「……カミやん、次はそこのでっかい犬だにゃー」
「おう……」
パキーンッ!
「そんで次はそっちのゴテゴテにデコってある亀……」
「こいつか……」
パキーンッ!
「次はそこの観葉植物にタッチして、すぐに隣の首振り人形を潰すんだぜい……」
「ああ……」
パキーンッ! パキーンッ!
上条家。家主の旅行中につき、誰もいないはずのその場所で、ガラスが砕けるような音が断続的に発生していた。
「くれぐれも慎重にだぜい、カミやん。うっかり、狙いと違う偶像をイマジンブレイクしちまったら、どんなトンデモ術式が発動するか、さすがの土御門さんにもわからんですたい」
「わかってるよ……」
上条刀夜が意図せずして張り巡らせた創作魔法陣。それを解除している最中であったが、大量の偶像とオリジナルゆえの不確実性が、作業の速やかな進捗を阻んでいた。
「本当にこんなことしてて大丈夫なのかよ?」
「大天使の方が気になるか? 気持ちは分かるが、カミやんの役割はこっちだ。心配ならせいぜい手を早めることですたい。次、それだにゃー」
(向こうの様子を知らせなくて正解だったかにゃー。カミやんの気分をノせるために色々言ったわけだが、ぶっちゃけ、もうそこまでは切羽詰まってないですたい。というか、切羽詰まってたら、こんなチマチマしたこと全部すっ飛ばして、この家ごと『赤ノ式』で一撃なんだぜ、カミやん……)
砂浜の現在の様子は、当麻の想像とおおよそ180度違っていた。
「飽きないな~。効かないってば」
天使の攻撃を、麻琴の水翼が弾き飛ばす。
天使がその正体を現してから、それなりの時間が経過しているのだが、麻琴と神裂どころか付近の自然や建造物ですら無傷のままの状態を保っていた。
(上条麻琴……)
七天七刀を持ってこそいるが、完全に交戦状態から解放されてしまった神裂は、目の前の少女の様子をマジマジと観察していた。
(敵に回せばとてつもない脅威ですね……)
「どうしたの? 火織さん。そんなジロジロ見て」
「いえ、別に……」
大天使を片手間に相手しているような人間をどうやれば倒せるだろうか。
神裂はその答えを持ち合わせていない。
大天使すら答えがわかっていないようだ。先ほどから次々と手を変え品を変え、かなりの数の攻撃を繰り出しているが、そのほとんどが『水翼』に迎撃され、少ない例外は『幻想喰い』に潰されている。
大天使本体を攻撃する意図が麻琴にない以上、戦局はここに固定された。
そして、この固定を嫌う人物は指を振るった。
突然、地面が跳ねた。
「地震!?」
地震などこの列島においては珍しくもない現象だが、今回のものは他の例とは一線を画していた。
巨人が四股を踏んだかのような、強烈な縦揺れがたった一度だけ。麻琴と神裂の身体は一瞬地面を離れて宙を舞った。
そして、二人は思い出した。たった今、この星を揺るがしかねない精密作業を行っていた者たちがいたことを。
「「マズいッ!」」
「ヤバいッ……」
土御門のサングラスの脇を冷や汗が流れ落ちる。
上条家の中は台風が通り過ぎたような有り様であった。
さっきまで、小物一つ一つの置き場所に苦慮していたのが、馬鹿らしく思えてくる。
「土御門……」
「いや落ち着け、カミやん。こうまで滅茶苦茶になってくれて却って助かった。発動待ちだった術式がほとんどぶっ壊されてる」
家の中が引っ掻き回され過ぎて、もはや元の配置に残っているものなどほとんどなかった。
一つ崩すと何のスイッチが入るかわからないのが、この術式の恐ろしいところだったのだが、地震によって家ごとの破壊と同じような効果が得られてしまった。
「そうか、よかった……。って、ちょっと待て土御門……」
そこで当麻は、顔色の悪い土御門に、
「“ほとんど”?」
「ああ。そうだ、カミやん……」
土御門は、口元がひきつり始めた当麻に、
「全部じゃない」
「何、これ……」
麻琴の目の前の海が立ち上がった。
もちろん比喩だが、そうだと錯覚するほどの高さの波が迫っていた。
もはや“波”よりも“壁”と表現した方が良いかもしれない。
海水から作られた『水翼』は、より上位の命令文に上書きされたかのように、麻琴の制御を離れて海へと還り、壁の一部分となった。
「ノアの大洪水って感じかな……」
麻琴は独り言ちた。
(さっきの地震で、何かの術式が発動しちゃったのかな)
とはいえ、まだ幸運な部類ではあったかもしれない。
全地球規模で氷河期を起こされでもすれば、麻琴でも止めることは不可能だっただろう。
高波、範囲も目の前の海域だけに限定されているとなれば、
「嘗めんなッ!」
ジャンプ一番、麻琴は高波目掛けて飛び込んだ。
パキーンッ!
麻琴の手に触れた部分から、力を無くしたように波が形を失っていく。
だが、
「ウゥゥオォォォォッ!!!」
膨大な質量に、無力化機構が処理落ちを訴えてくる。
「唯閃ッ!」
神裂が七天七刀を振るった。
波が大きく抉られ、勢力を弱めた。
「ナイス、火織さん!」
すかさず、麻琴は高波から写し取った力をそのまま返した。
一瞬、拮抗したかと思えた途端、高波は後ろ向きに倒れ込み、その姿を無くした。
「ふぅ~」
海の上で浮遊しながら、麻琴は額を拭った。
「いや~、びっくりした。やっぱり、自然のちか……」
「後ろです! 麻琴!」
「えっ?」
神裂の悲鳴に近い叫び声に従って振り返った麻琴は、バールのようなものを振りかぶって飛び込んでくる、ミーシャ=クロイツェフの姿を認めた。
(なるほど。魔術で効かなかったから物理でくるのか)
などと呑気に思考する間が与えられるはずもなく、脳天めがけて振り下ろされる鈍器を、麻琴はダッキングして回避した。
(あっ、反射すれば済んだのかな、今のは)
そんなことを考える麻琴の胸ぐらを、赤い左手が掴まえた。
「あっ……」
しまった、とでも言いたげな表情を浮かべる麻琴と、相変わらず無表情な天使。
次の瞬間、ガラスの砕ける音と共に、二つの少女の影は弾かれるように引き剥がされた。
双方、何が起こったのかわからないと言いたげに、困惑の表情を浮かべる。
赤い少女は支えを失ったように落下を始めた。
麻琴は依然として宙に浮かんでいたが、不思議な感触ともつかない感触に苛まれた。
ちょうど、タンスの角に小指をぶつけたときのような、そんな感じ。痛みを感じる前のほんの一瞬、その瞬間のような感触。
そして、その一瞬は経過し、
「……ぁ」
麻琴は口を開いた。
「あ、あ……」
漏れる声が徐々に大きくなる。かすれ声から会話音量になり、そして絶叫へと姿を変える。
「ああああああああああああ!!!!」
同時に麻琴の身体にも異常が顕れる。下腹部が光り始めた。その光も声と同様に強さを増していく。
「上条麻琴!」
神裂の耳を聾そうとするかのように声は強さを増していく。
神裂の目を焼こうとするかのように光は強さを増していく。
「フッ」
窓のないビルで一人の『人間』が笑った。
「天使を宿したな、上条麻琴」
「あれは……ッ!」
神裂は目の前の光景に、思わず自分の視力を疑った。
「──q愚劣rw」
人形のように表情のない顔。
ガラス玉のように感情のない瞳。
上条麻琴の姿の天使が、神裂火織を見下ろしていた。