Fate/reselect   作:Fate/reselect出張所

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第二十七話『リビングレジェンド』

第二十七話『リビングレジェンド』

 

 

 

 イギリスに、一人の男がいた。

 当時最強の国家に牙を剥き、闇に葬られた魔術師の末裔に生まれた。そして生まれながらにして、檻の中の獣であった一人の天才がいた。

 男は知っていた。遠くインドの地から脈々と受け継がれた力を、一族を飼い慣らしてきた者達は怖れていることを。

 男は手にしていた。受け継いだものではない特別な、彼らの用意した檻の外側にある確かな才能を。

 世界に名を知らしめるだけの力が、彼にはあった。

 だったら、駆けねばならない――男は、そう思った。

 男は決別した、先祖の名誉と子孫の未来を確かなものにする為に――受け継いだ力を年若い娘に託し、檻という秩序ある巣から抜け出る。

 そうして男は遠い異国を駆け、その才能を見せつける。

 

 

 

 ドイツに、一人の女がいた。

 山に住まう悪魔に身を寄せた女の、異端の家系に生まれた。そして生まれながらにして、悪魔との契約を結ばされていた一人の天才がいた。

 女は知っていた。悪魔との契約の先には破滅しかなく、三代目となる自分こそ、その静かなる破滅の代に当たると。

 女は気づいていた。悪魔の力に魅入られた血より遥か以前、より強大な魔神を使役していた血がその身に流れていることに。

 静かに滅ぶ運命を覆すだけの力が、彼女には見えていた。

 だから求め、手にしたい――女は、そう思った。

 女は切り捨てた、己が満足できる生き方を築く為に――先祖からの契約も英霊との繋がりも、愉悦という主柱の生贄とする。

 そうして女は遠い異国に君臨し、その異形を見せつける。

 

 

 

 そして遠い異国の地にて、伝説は邂逅する。

 二人は、出会ってしまった。

 知れば知るほどに己と異なると知り、触れれば触れるほどに己の逆鱗に触れる。

 男は己の信条から、女は己の未来の為に――あいつの生存は許さない。この手で、確実に殺してやりたい。

 二人の男女は柄にもなく、そう思うようになっていた。

 

 

 

 封印指定された“時計塔”の魔術師――ウィリアム・シン。

 異形と化した“ブロッケン”の魔女――アレクシア・ブロッケン。

二人は運送会社が管理している倉庫に面した道路にて、鬼の形相で掴み合い、額を打ち合わせた。

 しかし、それはウィリアムにとっては下策であった。

 パッと血飛沫が爆ぜるように月夜へと飛び散る。今や人外の領域へと半身を踏み込ませたアレクシアとの激突に、未だ人間であるウィリアムの額は容易に裂けてしまったのだ。

「………ッ」

 掴み合ったまま、ガクガクと膝を曲げ姿勢を崩すウィリアム。彼の足元には決して少なくない血が雫となって垂らし、脳震盪によるものか、伏せた顔からボソボソと言葉を零していた。

「……今さら正面から、何も工夫もなく、この私に戦うとは」

 アマチュアが。そう呟いて嘲笑い、アレクシアはさらに組み合った腕に力を込める。そうして、腕力に物を言わせて、そのままウィリアムを地面にねじ伏せようとする。

 しかし、そうしてウィリアムへと向けた力がたちまち空転……否、すり抜けた。

 気づけば、アレクシアが掴んでいたウィリアムの両腕は大蛇と姿を変えていた。そして、ずるりとその拘束から逃れて、逆にアレクシアの両腕に巻き付いていた。

 獣性魔術――しかも、これは……最初に二人が衝突した時に、彼が真っ先に使用した獣性魔術だ。

 アレクシアはハッとして、ウィリアムを見る。彼は既に完全に意識を取り戻して、こちらを覗き込んでいた。その顔は額から流れる血に染まりながらも、白い歯を覗かせている。

 直後、アレクシアの両腕を、二匹の蛇が絞めつけに掛かる。かつては呼吸さえできなくなった絞め技だが、アレクシアはかつての貧弱な魔女とは違う。

「舐めるな、魔術師ぃ……ッ!」

 アレクシアは激昂し、異形となった右腕に巻き付いた蛇を振り払った。

 そして、間髪入れずに右腕でウィリアムを殴りつけようと、全力で拳を突き出す。

 そこを、ウィリアムは狙った。

 振り払われた、獣性魔術で蛇の靭やかさを得たその左腕を突き出し、アレクシアの異形の右腕の外側から回り込み、内側へと滑り込ませる。

 結果、完成する。

 クロスカウンター――ボクシングの代表的なカウンター・パンチ、その高等技術が。

 完全に意識外からの打ち込まれた攻撃には、体は防衛反応を示せない。身に纏った尋常ならざる耐久性が発揮される間さえなく、今度はアレクシアの方がたたらを踏んだ。

「………」

 ウィリアムは残されていた蛇の拘束を解き、額から顔に流れていた血を拭う。そうして黙ったまま、重心を叩き崩され後方へふらつくアレクシアへと歩を進める。

「prana shift――were-monkey」

 二小節の詠唱。その直後、猿人の神秘が蒸気のように溢れてウィリアムの体を纏い、上半身には短い毛が、指先には鋭い爪が伸びる。淡く光り輝くその姿はまるで、インド神話に登場するハヌマーンそのもののようだった。

 ウィリアムは一気に攻勢に出た。

 矢のようにアレクシアへと飛び込み、四肢どころか全身の部位で以ってアレクシアを殴打する。その乱撃は長身の彼女を後方へと押し込み、倒れる間さえ与えない。

 乱打に次ぐ、乱打。アレクシアが後方に弾け飛ぶ度に、ウィリアムは鋭角に身を掛かり距離を詰める。以前の戦いでは魔術礼装『栄光の右手(ハンズ・オブ・グローリー)』がある程度は防いでくれた猛攻ではあったが、礼装が破壊された今ではそれを防ぐ外部装置はない。

 そうしてアレクシアはついに倉庫の敷地内……どころか、倉庫の壁にまで追いやられる。

 それでも、ウィリアムは止まらない。息をつく間もなく、嵐のような猛攻を続ける。打ち据えられて狂いが生じたアレクシアの五感には、錯覚として、それこそ何人ものウィリアムが感じ取られていた。

 そして……ついに施設の壁の方が、アレクシアの背中越しの衝撃に耐えられずに砕けた。

 背中から倉庫内に転がり込むアレクシア。ごろごろと転がった末に、大の字に倒れた彼女は身動き一つせず天井を見ていた。

「……と、ここまでが以前の、最初に戦った時の再現……ってね?」

 多少の違いがありますが。と、吐息を漏らしながら、崩れて開いた穴の向こうからウィリアムは現れる。

「もっとも、今回は僕の方から撤退はしない」

 ウィリアムはそう言うと、纏った獣の神秘を霧散させつつ肩を回し、瓦礫を踏んで倉庫内に踏み入った。

「とことん行く……どうした? 立てよ、アレクシア・ブロッケン。ここからが本番だろう……僕はお前を殺すまで、もう引き下がったりはしませんよ」

 大の字に倒れるアレクシアを見下ろしながら、ウィリアムはそう宣言する。

 その言葉を聞き受け、天井を見上げるアレクシアもまた、頬を切り開いたように、薄く笑った。

「ウィリアム・シン。“時計塔”の魔術師……」

 と、アレクシアは突如、歩み寄る敵の名を呼ぶ。その呼び掛けに、ウィリアムは歩みを止めた。

「『貴族主義派』に所属し、降霊科の二級講師として教鞭を取りながら、同時に封印指定された魔術を継いでいる……常に管理下に置かれる身だ。お前がこの戦争に参加したのも、時計塔の邪魔が入らない空間を望んでのことだろう」

「………」

「なあ?」

 そう笑ってアレクシアは見開いた眼光で、ウィリアムを見据える。ウィリアムは肩をすくめ、腕を組んでそばの資材に寄り掛かった。その反応を確認すると、アレクシアは再び喋り出す。

「歩んできた道は違うが、私とお前は良く似ている。私も、そしてお前も、欲しているものの為に自分を取り巻いてきた世界に爪を立てている」

「……それで?」

「お前の口から、直接聞きたい」

 アレクシアはそう言うと、肥大化した右腕で地面を、コンクリートを鷲掴みにする。パキリという音を立ててコンクリートは割れ、彼女はそのまま右腕でもって自身を一息に引き起こした。

「時計塔によって抑圧されてきた、その魔術……今さら何の為に使う?」

 アレクシアの、その問いかけにウィリアムは黙り、やがて観念したように長い溜息をついた。

 彼は意を決したように資材から離れ、身に纏っていたパーカーのファスナーを下ろした。パーカーの下には何も着ておらず、刃物のように研ぎ澄まされた浅黒い肉体が覗く。

 そして彼が目を瞑ると、彼の肌から――袖から伸びた手までを含む、腰から首にかけた上半身の全てに、幾何学的な模様が浮かんだ。

 その神秘的な光にアレクシアは目を細め、呟いた。

「……魔術、刻印」

「僕が戦うのは……僕の体に刻まれていた、先人達の“これまで”。そして娘に託した、“これから”の為です」

「………」

「魔術使い、私は貴方とは違う。魔術師は己の、今の為にその力を奮ったりはしません」

「……フッ、全ては親から子へ受け継がれる、根源への探求の為ということか」

 アレクシアは、ウィリアムのその回答に肩を震わせる。

「……良くできた、カルトだ。その模様は、どんなやり方でもいずれはと……倫理観も、自分自身さえも未来の為に捨ててしまう呪いの印だ」

 心底下らないと言うようにそう吐き捨てながら立ち上がって、アレクシアはウィリアムに対し目を剥き、叫ぶ。

「早く気づけ! そして認めたらどうだ!? 魔術師(おまえたち)魔術使い(わたしたち)と何も変わらない! 人でなしで、嘘つきで盲信者だッ!! 叶わない根源への夢を、現実から目を背けるまやかしに使っているに過ぎないのさ!」

「……貴方こそ、気づくべきだ」

 ウィリアムはその言葉を聞くと、怒気を含んだ声で告げた。

「もう語って治まる段階じゃあない。倫理や損得で動けるなら、お互い一人っきりでここには来ないはずだ」

 そう捲し立てるとウィリアムはパーカーを脱ぎ、腰に巻いた。以前と変わらない、彼の戦闘スタイルだ。

「その手で直接、殺したかったんでしょう? 僕も同じだ。この手をお前の血で汚さないと……例え聖杯を手にしても、僕は満たされない……ッ!」

 ウィリアムの、その殺意の籠もった台詞を聞くと、アレクシアは鼻で笑って右腕を振るった。それに伴って、宙に蛍火のような魔力の光球が複数浮かぶ。

「やはり、お前と私は似ているよ……来いよ、魔術師。お前の過去も未来も、全て食い物にして私は進む!」

「やってみろよ……アレクシア・ブロッケン!」

 ウィリアムは叫ぶと拳を握り、獣の神秘さえ纏わないままアレクシアへと突き進む。アレクシアも両腕から悍ましい眼光を輝かせ、その禍々しい腕を天へと突き上げて魔法陣を展開させた。

 

 

 

「……ッ! ハッ……ハッ……くそっ……」

 一方、寂れた夜の商店街にて。

 ミアは荒い呼吸を繰り返し、脚を震わせ……しかし、シャッターの凹みに指をかけそれでも地面に膝をつけることだけは拒絶していた。最初にキャスターと遭遇した場所から随分逃げ回ったが、それでも地面に体を下ろすことだけはミアのプライドが許さなかったのだ。

「……ハッ……なんだ、あれ……?」

 思わず、口から出た疑問であった。

 あそこまでとは、聞いてない。

 相手は栄えある英霊。抱えているもののなら、ドス黒さこそがこちらのアドバンテージ……そう考えていた。

 なのに、いざ戦ってみればどうだ。ミアは今や歯を鳴らし、震えを抑え切れなくなっている。完全に、目の前の存在に呑まれている。

「……ざっけんなッ! これのどこが英雄だッ!」

 叫び、睨みつけた視線の先――そこにはキャスターが、今まさに最後の人形の体を木っ端のように斬り飛ばしていた。

「………」

 ボトボトと、斬り飛ばされた部位の順をなぞるかのように落ちゆく人形の五体。それを他所にキャスターはくるりと、顔をミアの方へと向けた。

「くっ!?」

 咄嗟にミアは、ベルトに差し込んでいた拳銃――人形から回収した装備を引き抜き、キャスターに向けて我武者羅に発砲する。

 符呪された銃弾。当たれば幾らかのダメージは期待できる。しかしキャスターはそんな銃弾を自身に当たる分だけ冷静に見極め、対処する。

 彼は上体を微かに横に振るだけで二発、銃弾を立て続けに躱し、三発目は突如キャスターの側面へと軌道を変えて飛んでいった。

 見れば、キャスターは下へとぶら下げていた剣先を持ち上げ、片手で刀を正面に構えている。

「………ッ」

 これだ。

 弾切れの拳銃を捨てながらミアは無意識に後退しようとし、シャッターに踵をぶつける。そして、そんな自分に歯噛みする。

 この刀の、奇妙な……刀を正面に構えるや否や、攻撃の全てが弾かれる技。アレに用意していた人形の攻撃も、罠も、全て完封されてしまったのだ。

 刃物も、銃弾も、魔術さえ、この技一つでキャスターは何とでもしてしまう。しかし、何よりミアを苛立たせるのは、それをやる瞬間のキャスターの動きを目で捉えきれてない点。未だに、その技の全貌を理解できていない点だ。

「………」

 何もできない。それどころか、理解さえ……見ることさえできない。

 そこまでのレベルの差が、自分と向こうにはある。

 ……いや、あるはずがない。そんなことがあって、堪るか。いくら何でも、こんなにも……認めない、認められるか。

 沸々と煮えたぎるような、理不尽に対する怒り。

 きゅうと身を引き絞るような、絶望に対する恐怖。

 二つが心の内で混ざって渦巻き、ミアの身体が震える。

 ――しかし。

「ハッ……フフッ!」

 カチカチと震える歯を噛み抑え、涙で濡れる視界は目元を引き絞ってクリアにする。ミアは口端を釣り上げ、先ほど手にかけていたシャッターを叩いて自分に活を入れた。

 そうしなければならない、事情がある。強い者に怯える、か弱い少女にはもう……戻らない。

 強くなくても殺して、支配する。もっと妖しく、激しく、世界に自分という存在を見せつけてやる。

 そうなる為に、魔女になったのだから。

「……ホント、化物なんですねぇ。あんたらって……」

 そうして、冷静を装った口ぶりで店先からスッと離れる。キャスターから視線を外して、メインストリートの中央へと歩いていく。

 そして、その体勢のまま――目線すら送ることなく、キャスターにはミアの体で遮られ見えなくなっていた左手で毒煙の飴玉を二つ、用意する。

「けふっ……まったく――」

 咳き込んだフリ。それに合わせてミアは左手を口元へ、二つの飴玉を同時に口に含ませ舐める。

「――ふざけんじゃねーぞ、老害がッ!」

 吐き捨て、投擲する。指先から離れた飴玉は泡立ち、チューイングガムのような、ショッキングピンク色と青色の毒煙を噴き上げる。

「………」

 キャスターは無反応に、こちらへと迫る飴玉を見る。そして刀の刃先で飴玉を弾き、横合いへと転がす。

 そう……きっと、キャスターにとっては既に見た、何てことはない攻撃だろうな。と、ミアはそう思いながら、大胆に露出した太ももへと――そこに刻まれたタトゥー手を伸ばす。

 だが、本命はこっちだ。

 『茨で作られたハートマーク』を象ったタトゥーを、ミアは掴んで引き抜いた(・・・・・・・・)

 ズルリと染み込んだ皮膚から解き放たれた、黒色の茨の鞭――手の内にさえ突き刺さる、ミアが積もらせた世界への呪いそのもの。

 ミアはそれを手に、毒煙へと頭から突っ込んだ。

 そう、毒煙なら刀では弾けない。致命打にならない毒煙も、キャスターの視界を奪うだけなら充分に役立つ。

 そしてこの呪い鞭なら、防御した刀ごとキャスターに巻きつける。

 あとは……自分の呪いが、想いがキャスターに――世界に通じるかどうかだ。

「うおぉああああああああああああッ!!」

 自身の肺を焦がす毒煙の中、ミアは咆哮した。吠えながら右腕を振りかぶり、大きく横薙ぎに茨の鞭を振るう。

 煙る視界の中、キャスターの胴体へと迫る、ドス黒いミアの呪いが見える。

「………!」

 キャスターはミアの命を賭けた特攻に不意を突かれ、目を見開く。ざまあみろ、とミアは舌を出した。

 そして、キャスターの胴体に茨の鞭が触れる。

 ――否、触れるか否かの刹那、その鞭の軌道が微かに浮き上がった。

 その感触を覚えた直後、ミアの体は振りつけた挙動のままに半回転する。

 茨の鞭は、ミアの呪いは、空を切った。

 ミアは見開いた目で、キャスターの姿を見た。

 その……両足を広げて屈んだ蹲踞の姿勢で、刀を使って茨の鞭を擦り上げて躱す姿を。

 例の技……あの距離でも、使えるのか。と、ミアは絶句する。絶句しながらも、次の攻撃を仕掛ける。毒煙を吸った今、もう後には引けない。

 ミアは左手で茨の鞭を掴み、宙に空転していた鞭の制御を取り戻す。そして体を半回転、今度は先ほどとは逆の時計回りに身を捻りながら、キャスターに呪いを振りつける。その途上で左手の内側を鞭が滑り激痛が走るも、気にしている余裕もない。

 キャスターは曲げていた両膝を駆動させ、後方へと飛び跳ねる。

 ミアの呪いは、キャスターの顔面を掠めるようにしなり、またもや空を切った。

「くっ……くっそ……ッ!」

 ミアは毒づき、腕を振って鞭を手元に引きつける。

 そして、そこで終わった。

 視界が揺らぐ。勝手にくの字に曲がった体に連れられて見せられた地面には、夥しい血が溢れ広がっていた。

 その血は、自分の視界の根本から流れ落ちていた。

「……は?」

 思わず、左手で口元を拭う。それでも、その口元が乾くことはなかった。絶え間なく口内から溢れ出る血が、それを許さない。

「………?」

 気づけば、ミアは商店街の天蓋を見ていた。仰向けに倒れているのだろうが、倒れたことを、その過程が記憶にない。意識が、連続していない。右手に握っていた鞭は、今、どこにあるのだろうか。

「………」

 死ぬ、のか。

 ミアは覚束ない思考の中で、悟った。やるだけはやった、と思う。全てを捧げた、それでもミアの呪いは、キャスターに――世界に届かなかった。

 これが、英霊か。ミアは納得する。

 そんなことを考えていると、こちらへとキャスターが近づく気配を感じた。

 それで良い。と、ミアは笑いながら体を転がし四つん這いになった。次いで四肢に力を込め、身を起こす。

 そう、こなくっちゃあ。と、ミアは明暗を繰り返す視界の中で、こちらへと歩み寄ってくるキャスターの姿を捉えた。ここでこのまま、地味に自爆なんて、まっぴら御免だ。

 ミアはペタンと座り込みながら、キャスターを見上げる。対してキャスターは、そんなミアをジッと見下ろしていたが。

「その様子なら、毒で死ぬことも、反撃することもない……か」

 と、キャスターは呟く。そして刀を鞘に納め始めた。

 その行動に、ミアの弛緩した身体に電撃が走る。

「お……い……」

「分かっているはずだ、もう勝負はついている。あの娘……ライダーのマスターは返して貰う」

 それが、ここに来た目的だ。そうキャスターは告げると踵を返し、ミアに背を向けて歩き出す。

「待てって……ちょっと、おい……」

 このまま行くつもりか。自分を、このまま置いて。

 自分の、ミア・ブロッケンの亜種聖杯戦争は、ここで情けをかけられたまま終わると言うのか。多少のダメージを、世界の広さを知った授業料として。

「……待てよォッ!」

 ミアは叫んで右足を前に、地面を力強く踏みしめる。

 その様子を察して、遠ざかろうとしていたキャスターの足が止まった。その背中に、ミアは叫ぶ。叫びながら、膝に力を入れる。

「ふざけんな……これまで、一体どれだけ……犠牲にしてきたと思ってる……ッ!」

 堀井深秋という少女の過去も、ミア・ブロッケンという魔女の未来も、全部賭けた。それだけでは賭金に届かず、多くの命も犠牲にした。

 その勝負の結果が、世界の広さを知り、泣いて終わるだけなど。

「ンなキレイゴトで、今さら終われるかぁああああッ!!」

 ミアは血反吐を吐きながらも周囲のシャッターを震わせるほどに叫び、ギリギリと体を痙攣させながらも立ち上がった。ただ殺される為に、ただ残酷に斬り殺される為だけに、立ち上がってみせた。

「………」

 その姿に、キャスターはフゥと溜息をつくと。

「……そう言えば、まだ名を聞いていなかった」

 そう言って、キャスターは振り返る。振り返りながら、腰に納めた刀を抜いた。

 

「私は元新選組、二番隊組長……永倉新八(ながくらしんぱち)。若き魔女、お前の名は?」

 

 それはあまりにも唐突な発言で、完璧な不意打ちであった。

 真っ白になったミアの脳裏に、その名乗りがグルグルと巡る。永倉新八、学のないミアには、彼が何者かは知らない。しかし、この聖杯戦争で、未だ誰にも知られてはおらぬであろうことは分かる。自分が慕うアレクシア・ブロッケンさえ知らぬキャスターの真名を、彼の口から直接聞いたのだ。

 それはつまり、自分を決して生かして帰さぬということ。

 そして、自分を敵と認めたということ。

 ミアはその恐怖と悦びに震え、涙を流しながら口を開いた。

「ミア……ミア・ブロッケン」

「見事だ」

 そこからの光景を、ミアはまともに捉えることができなかった。

 感じられたのは、一瞬で肉薄するキャスターの眼光と、自身へと迫る閃光。

 次の瞬間には、自分の視界は赤く塗り潰される。

 そして倒れる際、何か床に転がっていたのか、変に背中が痛かった。

 

 

 

 多階層の巨大な倉庫。その一階は今や破片が舞い、轟音が響き渡る破壊の渦中にあった。

 倉庫の中央に陣取り、数種の魔弾、光線を駆使し盤面を掌握するアレクシア。

 対するウィリアムは、その周囲を回る。身に迫る攻撃を躱し、駆け抜け、物を盾に凌ぐ。

 思う存分に力を奮うアレクシアと、その対処だけしかできていないウィリアム。傍から見れば、一方的な展開。そして事実、それは一方的な内容であった。

 地力が違う。『得体の知れない何か』と同化しつつあるアレクシアと、獣性魔術で身を削るウィリアムとでは、能力の性質に大きな差がある。雪だるま式に怪物へと成っていくアレクシアに対し、ウィリアムはただ消耗するだけの戦い方をしているのだ。

 故に、戦いが長引けば長引くほどにウィリアムは不利になる。ウィリアムとて、そこは理解していた。だからこそセイバー陣営を味方につけるなど、あの手この手を駆使してアレクシアの早期撃破を狙っていたのだ。

 そして、今も……ウィリアムは考え続け、工夫を凝らし続ける。

 考えること、それが彼の闘法なのだから。

「ハハッ! どうした、どうしたウィリアム! もう獣性魔術は使わないのか!?」

 そんなウィリアムを、アレクシアは無尽蔵に光弾を放ちながら煽る。

「そんなでは、この私を殺すことなんて到底できねえよぉッ!」

 アレクシアは哄笑すると、さらに自身の魔術を強化、足元に巨大な魔法陣を構築していく。

「……prana shift――were-cheetah」

 その様子を確認するとウィリアムは詠唱、全身に燃え盛るような獣の神秘――地上最速の力を身に纏う。

 そして、加速。ウィリアムは一瞬体を弛めるや否や、目にも留まらぬ速さで駆け出した。

「ふん……、な……ッ!?」

 一気にトップスピードに入ったウィリアムを、アレクシアは自身の目だけでなく、腕から覗く幾多の目で追う。しかしその速度は最早、アレクシアにすら尾を引く神秘の光を残像として辿ることが精一杯なほどであった。

 無論、カラクリがある。先ほどまで獣性魔術を使わなかったのは、アレクシアの目を慣れさせる為だった。それはつまり、ウィリアムの遅いスピードに慣れさせ後の加速で意表を突く為、獣の神秘の燃え上がる炎のような明るさで以ってアレクシアの目を潰す為であった。

 アレクシアはそれでも、目で素早く神秘の残光を追っていく。その光は立体的に動いていた。地を駆け、包装された資材に飛び乗り、壁や柱さえを足場に鋭くアレクシアの周囲を巡って――。

 ――そして、自身の背後に回り込んでいる。

「………ッ!?」

 振り返る間も惜しい。アレクシアは詠唱もなく、背後に魔力防壁を構築する。

 しかし、間に合わなかった。ウィリアムは炎を纏った獣の姿で上から、それも弾丸のような速度で飛び掛かり、障壁を突き破ってアレクシアの首筋に齧りつく。

 その尋常でない衝撃に、長身のアレクシアさえ難なく地面に抑え込まれる。組みついた勢いそのままに二人は地面を転がり、置かれていた資材に激突して破壊していった。

「グルゥアアッ!」

 ウィリアムは獣人の姿のまま、発達した両足で転がるのを踏み止め、首を大きく振り上げる。そうして彼は、咥えたアレクシアは上空へと投げ飛ばした。アレクシアの体は冗談のように回転しながら高い天井を突き破り二階へ、積まれたダンボールを下から突き上げるように飛び抜けた。

「………っ」 

 肩口を庇い、周囲に積もったダンボールを掻き分けてアレクシアは二階の壁際へと歩き、背中を預ける。

 そして次の瞬間、背を預けていた壁にウィリアムの右拳が突き刺さる。コンクリート壁には大きな亀裂が入り、アレクシアは一瞬先立って横合いに身を翻していた。

「………」

 いつの間にか『were-monkey』――ハヌマーンのような猿人となっていたウィリアムは、無言でアレクシアを追う。突き刺さった右拳でガリガリと壁を引っ掻きながら、アレクシアへと歩み寄る。そんなウィリアムを、アレクシアは肩口を庇ったまま息を切らして見つめ、笑みを浮かべていた。

 アレクシアは口端を上げながら、肩口に添えていた左手を離した。そしてゆっくりとその腕を突き出し、ウィリアムに手招きをしてみせる。

「………」

 次の瞬間、アレクシアの顔面をウィリアムの拳が歪めていた。

 魔力壁が間に合わずに頬を打ち抜かれ、地面に叩き伏せられるアレクシア。その直後、それを追ってウィリアムが飛び掛かる。

 しかし、そんなウィリアムの体を、何かが塞ぎ止める。気づけば、アレクシアとの間には強固な魔力防壁が張られ、ウィリアムの侵入を防いでいた。

「……ハハッ」

 防壁の向こうで、アレクシアが凶悪な笑みを浮かべる。しかし、その顔は膨大な魔力消費の為か、青白い。ならば、とウィリアムは防壁に乗ったまま、両の拳をメチャクチャに奮う。

 十数秒に及ぶ、嵐のような連撃。唸るような轟音と飛び散る火花の中で、防壁はやがてヒビが入り、形を崩していく。

「そうだ、ウィリアム・シン……ッ!」

 圧倒的な暴力を身に受けながら、アレクシアは狂乱したように叫んだ。

「もっと、もっと私を追い詰めてみせろッ! この私を、私が私である部分を、その爪で完全に破壊しろッ!」

 世迷い言を。と、ウィリアムはそう心の中で吐き捨てた。ならばお望み通り、このままバラバラに引き裂いてやる。

 ウィリアムの乱撃は、ついに防壁を完全に破壊するに至った。トドメとばかりに、組んだ手をハンマーのように振り下ろし、防壁を叩き割る。

 そうして足場となっていたものを崩すと、ウィリアムはそのままアレクシアへと落下。足が地面に降り立つよりも先にアレクシアの顔面を鷲掴みにして地面に押さえつけ、ウィリアムはそのまま乱撃の中で彼女の鏖殺を狙う。

 その時だった。

 破砕し飛び散る魔力さえ止まって見える、圧縮された時の中。ウィリアムは確かに見た。

 アレクシアを鷲掴みにした右手。その指の隙間から覗く、アレクシアの眼球――異形の腕と同様の赤目となっている彼女の目が異様に肥大化し、その瞳は十字に裂けたような形をしていた。

「なん、だ……これは……ッ!?」

 それはあまりにも、悍ましく。

 そしてあまりにも、醜悪だった。

 思わず、掴んでいた手を緩めてしまうほどに。

 全身に駆け巡る恐怖と動揺に、ウィリアムは息を呑む。思わず右手の力が緩められた途端、下からアレクシアの異形の右腕が伸び、ウィリアムの顔面を逆に掴んだ。

「……どうした? 守りは破れたぞ? 何を呆けている?」

 アレクシアはそう言うと、そのまま馬乗りになっていたウィリアムを力任せに押し返し、逆に右腕一本で制圧しながら立ち上がる。

「せっかく、お前のお陰で目覚めたんだ。もう少し……ふふっ、もっと遊ばせろよ」

 アレクシアは常軌を逸した、醜悪な赤い眼をギョロつかせながらウィリアムに語りかける。ウィリアムは足掻こうともせず、ただその異様な眼光に射竦められていた。

「それとも……ここいらで、華々しく吹っ飛んでみるか? ウィリアム・シンッ!?」

 アレクシアがそう言うと、ウィリアムを掴んでいる右手の内側から光が灯り、それはやがて凶悪な閃光へと変わっていった。

 マズい。と、ウィリアムは我に返った。ウィリアムは即座に拳を握ると、自身の頭を捕らえているアレクシアの右腕……正確には、その手首を打ち上げる。

 そうして、ウィリアムはアレクシアの魔の手から脱出する。そして地に足が着いた途端、ウィリアムはその猿人としての力をフル稼働、アレクシアの顎部、心臓部、肝臓部、鳩尾と、一瞬にして急所四つに打撃を入れた。

 しかし、アレクシアはウィリアムの攻撃などお構いなしに異形の右腕を乱暴に振りつけ、ウィリアムに打ちつける。

 彼の体はそれだけで両足を地面から引き剥がされ、容易く宙へと吹き飛ぶ。バットに強打されたボールのように放物線さえ描かず、ウィリアムは荷物棚へと背中から突っ込んだ。

 そして。

「死ね、魔術師」

 そこに、閃光を放つまでに溜め込まれた魔弾を撃ち込まれた。

 瞬間、荷物棚はその莫大な魔力量によって光の渦を生み、その余波によって周囲の資材までをも引き裂いていく。

 その圧倒的な閃光から影として見える威力に、アレクシアは犬歯を剥き出しにして笑う。

 しかしその笑みは、破壊の渦と化していた光が爆炎によって掻き消えたと同時に、より凶悪なものに変わった。

「prana shift――were-eagle」

 その詠唱と共に、アレクシアの魔弾の破壊さえ飲み込む爆炎の中、ウィリアムの影がゆらりと浮き上がる。爆炎はその影を中心に、左右へと走り天井を舐めるように燃え立つ。その様子は、まるでウィリアムが炎の翼を広げているようであった。

「……ク、ハハハッ」

 その光景にアレクシアは期待に応えてくれたとばかりに歓喜し、両腕を広げる。

 そして、次の瞬間。ウィリアムが弾丸のように飛び出し、アレクシアに迫った。

 その姿はまさに、炎を纏って輝く鷲――インド神話にて語られるガルーダそのものであった。

 ウィリアムは燃え盛る炎を伴って、灼光する体ごとアレクシアに突撃する。十数メートルしかない距離での、亜音速による突撃はアレクシアの反応を許さず、彼女の体を貫通した。

「………ッ」

 一瞬の衝撃の後、ウィリアムはアレクシアの体の後方へと飛び抜けた。アレクシアは頬を釣り上げたまま、ゆっくりと体をくの字に折り曲げる。

 アレクシアの腹部は、横腹から中心に至る部分まで抉られ空洞ができていた。そして抉り取られた周囲の肉からは焦げ臭い煙が上がり、衣服からはチラチラと炎が燃え移っていた。

 ウィリアムは両膝に手を添え、息を切らしながらそんな様子を見つめていた。

 周囲の魔力を熱に変え、灼光さえ放つほどの熱量で全てを焼き尽くす。ウィリアムが使える獣性魔術の中で、最高の威力を誇る魔術だった。そして、あれなら、腹部に収納されている臓器のほぼ全ては破壊しただろう。

 今のアレクシア・ブロッケンは、異形と人間の境界点に立つ存在。もし彼女に人間的な生命活動が必要なのであれば、これで殺せたはずだ。

 しかし、彼女は未だ死んではおらず。くの字に折り下へと垂らした赤髪であっても、その笑みを隠し切れずにいた。

 

「令呪を以って顕現せよ。その身を以って牢記せよ――」

 

 そして、アレクシアは口遊む。

 かつて、ライダーを瀕死に追いやったあの詠唱を。

 彼女自身と令呪によって、“在らざるべき存在”をこの世界に召喚させる禁断の言葉を。

 

「――これに至るは七十二の魔神なり」

 

 もちろんウィリアムとて、ただ黙ってそれを見守る義務はない。

 詠唱によって人智を超えた域の魔力が溢れ、これまで以上に醜く膨れ上がっていく右腕。その様子から、ただ事ではない何かが起ころうとしていると悟り、アレクシアへと迫り、胸部に左の貫手を突き込む。

 

「八の公爵――焼却式」

 

 しかし、それでも彼女は止まらなかった。

 眼前にいるアレクシアの肥大化した赤目が輝く。

 次の瞬間、ウィリアムの五感は地面から突き立った光柱によって焼かれ、消し飛ばされた。

 輝く光柱は天井と床、両方を突き破って周囲の荷物や壁が粉砕される。

 倉庫二階の床、その全てが抜けて一階へと荷物や瓦礫が降り注ぐ。その中には、糸の切れた操り人形のように四肢を振り乱し落下するウィリアムの姿もあった。

 地面に強かに体を叩きつけ、一度のバウンドを経てウィリアムは倒れる。彼はうつ伏せの状態のままピクリとも動かず、その周囲には瓦礫や壊れた貨物が床へと落下し破砕していった。

「………っ」

 倉庫全体を震わす崩壊の中、血溜まりを作っていたウィリアムだったが、意識を取り戻すや否や腕を床に滑らせて自身の方へと引き寄せ、地面を指先にて掴む。そうしてギリギリと体を震わせながら、上半身を地面から引き剥がした。

「……グッ、ゴホ……ッ」

 苦痛に身を震わせながら、ウィリアムは気怠そうに立ち上がる。

 彼は上空を見上げ、見つける。

 アレクシア・ブロッケンは未だ上空に留まっていた。宙に浮いた体はゆっくり、ゆっくりと一階へと降りており、その異形の右腕は下降に合わせてユラユラと蠢いている……まるで悪魔の降臨、伝説伝承をそのまま形にした光景であった。

「……生ける、伝説ってところですかね」

 そんな風に嘯きながら、ウィリアムはアレクシアから自身に視線を移し、ズタズタになった身体の状態を確かめる。

 ……全身に浅い裂傷、及び打撲、複数の神経の麻痺。左肩、上腕骨近位端の完全骨折、左肩甲骨不完全骨折。左腕、上腕部から指先かけ数箇所の剥離骨折と完全骨折、肘関節捻挫。腹部、右第八肋骨不完全骨折及び深い裂傷。頭部、右目に結膜下出血、獣性魔術の連続使用による負担も確認できる。

 獣性魔術を使っていたお陰で生き残ったとものの、ほとんど瀕死と言っていい。しかも魔術で受けたが為に、魔術回路の六割近くが損傷し使い物にならなくなってしまっている。

「………」

 しかし、充分だ。代償は余りにも大きいが、今の一撃で確証は得た。

 ウィリアムは口内に溜まっていた血を吐き捨て、右拳を握り締め、両脚の関節が曲がることを確認する。まだ……これなら戦える。

 魔術回路が四割も残っていれば、“とっておき”には充分。

 次いで右腕と両脚が動くなら、まだアレクシアの命に手が届く。

「……さあ、アレクシア・ブロッケン」

 決着をつけましょう。

 と、ウィリアムは不敵に笑い、アレクシアを睨んだ。

 その姿に、アレクシアは哄笑する。

 

 

 

 類稀なる二人の殺し合い。

 その決着まで、残り一〇分。

 

 

 

 

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