Fate/reselect 作:Fate/reselect出張所
敗走者は他者を恐れる。視線を恐れて、光から逃れる。
あらゆる自己肯定は失われ、荒い息と鼓動だけが残る……それだけが苦しみを伴って、自身がまだ生きていることをようやく認めてくれる。
だが、これは読水にとって初めての感覚ではなかった。
「くそっ……おい佐藤、まだ死ぬんじゃあないぞ……ッ!」
読水はランサーと共に隠れ家の一つ、郊外の古い一軒家へと逃げ込み、瀕死の佐藤を床に寝かせた。そして鞄を開くと、治癒魔術に使えそうな物を片っ端にそばに並べていく
「薬の類は、ある。後は傷口を……ランサー! 包帯かシーツか、何でも良いから清潔な布を探してこい!」
「承知しました!」
そう応え部屋を飛び出すランサーを尻目に、読水は寝かせた佐藤を見下ろした。切り下ろされた左腕の傷口は止血できているが、血の流失と、令呪を引き千切られたことによる影響は着実に彼女の体を蝕んでいると見て取れた。
「……ちくしょう」
長丁場になりそうだ。と、そう判断した読水は鞄から何かを掴むと、玄関へとノシノシと歩いていった。
そして、手にした物に視線を落とす。それは、装飾豊かな西洋式の古い鍵だった。
『黄金の工房鍵』――読水が持つ魔術礼装の中で、最も高価な代物だ。どんな鍵穴にも差し込めるこの鍵は昔、ヨーロッパを彷徨った錬金術師が作ったものだという。詠唱と共にひねることで、その建物、室内は魔術師の工房のように魔術的な防衛術式が張り巡らされ、外部からの侵入を拒むという。
即席で結界を張り巡らす魔術礼装、その点だけを抜き出せば見栄えが良い。しかし西洋錬金術で構成された大味な魔術式は、魔術を心得る者には夜に輝くネオンのように見えるだろう……防御と引き換えに隠密性を廃する、これはそういった魔術礼装なのだ。
できれば最後まで使いたくはなかった。しかし、アサシンをサーヴァントに持つマスターなら、暗殺者の姿を見たかも知れない佐藤を見過ごすはずはない。
せめて『摩利支天の偽装符』さえあれば……、そう思わずにはいられない。貼り付けた対象の存在感を薄くするあの札さえあれば、もっと密かに事を進められただろう。しかし、魔術礼装は代行者と接触した際に落としてしまった。
「ああ、そう……クソったれ、これしかない。これがベストだ」
読水は一人そう零しながらゆっくりと鍵を摘んだ指に力を入れ、鍵を横に回していった。
これでもう、次の戦いからは逃げられない。そう、覚悟しながら。
「霊器盤によって、ライダーの脱落が確認された」
「……いつ、ですか?」
「半日程、前になる。アレクシア・ブロッケン、奴の仕業だ」
「アサシンのマスター……その、ライダーのマスターは?」
「マスターは重傷を負ったが、駆けつけたランサー達に救出された」
「……二陣営が同盟を?」
「いや、人道的なものかも知れない。それに仮に同盟があったとしても、それも昨夜に破綻したことになる」
「では……今もライダーのマスターは、運び屋が?」
「逃げ込んだ場所も分かっている。……彼とて、負傷したマスターを連れている今ならば君から逃げ切れはしないだろう」
「……はい。例の物は必ず回収します」
「そうしてくれ」
「……ライダーのマスターは、どうしましょう?」
「……好きにすれば良い。最優先は、彼が持っている破片だ」
そう言うと、電話の相手――鏡宮は通話を切った。
「………」
レオポルディーネは通話を終えたケータイを一瞥し、時刻が午前四時であることを確認する。
「……んんんん……ッ」
当然寝ていた、寝間着姿のままだった。
「んだぁあああッ! もぉぉぉう……ッ!!」
彼女はそう叫んでソファーへとケータイを投げつけると、枕に顔をうずめ怒りの声を漏らした。
聖杯戦争開始により皆が屋敷から避難する中、使用人の轟木は令嬢レオポルディーネの世話役として屋敷に残った。
彼は夜間警備に勤めていると、令嬢の部屋から叫び声を聞いた。
轟木は廊下をダイナミックに走り、レオポルディーネの部屋へと駆けつける。しかし、部屋の前にはバーサーカーが立っていた。
「………」
何かあったのか。と、轟木はジッとバーサーカーを見る。未だレオポルディーネは扉の向こうで、くぐもった叫びを上げている。
バーサーカーは轟木の無言の訴えに、迷ったように視線を泳がす。しかし面倒に思ったのか腕を組み、シッシッと手で追い払うようなサインを送った。
「………」
問題はなさそうだ。
轟木はバーサーカーに会釈し、黙って詰所へと戻る。
一般庶民としてこの日坂で生まれ育った轟木には、ミローネ家の没落や再興への意地に関して理解しているとは思っていない。しかし、お嬢様をやるのも楽じゃあない。というのは、何となく分かったつもりだ。
そんな楽じゃあないお嬢様の為に、せめて温かなエスプレッソを淹れてあげよう。
レオポルディーネとの通話を終えた鏡宮は椅子の背もたれを使って仰け反り、目蓋を指圧した。
「……あの娘に、アサシンのマスターについては伝えなくて良いのか?」
そう言うのは、窓辺に腰掛けたアーチャーだ。
「あの状態は、ただの魔術師とは言い難いだろう?」
「それは、彼女の仕事には何も関係のない情報だ」
それに……。と、鏡宮は上体を起こしながら続ける。
「それを伝えれば、彼女は当然慎重になる……最優先すべきは欠片だ。アレさえ手中にあれば、最後に笑うのは我々となる」
「……フン」
断固とした鏡宮の言葉に、アーチャーはつまらなそうにそっぽを向く。
「それで、鏡宮……企みごとは良いが、俺の出番はまだなのか? こうして待つのも、いい加減飽きてきた」
アーチャーはそう言うと、ギラリと鏡宮を睨んだ。その鋭くも奥底に粘つくような黒さが見える視線に、鏡宮は疲れたような視線を合わせた。
アーチャーというクラスは、固有の能力として『単独行動』というスキルを持つ。マスターが不在であっても行動ができる、というこのスキルは、マスターという楔なしでは現世に留まれない英霊の抑制を否定していると言える。
故に、『単独行動』というスキルは裏切りの許可証だ。そう、鏡宮は考える。
個々の英霊がどのような人間性を持っていようと、その気になればマスターなしでも戦える、という状況は英霊の忠誠に邪な考えを抱かせるものだ。
「……いや、そろそろ君にも働いてもらうだろう」
と、鏡宮は机に設置されたノートパソコンを操作し、動画を再生させた。
動画は監視カメラから撮影されたと思わしき映像で、ライダーとアサシンのマスター――アレクシアが殺し合っている姿が映っている。
「ライダーは良い仕事をしてくれた。彼の最期の抵抗は、アサシンの真名をこうして私に伝えてくれた」
鏡宮はそう言うと、陥落した橋でライダーがアサシンに倒されたところで映像を止めた。そこには、ライダーの胸を貫いたもの……アサシンの腕から生える鋏が、おぼろげながらも捉えられていた。
「……本当に、良い仕事をしてくれた」
鏡宮は、繰り返しそう呟いた。彼は口元を隠すように頬杖をついていたが、その頬は隠せぬほどに釣り上がっていた。
聖杯戦争の序盤は、敵の弱点や真名を探るべく尻尾を追いかけ合う……魔術師達による諜報合戦だ。
魔女はその段階を終わらせたが、手の内を晒した。
「アサシンの真名が割れたのは、あの魔女も理解しているだろう。奴は勝負を急ぐ……無価値となったアサシンを使い潰す気で、マスター殺しを狙ってくるはずだ」
そして彼女は恐らく、私を狙う。
そう、鏡宮は告げた。その言葉にアーチャーは、はばかることなく冷笑を浮かべる。
「ここからが本番だぞ。アーチャー」
鏡宮は机に置かれていたケータイを手にした。そして再び、どこかへと電話を掛ける。
「使える手は全て使う……綺麗事はなしだ」
そう言って彼は、ケータイを耳元へ寄せる。そんな彼の、そのどこを見るとも知れぬ両眼は窓辺に腰掛けるアーチャーと同様、鋭さの奥底に粘ついた黒さを秘めていた。
昨夜から降る雨は、昼になっても小雨となって降り続けていた。
シュウジは昨夜のうちに起きた戦いの跡地へと赴いていた。彼は傘を片手に、ケータイで監督役であるマリオに状況を報告していた。
「はい、はい……そうです、今までの魔術とは毛色が違いすぎます。その力も……いえ、詳細は分かりかねます」
シュウジはそう伝えながら、チラリと崩落した橋を見る。橋の手前で、泥塗れになったバイクがレッカー車に運ばれているのが見える。そばで警察相手に騒ぐ男の様子から見るに、盗まれたものが偶々この崩落に巻き込まれたらしい。
「……先生、この一件の被害はどれくらいになるのでしょうか?」
「……今、部下に調べさせている。ただすでに死者は三名、確認されている」
「そうですか……この一件は、どのように……?」
「まだ確定していないが、橋を通っていたタンクローリーの爆破事故という形で進めている」
「なるほど」
慣れたものだな。そうシュウジは、心の中で呟いた。きっと十年前、シュウジ自身の身に起こった事故も、こうして片付けられていったのだろう。
昨夜のうちに起きた、サーヴァント同士の激突。シュウジが現場へと駆けつけた時には、全てが終わった直後のことだった。
落ちた橋、切り裂かれ溶けたアスファルト、焼け跡を残す土手の枯れ草……歴史に名を刻む者達の戦いだ、こういう爪痕ができることは予測されて然るべきなのだろう。
しかし……。と、シュウジは道の端に鑑識が残したプレートを見る。そこは、橋からの余波によってビルの壁面が砕け、破片が通行人に当たったという事故……その検証現場だ。
「………ッ」
シュウジは歯噛みした。
セイバー曰く、騎士道とは戦いを『何でもあり』にさせない為に共有した戒律であるという。
魔術師にも、似た戒律がある。神秘の秘匿――如何なる立場の魔術師であれ、根源へ至る為に一般人に魔術を知られぬようにするという不文律。
シュウジには根源への渇望など理解できない。しかし……これは違う、違うと分かる。これは魔術師のやり方じゃあない。
そこが……この手段を選ばない誇りのなさが、気に入らないのだ。
「……代行者、シュウジ・アルバーニ。任務内容の更新だ」
「……はい」
マリオはシュウジに言い渡したのは、この被害を起こした主犯格、アサシンのマスター――アレクシア・ブロッケンの抹殺であった。
彼女の名は元々、マリオから与えられた任務の一つである、聖杯を持つに相応しくないと判断された者達のリストにも挙がっていた。アトラス院に忍び込んだ祖母と、時計塔の魔術師を悪魔への生贄に捧げた母を持ち、そして当代の彼女はライダー陣営を落とす為にここまでのことをやってのける極悪人だ。
「魔女の抹殺……これは読水竜也を追うこと以上に、優先されるのですか?」
そうだ。と、マリオは間を置かずに答えた。
「すでにリストに載っていた多くは脱落している。連絡が取れるマスターにも、魔女のことについては通知してある。君の仕事を邪魔する者は、誰もいないだろう」
「………」
マリオの説明を、シュウジはほとんど聞いてはいなかった。ただ固く目を閉じ、首に掛けた十字架に手を触れている。そうして、自身の倫理や信仰心と、この任務とを照らし合わせていた。
確信ない故にマリオには伝えなかったが、シュウジは感じ取っていた。あの橋を崩落させたであろう力の根底には、世界を否定するような悍ましい何かがあることを。そして、ならば、アレクシア・ブロッケンはそれを聖杯戦争に勝つ為に発現させたのだということを。
……許されるべきことではない。
答えは得た。
「……謹んで、お受けします」
シュウジはゆっくりと目を開く。思慮に沈めていたシュウジの感覚は浮かび上がり、傘の生地を叩く雨音やマリオの声、周囲の景色が、以前のそれよりも遥かにクリアに感じる。
「魔女、アレクシア・ブロッケン。神に代行し、私が奴を討ちます」
それは、彼が日坂へ来て初めて口から出てきた、代行者としての言葉だった。
ミア・ブロッケンは、郊外の工事現場にあったプレハブへと向かった。そこでは、アレクシアが静かに身を潜ませている。
昨夜の戦闘……危うく女子高生に返り討ちに会うところだったが、結果としてはライダーを討ち取った快進撃。ミアは最初、そう思い浮かれきっていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
ミアが扉を開けても、アレクシアは身じろぎもしなかった。ただネグリジェだけを着て、隅の暗がりに座りシーツを頭から被っている。
「照明は付けないで」
ボソリと、アレクシアは言った。
「こいつが、目を覚ます」
「……はあ」
ミアはスイッチへと伸ばしていた手を引っ込めた。そして、満身創痍になっているアレクシアを見下ろす。
そう、満身創痍なのだ。右腕と右頬にはライダーの手による火傷を負い、ガーゼや包帯の下に隠された皮膚は爛れている。治癒魔術での治療を行えれば良いのだが、ミアは魔女であって魔術師ではない、話に聞いたサーヴァントの魔力供給の手伝いは愚か、初歩的な治癒魔術さえ使ってやれない。
加えて、アレクシアの体内には何か異変が起きている。証拠こそないが、ミアはそう思っている。感じ取っているのだ。
「あの死霊術師はどうなった?」
「あ、ええっと……駄目っスわ」
アレクシアの言葉に我に返ったミアは、そう答えた。
「まだ生きてますが……焼肉の、ほら、網の下に落ちたホルモンみたいになってますんで……戦わせるのは、無理じゃないかなーって」
「……そう」
「……やっぱアレですねえ! そもそもが死体じゃないですか、キモいくらいに頑丈というか、しぶと過ぎぃって感じで……」
「なら、放置所に放り込みなさい」
アレクシアの反応は、前以上に薄く冷たい。ホルモンのくだりは分かり難かったのか。そう考え取り繕うミアに、アレクシアは指示を下した。
「あの生への執着と死霊術師としての腕があれば、復活するでしょう」
運が良ければね。と、アレクシアは事もなげにそう言う。放置所とは、これまでに殺した魔術師達の死体を投げ込んでいる廃倉庫のことだ。
いよいよもって、扱いが雑になってきたな。カワイソ……。と、ミアはあの死霊術師に対し少しだけ同情してしまう。
「……アサシン」
アレクシアの呼び声に応じ、アサシンはミアの横で実体化する。思わず身を仰け反らせたミアをよそに、アレクシアとアサシンは対面する。
「アサシン……約束通り、ライダーはお前の手で始末されたわ」
「……はい」
アサシンは掠れた声で応える。しかしミアは、アレクシアが彼にライダーを討たせる気など然程なかったことを知っている。しかし当然、それはアサシンもそれは理解しているのだろうが……。
「ただ、あそこには監視カメラがあった。お前が姿を見せ、ライダーを殺したことで……恐らく、真名が鏡宮悟にバレてしまった」
「………」
「あの時、お前がいなければどうなっていたか……そんな仮定の話はしたくはないし、感謝する気もない。問題はアサシン、お前の暗殺者としての価値は、時間が経てば経つほどになくなっていくということよ」
そう喋りながら、アレクシアは頭から被っていたシーツを下へと払い落とす。
シーツによって隠されていたアレクシアの右腕は、すでに人間のものではなかった。
火傷の傷は、それを覆うように肉が膨れている。そして幾つもある肉の裂け目には、人間のものとは明らかに異なる瞳が覗いており、まどろむように焦点が合わないまま空を見つめていた。
思わず、小さな悲鳴がミアの口から漏れる。対するアサシンはたじろぐ様子もなく、その腕をジッと睨んでいた。
「ライダーとの戦いで使った令呪は、二画」
よほど体調が悪いのか、アレクシアは顔に玉のような汗を流しながらも、悪魔のような笑みを浮かべた。
「一画、予定よりも多く使ってしまってけど……それでも、最後の一画が残ったのが幸いだった」
アレクシアはそう言うと、残された令呪が宿る右腕をアサシンへと突き出した。
「アサシン……復讐を終えたばかりで悪いが、お前にはここらで死んでもらう」