Fate/reselect 作:Fate/reselect出張所
駅から出てようやく、佐藤は夜空から振る雨粒に気がついた。
学生鞄から小傘を取り出し、広げながら佐藤は今後のことを考える。目下考えねばならないのは、同盟について。ランサーの陣営に申し出て三日経つが、未だ返答は来ていないのだ。
“ライダー”
“ああ、分かってるよ……”
佐藤は念話でライダーを呼びかける。ライダーも、やれやれと言った口ぶりだ。
“こっちも長いこと待ってられはしない。こうなりゃ、別の連中と組むことも考えなきゃあな”
“ん……でも、アテはあるの?”
“前にセイバーが、俺達を狙う道理はないとか言ってたな……ただ、あいつら強すぎるんだ。下手に組むと、奴の敵が俺達を弱点とばかりに狙いかねない”
なるほど、そういう考え方もできるのか。佐藤は一人頷いた。相手が強すぎると主導権を握れないとは思っていたが、戦力を削ぐ為に真っ先に襲われるポジションになりかねないとは思いもしなかった。
“それに、だ”
また、ライダーはこう続けた。
“人に課せられた運命は、その者に見合うだけのスケールで用意されているものさ。下手に楽をすれば運命は別の試練を用意するし、仲間を作ればそいつの運命に巻き込まれかねない”
“……ふぅん?”
その説明に曖昧な返事を返す佐藤。ライダーは聖杯に現代の知識を与えられているとはいえ、その心底には生前の経験や精神が根付いている。古代ギリシャに生きた彼にとって、神や運命を踏まえて物事を考えるのは当たり前のことなのかもしれない。
“しかし、他に頼れそうな奴がいないのも事実なんだよな……やれやれ、どうしたもんかねー……?”
“………”
しかし、運命に巻き込まれる、という考えをするのであれば……。と、佐藤は人混みをすり抜け帰路につきながら、ライダーの言葉に思いを巡らしてしまう。
もし、そんなことがあるのであれば……苛烈な生涯を送った英霊を呼んでしまったマスターは、私は、一体どんな運命に巻き込まれてしまうのだろうか。
“――嬢ちゃんッ! 屈めッ!”
その叫びに、体は反射的に動いた。
跳ね上がる雨水、頭上で吹いた風切り音。傘を手放し屈んだ佐藤は、気配を頼りに顔を向けた。
こちらを見ながら遠ざかる、ボロ布を纏った何か。牽制に放った突きの勢いそのままに、それを追うライダー。その光景を見てようやく、佐藤は自分が襲われたのだと理解した。
横薙ぎに振るうライダーの裏拳を、ボロ布は当たるギリギリの距離で躱す。そして姿勢を地面スレスレまで落とし、驚き足を止めたサラリーマンの股下を滑るように潜り抜けた。
突如盾にされた一般人に、追撃が止まるライダー。彼は邪魔だと言うように、サラリーマンを脇へと放り捨て、サラリーマン諸共に狙った光弾を素手で受け止めた。
「……おい、てめぇ……ッ」
夜とは言え、一般人を巻き込むどころか盾にさえする襲撃に、ライダーは怒りを露わにする。その怒りを受けながらも構わずに、ボロ布の襲撃者は後方へと高く跳躍していった。
追うべきか、否、追わなければならない。雨水で張り付いた髪を手で払い、立ち上がる佐藤。しかし、横合いから男達が突如、殺気立ってこちらへと走ってきた。
「ライダーッ!」
佐藤は叫んだ。ライダーは振り返り、佐藤が別の男達に襲われようとしているのに気づく。ライダーは歯ぎしりしながら、腰を沈めて一気に前へと飛び込む。そして突風のような勢いで、佐藤に迫る男達を文字通り蹴散らした。
佐藤とライダーは背中合わせになり、騒然となった周囲に視線を巡らせながら声を荒げた。
「嬢ちゃん、さっきのは……」
「確認できてる、アサシンだった! それより今襲ってきたのは、ただの、普通の……無関係な人だよね!? 一体何で……」
「薄汚い魔術師のやり口さ! 人の心を操り、駒にしている!」
「……そんなのっ」
そんなの、有りなのか。そう言おうとした佐藤、しかしそれより先に、佐藤達が立つ数メートル向こうで、突如として煙が吹き出す。
霧散せずに地面へと広がる、チューイングガムのようなショッキングピンク色の煙。ライダーが咄嗟に佐藤を庇うが、その隙間から、佐藤は見た。煙に咳き込み、倒れ込む通行人を。
瞬間、佐藤の心臓が大きく鳴った。叩かれたような衝撃の後、熱い血潮が身体の隅々まで広がっていくのを、佐藤は確かに感じた。
そして捉える。煙の向こう、魔力を纏った飴玉を掌で転がす、露出度の高い女の姿を。女は佐藤がこちらを見ていることを気づくと、小馬鹿にしたように舌を出して飴玉を舐め、明後日の方向に飴玉を放った。飴玉は地面に落ちるか否かのタイミングで煙を吹き上げる。
その女の右手……飴玉を手にした右手には、手の甲を隠すようにリストグローブが着けられていた。
見つけた。女が傘を翻し逃走を始めたのを見て、佐藤の足が勝手に地面から離れ、重心は前へと傾いていく。しかし、その肩をライダーが掴んだ。
「待てよ嬢ちゃん、あれは罠だ。ああして脅して、俺達に無理にでもここで戦わせようって腹だぞ」
「そんなの分かってる。だからライダーはアサシンを追って、私はあのマスターをやる」
「いや分かってない。相手は魔術師だぞ、嬢ちゃん一人じゃどうにも……」
「分かってないのは、ライダーの方だ!」
佐藤はライダーの手を払い、睨みつけた。
「今ならアサシンを追えるし、そのマスターだって狙える! このチャンスは、今考えられるどのリスクよりも大きい!」
「嬢ちゃん……」
「いつかは倒さなきゃあならない相手だ! 相手がアレなら……絶対に、早いうちの方が良いはず!」
佐藤の言葉にライダーは少しの間、押し黙る。そして佐藤の目を見つめ、こう返した。
「ヤバくなったら令呪で呼び戻しな。本命はサーヴァントだ、無理はするなよ」
「分かってる……ありがとう、ライダー」
そっちも、無理はしないでね。そう言うと、佐藤は真っ直ぐに薄着の女を追っていった。
その背中を見守ったライダーは、意識をアサシンの方に切り替え、ビルの壁へと飛び移っていった。
「ほう……二手に分かれたか」
アレクシアは意外そうに呟くと、何かを探るように、くっと空を見上げた。
佐藤とライダーが分かれた駅の付近にある、細い裏路地。その暗がりに彼女はいた。降り注ぐ雨に対し、なんの雨具を持たない彼女はずぶ濡れだが、長身の彼女ではそれが逆に野生の獣のような迫力を滲ませていた。
アレクシアは今回の攻撃を受けて、佐藤達は迷わず偽のマスター……ミアを狙うだろうと思っていた。ミアには悪いが、彼女はここで殺されても仕方のない囮として使ったのだ。
しかし、実際にとった行動は二手に分かれての個別対処。アサシンに後ろから狙われるリスクを廃して、それでもマスターを狙う選択を取った。
ただの女学生じゃあない、そうアレクシアは確信した。少なくとも、自分を戦力に数えられなければ、こんな一手は打たないはずだ。
しかし、そちらがそうするのであれば、こちらはこうするだけ。アレクシアはポケットから黒い薄手の手袋を取り出すと、手を手袋の口へと滑り込ませていった。佐藤達が二手に分かれる場合も、すでに想定内だ。
臨機応変、その場しのぎじゃあない。アレクシアはすでに、自身の企てにおける対応を考え抜いてある。
そして後は、実行に移すだけだ。アレクシアは手袋を着け終えると、さっと路地から出ていった。それに追従すべく、その頭上のビルから彼女のカラス達もまた、一斉に飛び立った。
地上を滑るように駆け抜けるアサシン、それを屋上から屋上へと飛んで追うライダー。互いに常軌を逸した速度と軌道で街を駆け抜け、周囲の人間には雨風にその姿は追うことさえ叶わないだろう。
しかし、中々追いつけぬ状況にライダーは苛立っていた。足の速さにはそれなりに自信のあるライダーだったが、二人の脚の速さはそこまでの違いはなさそうだ。それに人目を気にし上空を飛び交うライダーより、地面を駆けるアサシンの方が加速やルートの変更が多彩な分、有利だった。
それが、ほんの数分前の話だ。
「オラオラ、アサシンッ! そろそろ追いつきそうだぜ!」
曇天の空に低く唸りを響かせる、モーターの排気音。雨を後方へと弾き飛ばすスクリーン――ライダーは今、ホンダ社製の大型二輪、CBR110XX スーパーブラックバードを駆り、アサシンを追い回していた。
アサシンの敏捷はライダーと同様、Bクラスはある。舗装された一本道での速度なら兎も角、本来であれば街中を縦横無尽に走るアサシンをオートバイで追うことなど不可能だ。
しかし、事実としてライダーは逃げ回るアサシンをバイクで追い、通ることがままならない路地や屋上を使われれば迂回、あるいは超人的なテクニックで強引に通り抜けてしまう。
これらを可能にしているのがライダーの追撃者としての勘の良さ、そして常時発動型の宝具『大獅子らの運び手』である。乗り物を宝具化させると言っても過言ではないこの宝具は、あらゆる乗り物を乗りこなし、その性能を最大限に発揮させる。
そう、この追走は人が図りし得ない奇跡ではない。名車スーパーブラックバードの走行性と加速力をスペックの限界まで引き出し、最上の運転によって実現しているに過ぎない。
「バイクか……良い、本当に良い拾い物だ」
覚えておこう。と、ライダーは口角を上げて跨ったマシンと、今頃警察に通報を入れているであろう男に感謝をした。この性能なら、あの人も満足させ……否、このバイクでは小さすぎるか。
アサシンが団地の屋上から飛び跳ね、高速道沿いの川を渡る橋へと降り立った時だ。ライダーはここで勝負に出ようと一気に加速し、アサシンに迫っていた。
しかしそんなライダーへと、魔力で作られた光線が空より次々に襲いかかってきた。
「……ッ!?」
咄嗟にハンドルを切り、次々にくる光線を回避するライダー。そして光線が止むとブレーキを掛け、橋の端に止めた。
そして鋭く視線を巡らせ、状況を確認する。すでにアサシンは姿を消していなくなり、代わるように長身の女が立っていた。
「……なるほど、なぜ街を離れずグルグルと逃げ回っていたか、なぜこんな大きな通りに誰もいないか……今、分かった」
ライダーは納得したように頷く。彼はセンタースタンドを出してバイクを停め、本来の姿、ウールの外套を着た姿へと戻った。そして腕を横に振りつけて短剣を実体化させ、鞘代わりの縄を解きながら橋の中央へと歩いていく。
「こうなると、さっきの女が本当にマスターか、怪しくなってきたな。なあ、実際のところ、どうなんだい?」
「私も、少し腑に落ちないところがある」
長身の女――アレクシアは一歩前に出て、こう言った。
「この局面で、あのマスターを信用するとは思わなかった。まさか、本当に魔術師相手にあの小娘が渡り合えると?」
「……ああ、確証はないが」
その可能性に、賭けている。そうきっぱりとライダーは言った。その豪胆さと自信に、アレクシアは眉をひそませた。
「気に入らないか。だが、あんたには分かりゃしないだろうさ」
そう、ライダー自身驚いているのだ。
駅前では、恐怖より怒りを露わにした佐藤。しかしその実、合理的な決断をライダーに提案した。それも、チャンスを得る為に自分の命を危険に晒すという決断をである。
そして、その時の相貌。敵を背さえ見抜かんとする冷ややかな瞳に、敵を食い殺さんばかりに戦慄いた口元。激情家であるが、頭は常に冷ややか……間違いない。
あれは獅子として、今まさに覚醒しようとしている。
「ま、それだけ俺は、あの子の才能に惚れているってことだ」
アレクシア達を前に、ライダーはそう笑った。そして、腕をだらりと前に投げ出し、腰を落として身構えた。
それは、レスリングの構え、あるいはバスケットボールのドリブル姿勢や卓球の基本姿勢といったスポーツでの構えに近いものであった。
構えには、その者の戦いへの流儀、思想が伺える。
ライダーのそれは、現代に残る剣術や格闘技の構えのように腕や剣で牽制したり、急所を守ってはいない。むしろ構えの時点では、絶対の急所である頭が腕より前に差し出されている。
しかし隙あらば飛び掛からんとし、逆に相手には致命打を取らせない。そう、この前傾姿勢は誓っている……今の『静の状態』での安定性を捨て、次の『動の状態』での速度を求める。負けを受けない構えではない、勝ちに奪う流儀なのだ。
「質問には答えたぞ……で、こっちの質問には答えてくれるんだよな?」
ライダーは構えながら、アレクシアにそう聞く。
アレクシアは何か思案するように顔を伏せたが、両手に取り付けた手袋の指先を噛み、ゆっくりとした動作で手から引き抜いた。
「こんな感じかしらね?」
アレクシアはそう言って、口にした両の手袋を令呪が宿った右手で掴み取ると、ライダーに向けて投げつけた。
「充分だ」
ライダーはそう答え、投げつけられた手袋を短剣で四つに切り分けた。そしてアレクシアへと一気に飛び掛かっていく。
アサシンの気配は、未だにライダーの周囲に残っている。ずっとライダーを狙い続ける故か、あるいは気配遮断のランクが元々低いのだろう。
とにかく、サーヴァントとマスターの二つは、自分の刃の届く範囲にいる。後は迅速且つ確実に、これらを排除することだ。
対するアレクシアは、何も隠しごとはないと示すように、両腕を肩の高さに開き白々しい微笑みを浮かべる。
そして、頭上を旋回していたカラス達が一斉に光線を放ち始めたのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。
ライダーとアレクシア達の戦いが始まる中、佐藤もまたすぐ近くにある団地の敷地内でミアと戦っていた。
とはいえ、今や追う者と追われる者の立場は逆転している。周囲を建物に囲われた敷地内なら奇襲はなかろうと、薄着の女――ミアは反転し攻勢に出た。そして佐藤は現在、投げつけられる毒煙や呪いを走り回ることで辛くも回避している。
想像以上に、戦い辛い相手だ。それがミアに対する、佐藤の率直な感想だった。
立ち込める毒煙、人を支配する呪い……のようなもの、それらは魔術の素人である佐藤にとっては酷く曖昧で、どこまでが危険領域か、判別しにくいものだった。肉を切らせて骨を断つ、と昔の武士が言ったそうだが、今の佐藤はどこまで踏み入れば命が切られるのか、見分けがつかないのだ。
「ああもう! 何無駄に粘ってんスか、このガキィッ!」
苛立ち、声を荒げて飴を投擲するミア。佐藤はその様子から、ある覚悟を決めた。平地で近寄れないなら、高低差で距離を誤魔化せば良い。
佐藤は向きを変え、団地の中へと入っていった。雨で滑る床に一度は膝を付いて転ぶも、急ぎ外壁に突き出た形で取り付けてある階段へと駆け込む。
「逃がすと思ってんのかぁ! ボンボンのお嬢ちゃんッ!?」
ミアも佐藤を追い掛けたのが、背後の反響音で分かる。上々だ。
佐藤は螺旋状に伸びる階段を駆け上がりながら、途中、踊り場の手すりに傘が掛けられているのを見つけ、拾い上げる。それから階段を上りながら、追いかけてくるミアとの距離を探り、傘の状態を確認する。
そして、自分が四階の廊下へと辿り着き、ミアがすぐ下の踊り場から階段に足を掛けた時だ。
佐藤は開いた傘を、ミアの視界を覆うように放り落とした。
階段という、幅の狭い通路を塞ぎながら落ちてくる傘。ミアは咄嗟にそれを手で受け止めた。
「この野郎、生意気なま……っ」
「ラァッ!」
ミアが何かを言おうとしたが、そこに次いで、佐藤の両足が傘越しから飛び込んでいった。
傘の生地で隠した、不意打ちのドロップキック。それに加え、階段からの飛び降りたことでの落下エネルギー。如何に魔術を使う身とは言え、体のサイズ自体は佐藤に劣るミアだ。その衝撃には為す術もなく、彼女は後方の手すりに背中を叩きつけてしまった。その拍子に手すりは軋み、コンクリートの壁から格子の支えが外れかける。
そのチャンスを、佐藤は見逃さなかった。傘を横に放って呻くミアに、佐藤は立ち上がり際に体当たりを決める。手すりと佐藤に挟まれ、口から息を漏らすミア。そして次の瞬間には、メキメキと音を立てて手すりの支えが壁から抜け落ちた。
「ゲホッ……えっ、わっ……ッ!?」
手すりに体重を預けていたミアは、格子と共に宙へと飛び出した。
やったか。と、体当たりの衝撃で床に倒れてしまった佐藤は這い、悲鳴を上げて落下したミアの姿を追う。しかし彼女は、佐藤のすぐ下の踊り場の手すりに手を掛け、何とか四階からの落下を凌いでいた。
「……くそ」
無茶をしたが為に痛みを覚える体に鞭打ち、佐藤は立ち上がる。そして息を切らしながら手すりにしがみつき、何とか這い上がろうとしているミアを見下ろす。
彼女を落とすには、もう一押し、必要だ。
「………」
「……エッ」
佐藤の冷やかな視線に、ミアも気づいた。
「ちょ……よし、話し合いましょう」
佐藤はミアの提案を無視し、体を一八〇度、くるりと振り返るように回しながら縁から身を躍らせた。
落下する佐藤の体。そしてミアの肩を踏んで落とし、彼女が掴んでいた手すりを入れ替わるように掴む。結果として佐藤は一段下の手すりにぶら下がり、ミアは佐藤へ地面へと蹴落とされた。
ミアの悲鳴が下へと遠ざかり、ドスンと言う音と共に消える。それを聞くことで勝敗が決したことを確信した佐藤は、苦戦しながらも踊り場へと這い上がった。
そして踊り場で身を横たえ、佐藤は荒い息を整えていった。感じるのは、体内を熱くさせる震えと苦しみ、そして高揚だった。
これが、戦い。そして、勝利か。
何とかなった。勝った。その事実が、佐藤の脳髄に甘い喜びを分泌させる。吐き出す息に、笑い声が微かに漏れる。
しかし、その余韻もすぐに止んだ。壁に手を付け立ち上がっていた佐藤は、壁が外からの光を反射させたのに気づいた。佐藤はその光で、まだライダーが戦闘中であることを思い出した。
「ライダー……」
フラフラと吸い寄せられるように、佐藤は手すりから身を乗り出し、光源を探す。遠目に見える……川沿いの高速道へと伸びる橋に、紫色の光線が断続的に光っては消えている。ライダーとのラインを通じて感じるのは、彼の徹底した攻撃の意思と、アサシンへの警戒心だ。
まだ予断を許さぬ状況らしい。とにかく、こちらは無事だと念話で報告すべきだろう。佐藤は意識を集中させ、ライダーへと通じるラインに心を移した。
“ライダー大丈夫!? こっち……は……”
その時だ。ようやく、佐藤は気づいた。
令呪の宿った左腕を挟み込んだ、二本の棒状の……いや、これは一対の鋏か。
「………」
ゆっくりと、佐藤は目を横へと動かす。赤黒く、ギザギザとした二本の鋏の付け根、分厚い甲殻が布切れから微かに覗く。そしてその布切れの切れ目に、光る両眼を見つけた時、それがアサシンであると佐藤は理解した。そして、その真名も……。
ほんの少しの間。佐藤とアサシンは視線を合わせていた。すぐにライダーを呼ばなければならない、令呪で、しかし……そんな時間はあるのか、可能なのか。
佐藤は震えでなる歯を噛み締めることで押さえ込み、息を微かに吸い込んだ。彼女には恐怖を乗り越えるだけの勇気が、不運にも備わっていた。
「令呪を以って……」
そこまでだった。その後に続く言葉を、光景を、佐藤は知らない。自身が絶叫を上げたことさえも、理解できてはいなかった。
鋭利とは呼べないその鋏によって腕を圧し潰され、千切り落とされていく――その痛みに、彼女の思考は塗り潰されていく。
戦いは、まさに圧倒的と言えるものだった。
死角に回るアサシンの気配を捉えながらも、ライダーはマスターであるアレクシアを追い詰める。アレクシアはそれを、使い魔を盾に辛くも防いでいるばかりであった。
アレクシアは決して弱い相手ではない。悪魔との契約で得た呪いと、使い魔による包囲網、魔術礼装による補填、手駒を使っての囮や連携……相手にとって最悪の相手であれと、何でもやってみせる彼女の執念は確かに脅威だ。
しかしギリシャの大英雄と共に伝説を駆け抜けたライダー相手では分が悪い。その神秘の高さ故か、高い対魔力はアレクシアの魔術を尽く防ぎ、他の絡め手も経験の高さから即座に対応される。アレクシアは今や、全てを駆使し自分の命を繋いでいる。それだけで精一杯となっていた。
だが、それも終わりだ。空から注がれる光線を素手で払い除け、ライダーは短剣と縄で使い魔を撃ち落としながらアレクシアの懐へと飛び込んでいく。
そんな時だった。ライダーはその絶叫を、魔力で繋がるラインと耳、両方で知覚した。
「なっ……バカなッ」
ライダーは立ち止まり、佐藤のいる団地の方へと顔を向けた。ライダーの目は、今まさに佐藤の腕を切断しているアサシンの姿を捉えた。
どうなっている。ライダーは尚も感じ取っているアサシンの気配へと視線を巡らす。アサシンの気配は未だある、雑居ビルの影の、暗がり……佐藤達がいる方向とは真逆だ。
理屈は分からないが、謀れた、その事実だけライダーは理解した。
「スティーブ」
笑みを浮かべるアレクシアが、そう呟いた。すると、橋の柵を飛び越え、いつぞやの死霊術師――スティーブがライダーへと襲いかかった。
「お前は……ッ!?」
振りつけられた儀礼用の剣をライダーは短剣で受け止めるも、続くスティーブのタックルに捕まり、片足が地面から離れてしまった。
「この……クソッ」
ライダーは悪態をつき、スティーブを両腕で抱え、大きく仰け反る。そうやって彼の両足を逆に地面から引き剥がすと、ライダーは後転するようにして、スティーブの長身を後方へと投げ飛ばした。
そして、素早く身を起こし、体勢を整えるライダーだが……。
「令呪を以って顕現せよ。その身を以って牢記せよ――」
彼の両の目が捉えたのは、隙を突いて呪文を詠唱する、アレクシアの姿だった。
「――これに至るは七十ニの魔神なり」
その言葉を機に、アレクシアの右手から魔力が溢れ出た。その腕はコートの袖を引き裂くまでに膨れ、一本の醜い肉の触肢となる。
その肉塊には幾つもの裂け目があり、そこから無数の赤黒い目玉が盛り上がり現れる。それはまさに魔神、世界を穢す魔の支柱のようにライダーには見えた。
「何だ……それ……は……っ」
右腕を悍ましく変貌させたアレクシアは、ライダーは事態を把握するよりも先に、最後の呪文を告げた。
「六十四の公爵――焼却式」
途端、右腕の赤い目が輝く。その一瞬の後には、ライダーの体は爆ぜる地面に立ち上がる光柱によって、焼き払われていた。