Fate/reselect 作:Fate/reselect出張所
第二十八話『旅路の交差点』
イギリス、ロンドン。
降霊科学部長代理――ロッコ・ベルフェバンの部屋にて、ロード・エルメロイ二世はその強面の眉間に深い皺を寄せ、部屋主の前に直立していた。
「……では、ウィリアム・シンの魔術刻印は、全て娘に?」
「うむ、調べがついた……」
そう言って頷くのは、部屋の主であるロッコだ。彼は机に両肘を乗せ、手を組みながら皮肉そうに笑みを浮かべた。
「一部は自分に残したという、彼が私に言った言葉はつまり……時間を稼ぐ為のブラフだった訳だな。実際は三ヶ月前に、全ての魔術刻印を娘へと移譲している」
「しかし……そうなると、彼は……」
ふむ……。と、エルメロイ二世の言葉に、ロッコは肩をすくめる。
日坂亜種聖杯戦争が始まる三ヶ月前。ウィリアム・シンは恩師であるロッコ・ベルフェバンの部屋へと訪れ、最後の挨拶を述べた。
その際に彼は、噂通り娘に魔術刻印を移したが、一部は自分に残したこと……そして、もし聖杯戦争に横槍を入れるようだったら、先祖が残した能力で以って時計塔を相手取るという忠告を残したのだ。
しかし、その能力――かつて、彼の先祖が当時最強であったイギリスを相手に戦った獣性魔術は、全て娘へと継承されているという。
つまり、彼は本当ならば獣性魔術を使えない状態にあるはずなのだ。
だが確かな事実として、彼が獣性魔術を使って亜種聖杯戦争に参戦していることは、現地へと派遣された者の情報から確認されている。
「……こうなれば、彼が残したその論文が真実であると、認めざるを得ないか」
「………」
「……君はどう思う? メリッサ君」
メリッサ。そう呼ばれたのは、二人を他所に部屋の中央にあるソファーに腰掛け、目の前のテーブルに広げられた論文に視線を落とした女性だ。
「こ、これ……大発明ですよ」
メリッサ・ヴァン・ダイク――汚れた白衣を纏った、筋金入りの技術屋といった見た目をした彼女は、二人と同様“時計塔”の魔術師である。彼女は手入れのされてない長い黒髪の隙間から覗く顔をニヤけさせ、痩せた脚を神経質に痙攣させながら口を開いた。
「魔術刻印の複製はこれまで不可能とされていた領域です。彼は再現性はないと書いてはいますが、この成果は失われた刻印の再現の可能性す、らっ……し、示している」
彼女は早口にそう捲し立て、最後に至っては息も絶え絶えにそう結論づけた。エルメロイ二世は、そんな彼女の感極まった顔に辟易し、溜息と共に額に手を当てる。
ウィリアム・シンがロッコ宛に送った論文。それは、彼が日坂亜種聖杯戦争で行っている獣性魔術の正体について記されていた。
「体内を範囲とした固有結界で魔術刻印を複写、後は実物と同様に魔力を通せば偽りの魔術刻印を扱える……言っていることは至極単純ですが、その為には魔術刻印に刻まれた全ての構成を理解し完璧に復元する必要がある……ひひっ、そんなこと、今の今まで誰もやろうとはしなかった」
メリッサは論文を爪で掻きながら、ブツブツと呟き意識を内側へとのめり込ませていく。
「………」
●●●●。と、エルメロイ二世は心の中で毒づいた。
メリッサの様子に、会話は不可能と判断した彼はロッコに向き直る。
「ともあれ、魔術刻印が移植された以上、封印指定は娘の方へと移りますが……彼女は今どこに?」
「さてな……クリスマスに父親から聖杯戦争に参加すると言うメッセージを受け取ったようで、それから三日もしないうちにロンドンを発った。もう一ヶ月も前に、失踪しておるよ」
今頃は陸路で、日本へと向かっているのじゃあないかね。と、ロッコは呆気からんと告げた。
「……まあ、彼女にあの魔術が継承されている以上、追跡さえも慎重にならざるを得ないよ。ロード・エルメロイ」
この言い様だ。エルメロイ二世はロッコを前にして尚も隠そうともせず、顔をしかめてみせた。この口振りなら、彼は事前に娘の失踪を察知していたのだろう。察知していて、その上で逃したのだ。
「何度も言っているが、二世と付けてくれ……貴方の身内贔屓に付き合わされる、こちらの身にもなってもらいたい。私は……」
「娘のことなど、この際どうでも良いじゃあないですかっ!」
と、エルメロイ二世の言葉を遮るように叫んだのは、ソファーから立ち上がったメリッサだ。
「今さら獣性魔術など、どうでも良い! 今すべきは、日本にいるウィリアム・シンの確保です! それに獣性魔術ならロード・エルメロイ! 貴方の教室にもいたでしょう!?」
「………」
仮にも学部長であるエルメロイ二世に対し、失礼千万な台詞を吐くメリッサ。しかし、その言葉を訂正することさえせずに彼女は目をギラつかせてエルメロイ二世を押し退け、ロッコへと詰め寄る。
「今すぐに日本へ執行者を派遣すべきです……ッ! ウィリアム・シンの才能は! 知識は! 聖杯戦争の協定を犯すだけの価値は充分にあります! 何なら妻や娘を捕まえて、人質にしても良い!」
昼休み時の学部。その廊下の端にまで響く、彼女の狂った叫び声。
ロッコに対し、聖堂教会相手に戦争を仕掛けようと提言するメリッサにエルメロイ二世とロッコは顔を見合わせ、溜息をついた。
ロッコは結局、評議を重ねるべき事案として、この問題の結論を避けた。
その玉虫色の回答に、肩を怒らせて退室したメリッサ。彼女が勢い良くドアを閉めるや否や、エルメロイ二世はロッコに言う。
「……彼女、我々を無視して行動に移りかねませんが?」
「なに、『貴族主義派』だけでは手に余る事案なので、『中立派』にも情報を共有したに過ぎんよ」
クツクツと笑うロッコ。その色眼鏡の向こうの両眼は、企み事によって細められていた。その様子に、エルメロイ二世は溜息を隠そうともしない。
メリッサ・ヴァン・ダイク、またの名を『考古学科のバンシー』。
研究に傾倒し崩壊した彼女の倫理感は、対象が希少と知るや封印指定への査定を上層に提言する悪癖がある。その叫びは大きく、学生や教員にまで叫び女と揶揄されるほどだ。
「情報戦においては声のデカい者ほど、邪魔なものはない。彼女が騒げば騒ぐだけ、ウィリアム・シンに注目が行き、その分、彼の娘への意識が削がれる訳ですな」
エルメロイ二世の言葉に、ロッコは不敵に笑みを浮かべて頷く。
「……なら」
次の言葉を言うべきか悩んでいたが、その顔に確信を得て、ついにエルメロイ二世は口にした。
「……これはご老人、弟子である彼との謀略ですか?」
「……いいや」
ロッコは首を横に振りながら立ち上がると、エルメロイ二世に背を向け、閉ざされていたカーテンを開け放った。
途端、サアっと入り込んでくる日光にエルメロイ二世は思わず目を細める。そんな中で、ロッコはポツリと呟いた。
「
「……そうですか」
「そうだとも」
……向こうは今、夜中か。そう、ぽつりと呟くロッコ。
エルメロイ二世は、そんなロッコからテーブルに置かれた論文に視線を落とす。
固有結界。心象風景を現実世界へと具現化するそれはエルメロイ二世にとっても思い出深い、魔術の最奥とも言うべき秘術だ。
しかし当然、そんな超常の産物は長続きしない。世界からすれば異物とも言える具現化を持続するのには魔力が、それこそ英雄を軍勢の如く率い魔力を出し合わせるぐらいの魔力消費が必要となる。
加えて、ウィリアムには獣性魔術による心身の負担もある。
狼の神秘を取り込んだあのスヴィン・グラシュエートの家系とて、スヴィンという天才が現れるまでに多くの廃人を生んだという。あのウィリアム・シンとて、理性を摩耗するリスクは常に背負っているはずだ。
一つだけでも寿命を削る魔術。彼はその二つを合わせ、聖杯戦争に参加しているのだ。非凡極まる命を燃やすことでようやく纏える、唯一無二の神秘……しかし、そんなものを戦いの度に使うのであれば、彼の命は数夜のうちに燃え尽きる。きっと、聖杯戦争が終わる頃には彼の命は灰となっているだろう。
それでも、願わくは……。と、エルメロイ二世は一人、目を閉じる。
願わくは……彼の命が燃え尽きるよりも早く、彼の夢に、その手が届くことを。
それがきっと、彼の師である老人の願いでもある。
決着をつけましょう。
崩壊しつつある倉庫の中、満身創痍のウィリアムはそう言って不敵に笑う。
「……いや」
宙からゆっくりと地面に降りるアレクシアは、そんなウィリアムを見て、目を細めた。そして、ゆっくりと異形の右腕を煙のようにくゆらせ、彼へと歩み寄る。
近づくアレクシアに、壊れた左腕を庇ったまま立ち尽くすウィリアム。二人の距離はあっという間に狭まり、ついには互いの手が届く距離で睨み合う。
「もう、終わってるさ」
アレクシアはそう告げると、右腕を撓らせ、裏拳気味にウィリアムへと振りつける。
そうして、絶対的な破壊力を秘めた異形の腕がウィリアムの頭部へと迫り、数瞬の後にその頭を千切り取ろうとしていた。
その、瞬間であった。
死に体であったウィリアムの体が駆動する。
折れたはず左腕が持ち上がり、腋へと引き寄せられる。同時、砕けていた手は握られ瞬時に拳という名の武器へと変わる。
右足を前へ、ウィリアムは彼女の懐へと踏み込み、咆哮と共に腰を捻る。
横薙ぎの一撃に対し、一直線に対象を打ち抜かんと伸びるウィリアムの左ストレートは、アレクシアの速度より遥かに勝った。
そして、その威力もまた、死んではいない。
不意打ちにより深々と突き刺さった拳に、アレクシアの顔が歪む。ウィリアムが勢い良くその拳を引き抜いた時、彼女の体勢は大きく後方へと崩れる。
「………」
アレクシアは呼吸を整えながら、怪訝な顔でウィリアムを睨む。
「……治療魔術じゃ、間に合わなかった」
玉のような汗で顔に付いた血を流しながら、ウィリアムは更に破壊された左手を見せる。
「しかし、ただ動かすだけなら死霊術で事足りる」
パキパキと、痛々しい音と共にウィリアムの脱臼していた左手の指が正位置に戻っていく。
「お前……っ」
「それじゃ……まずは、輸血からいきましょうか」
アレクシアの反応を意に介さず、ウィリアムは右手を心臓部に添える。
その途端、ドクンという大きな脈動を響かせ、彼の周囲に流れ落ちていった血液が、まるで意思を持ったように水流のように集まり、彼の体内へと注ぎ込まれていく。
ウィリアムに血が流れ込んでくるうちに、彼の青ざめた顔は紅潮し活力を得ていく。
無論、こんなものは治療行為とは言わない。自己輸血は医学的に可能ではあるが、地面に流れた血を掬ったところで、そこにあるのは汚れた血だ。体内に戻せば感染症や拒絶反応のリスクを負うことになる。
しかし、そんなことは問題にならない。ウィリアムにとって重要なのは今、この瞬間。この瞬間だけ、心肺機能が赤血球の増量によって回復すれば充分であった。
「……それも、死霊術か」
「本来、これは兵器に変えた死体に組み込む術式ですがね……」
言ったでしょう。と、ウィリアムは言う。
「決着をつける、これは私と貴方の総力戦です。だから全部使う。私はこの腕、血液、命……使えるものは全て使って、貴方から勝利を奪う」
「……最高だ」
ウィリアムの宣言に、アレクシアはポツリと呟いた。
「さっきの一撃で壊れたと思っていたけど……まだ、遊ばせてくれるのね」
「そんなの……当然でしょうっ!」
そう叫び、ウィリアムは地面を蹴ってアレクシアへと飛び掛かる。
踏みつけるような飛び蹴り。間髪入れずウィリアムは身を反らし、アレクシアの顔面を踏んでいる自分の足を蹴り上げるようにして、もう一方の脚を振り上げ身を翻す。
軽業のような身のこなし。当然、二つの蹴りの威力自体はそれほどのものでもなかったが、それはウィリアムの両方の靴が打ち合わさった瞬間に生じた爆発を度外視した場合での評価だ。
黒色火薬の科学反応を参考にし、靴を爆薬へと変えた錬金術である。
ウィリアムは爆破の反動で宙返りをし、裸足となって地面に降り立つ。
しかし、次の瞬間。爆煙から飛び出たアレクシアによって倉庫の壁際まで突き飛ばされる。
防御は成功するも勢いは殺し切れずに地面を転がり、やっとの思いで勢いを殺し切った直後にはウィリアムは立ち上がり、口内へと溢れ出た血を吐き捨てる。そして、ダメージを無視して再度アレクシアへと走る。
それに応えてアレクシアは異形の右腕を天へと掲げ、腕から覗く幾つもの眼から次々に光線を放った。
倉庫の内壁を焦がす、幾重にも飛び交い重ねられた光線。それをウィリアムは掻い潜り、飛び越え、アレクシアへと跳ぶ。
身を縮めて宙から迫るウィリアム。アレクシアはそれに対し、左拳を握り迎え撃とうと身構える。
相打ちでも構わない。単純な火力なら、自分が上。
そう信じて止まないアレクシア。しかし、ウィリアムとてそれはとっくに理解していた。
故に、魔術師は小細工を弄する。
「雷鳴よ……」
ウィリアムはそう口遊みながら、腰に巻いていた大きめの革製ベルトに右手を添え、刀を抜くように右腕を振る。
ウィリアムのベルトには細工が……巻かれた革を鞘とするように、その内側に柔らかな刃物が隠されていた。
それは薄く鍛え上げることで、鞭のような柔軟性を帯びた剣。雷鳴の名を持つ、古代インドより伝わる暗器――ウルミである。
しかし、ウィリアムの魔術礼装は比喩でなく、本当に電流が走っていた。
アレクシアへと伸び、そして触れるなりスパークするウィリアムの剣。
アレクシアはその電撃に身を強張らせ、そのまま尻もちをついた。
そして、ウィリアムはその手前で着地。目を見開く。
電撃……否、感電か。効果が見受けられた。
「ッ!? prana shift――」
細かく考察している暇はない。ウィリアムは引き抜いたばかりの剣を脇へと放り捨て、詠唱する。
それは持ち得る中での、最大級の電撃。先祖より受け継ぎ、己の心象風景にまで刻み込んだ魔術を呼び覚ます。
「――were-elephant」
瞬間、ウィリアムを中心に雷光が走る。
その極太の放電はまるで大きな脚、あるいは象の鼻のようにアレクシアの胸を打ち、後方へと突き飛ばす。アレクシアは感電により硬直、そのまま壁に叩きつけられピンボールのように宙へと弾き飛ばされた。
「クソ……ッ!」
アレクシアは痺れた体で毒づいた。
次いで、気づく。ウィリアムが発生させた雷光は周囲へと飛び移り火花を散らせているが、彼本人は既に地上にない。
そして、宙を舞うアレクシアの背後を突こうと高速で移動し壁を駆け抜ける、燃え盛る豹の姿を異形の眼で捉えた。
「………ッ」
アレクシアも、既にあの獣性魔術の負荷がウィリアムを蝕んでいることには気づいている。そんなものを、あれだけのダメージを負ったウィリアムが連発し、アレクシアを追い詰めようとしている。
つまり、ここがウィリアムにとっての勝負所。
一気に勝負を仕掛け、決着をつけようとしているのだ。
だが、見つけた。この異形の力が、その姿を捉えた。
アレクシアは痺れた唇を釣り上げ、叫ぶ。
「お前の負けだッ! 魔術師ッ!」
アレクシアは身を翻し、左腕に奇異な光を宿しながら振り返る。
そして、アレクシアは左の貫手で以って、眼前に迫っていたその燃え滾る豹の顔面を、一息に貫いた。
しかし、手応えがない。
その豹の姿……いや像は実体がなく、するりとアレクシアの腕を、体をすり抜ける。
「………ッ!?」
ただの幻影ではない……?
“眼”は、確かにコレに獣性魔術の神秘を……。
ならば、これは……?
いや、それよりも本人は……?
一瞬にして脳裏に浮かぶ、疑問の数々。
それは電撃に痺れたアレクシアの体を、更に強く拘束していく。
そして、アレクシアの混乱、それこそがウィリアムの狙い。
獣性魔術による神秘を纏うのではなく、離れた地点に投写する。
これこそがウィリアムの“とっておき”であった。
アレクシアの真下から、真上へと飛び抜けるウィリアム。
二人の姿が交差し、そして分かたれる瞬間。ウィリアムは灼光する右脚で以って、アレクシアの伸びた左腕をまるで温かいバターのように切り飛ばした。
「……僕の勝ちです。魔術使い……ッ!」
ウィリアムがそう告げた直後、腕を切り飛ばされたアレクシアは力なく地面へと落下、受け身も取らずに床に叩きつけられた。
「………カッ!? なっ……ハ……!?」
一方、街外れの商店街にて。
ミアは……血に濡れた視界の不快さを、横隔膜に押し上げられた肺の苦しさを、毒により骨から火が噴いているかのような激痛を。
それら全てを身に感じ、同時に自分がまだ生きていることを理解した。
「クソッ……なんで……ッ!?」
なんで、生きている。
その疑問を口にしながら、ミアは視界の上からカーテンのように覆っていく血を手で拭う。しかし、額を割かれているようで、何度拭っても血が溢れて視界は赤く染め上げられていく。
悪態をつきながらミアは片手で額を押さえ、もう一方の手で視界を確保する。そうしていると、ようやく赤いカーテンの向こうに見えてくる。自身の額を切り割った、キャスターの姿を。
「てめえ……キャスターッ!」
「幕だ、ミア・ブロッケン」
キャスターは刀に付いた血を払い落とし、ミアを見下ろす。
「死を確信した体は、しばらくは動かん。それに視界も奪い、立つこともままならん……もう、決着はついた」
「ぁあ? ふざけんなっ、殺して終わりだろうが! こんな決着……クソッ、納得できるか!」
ミアはそう啖呵を切り、四肢に力を込めて仰向けに倒れた体を起こそうとする。
しかし、すぐに手足は痙攣し、地で滑って体は地面に転がってしまう。
「おい! ……もう良い、充分だっ!」
立ち上がろうと必死に足掻いていたミアだが、背後でそんな声が響くや否や、ミアの肩は背後から抱かれ固定される。
声で分かる、一ツ目だ。彼がミアを羽交い締めにし、これ以上キャスターに向かおうとするのを防ごうとしているのだ。ミアは暴れてそれを払おうとするが、今のミアにはそれも叶わない。
そして、ミアとキャスターの間に、誰かが割って入る。
大きな背と、隻腕……ライダーのマスター――佐藤真波だ。
佐藤はミアを庇うように腕を広げ、キャスターの前に立つ。
「……ライダーの、マスターかね?」
「貴方が言ったことだ。もう、決着はついている……そうでしょう?」
「ふむ……目的は最初から、君の回収だよ」
そう応えてキャスターは刀を鞘に納める。その様子に佐藤は頷き、キャスターへと歩み寄る。
「グッ……キャスタァァァアアアアッ!!」
その様子に激昂したのは、他ならないミアだ。
その血を吐きながらの咆哮に思わず佐藤も振り返るが、キャスターはそんな佐藤の脇を抜け、ミアと向き直る。
「……残念ながら、今のお前にはその青年を跳ね除けるだけの力さえ残っていない」
だが、最後の決死の攻撃は見事だった。と、キャスターはミアに言った。
「もうこの戦場で相見えることはないだろうが……また、力を付けると良い。お前がもし、世界を脅かすだけの力を備えれば……英霊はまた、お前の前に現れるよ」
だから、そう泣くな。
そう、キャスターは子供に慰めるように、優しげに告げた。
「………ッ!」
その言葉にミアは戦慄き、その言葉を最後にキャスターは踵を返す。
完膚なき敗北と、別れの言葉。そして最後の口上。
その全てを受け、ミアは顔をクシャクシャにし――。
「……くっおおおおおおぁああああああああああああああっ!!」
――言葉にならない、叫びを上げた。
身を仰け反らせて叫んだその声は誰かを、あるいは何かを呪うように寒空へと届き、遠くどこまでも響いていった。
“ウィリアム君、こちらは無事に終わった。そちらはどうかね?”
“ええ、こちらも……王手と言ったところです”
ウィリアムは肩で息をしながら、念話によるキャスターの呼び掛けにそう応えた。
それから、視線を上げる。アレクシアは今だ、仰向けに倒れ動かない。
「………」
勝算はこれだけ。あの一撃に、この戦いの行方を賭けていた。
全ては積み重ねてきたもの、それら情報から導いた推測だった。
六日前――架け橋にて、ライダーを葬り去った地に残された、異様な能力の痕跡を見た。それを使うにあたり必要な、莫大な魔力源を推考した。
五日前――廃車置き場にて、アレクシアを目にして確信した。黒魔術とは明らかに違う、その異形の姿。既にウィリアム一人では、まともに戦っても太刀打ちできないと悟った。
三日前――小さな神社にて、アレクシアの負傷を確認した。ランサーによって心臓を貫かれても死なぬ身体はつまり、心肺機能に依らない構造をしているということだ。異形な“なにか”と同化しつつアレクシアの身体は既に、代謝や心肺機能ではなく魔力で活動しているのではないかとウィリアムは考える。
二日前――そして、キャスターが見つけたアレクシアのアジトの一つにて、彼女のものと思わしき左腕が破棄されているのを見た。心霊医術を使えないアレクシアが、ライダーのマスターから奪った令呪を、左腕ごと取り替えることで運用する気なのだと理解した。
アサシンを簡単に使い捨て、異形の力を奮うアレクシア。それが腕を切り捨ててまで、ライダー分の令呪を回収したという事実。
ウィリアムは、その矛盾から確信を得た。
アレクシア・ブロッケン。彼女の生命活動の基盤となる異形の肉体は、令呪による魔力をエネルギー源としている。
ならば、奪えば良い。令呪という魔力の供給源の全てを断ち切れば、彼女は窒息したように、あるいは餓えたように死ぬのだろう。
だから指折り数えていた。彼女に残っている、令呪の残数を。
ライダーを屠った現場から、彼女は二画の令呪を使ったと分かった。
そして先ほど、彼女は異形の右腕を輝かせて、令呪を一画使った……これで、彼女に残された令呪は三つ。左腕にあるライダーから奪った令呪だけだ。
それを“とっておき”を使って惑わし、切り落とした。
「………」
結局、彼女の敗因は左腕から令呪を移せなかったこと。心霊医術の心得と設備がなく、容易に令呪の位置を悟らせてしまったことにある。
言ってしまえば、彼女はどこまで言っても魔術使いでしかなかった。
「……
その、はずであった。
苦しげに身を起こしながら、詠唱を始めるアレクシア。ウィリアムは思わず身構えるが、しかし、彼女には既に令呪はないはずだ。
死に際の混迷か、飛ばされた左腕との魔術的な接続を試みているのか。どちらにせよ見苦しい足掻きでしかないが、とは言えウィリアムにはどうすることもできない。ウィリアムが彼女を殺すには、エネルギーの枯死以外の手立てがないのだ。
「――これに至るは七十二の魔神なり」
そう、彼女が告げた時だ。
ズルリと、アレクシアの醜く膨らんだ異形の右腕が裂け、中から何かが飛び出した。
それは体液でふやけ、令呪の模様を光り輝かせた左腕であった。
「………ッ!? prana shift――were……」
「七の侯爵――焼却式」
次の瞬間、ウィリアムの意識は視界を覆う光によって途絶えた。
「まさか、これを触媒にして、キャスタークラスが召喚されるとは思いませんでした」
声が、聞こえる。
「……不服かね?」
「いえ……この程度の想定外で戸惑っていては、聖杯戦争なんかに参加する資格などありませんよ」
二人の、男の声だ。
「……あっと、そうだ。これ、貴方にお返しします。大切な物でしょう?」
「いや、いい……今の私は新選組ではない。それを腰に差すことも、誠の御旗を立てることも、私自身が許しはしないよ」
「そう、ですか。なるほど、なるほど……あ、いえ。貴方という人物が、何となく分かった気がします。どうやら、私と貴方の目指す場所は異なるようです」
そうだ。
これは、彼と私の声。
最初の出会いの、あの時の会話だ。
「しかしこの時より……そして、僕らがこの聖杯戦争で勝つなり負けるなりするまでの間、私達の夢の旅路は交差する」
「……同志ではなく、交差する間柄か」
「ええ。私にも、貴方のとは違う夢がある。けどそれには貴方が必要なんです。だからお互い、協力しあいませんか? 友人としてお互いの夢に敬意を示し、助け合うんです」
この交差点を過ぎ、離れゆくその時までは。
あの時、私はそう言って、彼と握手を交わしたんだった。
あれから、もう一ヶ月近く経つ。
そうだ。
そうだった。
ウィリアムはゆっくりと、力なく瞼を開いた。
瞳に映るのは、魔女の姿をした怪物だ。右腕を不気味にクネらせ、左腕を新たに生やしている。
耳に届くのは、崩壊していく倉庫の悲鳴だ。燃えながら崩れていく建物の悲鳴は、遠く彼らのもとにも届くはずだ。
そして、心に響くのは彼の言葉だ。すぐに令呪を使って、そこに呼び寄せろと叫ぶキャスターの声。
それ以外は、もう何も感じない。自分の手足の感覚も、魔術回路を流れる魔力の気配も、何一つ感じない。
獣性魔術が間に合い、どうにか命は繋げたが……どうやら、自分は負けてしまったらしい。
「………」
キャスターを令呪で呼んで、彼女と戦わせる。
一体どうして、そんなリスクを彼が負う必要があるのだろうか。
「……ふふっ」
……心配するな。と、ウィリアムは笑った。
彼女に残された令呪は、残り一画。補充さえさせなければ、彼女はもうあの召喚術を使うことはできない。
そうだとも。
この勝負の決着は、自分でつける。
彼の夢は、彼の友人と誇る私が護ってみせる。
「三つの令呪を重ね、私が護る」
どこからか、叫び声が聞こえた。
構わず、ウィリアムは言った。
「キャスター、貴方は貴方の道を進んで下さい」
直後、微かに衝撃を感じた。
それと同時、自分の右手から何かが抜け落ちていく。
「………」
気づけば、倉庫の天井を見ている。
空から降っている黒い雨のようなものは、何だろうか。それに首回りが、ずいぶんと冷たい。
ああ、この雨はきっと、首を裂かれて噴き出した自分の血か。
しかし、それでも令呪は正しく、彼に届いたのを感じる。
一つの発見が、嬉しい。一つの達成が、喜ばしい。
見れば怪物が、自分を見下ろしている。中々にお怒りだ。
「………」
ざまあ見ろ。
一人ぼっちの魔術使いよ。お前の夢は、これまでだ。
そう言おうとしたが、もう言葉を紡ぐのも億劫だった。
だから最期に、舌を出してみせた。
封印指定を受けた魔術師――ウィリアム・シン。
再び剣を握ったキャスター――永倉新八。
二人の目指すものを異なれど、その旅路は日坂の地にて交差した。
一方の道は娘によって継がれ、一方の道は友によって護られる。
そして、二つの旅路はウィリアム・シンの死を契機に、離れていった。