「皆ー。集まってくれたところ悪いが今日のレイシフトはナシだ」
管制室に響くダ・ヴィンチの声にスタッフ、サーヴァント共々全員で顔を見合わせる。今までになかったことだ。いつも通りの軽やかさから深刻な不具合が発生したわけではないのは分かる。けれど、不穏な空気が場に満ちた。
「いやあ、今さっき礼装のメンテがてらの雑談で礼装にかかる値段の話をしたらね、なんとマスターがキャパシティオーバーで倒れた。今医務室で寝てるから、作戦はまた今度ね」
「……………………は?」
けらけらと告げられた言葉にまた、場にいる全員が耳と状況を疑った。
なんて失態があってから数日後。今度は無事決行となった作戦中、マスターの護衛役となっているヘクトールがふたりきりになった際になんとなしに問う。
「マスターは高いものが苦手なんですかい?」と。
それに彼は今一番触れられたくない非常に痛い部分を突かれたと一瞬固まり、致命傷のような呻き声をもらし、顔を逸らす。
「関係ないだろ」とそっけなく払うことは出来た。ヘクトールは気遣いの深い節度ある大人であるからそれ以上は無理に聞いてこないだろうと分かっていた。
けれど己の失態だけで作戦を遅らせたその原因のこととなると後ろめたさが強くて易々と無碍に誤魔化すことも躊躇われる。
ひたすら苦悶に呻き続けることしばらく、観念したかのように彼はヘクトールにわずかに顔を向ける。
「そう。苦手なんだ、すごく。特に理由なんてないけど、気付いたらそうなっていた」
「へえ。なんとも珍しい」
正直に告げた情けなさに頬に火がつきその勢いで口が思考を乗せずに回りだす。
「で、でもオレが極端なだけで庶民だったらそういうの誰にだってあると思うぞ。身不相応のものに対して緊張するというのは当然のことだ。あんな金額テレビでしか聞かないし、一般人が気軽に支払える額じゃない。請求されたら誰だって倒れるまでいかなくても眩暈で視界が飛ぶはずだ」
「そりゃまああるだろうなあ。傷ひとつつけようもんなら首が跳ぶ場合だってある」
「だろ!?いや、そこまで大事なものは流石に任されたことはないが、高いものは恐いんだ」
「なるほどなるほど」
特に批判や否定もせずに頷くヘクトールに空回るように発していた言葉が熱を持ちはじめる。胸の中のもやつきを分かってほしいと更に言葉は振るわれる。
「ダ・ヴィンチちゃんに話を聞いて驚いたが、オレのように魔力が微小な魔術師未満でもマスターになれるような、高い技術で作られた強い性能を持つ服の値が張るのは当然のことだ。少し考えれば分かるしだから訊ねたんだが、その予想をはるかに超えていたばかりに自分との釣り合いがあまりにもあまりで……、いや、それは言い訳にもならんな。世界を救うための必要経費と思えば安い方と言われればその通りの気もするし。とりあえず自分のことは隅に置くことにした。考えない」
「人類最後のマスターってのも代えの利かないプライスレスで礼装なんかよりよっぽど宝と思うがねえ。そもそも何の役割を背負っていなくても人の命と礼装とじゃ比べるまでもないさ」
「んんぅ……。理屈では確かにそうだし誰かの命であるならオレだって迷うことはない。状況次第では件の礼装だって投げ捨てられる。己の命についてもそうであるべきだときちんと肝に銘じているつもりなんだが……、そうなんだが、脳の何かが実感にさせてくれない」
それは彼自身にも分からない感覚だった。
自分には高価なものを持てるだけの価値はないと後ろめたくなっておきながら、自分にはそれだけの価値があると言われれば認めたがらない。自分にそれと対等になれるだけのものがあるわけがない。そんなものは思い上がりだと頑なになってしまう。そのくせそんな自分に酷く失望して塞ぎこんでしまう。なんてワガママな矛盾なんだろう。
矯正の必要性は非常に高く感じている。この滑稽さは抱えているだけで消耗が激しいし傍で見ていても不快指数は高かろう。しかしどうしたら……。糸口の見えない袋小路に悩み両手で頬を覆って呻く少年の姿をヘクトールは黙って見守っていた。
「だからな、本当はマスターしてるのだって結構しんどいんだぞ?マシュやドクターに皆の解説を受けるたびに気が遠くなる。自分で調べても頭を抱えてしまう。どう考えても対等になっていい相手ではないだろう全員。誰も彼もが豪華絢爛で、その上そんな人たちに「マスター」だなんて」
「平気そうに見えるのに」
「ヘクトールにそう見えているのなら、まあ合格だな」
喋るだけ喋ったと大きく息をつき身体を弛緩させる。誰にも言えず張り詰めていた部分がいくらかすっきりしたのはいいけれど、情けない話を多くしすぎたと後悔がじわじわと押し寄せて再び心が押し潰されていく。
ヘクトールには何故か気を許しすぎる自分がいるという自覚はある。あまりひとりにだけ深く心を預けてはならない。偏りすぎれば世界の命運をかけた輪が乱れる可能性が出てくる。そう自制はしているつもりなのだが、気を抜くとこの通りだ。しかも言葉巧みに誘導されているわけでもない。何も言われずともただ傍にいてくれるだけで自分がべらべらと口を滑らせてしまうだけなのだ。しかもそうなってしまう理由も特にない。反省が深い。
そうやってまたひとりで反省に反省を重ねて奥に沈んで行く彼にヘクトールは「ふぅん?」と正面に回り覗き込む。
穏やかで優しいけれどどこか含みのあるいたずらっぽさもあり、何かを探っているような試されているような……。
そんな笑みに瞳に飲みこまれ、目を丸めてぽかんと間が抜けることいくつか。そのいじわるな笑みの意味に気付いて血の気が一気に引き、青ざめた顔で大きく腕を慌てふためかせる。
「いやっ!別に!こんなに気を抜いているからといってヘクトールが王子であることを忘れているわけではないぞ!?」
「そうかい?まあ忘れてても全然構いませんがね」
「忘れるものか!」
目的は達成したと言わんばかりのからからとした笑いに必死にかぶりつく。が、その反応もまた面白いらしい。上機嫌に輪がかかり青々とした空によく似合う笑みが消えることはなかった。
そんなヘクトール相手にムキになればなるほど愉快がられてしまうのは、冷静な時であれば彼にも分かることである。だが今はそれを欠いている。笑い声を止めようと必死になって冷静でなんていられない。いられるわけがない。ヘクトールについて忘れていたことがあるなんて思われていることが許せないの心だけで血が巡る。
「本当に!本当なんだぞ!!ヘクトールが王子であることは忘れていないしなのにここまで気安い存在でいてくれるのは本当にありがたいと思っているんだからな!だからきっと、きっとお前が、トロイアが、戦争もなく順当に王になっていたらそういう安心のある国になっていたんだろうってずっと思ってて、それで歴史からお前の名が消えたとしてもそれでお前や国が幸せであるならそれで十分なんじゃないかって、考えたりもしていて、それで、それから、」
「そっかあそっかあ。そりゃ光栄の極みだねえ。人格と国営が結びつくとは限らんが、マスターにそう思われているのは嬉しい限り」
「本当なんだってばーーー!!!本当にーー!!」
よく晴れた空にからからとした笑いとひたすらに必死な声が響き渡る。それを観測する管制室の方からも割り入る野暮も慈悲もなく、周囲への警戒を怠ることないままそれを忘れている少年がヘクトールのマントを強く引いている姿を鮮明に映し続けていた。