月光の怒りは異常なまでに魔力を膨れ上がらせ、つがえた矢を絶やすことなく撃ち続ける。
空気の層を容易く突き破る音速の矢を、片腕で弾き、ベルは当たり前のようにネメアに向かって歩き出す。
徐々に距離を詰めていくベルには、絶えることなく矢の弾幕が張られているが尚も不動。
ベルの目醒とともに握られていた白金の剣は、傍らを浮遊していた。
その光景を見ていたフィンは、その剣に不思議な安心感を覚えた。
(あの大剣は、まさか…精霊の奇跡…
もう驚きはしない。
過去、英雄神話時代。選ばれし英雄にのみ授けられた、伝説の武具。精霊に、使い手に応じてその形を変え、英雄の力となった力。
彼の大英雄『アルケイデス』は、天の権能を授かったという。その形は文献により様々であり、剣であったとするものもあれば、弓、または雷そのものであったという文献まである。
それは英雄だけの特権ではなく、精霊自身も用いる武器としても有名だ。しかし、それは高位の精霊にしか扱えず、名も持たない下位の精霊が行使している場面は描かれることが無い。
フィンの予想通りに、ベルは神霊級の血を受け継いでいる。
先のネメアが発言した事で、ベルの血筋に大まかな検討がついたフィンは、乾いた笑いを零した。
なによりベル自身、それを否定しなかったのが大きかったが。
「大英雄の血筋…となると、天の精霊かな?アイズより強い訳だ…」
天空の精霊、アルクメネ。
その力は、後世に渡るまで語られている。全ての精霊の女王にして、大英雄アルケイデスの伴侶として名を得た。その精霊は天の事象全てを司り、時に罪人に怒りの楔を叩き落とす。
その在り方は、まさに天の裁定者
やれやれと頭を振って、フィンはベルに手を伸ばした。
「…必ず、追いついてみせるさ。血など超えて、並び立ってみせる。」
そう宣言すれば、フィンの方向に振り向いて、ベルは笑った。
彼の余裕に若干の呆れを見せて、フィンは全身の力を抜いた。後は、全てを任せるのみだと。
ベルは、本格的にネメアと対峙する。
もう手を伸ばせば届く距離に来ているというのに、ネメアはその場から動かずにただ射続ける。至近距離から放たれる矢を次々に握り潰して、ベルはとうとう歩みを止める。
数瞬の間を作り、閃光がネメアの剛腕を切り飛ばし、顎を蹴り抜いたその直後。都度10発の拳打を見舞う。それが、人間の反射を超える時間で起きた。
フィン達にはただネメアが吹き飛んだシーンしか映らなかったが、実際にはこれほどの攻撃が一瞬のうちに叩き込まれた。
1度のバウンドも無く、数百メートル先の壁に叩きつけられたネメアを眺めたベルは、すぐに行動を始めた。
ベルのいた場所を稲妻が迸ったかと思えば、ベルは既にガレスが倒れる場所に移動していた。
「ガレス…」
「ふ…なんじゃ、その目は…まだピンピン…しとるわ…!」
「…ふふっ、それでこそ。」
死にかけのガレスに、肩を貸したかと思えば、既にフィンとラウルの隣に降り立っていた。
「…べ、ベル!?どうやってここに…!」
「ガレスをお願い。」
「わ、わかったっす…」
パチッと静電気が走ったような音がしたかと思えば、ベルはリヴェリアの元に。
呆然と見上げるリヴェリアは、ベルが纏う魔力の変化に驚きを隠せなかった。
「…ベル…なのか?」
「うん、そうだよ…ありがとう、リヴェリア。」
そう感謝しても、リヴェリアの表情は晴れずに俯くだけ。
誰よりも先に折れてしまった事が負い目になっていた。
「私は…何も、できやしなかった…」
「ううん。リヴェリアは、みんなを守った。僕を守った。怖くても、立ち向かってくれた。」
「違うっ…私は、臆病者だ…!」
「いいや。見てない僕でもわかる。君は、尊敬に値する魔道士だ。」
ベルの真っ直ぐな瞳に、リヴェリアは毒気を抜かれ、柔く微笑む。
「…っベル…すまない…」
「いいんだ、立てる?」
「すこし…無理そうだ。」
「分かった、抱えるね…よっ。」
優しく横抱きにされたリヴェリアは、なんだか情けないような恥ずかしいような感情で、少し頬を染めたが、それは一瞬のこと。運ばれた自分すらも移動したことに気づかない程に速く、その速さには確実に同居できない繊細さをベルは見せた。
「おや、お姫様は初体験かな?」
「だろうな。ここまでの扱い、もう一生ないだろうさ。男としてどうなんだ、2人とも?」
「なんじゃ、ワシに抱えてもらいたいのか?冗談も程々にしておくんじゃな!」
「僕達じゃ役不足だろう?それに、ベルならやってくれるさ。」
「言ってくれれば、いつでもやるよ。」
「……検討しておくよ。」
冗談を真に受けたベルに、また調子を崩されたリヴェリア達は、先程の空気が嘘だったかのように笑った。
「…顔つきが変わったね、覚悟が見える。」
「うん。お母さんに…誓ったから。」
ベルの言葉にフィンは目を見開いたが、すぐに柔らかく笑った。
「…会ったのかい?」
「うん…夢なんかじゃないよ。確かに、会ったんだ。」
「…あぁ、そうなんだろうね。信じるよ。」
ベルの瞳はただ真っ直ぐで、嘘偽りがなかった。だから、フィンは自然とその荒唐無稽な話を信じた。
「…みんな、下がってて。」
ベルが背中を向ければ、既に目前に鋭い月光が音もなく迫っていた。
「───効かないよ。」
ベルが呟けば、浮かんでいた大剣が嘶き、白い稲妻を解き放つ。
剣から枝分かれした稲妻が矢を尽く撃ち落とした。
ふわりとベルに寄り添ったそのさまは、3人には聖母が子を慈しむように映る。
数百メートル先に見えるネメアは、完全に傷を再生させ、ベルを射殺さんと矢を射続ける。
「みんなをお願い。」
大剣を皆のもとに残し、ベルは地面を蹴った。その間もベルに迫る矢は絶えることはなく、その後ろにいるフィン達へと襲いかかるが、それを稲妻が焼き尽くす。
ネメアに超スピードで向かうベルは、矢を躱すことなく身に纏う電撃で焼き払う。皆に負担を掛けまいと、竜の翼を顕現させてそのまま空中を飛び回る。
その瞬間、ネメアの魔力が一気に跳ね上がり番えられた矢に大量の魔力が収束する。
「【
膨大な魔力が臨界点を超え爆発、飛翔するベルに向かって極大の奔流が襲いかかる。
それを目の当たりにしたベルは、拳を握り締める。その瞬間、ベルの腕を竜の甲殻が現れ鋭い輝きを放った。
そのまま、ベルはネメアに向かって飛翔。迫る幾本もの奔流を躱しながら、ネメアに到達したベルは丸太のような足から繰り出される蹴りを躱し、懐に潜り込んだ。
「【
瞬間、衝撃がネメアの体を突き抜けた。
その拳打は、ネメアの反射すら認識できず、音を超え、光を超え。拳が土手っ腹に叩き付けられた。
「グォアァッッ!!?」
1歩、2歩と下がりながら悶絶。血やら胃液を吐き出しても尚、ネメアは敗北の意志は見せなかった。
「【
その詠唱を鍵に、ベルの周囲の空間が一気に軋み、その重さはベルの体重を数十倍にした。足が地に沈み、そこに引き寄せられる様に先程ベルが躱した光線が殺到。ベルを月光が包み込む。
しかし、ベルはその全てを油断なく一瞥して、天に手を掲げた。
「────【
そう口にすれば、黒雷が火花を散らし一瞬の間に重力場から逃れ、余裕の笑みを浮かべる。
小細工など、欠片も通じない。常人であったなら押し潰されている重力すらも捩じ伏せた。
ベルは指を鳴らし、拳を構えた。
数秒向き合った後、ネメアは大弓を投げ捨て、上半身を包んでいた布切れを引き裂いて脱ぎ捨てる。
ベルの数倍はあるだろう筋肉を更に肥大させ、ネメアは胸に手を当てた。
伝承によれば、ネメアは獅子の爪牙を持ってヒュドラに立ち向かったとある。アルケイデスの右腕と呼ばれた彼の本領。
それは、獅子への変転。
「【
そのトリガーは、漢を百獣の王へと変貌させる。美しい金髪は雄々しい鬣に、獲物を噛み砕く牙は白く鋭く輝いた。太く硬いその腕には、敵を切り裂く爪を。その身には月女神に授かった無敵の獣皮。
ここに、ネメアの獅子が顕現する。
「オオォォォォォォッッッ!!!」
吠えたネメアは、四足獣の様に地に手足を付いてベルに突進。その速さは今までの比にならないほどに速く、瞬時に構えたベルは迫る2つの爪をその小さな手で受け止め、思い切り組み合った。
拮抗する二人の力。ベルの筋肉が筋を浮き上がらせ、隆起した。
吠えるネメアに、徐々に押されるベルは遂に足が浮き上がり、その瞬間に壁に叩きつけられる。
「ベルッ!?」
リヴェリアが叫ぶと同時に、ネメアが連撃を叩き込む。
深い爪の跡を無数に残す連撃は、今までに無いほどの衝撃を齎し、このダンジョンを揺らしていた。しかし、次の瞬間にはネメアの体に電撃と拳が叩き込まれ吹き飛んだ。
吹き飛ばされたネメアは、空中でバランスを整え何事も無かったように着地。またベルに視線を向けた。
ガラリと崩れた瓦礫の山からベルが起き上がり、血に濡れた前髪をかきあげた。
「…ふぅ、ふふっ…それが君の本気、文字通り全身全霊か。」
地に拳を放ったような感触に、右手が僅かに震える。口元に垂れた血を舐めて、体に流れる魔力を滾らせた。
「なら…僕も出さなきゃね────【
その瞬間、この広大な50階層全域に光が飛び散った。
たったそれだけの詠唱で出力された魔法が、何よりも苛烈に弾け飛ぶ。今までベルが扱っていたこの魔法は、最大の出力ではなかった。それは、メーテリアが枷としての機構を果たしていこともあるが、ベルが意識的に出力を下げていた。
ベル自身、この魔法を制御しきれていなかった。あまりにも強力なこの雷はじゃじゃ馬もじゃじゃ馬。扱いを間違えたらベルの体ごと吹き飛んでしまう爆弾のようなものだった。
しかし、今のベルにその心配はない。
自然に出せた全力。それは、母のお陰であり、その力を出させてくれた、目の前の強敵に感謝する。
ベルも知りたかったのだ。己の全力を、今の自分がどのくらい戦えるのか。
逆立つ髪を揺らし、ベルは好戦的に笑った。
「────じゃあ、行くよ?」
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