一人で海外旅行に行ったら、見知らぬ魔術師に拉致されて、どこかにある屋敷の一室に監禁された。
俺、
……一体どうして俺はこんな目に遭っているのだろうか?
確かに俺は魔術師の家系に生まれた魔術師で、魔術師という人種は自覚のあるなしに他者からの怨みを買うことが多い。しかし俺は魔術師と言ってもまだまだ見習いで魔術師の知り合いなんてほとんどいないし、ここにはつい三日前に来たばかりで地元の魔術師に怨まれるような事をした覚えもない。
本当に俺はこの街に旅行で来ただけなのだ。
街を観光して、名物料理を食べて、露天商からこの辺りでは見ない珍しい石等をお土産物代わりに買って、泊まっているホテルに戻ると……「彼女」がいたのだ。
俺と同じ日本人の、スーツを着た二十代後半くらいの女性。服装だけを見れば普通の会社員……いや、非常に整った容姿をしているのでモデルのように見えるのだが、容姿の美しさよりも何かに絶望したような暗く冷たい瞳が印象的な女性だった。
彼女は鍵をかけていたはずのホテルの俺の部屋にいて、俺が部屋に帰るとすぐに襲いかかってきた。そして突然のことに反応できなかった俺は、そのまま彼女に魔術で眠らされて、気がつけば今いる部屋に監禁されていたのだ。
(もうどれくらい時間が経ったんだろ……)
部屋の中で俺は、椅子に座らせられた状態で拘束されており、出来ることと言えば部屋の様子を眺めることだけで、すでに時間の感覚が失われていた。
そして俺がこの部屋で意識を取り戻してからしばらくの時間が経った後、突然部屋のドアが開いて四人の男女が入ってきた。部屋に入ってきたのは男三人に女性一人で、その女性は俺を拉致したスーツ姿の魔術師であった。
「……フン! まさかこんな薄汚い子供が私が企画した聖杯戦争を狂わせたとはなっ!」
俺は部屋にやって来た人達にこれは事情を聞こうとおもったのだが、それより先に三人の男達の一人が俺を見て吐き捨てるように言ってきた。
俺を見て不満気な声を上げたのは、三十代くらいの外国人の男で、一目で高級品だと分かるスーツを着こなして四角い眼鏡をかけており、一見するとどこかの大学の教授のように見えた。しかしその表情はよほど苛立っているのか忌々しげに歪んでいて、かなり神経質な性格みたいだった。
……でも何で俺、初対面の人にいきなり薄汚いとか罵倒されないといけないわけ?
「あの……? 貴方は?」
「人に名を訪ねる時は先ずは自分から名乗るべきだろう? 日本人は礼儀正しいと聞いたがどうやらデマだったようだな」
俺が眼鏡をかけた男に話しかけると、男は俺を見下すような目で見てそう言った。……いや、確かに言ってることはもっともなんだけど、何で話しかけただけでそこまで言われないといけないの?
「……失礼しました。俺は孔雀原……」
「まあいい、教えておいてやろう。私はこの地で代々研究を続けてきた、五百年にもわたる歴史を持つ錬金術の名門スクレット家の当主、ライドー・スクレットだ」
答えるのかよ。
「さて……。仕方がなかったこととはいえ、『少しばかり』乱暴にここに連れてきたことは詫びよう。君もどうして自分がここ、我がスクレット家の屋敷に連れてこられたか理由を知りたいだろう? 今から説明してやるから静かに聞きたまえ」
全く気持ちのこもってない謝罪を口にしてから眼鏡をかけた男、ライドー・スクレットは俺がここに拉致された理由を、愚痴とスクレット家の自慢話を大量に含めながら説明してくれた。
何でもこの地では亜種聖杯戦争が行われる予定らしく、ライドーを初めとするこの部屋にいる全員はその亜種聖杯戦争の参加者らしい。しかもライドーは参加者であると同時に、亜種聖杯戦争の開催者でもあると言う。
ライドー……いや、スクレット家は今回の亜種聖杯戦争を開催する為に五十年近い時間と多額の資金を使い、慎重に準備を重ねてきた。しかしようやく準備が整っていよいよ亜種聖杯戦争を始めようとした矢先に、突然聖杯のシステムに支障が生じて、本来は四人のはずのマスター枠が五人に変更されたのだ。
用意した聖杯は最後の勝利者が決まってサーヴァントが残り一騎にならないと願望機として機能しない為、イレギュラーで現れた五人目のマスターも亜種聖杯戦争に参加させる必要がある。そしてその五人目のマスターというのが……。
「君、というわけだ。君も右手の『令呪』を見て薄々は自分がマスターに選ばれたことに気づいていたのだろう?」
令呪。
それはマスターの証であり、三回だけのサーヴァントへの絶対命令権。活動を開始した聖杯は、マスターの資格を持つ魔術師にこの令呪を与えるという。
ライドーの言う通り、俺の右手の甲には孔雀原家の家紋と同じ、孔雀をデフォルメしたデザインの痣……令呪が刻まれていた。これはこの街に来てすぐに右手に宿ったもので、最初は何者かが送った呪か何かかと警戒していたのだが、少し調べてみれば特に害があるわけでもないと分かったので、本格的な解明は旅行が終わって実家の工房に帰ってからにしようとほうっておいたのだ。
……こんな事になると分かっていれば、右手に宿った時点でもっと徹底的に調べておくんだった。俺の馬鹿。
「まぁ、こうなった以上、君も至高の魔術儀式である亜種聖杯戦争に参加させてあげよう。ありがたく思いたまえ」
思うわけないだろう。ふざけるなよ、このクソ外国人。
俺はこちらを見下す視線で見てくるライドーに心の中で悪態をついた。
ライドーは俺がこの亜種聖杯戦争を狂わせたとか言うけど、説明を聞くと原因がそっちが用意した聖杯が欠陥品で俺は巻き込まれただけの被害者じゃないか。椅子に拘束されていなかったら全力の右ストレートをこのクソ外国人の顔に叩き込んでいただろう。
俺が必死で怒りを抑えて体を震わせていると、ライドーは俺が亜種聖杯戦争を恐れていると勘違いしたみたいで、心底ムカつく笑みを浮かべる。
「ハハッ。安心したまえ。君は英霊を召喚したらすぐに令呪で英霊を自害させたらいい。どうせ聖遺物を持たない君の英霊では、選び抜いた聖遺物で召喚した私達の英霊には太刀打ちできないのだから」
ライドーの言い方には腹が立つが、言っている事は正論だ。強力なサーヴァントを召喚するにはその英霊に関係する聖遺物が必要で、当然俺はそんなものは持っていない。
ここはライドーなんかの言葉に従うの癪だし、召喚したサーヴァントには悪いと思うけど、召喚してすぐに自害してもらうのが安全か……。
「そうすれば命までは取らないし、特等席で私達の決闘を見学させてあげよう。魔術師の見習いの君にとって良い勉強になるだろう」
「決闘……ですか?」
「そうだ。これから行われる聖杯戦争は我が屋敷の地下にある闘技場によって、厳選なる抽選で順番決め、最後のマスターとサーヴァントの一組が決まるまで、二組のマスターとサーヴァントによる正々堂々とした決闘を行う。……正しく魔術師に相応しい気品ある戦いというわけだ」
「………」
自慢気に言うライドーだったが、俺はその亜種聖杯戦争のルールに違和感を感じた。
確かに貴族らしく振る舞う魔術師は一対一の決闘を好むけど、これは聖杯戦争……戦争なんだぞ? そんな決闘なんてルール、例えマスターが守ってもサーヴァントが大人しく従うものなのか?
……まあ、すぐに戦線離脱する俺には関係ないけどさ。
☆
「……ごめんなさいね」
その後。亜種聖杯戦争に参加することを了承した俺は、拘束を解いてもらいライドーの屋敷にある自分用の部屋に案内された。案内してくれたのは俺をここに拉致してきた女性で、彼女は部屋に着くなり俺に謝ってきた。
「え?」
「無関係だった貴方をこの戦いに巻き込んでしまって本当にごめんなさい。……でも、私はどうしてもこの亜種聖杯戦争で優勝して叶えたい願いがあるの。その為に貴方に参加してもらう必要があったの。……そういえばまだ自己紹介をしていなかったわね。私の名前は
俺に小さく頭を下げて謝る女性、椿さんの表情は真剣そのもので、彼女がこの亜種聖杯戦争にかける意気込みが充分すぎるくらいに伝わってきた。
「孔雀原留人です。あの……そのことはもういいです。気にしてませんから」
「そう、ありがとう。……それでこれは貴方の物よね? 返しておくわね」
そう言って椿さんが手渡してくれたのは、俺が露天商で買ったお土産物代わりの石だった。そういえば椿さんに拉致された時、ポケットの中にいれていたんだっけ。
「あっ、そうです。ありがとうございます」
「いいえ、気にしないで。それじゃあ、私はこれで。……貴方は戦わないと思うけどまた明日、聖杯戦争で」
椿さんはそれだけ言うと去っていき、俺も手渡された石をポケットにしまうと、自分の部屋へと入っていった。
用意された部屋は意外と広く、サーヴァントを召喚するための魔方陣もすでに準備されていた。
「さてと……。さっさと終わらせますか」
サーヴァントを召喚して、すぐに令呪で自害させるなんて目覚めの悪いことなんて早く済ませてしまおう。
そう考えた俺は、魔方陣の前に立つとサーヴァント召喚の呪文を唱え始めた。
サーヴァント召喚の呪文は以前より暗記してある。自分でもよく分からないが、俺は聖杯戦争について強い興味を持っており、まるで「前世から聖杯戦争に憧れている」かのように、こうして呪文を唱えている今でも期待で胸が膨らんでいるのが分かる。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
この時の俺はライドーの言う通り、聖遺物を持っていない状態で召喚しても強い英霊を呼べるとは思っていなかった。
だから気づかなかった。
部屋に入る時、椿さんから手渡された露天商で買った石がまさかの聖遺物で、それがポケットの中で光を放っていることに。
俺が露天商で買った石は「木化石」という土の中に埋もれた木が長い年月をかけて化石となったもの。そしてその木がまたとんでもない代物で何かと言うと……。
とある王が最愛の妃を娶る際に破壊した弓の破片。
もし魔術師のオークションに出せば、最低でも億の値段がつく聖遺物を、俺はどういう運命か露天商で日本円にして二千円で購入していたのだ。
「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷しく者。
汝、 三大の言霊を纏まとう七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
呪文が完成すると同時に魔方陣が強い光を放つ。そして光が収まると魔方陣の上に、俺と同い年くらいの少年が立っており、俺はその少年から感じられる圧倒的な存在感に言葉を失ってしまった。
「サーヴァント、セイバー。偉大なるコサラの王、ラーマだ。大丈夫だ、余に全て任せるがいい!」
言葉を失っていた俺に、少年の姿をした英霊、ラーマはまだ若いながらも威厳を感じさせる声でそう言った。
これがまだ前世の記憶を取り戻す前の俺が経験した亜種聖杯戦争、後に「剣の戦争」と呼ばれる戦いの始まりであった。