Fate/reselect   作:Fate/reselect出張所

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第十五話『師の流儀、弟子の流儀』

 読水は眠った佐藤をそのままに、疲れ切った足取りで部屋を後にした。

疲れた。という言葉は何度も使ったことはあるが、人の生き死にを委ねられるというのは、こうも疲れるものなのか。読水は医療に関わるような人種に心の底から畏怖した。本来は尊敬こそしたいが、今の読水には異星人か何かにしか思えない。

「ランサー、異常は?」

「今のところは……」

 と、ランサーは窓から外を見ながら言った。このアジトに逃げ延び、『黄金の工房鍵』を使ってから四時間。追撃があるものと思ったが、未だ何も起きてはいない。

 アサシン達の目的はライダーのみだったのか。あるいは捕捉はできているからと、虎視眈々と隙を伺っているのかも知れない。いずれにせよ、警戒を解ける状態でないのは確かだろう。

「佐藤の容態は……まあ、安定したと言って良いだろ」

 ウズウズとこちらを振り返るランサーに気づき、読水はそう答えた。その言葉に、ランサーの顔は僅かに緩み、フゥと息を吐いた。

「ただ、ここから動かすのは無理だな。置いてかない限りは、場所がバレてるのを承知で籠城するしかない」

「……マスター、お任せください」

 安心させる為だろう。ランサーは笑みを浮かべて頷いた。

「このランサー、相手があのセイバーであっても、必ずやお守り致しますよ」

「……ん。ああ、頼んだぞ」

 読水は何とかそれだけ言うと、休むとランサーに伝え、廊下の方へと向かった。

 

 

 

 人道から外れた者が潜む、この過酷な世界――俺はこの世界で、一人では生きていけない。そう読水は、心のうちに留めている。

 そう悟ったのは、一体いつからだろうか。はっきりと自覚したのは、最近になってからのようにも思える。

 十年前、家族と将来を失った。その時は、あの男――雨井陽二(あまい ようじ)に助けられた。

 五年前、あの男の弟子という立場も失った。それからは運び屋として、一人で生きてきたつもりだった。

 とんだ思い違いだったと、今となっては思う。読水はいつだって、一人で困難を切り抜けはできなかった。

 思えば、あの時だってそうだ。

 四年前。ギリシャ、シロス島にて行われるはずだった亜種聖杯戦争に運び屋として関わった、あの暑い日も……。

 

 

 

 四年前――当時、読水は聖杯戦争に参加するレナードという男にスクラディオ・ファミリーからの荷物を届ける仕事を請け負っていた。

 三日前から現地に入り、エルムポリという街で取引の日を待った。そして当日、昼食時に観光客向けのレストランでレナードと落ち合った。

 レナードは白髪の目立つ、中年のイギリス人だった。彼は時間ぴったりに横の席に座り、読水に親しい友人と再開したように弟子の近況や、最近あった出来事を話し始めた。

「……それで、彼らの贈り物はどんなものかな?」

 レナードは弟子の不出来を一通り愚痴に出した後、空のカップに残ったコーヒーの香りを楽しみながらそう切り出した。

 正直なところ、さっさと仕事を済ませたかった読水は、黙って鞄から油紙で包装された小包を鞄から取り出し、レナードの前に置いた。

「……素晴らしい」

 彼は小包の上に手を置き、満足気に笑みを浮かべた。

「太陽に溶け、エーゲ海に落ちた蝋の翼……その一部が今、エーゲ海に帰ってきた」

「……約束のものは渡した」

 読水はそう言い、鞄を閉めてケータイで時刻を確認した。

「後の連絡は、ファミリーの人間とやってくれ」

「お、おい君。ちょっと待て」

 それだけ伝え、席を立つ読水をレナードは呼び止めた。

「……若いなぁ。ここは先に私からの方が良い。支払うから、君は一杯やっててくれ」

「……酒は飲めない」

「なら、フラッペを御馳走しよう」

 彼はそう言うと、異を唱える暇もなく店主に注文すると、紙幣を机に置き小包をウェストポーチにしまった。

「では少年、良い一日を」

 彼はそう告げると、さっさと店を出てってしまった。

「………」

 流石に好意を無下にして、同時に出ることもないだろう。そう判断した読水は、席に座り直した。そして、フラッペと呼んでいたか、初めて聞く飲み物に口をつける。

 フラッペ……具体的なことは分からないが、どうやらアイスコーヒーのようだ。喉奥が縮まるほど冷やされた甘い飲み物が、暑い昼時のダルさをリフレッシュさせてくれる。

 しかし、そんな憩いの時間は外の異音と悲鳴によって、呆気なく切り裂かれた。

読水は思わず立ち上がり、鞄を引っ掴んで店外へと出た。すると悲鳴の原因が、強い陽光と共に一気に目に飛び込んできた。

 それは、テラス席で大の字に倒れたレナードと、その傍らに立つ少年の姿だ。少年はパッと顔を上げて店から飛び出た読水を見る。

 そうして……今、まさに目が合った。

 少年は指の合間に挟んでいたカードと思しきものを、素早く読水へと向ける。少年がカードを振り上げた瞬間、読水の耳に先ほど聞いた、低く汽笛を鳴らしたような音がした。

 魔術師か。それだけを理解すると、読水の右腕は反射的に動いていた。少年の詠唱を終えるより遥かに速く、読水は上着で隠したホルダーからコルト・ローマンを抜き取る。そして少年の腹部へと二発、腰だめにマグナム弾を撃ち放った。

 まだ十歳そこそこの少年の両足は、一発目の銃弾を受けて地面から引き離される。続く二発目の銃弾で、少年は地面へと叩きつけられた。

 片手打ちでの発砲で残る、射撃反動の痺れ。潮風に吹かれる硝煙の臭いと、周囲のざわめき声。地面に倒れる、レナードと少年の体。

 そして――人を撃った、という事実。

 それらの情報は脳内で渾然一体としていて、読水は数秒呆けたように立ち尽くしていた。

「………ッ」

 読水は皮膚を突き破らんばかりに鼓動を打つ心臓に気持ち悪さを覚えながら、レナードを見る。心臓部分から赤黒い血を服に染み込ませている彼は、すでに事切れているように見える。

 しかし、よくよく見れば、少年の方は血が溢れ出てない。そればかりか、呻き声さえ漏らしている。

 まだ死んではいないようだ。読水はゆっくりと、少年のそばに近づいた。

 少年は読水の接近に気づくと、地面に落としたカードに震えた指を掛けた。その動きは鈍い。少年に当てた.357マグナム弾は防衛魔術を突破できなかったようだが、しかし、その衝撃は彼の小さな体を麻痺させるのには充分役立ったようだ。

「……よせよ」

 読水は油断なく銃口を向けながら、英語で少年に言った。

「言葉は通じているか? そいつから手を離せ。お前のターゲットは間違いなく死んでる。俺と刺し違える必要はねえだろ」

「………」

 無論、ここで殺しても問題はなかった。いや、レナードを殺すほどの魔術師であるなら、殺せるうちに殺すべきだったろう。

 しかし少年の頭に銃口を合わせながらも、引き金に掛けた読水の指は動くのを拒否していた。

「カードから手を離せ……殺したくないんだ」

 ギリシャ人ではないであろう、浅黒い肌をしたその少年は、ジッと読水を見ていた。しかし何が可笑しかったのか、口元を綻ばせると、降参というように右手を宙に挙げた。

 読水は頷き、足でカードを少年から遠ざける。そして踵を返して、レナードの鞄から先ほど渡した触媒をウェストポーチごと急ぎ回収した。

 とりあえず、この場から逃げねば。と、読水は周囲を見回した時だ。読水は白い軽バンからぞろぞろと降りる男達を見つけた。

 彼らは私服だが各々に小銃等で武装しており、防弾チョッキも着込んでいる。無論、警察ではないだろう。

 まだ仲間がいたのか。背筋に寒気を感じながら、レストランの脇にあった路地へと駆けた。しかし直後に耳にした銃声を耳にした途端、足に触れるはずの地面の感触がなくなり読水は地面に胸を打ちつけた。

 読水は無我夢中で地面を這い、遮蔽のつもりか、プラスチック製の椅子の背後に回った。そして恐る恐る、男達の方を見る。

 男達はこちらに銃口を向けてはいなかった。彼らは車の周りに伏せたり屈んだりして、明後日の方に発砲していた。

 そんな中、一人が読水の姿を見つけ小銃の銃口を向けてきた。しかし銃声が空高く響き渡ると、男の方が横に倒れ込んだ。

 間違いない、誰かが男達を逆に撃っている。そう気づいた読水だったが。

「……アッアー、アー? おい、小僧ッ! いつまで腰抜かしてんだ!」

 と、ハウリングを響かせながら、誰かが叫んだ。機械を通しての音声で分かり辛いが、男の声だ。

「こっちは残業でやってんだい、いつまでも助けてやれねーぞ!」

 その言葉に発破をかけられ、読水は足の自由を取り戻した。どうやら、撃たれたりはしていなかったらしい。

 そして、声の主の援護射撃で車に火花が散ったのを見るや否や、読水は低い姿勢のまま路地へと逃げ込んだ。

 

 

 

 読水の仕事は、レナードに召喚用の触媒を手渡すことだった。

 しかし、レナードが死んだ以上、この触媒は彼の関係者に届ける必要がある。

 読水はスクラディオ・ファミリーと連絡し、レナードの仮の工房の場所を把握した。どうやら、彼の弟子が受取人として工房に陣取っているらしい。

 読水は魔術礼装『摩利支天の偽装札』で襲撃者との接触を避けつつ、現地へと急ぐ。すでに街は銃撃戦の衝撃で騒然としており、到るところで銃声や爆発音といった戦闘音が聞こえてくる。

 以前、聞いたことがある。儀式として完成度の低い亜種聖杯戦争は、英霊本来の実力以上に知名度の補正が重要になるのだという。そうなると魔術師達は、その地に所縁ある英霊を先に召喚した者が勝ちといった考えに陥る。

 そして、こうなる。読水は歯噛みした。英霊が召喚される以前に行われる、触媒の強奪、召喚儀式の妨害、参加者の暗殺――こうなれば、聖杯戦争は儀式としての体裁を失い、本当の戦争に成り下がる。

 レナードから回収した触媒も、この亜種聖杯戦争で使われることはないだろう。そう思いながらも読水は、雑居ビルの階段を上り目的の工房の前に着いた。しかしできることなら、一階ロビーのポストに押し込んで終わりにしたかった。

 読水はインターホンを押す前に辿跡術――過去視によって周囲で戦闘があったかを確認する。緊急の為に五感で知覚するほど細部を見なかったが、どうやらこのビルで数時間のうちに大きな騒動はなかったようだ。

 弟子の方は無事だ。読水は胸を撫で下ろし、インターホンを押した。

 しかし結局、玄関の扉は開かれなかった。それどころか、深緑色の光弾が扉をブチ破り、マシンガンのように廊下へと撃ち込まれる。

 読水は廊下の隅に突っ伏し、鞄で頭を守りながらその暴力の嵐をやり過ごした。廊下を跳ね回る光弾の連射は十秒近く続き、止まった頃には壁の表面をパラパラと砕け、埃が頭上と言わず地面を言わずに舞っていた。

「……馬鹿野郎ぉッ!」

 読水は顔も上げず、開口一番に叫んだ。その怒号に驚いたのか、室内の方から女性の小さな悲鳴が聞こえた。

「レナードの弟子かッ!? 敵じゃあない、俺は運び屋だ!」

「しょ……証拠はっ!?」

「じゃ、ここにブツを置いてくから、後は勝手にしろッ!」

「ま、待ってぇ!」

 と、情けない声を上げ、ドタドタと室内から読水のもとへ走ってきた。年齢は読水と対して変わらないだろう、ワンピースを着たおさげの少女が室内から飛び出した。

「……あんたが、キャサリンか?」

「はい……その、先生は本当に……」

「俺が確認した……彼の荷物と、依頼されていた物を届けにきた」

 そう伝えると、読水は荷物をレナードの弟子――キャサリンに渡した。

「俺はもう逃げるが、あんたもここから離れた方が良い。こう事態が大事になっちゃ、聖杯戦争も中止になると思う」

「で、でも……」

 キャサリンは気が弱いと言うか、冷静沈着になれない性分らしい。オドオドとした声で、目尻には涙を浮かべていた。

「まあ……残るって言うなら、別に引き止めやしない。じゃあ、幸運を」

 読水はそう別れを告げると、服に付いた埃を払いながら階段の方へと戻る。

 しかしエレベーターがこの階に到着した電子音を耳にすると、踵を返してキャサリンの方へ戻った。

 キャサリンを工房へと押し戻し、室内に入る瞬間に銃弾が廊下を雨あられと飛んできた。読水は効果がもうあるとも思えない穴だらけの扉を蹴りで閉め、工房の奥へと避難した。

「えっ……び、尾行された?」

「あんたのが原因だろ! さっきの光弾はッ!?」

「さ、さっきので薬剤が切れ……」

「お前本当に魔術師か!?」

 先ほどの魔術の発動に使ったであろう大きな鉄鍋を放置し、二人は部屋の奥へ。流し場と思われる狭い小部屋へ逃げ込んだ。

「クソ……何でも良い、何か手はないか!?」

 廊下では、すでに玄関前に到達した気配が穴だらけの壁から伝わる。読水は壁に向かって何発も拳銃を発砲して牽制をしながら、過呼吸を起こしかけているキャサリンに聞く。

「ここに、しょ、しょ、触媒がある……から……召喚さえすっ、すっれば……」

 なるほど。と、読水は先ほどいた大部屋を見る。しかし床には英霊を呼ぶのに必要な魔法陣は描かれていない。

 逃げ込んだ場所に、魔法陣が偶然描かれているなどという奇跡は期待できない。読水は顔をしかめ、目を閉じた。そしてここを生き延びれたら、英霊召喚は万全の準備をもって行おうと固く誓う。

 そして、蹴破られるだろうと思っていた扉が、ゆっくりと開かれるのを読水は見た。読水は舌打ちをすると、背を預けていた壁からずり落ち、床に寝転んだ状態で玄関口を狙った。

 部屋に入ってきたのは、麻のシャツを着た男だった。黒い肌とヨーロッパ系の顔立ちを持った背の高い男は、部屋に入るなり敵意はないというように両腕を広げて見せた。

「………」

 少し逡巡したが、読水は構わず胴体を狙い引き金を引いた。

 しかし、弾丸は男に当たることはなかった。触れる直前、男の背中から乗り越えるように何かが飛び出し、男を守ったのだ。

 男は守ったもの、それは煙のように不明瞭で見えにくいが、爬虫類の頭のように見えた。使い魔の類だろうか。よく見れば、男の首にはくの字に曲がった木製のブーメランが掛けられている。

「……いきなり撃つなんて。まったく、話もせずに死んだらどうする」

 男はふざけたように文句を言う。そして小銃を持った男達が四人、扉の正面に立つ男から左右に広がるが、男は彼らの攻撃を手で制した。

「おい、待て。話し合おう!」

 読水は再度隠れ、上着の内ポケットからリボルバーの装填器具を取り出しながら言った。

「ここの工房の持ち主は死んだ! レナードって名前だ! 聖杯戦争に参加する奴は死んだのだから、俺達がここで戦う意味はないはずだッ!」

「……まずは、自己紹介を」

 男は首に掛けていたブーメランを手に取り、クルクルと弄びながら言った。ブーメランの表面に、ワニが描かれているのが見える。おそらくアレが、使い魔を召喚する触媒なのだろう。

「私はアーロン・ドリームマン。この聖杯戦争に参加する、魔術師だ。……あっと、君達を襲ったのは、金で雇った。レナードを殺した教え子以外は、魔術と縁も所縁もない連中だよ」

「なら、俺がただの運び屋だってのは知ってるだろ!」

「もちろん」

 アーロンは楽しげに肯定する。読水は壁に隠れなから、掌にリボルバーの薬莢を落とす。そして音を立てないよう地面に薬莢を置き、装填器具(スピードローダー)でリボルバーに弾を込めた。

「それに、そこにいる娘がレナードの弟子なことも、聖杯戦争のマスターには役不足なところも知っているつもりだよ」

 ただ、ね。と、男は台詞を一端切り、こう続けた。

「何事にも、万が一、というのがある……『皆殺しが一番手っ取り早い』、そう考えるのが魔術師って奴なんだよ」

 そうかよ。読水はうなだれ、苛立ち紛れに肘で壁を殴った。こうなれば、何としてでも逃げねばならない。隣でうずくまっていたキャサリンが、壁を殴った時の音で小さな悲鳴を上げる。しかし、もう気にしている余裕は読水にない。

 読水は再装填した拳銃を頭の横へと持ち上げ、カラカラに乾いた口内を舌で舐めた。キャサリンと違い、まだ心は折れてはいない。当然抵抗はするつもりだが、生き残る術、算段が現状まったくない。

 と、そんな時だった。アーロンのいる大部屋の方からパン! と、炸裂音が一回、空気を叩いた。

 そして複数の風切り音と、人体を破壊していく生々しい音と共に雇われ兵が次々に細切れにされ、血溜まりに倒れていく。

「……ッ!?」

 アーロンは驚いた様子で、高速で宙を飛び交う何かを使い魔で防ぎ、部屋の中央まで下がっていった。

 読水は、この音と現象を知っていた。これは銃弾の風切り音。それも複数が、軌道を変えていきながら飛び交う時の、あの男がもたらす異音だ。

 アーロンが自身へと向かってくる銃弾を数発叩き落とすと、部屋はまだ生きている三人分の息遣いが聞こえてくるほどに、打って変わって静寂に包まれた。

 その静寂の中に足音が混じる。硬い革靴でコツコツと廊下を歩いてきた彼は、コンビニにでも寄ったかのように悠々と部屋に入ってきた。

「……嘘だろう?」

 当時の読水にとっては、信じられない再会だった。

 黒を基調にしたフォーマルウェアをクタクタになるまで着潰し、細身で高い上背は黒豹のような獣臭ささえ感じる。普段はソファーに寝そべり、酒を飲みながらつまらなそうにエロ本を読んでいる癖に、その雰囲気にまるで隙がない。

 魔術師でありながらも古臭いリボルバーで武装し、それでいて裏の世界では『殺し屋』として知られる男。

 いずれどこかで巡り合うかもとは思っていた。しかし彼と別れて、まだ一年経ったかも怪しい。

 そう、彼は……。

「師匠……どうして……」

 読水の師――雨井陽二は部屋の隅から顔を出す弟子に、何も答えなかった。手にしたリボルバーを右手にぶら提げ、ジッとつまらなそうな目でアーロンと対面している。

「……驚いたな」

 ポツリと、アーロンは呟いた。そして弓が引き絞られるように、キリキリと彼の口端が釣り上がっていく。しかしブーメランを持つ右手は、読水の距離から見ても分かるほどに握り固められていた。

「……『殺し屋』、『キッド』……『ミキサー』、『ZIP』。あの有名な雨井陽二に、こんな所で出会ってしまうなんてね」

 雨井はタバコを傭兵達の血溜まりに捨ててから、口を開いた。

「お前は標的じゃあない。ここでお前が退いても、俺は構わないが……」

 おや。と、アーロンは首を傾げる。

「てっきり誰かに依頼されたものと思ったが……とすると、あそこの子供達に、知り合いでもいるのかな?」

「だったら、どうするんだ?」

「だったら、後腐れのないように……お前も殺しておくか」

 アーロンは、雨井を挑発するように告げる。雨井はそんな彼に苦笑し、肩をすくめた。

「俺も、同意見だ」

 この男、端から逃がす気などなかったらしい。

 雨井は吐き捨てるように言うと、拳銃を右手から左手へと投げ渡す。そして流れるような速度で再装填作業(リロード)に入った。

 雨井の持つ銃は、スタームルガー・ブラックホークという、シングルアクションのリボルバーだ。その装填機構は固定式であり、読水が使っているコルト・ローマンのように弾倉(シリンダー)を銃身から横にずらせない。故に排莢も、装填も、一発ずつ行う必要がある。

 当然、戦場でその作業工程の遅さは致命的なものだ。事実、雨井は敵を前に無防備に立った状態で、薬莢を地面に落としていき、弾を指で一発ずつ込めている。

「……なるほど」

 しかし、アーロンは動かなかった。そればかりか感心したように、その様子を目を丸くしている。

「その目……『アマチュア』でも、『プロフェッショナル』でもない、『本物』の人殺しの視線というのは、こうも……銃口より、よっぽど怖いじゃあないか」

 雨井はその言葉に応えない。アーロンを冷たい眼光で釘付けにしながら、一発ずつ、考え事の合間にしているように、一発ずつ弾を込めていく。

「……もう一発、必要になるか」

 六発の弾丸を込めた後、雨井は一人呟いた。そしてポケットから取り出した銃弾を握り、続いて開いた時には手品師のように銃弾を消してしまった。

 雨井は拳銃を右手に移すと、腰のガンフォルダーに収めた。そして僅かに左足を前に出し、顎を引く。

 正面からの、早撃ちの意思表示。現代戦において全く有効とされない銃で武装し、利口とは言えない行動の数々を平然と行う。だがしかし、常人には理解できない領域こそ魔術師の欲すもの。彼はそんな世界で名の知れた、殺し屋なのだ。

「……後悔しているよ。とても怖い」

 アーロンは、目尻を痙攣させながら笑った。そうして彼もまた、構えを取る。前傾姿勢で両手を前へ垂らし、得物であるブーメランは両手で軽く持っている。

「……とても、怖いね」

 勝負の時だ。気がつくと読水は立ち上がり、小部屋の出入り口に手を掛けていた。

「……っと、それ以上近づくなよ小僧」

 その言葉で、失神寸前のキャサリンの他にもう一人、サングラスを掛けた青年が背後にいることに気づいた。青年は肩紐付きのライフルとメガホンを担ぎながら、今まさに窓から読水達にいる小部屋へと侵入するところだった。

「そこから一歩でも出たら、命の保証はなくなるぜ?」

「その言い様……あんた、アダムか?」

 さあてね。と、青年はニヤけ顔を浮かべた。しかしすぐに真剣な顔立ちに戻り、顎で雨井達を示した。

「目を離さず、良く見ていろよ。命の保証書付きで、あいつの戦いが観戦できる機会なんざそうない」

 読水は頷き、視線を雨井達に向けた。思えば、彼が戦う姿をまともに見たことなど、弟子だった時期を数えても一度もなかった。

 二人はアダムの侵入にも関わらず、構えや視線を変えることはなかった。二人を結ぶ直線上の世界は殺意に満ち、歪んでいるようにも澄んでいるようにも見える。

「………」

「………」

 全速力の殺人によってもたらされる、一瞬の決着――その、開始時点。

 二人がここに至るまで、生涯に渡って備えてきた魔術、磨いてきた技術は、その瞬間を今か今かと窺っている。

 それはまるで、撃鉄に叩かれるのを待つ、銃身に収まった弾丸に似ていた。

そしてここからの目も眩むような高速の展開、攻防は、読水が数年に渡って得た知識と記憶の反芻によって、何とか理解するに至った出来事である。

 そう、これから起きた数十秒の出来事は、当時の読水には理解できない水準の戦いであった。

 

「………ッ!」

 

 先に抑え込んでいたものを解き放ったのは、アーロン・ドリームマンであった。

 アーロンは右手でブーメランを振り被る。否、振り被ったように見えたその時には、ブーメランは彼の背中から回り込み、雨井へと迫ってきていた。

 腕の柔軟性と、ブーメランの特性を活かした堂々の不意打ち。雨井はほんの数メートル先から投げられたブーメランと、回転するブーメランから煙のように立ち込めるワニを視認した……その後に(・・・・)、拳銃を霞むような速さで抜き、引き金を引いた。

 雨井の姿が硝煙に包まれる。

 銃声は、一つ。しかし、宙を飛び交う風切り音は複数。雨井の速射は、連射される銃声に切れ目さえ与えなかった。

 一発撃つ毎に撃鉄(ハンマー)を手動で起こさねばならないシングルアクションの銃は後年、連射速度を人間の力量に委ねるというオリジナリティへと変異した。

 そして、引き金を引いたまま撃鉄を引き続けることで速射を可能にするファニングショットは、達人にもなれば機械式の銃器に優る連射速度を生む。

 加えて、雨井が撃った.375マグナム弾は読水の撃つものとは桁違いの凶暴性がある。雨井の魔術は、音速を維持したままその銃弾の弾道を変えるという凶悪なもの。

 人間を殺すのに充分なパワーを持つ.375マグナム弾を、風切り音を唸らせながら人体の間を何度でも往復させることで破壊していく。それが彼の異名の由来なのである。

 雨井が撃った銃弾は銃弾を喰らおうとするワニの牙を避けながら飛来し、ワニが描かれたブーメランそのものを砕き割った。次いで、まだ推進力を残す銃弾はアーロンへと次々に襲いかかる。

「グ……ッ!」

 アーロンの体に、弾丸が何度も食らいついていく。しかし魔術で強化されたブーメランを破壊した後の銃弾では、魔術師は殺せるだけの余力はない。それにアーロンはボクサーのように腕で急所を守り、万が一にでもやられまいと考慮していた。

 しかし、何より驚異的なのはこのアーロンという男。腕の隙間から血走った眼で、ずっと自身を破壊していく弾丸を目で追っている点だ。魔術師としての並外れた生命力にものを言わせて、ずっと反撃の瞬間を窺っていたのだ。

 そして、その時がやってきた。アーロンは読水にも目で見えるほど低速になった銃弾を、煩わしいというように掴み取った。

 銃弾による嵐が止むと、アーロンは交差させていた腕でシャツのボタンを引き千切り、前を開けた。

 その時、僅かな瞬間ではあったものの、読水は確かに見た。彼の開けたシャツから覗く胴体には、何十何百という虫の絵が描かれているのを。

 直後、アーロンの体から飛び出したおびただしい数の虫が召喚され、雨井へと飛びかかった。

 当時の読水は知らなかったが、その虫はキバハリアリと言う蟻の原始種で、その毒針は現地の者をして『三十箇所以上刺されると死ぬ』と伝えられるほどのものであった。

 雨井はそれを見るや否や、覆い被さるように降ってくる蟻に銃を向けた。

 そして銃口が蟻に覆われたその時、リボルバーは火を吹いた。その途端、蟻が宙で爆ぜるように四方に飛び散った。

 衝撃波だ。銃弾は発射された瞬間、空気を高速で叩き衝撃波を生む。人が携行できる火器ならば衝撃波の影響も大したことはないが、体に纏いつこうとする蟻を払う程度なら充分に可能だ。

 そして蟻を吹き飛ばしながら放たれた弾丸は軌道を変え、アーロンの顔面へと直撃する。次の瞬間には、アーロンの顔は左へと弾けるに向けられ、体はピンと痙攣したように宙に跳ねる。そして顔からは、赤い鮮血が吹き出していた。

 アーロンは勢い余って倒れ込むも、手を着いて完全なダウンを拒否する。しかしそれでも狙うには充分な隙だ。続く二弾目をと、雨井は頭から降り注ぐ蟻を物ともせずに撃鉄を引き起こす。しかし、銃弾は発射されなかった。

 見れば、蟻は真っ先に雨井が右手に持つ銃に群がり、彼の右手は黒い塊のようになってしまっている。

「………ッ」

 銃に集る蟻を手で払う雨井。そんな光景を、アーロンは愉悦極まるといった顔で眺め、立ち上がる。

 アーロンの狙いは、これだった。撃鉄の間にでも蟻を押し込んだのか、あるいは銃身にでも大量に流し込んだのか、いずれにせよ蟻という異物で銃そのものを封じ、雨井が操る弾丸をゼロにするのが目的だった。

 アーロンは口から血と、歯か鉛玉か、固形物を地面に吐き出す。彼の左頬は赤い花が割いたように、内側から爆ぜていた。

 これも、彼にとっては必要なことだったのだろう。銃弾が一発でも撃たれていれば、雨井はその銃弾を操って戦うことができる。想定外の一撃ではあったが、その一撃は何としてでも、それこそ歯で噛み砕いてでも止める必要があったのだ。

 アーロンは鮮血で汚れた口元を舌で舐め、ズボンとベルトの間から30センチに満たない木片を抜き取った。そして木片に結び付けられた紐を握り、勢い良く木片を頭上で回し始める。

 それは投擲具か、呪具の類か。しかし、それがどのような魔術礼装であるにせよ、その効果が発揮されることはなかった。

 なぜならアーロンが握っていた紐は、上空から飛来した弾丸によって千切られてしまったからだ。

 アーロンはあらぬ方向へ飛んでしまった木片に、信じられないと言った顔をする。それからゆっくりと、彼は雨井を見た。

「……いつ、撃った弾だい?」

「最初に撃った四発のうち、一発を上空で旋回させていた」

 雨井の早撃ちは、射撃音を一つにまとめて聞こえさせるほどのものだ。彼は自分が何発撃ったかさえ、情報として敵に与えない。そして彼の魔術を合わせれば、弾丸を伏兵のように扱い奇襲さえ可能とする。

「しかし上を飛んでいたこの一発は、すっかり威力が落ちてしまっている、未だ飛んではいるが、お前を殺せるだけのエネルギーは残っていない」

 雨井はそう言うと、降参を示すように両手を肩の高さに挙げた。

 ピン。と涼しげな音がした。気がつけば雨井の左手には銃弾が、タバコのように指に挟まっている。

「よって……もう一発、必要だった」

 そして雨井は、その銃弾を指で弾き、アーロンの額へと放った。

「……あっと」

 それがアーロンの、最期の気づきであったのだろう。

 直後、上空を飛来していた銃弾は弾道を変え、アーロンの額に弾頭を押し当てた銃弾の雷管を撃鉄代わりに叩いた。

 

 

 

 これは後に、アダムから聞いた話だ。

 雨井陽二という魔術師は『思考分割』、『高速思考』という技能によって音速で飛ぶ複数の弾丸を操っているらしい。これらを得意とするアトラス院の魔術師達は、戦闘時には擬似的な未来視さえやってのけるという。

 雨井もまた、その常軌を逸した思考能力によって敵の全てを見透かしているのかも知れない。

 そして、あの男はきっと敵を観察し、戦う前より勝利までの道筋を組み立ててしまっているのだろう。そう……一発ずつ、弾丸を銃に込めながら。

 

 

 

「どうして、ここにいる?」

 アーロンの死体を確認しながら、雨井は読水に言って寄越した。その声色には、明らかに怒りが混じっている。

「聖杯戦争には、もう関わるなと言ったはずだ」

 読水は顔を伏せた。この男は命の恩人で、魔術の師だ。反抗する気にはとてもなれない。

「……俺だって、言ったはずだ。誰が何と言おうと、俺は何も変わらない」

 しかし、言わなきゃあいけない。恩師であるこの男にこそ、自分の意思は伝える必要がある。

「あの聖杯戦争に勝つ為に、スクラディオ・ファミリーとの関係がどうしても必要だったんだ」

「こんな粗雑な戦争も一人じゃ生き残れない……外道に成り切れない運び屋が、本物の聖杯戦争で生き残れるとでも思っているのか?」

「思ってない……だけど、やるんだよ! 欲しいのは聖杯じゃあない、決着だッ!」

 読水の説明を、雨井はピシャリと言い伏せた。その物言いが頭にきて、読水は怒鳴った。そして一度堰を切ってしまえば、もう言葉は止まらない。

「確かにあんたは、俺を救ってくれた! あんたのお陰で、あの地獄から逃げ出せた……けど、そのせいで俺はあそこに、何かを置き去りにした!」

 読水は雨井に近づき、噛みつくように言った。

「俺は読水の生き残りとして、それを取りに行く……ッ!」

 雨井は、そんな読水から視線を逸らすことはなかった。先ほどのアーロンと対峙した時のように、ジッと読水を睨んでいた。

 しかし、読水に背を向けるその直前に、その顔が一瞬悲しげに歪んだのを見た気がする。

「……勝手にしろ。そもそも俺とお前じゃあ住む世界、流儀(スタイル)が違うんだ」

 そうじゃなきゃ、お前も今頃は『殺し屋』やってた。と、雨井は呟き、こう続ける。

「まあ、精々頑張れ。今度負け犬になる時は、悔いの残らないようにな」

 雨井はそう吐き捨てると、読水のもとから離れていった。

「かつての教え子に、冷たいねぇ。それに私の顧客殺しちゃって、まあ……」

 取引は済んでいるけど。と、そう言って雨井にちょっかいを掛けるのは、小部屋から顔を出すアダムだ。雨井は鬱陶しそうに手で追い払う仕草をするが、構わずアダムは言う。

「殺し屋、仕事は? 誰を殺した?」

「今回の主催者だ。アダム、お前そのメガホンで聖杯戦争が中止になったと触れ回れ。潜伏している連中も、それでここから撤収するだろう」

「はんっ、面倒くせぇなー……まっ、さっきの見物料として無償でやってやるよ」

「当たり前だ」

 雨井はそう言って嘆息し、さっさと部屋から出てってしまった。振り返ることもなく。

「………」

「よう、小僧」

 黙ったまま立ち尽くす読水の肩を、アダムはポンポンと叩いた。

「その時がくれば、私を呼びな。あの師匠がいなくてもやれるってことを、思い知らせてやれ」

「……俺は一人でやりたいんだ」

「そういう台詞は、一人で生きられるくらい強くなってから言いな。小僧」

 そんな奴、私は知らないけどね。アダムはそう付け足し、ヘラっと笑う。

「じゃあ、とりあえずその前払いとして……後ろで放心しちまってる小娘を島外まで運んでもらおうか? 三流の運び屋さんよ」

 

 

 

 あれから――あのギリシャでの暑い日から、もう四年経つ。

 あれ以来、師匠……いや、雨井陽二とは会っていない。悲しく、申し訳なささえ感じることだが、雨井と自分は進んでいる道が違う。そう、読水は解釈している。きっと彼と過ごした五年間は、偶々道が交差しただけに過ぎないのだろう。

 そしてあの日に日坂での聖杯戦争の協力を名乗り出てくれたアダムも、もういない。まだ死んだとは限らないが、アダムが仕事で決めた約束を破ったことはなかった。

 電話で言っていた依頼絡みか、余程のことがあったのだろう。少なくとも、もう頼ることはできない。

 結局、恩もロクに返すことなく、別れることになってしまったか。そう考えるも、不思議と孤独はない。それはアダムとの不思議な距離感のせいか。読水はアダムとの思い出を回想し、ろくなものがないことに気づく。

 あるいは……まだ仲間がいるからか。読水はそう苦笑し、窓辺に座るランサーの背を見る。

 アダムと同様、本名さえ知らない彼女であるが……少なくとも、こうしてまだ目の届く所にいるうちは、彼女に恩を返したい。

 そして、そのベストな返し方は、やはり聖杯を勝ち得ることなのだろう……。と、読水は決意を新たに強固なものへとしていく。

 その為にもこの聖杯戦争、どんなに無様だろうと勝ち残らなければならない。彼女をサーヴァントとして召喚した今、もう一人の命ではないのだ。

 やっかいな話だ。そう、読水は嘆息した。

 人の生き死にを委ねられるのは、本当に嫌いだ。

 

 

 

 

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