの最期の抵抗は終わってしまった。
ズブリと、背後からきた衝撃。途端に視界は揺れ、暗く濁っていく。力なく下へ落ちる視界に、ゴーレムの動力源となっていた宝石が転がり落ちるのが見えた。
アレクシアの攻撃、ではない。彼女は腕を組み、つまらなそうに見下ろしているだけだ。なら……。
「てめぇ、サーヴァントか……」
「……ねえ、アダム」
アレクシアは溜息混じりに、こう言った。
「これ以上、私がお前の勝負に付き合う必要があるかしら?」
「……はっ、最低だよ、あんた……」
そう吐き捨て、アダムは自分の胸を貫通している、サーヴァントの得物に触れた。
そして、気づいた。なるほど、これならアレクシアがサーヴァントを見せないように努めるのも理解できる。
「アダムッ!」
背後から、声がする。あの小僧、一ツ目だ。マズい……。
「来るな小僧ぉ!」
アダムは死力を尽くし叫んだ。一ツ目は今、アレクシアのサーヴァントの背を見ているのだろうか。もしアダムの正面に突き立つコレを見たら、アレクシアは確実に一ツ目を殺すだろう。
「絶対に、来るんじゃあないぞ……ッ!」
そう叫ぶと、アダムはアレクシアを睨んだ。
「あの小僧は見逃せ……何なら、残ったゴーレムをくれてやっても良い……」
ほう。と、アレクシアの顔がほころんだ。
「で、そのゴーレムはどこにあるのかしら?」
「私が死んだら、この体を調べろ。そうすれば、すぐに分かる」
「……良いだろう、考えとくわ」
アレクシアは頷くと、自分の首を指で撫でた。
「殺せ、アサシン」
次の瞬間、アダムの意識は暗がりに落ちていった。
大した恐怖はないが、心残りは幾つも残ってしまった。
せめて、あのサーヴァントの真名を読水に伝えたかった……が、あれなら自分が死にさえすれば何とでもなるだろう。
それより、一ツ目の小僧だ。どうにか、彼の命だけは守ってやりたいもんだ。
そんなことを漠然と思いながら、アダムの意識は完全に途絶えた。