「ん…、うぅ…」
上条麻琴は低い呻きを漏らしつつ目を開いた。
ぼうっとしたまま、倒れていた床から身を起こす。
「お目覚めかな?上条麻琴」
そんな彼女に、1人の人間が声を掛けた。
「アンタは!」
彼の姿を認めた麻琴の意識が一気に覚醒する。
それほどのリアクションをとるに相応しい相手だった。
「アレイスター=クロウリー!」
「フフッ…」
ビーカーの中で逆さまに浮かんでいる、緑色の手術衣を着た人間・アレイスター=クロウリーは驚く麻琴を見て笑みを漏らした。
「アンタ…」
目を見開いたまま麻琴が話し始めるが、あまりの動揺に言葉が続かない。
「『死んだはず』か?」
代わりにアレイスターが言葉を繋いだ。
「なんで…」
「覚えていないのか?君は気を失う前、どこにいた?」
麻琴は靄がかかったような頭の中から直前の記憶を引っ張り出す。
「オリオン号…」
「そうだ。つまり、ここは…いや、“今は”と言うべきか、2007年。君が生まれる13年前だ。そして、私が君の父親に撃たれる遥か以前という訳だよ」
「はぁ…」
麻琴が思わず床にへたり込む。
(2007年?冗談でしょ…。私が生まれる前の世界?タイムスリップ?)
そのまましばらく、彼女の脳内で理性と感情のせめぎ合いが生じたが、ふとあることに気がついた。
「なんでアンタ、お父さんが撃ったこと知ってんのよ?」
それはアレイスターが、正確には“現在の”アレイスターが、知り得るはずのない情報だった。
鎌を掛けるにしても、“倒される”や“殺される”ならともかく、“撃たれる”とは言わないだろう。
上条当麻は銃を使ったことなどないし、性格からして持っているとも考え難い。
あの銃とて、持ち主は浜面仕上だった。
「ふむ、時間遡行などというものを体験した直後に、冷静かつ論理的な思考を失わないとは、なかなか頭脳は明晰なようだね」
麻琴の問いに答える前にアレイスターは彼女を分析するように発言する。
「答えは?」
イラついたように立ち上がる麻琴。
「フフッ、そう急かさずとも言うさ。君が眠っている間に記憶を調べたのだよ」
「なっ!」
事も無げに言ったアレイスターに麻琴は驚愕した。
「どうやって!“幻想喰い”があるから魔術は効かないのよ!」
「確かにその通りだ。だが、科学の産物ならば可能さ。君は“学習装置(テスタメント)”を知っているだろう?その逆の効果を持つ装置があってもおかしくはないと思わないか?」
「…どこまで?」
「ん?」
「どこまで知ったの?」
「全てさ。君が13年弱の人生で得た情報の全て。君の友人たちのプロフィールから、私のプランの行く末まで」
「くっ…」
麻琴が苦々しげに顔を歪める。
「さて…」
そんな彼女の様子を面白がるように見たアレイスターは話を進める。
「自分の置かれている状況は理解できたな?」
「だったら何よ?」
「その上で君に提案がある」
「聞いてやろうじゃないの」
「私のプランを成すために協力してくれ」
「はあ!?」
麻琴は驚いたように声をあげる。
「アンタふざけてんの?」
「私は大真面目さ」
対するアレイスターは変わらない調子で話を続ける。
「君の登場によって私は未来を知ることができた。つまり、未来を変えることが可能になったということだ。私は“君が知っている私”とは別のルートを辿り、自らの“死”を回避した上で、プランを成す。そのために君はとても有益な存在なのだ」
「だからって、私が協力なんてする訳ないでしょ!アンタのせいで、お父さんや、お母さんや、一方通行さんや、打ち止めさんや、他にもたくさんの人が苦しんだって私は知ってるのよ!」
一方通行の記憶を読んだ彼女は、“実験”のことも“暗部”のことも当然ながら知っている。
「それから、アンタ忘れてない?アンタを殺したのは誰?私のお父さんなのよ!“上条当麻”がアンタを殺したの!あんなに優しいお父さんがアンタを殺したの!理由は聞いてないけど、お父さんがそうそうのことで人を殺したりしないって、私にはわかる!それだけでアンタが極悪人だってわかるのよ!そんなアンタに私が協力するなんて有り得ないでしょ!」
麻琴の言葉が熱を帯び始めたが、そこで少し落ち着きを取り戻した。
「それに、私にとって“今”は“過去”なのよ。アンタが何しようとしたって、“起こったこと”は変えられないんじゃないの?」
「ふむ。確かに君の言うことにも一理あるな」
“しかし”と、アレイスターは言葉を繋ぐ。
「その議論は最早意味を持たない」
「なんで?」
「既に結果が出ている。“改変”は可能だ」
「どういうことよ?」
「“88の奇蹟”…」
アレイスターはかの墜落事故に当てられた通称を口にした。
「この“奇蹟”の真相を君は知っているな?」
「本当は乗っていた人全員が助かった訳じゃなかった。シャットアウラさんのお父さんが亡くなってた…」
「そうだ」
「それが何だって言うのよ?」
「シャットアウラ=セクウェンツィアの父親・ディダロス=セクウェンツィアは生還した」
「え?」
「乗客乗員88人が全員無事に救出された。本当は君も含めて“89人”になるのだが…やれやれ、隠蔽するのは骨だったよ。それから、面倒を起こされないように、レディリー=タングルロードには消えてもらった」
「それじゃあ…」
(シャットアウラさんのお父さんは助かったのか…)
麻琴はそんなことを思ったのだが、アレイスターは彼女の呟きを違う意味にとった。
「そうだ。既に“改変”は成された。“この世界”は“君の世界”とは異なるルートを辿り始めている。それを理解した上で、私の提案について…」
「考えるまでもないっつってんでしょ!」
アレイスターの言葉を麻琴は切り捨てる。
「いや、君は熟考すべきだ」
そんな麻琴の言葉をアレイスターは否定する。
「妹達を運用したLEVEL6への進化…」
アレイスターは、麻琴の──一方通行の──忌まわしき記憶を呼び覚まさせた。
「君が私の提案を呑むと言うのなら、止めることもやぶさかではない。他のことについても然りだ。条件としては悪くな…」
「ふざけるな!」
アレイスターの言葉を麻琴の声が遮る。
「確かに“実験”がなくなるんならいいとは思う。でもそれなら、もっとシンプルでわかりやすいやり方があるじゃない…」
麻琴は両の拳を握り締め、アレイスターを睨み付けた。
「今ここで、私がアンタのくだらない幻想をぶち殺す!」
「フゥ…」
それを聞いたアレイスターが残念そうに嘆息する。
「君は聡明だと思ったのだがね…」
「なめんじゃないわよ!私は“幻想殺し”と“超電磁砲”の娘の“幻想喰い”だ!」
叫ぶと同時に、麻琴はビーカーに拳を叩きつける。
ただ殴ったのではなく、写した“一方通行”の力を乗せ………たはずだった。
カンッ!
「えっ?」
麻琴の拳は容易くガラスに弾かれた。
しかし、ビーカーが一方通行の力が通用しないほどに頑丈だった訳ではない。
「力が…」
麻琴が“一方通行”を使えなかったのだ。
「なん…で…」
信じられないと言わんばかりに、麻琴は自らの赤く腫れた右手を見つめる。
だが、現実は変わらない。
“超電磁砲”、“未元物質”“原子崩し”、“念動砲弾”、“魔女狩りの王”、“雷光のブレード”………全て発動させられなかった。
「消えてる?」
呆然と呟く麻琴。
「“奇蹟”には代償が付き物だ」
そんな彼女にアレイスターが話し掛ける。
「乗客を助けた代償に、君が写した異能が全て無に帰したのだろう」
「そんな…」
(あの頭痛と光はそういうことか…。なんで、こんな時に役に立たないのよ!要らない時にはでしゃばったのに!)
つくづく、この力は麻琴を“不幸”にしたいらしい。
「でも…」
しかし、上条麻琴は、上条当麻と御坂美琴の娘は、そんなことでは止まらない。
「まだ私は…きゃっ!」
麻琴が再度ビーカーへと向かおうとした時、額に衝撃を受け、身体が後方へと飛ばされた。
「この!」
空中で一回転して体勢を崩さずに着地する。
「全身に纏った“幻想殺し”。それだけで私に勝てると思うか?」
アレイスターがビーカーの中から声を出した。
その周りには、いつの間にか木片のようなものが浮かんでいた。
「物理攻撃なら有効なのだろう?」
(あれで殴ったのか…。でも…、操ってるなら、当たった瞬間に私の力で無効化とコピーができるはずなのに…)
「簡単なことだ…」
アレイスターは、麻琴の考えなどお見通しだと言わんばかりである。
「君に当たる直前で制御を解き、君に当たり、離れた瞬間に再び制御する。こうすれば君にダメージを与えることも可能だ」
“そして”と、アレイスターは言葉を続ける。
「君の方こそ忘れていないか?上条当麻たちが私を殺すためにどれほどの戦力を要したのか」
「うっ…」
「幻想殺しを筆頭に、LEVEL5が6人、魔神が2人、魔神もどきが1人、聖人が3人、その他にも能力者や魔術師たちが結集した。それでも…」
アレイスターは1度言葉を切ってから続けた。
「上条当麻よりも私の傷の方がまだ浅かった」
表情にも語調にも変化はなかったが、アレイスターが勝ち誇ったように言ったかのように、麻琴は感じた。
「もうわかっただろう?君では私を倒せない。事実、さっきの一撃で、私は君を殺すことも可能だった」
「くっ…」
麻琴は奥歯が砕けんばかりに歯軋りする。
さっきの一撃。
木片による打撃。
もし、あれがナイフだったなら…。
いや、もっとシンプルに、アレイスターが拳銃でも撃っていれば…。
麻琴は間違いなく死んでいた。
「さあ、では改めて尋ね…」
「イヤよ」
しかし、現状を完全に把握した上で、麻琴はアレイスターの言葉に頷くことをしなかった。
「アンタに協力するなんて死んでもイヤよ」
だが、アレイスターは言い募る。
「そう頑なになることもないだろうに。まずは私の話をよく聞け。“協力”と言っても君が考えているようなものではない」
「どういう意味よ?」
「私のプランの中枢を“幻想殺し”から“幻想喰い”に変更する」
「えっ…」
「つまり、君が首を縦に振りさえすれば、君の父親の運命を変えられるのだよ。もちろん、君の母親を初めとした周辺人物のものも含めて、だ。それから、ある程度の自由なら保証しよう。私が許可する範囲で好きに動けばいい。ただ私からの指示に逆らうな。それだけだ。無論、君に殺人や強盗などの重罪を犯させるつもりもないから安心しろ」
「え…あ…ええっと…」
麻琴の瞳が小刻みに震える。
アレイスターとの会見において、彼女の心が初めて揺れた。
(私じゃコイツに勝てない…。でも、言いなりになれば未来を変えられる…。でも、そしたらコイツの訳わかんない“プラン”ってのが…。でも…でも…でも…でも…でもでもでもでもでもでもでもでもでも…………………)
「熟考すべきだと言っただろう?」
悩む麻琴を見たアレイスターが言う。
こんなことをたった12歳の少女に問うのか。
1年前には親と屋根を同じくしていた少女に答えろと言うのか。
現在も、過去も、未来でさえも、相も変わらず、世界は“上条”が嫌いなようだ。
麻琴のヒーローはここには来ない。
この世界のヒーローは麻琴を知らない。
不幸で、孤独で、無力で、若くて、優しい、この物語のヒロインは、小さく頷くことしか出来なかった。
「運命を変えてみせろ、神浄の魔呼徒」