Fate/reselect 作:Fate/reselect出張所
※これまでのあらすじ
鏡宮「ところで轟木君、君はミローネ家屈指の戦力と聞いているが、その実力はどこで身に着けたのかな?」
轟木「幼少の頃に両親と死に別れ、紆余曲折を経て山奥で空手の教えを受けておりました」
鏡宮「なるほど山育ち」
四十二話『朧の中』
師を超えたい。
それが偉大な師を裏切った、最初の動機だった。
「……そういえば、これはまだ教えていなかったな」
師は咥えた矢を脇に吐き捨て、殴り倒した弟子の元へと歩み寄りながら言った。
「噛鏃法という。何ということはない、身に迫る矢を噛んで止めるだけの技だ」
そうして眩いばかりの月を背に師は――后羿は、自身を弓にて殺そうとした弟子へと手を伸ばした。
「矢数の有利を生かす策は良かった。だがまだ知らぬことが多すぎたな……励めよ、逢蒙」
師は弟子の裏切りをあっさりと許した。あの月夜、師の顔に浮かんでいた笑みが弟子への期待か、あるいは未熟な弟子に対する余裕だったのかも知れない。
いずれにせよ、弟子はそれすらも裏切った。
逢蒙殺羿――弟子は後に、幾多の魍魎や神獣の呪いがかけられた桃の木棒にて偉大な師を打ち殺した。
もう弓でなくていい。
迷妄により弓の道を自ら閉ざしてしまった男は、それでも師の赤い弓と白い九本の矢を奪って消えた。
その後の行方は、いずれの歴史書にも明らかにはされていない。
……あの時、俺は何を裏切り、何を捨ててしまったのか。
アーチャーは応接間のソファーに身を沈め、天井を見上げてボンヤリと物思いに耽っていた。
………そして、それで何を得たのか。
「……ああ、ここにいたんだ」
と、そんなアーチャーに声をかけるものがいた。
佐藤真波――今はなきライダーの主人。昨日鏡宮の指示でアーチャーが攫い、ここで軟禁状態にある娘だ。
「……何の用だ?」
「……別に? 暇だったから」
そう言いながらも、佐藤はアーチャーの向かいのソファーに座り、こちらを見やる。
「……だから、何の用だ?」
「暇なの、あんた達のせいで」
苛立たし気に語気を強めるアーチャーに物怖じせず、佐藤はこちらを見据えて告げる。
「だから色々……話を聞きたい」
「……ふん」
その態度に毒気を抜かれ、勝手にしろよと言うように、アーチャーは佐藤から視線を逸らした。
「……ありがと」
佐藤は感謝を述べ、改めてソファーに座り直す。
「……で、何を聞きたいんだよ?」
「これっていうのはないんだけど……あ、そうだ」
「あ?」
「せっかく良い洋館なんだし、お茶用意するね」
ちょっと待ってて。と、そう佐藤は告げて立ち上がり、アーチャーを置いて応接間から出ていった。
「………」
……確か、昨夜もこんな風に気圧されたのだったか。
表面的には佐藤はアーチャーらに誘拐されたということになるのだろうが、実際は彼女の意思でこちらに近づいてきたというのが正しい。彼女は決して、無抵抗な存在などではないのだ。
あるいは、だからこそ彼女は聖杯に選ばれたのかも知れない。
運命だった。復讐だった。義務だった。犠牲だった。渇望だった。自ら望んで聖杯戦争に参加するマスターには、それだけの動機があり、それに縛られているものだ。
しかし、彼女にはそれがない。故に彼女は、彼女が思うままに道を選んでいく。聖杯戦争においては、貴重な枠、人材なのだ。
……それなら、結局彼女はなぜここにいる?
……何を望んで、どこを目指して道を進んでいる?
「ごめんアーチャー! 紅茶の茶葉って、どこにあるの!?」
廊下から聞こえる佐藤の声。
……ほうら、これだよ。
「……小娘が」
アーチャーは深い溜息をつき、重い腰を上げた。
「精々……身の丈に合った振る舞いをすべきだな、小娘」
レオポルディーネは自室のベッドで天井を見つめながら呟いた。
既に日は西の空に傾きかけている。しかし昨日の激動の戦いから戻ってからというものの、レオポルディーネはベッドから出られずにいた。
「精々、身の丈に合った振る舞いをすべきだな……」
「……まだ言ってたのか。お前何度目だよ、それ……」
「小娘……ッ!」
バーサーカーは身を屈めてドアから顔だけを出し、うんざりした声で言った。しかしその苦言も耳に届かず、レオポルディーネはガバリと身を起こしながら最後まで台詞を言い切った。
「バーサーカー……頭の中でねぇ? あいつに言われたあの言葉がグルグルしているのよ……! これ何これ、どうすれば良い? あー……ああもう!」
レオポルディーネは叫ぶと、また癇癪を起こした子供のようにベッドの上で暴れだす。
「イライラしてんなぁ……」
バーサーカーがレオポルディーネと合流した直後から、彼女はずっとこの調子だ。
何度も何度も口にしているアーチャーの台詞が、よほど効いたのだろう。アーチャーにとっては何の気もなしに言った……いや、下手をすれば助言のつもりで放ったものなのかも知れないが、その言葉はこれまで人に言われるままに動き、それに我慢を続けてきたレオポルディーネの芯に届いた。
「………」
どうするよ? と、バーサーカーは入室しながら頭をガリガリと掻き、背後に控えていた轟木を一瞥する。
轟木は一礼しながら寝室に入ると、ベッドの上で悶えるレオポルディーネに深々と頭を下げる。
「お休みのところ失礼します、お嬢様」
「お休み……?」
「実は先ほど、鏡宮氏から連絡が入りました」
バーサーカーの呟きには応じず、轟木はレオポルディーネにそう告げる。
「………」
それを聞いたレオポルディーネは、バタつかせていた足をゆっくりと下し、ベッドの端に座るようにして轟木へと向き直った。
「それで、何だって?」
「昨夜の騒動によって、監督役のマリオ神父は生死不明のまま行方知れず、残された職員は市役所に本部機能を移したそうです」
轟木はそう言うと、数秒の間を空けて鏡宮の指示を告げた。
「そこで……同じく行方不明となっているセイバー達を誘い出す為、市役所でバーサーカーを運用……限界まで戦闘を行ってほしいとのことです」
「……そう」
レオポルディーネは黙って指示を聞き受けると、それだけ言って顔を伏せた。
「……ハッ、要はもう邪魔だからセイバーと共倒れになれってことかよ」
「そのようです……」
そっぽを向いて不服を露わにするバーサーカーの言葉に、轟木は目を伏せたままその言葉を肯定する。
「ふざけやがって……で、どうすんだ? 我が主様よ?」
「………」
呼びかけられたレオポルディーネは何かを思案するように黙っていたが、やがて顔を上げ。
「轟木……佐藤さん、ライダーのマスターのことは何か言っていた?」
「いえ……私見ですが、恐らく鏡宮氏の邸宅にまだいるかと思います。脱落こそしたものの、彼女はマスターに聖杯から選ばれた稀有な人物です。現状で聖杯が再びマスターを選出するのなら……まず間違いなく、彼女が選ばれます」
「そうね……そうなった時の為に、殺さずに手元に置いておくのが最善……か」
レオポルディーネはそれだけ呟くと、また長い巻き髪の向こうへと顔を隠し沈黙する。轟木はそんな彼女の前で佇み、じっと次の言葉を待つ。
「……やれやれ」
対してバーサーカーは口端を上げると肩をすくめ、それからノシノシとレオポルディーネの傍へと歩み寄るとドスンと地面へと座り込んだ。
その音にレオポルディーネの肩がビクッと反応し、それから程なくして。
「……バーサーカー」
と、レオポルディーネは乾いた声で、ベッドに背中を預けたバーサーカーを呼びかけた。
「おう」
「……佐藤さん、良い子だったわよね?」
「そうだな」
「……鏡宮とアーチャー、ムカつく奴よね?」
「それはマジでそう」
「……ふっ、くく」
「へっ……へっへっへっ……」
即座に同意を返した相棒に、肩を震わせるように主人は笑いをこぼす。その様子に、使い魔もまた下品に笑った。
………感謝するぜ? クソ野郎。
バーサーカーは心の中で、アーチャーに感謝を述べた。
……予感はあったが。お前の言葉が、最後の一押しになってくれた。
そして、レオポルディーネ・ミローネ――ミローネ家の長子として、言われるままに日坂聖杯戦争を戦い抜いてきた彼女は。
「なら……もうここが終わりで良いわよね?」
と、残り二画の令呪を左手で撫でながら……最初で最後となる反逆の、その意思を見せる。
「当たりめぇだろ」
バーサーカーは大きな手でそんな彼女の小さな両手をそっと包み、吐き捨てるように……だけども力強く、その意思を肯定して見せた。
「ムカつく連中をぶっ飛ばして、娘を奪い返す……ありきたりだが、悪くねえ」
「ええ……悪くない。悪くない気分だわ。例えこれが、最後でも……」
「……どうやら、話はまとまったようですね」
二人の様子を黙って見ていた轟木は静かに嘆息し、それから明るい声で二人に告げた。
「私も何かお手伝いしましょう。何かご入用ですか? お嬢様」
「ええ。ありがとう……」
レオポルディーネは轟木を見やって、それから先ほどとは打って変わってワクワクしたような表情を見せながらベッドの上で体を揺すり思案する。
「今夜にでも立つとして……まずはシャワー浴びて、着替えて、それから、そうね……お腹が空いたわ」
「だってよ、轟木」
レオポルディーネが空腹を宣言したのを聞いて笑い、のそりと立ち上がったバーサーカー。そして轟木を見やり、したり顔でマスターの望みを要約した。
「つまり飯だ……大量の飯だ」
その言葉に轟木は苦笑し、それから恭しく一礼した。
紅茶の香りと、柔らかく温かかい照明。緩やかに過ぎていく時間を追いかけるように、壁に掛けられた時計が刻々とリズムを刻んでいる。
そんな環境に身を浸していると、アーチャーは心の内に渦巻いていた感情が少しだけ軽くなった気がした。
「――それで、花沢さんがね? 私は親に肌の色で人を差別するなと教わったって若頭補佐に……」
「ほーん……」
気づけば佐藤は、友人の武勇伝までアーチャーに話している。
本当は、アーチャーのことを色々聞くはずだっただろう。しかし紅茶に口をつけるも、アーチャーは自分のことを語る気はない。
沈黙に耐えきれなくなれば必然、佐藤の方からあれこれ話すしかない。そうして佐藤はこの聖杯戦争に関わった経緯を始め、果ては友人らと経験した出来事までアーチャーに話していた。
「――で、気絶した沙耶を私が着ぐるみごと回収して、そこから逃げたって訳」
「……そうかい。お前は一度、交友関係を見直した方が良いのかもな……」
「そうかも……で、アーチャー」
あー? と、怪訝な表情を浮かべるアーチャー。佐藤は身を乗り出してそんな彼に迫り、声を張り上げた。
「貴方のことは!? いつ話してくれるの!?」
「……面倒臭ぇなあ」
アーチャーは天井を仰ぎながら、気怠そうに息を吐く。
「ああ、もう……」
その様子に佐藤は肩を戦慄かせ、ドスンとソファーに座り直した。
「大体、貴方は何で聖杯が欲しいの?」
「……聖杯、か」
アーチャーは佐藤の問いかけに、吐き捨てるように言った。
「俺は別に……そんなもんが欲しいんじゃあねえよ」
「え、じゃあ……何か叶えたい願いがあって、この聖杯戦争に参加してるんじゃあないの?」
「さてね。今となっては、もう俺にも分からんさ……」
ただ……。と、アーチャーは言葉を切り、思案するようにゆっくりと夕日が差し込む窓を見やる。
そうして頭の中に思い浮かぶのは、この聖杯戦争で相対してきた者達。そして、その時の感情だ。
ランサー――昨夜。姿も新たにして横やりを入れてくれた、あの槍手。誰よりも弱い癖に誰よりも気負う、その真剣な眼差しに苛立った。
セイバー――昨夜。マスター共々謀殺されるはずだった、あの英傑。瀕死の傷を負って尚、不敵に笑って剣先を突きつける姿に殺意が沸いた。
アサシン――聖杯戦争も序盤。この屋敷へと忍び寄って来た、あの日陰者。己の命さえも武器にして向かってくる、その凄味に追い込まれた。
そして――遥か昔。月下に浮かぶ師の笑み。師を超えたい。それが偉大な師を裏切った、最初の動機だった。
そして――それよりもずっと幼き頃。恐ろしい怪物の前に立つ、あの大英雄。弱き民を守るように立ちはだかるその背中に、逃げることも忘れ魅了された。
「……ただ、ただ俺は、正義の味方になりたかっただけなのかも知れねえ」
それは、思わず口走った本心で。
そしてきっと、朧の中に沈んで忘れ果てていた、逢蒙という英霊の原点だった。
「……正義の味方?」
「いや……ははっ」
今更だよな。と、アーチャーは口端を上げながら被りを振り、視線を落とす。そして思い出したように、視線の先にあったカップに口をつけた。
しかし紅茶は、もうすっかり冷めてしまっていた。
ボウルに盛りつけられたサラダの隣には、和風ソースのハンバーグ。
ミネラルウォーターとオレンジジュース。
そして山盛りのピラフに、湯気を立てるカルボナーラ。
バーサーカーはそれら料理を一瞥した後、テーブルの向かいに座るレオポルディーネを見下ろす。
「ハフッ! ハムッ! ハフフッ!」
「食べるねえ……良いぞぉ、我が主―。もっと食えー? そう、馬のように」
「ハフッ!」
「ワハハ。ほら、これも食え」
「フホホッ」
「フホホッ、ってなに?」
自室のベッドでへこたれていた姿とは一転、テーブルに並べられた食事を貪るレオポルディーネ。その姿にバーサーカーはビールジョッキを片手に笑い、腕が二本しかない主に代わって飯をさらに食べさせる。
「……まだ、食べられますか?」
そう言って轟木はカートを押しながら入室し、皿いっぱいに盛られたソーセージをテーブルに置く。
「おう。……うはは! 見ろよ、轟木これ! 雛鳥みてえに食うぜ!?」
レオポルディーネに代わってバーサーカーはそう答え、ソーセージをフォークに突き刺してレオポルディーネに差し出した。ピラフを咀嚼していたレオポルディーネは反射的に大口を開け、モゴモゴと押し込まれるままにソーセージを食べていく。
「ふぅ……」
「満足そうですね」
「若者が飯を食う姿は、いつ見ても良いね……で? 良いのかよ?」
何の話です? と、給仕をしながらも聞き返す轟木。
「ん……」
バーサーカーはビールを煽りながらレオポルディーネが会話を聞いていないことを確認し、内緒話をするようにどこか楽そうに告げた。
「ほら……お前こいつが暴走しないよう、この家の者に命じられているんだろ?」
「……気づいていましたか」
当たり前だろ。と、バーサーカーはジョッキをテーブルに置き、口元を拭いながら凶悪な笑みを浮かべる。
「権力争いだの、相続争いだの……こちとらそういった揉め事は散々経験してんだ。不本意ながらな……没落した家っていうのは大概、今ある財産を守る為に消極的になる。こいつみたいな一発逆転の賭けなんざ、絶対にやらねえ。だがその尻すぼみな延命の為なら、何でもやる。妻だろうが子供だろうが平気で差し出すし、切り捨てる。そういうもんさ」
「………」
バーサーカーの言葉に轟木は耳を傾け、黙ったまま給仕を続けていた。
……大方、いざという時にはレオポルディーネを殺すよう命じられているんだろう。
バーサーカーは轟木の手を見つめる。スーツの袖から伸びるその手は、普段の所作からは想像もできないほどに鍛えられているのが伺える。
……あの手、カラテってやつかね? こいつがその気になれば、レオを一息に殺すことだってできるんだろうな。
そして、マスターを失えば燃費の悪いバーサーカークラスなど脅威ではない。例え一瞬後にバーサーカーが轟木を殺し暴走したとしても、ミローネ家はレオポルディーネの暴走を止めるべく尽力したと釈明できる。
「……それで、お前はどっちに付くんだ?」
「確かに……私はこの家の主から指示を受けていました」
受けていましたが……。と、轟木はカートに載せていたハヤシライスの大皿をバーサーカーの前に置き、薄い笑みを浮かべる。
「従わないことにしました」
「……くく、へっへっへっ」
轟木の言葉にバーサーカーは吹き出し、くつくつと肩を震わせる。
「勝ち目のある賭けだと良いなぁ?」
「元より勝算のあるなしといった打算はありませんよ。それよりも、もっと感情的な……いえ、酔狂というものでしょうか。この選択は」
「どちらにせよ、お前は自分の主を自分の意思で選んだのさ……まずはそこを誇れ」
バーサーカーはそう言うと手元のジョッキを一気に空け、轟木に突き出した。
「さて……これで俺も、本腰を入れて飲めるってもんだ。お前も今さら、俺に
「ふふ……やはり、疑っていたのですね?」
轟木は苦笑すると、バーサーカーにビールをなみなみと注いだ。
……殺そうと思えば、きっといつだって殺せたのだろう。
……何だったら、こちらの事情を見破られた今からだって……。
しかし、やらなかった。
……本当に、そうなのだろうか?
ミローネ家のガレージで佇む轟木は、アイドリング状態にしてあるレオポルディーネの愛車――フィアット500Cの最終点検をしながら、これまで何度も想定してきた対バーサーカー戦に思いを巡らす。
バーサーカーの能力は把握している。
アレは強い。しかしその実力は目の前の自動車同様、最大値に至るまでに時間を有する。
そこに付け込み、一息に魔力の供給元であるマスターを殺せば……。
……いや、やはり無理だろうな。
轟木はその想定に苦笑し、被りを振った。
……きっと、今尚生じている迷いの隙を、あの御二人が見逃すはずがない。
「轟木、もう準備できたかしら!」
そんな時だ。屋敷からレオポルディーネ達がガレージにやってきて、張りのある声でこちらを呼んだ。
「……ええ、いつでも行けますよ。お嬢様」
タイヤの状態を再確認していた轟木はそう言うと立ち上がり、二人を見る。
レオポルディーネは……きっと勝負服なのだろう。黒を基調としたドレスにいつものファーコートを身に纏った彼女は、鼻息荒くノシノシとこちらへと歩み寄っている、
対してバーサーカーは、恐ろしいほどに自然体だ。動きやすさだけを意識した野暮ったいジャージ姿のまま、レオポルディーネの背後で意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「轟木、説明よろしく」
「かしこまりました」
車へと歩み寄るレオポルディーネに、轟木は車の状態を説明する。
「昨夜に付いた傷は可能な限り消し、タイヤは雪上を想定してスタッドレスタイヤに交換。燃料も充分に補充しています。それと念の為、車体全体に離雪スプレーを噴きつけておきました」
「そう……ありがとう」
自身でも確認するように、レオポルディーネは手で車体を撫でながら歩きまわっていたが。
「あれ? これは?」
と、レオポルディーネが声を上げる。轟木はどう説明しようか言い淀むが、バーサーカーがそれについて代わりに答えた
「ああ、そいつは俺がやった」
「お前人の車を……」
「これから敵地に突っ込むんだ。それくらいの仕込みは必要だろ?」
「……もう」
ハレの舞台に泥を塗られたように、溜息をつくレオポルディ―ネ。対してバーサーカーは呆気からんと轟木を見やった。
「足も良さそうなら、だ。こいつの決心が萎えちまう前に、さっさと行くわ」
「………」
轟木はバーサーカーへと黙って一礼し、そして車を一周してきた彼女――食べ過ぎで腹を膨らませたレオポルディーネと、改めて対面する。
「……お嬢様も、準備の程はよろしいのですか?」
「もちろん」
「そんなパンパンの腹で言われてもなぁ……トイレに駆け込むのなら、今の内だぜ? お嬢様?」
「うるさい」
バーサーカーに呆れた様子で茶化されても折れず、はやくはやくと、レオポルディーネは決意に満ちた目でこちらを促している。
「………」
「……轟木? どうしたの?」
「……いえ」
轟木は静かに瞼を閉じ、そしてリモコン操作でガレージのシャッターを開け放つ。
途端、冷たい夜風がガレージ内へと吹き込み、二人の髪を揺らす。
しかし、それでも二人の瞳に宿る炎は、揺るぐことさえしなかった。
「……バーサーカー」
「……おう」
「……さあ! 行くわよッ!!」
「ああ、行っちまおうぜ! 我が主様よおッ!!」
二人は気炎を吐くと、轟木の横を通り過ぎ、万全の状態に整えられた車へと乗りこむ。
……本当に、自分が迷いを持たない機械であれば、いつだって殺せたのだろう。
轟木はそんな二人を眺めながら、苦笑を浮かべた。
……この方の、この御二人の進む先を、邪魔せず最後まで見ていたい。
……そんな思いさえ、抱かなければ。
「……あー、あー……ああ、そうそう。そうだ。轟木よお」
と、バーサーカーは全開にした天蓋から車外へと上半身を乗り出してみせ、わざとらしく、何かを思い出したような素振りで轟木へと声を投げかけた。
「まさかと思うが……今後妙な真似はするなよ? お前とこの家には、俺が念入りに呪いをかけているからな。俺達を裏切ればミローネ家は没落必至、お前も爆発四散するから……そういう訳で、な?」
「……ふふ、ありがとうございます」
きっと、こちらの内情に対する彼なりの配慮なのだろう。轟木は改めてバーサーカーに……こちらに悪戯な笑みを見せるこのへそ曲がりな英霊に、感謝を述べた。
「轟木……私達こそ、貴方にお礼を言わなきゃいけないわ」
そう言うのは、運転席からこちらを見つめるレオポルディーネだ。
「貴方のお陰でここまで、何の不便もなく戦い続けることができたわ……ありがとう」
「お嬢様……」
まるで今生の別れのような感謝を告げるレオポルディーネに、轟木は一瞬戸惑いを見せてしまったが……しかし、すぐにいつものように柔和な笑みをたたえ、こう返した。
「朝食には、貴方の好きなホットサンドを用意しておきます……いってらっしゃいませ、お嬢様」
「……うん! いってきます!!」
交わした言葉にレオポルディ―ネは満面の笑みしながら頷き、アクセルを踏み込んで車を発進させる。
そうして二人を乗せた車は、軽快な音を立てながら外へと飛び出した。
昨夜の騒動の中心地に近いミローネ家の屋敷周辺は、市より不要不急の外出は控えるよう呼びかけられている。故に外の賑わいはほとんどなく、きっと周囲の建物には今も多くの住民が鬱々とした時間を過ごしているのだろう。
二人はそんな静けさを引き裂くようにエンジンを響かせ、路上の雪を蹴散らして鏡宮の邸宅へと走る。
「………」
轟木はガレージから出て、そんな車の後ろ姿が朧な闇夜の中へと消え、音さえ吹き荒ぶ夜風の音だけになるまでに見送ると。
「……行かれた、か」
ふう、と白い息を吐き、ネクタイを緩めた。
「では……朝食の支度まで、少し休んでいましょうか」
そう呟くと轟木は大きく伸びをして、ガレージの中へと戻っていった。