2010年8月9日
フランス・パリ付近の上空
「はぁ……」
ファーストクラスのゆったりとした座席に腰掛けながら、上条麻琴は深い溜め息を漏らしていた。
(あの人たち、これからどうなるんだろう……)
アレイスターの指示通り過激派魔術結社を壊滅させた彼女は、現在帰路についている。
“上条”らしく、敵である魔術師たちでさえも1人として殺さずに組織を潰すという離れ業をやってのけた彼女だったが、やはり学園都市側に捕縛された魔術師の今後が気がかりらしい。
プーンッ
そこで麻琴の思考を遮る機械音が機内に響いた。
シャルル・ド・ゴール空港を発ってからしばらく経ったらしく、シートベルト着用のサインが消えている。
「Attention please ……」
あわせて、客室乗務員の1人が機内アナウンスを始めた。
(私……、このままでいいのかな……)
それを聴くとはなしに耳に入れつつ、麻琴は、アレイスターの傀儡となった自らを憂う。
「According to the latest weather report ……」
(お父さんとお母さんを……、ううん、もっと他のみんなも、私なら助けられるはずなのに……)
「We are cruising at ……」
(なのに……、アレイスターにいいように利用されてばっかで……)
「If you need anything ……」
(私が“この世界”に来た意味って何なんだろう……)
考えれば考えるほどに、鬱々とした思考にとらわれていく麻琴。
彼女の脳裡に、彼女が潰した魔術結社のとある構成員の言葉がよぎる。
“何の理由があって我々の邪魔をする?”
相手は人殺しも何とも思わない過激派だった。
“学園都市に暮らす人間を守るために”、でなければ“魔術師たちの犠牲者を増やさないために”、他にもまだまだ、今ならば何とでも理由を付けることはできる。
しかし麻琴は、咄嗟に返す言葉に詰まってしまった。
あの瞬間、彼女がすんでのところで呑み込んだのは全く違う言葉だった。
“アレイスターの命令だから”
「We will be arriving in ……」
(私……、この3年で、未来を変えるようなこと、何もできてないのかな……)
麻琴の瞳に、深い影が差そうとしていた。
「This is your captain ……」
(私が来た意味なんてなかったのかな……)
絶望するような彼女の無言の問いに答えられる人間はここには……いや、この世界のどこにもいない……はずだった。
「Didalos Sequenzia speaking.」
「えっ……」
いつの間にか、話し手が客室乗務員から機長に変わっていたらしいアナウンスから聞こえてきたのは、麻琴が知る名前だった。
「Please have a nice flight.」
「フフッ……」
麻琴の口から僅かにだが笑みがこぼれる。
(やっぱり、1つくらいは“意味”あったかな……)
その時、麻琴の横の通路を2人の男が通った。中央の座席の向こうにはさらにもう1人見える。
全員が鋭い目つきで真っ直ぐコクピットの方向へ進んでいる。
麻琴の頭の中で、父親から譲り受けた不幸センサーがけたたましく鳴り響く。
それを裏付けるかのように、2本の通路を塞ぐようにそれぞれ1人ずつが最前列の座席の横で立ち止まった。
もう1人はそのままコクピットへと接近していく。
「あの、お客様……」
そこで客室乗務員が男に声をかけた。
「ここから先は……」
「俺に構うな」
「いや、しかし……」
言葉数少なく乗務員をあしらおうとした男に対し、彼女はさらに食い下がろうと試みるが、今度は違う男が口を挟んだ。
「うるせーな。リーダーの邪魔すんじゃねえよ」
通路に立っていた2人のうちの1人が乱雑な口調で乗務員を制止する。
「ですが……」
「あ~、もう鬱陶しいな~」
おもむろに男は懐に手を入れた。
「おい待て!」
リーダーと呼ばれた男の制止にも耳を貸さず、そのまま手を引き抜く。
男の手の中には黒々とした金属が握られていた。
「これ見たら俺らの目的わかるよね?」
「ハイジャックっ!」
「せいか~い」
乗務員の恐怖した顔に満足げな笑みを見せた男は、客室側に向き直ると拳銃を天井に向けて引き金を引いた。
「コクピットを抑えるまでは待てと言っておいたものを……」
リーダー格の男は、部下の行動と乗客の悲鳴に頭を抱えつつも、ポケットから無線機を取り出して素早く指示を下した。
「始めろ」
『了解』
短く返答があった次の瞬間、後方の客室からも銃声が響いた。
続いて、客室乗務員用の電話を取ると、機内全体に聞こえるように話し始めた。
「全員、自分の座席から動くなッ!抵抗しようなどとは考えず、じっとしていろッ!そうすれば危害は加えないッ!」
それだけ告げると受話器を戻し、コクピットの扉を叩いた。
「おい、機長ッ!聞こえていただろ!ここを開けろッ!」
しかし、コクピットからのリアクションはない。
「無視するつもりか?なら……」
男は乗務員の胸ぐらを乱暴に掴むと、彼女の額に銃を突き付けた。
「俺が10数える間に扉を開けろ。さもないと、この女を撃ち殺す。1、2、3、……」
「わかった!今開ける!」
声の数秒後、コクピットからディダロス=セクウェンツィアが姿を現した。
「初めから大人しく従えばいいものを」
ディダロスに銃口を向けると、男は彼と共にコクピットの中へと消えた。
「どうなるんだ……」
「お父さん、怖いよ~」
「大丈夫、大丈夫だから」
「何が目的なんだ……」
突然の事態に、乗客たちはパニック寸前の状態に陥っていた。
皆、口々に不安を漏らしている。
……ただ1人を除いては。
「ハイジャックとか……、不幸だ……」
悲壮感たっぷりに溜め息をついた麻琴は、見張りの2人に気付かれないようにそっと窓ガラスに手を置いた。
「後ろの様子は……」
麻琴が手を退けると、ガラスには後方の客室の情景が、上から覗くような具合に映し出されていた。
よく占い師が使う水晶玉のようなものである。
「見張りは……2人か。こっちとおんなじで通路に1人ずつ。さて、他に仲間みたいな人は……」
スマートフォンの操作のように、麻琴が人差し指でガラスを撫でると、それにあわせて画面もスクロールする。
「いないかな。全部で5人。それじゃあ、ちゃちゃっとやりますか」
“フゥ~”と息を吐きながら集中力を高めるように麻琴が目を閉じる。
「な、なんだ?急に眠く……」
途端に4人の男の足元が覚束なくなり、すぐに斃れて……いや、眠ってしまった。
「よし、後1人」
すぐさま席から立った麻琴は、突然のことに驚く乗客たちを尻目にコクピットに迫り、“透視能力(クレアボイアンス)”で内部の状況を確認する。
「犯人は機長席のディダロスさんの後ろ。拳銃は右手に握ったまま。一気に行くわよ!」
言うが早いか、麻琴はコクピット内、それも犯人のすぐ後ろにテレポートした。
「なんだ?」
「はぁ!」
「ぐはッ!」
咄嗟に振り向いた犯人が何も出来ないうちに、右足をこめかみに叩き込んで勝負を決めた。
蹴られた犯人は、副操縦士席の向こう側まで飛び、受け身を取ることもできずに床に倒れ込む。
「一丁上がりっと!」
“どうだ!”と言わんばかりに麻琴は両の腰に手を当てて胸を張る。
「君は……」
そんな麻琴の様子を呆然と見つめていたディダロスが恐る恐る声をかける。
「どうも“はじめまして”、機長さん。私は上条麻琴。学園都市に住んでます」
オリオン号の1件を胸の底にしまい込み、麻琴はディダロスに右手を差し出す。
「あぁ……、私はディダロス=セクウェンツィアというんだ。そうか、学園都市の。実は私の娘もね……」
麻琴の説明に納得したらしく、ディダロスは席を立って手を握り返した。
さらにシャットアウラについて話し始めようとするが、ここで第三者が邪魔をした。
「まさか、超能力者が乗ってたとはな……」
麻琴に蹴り倒された男の意識が戻っていた。
まだ朦朧としているらしく首だけ動かして話し出す。
「いや、想定しておくべきだったか……。だが……」
「アンタ、まだ何かする気?」
麻琴が男に対して警戒心を強める。
「“まだ”?フフッ……」
しかし、男は不敵に笑い返し、麻琴に言い放った。
「“もう”やったさ」
男の言葉と同時に、レバーの飛んだ手榴弾がゴロンと左手から転がり落ちた。
「このッ!」
しかし、麻琴の動きも速かった。
一歩で倒れた男との間合いを詰めると、手榴弾を拾い上げ、能力の限界値──すなわち81.5m先──までテレポートさせた。
「ハハハッ……」
だが、それを見た犯人は大きな笑い声をあげた。
「かかったな、アホがッ!」
男は右手の拳銃を窓へ向けて引き金を引いた。
「しまったッ!何かに掴まって!」
麻琴が叫ぶが早いか、ガラスが砕け散り、コクピット内の空気を一気に吐き出し始めた。
「うおぉぉぁぉぉッ!」
麻琴は当然として、シートベルトを締めていた副操縦士と、床に倒れていた犯人は無事だったが、何にも掴まる暇がなかったディダロスだけが叫び声をあげながら機外へと飛び出した。
「ディダロスさんッ!」
「くそッ!お前は平気なのか」
「アンタは黙ってろ!」
「がはッ!」
電撃で犯人を黙らせた麻琴は、自分から外へ飛び出した。
常人ならば目を開けられないほどの風に揉まれながら、必死にディダロスの姿を探す。
「見つけたッ!……ハッ!マズいッ!ディダロスさ~んッ!」
1秒にも満たない僅かな時間で、麻琴が見つけたのは、今まさにエンジンに吸い込まれようとするディダロス=セクウェンツィアの姿だった。
数時間後
窓のないビル
「大変なフライトだったそうだな、上条麻琴」
いつも通りの口調でアレイスターが麻琴に話し掛ける。
「“大変”どころじゃなかったわよ!」
対して、麻琴はイライラした様子で返す。
「飛行機がハイジャックされるわ、爆発しかけた手榴弾テレポートさせなきゃならないわ、ディダロスさんが死にかけるわ」
「実際に死んだわけではないのだろう?」
「すんでのところでテレポートが間に合ったから良かったものの、ホントに危なかったんだからね!てか……」
麻琴の瞳と声色に鋭さが増す。
「アンタ、わざと私がディダロスさんが機長の飛行機に乗るように仕向けたでしょ?」
「ほう……。そう思う根拠は?」
「行きが専用機で、帰りが旅客機ってだけで十分あやしいわよ」
「ふん……、なるほど。なかなか乱暴な論理であるようにも思うが正解だ。確かに君があの機に──ディダロス=セクウェンツィアが機長を務めるあの機に──搭乗したのは私の意思だ」
初めから隠す気がなかったようにアレイスターはあっさりと認める。
「何のために?まさか、私にディダロスさんが死ぬところを見せたかったとかじゃないでしょうね?」
麻琴が一層語調を強めて問い掛ける。
「それこそまさかだよ。ただ、君と彼をもう1度出会わせようとしただけさ」
「なんで?」
「魔術結社の壊滅などという大仕事の後で、君の心に迷いが生じるだろうと思ってね。詳しいことは私に訊くまでもなく理解できるだろう?」
「チッ……」
アレイスターに心の内側を覗かれていたことに気付いた麻琴は舌打ちする。
「そもそも、くだんのハイジャックは私にとってもかなり予想外の出来事だった」
「どういう意味よ?」
「拳銃と手榴弾が5個ずつ、そしてテロリストが5人。一体どうやって、学園都市行きの飛行機に乗り込んだと言うんだ?それが私にはわからない。空港に顔写真があるにも関わらず見つからなかったテロリスト、見破られなかった偽造パスポート、X線をすり抜けた武器。どれもありえないことばかりだと思わないか?」
「単に運が良かっただけじゃないの?」
「“運が良かっただけ”か……。だからこそ私は気になるのだよ。それなりの理由があるならまだしも、ただ“運良く”ディダロス=セクウェンツィアが死にかける場面が演出されたというのだからな……。ディダロス=セクウェンツィアは3年前に死ぬはずだった男。それが、君が本格的に動き始めた途端に死にかけた……」
「…………」
アレイスターの言葉に麻琴は息を飲む。
「この世界には……、運命には修正作用があるのかも知れないな」
「つまり、死ぬはずだった人は死ぬってこと?」
「そうなるな」
「他人事じゃないでしょ?」
「私は後3年は安泰だ」
「そう言えばそうだったわね。じゃあ、報告はとっくに済んだんだし、私は行くわよ」
「好きにしろ」
アレイスターの言質をとった麻琴はシュンッという音を残してビルから消える。
「“死ぬはずだった人間は死ぬ”……。だとすれば、いないはずだった君はどうなるのだろうな?上条麻琴」
アウレオルス=イザードに関する事情を当麻から聞いた麻琴が、またもアレイスターに担がれたことに気づくのは、さらにこの数時間後のことであった。
お久しぶりです。
約2ヶ月ぶりの投稿となってしまいました。申し訳ありません。
理由といえば、リアルが忙しかったからということになります。
高2の3学期がこんなに大変だなんて思ってませんでした……。
前作のように毎日更新するのは無理でも、これからはもう少しマシなペースで投稿するつもりです。
話は変わりますが、新約9巻出ましたね。←忙しかったんじゃ?
みんなが幸せな世界云々の辺りが、自分の処女作と被ってるような感じだったんで、人知れずちょっとドキッとしてみたり……。
そんなこんなで、これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします。