白と銀の稲妻が激突し、草原が激しく揺れる。
ベルの白雷は正確にメーテリアの銀雷を撃ち落とし、反撃を許さなかった。
先ほどとは形勢が逆転した今も、メーテリアは強き想いのままに稲妻を振るう。
「どうして…っ!どうしてわかってくれないの!貴方は、神に……運命に利用されるだけなのよ!?」
「英雄ならそのくらい乗り越える!アルケイデスが運命を乗り越えたように、どんな苦難だって、僕達は乗り越える!!それが人の可能性だ!」
「貴方は何もわかっていない!英雄がどれほど残酷なものなのか!どれほど辛いものなのか!」
「わからないよ!だって僕はまだ子供だ!未だ至らぬ英雄だ、何も救えない!何も守れない!けど…だけどっ、だから想いを貫くんだ!強く!誰よりも輝く夢を!英雄に、
「この世界には、もう貴方の隣に立つ人がいない!隣で肩を並べて、背中を預けられる仲間がいない!」
「いいや!僕には強い仲間がいる!」
「駄目よ!!その仲間は貴方より劣る!真の英雄の器ではないの!わかっているはずよ!既に仲間の中に並ぶ者が居ないことくらい!貴方は、絶対に1人になってしまう!」
「……っ」
気づいている。知っている。
Lv4を超えたあたりから、ベルは素の速さで、既にアイズと同等。魔法の威力は全力であればリヴェリアを超え、膂力は既にガレスと同等かそれを超える。
フィンも同様に、模擬戦すらしたことは無いが、恐らく負ける事は絶対に無い。
唯一。今までで1番強いと感じたあの猪人の大男ですら、邂逅の時には、周囲への被害を一切無視した全力であれば、負けることはなかった。
例え、あの男が切り札を使ったとしても。
恐らく、この世界に本気になったベルと並ぶことが出来る人物は、数えるほどもいない。
その事に、ベルは何となく気づいていた。
「…孤独は、毒よ。知らぬ内に、貴方はボロボロになっていく。癒しは無く、ただ人々の羨望と畏怖を一心に受けて…!ただ心が摩耗していく…!そんな貴方を、見たくないのよ…ッ!」
母の痛哭は、あまりにも身に覚えがあった。孤独は、確かに毒だ。孤独に愛されれば、徐々に生への欲求がなくなり、死への渇望だけが湧いてくる。
どうしようもなく、死にたくなる。
その
煤だらけで、ボロボロの状態のベルを抱き締めた義理の叔母がいてくれた。放任主義で、祖父の愚痴が絶えず、お義姉様に会いたい、が口癖の人ではあったが、しっかりとベルに愛を向けてくれた人であった。それでも、ベルは孤独に沈んでいた。
それは、あまりに孤独がベルを愛していたから。
押し付けられたその愛は、誰が隣にいようとも、関係なくベルを蝕んでいった。
でも、その孤独の中に落ちていくベルの手を、握った者が確かにいるのだ。
共に真っ暗な孤独の中に落ちていってくれる。生真面目な
「────いいや、違う。」
だから、母の言葉を否定する。
「僕は…確かに孤独に愛された。ずっと、深い水底に沈んでいくような、空気が徐々に無くなるように、孤独は僕の心を、ずっと蝕んできた。でも、でもね……その孤独の癒し方は、共に戦うだけじゃない。」
手段はひとつでは無い。今は、大切に想う人がいる。その孤独は、もうありはしない。
「リューが、皆が…大切な人が心に寄り添ってくれるから。僕は…もう、孤独じゃない。」
大切な人が隣に、後ろにいてくれるだけで、不思議と孤独が癒えていた。
1人ではないと、家族だと言ってくれた人達がいる。
そのベルの射抜くような視線に、メーテリアは黙りこくった。
そうして、ゆっくりと首を横に振った。
「違う、違うのよベル…」
脈絡の無い言葉に、ベルは首を傾げた。
しかし、メーテリアは続ける。その瞳に、狂気では無い光を宿しながら。
「貴方達は、根本から間違ってる…!私達は、大神が始めた戦いに巻き込まれているだけなのよ…!」
「大神の、戦い…?何を言って……」
「嗚呼……駄目よ。許さない。結局貴方は運命の時に、1人になる。
知らぬ言葉の後、メーテリアの瞳に宿る色が変わる瞬間を、確かに見た。
ベルは、これから自身に降りかかる何かを危惧する母の悲愴な想いを感じ取った。
「駄目よ、駄目……全ての運命を貴方に背負わせる人類は、いらない。滅ぶべきなのよ。」
「…それだけは、させない。」
しかし、その母の言葉を受け入れる訳には行かなかった。その母の言葉は、仲間の死。そして、
それだけは、絶対にさせない。
「お母さん……僕は頑固なんだ。説得はもう、諦めて。」
「……いいえ、諦めないわ。貴方が英雄を諦めるまで、私の想いは変わらない!」
「それなら、僕の想いも変わらない。英雄として、貴方を救うまで!」
そうしてまた2人が同時に構え、同じ詠唱を叫ぶ。
『【テンペスト】ッ!!』
一気に爆発する魔力をブーストに、ベルが最初に飛び出した。
待ち受けるメーテリアは、次のベルの行動を予測しつつ稲妻を放つ。
目前に迫った稲妻を、直撃する寸前のコンマ1秒で体を捻って回避、着地と同時にまたメーテリアに一直線に手を伸ばした。
(……ベル、貴方はどこまで…っ!)
ベルには、まだメーテリアを傷つける意思がない。
それを読み取っても、優しき我が子を傷つけているこの現状に心が悲鳴を上げても、止まるつもりはもうなかった。
世界が、神が、運命が、過去の家族が、誰が英雄を求めていようと、メーテリアだけは、ベルの健やかな平穏を願っている。
「────踏み躙らせるものかっ!」
もう目と鼻の先にあるベルの手を弾き、数え切れぬ程の稲妻を落とした。
「バカにしないで…!」
癇癪を起こしたように叫んだメーテリアは、ベルがいた場所に次々と理不尽な怒りを叩き落とす。
草原は稲妻の衝撃で吹き飛び、風が巻き起こる。そこには、深く抉れたクレーターが無数に出来上がっていた。しかし、ベルはその中心に立ちながら、尚無傷のまま。ただ真剣に母の想いを受け止めていた。
「ッ!……侮ってるのかしら…?」
「侮ってなんかいない。お母さんは……今まで戦ってきた誰より強い。そして…戦いにくい。」
母が背負う何かの重さは、果てしない。自分が何を背負おうとしているのか。自分が何者なのかさえわからない。母の言葉の断片から理解しようとしても、学のあまりないベルに、その言葉の真意を理解することは出来ない。
だけど、この優しい母を傷つける事だけは違うと思った。
「…それでも、僕はお母さんを傷付けない。だから、殺すよ……貴女のその想いを、殺す。」
不殺。されどその果てしない想いを殺す。
その決意の瞳を射抜いたメーテリアは、変わらずに胸に手を翳し、銀雷を纏った。
「…やれるものなら、やってみなさいッ!」
メーテリアが腕を払えば、再度稲妻がベルに叩き落とされる。その雷のエネルギーはベルの魔法を軽く超える。しかし、片や魔法の使い方、極短期間で戦闘のプロに変貌したベルは、視線や筋肉の動きなどの僅かな情報から攻撃地点を予測。降り注ぐ稲妻の雨を被弾することなく、徐々に距離を詰める。
「そこよ!」
そしてまた、目前まで迫った時。メーテリアは、待っていたと言うように、稲妻を束ねて一条の雷霆に変え、一面を閃光で包み込む。
劈くような雷鳴と、音の壁を突き破る程の速さで打ち出された熱線にすら立ち向かうベルを目に収めて、メーテリアはその光景から目を逸らすように瞼を閉じた。
「どうして、貴方はそこまで…私は────いいえ、決めたはずよ…私は、揺るがない。」
この終末の世界で、ベルをいくら殺そうとも意味は無い。ただ苦しみがあるだけ。どれだけ苦しんで死のうとも、どれだけ一瞬で消し炭になろうとも、私が抱き締めれば、元通り。
完全にベルが死んだ事を確認して、また虚空を抱き締める。そこにある温もりを逃がさないように。魂にまで刻まれた
───そして、メーテリアの視界が反転した。
「やっぱり……
「────────っ!?」
気づけば、ベルはメーテリアの背後をとって押し倒し、左腕を捻りあげて地面に押さえ付けて拘束していた。
ベルは、こうなるとわかっていた。この小さくも暖かい母の腕の中で、また
「────まさかっ、死を…!?」
「そう。ここで僕が死んでも貴方の手によって蘇る。意識の覚醒のタイミングは覚えてる。その瞬間は、僕が貴方に最も接近出来る唯一のタイミングだ。」
信じられなかった。
「擬似的とは言え、死には変わらないのよ!?貴方は、それすら…!?」
この場所で死ぬ事は、擬似的とは言え、確かな死。肉体に直接干渉せずとも、心には深いダメージを負う。メーテリアは、ベルの精神が壊れるまで殺す覚悟があったとは言え、ベルの常軌を逸した行動に、怒鳴りつけ、ベルの拘束を解かんと暴れる。
しかし、それを押さえつけて、ベルは続けた。
「…確かに、これが死なんだろうね。深い深い、水底に落ちて行く感覚がまだある。けど……お母さんなら、掬いあげてくれると思ったから。僕は、何も怖くなかった。」
絶句したメーテリアは、自身の認識が甘かったことを知った。殺すだけでは、ベルは折れない。
痛みでも、恐怖でも、もう戻れない所まで、ベルは英雄だった。
だが、諦めはしない。ここで自分が折れてしまったら、我が子は絶対に苦しむことになる。それだけは避けなければならない。
英雄になんて、絶対にさせてはならない。
「……させるか…!させるものか…っ!」
「っ!…動かないで、お母さん。お母さんの傷は、治らないんでしょ?」
自身の魔法の余波で傷ついた美しい白い肌には、未だ薄っすらと血が流れている。つまりは、ここでは母の傷は治らない、何事も万能な世界ではないことはベルも把握していた。
しかし、メーテリアは全身の力を総動員して、拘束を解こうと力を込めた。
「あの狒々爺は!体の良い厄介払いを見つけたと嬉々としてその運命を押し付けただけっ!」
「っ!?動かないで!無理に動けば骨も折れるし、関節も千切れる!すごく痛いんだ!」
「あの男はっ、貴方を人柱に、世界を取った…っ!私の子を!貴方をっ!都合のいい兵器に造り変えた!!この怒りに比べればっ、この悲しみに比べればッ!痛みなんて────ッ!」
「母さんッッ!!」
「うああっ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ!!」
ブチッ、ブチブチッ、ミシミシッ
そんな不快な音が鼓膜を突き刺し、メーテリアの苦悶の声が一際大きくなった瞬間。
「────」
ベルは、拘束の手を離す。ベルの考えこそが甘かったのだ。この母は自分の為ならどんな痛みだろうと背負う覚悟があった。
手を離されたメーテリアは、どこまでも優しいベルの瞳に、未だ強い意志が宿っていることを感じ取って、ゆっくりと息を吸った。
「…ベル、貴方はまだ…諦めないのね。」
「うん。」
「……そう。」
悲しげに俯いたメーテリアは、そっとベルに手を向けた。警戒と共に構えたベルに、違うと、そっと微笑みを向けた。
「これから、貴方に全力の魔法を放つ。貴方がこれを打ち破れば、貴方の想いの勝ち。貴方を認めるわ。けれど、負ければ貴方は二度とこの世界から出ることは叶わない。」
初めて出された、メーテリアからの勝利条件。しかし、ベルに受けないという選択肢は既に無い。故に
「────わかった。」
きっと、こうでもしなきゃ認められないのだろう。そして、メーテリアから感じる絶対的な自信。彼女は、この魔法に賭けた。
姉と喧嘩した時、とある傲慢だった貴婦人を屈服させた時。決め手は、いつもこれだった。
誰をも愛する彼女だからこそ扱えるそれは、彼女が行使する故に、行使したほとんどの対象に
優しすぎる、白すぎる。それが姉の、
ある貴婦人は言った。今まで生まれてきた末裔の中で、最もアルケイデスに似ていると。その優しさが、白さが、その心根が似通っていると。
故に、何よりも己を恨み、愛という運命を尊んだ。
「【祝福の禍根、生誕の呪い。半身喰らいし我が身の原罪。】」
これより奏でるは、愛の調べ。母の証明。
そして、一生を賭しても拭いきれなかった、
「【禊はなく、浄化はなく、救いはなく。この身に巡る天の血潮こそ私の罪。】」
優し過ぎた彼女は、生まれすら憎んだ。凡そ、運が悪かったと済ませられる事を、優し過ぎた彼女はどうしようもなく憎んだ。
この血を分け与えられたなら、どれ程良かったか。なんど出来もしない妄想を繰り返したか。
「【母の鼓動、精霊の調。愛の旋律、すなわち人の証明。】」
一気に高まる魔力。それは臨界を越えようとも構わず、世界を揺るがすように膨れ上がった。
その魔力の高まりは、ベルに否応無く全力を出さざるを得ない状況を作り出した。
「【
白雷は、想いを伴って迸り、火花を散らせて燃え上がる様にベルを抱きしめる。
この魔法で、この想いで、母を救う為に。
「【
この言葉で、今抱く想いで、魔力の臨界点を超える。
そして、魔力を代償に行うチャージをもって、メーテリアと同じ土俵に立つ。
鳴り響く2つの
「【
「【───私は、あなたを愛している。】」
その言葉は、誰よりも深い愛を表すものだった。
姉にも勝るその力は、愛が深ければ深いほどに、対象に刺さる。
故に、この世界の顛末とベルを天秤にかけ、世界をもかなぐり捨てられる程の愛を持つメーテリアは、この世で最も強い。
対象が違えば、黒竜すら滅ぼせたと姉に言わしめた程の一撃を、ベルに放つ。
「【代償をここに。愛の
呪いなどなく、ただ平穏に、健康に、笑いながら生きて欲しい。苦しいのは、私だけでいいから。
そう生まれて来る我が子に願ったのだ。
寂れた教会の、くたびれた小さな鐘楼に、願ったのだ。
「【響け────聖鐘楼】ッ!!」
反響する鐘の音が、どこか慟哭の様に聞こえた。眩い閃光が迸る黄昏に、子を思う母の涙が零れ落ちた。
「【マリア・アンジェラス】」
聖母は健やかな受胎を願い、英雄の誕生を憂う。
世界は英雄を欲していると、誰かが言った。
そんな事は知ったことでは無い。神々でどうにかしろ。
最後の英雄はあの子だと、神が定めた。
知るか、知るか、絶対にそんな事はさせない。
助けたい。貴女を救いたいと、子が願った。
貴方まで苦しむ必要は無い、苦しいのは、他人だけでいいの。
けれど、その眼差しは残酷な程に美しくて、どこまでも白い願いだった。
世界が、運命が、神が願う。
見てきた、傍観してきた。血の記憶が、叫ぶのだ。英雄とは、なんと残酷なものか。
それは、それだけはあってはならない。貴方だけが苦しむのは、見たくない、なら、なら、なら────
「────ここで、折れなさい…
猛る声と共に、メーテリアは己の最強の稲妻を放った。愛に乗せて、想いを乗せて。自身を救わんと願う、確かな英雄の存在を否定する。
迫る稲妻を肌で感じながら、ベルは深く息を吸った。
「…僕は、英雄になりたい。これは、誰の意思でもない、運命なんかでもない。僕が誓い、僕が
それは、それだけは間違いなんかじゃない。誰かを、大切な人を、貴女を助けたいと願ったこの想いが、偽りであるはずなんてないんだから。
だから、貴女を超える。貴女を救う。
「貴方が愛を証明するのなら、僕は証明する…!」
孤独は無く、悲しみはなく、ただ未来を願い、想う人がいると。
己が、真の英雄であると証明しなければならない。
そうして深く沈んだベルは、一気に飛び出した。肌を焼く稲妻は、その強さを如実に示し、恐ろしい程に死の予感を感じさせた。だが、それがどうした。今の己を上回るのなら、更に上回れ。
速く、速く、疾く
その速さは、空気を突き破り、音を置き去りに、ベルの背中を蹴飛ばした。
そして、メーテリアの稲妻とぶつかる瞬間。
叫ぶ、想いの限り。強く、願う。
「────【
目の前に舞い降りた一閃の霹靂を、ベルは
掴み取った稲妻は、黄昏を貫くような白で、優しく、眩かった。
風を巻き込み、
その雷を握り、ベルは純白の大稲妻に激突し、その雷を振り抜いた。
「────嗚呼…貴方は、そこまで…」
空気を揺らす轟音と共に、純白の稲妻が縦に裂けた。
稲妻の波動は拮抗することも無く消し飛び、ただ目の前に最愛の人の顔だけが映った。
圧倒的なまでに呆気なく、その証明は決着した。
「強く……なったのね…」
無力の涙と、我が子の成長に微笑むメーテリアは、わかっていたように倒れ込んだ。そのメーテリアを、優しく抱きとめベルは微笑んだ。
「僕の、勝ちだ。」
「────えぇ、私の負け…ね…」
2人は、心地よく笑った。空の黄昏はすっかり暗くなって、星空と月光が2人を包み込んだ。
「この世界は…貴方の枷…私が作り出した、貴方を英雄にしないための、結界。それももう…夜、ね。」
力なく呟くメーテリアを強く抱き締めて、ベルは悟った。この世界の時間が回り始めた。
母の消滅が、近づいている。
「ごめんなさい…お母さん…僕には、こうすることでしか……」
「いいの…貴方を止めることはできなかったけれど…確かに、貴方に救われた…」
俯くベルの頬に手を添えて、メーテリアは優しく微笑んだ。
その手の温もりを、離さない様に、ベルはメーテリアの手を包み込んだ。
「貴女を、孕んだ時から予感はあったの。貴方が、英雄になってしまう予感が…ごめんね、ごめんなさい…」
「お母さんは悪くないっ……大丈夫、乗り越えるよ。僕はお母さんの子だもん、もっと、強くなるから…!」
そうして、笑うベルの強き瞳を見て、やはりメーテリアは後悔の色を強く残した。
「貴方を止められなかった私を許して……無力な私を…傍で、見守れない私を…」
「お母さんっ…!」
「────いい、ベル?良く、聞きなさい。」
「…っ……うん…!」
きっと、これが最後になる。最後の言葉になる。だから、耳を傾けよう。悲しみを振り切って、最高の笑顔で母を見送ろう。
「ご飯を、食べなさい。いっぱい、好き嫌い、しちゃダメよ?野菜も、食べるの…いっぱい寝て、遊びなさい…」
「うん、好き嫌い…しないよ。寝るの好きだ。友達と遊んだり、してみる。」
「好きな子を、大切にしなさい…ハーレムなんて…作っちゃ、ダメ…」
「うん……叔母さんが怖いから、しないよ。リューだって、誰より大切にする…!」
「自分をっ…蔑ろに、してはダメ。辛かったら、逃げても、いいの。誰かを、頼って、助けてもらうのも、いいの……人は、そうして生きていくのだから。」
「…わかったよ…」
「それから…お姉ちゃんを、どうかお願い…おばさん、なんて…呼んじゃ、っだめよ…」
「わかった…っわかったよ…!」
「それから………っそれから────────私を、忘れないで欲しい。貴女を、愛した母がいることを、どうか覚えておいて。身勝手な願い、だけれど…」
その言葉で、ベルの心は決壊して、想いをただ叫んだ。
「忘れるわけないッ!ずっと覚えてる!ずっと!死ぬまで……っお母さん…!ぉ、母さん…っ!」
降り注ぐ悲しみの涙を感じて、メーテリアは柔く微笑んだ。これ程までに愛してくれる、優しい子を持てた。それだけで、幸せだった。
「僕っ、この先辛いことがあっても、きっと…きっと!最後は必ず笑ってるから!だから…だから、もう、眠っていいんだ…僕の、大好きな、お母さん。」
笑ったベルを見て、メーテリアは美しいオッドアイの瞳を閉じた。その愛しい笑顔を、忘れないように、記憶に刻みつけて。
「────嗚呼、ベル…愛しい、坊や……私は、いつまでも……あなたを、見守って────────」
ベルの頬に添えた手が、力なく落ちた。その手を落ち切る前に握り、体ごと抱き寄せる。
最後の言葉を、最後の母の愛を言葉ごと、想いごと抱き締めるように、強く、強く抱きしめた。
「おやすみなさい……お母さん…」
天の精霊の血を殊更濃く受け継いでいたメーテリアの魂の死は、この世界の消滅。つまりは、ベルの封じられていた力の枷が無くなったことを意味する。
メーテリアの体は、脚先から徐々に崩れ、光の粒子となり、ベルに統合される。
光になっていくメーテリアの亡骸を、最後の時まで抱き締めた。
消えゆく光の1粒が、最後にベルの目元から涙を掬い、優しく胸に沈んだ。
泣かないでと、慰めるように。
「────…っ、ぁっ…おかぁ、さん……かぁ、さっ……っ!」
堪えきれなかった涙が、草原に零れ落ちる。ずっと、ずっと泣いた。
初めて自分の意思で救いたいと、そう願った人は、愛の証を押し付けて、満足気に逝ってしまった。
流れ落ちる涙は、逝ってしまった者の為に。それよりも、残された者の為に。尊く、静かに、悲しみを吐き出す。
母は、想いを最後まで貫いた。
だから、ベルは止まらない。止まる訳には行かない。歩まねば、自分を最後まで愛し抜いた、強き母の面影を背負って、待ち受ける困難に、苦境に立ち向かう。
何があっても、怖くない。
だって、ずっとお母さんが見守ってくれているのだから。
「───────行こう。皆を、護りたい人達を、守る為に。」
もう、黄昏は無い。
夜が巡り、また、黎明を告げる。
メーテリアの魔法
【マリア・アンジェラス】
彼女が生まれ持った天性の魔法。愛が深ければ深い程に、対象に効果を発揮する。愛する対象が道を間違えた時、この魔法は強く輝く。
この魔法は、まさに、誰かへの愛の証明であった。
最後にみせた黄昏の輝きは、英雄に放たれた。
英雄の前に立ちはだかったのは、英雄にあらず。ただ子を愛する、1人の母親だった。
母の愛とは、押し付けるものなのだ。